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パーヴォ・ヤルヴィ&N響のマーラー8番を聴きました。マーラー 交響曲第8番指揮:パーヴォ・ヤルヴィ管弦楽:NHK交響楽団 (コンマス:篠崎史紀)ソプラノ1:エリン・ウォールソプラノ2:アンジェラ・ミードソプラノ3:クラウディア・ボイルアルト1:カタリーナ・ダライマンアルト2:アンネリー・ペーボテノール:ミヒャエル・シャーデバリトン:ミヒャエル・ナジバス:アイン・アンガー合唱:新国立劇場合唱団、栗友会合唱団児童合唱:NHK東京児童合唱団 9月8日 NHKホールN響90周年記念特別演奏会この演奏会はNHK-FMで生中継されたので、聴かれた方も多いと思います。7月にハーディング&新日フィルの渾身の8番を聴いたばかりでしたが、またまた素晴らしい8番を聴けました。配置を書いておきます。NHKホールの広い舞台をさらに前方に拡張して(普段は5列の客席として使用されるオケピット部分も舞台として)、そこに全オケと全合唱を乗せるという方式で、合唱の客席部分へのはみ出しはありませんでした。弦楽は両翼配置で、舞台上手にハープ4台、チェレスタ、ハルモニウム、ピアノを固めて置いていました。合唱団は舞台奥の雛壇に何列にもわたって並びました。合唱団の真ん中の前の方は児童合唱で、そのまわりを、大人の大合唱団が取り囲むように位置しました。このように児童合唱をセンターに据えるという配置は、視覚的にも聴覚的にも良い配置でした。独唱者は、普通に舞台の最前列に、指揮者の左右に横一列に並びました。指揮者の左手に女声4人、右手に男声3人でした。第二部最後近くの栄光の聖母は、右手上のパイプオルガンのあるバルコニーで歌っていました。丁度指揮者の右真横の上方に位置していました。バンダの場所は開演前にはわかりませんでしたが、後述するように、2階右ブロックの客席の中ほどでした。今回は舞台左右の両端に、字幕がつきました。この曲の歌詞の意味をほとんど理解していない僕のような聴き手には、とてもありがたいことです。8番は声楽の出番がとても 多いにもかかわらず、字幕が使用されることはそう滅多になく、僕が覚えているのは2012年夏の名古屋マーラー音楽祭の8番ぐらいですが、やはり字幕を見ながら聴くというのはとてもわかりやすく、良いものです。音楽が始まりました。さすがにN響はうまいし、金管は余裕のある吹きっぷりです。デッドなNHKホールで、最初は音響を遠く感じましたが、次第に引き込まれていきました。第一部の最後、バンダが吹き始めたとき、思いがけず自分のすぐ後ろ、かなり至近距離と思しきところからバンダが聞こえてきました。第一部が終わってから振り向いてみると、僕の席から斜め右後ろ、2階右よりの客席の通路に、バンダ7人が横一列に並んでいました。僕の席から直線距離でほんの数メートルくらいです。この位置だとさすがにバンダが強く聞こえすぎて音量バランスは悪かったけれど、バンダのパワフルさを圧倒的に感じ取れて、これはこれで面白い体験でした。第二部、ヤルヴィは、耽美的ではなく、割合淡々と振っていく感じでしたが、その音楽は引き締まって格調高く、ますます引き込まれていきました。とくに第二部神秘の合唱からラストまでの盛り上がりと高揚は、真に感動的でした。みなハイレヴェルの歌手の中で、ソプラノ1のエリン・ウォールさんが、図抜けた存在感がありました。またバリトンを歌ったナジさんは、7月のハーディングの8番でも法悦の教父で深い味わいのある歌を聴かせてくれた歌手ですが、今回もほれぼれするような歌を聴かせてくれました。そして声楽陣で何といっても今回称えたいのは、児童合唱でした。まっすぐで美しく良く通る発声で、力強く高貴な、素晴らしい歌でした!センターという配置も良かったと思います。FM中継を聴いた友人も、児童合唱の美しさが半端じゃなかったと言っていました。今回の演奏は、7月のハーディングの魔法のような美しさという面は少なかったですが、堅牢で充実した演奏で、感動しました。僕は8番はあまり聴きこんでいないので、どのように良かったのかは良くわからないのですが、ひとつにはハーディングの感動の余韻が残っていて自分の感受性が高まっていたのだと思いますし、字幕の存在も大きかったし、オケと独唱者のうまさ、児童合唱の美しさなどなど、いろいろなことが良い方に作用したと思います。個人的には、2011年のデュトワ&N響の8番より、ずっと大きな感動体験となりました。ヤルヴィはN響と、この10月に3番を演奏します。N響のホームページの動画ライブラリーhttp://www.nhkso.or.jp/library/videolibrary/index.phpに見られるヤルヴィのインタビュー(2016年7月1日分)によると、ヤルヴィはマーラーの作品の中で3番がもっとも好きだそうです!とても楽しみになりました。
2016.09.13
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ヤンソンス&バイエルン放響のマーラー9番を聴きました。指揮:マリス・ヤンソンス管弦楽:バイエルン放送交響楽団マーラー 交響曲第9番11月27日 サントリーホール日本ツアー5回公演の4回目。マーラー9番は兵庫公演に次ぐ2回目です。僕にとってヤンソンスのマーラーは、コンセルトヘボウとの3番に次ぐ体験となります。弦は通常配置で、コントラバスは舞台上手に8台で、そのすぐセンター寄りに、ホルン4人が2列で並びました。丁度その左右対称の位置に、ハーブ2台。舞台最後部センターにはティンパニー、そこから下手側に打楽器隊が並び、ハーブにつながります。ティンパニーの前にトランペットとトロンボーンとテューバが一列に並びます。要するに、ほぼ普通の配置です。幾つか用意されていたシンバルは、たまに見られるような巨大な物はなく、普通の大きさのものでした。あと、トロンボーンなどの前の席の奏者のために、頭の後ろに小さな遮音板を良く見かけますが、今回はそれもなく、シンプルなステージです。ちょっと変わった物としては、黒い巨大な傘立てのような物が一つ置いてあり、なんだろうと思っていたら、テューバのミュートを置くためのケースでした。他に見慣れない物と言えば、指揮者の前に置かれた譜面台でした。譜面を置くための板面の少し下に、ちょっとした物を置ける板が一枚、床と平行にセットされていたのです。指揮棒を置くためかなと思いましたが、結局そこは最後まで何も置かれることはありませんでした。ヤンソンスが現れ、おもむろに演奏が始まりました。ホルンとハーブの導入に続き弦の主題が入って来たとき、その響きの優しさ、豊かさ、ふくよかさというか、そこに含まれる愛の大きさというか、そういうものの素晴らしさに、一気に引き込まれました。特別に優れた演奏が皆そうであるように、始まった途端に、これからのしばしの音楽がとんでもないものになるぞ、という幸福な衝撃を強く感じた瞬間でした。ヤンソンスはゆっくりした足取りで、丁寧な音作りで進めて行きます。指揮棒を右手で持つことは少なく、左手で指揮棒の中程を持って、右手の手振りによる微妙なニュアンス作りによって、歌っていきます。といっても、先日のメータ&VPOのブルックナー同様、特別個性的なことはやっていないです。ただやるべきことを丁寧にやっているだけなのですが、その何もかもがツボにはまっています。これは凄い。ここまで凄いマーラーが聴けるとは思ってもいませんでした。ヤンソンスのお人柄なのでしょうか、死の影に圧迫されるような悲痛さよりも、一種の明るさというか、前向きな志向性を前面に感ずる9番です。こういう9番、好きです。大植さんの9番も、このようなものでした。ところで今回の僕の席はP席最前列のかぶりつきでした。同じP席でも、僕の音の好みとしてはもう少し後方の列の方が好きです。