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その言動からうかがい知る不勉強さ、言葉の軽さで野党時代から社民党には辟易していた。神戸地震の時、旧社会党・村山富一は、個人的な好き嫌いから自衛隊の救出派遣をためらった。挙句の果て、自衛隊の存在を認めた。秘書給与を詐欺したT議員は、旧いヤクザのように当時の党首を守り、党首は頬かむりをして政界を去った。社民党は今では、捨民党、斜民党と揶揄される。普天間問題・・・、沖縄を守るため、閣議決定の署名拒否。一部マスコミ報道では‘参院選対策だ‘とも皮肉られているが、この、意志の固さは尊敬する。しかし、視野が狭すぎる。民主党にも、外交・防衛、世界の現実を把握している議員はいると思う。悲しむべきは、その独裁体質。言うべきことも言えないのではないか!?社民党以上に、「この人、しゃべる言葉の意味・影響力が判っているのかしら?」という、問題児の存在。ニュースでは(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100530-00000008-maip-pol)抜粋:「同党の又市征治副党首は同日午前、党本部で記者団に、鳩山由紀夫首相が連立維持を求めていることについて「社民党を切りながら連立をそのままやりましょうというのは支離滅裂としか言いようがない。首相は退陣し、閣議決定に至る過程を反省しないといけない」と首相に退陣を求めた。」目くそ、鼻くそをけなす。O幹事長の下、与野党全ての議員が、いまや選挙対策に嵌まっているように感じる。庶民の私は日本の政治の方向が見えない。
2010.05.30
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川崎・東扇島公園は潮干狩りを解禁したら、すでに枯渇してしまったようだ。海の公園や野島公園はその点、稚貝を撒くわけでもなく、毎年アサリが獲れる。2cm以下の小さなアサリは獲らないよう、持続可能な海を目指していただきたいものである。さて、仕事先のAさんは順調に恢復し、週に2日ほど出社してくれている。足を引きずることもないので、過日潮干狩りに誘った。(昨年は「海の公園」に、奥さんと訪ねてくれて、一緒に楽しんだ。)予定日の今日、4時ごろ目が覚め、天気予報を見たら9時まで雨マーク。しかし、降ってこない。6時に見たら、先ほどまで曇りの予報が、9時から12時まで雨になっている。予報はどうしても雨を降らせたいらしい。少し寒いくらいだし、Aさん宅に中止の電話を入れたら、今準備中だし決行したいという。雨合羽を忘れないよう伝えて、ジュンを乗せて出かけた。この天気では人出も少なく、むしろ潮干狩りには正解かもしれない。・ ・・ との考えは甘かった。8時頃すでに、室の木の臨時駐車場は、道路に車が並んでいた。戸塚区在のAさんには、電車で来ていただき、帰りを送る約束。恢復したとはいえ整体治療は続けているので、できるだけ近い駐車場にしたかったのだが。念のために、より近い夕照橋側の駐車場まで向かったら、運よく空いていた。約束の時間まで、まだ1時間ほどある。ジュンと公園内を散歩。Aさんは30分ほど早く到着した。やる気満々。 1ヶ月ほど前に比べれば、粒が小さく数が少ない。中国人の女性グループ3人が喧しく話をしながら、大量に獲っている。隣りの横須賀側から来たという女性が、苛立ちながら「何故、彼女らは獲るのがうまいのかしら?」と、話しかけてきた。「生活力の差では?」余計な返事をしなければよかった。今度は彼女がぺらぺらと話しかけてくる。籠に3杯ほど獲れたので終了。 野島公園は久しぶりだというので、昨年復元された博文邸を案内した。 Aさんは帰りに戸塚区役所に立ち寄ってほしいという。「どうだん躑躅」がもらえるらしい。私は戸塚区での運転は苦手である。道がせまい。人が多い。それでも区役所は、迷路のようなAさん宅周辺よりはまし。カーナビがなければAさん宅から帰るのは一苦労しているだろう。否、あるからこそ道を覚えなくなってしまった。養生工事中のAさん宅は車は停められず、道幅もせまいのでアサリを全て渡し、早々に引き上げた。少し自分の分も確保しておけばよかった。酒の肴がない。帰宅後、乾きもので一杯飲む。
2010.05.29
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昨年に植えた、柑橘類の苗の周りは、成長の早い雑草に覆われていた。多分、6-7月ごろには、やる気のない業者が、沿道沿いの雑草刈りに入り、この苗ごと刈り取ってしまうかもしれない。真冬のジュンとの散歩時、私が植えたことを知っていた近在のおばさんは、「枯れちゃったね」、と声をかけてくれたが、「まだ、生きている!」。年初に仕事(生活費)を得て、草刈りをするゆとりは無くなった。好奇心で育てた柑橘類の苗では足りず、パンジーを30鉢ほど購入し、その先に植えていたたが、これはどなたか有志の方が、雑草を刈り取ってくれていた。今日は、晴れ。明日は雨の予報。明日は障害児との、ボランティアの予定も入っている。体調は思わしくなかったが、朝寝して出かけた。勝手知ったジュンは、作業が終わるのを待っている。前に会ったことがある人が、アサリ取りらしくキャリーに道具を持ちやってきた。 ジュンが、遊ぼう!と近づいていく。「犬は大丈夫だから、・・」と、リードに?ごうとする私に、気を使ってくれたが、その後の話が長い、くしつこい。『早く、アサリ獲りに行ったら』とも言えず、私は黙々と雑草取りを再開。それでも、行かない。むげにもできない。私は草刈りを続ける。手伝ってくれるわけでもなく、実の無い話を縁縁続け、作業している間にも、しゃべり続けている。無駄話から解放されて、30分ほどで草刈りは終了。暑い日だった。 平潟湾沿いで帰り、途中の公園の水道で手足・顔を洗おうとしたら、ジュンが先を行く。 うまそうにゴクゴク水を飲む。私も・・・ 汗をかいた後の水は、ビールよりうまい。帰宅したら、ボランティア・グループからの活動案内が届いていた。予定表が埋まることに、なぜか豊かさを感じる。明日は、ヒトシくん以下5名とボランティアさんたちと、リネツでプール。ようやくなつきはじめてくれた、H君、Y君、A君。物言わぬ花卉・植樹とともに、豊かにしてくれる存在。【金】はなけれども、なんか幸せ。
2010.05.22
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昨日は弱雨で、ジュンとは帰宅後、買い物がてら一緒にドライブ。今日は帰宅時には、雨は上がっていた。ポストには宅配便の不在票。駿河銀行からの贈り物。電話したら10分くらいで届けるという。受け取って番号を見たら、当たりそうもないナンバー。ジュンは散歩!散歩!と飛び跳ねる。出かけるか、と、頭に描いた途端、ジュンは玄関にすっ飛んでいく。昨日歩けなかった分、散歩の足が速い。雪見橋でジュンのリードを外す。侍従川沿いに植えた開花直前の球根の一部が、花泥棒に盗まれていた。(全部でなくてよかったが、花が好きなら周りの雑草も除去してくれ!)平潟湾に着いたころ、また弱雨が。たいしたことはないだろうと、歩を進める。八景駅前の果物屋さんに着く頃、雨が少し強くなってきた。果物屋さんにはジュンの挨拶もそこそこにして、構内で合羽を着せようと思っていたら、大粒の雨になってきた。「ビニール袋をあげるから」と親切に言われたが、軒先を借りてジュンに合羽を着せた。「ジュンちゃん、かっこいい」と、いわれている間にも、雨がますます強くなる。私にもビニール傘を「返さなくてもいいから」と、貸してくれた。助かった。帰宅後、ジュンを拭き、風呂の湯をはる。食事の前にジュンと入浴。ジュンが幼い頃からの思い出は、雨男のオトーサンとのヌレネズミ。<撮り貯めの写真から。脚を上げてマーキングするので、よく雄と間違われる。>
2010.05.20
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政府を個人として捉え、対等な存在と考えれば、今回の宮崎県での不幸な【口蹄疫】への対応は、反省することが多い。さるブログで、原口総務相が報道規制をかけたとの批判文で、ん?と注意を喚起させられたのが【口蹄疫報道】への関心の始まりだった。口蹄疫は狂牛病よりはましだろう位の認識しか持ち合わせていなかった。しかし、11万頭にのぼる家畜が処分されるとの報道やら、東国原知事の【非常事態宣言】、そして苛立ち・寝不足でのマスコミへの八つ当たり報道から何もできない自分だが、せめて【口蹄疫】の知識をむさぼる。以下、ウィキペディアから抜粋口蹄疫(こうていえき、学名 Aphtae epizooticae、英語: foot-and-mouth disease、通称FMD)は、家畜の伝染病のひとつ。偶蹄目(豚、牛、水牛、山羊、羊、鹿、猪、カモシカなど)やハリネズミ、ゾウなどが感染するウイルス性の急性伝染病。日本では家畜伝染病予防法において家畜伝染病に指定されており、対象動物は牛、水牛、鹿、羊、山羊、豚、猪。旧国際獣疫事務局 (OIE) リストA疾病(2005年5月にOIEのリスト区分は廃止された)。この病気は伝播力の高さ、罹患した動物の生産性の低下、幼獣時の高い致死率という特徴を持つ。罹患した家畜は他の家畜への感染拡大を防ぐために、先進国では発見され次第殺処分される。また他地域の家畜への伝播を防ぐため、地域・国単位で家畜の移動制限がかけられることから、広い範囲で畜産物の輸出ができなくなってしまう。これらによる経済的被害が甚大なものとなるため、畜産関係者から恐れられている病気である。極楽トンボ内閣は、ようやく対策本部を立ち上げたようだが、防衛・外交・経済・・政府としての体をなしていない。情報収集能力、勉強・研究をする時間が欠けているのだろう。決断力に欠け、言葉を遊んで先送りする。これを頭が悪いという。家畜を薬殺せざるを得ない現場担当者が、「ごめんね」と注射しているとの、報道もあった。 この「ごめんね」が、私の釣行時、釣魚を〆るときに口走る、後ろめたさの心理をこめた言葉と共通であることを感じた。口蹄疫はつらい不必要であった仕事のみが増えた。今回の不手際で、畜産という仕事は減るかもしれない。危機管理、危機予測を怠れば数倍のしっぺ返しをくらう。個人でも運転時の前後、左右への注意、交差点では青でも徐行・・、電車乗車中での腕の位置(痴漢に間違われないように・・)、火の始末、健康管理・・・日常生活の中でも多くの危険予防を習慣的におこなっている。危険なことは個人でも国家でも様々あり、先達からの知恵・歴史から対策を学んでいる。いまのミンシュトウ政権は机上の夢を追うばかりに、現実・現場から疎いのではないか!危険な内閣に思えてしょうがない。
2010.05.18
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一月ぐらい前から、ジュンとの散歩途上、【侍従川清掃】を呼びかけるポスターをよく見かけるようになった。侍従川は比較的、海に近いせいもあり、潮の干満がよくわかる。支流がいくつあるのか知らないが、私もマンションもぐるりとこの支流に囲まれている。白鷺やカルガモをよく見かけるし、鵜やカモメまで飛来してくる。残念ながら、カワセミや蛍はまだ見たことがない。が、つくづくいい所に居を得たものだと感謝している。残念ながら、この活動は別のボランティアと日程がバッティングするため、参加ができない。さて、平潟湾に流れ出る侍従川本流。この沿道はジュンとの散歩のレギュラーコース。昨10月頃に、枯れた植樹の後に、みかんの苗やシラン、パンジー、名前が分からない球根(散歩途上でいただいたものが、増えすぎ移植した。地中海原産と伺ったが・・)などを植えつけた。雑草に覆われ、花が隠れてしまっていたが、どなたか有志の方が、除去してくれていた。 みかんの木は、食べた柑橘類の種をおもしろ半分に植えていたら芽が出て、2年ほどベランダで大きくしていたが場所がせまいのでこれ幸いと、捨てずに植えにいったもの。枯れてしまったか!?と、思いきや、頑張って新芽が芽吹いている。緑がみずみずしい。植えた直後には、アゲハチョウが卵を植え付け、鳩の糞に似た幼虫に葉を荒らされたが、青虫に成長した頃には姿を消した。鳥の餌になってしまったのだろう。 ただ、花が咲いているわけでもないので、地味で、この周りの雑草は刈り取られていない。私がやるしかない。仕事がなければ、平潟湾までの刈り取りを再開するのだが、今年も7月ごろには業者が入って刈り取るだろう・・と、甘える。 今日は、GWに続き中潮(昨日まで大潮)。8時ごろには、野島の臨時駐車場も満車だった。<平潟湾で潮干狩り、尻をつけて獲っている方も>穴場?の金沢漁港内の駐車場も満車状態だった。部屋の掃除、衣類の入れ替えをしたかったので、ここから、16号に抜けて早々に帰宅。昨夜は、しまう冬用のズボン・シャツにアイロンがけやら、捨てるものの仕分けをしていて、就寝は4時ごろ。これを書きかけた17時ごろには、メインボランティア・グループの会長・NMさんから電話。来月6日の都合を尋ねられた。Kケアセンターの催し物の手伝い。ジュンは留守番かな?
