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あれから、三男のユーチューブ視聴歴は長い。もう小6となったが、飽きないものだ。デブになり、夜遅く、朝遅く、不規則な生活を改めることもない。このままじゃヤバイを通り越している。そして小学校最後の学校生活はいつ始まるのか?!そして妻も妻で一肌脱いで三男の生活改善に取り組む姿勢もない。宿題やれよー!と怒鳴るだけで、一緒に取り組んであげようという姿勢はない。家庭内不和というか、機能不全家庭というか・・・。次男(高2)は偏差値低めの県立高校に通い、成績はクラスで上位になってくれたようなので勉学的には優位に生活できている。それはそれで良かったと思う。ただお金を要求するようになった。「勉強頑張ったんだから金をよこせ」などと(笑)そして長男。小柄な中学生のように見えるが22歳である。就労支援に通っているが緊急事態宣言で自宅で待機している。風呂掃除や玄関掃除をしてくれているようだ。律儀と言えば律儀。自宅にいる分、社会への不安など感じずに過ごせている。そして私はおよそ1年前から、家族と離れて東北地方へ単身赴任している。月に一回ぐらいのペースで自宅に帰省できていたが、新型コロナウイルスの影響で県外移動できず、GWで気候も良いというのに家族にも会えず、スーパーでの食料買い出しとウォーキング以外はアパートで一人じっとしている。自粛によるストレス。それもあるが、三男(小6)の学力低下や運動不足による体力の低下も心配であるし、親族、兄弟、友人らの健康や経済的状況も心配なところである。このまま緊急事態宣言が長引けば、私自身の経済状況にも良くない変化が起きるだろう。もとから、数年先の経済的不安はあるにはあるのですが・・・。昨今のコロナウイルス禍で心身の健康や経済的な打撃、いやもっと様々なこと。痛手を被っている人々がいる状況。国や自治体の言うことをしっかり聞くことが大事なのか、各々の努力でこの災難を打開する手立てを講じるべきなのか、私自身、頭の中がぐじゃぐじゃになって訳わからないことになっている。なんやかんや言って結局のところは我慢しかない。心を騒がせないようにして国や自治体、地域、会社組織の方針に従って、我慢しているしかない。そして親族らにも、大丈夫かー、頑張ってくれよー、とにかく無事でいてくれよー、としか言いようがないのです。
2020年05月03日
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今日私は会社を休んで次男(中3)を、とある大きな病院へ連れて行きました。自宅のご近所の皮膚科の先生に紹介状を書いてもらい、予約を取った上でこの大きな病院で診察を受けました。アトピー性皮膚炎なんですが、春先の乾燥していた時期とは違い、湿気のあるこの時期は外見上酷くはないのですが、手の甲、ひざの裏側あたりが常にかゆくてザラついているのです。高校受験に備え、夏休みの前半を利用して入院して集中治療してもらおうと考えていました。本当は春先のもっと全身がひどい状態の時に、紹介状を作っていただいており、タイミングを見て大きな病院に来るつもりでしたが、夏休みになるまで来るタイミングが無く今日に至った次第です。いざ、集中治療だ、入院だ、などと私が勝手に企てていたものだから、次男もその気になってしまい、入院ベッドの上で静かに勉強ができることを半分楽しみにしてしまっているようだった。ところがである。大病院の先生に診てもらったところアトピーとしては中程度できれいな肌のところもたくさんあるし、入院するというよりは近所の皮膚科でもらっている、軟膏と保湿剤をしっかりと続けることがベストという結論となってしまった。私は今まで以上に、次男の肌の保湿、軟膏ぬり、甘いものを控える事、インスタント食品を控えめにすること、を小まめに面倒見てあげなければいけないこととなった。それもなかなかキツいことだ。が入院したところで、車で30分以上かかる場所にあるこの病院に毎日入院する次男の面会に行くのも大変だし、これで良かったかなと思う。次男と病院を出て、まだお昼までには早かったので、書店などで時間をつぶし、駅前で刺身料理や海鮮丼を食べさせてくれるお店に入った。次男が持っていたリュックに書店で買った本を入れて欲しかったのと、座る席の私の横に次男のリュックを置いてあげようとしてリュックを受取ると酷く重かった。「何が入ってるんだ?」と聞くと、入院するつもりで来たから勉強道具を持ってきたと言う。本気で入院を望んでいた次男なのであった。お店にはサラリーマンやお年寄りなどが多くいた。次男のような中学生はいなかった。あるお年寄りがお店を出る時、店員にこう言った。「タクシー呼んでくれ」ここは駅前。タクシー乗り場は50メートルぐらい歩くとある。しかしこの暑さ。そんな距離も歩けないというのか?!私は無言で微笑んでしまった。店員がこのお年寄りと一緒にお店を出て、「タクシー乗り場はあそこです」と指差しで教えていた。お年寄りは炎天下の中、トボトボと歩きタクシー乗り場へと向かいました。私らが刺身定食や海鮮丼を食べ終わって、お店を出る時「会計は別々ですか?」と店員が訊ねた。私は「一緒でお願いします。」と答えつつ、「僕ら、親子に見えないのかなぁ。親が子供の分まで一緒に払うの当たり前だよな。」と心の中で思った。がこの店、サラリーマンが最も多いから会計の時、そう訊ねるのがマニュアルになっているだな、と思った。
2018年07月24日
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子供たちには親として規則正しい生活と勉学に勤しむことを望むがそんなに簡単に上手く行くものではない。次男(中1)は塾の冬期講習を終え、3学期から通常の塾通いをし始めた。週に数学と理科の2科目を受ける。英語もやりたいが予算の問題もあるので、私が知る限りの中学英語を教えようとしている。先月12月2度程、次男は私からの英語の個別指導を受けた。有り難がって欲しいものだが嫌々ながらだったような気もする。今年に入って、「父さんからの英語の個別指導、今度いつやるか?」と聞いたらiPadやりながらこっちを振り向きもせず、「嫌だネっ!」と断られてしまった。私に教えられなくても学校の勉強について行けていれば別に問題ないのだがどうなのだろう。勉強嫌いが進行していかなければいいが、と思案するこの頃だ。三男(小2)については主に規則正しい生活のあり方が崩れてきていて何だか不安になってくる。どうしたらいいのかと思う。ユーチューブ見ながら食事するし、夜遅くまでユーチューブかゲームしているし、宿題をやらない。21時でパソコンは終わりにするよう決まりを作ったが今度はゲームをしている始末だ。今年に入って、宿題をやる時間、お風呂に入る時間、歯を磨く時間、学校に行く準備をする時間、寝る時間、それらの日々のスケジュールを作って貼ってあげた。まだ1~2回しか実行してくれてない。昨日は、早く風呂に入るよう声をかけただけで何か怒り始め、貼り出したスケジュールをしわくちゃにしてしまった。何という暴挙なのか!?小2で扱いが難しい子供になってしまったのだろうか。懸念の日々が続く。
2017年01月15日
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久々の更新になります。もっと更新したいのだが、私の文章作成能力が弱いのか、特に話題がなくて後回しにしているうちにいつのまにか日々が過ぎてしまうのでした。最近ちょっと心配なことは三男(小2)がまったく宿題をやらないということだ。ユーチューブばっかり観ているかゲームしている。「冬休みの宿題は早めにやっちゃうのがいいんだぞ、年内に全部片づけちゃえ。」と激励したのだが、昨年内は一切やらず、年越した今でも一行日記を1、2行書いた程度だ。この冬休み中まったくやらなかったに等しい。ユーチューブやゲームばかりの生活態度は私が子供の頃には考えられない生活態度である。こんなことで子供の脳は大丈夫なのか、と本気で心配になって来ている。そう言えば私が小2だった40年以上前の冬休みはこうでした。自転車を乗り回していて、交通事故に遭いました。3日で退院できるほどの軽傷で済みました。入院している時に同部屋の患者さんらが「8時だよ、全員集合が面白いぞ。」と皆でテレビにかじりついていた。その時初めてそれを知りました。私や私の家族もそれをきっかけに、土曜の夜8時はドリフターズの「8時だよ、全員集合」(TBS)を観ることが当たり前になり、その後6~7年後に「オレたち、ひょうきん族」(フジテレビ)が放送され始めるまでは圧倒的にドリフがお茶の間を爆笑させていたのでした。昔話はこれぐらいにして。三男がパソコンを独占してユーチューブばかりやっているのでパソコンの調子が悪くなったと三男が訴えた。たまには再起動したらどうかと思い、やってあげた。そばで三男が見つめる。そしてパソコンがなかなか立ち上がらなかった。「ユーチューブばかり観てるから立ち上がらなくなっちゃったぞ。」と言ったら、「そもそもパソコンに足は無いし、立ち上がる訳ないじゃん。」と笑い話のように聞こえるが三男は冗談じゃなく本気で言っている。子供らはパソコンを「立ち上がる」とは言わない。なら「起動する」って言った方がいいってことか、とふと思う私。そんなことはどーでもいいんだ!とにかくユーチューブばかり観てる三男、このままではまずい。
2017年01月08日
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次男(中1)が塾に通うことになった。冬期講習とか年会費とか一か月分の授業料とかひとまず現金が必要なのだった。おばあちゃん(私の母)も応援したいといい、次男の名義で銀行口座を作ってくれて、そこに授業料を振り込んで置いてくれるという。我が家は今後お金がどんどん必要になり住宅ローンもまだ30年近くある。繰り上げ返済するためにしっかり貯金もしていかないといけない。母の援助は助かるが非常に申し訳ない気持ちだ。子ども手当を大切にし、母から援助されなくても何とか頑張ってみようと思っている。妻は専業主婦であり、パートかアルバイトして少しでも家計を助けようとしない。母も内心、そこを批判したいのだ。「何故、住宅ローンかかえて、育ち盛りの子供がいるのに母親がまったく仕事しようとしないの?!」と。私の友人や同僚も言う。「奥さん働いてないの?!良くお前の稼ぎだけで生活して行けるね。」しかしもう私は妻には何も言わない。あきらめてしまったのかも。妻自身の良心に任せる。少なくとも子供らは私だけの子供じゃない。妻の子供らでもある。親なら子供を育てるためにやれることをするよね。父親の役割や母親の役割をそれぞれが見つめて頑張ろうか。父親である私がいちいち、君の母親としての役割について口出しはしないことにするから、それぞれのやり方で家族を見守って行くということでいいね。
2016年12月04日
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給料が出たばかりだと言うのに、食卓のテーブルでお金の計算をしていた私は来月も生活費ギリギリの暮らしであることがわかり思わず、「ああ来月も生活苦しいなあ!」と叫びながら立ち上がった。すると、食器を洗っていた妻が変ないちゃもんをつけてきた。「人がテレビ観てるのに邪魔しないでよ。何で?何でわざわざ大声出して人がテレビ観てるの邪魔するの?ねえ、何で?何で?」逆に妻の方がうるさいのだった。私は応える気がせずシカトした。相手にしたくなかった。「ねえ、何で?何で?」ヒステリックにしつこく迫るのは妻のほうだった。長男(19)は夫婦ケンカが始まるのを恐れ、「二人とも言い争いをするな!」と怒鳴る。私は「大丈夫大丈夫、お前は何も気にするな。お父さんは黙ってるから。ケンカしないから。」妻はまだヒステリックに言う。「ねぇ何で?!何でわざわざ大声出して人が観てるテレビの邪魔するの?」食卓で3DSでゲームやってた次男(中1)も呆れてこう言う。「テレビの前に立ってしまったのはタマタマだろ。大声出したのは、お父さんはさっきからお金の計算をしていたんだから聞かなくたって理由はわかるだろ?お母さんはバカなのか。」妻は次男の説明を理解したかどうか知らない。私は次男にこう言った。「ありがとうな。お父さんのこと理解してくれて。」話は変わり。三男(小2)と一緒にお風呂に入っていてその息子がこう言う。「ジャイ子って可哀想だよね?」私は内心どうでもいい話だなぁと思いつつ、息子に合わせてこう言う。「そうだね。ジャイアンの妹だからってジャイ子って言う名前じゃ可哀想だよね。」続けて三男がこう言う。「違うんだよ、お父さん。ジャイアンはあだ名で本名は剛田武なのにジャイ子はそれが本名なんだ。」驚きながら私は、「そう言えばそうだな!確かに不思議だ。」
2016年11月26日
