JE2LUZ・熊野

JE2LUZ・熊野

2014/01/19
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カテゴリ: 混在
 熊野市にはアマチュア無線家が沢山居ます。
 一時期は人口比率なら全国一であろうと言われるくらいでした。
 そのアマチュア無線局を束ねているのが「熊野無線クラブ・JH2YIV」です。
 設立は昭和49年1974年で、今年で50年と言うことで、記念式典が昨日行われました。
 ピーク時には500人を超した大所帯でしたが、携帯電話の普及と共に少しずつ減っています。
 と言っても、今でも200名を超す大きなクラブです。
 熊野市と南牟婁郡をまとめる日本アマチュア無線連盟登録地域クラブですが、会員はその他の遠隔地にも居られます。
 私は昭和51年に入会したはずです。
 そして、昭和58年1983年に会長を務めております。
 会長経験者ですが、その後、会費未納で首になったままです。
 コールサインは切らしたことないですけどね。

 どうして、こんなに大きくなっちゃったのか???
 最初の頃は猟師さん達の要望もあったのですが、だんだん、講習会の内容が易しくなるにつれて、家中で資格を取るようになって来て、あっという間に膨れちゃいました。
 我が家でも一家5人ライセンスを持ち、私は第2級アマチュア無線技士、他の4人には電信級のライセンスまで取らせました。
 その頃の国際条約では、電信の出来ないアマチュア無線は認められていなかったので、それに対応するように取らせたのです。
 長男坊は8歳で電信を取ったので日本最年少でした。
 そして長女は更に小さく、6歳で記録を更新したりしました。
 講習会は立て続けに開催し、やってもやっても定員一杯という状況でした。
 昭和59年は4回 326名 昭和60年は1回80人ですが・・・
 昭和61年は8かいもやって625人も受講したのです。
 熊野、南牟婁、下北山村を足しても5万人ほどでしたからこの調子でやれば比率がどんどん上がりますね。
 この頃は私も講師をやってて居たので、どこへ行っても「先生」という声が掛かるくらいでした。
 記録では熊野無線クラブの行った講習会は69回で4234名の申込者が居たようです。
 人口の一割ほどに教えちゃったって事です。
 私は今は予備講師なので教壇には立っていません。

 このようにアマチュア無線家が多いと言うことは、災害時などに無線を使う能力のある市民が多いと言うことです。
 そんな面で役に立つことがあっては困るのですが、台風12号関連水害でも役に立っています。
 市当局とも協定が結ばれているし、長年、単一会長、単一会計で一つのクラブとして動いているので、クラブ間の連携などと言うややこしい準備が要らないのも強みですね。

 昨夜の記念ミーティングにも下北山村や尾鷲市からも仲間が駆けつけてくれていましたし、古いメンバーもまだ頑張っているのが心強いです。
 初代会長のJH2WVYも第二代会長JE2APWも元気です。
 そして、記念ミーティングには10名を超すメンバーが集結しました。







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最終更新日  2014/01/19 09:27:42 AM
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