2010.05.16
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<金沢区・福浦岸壁にて、ボランティアの帰途に散歩>2年前に花茎が切り取られ、安値で店頭に並んでいた胡蝶蘭。植木鉢だけでもこの値段以上すると買い求めたが、5本の花が開いた。 洋ランの楽なところは、水遣りを忘れても枯れないところ。むしろ、思い出した頃に与えたほうがいいみたいである。霧吹きをかければよかったのだろうが、手入れ不良でいくつかの蕾は黄色く枯れてしまった。あきらめていた、ミニカトレア。これも、同じ頃スーパーレジ横においてあったものを、衝動買いしたものである。こちらも花が開いた。 仕事を得て、現役の頃に比べれば楽もいいところだが、少しだけ不自由。釣りも、ボランティアも・・・ 欠かせないジュンとの散歩も変わらない。部屋の掃除と、バルコニーの花の手入れがおろそかになってしまっている。ジャングル状態。今日こそは・・・と、思いつつ・・・今日は車の1年点検で持ち込まなければならない。明日こそは・・・
2010.05.15
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でたらめさ、いいかげんさで両者は東アジアの両横綱であろう。左翼。その言葉の軽さ。口先から出る言葉と、行動・実行力がチグハグ。言葉が表す本当の現実が、身についていないのだろう。そんな人物を国家の頭に抱いていても、庶民は生活できる。平和のお陰である。普天間基地移転問題は、私でさえ沖縄の方々には申し訳なく、しかし、日本のみならず東アジア・南アジアの安全保障のバランスを考えれば、【地政学的】に県外・国外は考えられない。中国・人民解放軍の艦船の海洋進出が著しい。すでにフィリピンの領土に侵攻、基地を構築している。左がかった日本のマスコミは、あまりこのことを報じない。アホな外務大臣は核密約の存在を暴いて、悦にいっている?昨年の政権交代のとき、私は【外交・防衛】が心配だ、と書いた。【外交・防衛】での信頼・信用を損ねれば、経済活動にも大きな影響が及ぶ。選挙屋・小沢の民主党は、頭の中だけで描いた国つくり=国家解体を進める。鳩山は、「日本は日本だけのものではない」と言っていた。外国人参政権とあわせて考えれば、新しい近代国家の形態を描いているのだろうが、東アジア共同体構想を見ても、あまりに抽象的で、早い話が【夢見る乙女】である。この先3年、ミンシュトウ政権下で、中国さまのポチに成り果てるのだろうか?この夏の参院選は、あきらめムードただようヤケクソ選挙になるだろう。【左翼】:現実を見る目を持たず、不勉強で且つ空想で甘い夢を見、目覚めた時、わけのわからない言い訳をする卑怯者。、* 鳩山総理に対するケチョンケチョン意見は、数多くの記事・ブログで拝見しているので、アップする気はなかったが、彼への鬱積で体調を崩しかねないので、アップすることにした。
2010.05.09
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<久里浜 はなの国から東京湾フェリーをのぞむ>GW4日の南房・松栄丸での、イサキ釣りリベンジは返り討ちにあった。留守番をさせたジュンには、お詫びで今日の遠征散歩。久里浜駅から夫婦橋の船宿、山下丸・みのすけ丸・山天丸横を平作川沿いに、開国橋方面に向かう。 砂浜の人出は少なかった。 好天で少し暑い。 ペリー公園を横に見て、はなの国に向かう。 今日は裏口から入る。 毛虫発見。 昔の今頃は一杯湧いていたものだが、今では珍しいくらいに少ない。汽笛の擬音を立てながら、車で曳かれた列車が下りてきた。 この音を聞いて、プリウスのエンジン音が静か過ぎるので安全のため音をつけようとしていることを、思いおこした。マナー違反だが、ジュンが「もー、いいんじゃない?」と、しきりに私の顔を覗くので、再びリードを外す。 早く行こうと、振り返ってあおる。 千葉での釣行帰りにフェリーから見える、でっかい看板。 ちょっと、休憩してタバコを一服していたら、ジュンが必死で逃げてきた。猫に追いかけられていた。 その猫さま。 登りきった先には遊園地。ゴジラが巨大ハンバーグを食べようとしているの図。(ハンバーグの中から子供たちの奇声が聞こえる。) 上から見下ろす花園に、ポピーは期待していたほどは見当たらない。 階段下には好きな空色の花の絨毯。 ネモフィラだと思う。 ポピーの花びらは女性の衣類を連想させる。 ポピーの摘み取り解放日は6月6日の午後。 珍しそうなポピーだけ、写真で摘み取る。 正面入口に近づいてきたら、なんかクネクネダンスを披露している。後ろから写真を失礼。 昨秋も野島海岸で、フラ&ベリーダンスを開催していたが、全国的に流行っているのかしら? 私が若ければ、むらむらと〇〇心で最後まで見届けただろうが、いまでは、あんなに腰を振ってぎっくり腰にならなければ良いがと、老婆心ならぬ、老爺心が沸き起こる。はなの国を出ると、久里浜天神社。 お昼過ぎに、また電車で帰る。追浜駅で下り、途中の焼き鳥屋さんで10本買い水割りで昼食代わり。次回の遠征散歩は、日の出町から弘明寺までの桜並木の毛虫見学にでも行こうか?
2010.05.08
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< 平潟湾 野島と夕照橋 2010.5.1>私はカサゴ釣りがしたかった。Nさん(即ち私の雇用主)から、銘々好きな釣りをしようということで、彼のプレジャーボートで相模湾に出ることにした。参加者は5名。ヒラメ狙いのメンバーもいて、エサはイワシが、カサゴ狙いにも良かろうと、5時にNさんと南部市場に出かけたが、時期はずれかイワシは数箱をみかけたが、「高いよ!」と、売ってくれなかった。あきらめて自宅に帰る帰途、富岡の「エサの立野」に寄り、冷凍キビナゴと青イソメを購入。NIさんの送迎で、逗子の渚マリーナに8時に出発。Nさんは冷凍剥き身アサリも2パック用意していてくれた。 船中では、好釣を願い、まず一杯のTMさん。 カワハギは易しい釣りだと思っている(いた?)NIさん。好調にカワハギを揚げる。形は良い。 結局、私もカワハギに変更。TMさんもキビナゴで、ヒラメを狙っていたがカワハギに変更。 終盤、江ノ島沖に向かい、まづまづの釣果を得た。(穴場かも?)時間の経つのが早かった。3時過ぎに沖あがり。カサゴとカワハギを頂き、帰宅。(カワハギ仕掛け・アサリエサでカサゴも2匹釣れた。)帰宅を待ち構えていたジュンと平潟湾へ散歩。夕日がきれいな1日だった。3日は深夜発。松栄丸でイサキ。ジュンにはゴメン。
2010.05.01
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今日は大潮。潮干狩りには絶好の日。 干潮時間は11:20頃。8時半頃出かけるつもりだったが、1時間早めて家を出る。ギョ!・・・・ 「室の木地区」の臨時駐車場はすでに満車。空き待ちの車が列をなしている。平潟湾はまだ潮が引いていないのに。野島公園に到着したら、潮が引く前からジョレンでガシャガシャアサリを獲っている。(冒頭写真)私は潮が引き始めてきている縁からアサリを獲り始めた。今日の干潮位は、-9cm。 潮が引くのは早い。 いつもジュンを可愛がってくれる、八景の果物屋さんの分まで獲り、90分ほどで陸に上がった。 陸でリードに繋がれていたジュンは、ようやく散歩再開!と、興奮して吠え立てる。 リードを外したら、落ち着きを取り戻した。 公園事務所側を回って帰ることにした。また、ギョ!こんなに大勢の人が潮干狩りを楽しみに来ていたとは・・ 途中、見回りに来た公園事務所長のSさんとすれ違い、しばし立ち話。 砂浜側は火気厳禁だが注意をすると、「じゃ、どこでやったらいいんだ!」と、逆切れされることが多いという。マナーを守れないバカタレの屁理屈への効果的な対応策はないものか。この話で違法駐輪をするクソが、「じゃ、どこに停めたらいいんだ!」と、甘ったれたトンチンカンなことを、ホザクことを思いおこした。タバコやファーストフードのゴミのポイ捨て。愛犬の脱糞の放置・・・快適な生活環境は少しのマナー遵守で得られるのに。一部のクソ人間のために台無しにされる。 次はいつ来よう?
2010.04.29
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今日は午後から男性ボランティアグループ“助さん”の総会。連日の雨で、昨夜はジュンとドライブ。今日こそ散歩に。 侍従川沿いに野島に向かう。昼ごろには帰りたい。野島公園で休憩をとったら、ジュンは土に体をこすりつける。 それを猫が覗いていた。なにしてんの?・・・てか? 争うわけでなく、じゃれつくわけでもなく、さようなら。 天気はよいが、ジュンは留守番。お昼過ぎから、ボランティアグループの総会に出かけた。前年度の活動・会計報告。今年度の活動予定と予算案。新規入会者の紹介。(私を含めて6名)メンバーは26名になったとのこと。新規活動として、「住宅用火災報知器設置講習会」を消防署員に、指導していただこうという案で、【いちゃもん】がついた。取り付けについては消防署員なんかより、建築屋のアドバイスが大事だと。設置は大事だが、何より防火・防災の基本知識が前提だと思うが、新米ゆえ口は出さずにいた。*この1ヶ月火事が多い。金沢八景駅裏の2軒ある、趣深いかやぶき屋根の家が火災で1件消失した。散歩コースの公園脇の家も全焼した。ニュースでは車火災が連続して発生、幼い子が焼死している。この案は役員間で事前に、色々考察されていたらしい。事務局長の説明で、この案は通過。次に運営委員から、運営委員の増員の提案動議。立候補者を募ったが、私は休日以外は活動困難なため、挙手をためらった。会長から指名で3名が決まった。解散後、会長から仕事の状況を尋ねられ、申し訳なく休日の積極的参加を申し出た。プールでの介助ボランティアで一緒になるMさんは、クレーマーのNYさんを暗に批判していた。(文句ばかり言って、役員には立候補もしない!)Mさんにいわれて、中学~高校時代の生徒会活動を思い起こし、いつも似たクレーマーが、いたことを思い出した。彼らも私も団塊世代である。私はいつも、彼らの後を追いかけていた。いまも追いかけているようである。一番の若手!だそうだ。日常では初老である。まだまだ、私は小僧か!帰宅してから、またジュンと散歩。朝とは違う大道方面へ行こうとしたが、ジュンは横須賀方面へ行きたがる。そうだ! 途中で焼き鳥を買って帰ろう。で、ロングコースをショートコースに切り替え60分の散歩。休日故か、お客が店の前で並んでいる。ま、いいか。ショートコースである。前のお客がいなくなっった頃、お店のおねーさんが出てきて、ジュンを抱く。チャンスだったので、了解を頂き写真を撮らせていただく。個人情報保護が煩いが、ま、勘弁していただこう。顔を消すのは忍びない。 別のボランティア“ポパイ”は、明日午前開催だが、背中がなぜか赤く腫れたので、欠席通知をメールしていた。一緒に活動しているMさんから総会時に、障害者参加6名、ボランティア3名と伺い、急遽参加する旨の連絡をした。明日は、午前中ジュンは留守番。午後から、釜利谷緑道を散歩しよう。帰途、八景駅前のオバサンに抱かれた写真も取らせていただこう。
2010.04.24
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どのようなことでも、実際に経験してみないと物事や人の所為を「理解する」ということは、困難である。明るくさせてくれる「経験」なら、多くの人はそのままハマってしまうだろう。しかし、限られた時間の中で「経験」を積むことはおのずと制約される。怪我、病気、・・・ そして「加齢」による体力減退。歳をとれば、自分の実体験の量に比例して、数多くの人を理解したり、「ああ、あのときのお年寄りは、こんな状況だったのかしら?!」と、理解の幅は広がるものだと思っていた。多くの貴重な「経験」も、ボケとともに色あせてしまうのかしら。たぶんそうだろう。「ボケ封じ」という言葉をよく耳にするようになったのは、この10年。「指」を使えばボケない! ・・ で、男でも編み物をしたり、陶芸をしたり、キーボードをたたいたり。鮨屋のおやじさんは、「私はいつまでもボケないんですよ!」と言っていた。さて、この日曜の釣りの帰途、Mさんが車窓から指をさし、「妻にいわれて、あの医院で診察を受けた。」・・・「認知症テスト」のようである。テレビで認知症のテストシーンを幾度か見ているが。これはなんですか?と、いくつか絵を見せられ、「馬鹿にしているのか」といらだたしさを感じながらも、返事をする。そして数分後、「さきほどの絵を思い出して、すべて言ってください。」と、云われ、困窮するのが高齢者。2つ、3つは言えるけど・・・「記憶力の低下」=「集中力または好奇心の低下」同じことを何度も聞かれると、「以前にも話したのに・・」と、いらつくことがある。その逆に、幾度も訊ねてしまうことがある。ただたんに、その場を取り繕うための、会話・コミュニケーションで実は気のない証拠である。「体力減退」を感じたら、ランニング、ウォーキングを楽しむようにして過ごす。「脳力減退」対策は、集中力だろうな、と、思う。若いころは、「ながら族」でも、なんとか成った。歳を感じたら、イイカゲンに聞いたり、ゾンザイな態度は慎んで、メリハリをつけた生活に努めれば、ちっとはウザッタがられることは、なくなるだろう。同じく釣りで同乗したSさん。「せっかく千葉まで来たのだから、タケノコを買っていこう。」、と、しつこい。恒例化した千葉遠征釣りでは、いつも「たけのこ」が、彼の口から飛び出す。「昨年と同じ【健人館】でラーメンを食べてから、隣の店で買えばよい」と、なんど返事したことやら。ジジー、ババーの欠点というか、特徴は「発信量」が多く、「受信容量」が、小さいことだと思う。加齢、否、華麗な高齢化社会を創るのは貴方、ではなく私。と、認識して見えない脳力低下を抑えていこう。