近すぎるとさすがに音のバランスが悪すぎるし、打楽器の打音などが耳に刺激的過ぎてうるさく感じやすいからです。本当はもっと後ろの席を取りたかったところですが、今回は最前列になってしまいました。そこで今回は、そういう傾向の音になるであろうことをある程度覚悟してきました。しかし、ヤンソンス&バイエルンは凄かった。かぶりつきの超至近距離で聴いても、打楽器はじめとしてすべての音が、全くうるさくないのです。ffでもあくまで美音、それでいて充分に力強いのです。これを普通の席で聴いたらどのように聴こえたのかは興味深いところですが、ともかく驚嘆すべき絶妙の発音コントロールでした。なるほどこういう音を出せるオケなら、トロンボーン隊の前の奏者のための遮音板も要らないのだろう、と妙に納得しました。もちろん、僕の席で聴こえて来る音のバランスはそれなりに偏ったものでしたけれど、それでも充分に美しく響きます。それから9番では弱音へのこだわりも重要な要素のひとつですが、ヤンソンスは徹底的にこだわって、緊張を孕みながらも愛情に溢れたppを奏でてくれます。指揮者のここまでデリケートな要求は素晴らしいものだし、それにここまで十全に応えられるオケの実力、おそるべし。第三楽章中間部のトランベットの夢見るような歌は、バーンスタインが意外に速いテンポをとるところですが、ヤンソンスはテンポを落としてゆったりと歌ってくれました。トランベット首席さんは必ずしも絶好調ではなかったのだろうと思いますが、柔らかく温かい音が美しかったです。終楽章を始める前、ヤンソンスは両手を合わせ、少しの間祈っているかのように見えました。そして終楽章が始まった途端、またしても弦の優しさ、豊かさ、極上の美しさに、全身がしびれました。そこから、基本ゆっくりめではありますが、速くなるところはそこそこ速くなり、音楽がよどまずに進んで行きます。ここ終楽章も、ヤンソンスが描く音楽は、どこまでも温かく、決して希望を失わず、愛に満ち満ちています。なんと素晴らしい9番。なんと美しい9番。楽章後半、シンバルが2回鳴らされる頂点あたりの音楽は、もうめくるめく感動の渦です。今回の演奏、第一楽章が始まってすぐから、あぁこの音楽が終わってしまうのが惜しいなぁ、と思いながら聴いてきたのですが、いよいよ終わってしまうときが来ました。最後の静かな弦の長い音のところは、ヤンソンスはゆっくりゆっくりと両手を下げていきます。ついにヤンソンスの両手がだらりと下がり切り、頭もうなだれたとき、最後の音の響きが消え、ホールは静寂に包まれました。そのあとしばらくしてから、ヤンソンスが体をちょっと動かし、そこから拍手が始まっていきました。オケは弦楽セクションをはじめとして、ともかく美しかったですが、完璧かというとそうでもないところがまた面白いところで、ファゴットがやや不調でした。第二楽章でファゴット二人の息がちょっとずれたり、それから第四楽章の中ほどの重要なファゴットのソロで音が途切れそうになったりして、このときはヤンソンスもちょっとびっくりしているようでした(^^)。トランペット首席も、おそらく本来の調子はもっと高いのではと想像します。しかしそれ以外はほとんど完璧。特にホルンは素晴らしく、一緒に聴いていたホルン好きの友人にあとで指摘されてなるほどと思ったのですが、ベルアップなどは全くせず、ビブラートもかけず、ただただ出てくる音が純粋にすばらしい、というホルンでした。ヤンソンスは今年73歳。広いレパートリーを持つヤンソンスですから、日本でまたマーラーを聴けるチャンスは少ないかもしれないけれど、願わくば、またこのようなマーラーを聴かせてください。
2016.12.04
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1年ほど前から、NHK-FM土曜夜の番組「FMシアター」を頻繁に聴くようになりました。もともとラジオドラマは好きでしたが、この番組を以前はほとんど聞くことはありませんでした。 ラジオと言えば、通勤中に聴くとか、たまたまつけたときに面白そうな番組だったら聴く、という生活習慣で長年過ごしてきました。(唯一「きらクラ!」だけは、パソコンで録音して後から聞くという、積極的な聴取をしていました。)そのようなラジオとの付き合い方が大きく変わったのが、「聴き逃し配信サービス」という便利なものを知ってからです。自分の好きな番組を、自分の都合の良い時間に聴けるので、本当に便利です。それでいくつかのお気に入りの番組を聴くことが僕の中でルーチン化されて、1週間の中のどこかで聴くというライフスタイルになりました。「FMシアター」も、それらの番組の一つです。ここ1年ほどは、8~9割くらいを聴いています。毎回毎回、涙、笑い、さまざまな味わいのラジオドラマを聴くことは楽しいひと時ですし、とても感銘深い作品に出合うことも多いです。「はるかぜ、氷をとく」は、2021年3月に初回放送されたということですが、僕はこのときは聴いていませんでした。2021年10月に再放送されたものを、僕は初めて聴きました。この1年聴いてきた中で、僕の心にもっとも残る作品でした。福島の原発事故後、自主避難した姉と、避難しなかった妹。事故後10年を生きてきた、それぞれのつらさと、ふるさとへの思いが、それぞれの子供の思いとともに、日常生活のリアリティをもって、大げさでなく、声高でなく、そして前向きに、語られていました。この作品が、2022年3月19日土曜日に、再々放送されました。令和3年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞したということです!今回もう一度聴き、感銘を新たにしました。脚本が素晴らしいですし、出演者の皆様の自然な語り口に聞き入ってしまいます。音楽に関しては、スピッツの「田舎の生活」という曲が実に印象的に使われています。また時々静かに流れるBGMも、目立たず、美しく、心に沁みます。今なら「聴き逃し配信サービス」で26日土曜日の夜まで聴けます。ご興味ある方お聞きになってみてください。「はるかぜ、氷をとく」【出演者】 酒井若菜 新山千春 三村和敬 中村天海 【作】 渡辺あや 【音楽】 岩崎太整 【スタッフ】制作統括:鹿野恵功 技術:大塚茂夫 音響効果:野村知成 演出:小林涼太 NHK福島放送局の番組特設サイトもあります。こちらです。https://www.nhk.or.jp/fukushima/harukaze/
2022.03.20
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マーラーとシュレーカーのコンサートを聴きました。今年初めて聴くコンサートです。2024年1月8日 東京芸術劇場 新交響楽団第264回演奏会 指揮 寺岡清高 シュレーカー あるドラマへの前奏曲マーラー 交響曲第10番 クック版第3稿マーラー10番全曲を聴くのはかなり久しぶりです。第一楽章単独はたまに演奏されるけど、自分としては、第一楽章だけ聴いて終わってしまうと、解決されない「もやもや感」がたまってしまいます。この曲は最後まで聴いた時に大きなカタルシスが得られるので、やはり全曲を聴きたいです。けれど、全曲演奏会は少ないし、たまにあっても、自分の体調不良やスケジュールの都合で聴けなかったことも多いです。自分のブログで調べてみたら、2010年1月に聴いたのが最後だったので、なんと今回14年ぶりになります。プログラム前半は、シュレーカー作曲「あるドラマへの前奏曲」。初めて聴く曲です。解説によると、「烙印を押された人々」というオペラ(1913~1915年)の前奏曲的な内容の曲で、オペラに先立って1913年に作曲され、1914年に初演されたということです。曲は、ざわめくような弦の上に、チェレスタ、ハープ、ピアノなどが醸し出す不思議な雰囲気で始まり、何かハリーポッターのような魔法の世界に引き込まれる感じです。