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JEWEL
運命の華∞1∞
貴方と会い、共に歩み、愛し合った日々。
そのどれもが、僕にとっては宝石のように美しく大切なものとなりました。
もう一度、貴方に会えたらどんなにいいのか―
「東郷さん、おめでとうございます、元気な男の子ですよ!」
まるで全身を炎で焼かれるかのような激痛の後、この世に産まれ落ちたのは、金髪碧眼の天使だった。
その生命の重みを胸に抱いた時、涙が止まらなくなった。
“カイト”
耳朶を震わせ、胸を高鳴らせた声。
自分を慈しみ、愛してくれた大きな手。
そして何よりも、自分を愛しく見つめた、晴れた日の海の様な、美しい蒼い瞳―ジェフリー=ロックフォードの存在は、今も海斗の中で生き続けている。
(あぁ、この瞳・・貴方と同じ色の瞳を持った子が、死に掛けた俺の魂を救ってくれた・・まるで、不死鳥の様に。)
二度と会えなくても、僕は大丈夫。
だって、僕には、貴方の瞳を持った魂の分身が居るから。
いつか貴方と会えるその日まで、僕はこの子と生きてゆくよ。
さようなら、ジェフリー。
さようなら、この世で最も愛した人。
息子を抱きながら、海斗は胸の前で三回拳を叩いた。
“俺の全ては、貴方のもの”
時折、冷たい潮風が頬を撫でる。
(何もないな・・)
幾度も母から生前聞かされていた通り、ホーの丘には何もなかった。
「やっと着いたよ、母さん。」
俺はそう言うと、そっと服の上から首に提げている母の形見であるシー・チェストの鍵にそっと触れた。
「ジェフリー君、お母さんが!」
母が死んだ日の事を、良く憶えている。
その日、学校の授業が終わって教室で帰り支度をしていると、母の親友・森崎和哉が教室に入って来た。
「母さん!」
母の病室に着いた時、母は苦しそうにしていた。
「海斗、ジェフリー君が来たよ!」
「ジェフリー・・」
「母さん、俺はここに居るよ!」
母にそう呼びかけると、母は俺の手を握った
「会いたかった・・ジェフリー、お願い、俺を見て・・」
母はその時、俺ではない“誰か”を見ていた。
「ジェフリー・・」
「カイト、俺はここに居るよ。」
「良かった・・」
母は、静かに息を引き取った。
母の葬儀の後、俺は母の書斎から一枚の手紙を見つけた。
そこには、自分の遺灰はプリマスの海に撒いて欲しいという旨が書かれていた。
「君が、プリマスに行くべきだ。これは君にしか、出来ない事だから。」
こうして俺は、母との思い出が詰まった地・プリマスへと向かった。
「やぁ、君がカイトの息子さんだね?はじめまして、わたしはJPコナー、カイトとは生前親しくしていたよ。」
プリマスで、いやこのイングランドでJPコナーの名を知らない者は居ない。
世界的に有名な、石油産業をはじめとする大企業のオーナー。
「初めまして、ジェフリーと申します。」
「ここで立ち話もなんだから、近くのレストランで食事をしながら話そうか?」
「はい。」
JPは、俺に色々と興味深い話をしてくれた。
16世紀のイングランドにタイムスリップした事、そして母も同じ体験をした事。
「JP、俺の父親は誰なんですか?」
「16世紀に活躍したフランシス=ドレイクの部下であり伝説の海賊、ジェフリー=ロックフォード。スペインの無敵艦隊をアルマダの海戦で海の藻屑にした英雄、それが君の父親だ。」
「そんな・・」
「信じられないと思うが、カイトは、わたしと同じ体験をしたんだ。ホーの丘でタイムスリップして16世紀のイングランドでロックフォード船長と出会い、恋に落ち、結ばれた。」
「もしそれが本当ならば、何故母は21世紀に戻ったのですか?」
