今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

今日の気持ちを短歌におよび短歌鑑賞

2010.01.31
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短歌鑑賞

斎藤茂吉

くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは慎(つつま)しきかなわれのこころの


前日、北原白秋の下記の歌の鑑賞をしました。やはり赤鉛筆(色鉛筆)が出てきます。その比

較において上記の歌をあげました。

草わかば色鉛筆の赤き粉(こ)のちるがいとしく寝(ね)て削るなり

まず、斎藤茂吉がアララギ派の若手のホープで、北原白秋が明星派の若手のホープであった時

代の、ほぼ同時代の作品のようです。

茂吉は「たまゆら(一瞬)」「慎ましき」「われのこころ」といった言葉を使っています。

それに対し、白秋は「わかば」「色」「寝て」ということばを使っています。

わたしは、この言葉使いでまず二人の違いを思うのです。


さて、茂吉の歌です。歌の意味はそのままだと思うのです。つまり、「赤鉛筆をナイフである

いは小刀で切っていると(削っていると)一瞬わたしのこころがつつましくなったことだ」。

言葉の順序からすると、「…たまゆらはわれのこころの慎ましきかな」です。「こころの」の

「の」は、もちろん「が」の意味です。倒置法です。


この「慎ましい」という言葉の解釈が難しいと思います。文字通り「つつましやか」な感じと

するか、「気恥ずかしいさ」と解釈するかでかなり変わってくると思いますが。どちらにして

も、赤鉛筆を削っているとそういうおもい、「つつましい」おもいがこころを一瞬よぎった。

そこを逃さず切り取っているのです。


ほぼ、100年前の作品であること、鉛筆がめずらしいということはあったのだと思います。

それも赤鉛筆です。そして削ると赤い芯が出てくるのですが、それを尖らしてゆくわけです。

そして赤い粉が生れてきます。その行為をしているとき茂吉はなにかを感じたのでしょう。そ

れは何かは正確には分かりませんが、たとえば赤鉛筆に人間をイメージすることも可能ではな

いでしょうか。身を切れば赤い血が出てきます。なんかそんなことを一瞬思ったのではないで

しょうか。茂吉自身文字通り身を切るような生き方、努力をして医学を学んでいるかも知れな

いのです。あるいはもっと「気はずかしい」空想だったかもしれません…。茂吉はその一瞬に

心に浮かんだものを歌にしています。


 それに対して白秋のほうは、心というより感覚、感じを歌っているのだと思うのです。

参考:斎藤茂吉








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最終更新日  2010.01.31 11:55:21
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