2010.04.20
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<千倉 民宿 小倉ボタンの部屋からの眺望>恒例の南房総での遠征イサキ釣り。前泊。先行組は到着日の午後船で、ヒラメ釣りを企画していたが、風が強く出船不可。民宿では豊漁を願って宴会。 4時頃、起床。5時前に千田港・かどや丸に。参加者13名。 第一投で、Nさんにイサキではなく、アジが・・・しかしこの後、真鯛を揚げた。 右舷には、よくくる。左舷は不調。 STさんが超良形(36cm)のイサキを揚げる。 負けじとMTさんが40cmを揚げる。 今回は数は揚がらなかったが、良形にめぐまれた。 陸に上がり、記念撮影。 船宿でゆでたまごを頂き、遊漁代を精算。 同乗3名を送り届け、その帰途、昨年カワハギ釣りでお世話になったIZさん宅におすそわけを届ける。数を揚げたかったが、まあまあか。 独り寝で留守番をさせたジュンは、玄関で珍しく鍵を差す前からワンワンなく。少し疲れ気味だったが、90分の散歩でご勘弁を願う。
2010.04.18
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ウェブから無断借用です。すみません。職探しをあきらめ、浪々として、ジュンとの長距離散歩やWEB上のニュース・文献・ブログ・・・、TVで放送される映画・ドキュメンタリーなどなどで時間を過ごしてきた。今日観た映画は「狩人と犬、最後の旅」。余談だがアメリカ映画は、「犬」が脇役でちょこちょこ登場することにこの3年間の映画鑑賞で気がついた。ただし、この映画はフランス・ドイツ・スイス・カナダ・イタリヤの合作。ハスキー犬達と狩人の、ロッキーでの厳しい生活を追った、淡々としたドキュメンタリー調の映画である。「観なければ良かった」と、感じたシーンが30分頃に・・・リーダー犬のナヌークが、町に買い物に出た狩人のお付きで、待たされているとき、道路に出た途端、交通事故に遭い亡くなる。そのシーンは、正月明けのジュンとの帰り道、放し飼いの柴犬が道路に飛び出て・・・今でもトラウマのようにヨミガエル。それでも、最後まで観た。狩人は自分に言い聞かせるように、「自然界のバランスをとるために狩りをする」という、欧米人の得手勝手な論理を、セリフに入れる。「生活に必要以上には獲らない」・・・・これは、偽善者には心地よく聞こえる矛盾した論理である。【生活】のためには、おのずと狩る量は増える。「つましい生活」を続けることは難しい。過日の「本マグロの国際取引禁止案」など、卑近なその例であろう。自然の中でつましく生活している狩人は別?・・・狩猟対象の全数を把握しているわけでもなく、「自然界のバランスをとっている」というのは、不遜な態度に思える。人は狩猟から農業・牧畜(再生産可能)へ、進歩してきたというが、漁業は、いま【狩猟】から【牧畜】へ差しかかった状態だと思う。さて、狩人は獲物を仕留めたときに、それに対して謝る。私も釣った魚を船中で〆る時、「ゴメン!」とナイフを刺す。映画では狩人はナスカピ族から、「謝るのではなく、感謝しろ」と教わる。私もこれからは感謝しよう。劇中では狩人は、犬達によく言葉を投げる。湖で氷が割れて水中に落ちたときも、言うことを聞かないリーダー犬・ヴォークに見切りをつけ、亡くなったナヌークの代わりに譲られたアパッシュを呼び、助けられる。私もジュンが仔犬のころから、通じなくて元々と、いろいろ言葉をかけてきた。けっこう通じるものである。ジュンがもっとも敏感に反応する「言葉」。それは、「サンポ」である。
2010.04.12
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こんなタイトルのテレビ-ロードムービーが、45年くらい前にあった。今日は午前中はプールでボランティア。帰宅してから、ジュンと山道を超えて釜利谷方面に散歩。 山中で、めずらしく猫ちゃんに遭遇。 今日はちと暑い。 桜花が散った散歩道をゆっくり楽しむ。 途中、釣りクラブの前会長Mさん宅を、通り過ぎようとしたら玄関前で不燃物の処理をしていた。「ま、コーヒーでも飲んでったら」と言われ、ジュンと一緒に上がり込む。M夫人は3月でボランティアのコーディネータを引退したとの事。1時間ほど、お邪魔して、釜利谷小川アメニティーを通って帰る。 ジュンは道草を食うわけでもないが、今日は足が遅い。 途中、出会った婦人からジュンの歳を聞かれ、9歳と答えたらうちの犬と同じ、「もう、おばーちゃんね」と言われ、ショックだった。いつか、私と同じ年になり、私の歳を追い越すだろう。ゆっくり歳を重ねてほしい。そろりと参ろう。
2010.04.11
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2週間くらい前から海の公園や野島で潮干狩りをする人を見るようになった。「矢も楯もたまらん!」というほどではないが、私も・・・今日の干潮時間は9時ごろ。 潮位80cmで潮干狩りにはあまり適した日ではなかったが、本日決行の予定でいた。 が、・・・寝坊!6時半ごろ出る予定だったのだが、眼が覚めたのは7時過ぎ。車で行こうかとも思ったが、アサリは少しでいい。長靴を履いて徒歩で出かけた。 ジュンは陸で待機。・・・ むくれている。が、公園に散歩に来る人には尻尾を振り、気をまぎらわしていたら、同族のパピヨンを連れた方がやってきた。 ジュンは相変わらず同族より「人」の方が好きなようで・・・私もしばらくご主人とパピヨン談義。 2-3日分は獲れたので陸にあがる。さ、帰ろう。 アサリ獲りの人出は、思ったより少なかった。 帰りかけたら、陽がさしてきた。ジュンは途中の公園で水飲み場に走り寄り、「お水!」と要求する。少し暑い。 侍従川沿いの桜は散りかけてきた。 帰宅してからベランダの植木鉢を点検。放っておいたままの1年越しの八重咲きペチュニアが、また咲き出していた。 11時ごろ、アサリの酒蒸しをつくり、マッピルマから梅割で飲みはじめる。 ジュンにもおすそ分け。(右手にアサリをつまんだ箸、左手でシャッターを押すのは難しい。押す前にパク。で、何回撮ったことやら。)よく食べる。ダイエットの道は遠い。来週は泊まりがけの遠征釣り。年に数回、ジュンに独り寝を強いる。ゴメン。今度はイサキの塩焼きを一緒に食べよう。
2010.04.10
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国民読書年今年は国民読書年だそうだ。知らなかった!日経ビジネスON LINEの『小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」~世間に転がる意味不明』で、はじめて知った。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081022/174784/→ テーマ 「iPadは、本棚なきコトバダイバーたちを生む」この記事を書いている小田嶋氏も、つい3日ほど前に知ったと書いている。「国民読書年」を知らしめるメディアの広告は?・・・「コトバダイブしよう」というCMがそうなんだそうである。社団法人 ACジャパン http://www.jimaku.com/company_cm/ac/ac910.html「最近の若者は読書をしなくなった。」という指摘は、私が若いころから言われていた。この指摘は誤認もはなはだしい。(と、思う)例によって「最近の若者は・・・」という、古代エジプト時代から年寄りに云われてきた類であろう。あるいは売れない文士の愚痴か。売れない小説家が「3冊買えば、枕にもなります。」という、陳腐な戯れごとが耳に響く。「読書」を紙の媒体による活動と定義すれば、読者は確かに減っていると思う。しかし、PCがいきわたり、高速通信インフラが携帯を普及させた今、紙媒体は極論すれば不要である。著作権の切れた小説など代表的なものは、『青空文庫』で無償でダウンロードできる。 青空文庫のHP: http://www.aozora.gr.jp/紙の本を読む感覚での[ビューアー]も、いろいろな種類がダウンロードできる。情報の電子化で戸惑っているのは出版・新聞・雑誌業界だろう。「国民読書年」は平成20年、国会決議されたとのことだが、「読書行為そのものの振興」が目的というより、業界を助けるため?と、穿った見方をするするのは私だけではないと思う。国会決議だの、各種イベントでの「後援」で名前を出す役所など言葉だけで、実が伴っていない。庶民は議員の決議だろうが、権威ある団体・役所の支援・支持(?)があろうが、ほとんど気に留めない。権威を取得した者が、その威光ある名前貸しを許可するだけで、「お代官様、ありがとうごぜーやす」と、庶民が感謝するような時代ではない。成功したら権威者の手柄、失敗したら当事者の責任。「笛を吹く権威者」に対するシラケ風潮が、はなはだしい時代だと感じる。(本を読め!と云う者ほど実は読んでいないのでは? 決議に賛成する者はその内容をどれほど理解しているのか?という疑心暗鬼が心を飛び交う。)ところで、この「国民読書年」を、「もの書き」をしている人々は、どれだけ知っているのだろう。「もの書き」を生業としている人以外にも、日々の生活の中で必要な業務日誌や日記は、多くの人がつけている。心に思ったこと、感動したこと、今日したことを記録する。日記は個人的な記録とは云うが、その書き手は他人が読むことを想定して綴ったりしている。ブロガの思惑は多種多様だろう。面と向かった会話でなくとも、遠く離れた顔も知らないブロガとコミュニケーションがとれるいい時代だと思う。(昔は1対1の文通くらいか。)さて、同じく日経ビジネスON LINEでこんな記事に遭遇した。『日本語は今や、ウェブ上で全世界でもっとも流通している言語だといわれるまでになった。しかも、読む人間より、書く人間の方が圧倒的に多いのだという。それほどまでに人々が文章を書いている一方で、相手に何かを伝えることの難しさは、むしろ増えているように思える。「誰もが発信者」、そんな史上初のシチュエーションを迎えた今、いったい私たちの「コミュニケーション」はどこに行くのだろう。広告の世界でクリエイティブディレクターとして活躍する岡康道氏と、コラムニストの小田嶋隆氏が、高校時代の同級生という縁から始まった「伝達」について、ゆるゆると語り尽くす…はずだったのだが? 』人生の諸問題 ~ウェブ時代のコミュニケーション作法(笑) から 岡 康道、小田嶋 隆、清野 由美 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090512/194399/音声でのコミュニケーションではなく、メールやらブログを通したコミュニケーションが華やかな時代だと思う。口頭で表わされた忘れてしまいがちな言葉も、メディアに残されていれば反芻してその表現に思考を深めたりもする。そして、その中から知識や感動を得る。こんな記事も見つけた。『43年前に指摘された「コンピュータ病」』いまだ完治せず、重要な情報はITでは得られないhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100329/213711/?P=1&ST=spc_bi疑問に思ったこと、調べたいことはあらかたWEB上で解決できる。「重要な情報」は、多くの事実を検索し、さらに足で探さなければ見つからない。「重要な情報」を咀嚼し、自己の頭で統合し新たな考えがまとまり、言葉で綴り、さらに考察する。【国民読書年】は、そんなきっかけを創る年だと理解しよう。
2010.04.06
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カサゴ釣りに行きたかったが、昨日は気ぜわしく準備も覚束なかったので中止にした。で、今日はジュンとレギュラーコースを散歩。少し寒い日だった。野島公園から少し離れた、室の木臨時駐車場が開けられていたが、車はまばら。野島公園ではバーベキューやら潮干狩りを楽しむ人たちが出ていた。北側の方が砂地できれいだが、アサリは少ないと思う。 博文邸前でもそこそこの人出。私もそろそろ新鮮なアサリで一杯楽しめる季節になった。ジュンにとっては陸で待たされる厭な季節か?