なかなかに素敵で、聴いているうちに少々眠気を生じて(すみません、、)まどろみつつ不思議な夢を見ているような、ときに多少目覚めたり、という感じで、気持ちよい時間を過ごしていました。そうして聴いていたところ、最後近くにヴィオラやオーボエ他がひそやかに美しく、短7度上昇音型(移動ドで歌うと「ソーファーーー」です)を奏で始め、「ソーファーーー、ソーファーーー、ソーファーーー」と3回繰り返され、まもなく静かに曲が終わりました。僕はこの部分に非常に驚いて、眠気が吹っ飛び、完全に覚醒してしまいました。というのは、この短7度上昇音型の3回繰り返しが、マーラー10番の終楽章の重要な部分とすごく似ていたんです。10番終楽章最初の方、例の大太鼓が数回打たれたあと、フルートがソロで、美しくもわびしい、短7度上昇音型で始まる長いメロディを吹きます。吉松隆さんが「マーラーの書いたもっとも美しいメロディの一つ」と仰っています。そしてこのフルートに先立って、ホルンが同じ短7度上昇音型を2回吹き、引き続きフルートのメロディが始まるので、都合3回、短7度上昇音型が繰り返されます。「ソーファーーー、ソーファーーー、ソーファーーー」シュレーカーの曲には、マーラー10番の重要な部分とかなり似た雰囲気を持つ印象的な場面が最後に用意されていたわけです。マーラー10番に先立って演奏する曲として、これほどふさわしい曲はちょっと他にないのではないでしょうか。指揮の寺岡さんあるいはオケがその意図を込めて選曲したのだとしたら、すごいことだ、と思いました。休憩のあと、10番の全曲演奏は、ややゆっくりとした歩みで、素晴らしいものでした。オケもみな立派で、私的には特にトランペット首席さんが柔らかく温かく、かつ芯がある音で、ノーミスで吹き切ったのが見事と思いました。久しぶりの10番全曲聴体験に、感銘を受けました。この日のコンサートでとても印象に残った、短7度上昇音型について詳しくは、次の記事に書こうと思います。
2024.01.25
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1月8日の新交響楽団のコンサートで、シュレーカーの「あるドラマへの前奏曲」の最後に出てきた、マーラー10番終楽章途中の重要なメロディを彷彿とさせる短7度上昇音型が、とても気になりました。そこで後日、ネットでシュレーカーのこの曲を聴いてみました。曲が始まって少ししてから、低弦を主体にうたわれる重要な主題が、始まりのB→Aと、途中のE→Dの、二つの短7度上昇音型を含んでいることに気が付きました。そして曲の途中には、短7度上昇音型(E→D)を3回繰り返すところもありました。これらの箇所は、コンサートで聴いているときに、特別にマーラーを思い起こすことはありませんでした。そしていよいよ曲の最後、僕が10番を想起して驚いた部分の短7度上昇音型は、A→Gでした。静かに美しく、「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」と3回繰り返すのでした。(僕は絶対音感はないので、ピアノで音高を確認しながら聴きました。)興味深いことに、マーラー10番の当該箇所も、同じA→G を3回繰り返しているのです!下の図をご覧ください。10番クック版第3稿の最終楽章第26小節からの楽譜です。クックが補筆したスコアではなく、その下に示されているマーラーの4段の自筆譜(パーティセル)を浄書した部分です。上段に、Horに導かれてFlの旋律が始まる様子が示されています。(Associated Music Publishers, Inc. and Faber Music Ltd. 1989, AMP-7001, F0273 p.123 )「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」の3回繰り返しです。ここまでそっくりとなると、まさかシュレーカーがマーラー10番を引用したのだろうか、という疑問が湧いてきます。〇時系列で確認すると、1910年 マーラーが10番を作曲1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。1913年 シュレーカー「あるドラマへの前奏曲」を作曲1914年 同 初演(ウィーン)1918年 シュレーカー オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。となります。シュレーカーはマーラーより18歳年下で、マーラーが没した1911年には33歳頃です。シュレーカーはもしかしてマーラー10番の自筆草稿譜を見せてもらったのだろうか、という可能性を考えてみましたが、自筆譜には、アルマとの愛に苦悩するマーラーが心情を吐露した言葉が書きこまれているわけです。そんなものを生前のマーラーが他の誰かに見せたということは、ちょっと考えにくいです。アルマもまたマーラーの死後に、自筆譜を他人には軽々しく見せたくなかっただろうと思います。後にアルマは、ようやく1923年にクルシェネクに自筆譜を見せ、そこから10番補筆の歴史が始まることになりますが、それよりずっと早い1913年頃までに、アルマがシュレーカーに自筆譜を見せたということは、非常に考えにくいです。となると、偶然の一致?あるいは、マーラーに先行する誰かの曲にこういう音型があって、マーラーもシュレーカーもそれに影響を受けていたのかもしれません。だとすれば最右翼はワーグナーでしょうか?でもワーグナーの音楽で、短7度上昇音型で始まる重要な動機あるいはメロディは、ちょっと思いあたりません。少し話がそれますが、コルンゴルトのオペラ「死の都」にも短7度上昇音型が3回繰り返されるところがあります。第2幕への前奏曲の途中です。この曲のこの部分を初めて聴いた時にも僕は結構驚いて、コルンゴルトはマーラーの10番の自筆譜を見たのだろうかとも考えたものです。しかしコルンゴルト(マーラーより37歳年下で、マーラーが没したときには14歳)が、やはり最晩年のマーラーあるいはアルマから自筆草稿譜を見せてもらったということは、かなり考えにくいです。では偶然の一致なのだろうか、とかねてから疑問に思っていたのですが、今回シュレーカーの曲を聴いて、新たな可能性に気が付きました。〇コルンゴルトを入れてもう一度時系列で並べてみると、1910年 マーラーが10番を作曲1911年 10番未完のままマーラー没。アルマは自筆譜の整理を託される。1913年 シュレーカー、「あるドラマへの前奏曲」作曲1914年 同 初演(ウィーン)1916~1920年 コルンゴルト、オペラ「死の都」作曲1918年 シュレーカー、オペラ「烙印を押された人々」初演(フランクフルト)1923年 アルマがクルシェネクに10番の自筆譜を見せ、クルシェネクが補筆する。したがってコルンゴルトは、シュレーカーの前奏曲(あるいはオペラ)から影響を受け、短7度上昇音型を3回繰り返すフレーズを曲中に使用した可能性がある、と思いました。(ただし、「死の都」の当該部分の実際の音高は E→D でマーラーやシュレカーとは異なり、曲調もマーラーやシュレーカーとは異なりやや不穏な感じがする使われ方をしています。)さてマーラーとシュレーカーに話を戻します。これらの曲に出てくるゆっくりとした短7度上昇音型を聴くと、言わば「オクターブの調和・充足に憧れて、それに届きたい。だけどあと一歩届かない。」というような、はかない憧れのような感情が、僕の中にうずくように生じます。(これはもちろん音程だけだけでなく、背景の和声の雰囲気によるところも大きいです。ちゃんとした言い方でなんという和音かがわからないので(^^;)移動ドで言うと、ソドレファラの和音です。)愛、あるいは究極の美、あるいは至高の芸術。