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給料が出たばかりだと言うのに、食卓のテーブルでお金の計算をしていた私は来月も生活費ギリギリの暮らしであることがわかり思わず、「ああ来月も生活苦しいなあ!」と叫びながら立ち上がった。すると、食器を洗っていた妻が変ないちゃもんをつけてきた。「人がテレビ観てるのに邪魔しないでよ。何で?何でわざわざ大声出して人がテレビ観てるの邪魔するの?ねえ、何で?何で?」逆に妻の方がうるさいのだった。私は応える気がせずシカトした。相手にしたくなかった。「ねえ、何で?何で?」ヒステリックにしつこく迫るのは妻のほうだった。長男(19)は夫婦ケンカが始まるのを恐れ、「二人とも言い争いをするな!」と怒鳴る。私は「大丈夫大丈夫、お前は何も気にするな。お父さんは黙ってるから。ケンカしないから。」妻はまだヒステリックに言う。「ねぇ何で?!何でわざわざ大声出して人が観てるテレビの邪魔するの?」食卓で3DSでゲームやってた次男(中1)も呆れてこう言う。「テレビの前に立ってしまったのはタマタマだろ。大声出したのは、お父さんはさっきからお金の計算をしていたんだから聞かなくたって理由はわかるだろ?お母さんはバカなのか。」妻は次男の説明を理解したかどうか知らない。私は次男にこう言った。「ありがとうな。お父さんのこと理解してくれて。」話は変わり。三男(小2)と一緒にお風呂に入っていてその息子がこう言う。「ジャイ子って可哀想だよね?」私は内心どうでもいい話だなぁと思いつつ、息子に合わせてこう言う。「そうだね。ジャイアンの妹だからってジャイ子って言う名前じゃ可哀想だよね。」続けて三男がこう言う。「違うんだよ、お父さん。ジャイアンはあだ名で本名は剛田武なのにジャイ子はそれが本名なんだ。」驚きながら私は、「そう言えばそうだな!確かに不思議だ。」
2016年11月26日
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次男(中1)の塾のこと。喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではないが、中間試験が終わってその後、期末試験がそろそろ近づいているのに勉強に臨む姿勢はあまり感じられない。そういえば最近塾のことを親自身が話題にしていなかった。これはまずいということで、「塾に行って勉強したいよね?」「どーでもいい。」と、そっけない答え。中間試験で点が取れなかった悔しさなどいつまでも引きずってはいない次男である。がしかし勉強しないでまた今度も悪い点を取ればきっと悔しさが再現されるだろう。父は勝手にそれを心得た。だから最寄りの塾の無料体験授業を申し込んだのでした。その時に色々確認して入会するかしないか決めるだろう。どのコースがいいのか?授業料などの料金も気になります。
2016年11月19日
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中1の二学期の中間試験が終わった頃、次男(中1)が塾に行くかどうかで検討したお話し。中間試験の結果としては次男自身、社会科しか良い点が取れなかったという。それもそのはず、社会科しか勉強しなかった等と言っていた。その社会科88点で良い点だったと言うが、90点以上取ったクラスメートもザラにいたらしく、次男としてはちょっと面白くなかったようである。学校の担任の先生も塾に行くのなら、集団指導よりは個別指導がお奨めだと言うので、近所の個別指導教室にパンフレットをもらいに行った。家庭での予習復習などの勉強の仕方ややる気を与えてもらえそうな気がした。お金がかかるのは辛いが、試しに行ってみればいいんじゃないか、と思い、「じゃあ、冬休みから行ってみるか?」と次男に尋ねたところ、「すぐにでも行きたい」と言う。それって・・・「二学期の期末試験で結果を出したいということか?」「その通りだ」と言う。やる気のスイッチと言うものがこういう形で入るものなんだなと思った。急にやる気を出してきた次男に乞うご期待?
2016年11月12日
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先週の連休中に父の17回忌法要をしました。身内だけでこじんまりとしたものでした。80歳を超える伯母さん夫婦も足を運んでくれました。伯母さんは杖を突いて誰かに手を引かれものすごくゆっくりと歩きます。その夫である伯父さんもまあまあ足腰はしっかりしているもののほとんど耳が遠くて聴こえません。50歳を超えるその娘さん(私のいとこ)はお仕事が忙しく、あんまりご両親の面倒をみてはいない様子です。この老夫婦はほぼ毎日この二人きりだけで狭い集合住宅で生活しているのです。大変だなぁ色々と不便なことが多いだろうなぁと思います。伯母さんが辛そうに歩く姿で私にこう言いました。「こんな状態になっても死なせてもらえないんだよ。」誰に向かってそれを言ったのでしょう?神様でしょうか?仏さまでしょうか?自分自身の人生に言ったのでしょうか?確かにここまでお歳を取られ、少々お体が不自由な方々にとって、何をやりたいという希望も、何を食べたいという希望も、どこかに行きたいという希望も、あまりないのかも知れません。辛いと感じれば辛いだけだと思います。私もいつかそうなる。人は誰でもいつかそうなる。老後の暮らしって、せめて乱暴者じゃない息子か娘がちょっとだけでいいから面倒みてくれて、できるだけ自分のことは自分でできたなら幸せだと思うしかないのかな。そしてお金も困らない程度にあればいいね。これが私が考える老後の最低限の暮らしぶりです。だから、それに満たない状況であるならば国や地方自治体からは十分な手厚い援助が欲しいものである。それはまったく甘えでも何でもないと思う。しかしながら、伯母さんは私のことをまだ一応若者だと考えてこう言うけれど、今の私が決して自由気ままな生活ができているはずもないことも敢えて述べたいと思った。50歳。子供3人。住宅ローンの支払いや子供らの学費などにも今後お金がかかってくるから、月々の収入は必要。どんなに飽き飽きしたつまらない仕事だと感じても簡単に今の会社を辞められない。数年前ハローワーク行って仕事探ししてみたことあるけど、その年齢で転職など考えてはいけません。安い給料の仕事しかありません。決して自分からは今の会社を辞めることはないように。と注意を受けました。ハローワークって今現在こんなにもあてにならないんだ!とびっくりした。そして我が妻は何故かそのような家庭の危機があってもパートアルバイトで稼いで来ようとしません。夫だけの収入でローンと学費と食費を賄い、そうしたらレジャー費なんかどこからも出ないじゃないか!という現実。80歳を超えたお年寄りでなくても、こんなにも、じーと、我慢してなければならない暮らしなんですよ、と。まとめ人と人のつながりを大切にし、先祖に感謝し、生きている者同士が助け合って暮らしていきましょう。とまとめてみました。
2016年10月15日
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妻が毎晩のように出かける。専業主婦のくせに。ラジオの公開番組だとか言って。夕食もろくに家族全員で食べたことがない。妻だけがいない夕食。いたとしても、パソコンやりながら、イヤホンさしている。話しかけてもイヤホンに夢中になっているという言い訳をして無視している。私はもう大声を出して叱責する気が起きない。「また無視しているよ」とボソッと私がつぶやくだけ。すると、次男(中1)が「だね。無視してるね。」すると、長男(19)が「お母さん!無視するな!」と少し取り乱す。三男(小2)も「お母さんって実は聞こえてるんだよね~」妻以外の家族4人で妻のことを呆れて見てる。ようやく妻が反応して「何?」と言ってくる。「聴こえているのなら初めから応答しろ。」と私。「いいだろラジオ聴いてるんだから。だから何?」と妻。私は何も言う気が起こらない。妻は馬鹿になってしまったか、もともと馬鹿だったのか。他者の気持ちを感じ取ろうとしない、まさにアスペルガーがADHDかの何かだ。この家庭は一体どうしたらよいものだろうか。妻は何らかの障がいを患っている。私自身も内心むしゃくしゃすることが多くなった。そしてこの家庭はまずい、私自身はしっかりした気持ちを保たなければ、と改めて思う。
2016年10月01日
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サッカーの日本代表対タイの試合をテレビで観戦していた。ロシアW杯最終予選の第2戦であり、初戦敗れていた日本にとっては崖っぷちの戦いだった。が結果は2-0で勝利をあげ、予選突破に向けてまだ十分期待ができる。そんな試合を固唾を飲んで観ている時、3~4メートル離れたもう一台のテレビを観ていた長男(19)が急に大声を上げた。「えっ?そっちでもサッカー観てるの?」そう思って覗くと、サスペンスドラマの中で誰かが焼身自殺を図るシーンで炎が大きく燃え上がるところだった。長男にとっては、目に見える形での人の痛みや悲しみぐらいにしか心が動かされないようなのだ。サスペンスドラマの決定的なシーンやそのシーンが近づいた時だけ注目するのだった。今日負けたらお終いかも!というサッカーの試合の緊迫感には興味がないのか?でも、これからは長男にもひとこと言ってあげよう。「今日負けたらお終いなんだよ、大変なんだよ。」そう言ってあげれば注目してくれたのかも知れない。たった今長男に言った。「広島カープがあと1勝したら20何年ぶりの優勝なんだって!一緒に観ようね。」と。「わかった。」長男は上っ面かもしれない返事をしました。
2016年09月10日
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長男(19)がここ何か月かお風呂掃除をやってくれなくなった。お願いしても拒み、「疲れているから嫌だ」と主張します。義理の弟などは、「自己主張するようになったのは良いことなんじゃないか」などと言ったりもしましたが果たしてどうなんだろうか?頑なにやろうとしない長男の態度に次男(中1)がイライラを募らせ、怒りが爆発しそうになることも最近では発生しがちです。昨日も夜7時頃私が帰宅すると、お風呂浴槽の水が抜かれたままで風呂掃除がされていませんでした。長男の名を呼んで頼もうとしましたが断られました。私は勤めから帰宅した身でしたが、たまには私が風呂掃除してもいいと思った。でも敢えて長男にやってもらおうとしたが断られました。お父さんが頼んでいるのに長男が断っている。そんなやり取りを傍で聞いていた次男が「何でお前はいつもやらないんだ!」と声を荒げるようになってしまいました。私は次男のこともなだめて「気にするな、お父さんがやるから大丈夫だよ。」と小声で言い、一応長男には「おい!覚えてろよ。」と言いました。「わかった。」長男は文面通りの言葉に対してのみ答えます。人の感情を察してどうしたら良いのかということまで頭が回りません。風呂掃除しない奴は一番風呂に入ったりするなよ、とか風呂掃除しない奴は晩ご飯を少し減らすぞ、というような意味を込めたつもりの「覚えてろよ。」だったのですが、そのような怒りが込められているとは思えないところが知的に問題のある長男の特徴という訳です。これが次男や三男(小2)だったら、「何だと?!」と歯向かってくるか、「次の風呂掃除は僕がやるから許してくれ~」と答えてくるはずなのです。そのように長男も健常な子のやりとりが身についてくれたらなぁとは思いますが、この子はこの子のペースで生きて行くのだろうと思うしかなく、親としてはこの子の気持ちに寄り添っていつまでも見守っていくしかない、と言ったところです。
2016年09月03日
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一泊で温泉にでも行きたいと言ったが妻は日帰りのスーパー銭湯で良いという。という訳でそのスーパー銭湯に家族5人で行ってみることにした。カーナビ情報はそこに行きあたるのにちょっと手古摺らせた。それでも無事に到着した。しかしそのスーパー銭湯はかなり近場だった。到着して思った。「こんな近くにこんな良い銭湯があったんだぁ」と言っても自宅から車で3~40分。実はおばあちゃん(私の母)が住む家に割と近いところだった。無事に到着したのに、カーナビの情報で手古摺った私に対して妻は車の中でも到着してもブースカブースカ何やら文句を垂れている。私はいい加減腹が立ち、「オレは帰るよ」と言ってスーパー銭湯の駐車場に妻と息子3人を置いて車を出発させようとしてエンジンをかけた。次男(中1)が急いで乗り込み、私は車を出発させた。次男に、なぜ出発間際に車に乗り込んだのかを尋ねた。「お母さんと一緒にいるのがやだ、うるさすぎる。」と言うのだった。私と息子の意見は一致しているのだった。私はほぼ本気で帰るつもりで車を走らせたが、都合がつけば30分ぐらいの時間をかけておばあちゃんもここに連れ帰って来ることを思いついたのだった。さてスーパー銭湯に置いて行かれてしまった妻と長男(19)三男(小2)がその場に置いて大変なこととなることは一応想像できる。3人の親子は男湯と女湯に別れなければならないということ。長男は知的に問題があり、男湯及びそのロッカー利用の仕方が今一つわからないでいるだろう。三男もまだ幼くて長男同様今一つ利用方法がわかっていないだろうということ。しかも男湯ロッカーに女性である妻が助けに入ることはできないということ。次男がいれば問題は起きなかったのだろうが、次男は妻のうるささと自分にかぶさる役目を嫌って私の車の中へ避難し私と同乗しているのだった。走り始めて5分10分、妻からケータイに電話来る。「早く戻って来てよ。」私は「謝らなければ戻りません。」と言いすぐに切った。そして何度も何度も電話が来た。そのくせまったく謝らない。そしたら、今度は長男(19)の声で電話が来る。「お父さん、戻って来て下さい!」真剣な声だった。「謝らないと戻りませんとお母さんに言って。」私は切った。長男に電話させれば私が言うことを聞くとでも思っている妻の魂胆だ。出発しておよそ15分後、おばあちゃんとタイミングを合わせ車に乗せて再びスーパー銭湯に向かった。途中、妻から何度も電話が鳴ったが、まったく謝らないのですぐに切った。しかしとうとう終いにはようやく「ごめんなさい」と言って来た。30~40分ぶりにスーパー銭湯に戻ると男湯ロッカーで長男と三男は裸で待っていた。もう湯船に入ってくつろいでいてもいいぐらい時間が経過しているのに、ロッカーキーの閉め方などがわからずに立ちすくんでいるのだった。三男はキョトンとしていたが、私らの登場を見て笑顔満面となった。長男も何もコメントしないが安堵の表情で微笑んだ。その後私と息子3人は男湯でこの天然温泉をくつろぎ、風呂あがりは、おばあちゃんも一緒にソフトクリームを味わったりした。ところで妻は女湯から一向にあがって来ず、いい加減帰ろうとして靴に履き替えようとした時、「待ってよ、一緒に帰ろうよ」と言う妻。そこで初めて妻の姿をこの銭湯で見かけるのだった。どんだけ不平不満女であり、何もかも人任せで丸投げの無責任人間であることを象徴する出来事であったのだった。