2010.04.04
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京急線の南太田駅あたりから横浜駅に向かう途中の大岡川沿いの桜道を、いつかジュンと歩いてやろうと思っていた。上り線は人で混むだろうと、ジュンを電車に乗せるのは憚っていたが、本日決行。昨年、駅のポスターで「首を出すドッグ・キャリーでの乗車はご遠慮下さい」と注意書きもあったため、余計に気を使っていたのだが、キャリー・バッグを買い替え最寄り駅から乗り込んだ。ジュンは最初のうちは嫌がっていたが、各停電車で比較的空いていたため、座席に座り、膝にバッグを置きジュンをなだめていたら、そのうち頭を中に入れた。ところが、3方がメッシュのバッグで中が判るため、乗り込んできた乗客が最初は驚きの表情を示した。むしろ、顔を出していたほうが、さりげなくやり過ごしてくれるように思うのだが。あるいは犬好きの方は隣りに座ってきたり、前に立ってジュンを撫で回すのだが・・・なにはともあれ、日の出町駅で下車。時間は10時過ぎ。思ったほど人出は多くなかった。橋の上から両岸に咲き誇る桜を撮影している人々・・ さあ、下り南太田方面に出発。 私も橋の上から1枚。カヌーやプレジャーボートで、川面から花見を楽しんでいるグループも多かった。 歩道には露店が立ち並び、途中には「日の出湧水」なる歴史を残す水場があった。 今日はリードを外すわけにはいかない。ジュンは不満そうだが、人と車が多いので仕方ない。 途中、本当の「道草」喰い。 川沿いには材木屋さんが多い。木っ端を「ご自由にお持ち帰りください」と軒先においてあったが、使えそうなものはなかった。 電車から見える看板もあまり注意していなかったが、「読めない看板でごめんなさい」とチラシも置いてあった。左から、「たも」、「なら」、「かば」、「せん」、「かつら」、「ぶな」、「ほお」、「くす」、「すぎ」と読むのだそうな。私は半分しか分からなかった。ほおの木は知っているが、「朴」がその漢字だとは全く知らなかった。とことこ先を行き、休むところを探したら神社があった。 <吉田新田鎮守(日枝神社)の狛犬。>南太田に近づいてきたら公園があり、隣接地は「親水公園」として工事中。どんな公園ができるのやら。 ジュンも倦んできたか? おおあくび。 桜並木はまだまだ続く。南太田駅で帰ろうかと考えていたが、まだ時間もあるし弘明寺まで花見ウォークを続けることにした。 この先は弘明寺まで人出があふれ出し、ジュンを抱っこして歩いたので写真は撮れなかった。桜花が散った頃、また来よう。
2010.04.03
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映画を映画館では、観賞しなくなってから何年になるだろう。少し待てばTVで放映されるし、DVD/HDDレコーダで、より簡単に録画できるようになったので、自宅で寝っころがって観る。録り溜めしすぎてHDD容量がきびしくなってきた時は、番組情報を見て興味が薄れてきたものを消去して空ける。さて、「シンデレラマン」というタイトルは、あまりいただけないと思ったが、主演がたれ眼のラッセル・クロウとお多福顔のレニー・ゼルウィガーだったので留守録しておいた。両者とも好きな俳優である。 <いずれもWEBから無断拝借、すみません> 特にレニー・ゼルウィガーの「ブリジット・ジョーンズの日記」は面白かった。女性に人気の映画だったというが、私には3枚目的な役柄が大いに好感がもてた。彼女はてっきりイギリス人かと思っていたが「スイス人の父とノルウェー人の母の下に生れる」と、あった。大恐慌の時代背景と「ロッキー」のようなボクシングを通したストーリーだが、【どつきあい】のシーンは同じく圧巻。「君に読む物語」を観て以来、久しぶりにブログに書く気になった映画である。映画は録画してあると、数日かけて観る事が多くなったが、やはり神経を集中して一気に観賞しないと味が落ちてしまうようだ。撮りだめしたジュンの写真が枯渇してきた。明日また遠征散歩で・・・
2010.04.02
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仕事に就いてからはジュンとの遠距離散歩は休日しかできない。しかも、第二・三日曜はボランティア、第三は釣りクラブの例会。晴れた土曜日は貴重な1日である。今日は片吹の桜で花見、そして海の公園-野島公園へと戻るルートへ。途中、ジュンは金沢図書館前で、いつまでも雑草を食む。16号線をたどり、片吹交差点を西柴に入る。 昨年は桜のトンネルのようだったが、今年は全て若木に植え替えられていた。歩道・植え込みも再整備され、車道はアスファルトの張り替え工事中。ガッカリ・・・来週、逗子の桜山に出向いてみよう。 西柴を抜け、海の公園に向かう。途中、資材置き場の片隅にタンポポが咲いていた。*年中咲いているが、それでも春を感じる。 海の公園手前でちょっと休憩。 思ったより人出は少なく、海岸線を散歩する。 GWにはこの砂浜がアサリの数に負けないぐらい、人で埋まる。 ジュンは砂に染み付いた潮を嗅いでいるのか? 野島公園に入ってまた休憩。今日はちょっと疲れたか?花みずきも咲いている。 明日は、午前・午後と掛け持ちのボランティア。夕方からはどこに散歩に行こうか?
2010.03.27
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23日の産経新聞は「日韓歴史共同研究」の記事が私には目立った。日韓歴史共同研究、双方の溝いっそう鮮明にhttp://sankei.jp.msn.com/world/korea/091130/kor0911302100004-n1.htm【日韓歴史研究】「つくる会」を執拗に批判 自虐史観を評価http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100323/plc1003232315022-n1.htm【日韓歴史研究】「共同研究は不毛」 共通認識形成にはほど遠く (1/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100323/plc1003231938012-n1.htm【日韓歴史研究】第2期報告書「まず攻撃ありき」 (1/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100323/plc1003231932011-n2.htmちなみに読売、朝日ではと検索したが朝日はパスか?読売のみ淡々と報じていた。日韓、互いに教科書批判…歴史共同研究http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100323-OYT1T00991.htmそもそもの発端はマスコミ記者による日本の歴史教科書の記述に対して、中韓への【ご注進】から始まったとみている。【共同研究】は日韓だけでなく、日中でも行われ、先の1月下旬に公表された。(日中歴史共同研究報告書は外務省HPにあります)(以下、WEBで見つけた北岡教授の投稿記事、抜粋)日韓歴史研究プロジェクトの発足 - 北岡伸一 2002年7月20日 五月二十五日、 ソウルで第一回の日韓歴史共同研究委員会が開かれた。 この会議が開かれるまでの経緯は次の通りである。 昨年三月に検定を通過した中学校の歴史教科書について、 中国と韓国から強い批判が寄せられたことは、 われわれの記憶にも新しい。 その後、 小泉総理の靖国参拝問題をめぐって、 両国からの批判はさらに高まった。 十月、 こうした状況を改善するため、 小泉総理は両国を訪問した。 そして韓国との間では、 金大中大統領との会談 (十月十五日) において、 「正確な歴史事実と歴史認識に関する相互理解の促進が重要であり、 そのために専門家による協議の場を設けること」 で一致した。 そして今年の三月四日、両国政府は、 首脳会談の合意を踏まえ、 日韓関係史に関する共同研究会と、 この研究会その他の歴史関連事業を効果的に実施するための合同支援委員会を設置することで合意した。 そして、 共同研究の成果が周知されることにより、 正確な歴史的事実と歴史認識に関する相互理解が促進され、 両国の若者が未来志向的な友好協力関係を構築するための土壌を整備する、 とされた。 北岡教授は日中歴史共同研究 座長 日韓歴史研究委員長は鳥海 靖 東京大学名誉教授傍線部分はお花畑的表現で、参画した共同研究者はさぞ頭を痛めたことと思う。【正確な歴史的事実】を掘り起こし、抽出することは大切だが、【歴史認識に関する相互理解】については、【歴史的事実】が勝った・負けたという戦争行為なら相互理解などあきらめたほうが早い。日本の敗戦により朝鮮半島は独立したが、彼らは自ら独立を勝ち得たのではなく、運よく米ソの思惑で李承晩、金日成というナショナリストを送り込まれて反日姿勢を強めたと私は考えている。共同研究は「火に油を注いだ」結果になったように感じるが、素人の私はこの作業を否定的・悲観的には見ていない。かの半島民族、あるいは中華民族の現在の考え方が、ある程度分かるからである。(中韓についてはやはり現状の政治体制に縛られた姿勢を強く感じる。)NHKでもこの1年、 「日本と朝鮮半島2000年」と題してETV特集を放送した。(悪評ふんぷんだった【プロジェクトJAPAN】の一環である) 第1回 古代 人々は海峡を越えた 第2回 “任那日本府”の謎 第3回 仏教伝来 ~渡来人がもたらした飛鳥文化~ 第4回 そして“日本”がうまれた ~白村江の敗戦から律令国家へ~ 第5回 日本海の道 ~幻の王国・渤海(ぼっかい)との交流~ 第6回 蒙古襲来の衝撃 ~三別抄と鎌倉幕府~ 第7回 東シナ海の光と影 ~倭寇の実像を探る~ 第8回 豊臣秀吉の朝鮮侵略 第9回 朝鮮通信使 ~和解のために~ 第10回 「江華島条約 韓国併合への道」(仮) 第10回 “脱亜”への道 ~江華島事件から日清戦争へ~この番組中、韓国からのゲストは「日本海」をわざわざ「東海」と不必要な発言をし、私は不快感をおぼえた。(韓国が日本海を東海と改めさせようとしていることは有名)さて、第2期報告書は財団法人 日韓文化交流基金 日韓歴史共同研究委員会http://www.jkcf.or.jp/history/second/index.html で閲覧できる。o 全体会議篇 日本語(0.5MB) 韓国語(1.5MB) o 第1分科会(古代史) o 第2分科会(中近世史) o 第3分科会(近現代史) o 教科書小グループだが、内容は膨大である。近現代史のごく一部だけを読んだ。→ 「植民地の記憶と日本大衆文化の流入、そして韓日関係 李盛煥批評文(春木育美) 批評文へのコメント(李盛煥)」この中で「(交渉過程で)大多数の韓国人と同じように、李大統領は日本人によって踏みにじられた民族的な魂を鎮めるための『精神的な和解』を望んでいたのである。韓国の日本に対するアプローチが、精神的、道義的、包括的、かつ東洋的であったのに対し、日本のアプローチが法律的、実務的、断片的、かつ西欧的であった。韓国人が人間的な被害と侮辱について語ったのに対して、日本人はかれらが韓国人にもたらした物質的恩恵を説いた。李承晩時代には、これらの二つのアプローチの対立が海峡の両側で感情をかき乱したが、同じような状況は、程度の差こそあれ、その後の時期にも一般的であった。奇異に聞こえるかもしれないが、韓国人と日本人の間には、実際に文化的ギャップが存在していたのである。」全文を読み、咀嚼して自分の意見・見解を述べることが大切だが、私にはスタミナがない。李承晩と韓国人が『精神的な和解』を望んでいたというが、これは日本をひれ伏させ、優越感を得たときにはじめて和解に応じるということだろう。『精神的な和解』とは遠まわしな言い方である。弱者は往々にして強くなるための努力に目をつむり、過剰な自尊心で自己防衛・正当化する。一衣帯水の東アジア・・日本・中国・韓国だが、文化的ギャップがあるのは別に奇異ではない。同じ日本でも地域によって文化・習慣のずれはある。日中韓での文化的ギャップで悲しむべきは、日清戦争以降のつきあいの歴史を考察したとき、非難と自己美化の応酬合戦になってしまうことである。それでも、このような研究書を著すことは現在の互いの歴史のとらえ方、そしてその歴史を今の生き方・接し方にどのように役立てているかの相違を認識し、誤った認識を正すには重要なことだと思う。日本側の研究者の方々には、つきあいきれない相手研究者に辟易とされた様子が、ごく一部を読んだだけで分かる。ご苦労様でした。追:あちこち読み飛ばしていたら、「歴史」に対してこんなうまい表現があった。【正論】学習院大学教授・井上寿一 異質中国との歴史研究のリスクhttp://sankei.jp.msn.com/world/china/100312/chn1003120331000-n1.htmから、。「われわれはみな、過去のイメージを現在において作り出し…心地よく思うイメージに、過去を当てはめようとする」(ケネス・フィーダー『幻想の古代史』)からである。このことは日中韓の歴史に限らず、いずこの歴史も同じだと思う。気をつけなければならないのは、歴史と歴史小説・ドラマをごちゃ混ぜにして酔いしれることだろう。それにしても、「龍馬伝」、「坂之上の雲」・・・・歴史を素材にした小説・映画ドラマは面白い。
2010.03.26