「君のお母さんは、当時死病とされていた肺結核に罹っていた。そして、その病を治す為に現代へと戻った。カイトは、愛する人と別れる辛さは、己の半身を引き裂かれるかのように辛かっただろう。やがてカイトは肺結核を治し、16世紀へと戻った。ジェフリーと運命を共にし、生きる為に。」
「でも、母は戻って来た。」
「ジェフリー、君はまだ若いから、心から愛する者との別れが辛い事はまだわからないだろう。」
「母は、最期に、俺を通して“誰か”を見ていました。」
「ジェフリー=ロックフォードの肖像画は、見た事があるかね?」
「はい、母が書斎に飾っていました。俺と瓜二つの顔をしていて驚きました。」
母の遺品整理をしている時、俺はある物を見つけた。
それは、羊皮紙で書かれた手紙の束だった。
そこに書かれている物は、美しい装飾文字で書かれていた。
「この手紙を、あなたに見て欲しくて、連絡したんです。」
「これは、君の父親がカイトに宛てたラブレターだよ。内容は、“お前を愛している”、“片時も離れたくない”・・」
余りにもベタ過ぎる内容に、俺は思わず飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。
「JP、色々とありがとうございました。」
「いつでもおいで。君が知らなかったご両親の話をしてあげよう。そういえば君はバース検査は受けたかね?」
「はい。αでした。」
この世には、α・β・Ωという第二性・バースがある。
俺の母は、Ωだった。
Ωは繁殖に特化した“劣等種”で、三ヶ月に一度ある発情期(ヒート)を迎えると、αをフェロモンで誘う為、長い歴史の中で迫害されて来た。
法整備され、社会的地位が向上しても未だに差別や迫害の対象になっている21世紀―それよりも医療福祉面に於いて最悪な16世紀で母がどう生きていたのかを知りたかった。<
母の遺灰を海に撒いた後、俺は母がタイムスリップしたというホーの丘へと向かった。
丘を暫く歩いていると、俺は何かが光っている事に気づいた。
光っているものへと近づくと、それはやがて俺を包み込んだ。
(嘘だろ!?)
助けを呼ぼうにも、声が出なかった。
やがて俺の意識は、闇に包まれていた。
「ジェフリー、こっちよ!誰か倒れているわ!」
耳元で喚く声、そして幾つかの足音。
「ナイジェル、ジンを寄越せ!」
「アイ。」
急に喉が焼けるような痛みに襲われ、俺の目の前には黒の眼帯をしている男と、胸元が大きく開いたドレス姿の女が、俺を見つめていた。
「リリー、ナイジェル、気が付いたか?」
月明かりを受けて美しく輝く金髪。
そして、宝石のような蒼い瞳。
「父・・さん?」
「カイト、大丈夫か?」
「ちょっと、疲れが溜まっただけ。」
海斗は、最近体調がおかしい事に気づいた。
微熱、強い眠気、倦怠感―それはまるで、肺結核の初期症状に似ていた。
それに、食欲が全く湧かなかった。
「どうした、坊主?もういいのか?」
「うん・・」
ジョーが作ってくれた鶏肉のスープを、海斗は半分残してしまった。
「一度、トマソン先生に診て貰おう。」
「うん・・でも、発情期かもしれないし・・」
「そうか。」
数日後、海斗はジェフリーに白鹿亭へと連れて行って貰った。
「カイト、あなた妊娠しているわ。」
「妊娠・・」
「あなたがΩだという事を知っているのは、わたしとジェフリー、ナイジェル、キット、そしてグローリア号の皆と、トマソン先生、ドレイク閣下だけ。ウォルシンガムはあなたとジェフリーを監視する事をやめたけど、この前みたいな事が起きる可能性がある。それに、16世紀の医療と21世紀の医療は全く違う。」
「俺に、また21世紀に戻れって・・ジェフリーと別れろって?そんなの、嫌だ!」