そういった何か完全なるものに憧れ、求め、熱望しながらも、もしかしたら届かないかもしれない、というせつなさを含んだ、はかなくも美しい短7度上昇音型。これはもう、まさに憧憬の音型と言いたいです。しかもこれが3回も繰り返されることにより、「憧憬感」が強まり、より一層胸に響きます。「AーGーーーー、AーGーーーー、AーGーーーー」ここで先ほどちょっと書いたワーグナーについて、「憧憬」の観点から見てみたいと思います。ワーグナーにはあまり詳しくないんですけど、ワーグナーの音楽で「憧憬の動機」として有名なものに、トリスタンとイゾルデの前奏曲の冒頭に現れる動機がありますね。この動機の前半部分は上行音型で始まり、後半部分はいわゆる「トリスタン和音」が半音階的に進行します。トリスタンとイゾルデの前奏曲を改めて聞いてみました。曲の最初にこの動機が3回繰り返されますが、前半部分の上行音型は、最初は短6度(A→F)で、次の2回は長6度(H→Gis、D→H)でした。そしてそれに続いて、チェロが奏でる美しい旋律が、「眼差しの動機」と呼ばれるそうですが、この旋律に短7度上昇音程が2回含まれています。1回目はC→D→Cと7度下がってまた戻るという流れですが、2回目はC→Bでこの旋律の頂点に跳躍する、かなり目立つ短7度上昇です。このあと前奏曲はこの動機を中心に盛り上がっていき、そのあと静まって、憧憬の動機の前半部分の長6度上昇が何回か聞かれ、最後は静かに、短6度上昇(今度はG→Es)もちょっと聞こえ、低いG音で終わります。(前奏曲に続く水夫の歌は、同じ短6度上昇(G→Es)で始まります。)結局この前奏曲全体として、短6度上昇に始まって、長6度上昇、さらに短7度上昇と次第に「憧憬度」が増して盛り上がり(トリスタンとイゾルデ、見つめ合う二人)、そのあと再び長6度上昇を経て最後は短6度上昇に戻っていくという、複雑な仕掛けが巧みに組み込まれていることに初めて気が付き、さすがはワーグナー、と感じ入りました。それにしても、長6度上昇の「憧憬」と短7度上昇の「憧憬」。両者は、同じ「憧憬」と言っても、音楽的な響きの印象はずいぶんと異なりますね。この違いは何なのだろうと考えたところ、何となく自分の中で整理がついたような気がしてきました。誤解を恐れず大胆に言ってしまうと、長6度の方は「きっといずれ届く憧憬」「やがてかなうであろう憧憬」に近く、対して短7度の方は、「おそらくかなわない憧憬」「かなわないかもしれない憧憬」に近い、と言えるのではないでしょうか。個人的には、ワーグナーの音楽は本質的にしっかりした自己肯定が基盤にある(自分に揺るぎない自信がある)音楽だと思っています。「己の願望は、たとえ死んでも必ずかなう。」そういうワーグナーの音楽における憧憬は、長6度上昇の「いずれかなう憧憬」がふさわしいように思います。ただワーグナーにしても、願いが成就するまでには様々な苦難や葛藤があるだろうし、そのあたりがトリスタンとイゾルデの前奏曲にも、しっかり現れているように思いました。一方マーラーの音楽は、ワーグナーと異なり、「憧れて、届かない」というところに根っこがあるように思っています。特に、アルマの不倫の衝撃にあえぎながらアルマを愛す10番は、マーラー作品のなかでもその性質が最もストレートに出ていると言えるでしょう。これには、短7度上昇の「かなわないかもしれない憧憬」がまさにぴったり一致する、と腑に落ちました。マーラーとシュレーカーの表現が、そっくり同じA→Gの3回繰り返しなのは、偶然の一致なのか、何かのつながりがあるのか、真相はわかりません。ひとつ思うのは、時代背景です。この時代(1910~1920年頃)が持つ雰囲気そのものの中に「かなえられない憧憬感」があって、その中でマーラーやシュレーカーの音楽表現が醸成されやすかったのだろう、と思います。このところ、シュレーカーのオペラ「烙印を押された人々」を繰り返し聴いて、はまっています。このオペラ、まさに「かなえられない憧憬」の物語で、それが音楽的に見事に表現された素晴らしいオペラです。そして、ところどころにマーラーの色濃い影響を感じます。たとえば、ここぞというところで、静かに吹かれるバスクラリネットの意味深さ。より具体的なところでは、第二幕中ほどの、点描的なハープや、さらにそれにフルートソロが重なる部分など、9番の第一楽章の雰囲気にかなり近いです。これを聴くと、少なくともシュレーカーがマーラーの9番(1912年初演、ウィーン)を聴いたのは確実だと思います。マーラーはオペラを書きませんでしたが、その代わりにシュレーカーやコルンゴルトが、素晴らしいオペラを残してくれたこと、実にありがたいことだと思います。長くなってしまいました。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。なおマーラ10番については、金子建志氏著、音楽之友社「マーラーの交響曲」(1994年)および「マーラーの交響曲・2」(2001年)に書かれた解説が、楽曲分析、補筆史ともに非常に詳しく、大変興味深いです。今回久しぶりに読み返して、あらためて納得することがいろいろありました。
2024.01.27
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3月9日、二日目の上演です。昨日よりもさらに良い天気になり、晴れやかな気持ちでホールにやってきました。この日のパウル役は、最初の予定の歌手が体調不良のため、代役で、山本康寛さんが歌いました。びわ湖ホール声楽アンサンブルに所属の方です。このパウルが、素晴らしかったです!歌が素晴らしかったのは勿論のこと、ちょっとした仕草も、場に即した、いい演技が随所に見られました。極めつけは第一幕の序盤、マリエッタが初めて登場する場面の仕草でした。第一幕の音楽は全編息もつけないほどの絢爛たる音と声の連続でどこも大好きです。その中で特に僕が好きな場面のひとつが、マリエッタが初めて登場するシーンの音楽です。登場したマリエッタが美しかったマリーにそっくりなのを見てパウルが「不思議だ!(Wunderbar!)」と感嘆の声をあげます。ここで天才コルンゴルトが書いたオケの音楽は、感嘆に打たれるパウルの幸福な衝撃をきらめくように鮮やかに映し出す、極めて印象的な一瞬です。この場面で、初日のパウルは、登場したマリエッタにすかさず近づき、左手に口づけしてから、「不思議だ!」というのでした。この一連の動作にはかなりの違和感がありました。オケの音楽はパウルの感嘆の衝撃を見事に表しているのに、肝心のパウル自身が感嘆の衝撃を全くもって感じさせず、余裕を持ってマリエッタの手に口づけをしているわけです。演出の指示でこうやっているのだとしたら、音楽の内容に無頓着な演出だなぁ、といささか疑問を持った仕草でした。ところが二日目は違ったのです。登場したマリエッタを見たパウルは、驚きに打たれて思わず少し後ずさりしました!そしてその場所で「不思議だ!」と感嘆の声をあげ、そのあとようやく気を取り直してマリエッタに近づき、そして手をとって口付けをしたのでした。これこそまさにコルンゴルトが書いた音楽の内容にぴったりと合致した一連の所作です。演出の指示が元々こうだったのか、それとも演出の指示は初日のとおりで、それを敢えて破ってご自分で判断してこの所作をしたのかはわかりませんが、もし後者だとしたら見事な判断です。この二日目のパウルは全編にわたって本当に素晴らしく、最後の場面の歌はパウルの、亡き妻への名残惜しさを抱きつつも前向きに生きて行こうという意志も現れていて、もう本当に感動に浸りながら聴いていました。家政婦ブリギッタ(池田香織さん)、友人フランク(黒田博さん)ともに、初日の方々と同様に素晴らしかったです。この日のマリエッタ&マリー役の飯田みち代さんは、どちらかというと自由奔放なマリエッタよりも真面目なマリー的な性格表現に親和性が高い歌唱で、初日とはまた違った雰囲気を楽しめました二日ともすこぶる充実した上演でした。沼尻さんの指揮は緩急のツボを押さえた本当に素晴らしいものでしたし京響も金管軍団を筆頭に、この難しい曲を良く演奏していました。ハーブやチェレスタが非常に活躍するこのオペラを生で聴けて、極上の体験をすることができました。このすぐ後、同じ3月に新国立劇場でも死の都が取り上げられます。こちらも大変楽しみにしています。