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今に始まったことではないが・・・ジュンはダイエットが必要である。 メタボの人と同じように・・・毎年、秋から冬にかけて冬眠前のタヌキのように肥るのだが、ま、いいやと好きなだけおやつ・フードを与えてきた。昨晩は風呂に入れた。ドライヤで乾かしたら、その後ろ姿はメタボのオバサン。イカン!以前は私の腰の辺りまで難なくジャンプできたのに、今では膝辺りまでがやっと。おやつは1日1回。あとはごはんだけ。量をへらそ。しかし、就寝前のグリニーズは欠かせない。ジュンのダイエットは、意志の弱い私への試練である。私・・・? もちょっと肥りたい。
2010.03.23
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<横須賀 追浜 貝山・杏の里から>駅のポスターで京急ウォーク・Yフェスタ追浜を知り、参加した。起点は金沢文庫駅東口。登録してコースガイドをいただき、称名寺にむかう。 いつものルートは車の往来がそこそこ多いので、住宅の中を往く。称名寺の裏手の山側に入るコースで、初めて歩く。ウォーキング参加者に迷惑をかけられないので、ジュンはノーリードにできない。 デジカメをヤフオクで買い変えたが慣れていないので、使い勝手がいまいち。 ジュンの目線で写真を撮りたく、バリアングル・モニターのカメラを安く手に入れたが、リードを持ちながらではうまく使えない。称名寺から海の公園へ。 もう潮干狩りを楽しんでいる人たちがいる。海の公園から野島公園へ。沖合いではセミプロたちがジョレンでアサリを獲っていた。 ゴールの横須賀アイクル・リサイクルセンターへの途上、日産の工場脇は菜の花が満開に。 追浜の隣りの田浦は梅園があり、ジュンと幾度か行ったが、ここ貝山は存在すら知らなかったが、あんずの里として売り出そうとしている。 また、ここは予科練の発祥の地だそうな。 アイクルとなりではフリーマーケット。 その隣りは横須賀市の動物愛護センターがあり、公開日だったがジュンを連れているので立ち寄らなかった。ゴールではイベントの準備中。 貝山・あんずの里に戻りジュンのリードを外す。 昼近くになり、腹が減り露天で焼きそばでもと思ったが、風が強く落ち着く場所もない。そうそうに追浜駅方面へ向かう。マーチングバンドが始まりそうだった。 なんか、ヤンキー姉ちゃんの集団のように見えて遠くから写真を撮らせえいただいた。 駅前からは「追浜民謡舞踏連合会」のおばさんたちがパレード。帰途の途中、焼き鳥屋さんで10本買いジュンと昼食。私は昼間から飲酒。その後眠りこけてしまった。強風はおさまらない。明日は釣りクラブの例会-マルイカ。夕方、電話があり強風・雨の予報で中止とのこと。・・・・残念!ならば明日はジュンと鎌倉天園にでも行こうか。
2010.03.20
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悪天候が長らく続いたが、今日は春らしさを満喫。午前中はボランティアでジュンは留守番。昼過ぎに帰宅。手っ取り早く焼きそばで昼食、そこそこに出かけた。今日は文庫駅方面から六国峠コースへ入り、自然公園で降りる予定。ジュンはいつもよりよく振り返り、私の顔を覗く。散歩の足も軽快さを感じる。ところが、途中でカメラを持参するのを忘れたことに気がついた。が、まあいいや、携帯電話のカメラがあるさ。先を急ごう。休日で好天のせいか、人も思ったより多い。 平日は夜の散歩しか出来ないので、ジュンの写真を撮り貯めしたいのだが、おかまいなしにすたこら先を行ってしまう。樹木にボランティアさんが掛けたと思われる名札が多く見受けられた。その中に【ゴンズイ】なる名前が・・・海釣りを始めた頃に覚えた毒をもった魚がゴンズイである。(しかし、いまだに釣ったことがない。)そういえば【ハゼ】の木もあったか。園芸の趣味もあるが、草花オンリーで樹木の名前はほとんど知らない。自然公園のなんだろ坂を下り帰途についた。3時間半ほどのウォーキング。来週は駅のポスターで案内されていた文庫駅-称名寺-海岸線のコースに参加しよう。
2010.03.14
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ハイビジョン特集「プリズン・ドッグ~僕に生きる力をくれた犬~」 「犬と暮らす刑務所」がアメリカにある。マクラーレン青少年刑務所を舞台に、犬の世話を初めて任され、次第に人間らしい感情を取り戻していく受刑者の3ヶ月のドラマを追う 「犬と暮らす刑務所」がアメリカにある。プリズン・ドッグという取り組みで、罪を犯し、心まですさんだ受刑者が、飼い主に虐待されたり捨てられたりして動物愛護センターに連れて来られた犬と触れ合うことにより、次第に人間らしい感情を取り戻していく。オレゴン州にあるマクラーレン刑務所では、1993年から2000年まで300人の出所者のうち再犯者なし。劇的な効果を挙げているアメリカの刑務所の取り組みに迫る。「龍馬を愛した女たち~ヒロインたちの龍馬伝~」と放映時間が重なったため、これを録画し「プリズン・ドッグ~僕に生きる力をくれた犬~」を観た。この刑務所がオレゴン州・ポートランド・ビーバートンにあるとのことで、古巣の本社が置かれていた地域でもありなおさら興味をひいた。日本はペット飼育後進国のようではあるが、アメリカでも捨て犬・虐待は存在している。そんな犬を青年受刑者が数ヶ月トレーニングし、里親に引き渡す。見ていて訓練を担当した若者は里親に引き渡す時、虚しくあるいは淋しくならないのだろうかと先読みしたが、案の定思いは同じであった。犬を訓練する中、受刑者も心が癒されていくのだろう。そして「我慢・忍耐心」を犬の訓練を通して身につけていく。犬がいうことを聞いてくれると、必ず「good boy」、「good girl」と褒める。私も同じである。ジュンに教わったのはこの褒めることである。月2回ボランティアで知的発達障害児のプールでの介助をしている。気持ちを穏やかにし、うまく泳ぎをすると必要以上に褒める。こんな接し方はジュンと生活してこなければ、短気を起こしてボランティアを辞退していたことだろう。感謝。最後に里親に引き取られた犬たちの様子のビデオを彼らに見せる。アメリカ社会の懐の深さを感じるドキュメンタリーだった。愛犬家の多くの方々がこの番組を見て感動したことと思う。我が子を虐待、餓死させてしまうニュースがしばしば報道される。日本では発見されれば施設に保護されるらしいが、里親に預けるという話はほとんど聞かない。「人」についても後進国とは言わないが、もっと議論があってもよいのでは。
2010.03.06
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我慢してサラリーマンを続けていれば、今月は定年を迎えていた。2年強、遊んだ。年金受給の時に再就職とは・・・仕事の都合上、今日社会保険事務所に裁定請求をした。その足でゴールド免許に復帰した運転免許証を受理に金沢警察署に立ち寄る。24時間ジュンと過ごした日々は、仕事で拘束される日々へ・・日中のジュンの写真が撮れない。留守を守るジュンがひとしお愛おしい日々になった。明日も雨模様。ジュンとドライブか・・・・言葉を選びながら綴るブログは続けていきたい。数少ない幣ブログへの訪問者の方々に感謝の日。
2010.02.26
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<相模湾にはかわいいアザラシが日向ぼっこしていた。2.21>前哨戦の6日のメバルは散々だった。今日は例会。15名が参加。私としては、メバルの釣果への期待の前に釣り座がどうぞ右舷に当たりますように・・という思いだった。左舷で且つ胴の間は凍えるほど寒い。メバルは誘いを入れるとダメである。前回は忘れたロッドキーパーで、置き竿にした。2匹ほどが相次いで釣れたが、あとは・・・以下、メバル釣りのアルバム。 KUさんは下針にカサゴ、上にメバルの名人釣り。<黄金色に輝くクロメバル>前回は風が吹き早上がりしたが、今日は3時まで。釣果トップは16匹。Nさん。嬉しい外道はNMさんの2Kgのヒラメ。メバルはまだまだ形は良かった。まあまあ満足の釣りだった?4時には帰宅できると思っていたが、同乗者の送迎やらメバルを宅急便で兄宅に送ったため5時頃になった。ジュンとの約束時間を違えたが、帰宅後すぐに散歩へ。ありがたいことに日が長くなってきた。
2010.02.21
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司馬遼太郎氏のこの作品は古くから知ってはいたが、興味が湧かず、したがって読んでもいない。1800万部が売れていると言うが、私は吉川英治の【徳川家康】のように挫折してしまうだろう。昨暮れにNHKでTVドラマ化され、最初のうちは見ていたが知らないうちに打ち切り??年初からは大河ドラマ【坂本龍馬】が始まったが、映像イメージが両者ともよく似た雰囲気で、なおかつ香川照之氏がどちらにも出演しているので余計に重なり、さらには明治期前後の話と連なっているので、番組はカラー映像なのにセピア色の画として頭に残っている。さて、BSフジのプライムニュースでこの【坂の上の雲】について、中村政則氏と関川夏央氏がゲストで出演され、興味深く見させていただいた。【司馬史観】という言葉は、司馬遼太郎ファンなら司馬遷を知らずとも畏敬の念を抱きつつ、氏の作品から影響を受けていることを再認識させられる表現である。私は30代の頃の大河ドラマ【国盗り物語】でファンになった。番組で中村氏と関川氏が話す言葉を忘れないよう、メモしながら見たが、こんなことは初めてである。歴史学と歴史小説:史実と叙述中村教授:主観的外圧と客観的外圧関川教授:書かれた時代を読む。とくに関川氏の発言に共感。-「どのように読むか」が歴史教育・リテラシーである。源氏物語から現代小説まで、面白く読むためにはその時代背景まで探らなければ言葉の意味が伝わらない。外国語を勉強するには、かの地の文化・習慣を調べなければ身につかない。ニュースらしからぬ、良い番組だった。中村、関川両氏は司馬史観では対立する恰好だったが、【坂の上の雲】がその後の明治期に対する歴史研究への起爆剤なったことでは一致していた。中村教授はご高齢のせいもあろうが、失礼ながら知識・記憶力だけでその地位を得たように感じた。WikiPediaで調べていたら、関川氏は辛らつなことを述べていたようでもある。→ 日本には「知識人」はおらず、「知識的大衆」がいるだけだと言う。多くの知識を踏まえ、史実を漁り、新たな知識を編み出し、既存の知識を超える人が「知識人」なのだろう。
2010.02.12
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ジジーばっかり(会員の方、失礼)のボランティアグループ【助さん】で、「剪定教室」が企画されたので参加した。助さんへの依頼は独居高齢者の庭の草取り・剪定が圧倒的に多く、「誤って剪定して、もし枯らしてしまったら」という不安感が、私だけでなく多くの会員が抱いていたからでもある。場所は会員のSTさん邸。講師はTN氏。午前講義。午後実習の予定だったが、30分ほどですぐ庭に出て実戦。小高い丘を登りつめたSTさん宅はうらやましいほどに果樹が植えられ、花ゆず、夏みかん、南高梅、さくらんぼ、金柑、桃、・・・・他に松など樹木そして家庭菜園・・・・・・・・家には大スピーカーのオーディオ装置。15名ほどのメンバーが集まり、講師の指導・質問応対で、剪定ばさみ・鋸で思う存分、午後まで切り刻んだ。2時半ごろ終了し、部屋でコーヒーをいただきながら歓談。昨日と違い、暖かいいい1日だった。帰宅後、昨日・今日と留守番をさせてしまったジュンと野島をぐるりと散歩。 居ついた猫が甘ったれた声でなき、遊んでいた。 3年以上かかった新野島橋の完成は間近。 私の気分が良いと、ジュンも明るい。<めばる解禁> 昨日の釣果は・・・・・???? クソー!!春告魚とも書く。相模湾では2/1に解禁。例会を待てず、毎年月初めに久留和港・権兵衛丸で海に出る。参加者は13名。私がひいた、釣り座のくじは左舷・胴の間。日陰になり、なおかつ胴の間は船長室の陰になり、どうあがいても寒さが身に滲みる。ことしのメバルはそこそこ揚がっている様だが・・・日が悪かった。北風が強く、12時で早上がり。私の釣果・・・もう、辞めたい!!!が、次回こそ。 2/14 目標15匹。前半悪きゃ、後半はいいことがある。 私の人生そんなもの。
2010.02.07
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今日は釜利谷緑道へ。帰途は旧道を文庫駅に向かう。ジュンが幼犬の頃は、駅近くの居酒屋によく連れて入った。マスターには悪いが客入りの悪い店ではあったが、マスターは大の犬好きで連れて来いとのお言葉に甘えて、他の客から非難されつつも可愛がられもし、ジュンは釣りクラブのメンバーに次ぐ常連だった。大工仕事が好きなマスターは店内を改装し、料理のうまい現マスターに譲った。その後、店は大繁盛。安いせいもあるが、女性客が半数以上になってきた。私は仕事を辞め、ほとんど通わなくなってしまったが・・・ 向かい側の歩道を素知らぬ振りして通り過ぎようとしたら、ジュンが立ち止まる。道路を横切り、店の中に入りたがる。もう9年ぐらいになるのにまだ覚えている。 ジュンにとっては私以上に懐かしい店なのだろう。
2010.01.31