「カイト・・」
リリーは、震える海斗の背を優しく擦った。
「俺は、ジェフリーと別れたくない!もう離れ離れになるのは嫌だ!」
「ジェフリーに妊娠を隠す事は出来ない。じっくりと二人で話し合って。」
「わかった・・」
リリーの話を海斗から聞いたジェフリーは、海斗にこう言った。
「カイト、子供を産んでくれ。」
「でも、あなたはどうするの?」
「俺の事は心配するな。」
ユアン、マーシー、ルーファス、グローリア号の皆は、海斗の妊娠を祝福してくれた。
「余り身体を冷やすなよ!春になったとはいえ、まだ寒い日が続くんだからな。」
「ありがとう。」
海斗は、ジェフリー達と穏やかな日々を過ごしていた。
一方、ネーデルラント総督邸の地下では、21世紀に居る筈の森崎和哉の姿があった。
「目が覚めたかい?」
水を顔に掛けられ、和哉が目を開けると、目の前には金色の瞳をした悪魔が立っていた。
「ここは?」
「ネーデルラント総督邸の地下牢さ。君はジパング人だろう?前にリスボンで君と同じジパング人の少年と会ったからね。」
「あなたは、海斗を知っているのですか?」
「その様子だと、カイトを知っているようだね?まぁ、彼は肺病で亡くなったようだけど・・」
「海斗は生きていますよ。僕は彼を取り戻しに来たんです、未来から。」
「へぇ、面白そうな話だね。」
ラウル=デ=トレドは、フェロモンを和哉に向かって放ったが、彼は全く動じなかった。
「無駄ですよ。僕には、海斗という番が居ますから。」
「そう、それは残念。君はどうして未来から来たの?」
「僕を狂人扱いしないんですか?」
「私は、君に興味が湧いた。だから聞かせておくれ、君の話を。」
和哉はラウルに、海斗の結核が治り、彼が16世紀に戻った事を話した。
「カイトは生きているのか。だったら、復讐しがいがあるね。」
和哉はカッとなって、ラウルの胸倉を掴んだ。
「海斗には手を出さないでください。僕は海斗とジェフリーとの仲を引き裂ければいいのです。」
「気に入った。」
ラウルはそう言って笑うと、その身に纏っていた漆黒の僧衣を脱ぎ捨てた。
「無駄だと言ったでしょう?」
「安心おし。私は子が産めないΩだから、何もこの身には宿らないさ。」
「子を産めないΩ?」
「身の上話をするのは後にして、今は楽しもうか。」
そう言って己の背を撫でるラウルの白い手が、獲物を捕らえようとしている蛇に和哉は見えたような気がした。
「カズヤ、これからよろしくね。」
(海斗、僕は君を取り戻す為なら、何だってする。この魂を悪魔に売り渡してでも、僕は君を愛したい。)
海斗は酷い悪阻に襲われ、水以外の食べ物を一切受け入られなくなってしまい、その身体は日に日に痩せていった。
「カイトを元の時代に戻すだと!?本気で言っているのか、ジェフリー?」
「カイトと良く話し合って決めた事だ。」
「カイト、お前はそれでいいのか!?」
「もう、決めた事なんだ。」
「嫌だ、俺は・・」
「俺だって、21世紀に戻りたくない!でもこれは、俺一人の問題じゃない。」
海斗はそっと下腹を撫でた。
「今まで俺を支えてくれてありがとう、ナイジェル。あなたの事は忘れないよ。」
「そんな、今生の別れみたいな事を言うな・・」
(俺は、いつもあなたの事を傷つけてばかりだ、ナイジェル・・)
「カイト、俺の魂は必ず、お前を見つけ出す。」
「ナイジェル・・」
海斗が21世紀へと戻る日が近づくにつれ、ジェフリーは書斎に引き籠もるようになった。
「ジェフリー、入ってもいい?」
「あぁ。」
海斗がジェフリーの書斎に入ると、彼は何かを小箱の中に入れていた。
「それは何?」
「向こうに着いたら開けてくれ。」
「わかった・・」