2016年08月21日
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健康マージャンと言うのに行った。初参加。一人で乗り込んだ。実は生身の人間と実際の麻雀牌を使って対戦するのは20数年ぶりである。60代、70代、の男女30~40人、ひょっとしたら80代の人もいたのかもしれない。そんな人々がそれぞれ4人ずつ組んでそれぞれの卓を囲む。7割ぐらいは女性だった。最近高齢の女性が認知症予防とかで健康麻雀やる方が増えているらしい。禁酒、禁煙、賭け金無しの健康的な麻雀である。私は午前11時頃から午後4時半までやった。途中参加した半チャン(1戦)と、お昼になってしまってゲームが成立しなかったのを除いて半チャン2回やった。そして私は2回ともトップ。おじさんおばさん(おじいさん、おばあさん?)をコテンパンにやっつけたぞ~、それを口に出して言ったら絶対怒られてしまうだろう。だからゲーム中は飽くまで紳士的に、そしてエチケットを守る。勝っても金銭的な得は何もない。でも帰り道、灌漑深いものがこみ上げた。何故なら私が20代で若い頃、同級生らにカモられていたからね。何故急に麻雀やりに行くことになったか?長男(19)と次男(中1)はおじさん(私の弟)と一緒に金沢を旅行している。私は中古車やパソコンを買って出費がかさんでしまったのでもうこれ以上の出費は抑えなければいけなかった。私も金沢に行きたかったけど、いきなり金沢に行ったところで何を目的にしたらいいのかわからないし、突然行くことには反対したのだが、弟が息子らの旅行代金を負担する、と言われれば反対のしようがない。気をつけて行って来いよ。楽しんで来い!と言って送り出さざるを得ないのだった。一見、実の父である私が子供らを旅行に連れて行けないことが情けない気持ちにもなったが、私自身は急に金沢に足を運んでも目的がないと思った訳なので、長年誰かと麻雀やりたくてしかたなかった思いを果たしに行くことができたことだし、これでいいと思ってる。三男(小2)は妻やおばあちゃんに任せて悪かったけど、お盆休みの土曜日1日だけ麻雀楽しんだこと、申し訳なかったかもしれないが、自分の麻雀の腕に自信を持つことができ、本当に良いできことだったのだ。(私にとっては)
2016年08月13日
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我が家ではスマホは私しか持っておらず、ポケモンGOをダウンロードしたが家族に内緒にしていた。がテレビで話題になっていることを次男(中1)が嗅ぎ付け、「お父さんもダウンロードしたのか?」と小声で訊いてきた。「ああダウンロード済だ。○○(→三男・小2)には言うなよ。」次男は笑いをこらえながら、「言っちゃうぞ、言っちゃうぞ」と私を脅す。なぜ内緒にするか。もちろん家族全員がスマホを欲しがったら端末代金や月々の携帯利用料金がかかり、我が家は生活できなくなってしまうからに決まっている。まあどうしても、ということになった場合には格安スマホとか検討するとは思う。次男と三男は一緒にYouTubeなどで頻繁にポケモンの話題を観ているようで、それを観るたびに次男はお父さんのスマホに既にポケモンGOが入っていることを三男に言いたくて仕方ない様子でいた。そしてとうとう夕べ、ポケモンがテレビで放送されている時間あたりに次男は三男に言ってしまい、ばれてしまった。そして、三男は私に食らいついてくる。「お父さん!お父さん!早く外にポケモン捕まえに出掛けようよ。」20時台に私は30分ぐらいウォーキングすることが多いから、仕方なく予定を変更し、三男とポケモンゲットに出かけたのであった。ウォーキングだと、サクサク歩くから30分で3キロ弱歩けるけど、三男にスマホを持たせ、私が夜道の危険が無いよう先導して一緒に歩くとなると、手短かなコースにしたほうが良いだろうと思い、大人の足で20分ぐらいで帰って来れるコースにした。ところが結局帰ってくるのに40~50分かかってしまったのだった。途中で立ち止まってポケモンを捕まえなければいけないからそうなっても仕方のないことである。それにしても三男の知識にはびっくりしたのだった。ポケモンが現れると、「うぉ!××××(→ポケモンの名前)だ!」そして、ポケモンを捕まえる度に、「このポケモンの進化したやつは××××って言う名前なんだよ。」「良く知ってるなあ。」と私は感心した。また、「レベルが上がらないとバトルには勝てないんだよ。」など色々と教えてくれたのだった。こんなにポケモンこと既に知っていたとは驚きであった。私の知らない三男を思い知った。ちなみに、そのすごさを宿題をどんどんやる方向で頑張って欲しいものであった。そして歩きスマホは間違いなく本当に危険です。
2016年07月30日
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10万キロ以上走行済の中古車を買うことにしたのだった。総支払額で30万円台半ばで。それを数人の友人にメール等で知らせたら様々な返事。「安っ」とか、「景気いいね~」とか、「今の車は10万キロ以上楽勝で走れるからいい買い物したね」とか、「もっと安く買えたんじゃないか」とか。一番最後の回答にはちょっとドキッとさせられた。私は損してしまったのか?値切らなかった自分は愚かだったのか?この1~2か月、総支払額50万円以下の中古車を探していた私である。探し出せた車に満足し予算の50万円を大幅に下回ったのも満足。もしこれでも損したと言うならどこかで取り戻したいものだが・・。自分が気に入ったものを自分自身が適正だと思える金額で買う。それが他者にとって、安かろうが高かろうが問題にしない方がいい。もっと勉強した方が良いこともたくさんあるのだろうが、それぞれの価値基準に上手く合わせることで(悪く言うと、利用することで)、世の中の経済は上手く回るんじゃないかと思うのだ。負け惜しみで言ってるなどとは言わせません。ちなみに、いつの間にか子供らは夏休みになったのだった。私は車で子供らをどこかに連れていくことを意識していたわけではなかった。でも子供たちが新しい車で夏休みにどこかにドライブできることを非常に楽しみにしている。だから早めに決めることができてちょうど良かった。来週半ばには我が家に久々に新たな車(中古)がお目見えする。
2016年07月23日
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ある目上の人への口の利き方を知らない一人の職場の仲間(20代半ばの若者)がおり、敬語も使わずかなりマイペースだと言うので、密かにイラついている人々がいて、近くに座っている私が注意するべきだ、と飲み会の席でそんな話題となったという話だった。 その若者に対して、それほど気にせず2年間ぐらい放っておいた私が、今更どのように言って注意を与えたら良いのか、困ってしまったという問題だった。私は妻にそれを相談してみた。「注意してあげたほうがいいよ。」という答えだった。「でも結構嫌なヤツだからさ、本当は放っておきたいのと今更なんて言って注意したらいいんだろう?というのが問題で。」妻はあっさり、「とにかく注意してあげたほうがいいよ。気をつけな、って言うだけでいいじゃん。」「それはそうだけど・・・」私は心の中で、軽く言うよなあ、と思いつつ、不器用に生きる妻だからこそ、不器用な若者に共感し、助言を与えることの重要さを感じたのかも、と思い、十分参考に値する意見として心に留めた。それから2~3日して、注意することを決心をした私は、できるだけ周囲に人がいない時、そして、何か反感を持たれたとしても、意に介さず淡々としているつもりでいた。なかなか周囲に人がいない場面がなかったのだが、ふとした瞬間にその場面が訪れた。私はこう切り出した。「大切な話があるんだけど・・・。」彼は案の定真面目に人の話を聞く気はないような態度だった。「プッ、ホントにマジメなんだかどうかww」これが20歳以上も年下の者の口の利き方なのか、と心の中で呆れながら、私は神妙な顔を崩さないでいた。すると彼は、「大切な話ってなんすか。聞きますよ。」と言い出した。(何ですか教えてください、って言えない男なんだよな)「君が○○さんへ口を利く時の態度が酷いって、怒ってる人が少なくとも2~3人いるみたいだから、それが5人10人って増えないうちに気をつけたほうがいいよ。」自分でも気づいたが途中自分の声は少し震えていた。彼は一応、真面目に受け止めたようだった「うん」と頷いた。(はい、が言えないのかなぁ)それでも、その後、彼の口の利き方は少し改善され、私に対する態度も何となく協力的になった。私は妻へ、相談した甲斐があったので感謝している。がまだその話をしていない。
2016年07月16日
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長男(19)に投票所整理券が届いたので明日の日曜日はいっしょに投票に行く。各政党の政策などは、よくわからない。多くの18歳、19歳の未成年者と同様、成人でも政党のことがよくわからない人は多いのではないか。 しかし責任を持って投票に行こうと思う。イギリスのようにEU離脱に投票して、あとから後悔?するようなことがないよう、自分の一票など何にも反映されないなどと思わないようにしたい。だからどんな結果になっても民意である一票の重みを立候補者たちには感じていただきたいものである。 会社関係、知人や親族らが、ハガキや電話で投票して欲しい政党を言って来たりした。義理で投票するという手段もあるだろうし、目先の欲とか、現状維持とか、まあ個人個人は様々な思惑を持って投票に臨む。 馬券を購入するのと同じ感覚かも知れない自分をお許しください。でもふざけてはいません。エイヤー!と、投じたこの一票がこの国を平和にしてくれますように。心の隅でより良くなる日本や世界や家庭のことを願っているものです。 さて、知的に問題のある長男は多分、どの候補者を記入すれば良いのかわからずキョロキョロするかもしれない。長男が自分の意志でこの候補者を選びたいというのが無ければ、私と同じことを記入させようと思う。私一人で2票持っているような気持ちだ。それがずるいことなのかどうかは知らない。 長男は不思議と選挙報道番組を楽しみにしているから、いっしょに観ることだろう。それと毎週楽しみにしているNHK大河ドラマ「真田丸」が時間の変更で夜7時台に放送されるので決して見逃すことがないよう注意が必要だ。
2016年07月09日
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職場で私のすぐ隣に座る20代半ばのある若者が口の利き方も知らない。そのようなことが話題となったのは、職場内で私と割と話が合い、年齢も近い10人前後で飲み会をやった時のことだった。「そろそろ誰々さんがマジでブチ切れそうだ。」誰々さんとは、その飲み会には参加してなかったが同じく私と割と年齢が近い職場内のとあるベテラン従業者であった。「それはマズいなぁ。確かにあいつは敬語を使わないなあ。俺も呆れて開いた口が塞がらず、何も言う気にならなくなることがある。」と私が言う。「でしょ?注意するのは誰?○○さんしかいないじゃないですか?」○○さんとは私のことであった。敬語を使うか使わないかを論点にしたい訳ではない。どうも目上の人に対する態度が変で、傍からそれを見聞きしていた者が「何だあれ?」と思い段々腹が立ってくるのだそうだ。でも何をどう注意したらいいのか意外とわからない。そして、注意するべきなのが私の役目?!と言う。おいおい!その若者と私は年齢こそ結構離れているが別に部下ではない。どのように注意するのがいいんだろう?関わりたくない、と思うのは無責任なのだろうか。昨日今日少し考え込む私であった。衝突したくないとだけ考えているわけではないが、ただ何と言って注意すればいいのか結構思いつかない。言い方によっては喧嘩を売って来たと思われたり。何気にピンチである。今さらですが私もそれを見事にやれば1アップになりますでしょうかね?