2014.03.13
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連休の今日、ちょっと風邪気味で行動も限られるので、TSUTAYAからDVDを借りてきて、見ました。映画「シャッターアイランド」。実におもしろい!1950年代のアメリカの、とある孤島。ストーリーについてはネタバレになるので一切ふれませんが、実に面白かったです。そして、音楽がすごく良いのです!映画が始まって間もなく、主人公と相棒が入っていった部屋に、レコードがかかっています。憂いを帯びたピアノカルテットです。相棒が、「ブラームス?」と尋ねると、部屋の主は「いや」と答えます。少し間をおいて、主人公が考えつつ「マーラー」と。そう、マーラーのピアノ四重奏曲断章なのです!(一応マーラーファンとしてつっこみをいれておくと、1950年代にこの曲のレコードは出ていないと思いました。最近音楽の友社から出たマーラーのコンプリート・ディスコグラフィーを見てみると、この曲の草稿は1973年に発見され、初録音は1973年と記されています。やはり、これはありえないレコードでした。)しかしそんなことはどうでも良いのです、この曲が実に効果的に使われています。しかもこれだけではないんです。全編にわたって、音楽のセンスが実に良いんです。抑制のきいたしずかな音楽が、あるときは不気味に、あるときは悲しみをたたえて、鳴っています。これは本当にすばらしい。それで映画が終わって、エンドクレジットを注意して見ていると、映画に使われた音楽の曲名がずらずら出てきます、その選曲のマニアックなこと!ざざっとあげると、リゲティ:ロンターノ, Two Etudes から HarmoniesIngram Marshall:Fog Tropes, Prelude - the Bayペンデレツキ:交響曲第三番, Fluorescencesケージ:Music for Marcel Duchamp, Root of an UnfocusNam Jine Paik:ジョン・ケージへのオマージュシェルシ:Quattro Pezzi, Unaxuctumフェルドマン:Rothko Chapel 2シュニトケ:賛美歌第二番(チェロとコントラバスのための)ハリソン:Suite for Symphonic Strings から Noctureアダムズ:Christian Zeal and Activity, 「僕のお父さんはアイブスを知っていた」から The LakeRobert Erickson:Pacific SirensTim Hodgkinson:Fragorすごいですね。中にはまったく聞いたことのない名前もいますが、多分ここまでは皆さんクラシックの作曲家だと思います。さらに、ブライアン・イーノ他:The Last Day, Lizard PointChurchill Kohlman:CRYMax Richter:On the Nature of DaylightClyde Otis:This Bitter Earthなどなど、おそらくクラシック以外と思われる人たちの作品も使われていました。最後の「This Bitter Earth」という曲は、エンドクレジットの後半に、弦楽を伴奏にした女性ボーカルが、しずかな悲しみをたたえて歌っていて、とても印象的です。エンドクレジットには、Music Supervised by Robbie Robertsonと大きく出ましたので、このRobertsonさんが音楽の責任者と思われました。しかしさらに良くみていたら、あとの方でずっと小さく、Music Research by Jared Levineという名前も出てきました。良く知らないけど、普通 Music Research なんて出ないですよね。もしかしたらこのLevineさんが現代音楽マニアで、映画にあいそうな曲をいろいろと考えて、Robertsonさんに提言したのかも、などと想像しました。それにしてもこの選曲のセンス、ほんとにナイスです。マーラーファン必見とまでは言いませんが、上記のあたりの音楽が好きな方には、おすすめの映画です。---------------------------以下、追記です。マーラーのピアノ四重奏曲断章の出版年代ですが、上記した音楽之友社の「コンプリート・ディスコグラフィ・オブ グスタフ・マーラー」に、浅里公三氏によるさらに詳しい記述がありましたので、引用しておきます。(同書213ページ)”この曲は1964年にニューヨークでニューリン校訂版が出版、復活初演されるまで忘れられていた。広く知られるようになったのは、1973年にルツィチュカ校訂版がハンブルグで出版されてからである。最初に行われた録音も、同年に行われたサルヴァトーレ・アッカルドが主宰するナポリ国際音楽祭でのライブであった。”ということで、そもそもは1960年代だったようです。いずれにしても映画の設定よりはあとの時代であることは一緒です。僕の持っているこの曲のディスクは、浅里氏が紹介しているクレーメルらによるものと、エッシェンバッハのピアノ他による演奏(ライブ録音)です。映画をみたあとしばらくはまって、聴いていました。クレーメル盤が11分4秒、エッシェンバッハ盤が13分23秒!後者の緩急の幅の極端な広さも良いですが、やはりクレーメル盤はすばらしい。(2010年10月17日追記)
2010.10.11
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3月8日と9日、びわ湖ホールでコルンゴルトのオペラ「死の都」を聴きました。舞台形式として日本初演です。沼尻竜典オペラセレクションコルンゴルト 「死の都」指揮 沼尻竜典演出 栗山昌良京都市交響楽団びわ湖ホール声楽アンサンブル大津児童合唱団このオペラ、CDで初めて聴いたときから非常に感動し、滅茶苦茶好きになりました。いつか生舞台で観る機会が来ることを楽しみにしていました。それが今回ついに実現することになり、しかも沼尻さんの指揮ですから大いに期待していましたこのオペラは、新国立劇場でも同じ3月に上演があり、それは大分以前から知っていました。沼尻さんのびわ湖ホールでの上演を知ったのはそれより大分あとでした。仕事で3月6日と7日に大阪に泊まる予定があり、それで8日に関西方面で何かコンサートはないかと検索したら、なんと死の都が出てきてびっくり仰天しました。これは絶好の機会とばかりにびわ湖行きを決めました。元々3月9日には横浜でインバル&都響のマーラー8番があり、それに行くつもりでしたので、最初は8日びわ湖、9日横浜という計画を考えました。しかし死の都、それも沼尻さんの死の都を今後聴けるチャンスはそうはないだろう、それに比べればインバルのマーラー8番はいずれまた聴く機会があるだろうと考え、琵琶湖に一泊してこの貴重なオペラ上演を二日間聴くことにしました。上演が近づくのにあわせて保有するCD(ラインスドルフ指揮、ルネ・コロ、キャロル・ネブレット、ヘルマン・プライ他、1975年録音)を聴きかえしては感動に浸り、上演を楽しみにしていました。事前の大津の天気予報は最低気温マイナス一度で曇り時々雨または雪!ということで、寒さを心配しながらやってきましたが、当日は幸い曇り時々晴れでした。