夏至の夜、海斗達は月明かりを頼りにジェフリーの屋敷から出て、ホーの丘へと向かった。
「やっと会えたね、海斗。」
そこには、昏い笑みを口元に湛えた和哉の姿があった。
「和哉、どうして・・」
「君はずっと僕の傍に居るんだ・・永遠に!」
和哉はそう叫ぶと海斗の腕を掴んだ。
「ジェフリー!」
母は、燃えるような赤い髪をしていた。
母の地毛は黒だったが、赤は一番好きな色だからと、母は嬉しそうに笑って俺に話してくれた。
母は、俺の事を大切に育ててくれた。
住み慣れたイングランドを離れ、母国・日本での慣れない生活にストレスを感じていただろうに、一切俺には弱音や愚痴を吐いたりしなかった。
どんなに仕事が忙しくても、母は毎日手作りの弁当を作ってくれたし、学校行事にも欠かさず参加してくれた。
金髪碧眼という俺の容姿は、黒髪ばかりの日本では目立った。
その所為で、中学校に入学してから、俺は毎日生活指導の教師から目をつけられた。
母は俺の髪が地毛だと何度も学校に説明したが、学校は、“黒髪にすればいい”との一点張りだった。
母は日本を離れ、イングランドで再び俺と暮らす事になった。
イングランドの学校生活は、日本のそれとは全く違った。
他人に迷惑を掛けていなければ、髪の色や髪型、下着の色などを詮索してくる教師は居なかった。
母は、週末になると休みを取って、俺をプリマスへと連れて行ってくれた。
「ここが、父さんと別れたホーの丘だよ。」
「どうして、父さんと別れたの?心から愛していたんでしょう?俺の所為?」
「そうじゃないよ・・」
母が辛そうな顔をしていたので、俺はそれ以上何も聞けなかった。
その後だった、母が病に倒れたのは。
主治医である和哉おじさんが言うには、母さんは俺を産む前に結核に罹った事があり、完治した筈のその菌が、再び母さんの肺の中で暴れ出したのだという。
「海斗を助けるには、生体肺移植しかない。でも適合するドナーが現れるまで時間がかかるし、それまでに海斗の体力が持つかどうか・・」
目の前に突き付けられた厳しい現実に、俺は愕然とするしかなかった。
「ジェフリー・・」
「母さん・・」
「ごめんね、お前を独りにさせたくないのに・・」
「大丈夫だよ、母さん。」
「そう、良かった。」
母さんが入院して、俺は母さんと分担していた家事を全てやる事になった。
学校が終わると、俺はいつもスーパーに寄って食材を買い、二人分の食事を作った。<
「ありがとう、ジェフリー。」
「味は余り保証しないけれど、母さんが喜んでくれるだけでも嬉しいよ。」
母は、俺の料理を喜んで食べてくれた。
俺は、母が喜ぶ顔が見たくて、クッキーを焼いて母に持って行ったりしていた。
そんなある日の事、俺がいつものように母の病室に行こうとした時、中から母と誰かが言い争う声が聞こえて来た。
「お願いだカイト、私と一緒にアメリカに来てくれ!」
「俺はこのまま、イングランドで死んだっていい!俺の魂は、死んだのも同然なんだから!」
「そうか・・お前の心は、もうロックフォードのものなのだな。」
「お願いだから帰って、ヴィンセント。」
暫くすると病室から、一人の男が出て来た。
「お前は・・」
彼は俺の顔を見た後、何かを悟ったような顔をして、宝石のような美しい翠の瞳から一筋の涙を流した。
母が死んで一ヶ月が過ぎた頃、俺は和哉おじさんと母さんの墓参りに行った。
すると、母の墓には美しいマリーゴールドの花束が供えられていた。
その花束を見た時、俺はあの翠の瞳をした男を思い出した。
「ん・・」
「坊や、気が付いたの?」
ゆっくりと目を開けると、俺はベッドに寝かせられていて、俺の周りには、ホーの丘で会った人達が立っていた。
「ここは・・」
「動かないで、あなたは頭を強く打っているみたいだから、暫く横にならないと・・」