2016年07月02日
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お父さんとお母さんが二人とも死んじゃったら長男(19)は誰が面倒みるの?ついこの間、次男(中1)は少し尋ねづらそうに、それでも核心をついた疑問を突いてきた。しかし私は答えに詰まったりしない。そのような問題はとっくの昔から想定している。次男(中1)や三男(小2)に押し付けようなんてまったく考えていないのだ。だから私が100歳まで生きて、できる限り長く長男と共に生活する。それを伝えたところ、次男にとってそのようなことが保証できるはずがないと言わんばかりだった。お父さんは100歳まで生きるつもりであっても、いつどこで何らかの病気や事故により、命が絶たれるかわからないだろ。と言いたいのだろう。実際にそうなった場合どうするのかを知りたいのだろう。「そんな時は兄弟同士仲良く支え合って行けよ。」と私は言った。「え~、嫌だよ。一緒に暮らしたくないんだよ。」などという。恐らく、それは自分がお嫁さんか誰かと一緒に暮らすことになった時、長男と同じ屋根の下に暮らした場合、邪魔に感じるということを言いたいのだろうが、だからこそ「お父さんは100歳まで生きて、できる限り長く長男と一緒に暮らすんだから心配するな。」と言ってやった。次男は「へへへ」と笑いながら、「長男が死んでからお父さんも死ぬんだな?」などと、しょうもないことを訊くので「そんなことないだろ。お父さんが先に死ぬに決まってるだろ。」とまで言わせる。「5年後10年後俺たち家族がどうなっているのかシミュレーションしてみようか?」と言ったら、次男は「そうだそうだ。」と言った。次男はそういう風に白黒はっきりさせようとすることには元気よく賛成するのだった。まだシミュレーションしていないが、次男の疑問をうやむやにしないよう、そのうちやってみることとしようと思う。果たして何か行き詰まりや不安が発見されるだろうか?それとも安心が得られるだろうか?単純に考えて私の想定はこうだ。私が100歳まで生きた50年後、さすがの子供らもいい歳になっている。お年寄り同士なんだから、別に誰にも気兼ねすることなく互いの体調を気遣いながら兄弟仲良く暮らせばいい。と、まあそのように想定しているということなのだ。
2016年06月25日
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次男(中1)が朝の登校時、黙って玄関を出て行こうとしているので、私は「行ってらっしゃい。」と言い、「行ってきます、は?」と訊ねた。それでも次男は何も言わないで出て行った。私はどうしたものかな、と思いつつ。そして次の日も次男は何も言わずに出発しようとしているので、とっさにこう言ってやった。「元気よく、行ってきます、が言えないんだったら学校で何か問題でもあったのか、先生に相談してみるけどいいか?」次男にはちょっとウケたようだ。笑いながら「頼むからそんなことやめてくれ~。問題なんか無いし。」「じゃあ、元気よく、行ってきます、って言おうよ。そうじゃないと、本当に学校で何か辛いことでもあったんじゃないかって、心配だから、先生に連絡してみることになるぞ。」「わかったよ。言えばいいんだろ・・・行ってきます。」と渋々。「やればできるじゃん。その調子でな。」とは言ったものの、まだ元気の良さでは何となく物足りない。照れているのかも知れない。仲の良い親子でも、親しき中にも礼儀あり、そして照れることなく挨拶ができる子であって欲しいものだ。
2016年06月18日
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北海道で小2の男の子が森の中で行方不明になったが7日目に無事見つかったというニュースがあった。本当に無事で何よりだった。我が家にも小2の三男がいるので小2男子の状況が少しわかる。「平気でいなくなるから怖い。」と妻が言っていた。1週間ぐらい前、妻と三男が二人で、ある大広場で何らかの催しに参加していたと言う。その際、出店でかき氷を買ってあげたが誤って落としてしまい、もう一度買ってくれと三男がどうしてもねだった。仕方なく妻と三男はもう一度かき氷を買いに出店に行ってみたら、「ごめんなさいね、売り切れてしまいました。」ということだった。「しょうがないね。」と妻は言い、その場を去って帰ろうとしたが、三男は完全にへそ曲げてしまい、その場から動かなくなった。「もう置いて行くよ。」と妻はその場を去ろうとして背を向けてわずか数秒、後ろを振り向くともうそこに三男の姿はなかったという。妻はものすごく焦り、「ああ、これで今夜のニュースになってしまうのか。」と思ったと言う。必死で探したところ、数分して見つかったのでホッとしたと言う。見つかったから良かったが、今どきの小2は親とはぐれることを恐れず平気でいなくなるから、と妻はその時の恐怖を語った。我が家には長男も次男もおり子育ては本当に難しいものだ。しかしだからと言ってこれは親の宿命であり、当然避けるわけに行かない。びくびく、ひやひやし過ぎてはいけないが、ある程度の緊張と覚悟を持って日々過ごしているような気がしている。無事であってほしい。無事であって良かった。その繰り返しですかね。
2016年06月11日
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義理の父、妻、次男(中1)が似ているところは怒りっぽいところだと思う。血がつながっているから3世代が似てしまうのもしょうがないことだろう。しかしその中でも妻の特徴は冗談が通じないところである。私はこんな妻と暮らしていくのが何度、もう嫌だと思っただろう。出ていってくれと本気で言ったのも1度や2度ではない。シングルマザーでは暮らしが大変だろうから、「一人で出ていってください。子供は俺が育てるから。」と言ったことがある。しかし一向に出ていかない。怒らせてご免なさいとも言わない。とにかくしらばっくれてしれーっと、そこにい続けるのだった。心の痛みとかないんだろうか。心の持ち方が常人ではないと感じる。それで何日か経つと何事もなかったかのように私ら家族はごく普通の日常生活をしている。他の家庭のことはよくわからないので私どもの暮らしを他人がいたらどんな風に感じるかはかなり疑問ではある。私がこんな風に身内のこと、悪いように言ってしまっているがこんなことが言えたり、客観的に分析できているのは、今のところ私共家族は無事に暮らせているからだ。重大なことは今後も起こらないようにしたいものだ。特に最近は次男の怒りっぽさが本格化しているのが心配なのだった。例えばこう。私が夕方18時台に帰宅した時、妻が夕食を作っているそばから、完全に出来上がっていないのに次男だけ食べ始めていた。「もう食べてるの?」私の何気ない質問に次男は怒鳴った。「ダメ?!」「誰もダメなんて言ってないじゃん。いつもより食べ始めるのが早いと思ったからもう食べているの?って聞いただけじゃん。どうしてもお腹すいてるならお腹すいちゃったと言えばいいんだぜ。」私の言ったことに納得できたのかどうかはわからない。私は続けた。「マイナス思考って知ってるか?」「ああ。ネガティブとか、内向的ってことだろ。」「おお!良く知ってるじゃん。マイナス思考じゃダメなんだぞ。」次男は何も言わない。納得したのかどうかわからない。そんな時テレビに視線を移すと、ゴキブリをやっつける殺虫剤のCMだった。「最近ゴキブリ見ないなぁ」一年半前新築で購入した家だからまだゴキブリはお目にかかっていない。ゴキブリに出没してもらっては困ると思う反面、CMを観て関心した。液体窒素で瞬間的にゴキブリを凍らせて動きを止めるようなやつだった。「すげー強力な殺虫剤だな?」と私が言うと、次男はようやく口を開いてこう言う。「あのゴキブリ、天ぷらにして食わしてやりてぇ」「誰にだ?」「お父さん。」冗談を言った自分が笑いをこらえきれないようだった。ケラケラ笑ってる。親バカなのかもしれないが、ニコニコ笑う次男の顔は何とも可愛いものである。私の意見について変な風に気を悪くしていない様子が伺えて内心安心しながらこう言っておいた。「想像しただけでも気持ち悪くなる。勘弁してくれ。」これは次男がまだ中1だから、親子の他愛の無い会話の範囲内にとどまっているが、こんな調子でなめられ続けたらマズいことになる気がしている。父親としての威厳はどのように発揮していくべきなんだろう?とふと不安に思うことがあります。
2016年06月04日
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本日土曜日は三男(小2)の運動会でした。短距離走は三男が自身で予想した通り4人中3着だった。ビリじゃなかったので「良くやった!」と声をかけたが舌打ち及びあきれ笑い。「そんなことでほめんじゃねぇよ」とでも言いたげ。こんな幼子ですら、ほんの少しの嬉しさ、そして悔しさとが入り交ざった気持ちのようだった。成長するものだなあと感じる。ところでだ。うちの妻の態度が非常に問題なのだ。結局、先週の次男(中1)の運動会も、今日の三男(小2)の運動会も観に来ないのだった。1時間ぐらいの道のりをわざわざ観に来てくれた母(子供らのおばあちゃん)も不思議に思ってこう言う。「子供の運動会なんだから母親なら、一目散に観に来るもんじゃないないのかねぇ」早朝私は席取りもあるので、一足先にビニールシート持って自転車で小学校へ向け自宅を出発した。その間際に、「お母さんも観に来るんだよね?」と妻に尋ねた。その時の妻の答えが何だったか、私は決して母に言えない。「ツタヤにビデオ返しに行かなくちゃいけないから行けないかも。」私は呆れ、既に返す言葉がなかった。どうしても観に来てほしいと私が望むものでもないから。それにしても、自宅から徒歩10分ぐらいのツタヤにビデオ返すだけで運動会に行けないとはどんな精神構造なのだろうと思う。私は最近無駄な言い合いを避ける。こっちが我慢すれば済む話だから。しかし子供たちがそのうち良い育ち方をしないのではないかと不安になる。親を全然あてにしなくなるとか、グレるとか、暴力的になるとか。そうやって、私が平日仕事で家にいない時、子供らは母親からのネグレクトを浴びせられ続けているんじゃないかと思うと胸をかきむしりたいぐらい辛い。幸い、私は朝やや遅く出勤し、夜は割と早く帰宅する生活がここ何年かできているので、子供らとの団らんのある生活ができている。健康にも注意して長生きできる生活を強く希望したいと考える。知的に問題のある長男(19)もいることだから、できるかぎり長く、子供らと仲良く暮らしていきたいと思っている。決して見放していいはずはない。妻の態度について、私は諦めている訳ではないが、どうしたらよいのか即効性のある方法が思いつかない。何か改善策はないのかと、思案しながら和を保っているように見せかける日々である。
2016年05月28日