いずれ来てみたかったびわ湖ホールに、初めて訪れる機会でもありました。JRから京阪電鉄の味わいあるローカル線に乗り継ぎ、湖畔に聳えるびわ湖ホールに到着しました。ロビーから臨む灰色がかった緑の湖面と、その向こうにうっすらと白く雪を被った山々が、美しいです。ロビーのレストランでサンドイッチを食べてコーヒーでくつろぎ、少し時間があったのでホール裏手の湖畔の散歩道を散策しました。犬を連れて散歩する方が沢山いらしゃいました。さていよいよ初日の上演です。このオペラ、冒頭からすこぶるハイテンションの音楽が続きます。特にテノールの主人公パウルは、第一幕序盤に登場してから、熱に浮かされたような高揚した気分で第一幕をほぼずっと歌いつづけ、しかも高音がばしばし出てくるので、さぞや大変だろうと思います。初日に関しては、このパウル(鈴木准さん)が不調だったのが残念でしたが、ほかは皆さんすばらしく、メゾソプラノの家政婦ブリギッタ(加納悦子さん)、主人公パウルの友人であるバリトンのフランク(小森輝彦さん)ともに、深い声で役割りを充分にこなしていました。このオペラのもう一人の主役である、パウルが惹かれる踊り子マリエッタ(亡くなったパウルの妻マリーとの一人二役)を歌ったソプラノ砂川涼子さんが非常に素晴らしく、第一幕、第二幕、第三幕と進む毎にマリエッタの奔放で自由な性格の描き出しが鮮やかで、圧倒的な存在感でした。このオペラの聴かせどころの名アリアが二つあります。一つは第一幕でマリエッタ、ついでパウルが加わって二重唱で歌われるリュートの歌、もうひとつは第二幕で道化師フリッツが歌うピエロの歌、これどちらも、沼尻さんはぐっとテンポを落とし、じっくりとうたわせて、歌手たちもそれに充分に答えて、感動のアリアを聴かせてくれました。フリッツ(バリトンの迎肇聡さん)の歌、泣けました。第三幕の最後、夢から醒めたパウルが、死の都ブルージュから去ることを決意して歌う最後のアリアは、第一幕のリュートの歌と同じメロディーで、歌詞が異なって、パウルのしみじみとした心境が歌われます。このあたりになるとパウルの歌がいよいよ心に染み、感動もいよいよ極まります。歌い終えたパウルが名残惜しさを残しつつ舞台(パウルの部屋)から去り、最後の和音が静かに消えていきます。幕切れの仕方は、保有するCDの対訳のト書きによると、舞台に最後に一人残ったパウルが去っていき、幕が下りる、と書いてありました。それで自分としては、音楽が静かに消えていくと比較的すぐに照明が落とされて真っ暗になって終わるのだろうな、と想像していました。自分としてはしばらく静寂の中で感動の余韻に浸りたいな、だけれど暗くなったらすぐに拍手が始まってしまうだろうな、と思っていました。しかし、今回の演出は、そこに素敵な工夫がされていました。パウルが去った舞台上には、一人家政婦ブリギッタが残り、音楽が鳴り止んでも照明が明るいままです。ブリギッタは完全な静寂の中しずしずと歩いて舞台正面に置かれた燭台を手に取り、後方にゆっくりと後ずさりしてそこで初めて、照明がゆっくりと落とされはじめ、幕が下がりはじめ、そして拍手が起こりはじめました。なんと素敵な工夫でしょう。これによって、音楽が鳴り止んでから暫くの間、ホール内の皆が静寂のひとときを共有でき、感動の余韻に浸ることができました。かくて初日は、大感動、大満足の体験となりました、マリエッタ(マリー)の名唱を筆頭に他の歌手たちの見事な歌いぶりが光る初日でした。パウルの声の不調だけが残念でしたが、オペラで登場歌手の全員が絶好調ということはなかなかないですから、これはやむを得ないことかと思います。パウルも、最後の歌はしみじみとした味わいの心に残る歌を聴かせていただきました。そして聴かせどころをたっぷりと聴かせてくれた沼尻さんの指揮は本当に素晴らしいと思います。字幕翻訳(蔵原順子さん)もCDの翻訳とちょっと違った味わいで、素敵でした。初日を聴き終わって本当に充実感がありました。これでもし二日目が聴けないとしても、それでもいいなぁと思うほどの満足感がありました。幸福な余韻に浸りつつ、宿に向かいました。
2014.03.13
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またまたマーラーを聴きに、京都コンサートホールにやって来ました。3月の広上&京響の神懸かり的な8番の感動が蘇って来ます。今回は、アマオケによる3番です。--------------------------------------------------------------------デア・フェルネ・クラング 第4回演奏会エルンスト・フォン・ドホナーニ チェロと管弦楽のためのコンチェルトシュテュックマーラー 交響曲第3番指揮:角田鋼亮チェロ:佐古健一アルト:池田香織女声合唱:TSC特別合唱団児童合唱:京都市少年合唱団管弦楽:デア・フェルネ・クラング6月11日 京都コンサートホール--------------------------------------------------------------------まずこの演奏会のチケットが素敵です。大きな赤い字で、「さあ、夏がやってくる」と書いてあるのです!マーラー3番のチケットとしてこれ以上のものはないかと思います。ただ、もぎりの切り取り線がどこにもありませんでした。当日、会場時刻少し前に入り口で並んでいると、係の方が、「チケットは入場時に回収します」と呼びかけるではありませんか。これを手放すのは残念です、せめて写真にとっておこうと思って、通路の手すりにチケットをそっと載せて、苦しい体勢で急遽撮った写真がこちらです。入場して、このチケットとはさよならしましたが、代わりにいただいたプログラムの表紙が、またとんでもなく素敵です。それがこちらです。若いころのマーラーの写真をバックに、この言葉。もう素晴らしすぎです。ホール内に入ると、まず目に付いたのが、P席後方、オルガンの左横に鎮座していたチューブラーベルです。この充分に高い配置、これは期待できます!あと、さらにホール内を見渡すと、ホール左前のコーナーの、非常に高いところにあるボックススペースに、譜面台が1台置いてありました。これはおそらく、ポストホルンをここで吹くのでしょう。舞台裏でなくて残念です。さて今日のプログラムは意欲的なもので、前半にドホナーニのチェロ協奏曲という、かなりマニアックな曲が演奏されました。作曲者は、指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニのお父さんですね。初めて聴く曲でした。チェロのソリストがかなりの美音で繊細で、聞き応えがありました。休憩の後、マーラー3番です。弦楽は通常配置で、下手にハープ2台でした。オケが入場してきました。先ほどのドホナーニの曲のソリストの方が、チェロのトップに座りました。そして始まった第一楽章、ホルン主題提示時のギアダウンはありませんでした。ひき続く練習番号1の静かな部分、緊張感がみなぎっていて、非常に良いです。第32小節でヴィオラがトレモロでffで入ってくるところ、すごい気合いで、しびれました。その後も気合の入った演奏が続きます。トロンボーンのモノローグは、トロンボーンも良かったのですが、そのときに小さく合いの手を入れる低弦が、緊張感があって重く、静かな音の中に気合が詰まっていて、素晴らしかったです。この合いの手を、これほどしっかりと意識させられることはそれほど多くなく、とても好感を持ちました。夏の行進が小さく始まって、弦の半分が演奏するところ(練習番号21~25と、63~65)は、弦の各セクションの後方のプルトが弾いていました。この後方プルト方式に僕が接するのは3回目です。最初は、2011年の大野&京響で、次が2015年のノット&東響でした。