「あなたは、誰ですか?」
「わたしはリリー、“白鹿亭”の女将よ。それと、わたしの隣に居るのは、ナイジェル=グラハム、グローリア号の航海長よ。」
「あなたが、あのナイジェル・・」
「俺の事を、知っているのか?」
「はい・・母が良く、あなた達の事を話していたので・・」
「もしかして、あなたは・・あの時の・・」
リリーの表情を見た俺は、ここが何処なのかすぐにわかった。
16世紀―母が父と出会い、生きた時代。
「あぁ、何て事・・昔カイトと話していたのよ、あなたはきっと、ジェフリーに似た男の子だって。やっぱり、カイトの予言は的中したのね!」
「カイトは、元気にしているのか?」
「母は、一月前に亡くなりました。」
「そうか・・」
ナイジェルは、俺の言葉を聞いた後、涙を流した。
「これを必ず、ナイジェルに渡してくれって、母さんが・・」
俺はそう言うと、ジーンズのポケットからトパーズのペンダントを取り出した。
「これは・・」
「母さんがあなたの幸運と健康を祈っているって・・もしあなたに会う事が出来たのなら、必ずこれを渡してくれって・・」
「そうか。お前、名前は?」
「ジェフリーと申します。」
「ジェフリーか。父親と同じ名前だと呼びづらいな。お前、幾つだ?」
「14です。」
「“ジュニア”という年ではないわね。」
「あの、父さんは今何処に?」
「ジェフリーなら、今こっちに向かっているわ。」
「そうですか。」
俺がそう言った時、一人の男が部屋に入って来た。
「ジェフリー、この子が・・」
「お前がここへ来たって事は、カイトはもう・・」
「亡くなる前に、母とあなたを会わせてあげたかったです。」
―ねぇ、見てよあれ。
―子供が可哀想。
それは、ジェフリーの六ヶ月健診の帰りに、電車の中で海斗がジェフリーをあやしていた時の事だった。
ヒソヒソと、女性二人組が海斗の方を見ながら話をしていたが、話の内容は想像しなくてもわかる。
(他人に迷惑かけてねぇのに。)
出産して暫く経ってから、海斗は黒の地毛が斑になった髪を美容室で赤く染めた。
母親になったのなら、子供の為に尽くし、お洒落などすべきではないというカビが生えた古臭い考えが日本には未だ残っているようで、海斗はジェフリーを連れて外出する度に周囲から非難めいた視線を送られた。
「ママの髪はどうして赤いの?」
「ママは、赤い髪が好きだからだよ。」
「ふ~ん。」
イングランドで長年暮らしていた海斗にとって、日本での子育てはとても息苦しくて窮屈なものとなった。
頼れる家族や友人も居ない。
いつも仕事や家事、育児追われていた海斗は、いつしか自分に発情期が来なくなっている事に全く気付かなかった。
「ねぇ、ジェフリー君ってきっとαだと思うわ。」
「そ、そうかな?」
「だって、あんなに可愛くてスポーツ万能だし、人気者だし・・」
この会話を、ママ友と何度もした事だろう。
バース性が何であろうが、本人が自分らしく生きればそれでいいと、海斗は思っている。
しかし、バース性への差別や偏見は、21世紀になっても未だに残っている。
Ωであり、様々な差別や偏見に苦しんで来た海斗は、社会に未だ蔓延る、“α至上主義”思考にモヤモヤしてしまう。
「ママ、どうしたの怖い顔して?誰かに何か言われた?」
「ううん、何でもないよ。」
「ママ、誰かに言われたら、俺がそいつをぶっとばしてやるから。」
「ありがとう、ジェフリー。その気持ちだけで嬉しいよ。」
「ママ、今日は二人でハンバーグ作ろう!」
「うん!」
ジェフリーと手を繋いで、海斗は近所のスーパーへと買い物に行った。
「ママ、お菓子買ってもいい?」
「いいよ。」
ずっとこんな幸せが続くと思っていた。
だが―