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次男が中学になって初めて中間試験というのを経験した。社会、理科、英語、国語、数学と次々とテストが返された。夕飯時、私はイチイチ次男に尋ねた。「今日何のテストが返された?何点だった?平均点は?」次男の試験結果はスバ抜けて良いということはなかった。平均を上回ったのもあれば、ちょうど平均ぐらいのものもあれば、少し平均を下回ったのもあった。要するに普通であり平凡であった。(怖いぐらいに自分に似てて平凡過ぎてちょっと残念だったりする。) それでも平均を上回った結果については、ハイタッチして褒め称えた。バカな親だと思っているのかも知れないが、静かな笑みを浮かべる次男であった。 37年も前になる。私が中学校で初めて中間試験の結果を担任教師に返され、クラスでベスト20が教師の口から発表された時のことが思い出された。何故かその時のことだけ、教室内の雰囲気をよく覚えている。 私は自分の席のすぐ近くに座る悪友と各科目の点数を見せあっていた。そして、5科目の合計が何点なのかを二人で争った。私がわずかに1点だけその友達を上回った。「イエーイ」などと喜んだり、「くっそー」などと悔しがったりしてふざけ合っていた。それと同時に先生が次々に、ベスト1から20位までを発表して行った。私は英語が90点という以外、高得点をマークした科目はなかったから、自分の順位についてはそんなに気にもしないところ。しかし最後第20位を先生が言った時、私らは大声を上げた。私の名が呼ばれたのだった。私も友達も、「おいおい、ちょっと待てよ!じゃあ、21位は間違いなくお前じゃないか!」と言い合った。先生は、少しあきれ笑いの顔で「その通り21位はお前だ。」そんなしょうもないことでクラス内は爆笑となった。 まあ爆笑というのは言い過ぎで、50人弱いた教室内で、成績上位の生徒らは失笑含みだったかもしれないし、逆に名前を呼ばれることがなかった生徒の中には自分の成績を残念がり、しんみりしていた子も少なからずいたのかもしれない、と思う。 その証拠に、先生が「今から上位20位を発表する!」と言った時、男子はおおむね平然としていたものだが、女子は「ええっー!!」と小声をあげて引きつり、かなり神妙な顔つきになっていた子が何人かいたことが幼いながらの私にさえ思い出されるからだ。その先生は厳しいことで知られていたから誰も逆らわなかった。今でもそのような先生っているのだろうか?と思う。そういう先生が今でもいるようなら親御さんらに問題視されるのかもな、と思ったりする。 次男の中学初体験の中間試験で思い出してしまった私の昔話はこれぐらいで、次男には「中間試験で平凡だった成績は期末試験でリベンジしよう!」って言いたいところだが、果たして次男はどう受け取るだろうか。
2016年05月21日
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長男が今週19歳の誕生日を迎えた。実は次男(中1)も三男(小2)もこの2週間以内に誕生日を迎えています。この2週間内に誕生日を迎える順番は生まれた順とは逆に、三男、次男、長男の順になるのでした。それはそうと、長男が誕生日を迎えた朝、私は「19歳のお誕生日おめでとう!」と家族みんなに聞こえるように長男に向かって言った。何て答えが返ってくるのか、想像したのは少し上ずった甲高い声で、「おめでとう!」とオウム返ししてくることだった。ところが長男は「ありがとうございました。」とにこやかに応えた。「おお!素敵な返事ができましたね~。」と私は少し驚きの声で言った。が妻と次男は「敬語!?」と声を揃えて指摘するのでした。私は「敬語でいいんだぞ。敬語でまったく問題ないぞ。」と主張したものでした。いよいよ長男にとって10代最後の1年なんだなぁと思う昨今です。最近気になることのひとつ、5月病と関係あるのかどうかわかりませんが、長男が作業場で毎日眠くて辛いと訴えていることです。
2016年05月14日
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日めくりカレンダーで「まいにち、修造」と言うのを買った。 ★心を元気にする本気の応援メッセージ★ということである。 これを私は何のために買ったか?子育てに役立てようとした。特に我が家の長男、知的障がい者向けの言葉に言い換えて、長男に伝わるようにするにはどんな言葉に言い換えられるのかを考えて見るのに、最高に良い材料だと思ったのだった。 しかしどの言葉も知的障がい者向けの、特にうちの長男へ伝わる言葉へ言い換えるのは極めて困難であると、何日間分かの文章をみてつくづく思った。そしてこの目論見についてはひとまず中止にすることとした。 健常な人ですら、修造さんの言っていることがどういうことなのかを理解するのに、なるほどなぁと深く心の底に響いてくるような言葉ばかりなので、うちの長男には難しすぎるし、早すぎると思った。これらの言葉を理解する前にもっと多くの人生経験こそが必要なのだろうと思った次第である。 でもせっかく上述の目的で手に入れたものなのでまだ何か諦めたくない。私が私なりに、どう理解し、どうかみ砕くことができ、長男に伝えるには、どのように難しいのか、をまずは第1日目から順々に考えて見る材料にはできると思いついた。その言葉らをうちの長男向けにするにはどのように説明できるのかを、私なりに考えを進めてみようと思う。これは無理なことなのかも知れないし、やるとなれば長丁場な作業となるだろう。ゴールデンウィークの暇な時間を利用して覚悟の上で作業を開始してみる。では第1日目から。第1日目(「できる、できない」を決めるのは自分だ)他人から「無理だ」「諦めたほうがいい」なんて言われると、どうしても流されてしまうよね。けれど、「諦める」と決めるのは、他人ではなく、自分だよ。反対に、「諦めない」と決めるのも、自分なんだ。他人は、君が積み上げてきた努力や頑張りを、100%知っているわけではない。それを一番知っているのは、君の心だ。自分の心を信じてみようよ。そして、諦めるな。 健常者にとっても、この言葉通りに物事を実践していくことは結構難しい。これらの言葉を、うちの子供たち向けに言い換えることも難しいし、知的障がいの長男に説明するなんてことは無理だ。私が私に言い聞かせることができるのがやっとである。だから、残念ながら「できない」。でもこの日めくりカレンダーをリビングに飾ることは「できる」。小2の三男が「これお父さんが買ったの?」と、この日めくりカレンダーの存在を気にしてくれた。書かれていることがそれぞれの子供たちの心を元気にするのに役立つ日は必ず来るだろう。という訳で、私は早速子供たちにとってわかりやすい言葉に言い換えるのは「諦めた」。この言葉に触れた私自身こそが色々と考えさせられるということであったのだった。 何故なら、うちの子供らが理解できる言葉に言い換えてみようとする試みについて、「できる、できない」を決めるのは私自身であったのであるし、また別件で、明日の子供の日に、私は子供たちと(自分のために)「特製海鮮丼」なるものを作ることを計画している。が我が(悪)妻からは色々と批判を浴びながらの強硬なのである。 例えばこんな言い方をされた。「作るなんてどの口が言ってんだよ?ご飯の上に買って来た刺身類を載せたいだけだろ!?」「お金の無駄遣いだよ。思いつきでやるなよ!」「じゃあ、私はご飯を炊いておけばいいね?私はあなたが作ったものは食べたくないから、私の分は要らないよ。」私は子供に喜んでもらおうという一心で計画している。明日が平和な子供の日になりますように。私は祈りながら、自身の心の平常を保ちつつ実践する気でいる。誰の反対も受け入れない。諦めずにやってみるのだ。そしてたった今思いついたこと。こういうことの実践を子供たちに見せていくことが家族の歩みになるんじゃないかな、ということでした。
2016年05月04日
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金曜日が来るとホッとする。最近つくづく思うことは仕事がつまらないということだ。価値を見出すとか、プラス思考によって、取り組み方の変換とか、そういうの必要だろうね。つまんないと思ってしまったらそれまでだろうから。面白い仕事なんてそう簡単にあるものでもない。子供が3人もいて、ローンもあるし、まだまだ稼がなければいけないのに、何だか、仕事に関して見通しが暗いと感じてしまう。ゴールデンウィークを楽しみにするしかないか。そんな緩んだ気持ちでいたところだった。日常は崩された。いや私にとってではない。熊本で大地震に見舞われた人々にとってである。話は変わる。母は76歳、母の姉と妹(要するに私の叔母)はそれぞれ、一人暮らしの老人である。朝起きるたびに「今日何かすることないかなぁ」と思うことが多いらしい。老人の孤独はまずいなぁと薄々思うところ。そんなおばあちゃん連中が3人が長崎県に住むの母の妹の家に集まった。ついでに九州の各地域を観光し14日の夜、熊本市内のホテルに宿泊した。そうしたら地震が来て3人ともに床を転げ回ったとのこと。そこは高層ホテルの最上階だったという。「もう死ぬかと思った」と母。余震が怖くて部屋におれず、1階のロビーで一夜を過ごし、翌日夕方までには博多に到着し、母の姉が住む大阪へ向かうことができたという。その歳になって、ホテルの最上階で震度7の揺れに出会うとは凄い経験をしたものだなぁと思う。ところが、夕べ深夜に本震とも言える地震が来て、更にとんでもなく被害は拡大した。テレビでは夜中から昼を過ぎて夕方になってもずっと震災のことだけ報じている。どうすんだよ?と思う。家が壊れ、ライフラインが復旧せず屋根が破損して、雨よけにブルーシートが必要な人がたくさんいるという。道路は何ヶ所も大量の土砂、壊れた歴史的な建造物や多くのビルやマンション。どうやって復旧するのか考えると気が遠くなってくる。命が助かった人々はひとまずは安心しあう。母がホテルのロビー1階で、一夜を過ごした朝、おばちゃんたち含めちゃんと朝食とれたのかどうか、心配で携帯に電話してみたがまったく連絡がつかなかった。夕方になって「無事に博多を出発した」と携帯でメールが来のだった。今朝のニュースを観てヒヤッとした。観光気分で熊本に長居していたらもっと大変なことに巻き込まれていただろうから。母は、長崎県に住む妹と大阪に住む姉にそれぞれ別れを告げて、明日の日曜、さいたまに帰ってくるのだろう。きっとまた色々と一方的に同じ話を何度も聞かされるに違いない。(お年寄り特有)被災された方々には、お見舞い申し上げます。日常生活を一日でも早く取り戻せますようお祈りしたいと思います。
2016年04月16日
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新年度になって新しい境地で生活することになる人々が非常にたくさんいます。我が家も長男が高卒で作業所に通い初め、次男ももうすぐ中学に入学し、三男も次男がいない通学班で小学校2年生の1学期が始まるといったところ。こんな私も職場内で組織のあり方が大きく変わったので、私以上に社内の多くの人々の動きが激しかった。そしてこんな私も久々に自己紹介する機会が与えられそう。何だかちょっと緊張する。もしかして英語で自己紹介を求められるかも知れないから。
2016年04月03日