3回目となる今回は、遠くから夏がしだいに近づいて来る、という感じがほどよく出ていて、後方プルト方式もなかなかいいな、という感じを初めて持ちました。僕が3回目で慣れたせいもあるでしょうし、今回の演奏自体も良かったのだろうと思います。その後の第一楽章も、夏の訪れの喜び、幸福感がしっかりと感じられ、素晴らしかったです。これを聴いていて、この第1楽章が終わったら拍手したいなぁ、という気持ちにもなりました。(アルマの回想によると、3番の初演の際に、第一楽章の終わったときにものすごい歓呼がわき起こったそうですので、いい演奏のときには、気持ちとしてなんとなく拍手したくなるのです。)そうしたら、第1楽章が終わったとき本当に、自然発生的に拍手がパラパラと湧きおこりました。すぐに静まる短いものではありましたが、僕もうれしくて、エアー拍手で参加しました(^_^)。第1楽章が終わって、合唱団が入場して来ました。その配置が素晴らしく、Pブロックの前寄り2~3列が女声合唱73人で、その後ろ2~3列が児童合唱55人でした。すなわち、2010年の尾高&札響がやっていたように、大人の合唱よりも高いところに児童合唱が位置したわけです。そして児童合唱のすぐ後ろにチューブラーベルという、理想的な配置です。一方で、独唱者がいつ入場したかは、僕の席からは見えなくて、わかりませんでした。第2楽章の演奏は、オケがちょっと消化不良気味でした。第3楽章は、思ったとおりポストホルンがホール内の左コーナーのボックススペースで吹かれました。見た感じでは、普通の小さいポストホルンを使っていました。これはやはり舞台裏で吹いて欲しかったです。第3楽章が終わって一息つくと、舞台下手中程、ハープのそばで、独唱者がやおら立ち上がりました。いつの間にかこちらにひっそりと入場していたようです。これは今年1月の坂入&東京ユヴェントスフィルのときにもやっていた方式です。このようにあらかじめホール内に入って座っていることで、拍手が起こることをかなり完璧に防げるので、とても良い方法だと思います。第4、5、6楽章のアタッカあに関しては、しっかりとしたAAスタイルでした。(○○スタイルについては関西グスタフマーラー響の3番(その3)の記事をご覧ください。)詳しく言うと、合唱と児童合唱は、第4楽章の最後あたり、まだ演奏中に、指揮者の合図で静かに立ち上がりました。それで第4楽章が終わってそのままアタッカで第5楽章が始まりました。そして第5楽章が終わった時は、合唱団は立って静止したままで、束の間の静寂のあと第6楽章が始まり、少したってから合唱団が静かに着席するという、オーソドックスな方法でした。第6楽章は、遅めのテンポで、とても充実していました。最後の方の金管コラールから曲の終わりまで、テンポを速めずに、ゆったりたっぷりと歌って、感動に浸りました。今回の3番は、中間楽章の完成度は今一つでしたが、なんといっても第1楽章と第6楽章が、幸福感があり、本当に充実した素晴らしい演奏でした。指揮者の角田さんは2010年の第3回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールのファイナリストだそうで、正攻法の、マーラーの意図に沿った、良いマーラーでした。唯一注文を付けたいのは場内ポストホルンだけで、あとはスコア通りに、やるべきことをしっかりやっていただき、感動的な音楽が聴けました。オケも良かったです。団員の多くが若い人でした。プログラムによるとこのオケは、2011~2012年の名古屋マーラーフェスティバルを機に創立され、2年に一度集まって、これまで名古屋で3回の演奏会を行い、巨人、シベリウス7番、マーラー9番、ショスタコーヴィチ10番などを演奏したそうです。今度の第4回が名古屋以外での初演奏会ということです。マーラー好きが全国から集まっているオケって、いいですね。今回さらに、ドホナーニのソロを弾いた佐古健一さんがチェロのトップを弾き、チェロセクションだけでなく、オケ全体を牽引する大活躍をされたことも大きかったと思います。低弦の音がしっかりとして、重心の低目の安定した音が鳴っていたように感じました。今回もまた、アマオケの良さが出た温かい3番が聴けて、大きな感動をいただきました。今回、演奏のみならず、企画がすごく良かったと思います。チケットやプログラムのデザインに「さあ、夏がやってくる」という言葉を載せるというセンスが素晴らしすぎますし、そしてまさにもうすぐ夏がやって来るというこの季節に3番を演奏する、というタイミングも、おそらく計算してのことだと思います。このオケ、宣伝をあまりしてないですが、ネットでより情報を発信しつつ、今後もマーラーを演奏していっていただきたいと思います。東京のマーラー祝祭管、関西のグスタフ・マーラー響、そして名古屋(全国)のデア・フェルネ・クラング、それぞれのマーラー特化オケが、引き続きそれぞれのマーラーを奏でていくことでしょう。演奏が終わってホールを後にするとき、曇っていた空が晴れて、青空がきれいでした。「さあ、夏がやってくる。」 ○おまけ:京都でのマーラー3番の、ポストホルンの位置まず今回の3番で、ポストホルンを吹いた位置を示しましょう。この写真は、京都コンサートホールのホームページからコピペさせていただいたものです。この写真で黄色の☆印で示したボックススペースで、今回ポストホルンが吹かれました。京都コンサートホールにいくつかあるこのようなボックススペースは、このホール独特の個性的な特徴ですね。バンダなどにいかにもおあつらえ向きに作ってあるので、ついつい使ってしまいたくなるのでしょうか。僕がこのホールで最初に聴いたマーラー3番は、2007年11月のマーカル&チェコフィルで、そのときもやはりホール内、この同じ黄色の☆印のボックスで吹いていたと思います。もはや記憶があいまいで、もしかしたら青の☆印のボックスだったかもしれませんけど。(なお、マーカル&チェコフィルがそのすぐ後にサントリーで演奏した時には、普通に舞台裏で吹きました。)次に聴いたのは2011年の大野&京響で、これはボックススペースの誘惑(^_^)に負けず、しっかり舞台裏で吹かせていました。あと京都では会場がロームシアターですがもう1回聴きました。2016年の関西グスタフマーラー響(アマオケ)で、ホール内の客席の高いところで吹いていました。すなわち僕が京都で3番を4回聴いたうち、3回がホール内で吹かれたということになります。京都でも是非、普通に舞台裏の風習が根付いて欲しいと思います(^^)。
2017.07.02
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今回のきらクラドンの正解曲は、メンデルスゾーンの真夏の夜の夢からノクターンでした。ちょうど6月22日月曜日が夏至なので、この時期にふさわしいお題でしたね。ホルンと弦楽の響きが美しかったです。何年か前の7月7日のお題が、マーラーの交響曲第5番からアダージェットで、これもマーラーの誕生日7月7日にちなんだ、さりげなくも素敵な出題で、特に番組ではコメントはありませんでしたが、うれしく思ったものです。メンデルスゾーンの真夏の夜の夢の「序曲」を結婚式の再入場に使ったというお便りがありました。そのあと、舘野泉さんの奏するクーラの結婚行進曲のリクエストもありました。この曲の入った舘野泉さんの2枚組のCDは僕も愛聴盤で、以前にこのアルバムからパルムグレンの曲をBGM選手権に投稿したことがあります。そらみみクラシックは、BWV1000番さんの、ブルックナーのテ・デウムです。よもやブルックナーがこのコーナーに登場するとは思いませんでした。BWV1000番さんおめでとうございます!さてさて今回のBGM選手権は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。