「東郷さん、最近発情期が来たのはいつですか?」
「10年位前ですかね・・」
「発情期を迎えないΩは、病気に罹りやすくなるんですよ。」
「そんな・・」
「現代の医学は進歩していますから、大丈夫ですよ。」
「はい・・」
海斗は不安を抱えながらも、ジェフリーと暮らしていた。
ジェフリーは成長するにつれて、父親に少しずつ似て来ている。
外見だけではなく、性格も。
もしジェフリーが自分と瓜二つの顔をした息子と一緒に暮らしたら、どんな反応をするだろうか。
(やっぱり、驚くかなぁ。)
仕事が休みの日、海斗がそんな事を思いながら紅茶を飲んでいると、テーブルの上に置いてあったスマートフォンがけたたましく鳴った。
「はい、東郷です。」
『もしもし、こちら・・』
ジェフリーが頭髪検査を受けて、教師から指導を受けたのは何度目だろう。
『地毛証明書』を学校に提出したが、状況は変わらなかった。
「もうこれ以上・・」
「先生、俺は何度も言いましたよね?この子は、地毛だって。」
「しかしですね、学校側としては・・」
「もういいです。ジェフリー、行くよ。」
「母さん!?」
「もうこんな所には居られません。今までお世話になりました。」
海斗はジェフリーを連れて日本を離れ、イングランドに戻った。
イングランドでの暮らしも、楽ではなかった。
しかし、今まで暗い表情を浮かべていたジェフリーが、どんどん明るくなっていくのを見て、海斗は自分の選択が間違っていないと信じた。
ずっと、ジェフリーと一緒に居られると―彼がやがて自分の元から巣立つその日まで居られると、海斗は思っていた。
しかし、運命は残酷だった。
突然職場で喀血して倒れた海斗は、病院に搬送され、医師から難治性の肺結核だと告げられた。
「通常ならば、抗生物質で治療する事が出来ますが、東郷さんの場合は、生体肺移植しか助かる道はありません。」
「そんな・・」
「長くても半年、短くても三ヶ月もてば・・」
海斗は自分に残された時間を、自分の為に使う事にした。
(ジェフリー、あなたにもう一度会いたかったよ。)
書きなれない16世紀の文字で海斗が最愛の人に宛てた手紙を書いていると、病室のドアが誰かにノックされた。
「どうぞ。」
看護師が入って来たのかと思った海斗だったが、病室に入って来たのは、漆黒のスーツを着こなした黒髪翠眼の美青年だった。
「ヴィンセント・・どうしてここに?」
「カイト、やっと会えた。」
美青年―ヴィンセントことビセンテ=デ=サンティリャーナは、そう言うと海斗を抱き締めた。
「止めて、俺は・・」
「お前の病気の事は知っている。カイト、私と一緒にアメリカへ来てくれ。」
「嫌だ。」
「何故だ?アメリカに行けば、お前は死ぬ事はないんだ!」
「俺はこのまま、イングランドで死んだっていい!俺の心は、死んだのも同然なんだから!」
「そうか・・お前の心は、もうロックフォードのものなのだな。」
ビセンテは、そう言うと涙を堪えた。
「お願いだから帰って、ヴィンセント。」
ビセンテは、海斗の病室から出た時、一人の少年とぶつかった。
「済まない、怪我は無いか?」
「はい・・あの、俺の顔に何かついていますか?」
「いや・・」
その少年は、かつて剣を交えたあの憎いイングランドの海賊、海斗の想い人であるジェフリー=ロックフォードと瓜二つの顔をしていた。
(カイト、私がお前を救う事は出来ない・・だがせめて、お前の魂が迷う事無くロックフォードの元へ行けるよう、神に祈ろう。)
ビセンテは少年に背を向け、静かに歩き出した。
その日以来、彼は二度と海斗に会いに行かなかった。
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