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副業のバイトをして少しでも生活の足しにしようと去年6月ぐらいから月1~2度のペースで週末にやっていた。妻が働く気がなさそうなのと、子供が3人もいて学資を稼いで行かないと、自身の職業不安もある。そう思うと何年か後が不安で仕方なかった。「若くて身体が動く元気な時に稼げるだけ稼いだ方がいい。」と言う、住宅ローンで一戸建てを持つ旧友の助言もあった。私の母も他の旧友、会社の同僚も言う。「良くやっていけるなぁ、亭主の稼ぎだけで。凄いよ。」「ところで、なぜ奥さん働かないの?!働いてもらわないと。」とも言う。妻に生活費として月10万円渡している。光熱費などの口座引落しや住宅ローン引落しもその10万円には含まれない。食費と雑費、子供の給食代は入ってる。お金が足りないと言ってくることがある。それを言われても困るのだった。私も自身の小遣い無しでやっている。ボーナスを切り崩して私の月の小遣いとしているのだ。そういう理由もあり、コソコソ副業やるより、生活に困っているという理由で副業を許可してもらおうとした。が本業の上長らからは「絶対ダメ」ということを言われ、「わかった時には連帯責任の懲戒解雇もあり得ると覚悟して下さい」と言われ、自粛するしかないこととなる。副業従業者は「ばれやしないよ。ばれないようにみんなやってるよ。」などというが、マイナンバー制が導入されることになって、本業の職場にも、副業の職場にもそれを提示しなければならないなどということとなったため、どんな形でばれてしまうかわからないし、本業で首切られたら本末転倒で、生活がたちまち行き詰る訳なので副業の職場にはもう仕事を依頼しないように伝え完全に手を引いた。今週はそんな週であった。妻に渡している10万円を9万か8万に減らそうかと考え、それを伝えたところ、「ふざけるな!」と突っぱねられ、大ゲンカになりそうだった。長男も大声出して、私らの口ケンカを止めに入る始末。長男も大声出すと、結構うるさいので私らは夫婦喧嘩を中断せざるを得なくなる。私は我が家の蓄財の不足と、非協力的な妻の態度に悶々としている。が妻に渡す生活費を粛々と減らさせてもらおうと思う。次回、どんなバトルがあるだろうか。
2016年03月19日
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昨日今日は真冬に戻ったかのように寒い。もう今年は使わないかなと思っていたガスストーブを今自分の足元で稼働させている。パソコンを前にし、ネットでいくつかの記事を読んでいるが眠くて眠くて、いつの間にか目を瞑って首がもたげていた。「今何読んでたんだっけ?」さっきまでの記憶がなく寝惚けた。タイトルは如何にも寝ボケ発言。昨日のこと。長男は特別支援学校の高等部を卒業した。来月から作業所で働き始める。今日から2~3週間の春休みである。次男も今月下旬に小学校を卒業する。来春から学生服を着て中学校に通う。中学生になる準備金として、学生服とか鞄とか運動着などに10万円ぐらい要ると妻が言って来た。「領収書か明細をあとでちょうだいね」と言って今朝10万円渡した。我が家では夫である私が家計を握る。そうすることにしたのは実はたったの1年前からである。今月下旬、次男と三男(小1)も春休みに入ったら、息子ら3人と私は泊まりで旅行しようと思っている。実は私の弟(息子らのおじ)が子供たちの卒業を記念してどこかに旅行に連れて行きたいと言い出したのだった。弟は長男にどこに行きたいかを尋ね、どこを指定してもそれに従うという太っ腹。長男は「京都」を指名した。「バカヤロウ!遠いだろ!お金もかかるし。」と私。しかし弟は「いいですよ、行きましょうね。」と言うことで中年2名と青年1名(長男)、児童2名の計5名で旅行することとなった。弟は40台後半の独身。太っ腹にならず、もっとお金を大事にすればいいのに、と私は思うのだ、が旅行にかかる宿泊代、交通費、食事代と、かなりのお金を弟は負担するつもりとのこと。昨年の夏も長男と次男を連れて広島に連れて行ったりしてくれたのだった。申し訳なく思いながら、弟に従って甘えることにする。実際のところ、我が家は今贅沢できる状況ではない。でももちろん弟に全額負担してもらうことはないだろう。せめて私自身の旅行費は自分で負担すると思う。私の母(息子らのおばあちゃん)と妻には留守番してもらう。久々の旅行は私にとっていい気分転換になるだろう。子供らにとっても良い思い出になるよう、どこを周るか今からちゃんと計画しておきたい。長男も次男もニコニコと顔がほころんでいるので、旅行がかなり楽しみなようだ。
2016年03月12日
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会社帰り6キロメートルの道のりを徒歩で自宅に向かっている時、スマホに録音されてる英文テキストをリスニングでもしてみようとした。夜道、しかも老眼。画面が良く見えなかった。聴こえてきたやつなんでもいいや。で再生ボタン。聴こえてきたのはビリージョエル。アルバム:ニューヨーク52番街だった。中学生の頃からビリージョエルが大好きだった。だからどんな意味のことを歌っているのかは大体知っている。それで、久々に聞いてみて、私自身が英語が少しでも上達したならば、かなりの歌詞が聞き取れるんだろうか?メロディでなく、ビリーの歌声に耳をよーく澄ます。英単語、英文が全部聴き取れただろうか?サビの部分は聴こえるがままに歌えたりするが、そうでないところは、メロディはわかっていても舌が回らなくて、とても同じようには歌えない。英語がもっと上達するにはどうしたらいいんだろう。アメリカ人になろう。アメリカに一人乗り込んで英語だけで生きていこう。50歳です。妻子を残してそんなことできるわけがありません。話は急に変わりますが、戦争でアメリカは他国民にも自国民にも酷いことをした。歴史を顧みると世界中どの国も酷いことだらけなのだ。何に従うの?正しいことがさっぱりみえない。勉強不足もあるだろうから。私はアルバムを一通り聴いた後は、イヤホンしてるのに耳も貸さずに物思いにふけっていた。私は迷いの中を歩いているのだと思った。日本はアメリカに負けたんだ。僕たちはアメリカの言うことを聞くべきなんだ。裏でコソコソ、アメリカを酷い国だと思い続けたってしょうがない。アメリカは酷い国だと、でかい声で言ったっていいんじゃないか。にもかかわらず矛盾を感じつつも何故かその国に従ってもよいのだ。それは自分を信じるからだ。自分の意志では、アメリカって何なんだ?って思いつつもそれに従うのも従わないのも選択できるのだ。多くのアメリカ人でさえも意識的にも無意識的にも多分きっとそうだ。これは悲しいことかもしれないし、愉快なことなのかも知れない。日本はアメリカに負けたんだから、日本はアメリカの50何番目かの一つの州みたいなもん。アメリカ人になろうとすればひょっとして人生が楽なんじゃないか?我が家が近づいた。私は何かひどく迷いの中にいたのだが、新しい自分にもなれた気がした50の夜だった。
2016年03月05日
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今週は妻への不満が少しは和らいだ。夕方から夜遅くまでパソコンの前にいる時間が多く、家庭内のコミュニケーションが極めて少ないのは変わらない。それを私は2日に1回ぐらいは言葉に出して指摘した。妻は特に暴言は吐かなかった。少し困った様子もあった。「わかったよ。」と言った。でも全然わかってない。ただの口返事に近い。急にはやめられないのだろう。またはまだずっとしばらくはやめられないのかもしれない。でもこの調子で言い続けるようにする。子供と妻が毎朝ほぼ同時に起きて、朝食ができたと同時に小学生2人が登校するものだから、子供らは食べる暇がないという問題。朝6時45分に妻や子供を起こしていたが、まず妻を6時30分に起こすことにした。私自身は朝、ルーチンワークというのがあって、起きた直後、冬なら結露拭き、トイレを済ませたら、体重、体脂肪、血圧の測定、英語の練習。それを5時45分~6時45分にやることだった。そして6時45分に妻や子供を起こしていた。そのルーチンワークを中断するか、削るかして6時30分にまず妻を起こすことにしたのだった。大人なのに、家庭の主婦なのに、3児の母なのに、なぜ夫から起こされないと起きない妻のだろうと悲しくなる。6時30分に起こして、「早く起こすな」などと文句を言うようなら夫婦喧嘩は激しさを増したのだろう。しかし起こせば素直に起きるのだった。よって小学生の子供たち2人は朝食を食べる時間が確保できることになった。小6の次男は自分で何もかもできる。が小1の三男は世話が焼ける。なかなか着替えないでグズグズするので、服脱がせて着替えさせることもしばしば私が手伝う。口で言ってダメなものは手出しするしかないから。時間に間に合うように着替えさせ、しっかり朝食をとってから登校させる。これで少しは進歩した一週間だった。
2016年02月27日
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私の心は今どこに閉じこめられているのか?妻だ。妻の存在が息苦しいのだ。夕方から夜遅くまでSNSかなにかやってるのか、母と子のコミュニケーションがない。朝ごはんは子供が登校する直前に用意する。子供は「いつ食べる暇があるんだ?」と不満顔で登校する。問題は他にも色々ある。我が家は共働きしないと生活していけない家庭だと思っているが妻は全く外で働かない。どんなに注意をしても「うるせぇな、それぐらいいいだろ」「この世には専業主婦だってたくさんいるだろ」口答えばっかりだ。私は話しかける気をなくす。妻と夫の間で、母と子供の間で、コミュニケーションがない。我慢を強いられる息苦しい家庭だと思う。それでも私は何事もないように子供らと家庭の平和を保つ。子供らもたまにイラついて妻に暴言を吐いているのを耳にする。このままだと、この先良いことがない。親身になって、注意しても「そんなことぐらいでうるさいんだよ!」聞く耳を持たない。誰に相談すればいいのか?疲れを感じる今日この頃なのだ。私がこのようなことを今更書くということは近々何らかの変化がありそうなことを私自らが感じるからなのかも知れない。
2016年02月20日
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本日土曜日は午前中、高血圧症の通院で近くの病院へ。午後は会社の集まりだった。次男を皮膚科に連れていくのは今週は見送った。会社の集まりが解散になった夕方、ある男性と軽く飲んだ。普段一緒に仕事してるわけじゃないのでそんなに気ごころ知れたわけじゃない。しかし彼はとにかく良くしゃべる。スマホから操作できるラジコン戦車の基盤のプログラムデータを中国に送り、安い金額で基盤を作ってもらうというようなことを言っていた。そういうのが趣味であるとのこと。私にはかなりチンプンカンプンだった。そのこと以外にもとにかく良くしゃべる男だった。私より18歳ぐらい年下。話を聞いていることが苦痛になったりした。自宅の子育ての日めくりカレンダーにこういうのがあった。「子供よりもたくさんしゃべってはいけません。」親ばかりが一方的に話したいこと言うのではなく子供の話をもっと聞いてあげましょう、ということなのだ。私は彼の一方的な話の腰を折ることはなく「うんうん」とほぼちゃんと聞いてあげたつもりだ。結構疲れた。
2016年02月13日
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金曜日の会社帰りにスポーツ新聞を買わなかった。日曜日の競馬を予想するためなら土曜日に買えばいいと思ったから。それでもここ何年も金曜日の夕方に必ず買っていたので少し寂しかった。以下は週末に職場でちょっと暇だった時に書いた詩。もう週末だ。一週間が何て早いことか。50回週末が来たらほぼ1年間が経過する。1年も結構早い。あっという間に1年が過ぎる。でも考えてみると、そのあっという間の1年を私はまだ50回しか経験していない。誕生日が50回しか来ていない。もっとたくさん経験して来てるような気がした。50回が少ないと?いや50歳とは自分もかなりいい歳なんだな。と自分のことを思った。
2016年02月06日