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昨年前半はリーマンショック後の株暴落、大森のマンションは空き部屋に・・で、私の80歳までの経済生活の設計も破綻。生来の楽天的性格と言うか、無責任と言うか、「なんとかなるだろー」と、腹の底ではビビリつつも、ジュンとのウォーキング、釣り、独りボランティア・・の中で新たな知己、ボランティア・グループ参加を得た。全てはジュンとの散歩のお陰である。↑ 【私の生きる道2】 Author:「かぜにはるる さん」http://plaza.rakuten.co.jp/uhuhuhu0/ のブログから。3年近く遊んだ。多くのブロを読ませていただいたり、さまざまな報道、テレビで映画・ドキュメンタリー放送大学での国際政治や歴史・・・の勉強。月曜日からは事務・軽作業の仕事。新たなボランティア活動への紹介もあったが、コーディネータとも話しをし、しばらく様子見にすることにした。(既入のボランティアは継続できそう)初老を認識し、就職活動をあきらめたころブログをはじめ、「あきてもさん」に出会う。http://plaza.rakuten.co.jp/chuuko1234/その後、感心した画が掲載されたブログは「お気に入り」に登録してきた。直近では、【私の生きる道2】 Author:「かぜにはるる さん」http://plaza.rakuten.co.jp/uhuhuhu0/ のブログ。 2枚の画はいずれも「かぜにはるる さん」のブログからの転載。(コメント欄に了解を下さるよう書き込んだが、今の時点では未承認。ごめんなさい)私も画を書くのは好きだったが、今では・・・せめて、ジュンとの散歩を欠かさず彼女の笑顔を撮り続けていこうと思う。
2010.01.30
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夜、古巣のO元常務から電話をいただいた。昨暮れには姉妹を亡くされたとの喪中はがきをいただいていた。が、日曜日のOB会ではほとんどお話が出来なかった。K元社長とのご一緒の写真をA4版に印刷し、添え書きとともに送った。その礼の電話だった。長々とお話した。御歳84歳。現役の頃は私には唯一怖い上司だった。しかし、叱られたことは一度だけ。主任昇格面接のときに徹底的に不勉強・視野の狭さを攻撃された。北海道放送からTVテスト信号の難しい質問を受け、社内には相談相手も見当たらなく、意を決して常務の部屋を訪れたとき、的を得たように資料を出して教えてくださった。(役員と言えども北海道出張の理由が出来なければ行くことあたわず。私をおいて札幌に飛ばれた。営業とは別次元の話でもあったので。)55歳で退任しようと思っていたが、ずるずると務め、「もういいでしょ」と62歳で退任されたこと。それを狙っていたかのようにF社が引っ張り、社長を務められ後任を育てて会長に。完全に引退されてから、私もS社を辞め悶々としているところをF社の後任社長に会い1年半ほどお世話になった。話が色々なところにとび、感激した。私自身の性格は「尊敬する人」がいない不遜な輩だと、思っていたがO常務からの電話で、そうでないことを認識した。随分前に奥様をなくされ、健康のため毎日2時間ほど歩かれているそうで、また、自炊生活をおくられているとのこと。私の【甘え】かもしれないが、100歳過ぎまで長生きして頂きたい。
2010.01.28
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写真では映りが悪いが富士山が大きく見えた。ジュンとのお約束の城ヶ島ウォークに出かけた。ウィークデーは無料の駐車場だったエリアも無人ゲートが設置されていた。それでも良心的な料金。店が立ち並ぶ間を抜けて磯に向かう。馬の背洞門に行こうとすると、ジュンは灯台方面に行きたがる。 釣り人が数人竿を出していたが、磯の先ではウニを採っている小船が。 ぐるりと回り、洞門方面へ踵を返す。往路は丘側から。 散歩道には水仙が咲き、日差しが気持ちいい。 石畳より土の道の方が私は好きである。ジュンはどうかいな? じきに眼下に洞門が見えてきた。 砂浜側から洞門-丘に上がってきたグループをやり過ごし、振り返ったら別のグループが下りてきた。 今度は砂浜から戻る。 ジュンは少し歳をとったか、砂浜では歩がにぶくなってきた。少しだけ抱っこして駐車場のほうに向かう。幾人かに尻尾を振り、可愛がられてご機嫌のジュンだが、またまたおすわりして一人観光の夫人に可愛がられる。彼女も柴を15年で亡くしたそうだ。遺灰を庭に撒いて花を植え、愛犬のことを思い出していると・・・帰途は三浦漁港に寄り、お決まりのマグロのカマをお土産に。以前のバラックはなくなり、しっかりとした駐車場と魚センターに変わっていた。で、マグロの頬肉・カマ・メダマの3種を購入。帰途につく。釣りのときもそうであるが、広くてのどかな三浦の畑を見るのが好きである。天気に恵まれたいい一日だった。 * 昨日は暮れに神経性の不調で歩行困難になったアルバイト先のAさんをお見舞いに。前もって奥様に伝えていたのが良かった。2日前に「退院する」との電話をいただき、それでは病院からご自宅まで送迎することを伝え、早朝にジュンと出かけた。脊髄注射も効果なく、医師からは手術しかないと言われての退院。ご家族は茅ヶ崎の整体院を見つけ、しばらくそこで養生する予定とのこと。私はAさんには「1-1.5ヶ月整体してそれでも効果がなければ手術することも考え、最後に決断するのはAさんご自身ですよ」と伝えた。骨や筋肉の欠陥ではなく、脊髄・神経からくる不調は整体院の処置で改善されるのだろうか?81歳まで働きづめだったAさん。なんとか復帰してあとは好きなことをして楽しんでいただきたい。仕事を辞めてすぐ車椅子生活では、後悔してしまうのでは??いまの希望は整体、そして手術。先のOB会では84歳の常務も杖をつきつつもまだまだ元気だった。
2010.01.27
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3年ぶりに28年勤めた古巣のOB会に出席した。毎年この時期に開催されているが、本来なら仕事をしていなければならない歳だが、遊んでいるという負い目で萎縮してしまっていた。社長だったKK氏からの年賀状には「今年は顔を見せてください」とのコメントもあり、皆の現況も知りたい思いがあり出席した。場所は新宿。参加者24名の名簿をいただいたが残念ながら2名が欠席。皆、良い時期に夢中で仕事に取り組んだ連中ばかりが集まった。やはり古巣の会社の現況について話題が上り、最盛期800名ほどの社員が今では度重なるリストラで100名ほどに縮小されているようだ。5年ほど前に完全に米国本社の日本法人になったが、昨年はリーマンショック後で相当なリストラが実施されたらしい。10年ほど会っていなかった近しい先輩2名も今回は出席されたが、懐かしさより今にでも仕事再開という妙な気分に襲われた。社長80歳、常務84歳。皆元気である。リストラ後起業したSは会社案内をばら撒いていた。幹事役のKB部長は挨拶で「自分だけが歳をとってしまった」と思っていたが、「皆の顔を見てやはり皆老けてきたことに安心した」と冗談交じりに欠席者の現況も紹介していた。幸いなのは、亡くなった方の情報はなかったこと。年をとると持病の話や、現況報告で話が長くなるがそんなこともなかった。悠々自適の生活とはいえないまでも、懐かしい戦士たちの元気なOB会だった。
2010.01.24
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来月から通勤することになった。定年はない。3年近くジュンと24時間一緒に過ごしたが、持ち株の暴落・大森のマンションの空き家化で経済はパニック状況。仕事を与えられたことは全くありがたい。人生何とかなるもんだ。仕事ではないが昨年登録したボランティア活動は3つ。そのうちのひとつは毎月第2&4日曜の午前に知的発達障害者のプールでの介添い。もうひとつは野島公園の砂浜などの清掃。最後のひとつの男性ボランティアグループの活動内容は多岐にわたり、ウィークデーでの実施日が多いが、退会しないで続けていきたい。こんな状況下でジュンとの遠征ウォーキングの機会も減らざるを得ないので、今日は観音崎公園まで出かけた。 マナー違反だが駐車場からそのままリードを着けず一緒に歩く。幾度も来た事があるので、ジュンの歩は速い。途中、竿を4本出している釣り人がいたが、磯に出るのはやめて先に進んだ。 知らない間に木製の砲台のモニュメントが設置されていた。ひたすらウォーキング。早く来い!・・・ってか観音崎公園は広く、よく整備されている。来訪者の少ないウィークデーに来ることはほとんどできなくなるだろう。走水港に出て、海岸寄りのボードウォークから海に下りて駐車場に。 出勤開始まであと1週間。来週は城ヶ島まで足を延ばしてみよう。大森のマンションは次の入居者が決まった。とんとん拍子とはこのようなことか?ジュンが犠牲になるが、私も「かぎっ子」だった。
2010.01.22
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最近はKYなる言葉もあまり聞かれなくなった。「空気が読めない」ということは随分前から言われていたので、ただ単に略して隠語のように使っていただけのことである。さて、散歩していると人懐っこすぎるジュンを見て「これじゃー【番犬】にはならないわね!」と、半ば喜ばれ半ばあきれられることがたまにある。私にしてみれば【番犬】という言葉はこのペットブームでは懐かしく、またその方の飼い犬に対する先入観に40-50年前の生活臭を感じる。しかし、犬を【番犬】として飼っていた方はその昔でもどの位いたのだろう。一度飼えばその利発さに感心して(一方その利発さゆえ腹のたつこともあるが)家族として認知し、その死に際し存在自体が日常生活を潤わせてくれていたことに感謝して涙する。【KY=空気が読めない】であるが、【空気が読める】も略せばKYである。ジュンの空気を読む能力には辟易するほど感心する。ソファーに横になったまま「ボチボチ散歩にでも・・」と考えただけで、部屋を跳びはね、「散歩!さんぽ!」と私を煽りはじめる。これはもう、空気どころかテレパシーの範疇に入る。ジュンが幼犬のころは、出会う方誰彼となく見つめ尻尾を振って愛想を振りまいていた。歳をとってからは、尻尾を振る相手を選ぶようになってきた。その相手は100%犬好きの方で、私は短い時間立ち話をする。2度目に会った時は、その人のほうからジュンを認めて近づいてくる。4年前父が亡くなり葬儀後、従兄弟たちが実家で勢ぞろいしている中、ジュンがうるさいので座に連れてきたら、一人ひとりに挨拶して愛想を振りまき、ただ一人、動物苦手の従兄弟のところはジュンの方からパスしていた。さて、人懐っこすぎるジュンを【番犬にならない】と言われると、正直「むっ」とする。これでも不信な物音が聞こえると威嚇して吠えるのである。姿さえ見られなければ充分番犬である。ジュンの欠点は相手の姿が見え、しかも犬好きだと途端に尻尾を振り愛想を振りまくことである。もひとつの欠点はやきもち焼き。今日は釜利谷緑道でリードを外されたトイプードルが近づいてきたので相手をしたら、むくれている。(ジュンはお犬様は苦手!)そういえば、ジュンが見知らぬ人に愛想を振りまいてじゃれる時はチラチラ私を見ながら空気を読んでいる。浮気じゃないよと言っているように感じる。散歩途上で尻尾を振る相手が見つからなかった時の図
2010.01.21
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今月の例会・釣りものはスミイカ。 船宿は先月と同じ柴漁港の三喜丸。参加者は14名。ポイントは千葉・竹岡沖。釣り座は不幸にも左舷に当たってしまった。(日が当たらないので寒い。)東京湾は往来する船舶が多かった。 釣れないとなおさら寒さが厳しい。オオトモのAさんが良形を揚げた。どうも今日は右舷が有利。 最後の最後まで頑張ったHさんは13杯。 釣果トップは13杯が2名。5杯が2名。私は・・・・・・ 小さなのがひとつ。イカ・蛸はどうも不得手である。
2010.01.18
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2年前ジュンとの散歩途上、八景駅前の花屋の店先で花の終わった胡蝶蘭が500円で売られていた。植木鉢だけを求めてももっと高い。持って帰るのは大きすぎてやっかいだと断念したが、翌日、「やっぱり、買ってしまおう」と、トートバッグ゙持参で出かけた。ところが見当たらない。売れてしまったか?・・・・ 店先の隅に片付けられていた。冬に開花した胡蝶蘭は花穂を適切な位置で切っておくと、再び開花が見られる。3株の寄せ植えは春に開花を見て、その後分けて植え替えようと思っていたが、場所を取られるのでそのままにして過ぎた。1年目は花は咲かなかった。2年目もほとんど手入れしないで、12月初旬に部屋に取り込んだ。今日、どうかいなと葉の付け根を調べたら、花芽が伸びている。 その数3本。なぜか嬉しい。園芸の楽しみは、1.種をまいて芽が出たとき。 2.成長して蕾を発見したとき。3.開花したとき。 4.最後に、野菜なら実生がなったときだろう。残念ながら私は実生の園芸は、まだしたことがない。実生の園芸は収穫を食べる楽しみもある。今年はキューリかピーマンにチャレンジしてみよう。ジュンは私の卵かけごはんが好物になった。・・・ おすそわけ。で、その後、自分のごはんを食べる。太るはずか!
