今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2010.01.27
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啄木のこと(一)

頬(ほ)につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人をわすれず

石川啄木

 わたしは、啄木が好きでなかった。小学生の時学校で連れられて

行って見た啄木の映画は、ただ暗い記憶しか残らなかった...。中

学となって、短歌を、啄木を口にする同級生がなくはなかったが、彼

らは自分とは世界を異にしている人種のように思えた。

そのようなことで、いまだに啄木の歌集は持っておらず、四十過ぎか

ら短歌を始めた自分にとっていまさら啄木もないだろうと深く接触せ

ずに今日に至ってしまった。しかし、蟹の歌を作ったことによって、

俄然啄木が先輩としてわたしの前に立ち現れた。

「蟹とたはむる」。蟹は、身を硬い殻でおおい、そして大きな鋏を誇示

する。われわれから見れば滑稽にさえ思えるその仕草に自分を重ね

たとき、いままで見えなかったものが、蟹をとおして見えてきた思いが

した。「身を硬い殻でおおっている蟹と、何らかの挫折を味わった青

年が戯れる。その孤独感のようなものが、ひしひしと感じられるのだ。

決定的だったのは「一握の砂」だった。啄木は、あるいは、いや多分

一握千金の志を持って東京に来たのであろう。しかし、思いに反し

て、挫折を味わったのだ。ぎりぎりの生活苦から得たもの、悟りに近

い心境(とわたしは思うのだが…)。生活苦で得たものは、一握りの、

何の価値も無い砂ではなかったのか。そんな、一握りの砂に価値観

を持った…。

恥も外聞も無く、頬に伝わる涙もぬぐおうともせず…、わたしの持てる

すべてと言っているように、わたしのこれがすべてと言っているよう

に、わたしの短歌はこれだと言っているように、わたしの人生はこ

れだと言っているように…。金ではなく、とるに足らない一握りの砂に

価値観を見出した。そして歌にした。「一握の砂をしめしし人を忘れ

ず」と。

啄木の、あの若さでそこまでたどり着いた心境に、わたしは脱帽せざ

るをえません。この一握りの砂を示している人こそ啄木自身とわたし

は思う。これこそ啄木が挫折の後にたどりついた短歌観であり、人生

観であると思う。

啄木はこれで永久(とわ)の眠りにつく準備ができたのであろうか…。

参考:石川啄木歌集









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最終更新日  2010.01.27 20:24:20
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