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今日1月30日はちょうど一年前の今日、今住んでいる我が家が引き渡された日であり、昨冬で一日だけ雪が降った日であった(自身の記憶として)。新築一戸建て購入を記念するかのように降ってくれたと私は考えている。ちょうど一年前と同じように寒い今朝は、まだ夜が明けてない6時頃起きて(スマホのアラームは5:30と5:45に鳴ったようだ。今日は土曜なので平日と同じような鳴らし方にしなければよかったと思いつつ)何をやったか?三階寝室内のクローゼットの床の端に置いてあるバケツと小モップを使って、三階の三部屋内の窓、二階のリビングの窓、一階の納戸の窓、階段途中にある小窓の結露の拭き取りである。真空二重ガラスになっているからもちろんびちょびちょではないが、この一年で最も寒いこの時期、アルミの窓枠の結露はひどい。不要なバスタオルの切れ端でも添えておけば良いのかも知れないが、私の日課として寒い冬の朝は寝起きにサササっとやることにしている。拭き取りの小モップはスポンジの真ん中から半分に折り曲げて吸い取った水を絞る仕組みとなっている。絞った水をバケツに溜める。一階の洗面でバケツの水を捨てて三階まで上がり、クローゼット内の元の場所にバケツと小モップを戻す。これでひと仕事完了である。このあと、毎週土曜日にやることだが、スポーツ新聞の競馬欄に目を通す。独学だが英作文と長文理解を30分ほど(何年もやってるけど成長が乏しすぎる)。そして今日は長男、次男を皮膚科に連れて行く(長男は乾燥肌のかゆみ、次男はアトピーその他)。夕方は年に2~3回会っている、学生時代の友人らと一杯飲だりする。割と忙しいものだ。競馬の予想をやめれば忙しくなくなるとは思うのだが。
2016年01月30日
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ボケ防止のためにこれはやった方がいいと常々思っている。こうやって思ったことを文字入力することや手書きの日誌でもいいから何かしら文字を書いたり文章を作ったりすること。指先を動かすことが脳の老化予防に良いって言われてたっけ。 ところでこれ、久々に更新するものであります。息子3人もそれぞれ成長しここまできました。長男・・・高3(特別支援学校 高等部3年)次男・・・小6三男・・・小1今春から子供たちの生活環境が大きく変わる。長男は職業訓練へ、次男は中学生になり、三男は小2となります。三男は、小学校を卒業してしまうお兄ちゃんが登校通学班からいなくなってしまうということ。私も50になり老眼は進行するし、血圧が高めで食習慣に気をつけているところ。健康に気をつけ、まだまだ働きつづけていかないといけない状況。大きな変化と言えば一年前に新築一戸建てを購入して引っ越したということ。前に住んでいたところでは狭くて毎晩寝場所に困り、やむを得ず一戸建てを購入。30年ローンが重くのしかかっているのだった。80歳まで働かなければ。お金のこと、職業不安、綱渡りの人生のように感じる今日この頃なのです。まだ大丈夫、まだ大丈夫、と思いつつ、いつかは何か大きな変化があるのだろう。いちいちこれから先のこと、ビクビクして不安にならないように謙虚で、地道に、時には攻撃的にいかなければと思う。一番の不安はお金だね。お金の不安のことばかりを考えしまう。妻が専業主婦で働かないものだから(不思議と)、私は孤軍奮闘して、ケイバ、株、宝くじ、賃貸収入、副業などで順調に稼いでいけないものかなぁ思ったりする日々。子供の成長については毎日何かを書くことなどないけど、お金に関してはありそうだ。今年はそういうことを中心に書く機会が増やせるかもしれません。
2016年01月23日
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珍しいことが起きたので記しておきます。子供がいると色々なことが起こる訳だがこのようなことが今後日常茶飯事にならないことを願うばかりである。木曜日、朝7時23分に次男(小6)と三男(小1)が家を出発し、一緒に登校する通学班との集合場所まで200メートルぐらいの道のりを歩いていた。次男は遅れを気まずく思って走り出した。置いてけぼりにあったと思った三男は怒ってその場から動かず水筒を道路に叩きつけた。「何やってんだ?」と思って次男が三男のところまで戻るが三男の気持ちを動かすことができず、水筒は破損、通学班はもう待てないと言って先に行ってしまった。それで次男は泣いて家に帰ってくるという始末だった。情けないのと腹立たしいのと、泣く方も泣く方だが、怒って水筒を叩きつけるという暴挙は一体何事か?!と思う。妻は「お父さん、この子たちを車で学校へ送って!」と言う。「お前が送って行けばいいじゃん。」と言いたいところ、妻はまだ寝巻き姿で外に出れる格好ではない。結局心掛けの悪いこの親子3人の失態は私がフォローすることになる。私もあと30分ぐらいしたら出勤しなければならない身なのに、車に子供ふたりを乗せ小学校へ。彼らはいつもより20分ぐらい早く学校に着いてしまったというが、そんなことは構わない。遅れずに登校できてラッキーなのだ。そして私は急いで自宅に戻り出勤の支度をして8時過ぎに家を無事出発。それで平常の時間の流れを取り戻したのだった。夕方帰宅して子供らに様子を聞くと、ふたりともケロッとして、「学校一番乗りだった」などと言い、「誰もいなくてヒマだったよ」などと無邪気に説明する三男であった。次男は「明日からは7時19分に家を出発するからな!そうすればゆっくり歩いたって余裕で通学班と合流できるんだから。」と弟の三男と自分自身に言い聞かせているようだった。早めに行動することを少しだけ学習したようだ。
2015年06月06日
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長男(高2)の作業所体験。結構大変そうだ。朝から夕方までみっちり。手が痛いと泣き言をいう。「やだ!やりたくない!」と珍しく意志表示。そんなに辛いのかなぁ。「それが楽しいと思えたらお前は人生の成功者だ」と言ってやった。次男(小5)にはウケた。が長男は「痛いの~。もう嫌なの~。」を繰り返すばかり。仕事なんだから辛くて当たり前というところもあるし。少し気がかりでありながらも見守るしかない。父の備忘録。今日の出勤、行き歩き、帰り自転車。高血圧が発覚。まだお薬のみ始めてない。自力で何とか健康維持してみようかと血圧計買って朝晩測る毎日。今月中に一回ぐらいは病院にも行こう。
2014年12月03日
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17歳長男、高等部2年。昨日から体験作業所を一週間。父の備忘録。今日の出勤予定。行き自転車帰り歩き
2014年12月02日
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まるでタイムスリップしたかのよう。久々の書き込み。息子たち3人はそれぞれこの4月から5月にかけて誕生日を迎え、17歳、11歳、6歳になったのでした。知的障がいの長男は相変わらずの挙動であり、家族に話しかけられた時にこそリラックスしてほしいのに声が上ずって高くなる。「いただきます」「いってらっしゃい」「おやすみなさい」など、こんなありきたりの日常会話のやり取りで高い声を出す。何だろう、それはまるで九官鳥のように、ここに馴染んでない者のような振舞いである。家族にさえ緊張するというのか。私はそんな高い声で応じる長男の声を真似して返事する。長男が高い声で「いただきます」と言えば、私も同じ高い声で「ハイどうぞ召し上がれ、どうしたの、声が高いねぇ。」長男は何やら指摘されちゃった、とばかりに「ガハハ」と笑ってごまかすのだがその後も一向に治らない。こっちはもっと落着いて、もっと家族に馴染んで、もっと普通にしてみて、という思いを込めているわけだが治ってはくれないようだ。長男も気にしてなくもないようで、時に「障がいだから?障がいになっちゃったよぉ!」と言い、どうしようもない自分をアピールすることもある。次男も「高い声だすから嫌だー」などと健常でない長男を少し罰するかのような言い方をするときもあるが、どうしても今のところ改善されるものでもないようである。そんな高い声を出す長男だが、とても律儀なヤツで、夕方の風呂掃除、曜日毎のゴミ捨て、外出の際に忘れ物を気にすること、幼稚園児の三男が夜に家中を走り回る物音が近隣に迷惑がられ、私ら両親が気が気でない様子でいることも十分気にかけてくれる。私はいつも長男が風呂掃除してくれたり、沸かしたりしてくれたお風呂に入ってさっぱりする度に「ありがとな!」と感謝の言葉をかけるのでした。
2014年05月23日
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次男(10)が学校から帰ってきた。今日は土曜日だが学校公開日ということで登校した。妻が参観し、私は長男(16)と三男(5)と家で留守番していた。私は会社へ提出するための文書を作成していた。※家に仕事を持って帰ってくるのは極めて珍しく。次男と妻がいっしょに昼過ぎに帰宅し、妻がさっそく昼食を用意しはじめ、5分ぐらいたっただろうか。私も手を休め、リビングに移動してこういう。「昼飯何食べさせてくれる?」「○○ちゃん(次男)がそうめん食べたいって言ってるから。」「えっ・・・間をおいて・・・、じゃあ俺は暖かいそうめんね」ところで、急にその時思い出したことがあった。昨日のめざましテレビでバニラアイスとポテトチップを混ぜ合わせたデザートをおいしそうに食べる場面があり、私もそれを試すべく、昨晩バニラアイスとポテトチップを買っておいたのだ。「お父さん特製のバニラアイスポテトチップ食べるかい?」次男は「いらねぇ」といい、長男と三男は「食べたい」と言った。妻は「アイスとポテトチップを別々に食べたい」と言う。長男、三男の素直さに比べ、妻と次男はノリが悪いのだった。その後私が作ったデザートを食べる長男に私は「おいしい?」と質問。素直に「うまい!」と答えた。オウム返しを避けるようにして、質問とは違った答え方をする長男である。やがて、長男も次男もそうめんを冷たいつけ麺で食べ始め、私は暖かいそうめんを食べ始めた。暖かいそうめんのほうも気になった次男が「暖かいそうめんっておいしいの?」と聞くので、「もう寒いんだから暖かいものがおいしいに決まってるじゃん」と言ったら、「じゃあ、少し食べさせテ。」と言って鍋から自分でおわんについだ。「暖かいそうめん旨んめぇ!」と次男は言い、2杯目3杯目と食べていた。言わんこっちゃない。私は心の中でこう思った。妻と次男は食わず嫌いなのだ。新しいことに着手しない人たちなのだ。でも次男は今日!気づいたようだ。暖かいそうめんもおいしいと言うことに。しかし私と次男のやり取りに加わらない更にマイペースな長男は未だに黙々と冷たいつけ麺のそうめんを食べ続けていたのでした。
2013年11月09日