2010.01.16
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ジュンのことではない。先に記しておく。帰省先から帰った5日、ジュンと散歩途上、八景駅前の果物屋さんに年始挨拶に立ち寄った。運よくおばさんとお姐さん2人が店先に立っており、お姐さんから彼女のダックスが捻挫したとの話を伺った。また、彼女の知り合いは愛犬が道路に飛び出し、ショックでへなへなと座り込んでしまったと・・・。運転手も轢き殺してしまったことに、衝撃を受けていたことも聞かされた。ジュンとの散歩は出来るだけ人の往来のないところ、車が走っていないところを探して、リードを外して散策し周囲への危険予測は怠っていないつもりだが・・・今日は朝比奈切り通し途上にある山中の熊野神社に出かけた。帰途、ジュンが鎌倉側に抜けようとわがままな態度を示し、途中まで行きどろべちゃ道を見て引き返した。(昨日シャンプーしたばかり)帰途はUターンで環状4号線沿い。車の往来は多い。気がつくと豆柴がジュンのお尻を嗅ぎに寄っていた。ノーリードである。小学3-4年生くらいか。男の子が無言で近づいてきた。「ボクの犬?」・・・・・・訊ねても返事はない。「車道に飛び出して車に轢かれてしまうから、リードをつけたほうがいいよ。」男の子は捕まえようとするが、機敏な豆柴はするりと逃げ回る。私はその場をさっさと立ち去ればよかったのかも知れない。そのうち、豆柴は道路を横断して走る車を停め、向こう側の歩道をすたこら歩き始めた。そして、・・・・急にこちら側に来ようと、車道に飛び出して・・・バンパーに当たり、車の下に巻き込まれた瞬間・・・ 私は情けないことに顔を覆ってしゃがみこんでしまった。すぐに気を取り直して、立ち上がって車道を見たら、断末魔と云うのだろうか。豆柴は立ち上がり、こちら側の歩道の先に走り、そして横たわった。男の子は走り寄り、私はホッとして豆柴の様子を見に近づいたが、撞球は開き、少しあいた口から舌が垂れ下がり、鼻からは少量の出血を見た。男の子は「生きてる、・・・・ まだ生きてる。」と、自分を勇気づけるように泣き叫ぶ。私の背後にコンビニ帰りの若い方が立っていた。呆然としている私に代わり、男の子に「おかあさんか、おとうさんはいないの?」「連絡先は?」と質問してくれたが、男の子は泣きじゃくりながらサンダルを脱ぎ捨て、家に走り去った。すぐに隣家のご主人らしき方と戻ってきたが、彼も戸惑っている。母親は車を取りに外出していて、じきに帰ってくることが解った。隣りのご主人は動物病院に連絡してくださったが、・・・休日!母親が帰ってきて、フロントガラス越しに驚愕している顔が覗えた。男の子の妹たち2人と駆け寄り、しばし無言だったが泣き叫ぶ3兄姉妹に「もう死んじゃってる!」と、ヒステリー気味に一言。コンビに帰りの若者も愛犬家らしく、財布から動物病院の診察券を取り出した。が、態度がはっきりしない。電話番号は記載されていなかったのか。そのうち家に戻った母親が大判タオルを持って、「診て下さると言うから、病院にいこう。」と、現場に戻りタオルでくるんで帰っていった。私はといえば・・・男の子や妹たちが可哀想でうっらと涙が出ていた。恥ずかしいが・・・分かれてから家に帰るつもりだったが、近くの鼻欠け地蔵横からいつもの釜利谷コースへ歩き始めた。いままで飼った犬のことをめくるめく思い出しながらジュンと歩く。「生きてる! まだ生きてる!」と、泣き叫んでいた男の子の言葉で私の小学生の頃のコロとの死別の時を思い出した。私も同じだった。コロとの死別後、コロが生きて帰ってきた夢を幾度も見た。幼い3兄姉妹にとってはあまりにも衝撃的な突然の死別だが、大人になっていく上で、ナナの死は彼らに大きな栄養を与えてくれたと思うしかない。釜利谷緑道を歩いている最中も、「私がナナを捕まえていれば・・・、いやいやもし逃げられて車道に飛び出されたら私が男の子たちから一生恨まれるだろう。」「ジュンの希望通り鎌倉側に向かっていたら、こんな場面には遭遇しなかっただろう。」・・・大人になるということは、保身的になることか。否、危険予知、快適・楽しい生活への知恵を考え、伝えることか。「車道に飛び出して車に轢かれてしまうから、リードをつけたほうがいいよ。」と、言った私の言葉が現実に目の前で起こってしまった今日。どうしてもめそめそとなってしまう。ジュンが将来、老衰で私の膝の上で亡くなったら私もあの男の子のように「まだ生きている!」と泣きじゃくるだろう。還暦直前のジジーの不幸な1日だった。
2010.01.11
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「一歩さん」のブログで上野千鶴子氏の本、【男おひとりさま道】を知った。男ひとり道を、生涯歩んできた私としては興味深い。早速アマゾンで検索して発注した。 アマゾンではよく一緒に購入されている本が紹介され、【おひとりさまの老後】が推奨されていた。。書評を読むと後者はボロクソにけなされている。前者の書評には私と同じ境遇(独身・高齢?)の方が、辛らつな書評を書いていた。いつもはアマゾンマーケットプレイスで中古本を買うのだが、ここでも出版不況なのか送料無料キャンペーン中で、中古本より安いので新本で購入した。老後の展望は暗い。数年前には【遺品整理屋は見た】という本を読んで、自分が孤独死したら遺体が蒸発すれば迷惑も少なくて済むのにと、暗い夢想もした。さて、家庭生活を取り仕切る主婦は存在しても、【主夫】はあまり聞いたことがない。昨年、知人から紹介された男性ボランティアグループでは、年末に【男の料理教室】が企画され、妻に先立たれ料理もできない男も存在するとのことで、懇親会を兼ねて私も参加した。女性に比べて、男はリタイヤすると情けない。それまで近隣との付き合いが浅く、どうしても古巣の会社仲間と、たまの飲み会ぐらいか、夜な夜な居酒屋でつかの間の話し相手を探すぐらいだろう。独りで遊歩道の雑草を刈るボランティアをしていた頃、よく立ち話をした方は、「妻は古くから近所付き合いがあるからいいが、リタイヤした自分はいまさら近隣との付き合い方がわからない。」と愚痴をこぼしていた。本はまだ届いてはいないが、【男おひとりさま道】が有効な参考書とは期待していない。心配なのは死にいたるまでの認知症やら体調不備になったとき、回りに迷惑をどのように最小限にとどめるかである。参加した男性ボランティアでは、独居老人宅の庭の草刈り・剪定を行ったが、いずれも老婦人だった。突っ張らずに弱さを出し、助けを求めることも大切なのかもしれない。本では「女に愛されるかわいげのある男」になるための方法も述べられています。と、ある。これは私には不可能である。が、・・・ 野島でのバーベキューで酩酊状態で撮られた【両手に花】の記念写真をいただいて、珍しいこともあるものだと、有頂天になっていた。タンジュンな私である。(右側の女性がボランティアグループを紹介してくださったコーディネーター左側の女性は初対面で、名前も知らない娘くらいの年頃の女性。)男が考える【男おひとりさま道】は死ぬ直前まで健康で、ポックリ終着点にたどり着くことである。それにしても女性は強い!* このブログを書いた(1/8)後、改めてアマゾンの書評に全て眼を通した。私と同じくポックリ死を願っている方は多いようだ。(中にはポックリは宝くじに当たるようなものだと、のたまわっている方もいた)1/10の今日、本は届いた。精読させていただこう。
2010.01.10
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海の公園にておくればせながら、あけましておめでとうございます。年末年始は名古屋の兄宅でジュンと一緒に世話になった。元旦は雪。 半生のほとんどの正月を名古屋で過ごしてきたが、雪の元旦はめったに経験がない。それでも兄夫婦とシーズーの大ちゃん、ゴンちゃん、私とジュンで地元の神社に初詣に出かけた。4日から5日にかけ、深夜に帰宅。6日は厚木でアルバイト。ビルオーナーのNさんとテナントに挨拶回り。年末に体調不良になったAさんの恢復は思わしくなく、横浜のビルも含めて私が後釜に座ることになりそうである。Nさんからは「収入の見通しができるのだから、車高の低い車に換えたら・・。出来れば車で通ってほしい。ビルの駐車場はセダンクラスでないと入らない。」といわれた。緊急時には確かに車の方が機動性がある。現状では買い換える余裕はない。が、ジュンとの散歩途上ディーラーに立ち寄り、展示車の荷物室の広さをチェック。釣行では3-4人で同乗して出かけるため、今のヴォクシーには大変満足している。釣竿もワンピースロッドが流行で、車内の天井に取り付けたロッドスタンドも重宝している。燃費も名古屋に帰るときは14Km/Lを走る。(80Km定速走行)後部席のスライドドアもせまい駐車場では使い勝手が良い。ディーラーではウィッシュとプリウスの荷台を比較した。プリウスの荷物室は意外と広い。で、カタログをいただきに店に入る。店員が営業担当者の名前を尋ねるが3人目に替わっており、調べてもらったらなんと彼が担当者だった!(整備時に1度会ったきりで、顔も互いに忘れていた。)プリウスのカタログをめくりながら、ETCやらカーナビやら雑談をする。今ではDVDカーナビはないらしい。HDDカーナビや、SDメモリを利用したものに変わってきている。しかもBluetoohtがどうのこうのというエレクトロニクス機能満載である。カタログを読んでいくうち、うざったくなってきた。私はもともとこの分野で飯を食ってきた。還暦を前に浦島太郎状態である。 なさけない!玉手箱ならぬカタログを開いたら、白髪の爺さんになったようなものである。(もっとも現実に老人の域に入っているが・・・)プリウスはすでに3代目だそうで、次第にパワーアップしてきている。多くの便利な機能も、年をとると単にめんどくさいと感じることに老化を思い知らされた。そういえば、釣りクラブのMさんは折角のカーナビもうっとおしいと画面を消去していた。めんどくさがり・・・鈍感・・・じじーになる。くわばらくわばら、自戒の年にしよう。運転免許の更新でゴールド免許に復帰もすることだし。
2010.01.08
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27日、今年最後の釣り。船宿は釣りクラブで【底もの師】として知られる、KUさん・NTさんコンビが定宿としているらしい松輪港・江奈信丸。もともとは食糧船のため小型で定員は8名。参加者は2代目会長のHTさん、声をかけてくれたTJさん、そして今年伊豆・富戸へ費用負担までしていただいたIZさんの計6名。北風との予報で喜んでいたら、時化がひどい。11時頃までは城ヶ島方面を攻めたが、釣れても小ぶりで、かつ外道が多い。剣崎灯台方面に戻りようやく満足のいく形があがり始めた。KUさん、IZさんに25cmクラスがあたり、ようやく私にも気持ちの良い引きが来た。釣果 11枚 納竿は満足したが、どうも今年のカワハギは数が上がらない。翌日はアルバイトのため、捌く時間の制約もあり、帰途SCさん、MHさん宅におすそ分けに立ち寄った。ジュンとは2時間の夜の散歩。帰宅してから肝和えを造り、焼酎のお湯割りを4杯。
2009.12.29