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ついさっきのことですが、NHK大河ドラマ「八重の桜」の再放送を観てまた泣きました。もちろん子供らの友だちが家に遊びに来てる目の前で声に出しては泣くことはできませんけど。目を大きく見開いて泣かないように泣かないようにしていたんですが、そうすると鼻水がスタスタでてきて、ティッシュで鼻をかんで、目からもひと粒の涙がポロリ、鼻かんだティッシュといっしょに拭いちゃいました。しかし再放送みて思う。観てよかったと。こんないい話が、一度観たからと言ってどんどん過去のものになって忘れ去られていくのは本当にもったいない。明治維新の舞台となった、京都、江戸、会津、薩摩など・・・、いろいろありますが、何重にも人々の悲しみが重なった特に京都に歴史の重みを感じるなぁという気がしています。私が大河ドラマの再放送を観ているそばで、子供らは3DSのゲームしていたり、パソコンしていたりです。長男(高1)はパソコンやっていたのですが、本当は大河ドラマ以外のチャンネルが観たかったのでしょう。大河ドラマが終わると私はTVのスイッチを切りました。長男は「テレビ消すんじゃねぇ!」と高い声を出し、次男(小4)はお構いなく、友達と3DSをやり続け、三男(5)は適当に室内をチョロチョロしていました。「テレビもたまには消してあげないと、熱くなってしまってるから、少しお休みさせようね。」と私が言うと、長男は、頭から私の言うことなど信じない様子。「お休みさせるんじゃねぇ!」と甲高い声を出しました。三男がすかさず、テレビを触りに行き、「お父さん、テレビ熱くなってないよ」と真顔で説明した。生意気になってきたものです。日曜の夜のTV番組と言えば、最近では「半沢直樹」も面白いのですが、私には大河ドラマ「八重の桜」が絶対に見逃せません。
2013年09月07日
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2013年7月の今月は記念すべき月。何と富士山が世界文化遺産に登録されたから。実は私は富士山に一度も登ったことが無い。遠くから眺めるのが好きだ。もう何年も前の話だが、通勤電車の中でつり革につかまって難しい本を読んでいた。ある場所で顔を上げて外の景色を見ると何とそこには雄大な富士山が青空の中でくっきりと輝いていた。私はハッとして、内心とても恥ずかしくなり心の中でこうつぶやいた。「富士山よ、俺が難しい顔して書物と対峙しているのをさっきからじっと見ててくれたんだね。何だかとても恥ずかしじゃないか。」私が住んでいるさいたま市はとても富士山の麓とは言えない遠い地域だ。が空気が澄んだ日はくっきりと良く見える日も結構ある。あの大きな富士山に抱かれて、この日本の関東平野あたりで暮らせていることが私にとってとても心地よい。(そんなこと感じる自分はきっとどうかしている。でもそんな気がしてたっていいじゃないか?と思ったりする今日この頃)ところで、数日前次男が学校で友達とトラブルを起こしてまぶたを腫らして泣いたという。先生も知っていて問題は収まったというのだが。家で夜にそんな話を妻から聞いて、私は次男に尋ねた。「何で泣かされたんだ?何かいじめられたのか?」「思い出したくないんだ。忘れたいんだ。」などと言って原因を教えない。どんなことがあってもお父さんはお前の味方だぞ。言ってみろ。顔にアザがあることか?長男の知的障害のことか?三男の口腔崩壊で歯が黒ずんでいることか?お母さんが宗教関係のことをいちいち口にすることか?次男は笑いながら(笑いが戻ってとりあえずOK)「そんなことじゃない。」と言う。じゃあ、何だろう?二人の友達に口で攻撃されて泣かされるとは、一体どんなことでトラブルになったのだろう。聞くところによると、今度クラス内の班で何らかの発表があるらしい。どのパートを発表すればよいか次男は把握していなかったらしく。友達が怒ってしまったということらしかった。何だか、この次男ならそういうことはありそうなことなのだ。宿題もヤダ。朝起きるのもヤダ。もうテレビゲームは止めろと言ってもヤダ。何でもヤダヤダなのだ。だから、友達に自分は何を発表したらいいのか素直に尋ねられなくて、孤立した可能性はある。いざ発表の練習しようという時に、自分の発表する部分がわからないなどと言い出したら友達も怒って当然かもしれない。何か人に言われたら、笑顔でまずは「オッケー」って言ったほうが楽しくなるよ。と教えた。返ってきた答えは「やだね」だった。「ほら、やだねって言うとお互いいいムードにならないだろ。そこでまずオッケーって言うんだよ。」「やだね。」「ここ!ここでまずはオッケーって言ってみるんだよ。」小声で「オッケー」と言った。私と次男は互いに少し笑顔になれた。それが次男にとって良いきっかけになって欲しい。「富士山のような大きな心になれ!」と心の中で願ってやまない父なのでした。
2013年07月04日
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今日ももう帰宅した。昨日とほぼ同じ時間。18時台、夕食や風呂の準備ができるまでこれが書ける。私が帰宅すると、リビングのTVは三男(5)が遊ぶWiiのマリオカートで占拠されていた。三男「お父さん、見て見て。1着になったよ!バナナつけたままゴールしちゃったよ。」私「おお!すごい。おめでとう!」三男「見て見て、バナナつけたまんまゴールだよ。」私「・・・おお!そうだね。おいしそうなバナナだね。」三男「見て見て、バナナつけてるんだよ。」私「・・・ハイハイ、わかりました。見てます。バナナつけてますね。おいしそうですね。」「ああ、もううるさいなぁ、何度も何度も同じこと言いやがって。」と夕食の準備をしている妻に言うと、妻「バナナって何?バナナつけてると何なの?」とマジで訊いてきた。私「え~っ、知らないの?そんなこと説明したくないよ。バカバカしい。」と言いながらこう説明した。「バナナは後ろから追いかけてくる車を滑らせて走行を妨害する役目を持ちます。だからタイミングを見計らってバナナを放出するべきなのですが、バナナを持ったままゴールしてしまったということです。」「くだらね~」と妻。「だろ?こんなくだらないこと説明させるなよ。」と言いながら私は自分の部屋に行き、パソコン開いて作文。ブログ更新のネタとなりました。ちなみに次男(小4)はパソコンでYouTUBEを見て過ごし、長男(高1)は私が指示した子供向けの日本の近代史(マンガ付き)を音読して、感想文を書こうとしているところでした。(日課として今月から続けてくれているようです。)次男がまだ宿題をやってないのが問題。
2013年06月19日
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残業というものが4月あたりからほぼ徹底的になくなって、残業手当としてここ10年ぐらいもらっていた給料が3万~15万の減収。残業手当を当てにしてはいけないとわかっていても生活はきつくなった。車を売ってローン返済をなくならせておいて本当に良かったと思う今日この頃。貯えというものがあんまりない。もっと精力的に貯金しておくべきだった。食っていくのがやっとになったとしても、月々の給料で何とかやっていくしかない。というわけで、今日ももう帰宅した。18時過ぎ。これを書く時間とする。「ただいまー」と私が帰宅すると、子供たち三人そろって、長男(高1)「どうしてお父さん早い?!」次男(小4)「帰ってくんの早すぎんだよ!」三男(5)「早っ!」当初は、そういう子供たちの反応だった。今では私が早く帰ってくるのに慣れたらしい。今日の子供ら三人の反応はそれぞれこうだった。長男「お帰りっ!」(→事務的だけど、張りあげた高い声)次男「お帰んなさいっ!」(なぜかいつも怒鳴り声)三男「お帰りなさい」(ゲームに夢中で顔は向けずにボソッと)私がここのところ、気にしてるのは、次男の怒りっぽさだった。なぜ怒りっぽいのか?長男が知的に問題があるからか?三男が幼稚園児だから、いっしょに遊ぶにもままならないからか?日常的にイライラしているように見える。「宿題あるか?」「宿題やったか?」「宿題終わったか?」このようなことを訊かれるのもひどく嫌がり、「うるせぇ!」と言って怒る。わがままと言えばわがまま。今日も、私が帰宅して次男が怒鳴り声で「お帰んなさいっ!」と言いながら、パソコンでYouTUBE等を見ていたので、こう言ってやった。「おっ、どうして怒ってんだ?まだ宿題やってないってことだな?図星だろ?」次男は「へへへへへ」笑ってごまかした。笑ってくれて逆切れしなかったのは良かったが本当にさっさと宿題に取り掛かって欲しいものである。子供の怒りっぽさについてどうしたら良いものかWEBで調べてみようと思う。
2013年06月18日
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私は子育てを記録するためにブログを書こうとしているが、月に1度も更新できてない。今、目標は月に1度の更新だが、どこから書いたらよいか起こることが多すぎて着手できないまま、月日がとっとと過ぎ去っている。考えていることは、もちろん家族のことだけれども、生活を支える収入面の不安が最近大きくなってきて、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、それまでにやっておくべきことは何か等、文章にした場合支離滅裂なことになってしまって、とてもブログ更新どころでなくなってしまったかのよう。長男(16)は、養護学校高等部に通う。次男(小4)は、兄の知的障害がどうやったら直るの?などと訊き始める。三男(5)に、3DS買ってあげたらそれにハマッて朝夕そればかりで困った。私は40代後半になって、大変なことに気が付かされている。今やってる仕事が嫌になっても次に行くところなどないということである。転職や就職活動というものは大変厳しく、この年になると気軽にできることではないのだ。子供が3人もいる。まだまだ稼がなければならない。何かを身につけるとか、起業するとか、安い給料でも我慢するとか、現状の仕事にしがみつくとか、いろんなこと覚悟しないといけない。ヤバイよなぁ、結構深刻。子供らがまだまだ育ち盛りだというのに、我が家の家計はほんの数年後にでも一体どんなことになっているのだろうか。
2013年06月16日
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今、長男(高1)を送っていった。この4月から養護学校の高等部に通う。そのバス乗り場まで。そして私が自宅に戻ってくると、家には誰もいない。家に誰もいないのは、妻が三男(4)を幼稚園へ送迎しているから。私もあと30分ぐらいしたら会社に行く。その間、10分ぐらいでこれを書こうとしているところ。養護学校のバス乗り場まで送って行けるのは一応今週だけ。今週私は遅い出勤ができるから。妻が来週からは長男をバス乗り場まで送り、三男を幼稚園へ連れて行く。それが果たして可能だろうか?幼稚園にはこういうらしい。「朝、5~10分遅れます」と。春は別れと出会いのシーズンである。別れといえば、長男は慣れ親しんだ地域にある中学校を卒業した。そして車の月々のローン返済をやめたくて、3年乗った新車を手放した。これで三男が幼稚園に通っても家計を圧迫しないで済むのだ。出会いといえば、バス乗り場で他のお子さんと親御さんと知り合った。他のお子さんたちの様子も少しわかった。バス乗り場まで一人では行けそうにないお子さんたちだった。しかしうちの長男は1ヶ月ぐらいの期間が過ぎたら一人でバス乗り場に行ってもらう。何故なら小4のころから、電車で小学校中学校と通えたのだからそれぐらいできるはず。そうすれば、妻は三男を遅れることなく、幼稚園に送っていけるだろう。そろそろ会社に行く準備。ちなみに次男は小4に進級。
2013年04月12日
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