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今年最後の釣り例会-真鯛は散々は結果だった。軽々しく【感想】を記すのは避けたかったが、この連立政権の対応の不味さに不安を覚える。私の解釈は1. 普天間基地をはじめととする、沖縄における米軍基地の住民負担。2. 安保体制(日米同盟)による極東の治安維持。の2つを現政権は天秤にかけ、バランスをとりかねているということ。辺野古移転の代替案を探りあぐね、ダッチロールをしているようにも思える。まず米軍基地周辺の住民負担とは具体的に何か?・ヘリコプターなどの騒音被害と墜落への不安。・駐留兵による犯罪発生と地位協定による捜査への障碍。本土にも米軍基地があり自衛隊基地を含めてその騒音の凄まじさは、私も百里基地でのF15の離発着時の全身に感じた振動で類推はできる。また大音響で毎日やってくる不用品回収車にイライラするが、それには比較にならないストレスが溜まるだろうとも思う。犯罪については米軍横須賀基地が近いせいもありある程度は理解できるが、沖縄の実態・感情には程遠いものかもしれない。一方、極東の防衛安保を考えればソ連崩壊後は南日本が重要な位置を占める。アホな社民は硫黄島やら国外移転を主張しているが、いつもながら現実からかけ離れた空論を吐いている。鳩山首相はもっと過激に【基地なき安保】を夢見ているのかもしれない。【東アジア共同体】はEUの成功を見て、さらに夢見心地で発想したのだろう。一般庶民の発想であり、中韓が以前より良く見えるようになった昨今、その道のりはEUの歴史に比べて、はるかかなたの見えないところにあるであろう。日米同盟は日米のためだけにあるのだろうか?鳩山は以前、日本は日本だけのものではないと吐いた。日米同盟は台湾・中国・朝鮮を含む東アジアの治安安定のためには、空想ではなく現実に有効なものだと思う。普天間問題から、もし日米同盟が破棄にいたれば、中・台湾のバランスは崩れ、日本の防衛力は強化せざるを得なくなり、中韓をはじめアジア、あるいは米までも警戒心を強めてくるだろう。岡田外相は今までの経緯を検証したいと言っていたが、知れば知るほど辺野古への移転はやむをえないと考えたのではないだろうか?このままでは、米側は普天間移転を反故にしてくる危惧を感じる。政府はもっと考えるというが、「下手な考え休むに似たり」。* 基地周辺の住宅は本土も含めて騒音対策のためにエアコンを防衛予算で取り付けてくれるというが、2重サッシ対策やその電気代も考慮すべきだろう。沖縄の方々は現実の負担と、太平洋戦争での悲惨な歴史の記憶が重なり、よりいっそう軍の存在を忌避しているのだと理解するが、戦争のない軍事バランスというものは現実にはまだまだ存在している。沖縄の地理的位置は不幸であるが、誰もいかんともしがたい。核なき世界そして軍事力なき世界への道のりは、東アジア共同体以上にはるかかなただと思う。
2009.12.23
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私のテレビの視聴時間は長い。映画やスペシャル、ドキュメンタリー・報道に少し食傷気味になり、このところ放送大学をつまみ食い録画し、中途からだが講座を観ている。講義の下手な講師には若干イライラする。(芸人ならスベル、アナウンサーなら噛むというところか・・・TVカメラの前に立つ前にしっかり予行訓練をしておくべきである。 私でさえ計測器の取り扱いスクールを開催する直前や、製品プレゼンに臨む時には自宅で時間を計りながら、飽きさせない為の笑い話や、とりわけ興味をひきそうな逸話などを盛り込むことに腐心して自己訓練していたものである。)幸い、特に興味のあった講座-政治、国際関係の講師お二方は話がよどみない。(高橋和夫氏、藤原帰一氏)http://ameblo.jp/t-kazuo/ 高橋和夫氏のブログ 録画漏れしないようEPGでチェック・予約しているが、受講動機が好奇心のため他の講座にも浮気する。そんな中、特別講義で赤坂憲雄氏の「東北学への誘い」という番組に目が止まり昨夜視聴した。受講動機は単に東北が好きだから。理由は20歳のときに北海道周遊券で一人旅の途中(上野駅から青森まで急行に乗りっぱなし)、深夜に仙台駅で列車が停車した。そこで私と同世代位の若者が乗車してきて、ホームには友人たちがスクラムを組んで、涙を流しながら歌い始めて別れを悲しんでいたのである。その時は、くさい芝居を見ているような感じがしたが、時間が経つにつれ、彼らがうらやましく思えてきた。正直言ってそれまではズーズー弁-東北弁をバカにしていたが、自ずと改まった。社会人になり28-29歳の頃、東北6県・北海道・関東以北の民放-広大なテリトリーを駆けずり回り、仙台を生まれ故郷の名古屋以上に好きになった。 市内に点在する東北大学を回り、仙台は筑波より先輩の【学園都市】ではないかと、独り思った。仕事を終え、本屋で東北各県人気質の本を見つけ、ホテルのベッドで読みふける。東北地方の歴史も少し学ぶ。その後、仙台営業所が開設し40歳のときに転勤。以前の顧客・・・多くは東北大学の先生方だったが、岩手大・秋大、半導体研、職訓短大に移られ、教授・助教授になられている方々とも再会。仕事を離れて益々東北が好きになり、永住めざしマンションも購入してしまった。残念ながらその時は多忙を極め、東北の民俗・文化・歴史にはほとんど興味がなかったといえる。「東北学」を学んでも、自分自身の実にはならないし、東北に対して私が役に立つこともないだろう。が、赤坂憲雄氏の特別講義で大いに東北学に関心を惹かれた。民俗学者 柳田邦夫の史観で日本をみがちだが、赤坂氏の話でもっと多様な日本を見れそうな気がする。Wikiから抜粋赤坂 憲雄(あかさか のりお、1953年5月23日 - )は日本の民俗学者、東北芸術工科大学教授、同大学東北文化研究センター所長、福島県立博物館館長。2008年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。東北学を提唱、確立したことで有名。大学に常勤職を持たない在野の学者として有名であったが、1992年に東北芸術工科大学助教授に就任した。東北文化研究センター設立後、1999年『東北学』(作品社)を創刊。2004年より第2期季刊『東北学』(柏書房)の刊行が開始されている。また、『津軽学』『盛岡学』『村山学』『会津学』『仙台学』の5誌が、それぞれの地域の編集社より刊行されている。
2009.12.06
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<朝日を背に・・・うまく撮れない>いつものように「鼻欠地蔵」脇の山道から釜利谷緑道に入る。今日は緑道からさらに山に上がり、金沢自然公園に向かった。 ジュンは人間ならすでに中年。 それでもめげずに頑張って坂道、階段を昇る。自然公園に到着し、天気もいいしこのまま降りるのはもったいない。で、六国峠コースに入る。 能見堂跡を横に見て、ひたすら先をいく。 ジュンはマムシをさがしているわけでもないが、注意書きの看板の周りを巡る。金沢文庫に下り、平坦路になったらジュンの歩きが遅くなってきた。今日は久々の上り下りで、少し疲れたか。いつまでも若いと思い込んでしまうが、私自身とジュンの歳を考える。<おまけの写真 昨日 野島にて> 体はジュンより大きい。ジュンを連れているのに無視して、私になぜかなついてきた。・・・ ので、掲載しておく。
2009.12.02
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いまさらとは思ったが、【男性ボランティア金沢“助さん”】から案内をいただき、我流料理を是正するノウハウも得られるのではないかと、参加した。これは料理講師にとってはボランティアだが、メンバーにとっては懇親会のようなもの。私は“助さん”では新人だし、どのような方々が参加しているのか挨拶の機会にもなった。“助さん”としての活動回数は少ないためか、複数のボランティア・Gで活動している方が多いようだ。【料理入門講座】のタイトルだったが、開催時間は10:00-14:00。造るものはおにぎり、和え物、野菜焼きそば、具沢山味噌汁、鶏やブリの照り焼き、トンカツの卵とじ。多岐にわたる。米の研ぎ方やら野菜の切り方を見ていると、慣れた方・調理に縁のなかった方々の様子が窺える。講師の説明につれて調理卓がせまくなる頃、ナビゲータなしに次第に洗い場に立つ方、コンロ前に立つ方、盛り付けされる方・・・さすがに自発的ボランティア・Gである。 全員揃っての昼食。 私はホーレン草や小松菜は根元を大分切り捨てていたが、ぎりぎりまで使う方法やら、焼き物をするときにキッチンペーパーを利用するなど、知らないことの収穫もあった。バーベキューとは異なり、予想外に面白い企画だった。留守番をさせたジュンには煽られて、帰宅後すぐに2時間の散歩。カメラは持参しなかったため、全てケータイによるもの。意外にきれいに撮れるものだ。
2009.11.29
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今日はボランティア(知的障害者介助)で月2回訪れるリネツ金沢近くにジュンと散歩に出かけた。この中旬から喪中はがきが連日のように届く。多くは親御さんの逝去だが、中には人生の大先輩から弟さんを亡くされたとのはがきもある。山岳部の先輩からは昨年の間にご両親とも亡くされたとの通知が・・昨日は仕事上で先生と仰いでいたYさんの奥様から、この1月4日になくなられたとの喪中はがきをいただいた。享年68歳。Y さんは私がS社を退職する前の4年間、CATV網による電話実験で随分お世話になった。私自身はテレビの知識には自信があったが、メーカー&ケーブル局から結集されたワーキング・グループで主査を指名され、通信の知識がほとんどゼロの私にとってはN社の専門部長を勤められていたYさんは心強いよりどころだった。(Yさんには副主査をお願いした。)古巣では仕事として評価されない(されにくい)渉外的な付き合い話はほとんど私のところに持ち込まれ、CATVにまつわる折衝・ワーキング活動は全て引き受けざるを得なかった。(他に業界の団体での需要予測WGなどなどを受け持っていた。)今思えば、狭い計測業界から電気・電子、CATV、通信、工事関係社などとの付き合いの輪が大きく広まったのは、営業とは別な社会的な視点を新たに開かせてくれたと感謝している。そんな中で、他のワーキングでYさんの大学での研究室の同期の方々(H社、F社)とも知己になったが、やはり先生として教えを請うことが多かったのはYさんだった。ワーキング活動が終了する頃、Yさんは定年を迎えられその後も私的に年賀状だけはやり取りしていたが、2年前には口内の病から体調を崩したとのコメントがあったが、昨年は闘病生活に入っていたのだろう。今思えば、賀状を受け取った時に電話で話をすればよかった。否、遠方ではあるがお見舞いに行くべきであった。残念である。年賀状送付先ののチェックを始めている。裏面の原稿は完成した。今年は枚数が大分減りそうである。また、年明けの古巣のOB会開催のメールが先ごろ届いた。若い頃は、馘になってもしかたがないポカをいくつもしでかした。Yさんの事を思い起こしながら、見逃してくれた社長・常務、先輩方の元気な顔を拝みに3年ぶりに出席してみようと思う。
2009.11.27
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数字は決して嘘をつかないが、人はしばしば数字の底を見ることを忘れ、感情的に物事を判断してしまう。店主が若い従業員に給料を渡す時に、「2割を貯金しなさい」と諭したら否定され、それでは「8割で生活しなさい」と言ったら、納得したというCMを時々見る。マスコミにはしばしば細工された数字・統計が登場するようである。発信元の数字を鵜呑みにして、そのまま記事にされるのかもしれないが、疑問を抱いた方や、裏が良く見える方々のブログなんぞで、なるほどと数字への作為を教えられる。事業仕分けでボツにされたGXロケットエンジンは、すでに700億投資されたとのことだったが、そのうち430億は民間負担。一言物申した、民間(IHI)はさぞ勇気が入ったことだろう。私は【事業仕分け資料】を見ていないが、もし700億という数字になんの注釈もつけていないのなら、資料を作った側も担当省庁もボケである。彼らの給与も見直すべきである。今日のBSフジ プライムニュースは沖縄の仲井真弘多知事が出演していたが、基地従業員の給料が360万位、沖縄県一人当たりの収入が200万強。と、キャスターが数字をあげつらったら、知事が200万は全沖縄県民-即ち赤子も含めた平均だから・・・と注釈を入れていた。そういえば、元空自パイロットの佐藤守氏のブログでも沖縄に占める米軍の日本での比重について、以下のように指摘していた。「沖縄には米軍基地が集中している」かのごとき発言があったが、70%集中しているというマスコミの主張にはカラクリがあるのであって、「純然たる米軍基地」に限ればそうなるが、本土全体に展開している日米共同基地は除外されているのであるから、沖縄の占有率は実質24%程度に過ぎないのである。数字は理解を早めるが、その根拠を押さえる努力をしておかないと誤った判断・理解をしてしまう。
2009.11.26
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