没後の遺品の中のメモ帳の中に書きつけられていたのが発見され、タイトルもついていないということ、初めて知りました。今回は投稿が極めて多数ということで、増枠して4枠の採用でした。1枠目は、でくのぼうずさんの、グラズノフの吟遊詩人の歌2枠目は、がうさんの、フォーレのパヴァーヌ3枠目は、ひーまんうららさんの、山田耕筰の交響曲「かちどきと平和」の第一楽章冒頭4枠目は、うどんくれめるさんの、カッチーニのアヴェマリア最初のグラズノフの、賢治にちなんだチェロが、悲しくも芯のある歌を奏で、心に響きました。次のフォーレのパヴァーヌは、ふかわさんがおっしゃっていたように、朗読中のピチカートと、朗読後のアルコの両方が胸に沁みて、じーんと感動しました!これがベストに選ばれました。3枠目は前向きさに、4枠目は祈りに重点を置いた選曲でした。ベストを選ぶ時のおふたりのやりとりから、ふかわさんはフォーレをベストとしたことがわかりました。真理さんのベストは、多分チェロのグラズノフだったのかなぁと推測します。続いて番組では、富田勲のイーハトーブ交響曲から第五楽章「銀河鉄道の夜」、第六楽章「雨ニモマケズ」が放送されました。第五楽章の途中にはラフマニノフの交響曲第2番第三楽章のあの美しいメロディーが引用されていました。初音ミクも参加した曲で、美しく、重く、心に残りました。BGM選手権とあわせて、賢治の世界にどっぷりつかったひとときでした。今回、内容的にも、ボリューム的にも、宮沢賢治の回と言っても良いような濃さがありました。そうだ、いつか宮沢賢治スペシャルをやっていただいたら、素敵ではないかと思います!BGM選手権への僕の投稿曲を書いておきます。ヴォーン=ウィリアムズ作曲「ウェールズの賛美歌による3つの前奏曲」から第2曲「ロージメードル」です。原曲はオルガン曲で、それを作曲者の親友アーノルド・フォスターが編曲した弦楽合奏版で応募しました。穏やかな弦楽の響きが、病床の苦しみの中での、前向きさと祈りとが合わさった気持ちを、伝えてくれるように感じました。この曲に僕が出会ったのは30数年前で、マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団のレコードでした。イギリスの弦楽合奏の数々の名品とともに、この曲がB面の最初に収められていました。(このレコードのA面には、今回「勝手に名付け親」のお題となったディーリアスの2つの水彩画も、入っています。)マリナーによるイギリス弦楽合奏曲集のレコードジャケットです。滅多にかけないので愛聴盤とは言えず、家族からは死蔵盤といわれている、僕の愛蔵盤です。マリナー演奏の弦楽合奏版ロージメードルは、のちにCD化もされたようですが、僕はCDを持っていません。調べたところ弦楽合奏版は現在、マリナーと、ヒコックスの二つの演奏のCDが存在しています。今回この曲を思いつき、それでふかわさんの朗読と合わせて聴くために数年ぶりにレコードプレーヤーの電源をいれ、レコードを引っ張りだして、3回ほど聴いたときです、ふいにレコードの音が出なくなってしまいました!ターンテーブルは回っているのに、音が出ないのです。どうもアンプがこわれてしまったようです。さあ困りました。この曲は以前カセットテープに録音しておいたので、古いカセットを詰め込んでしまってある数個の箱を、押入れの奥の方から相当な労力をかけて引っ張り出し、しばらく探して、なんとかそのカセットを見つけ出しました。そして使わなくなっていたカセットデッキも引っ張りだして、数年ぶりにコンポに接続してみました。カセットデッキは動くのだろうか。テープはちゃんと回ってくれるのだろうか、いささか心配しながらもスイッチをいれたら、ちゃんと動いて、この曲をふたたびじっくりと聴くことができました。なお、原曲のオルガン曲は、より讃美歌に近い宗教的な祈りの雰囲気があって、それもとても味わい深いです。オルガンのCDは結構沢山出ているようです。僕の親しんでいるNaxos盤はこれです。ところで、曲のもととなった讃美歌「ロージメードル」を、今回ネットで調べたところ、ウェールズ地方の牧師で作曲家のJohn David Edwardという方が1840年に作ったということでした。その楽譜も見ることができました。http://www.hymnary.org/media/fetch/96165です。タイトルは、「Our World Belongs to God」となっています。この讃美歌のメロディーを知ったうえで改めてヴォーン=ウィリアムズの曲を聴くと、最初の楽節でヴァイオリンが奏でる旋律は作曲者のオリジナルであることがわかります。他の声部との微妙な絡み合いが素晴らしいです。続く楽節で、最初はヴィオラにより、次にヴァイオリンにより、讃美歌のメロディーが2回歌われます。このとき、最初に出てきた旋律が、対旋律として讃美歌の旋律と調和して響き、妙なる音楽が歌われます。その後、また最初の楽節が歌われ、静かに曲が終わります。ヴォーン=ウィリアムズの豊かな楽才がなしえた、本当に美しい音楽です。この弦楽の響きは、風にそよぐ緑の輝きや穏やかな陽ざしを伝えてくれて、聴くたびにじんわりとした感動に包まれます。動画サイトにはアマチュアの演奏も含めて多数アップされています。シンプルに音楽だけ聴くにはhttps://www.youtube.com/watch?v=ie1nvYkdyigがお勧めです。弦楽合奏版です。オルガン曲も複数アップされていて、https://www.youtube.com/watch?v=auJz2LmD-9kがお勧めです。
2015.06.21
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4月29日、アマオケのマーラー3番を聴きました。今年初めてのマーラー3番です。手作りの、心のこもった素敵な3番で、幸せな気持ちになりました。指揮:岡田真管弦楽:オーケストラ・アンサンブル・バウムメゾ・ソプラノ:愛甲久美合唱:コール・クーヘン山崎朋子 合唱曲「変わらないもの」小宮真美子 合唱曲「いつまでも伝えたい」マーラー 交響曲第3番2016年4月29日 オリンパスホール八王子オリンパスホール八王子は、今回初めて訪れました。八王子駅直結と便利で、2000人収容の規模の大ホールでした。ホールにはいって、1階平土間の客席ほぼセンターに座りました。見たところ、反響板などもしっかり作られています。舞台上で練習している何人かの奏者の音の聴こえ方からすると、響きがかなり良さそうで、良い雰囲気の、本格的なホールです。セッティングを眺めると、ハープが舞台下手に2台、コントラバスが上手に10台、通常配置です。舞台後方の雛壇に打楽器が並んでいますが、鐘が見当たりません。そこで客席をぐるっと見渡すと、おおっ、2階左サイドのブロックの、ステージに一番近いところに、チューブラーベルが鎮座しています。そしてそこのブロックは、お客さんが入れないようにしているようでした。ここで児童合唱を歌わせるのに違いありません。期待が高まります。このように、児童合唱だけでなく、ベルと児童合唱をセットで一緒にして高いところに配置するやり方は、マーラーの指定を守った方法ですし、特にこのように客席などを使って思い切り高くすると、効果絶大です。この高さの指示をきちんと守ろうとする指揮者はそれほど多くありませんが、それでもポツポツと遭遇します。ベルと児童合唱をセットで一緒に高く配置した演奏会について、記憶にあるもの及び2009年以降で自分のブログ記事で確認できるものを列挙してみました。 コバケン&日フィル (サントリー)、客席 三河正典&小田原フィル(小田原市民会館 2009年11月)、客席 尾高忠明&札響(キタラ 2010年9月)、客席(鐘はホール外通路) 大野&京響(京都コンサートホール 2011年7月)、客席 沼尻&群響 (群馬音楽センター 2012年1月)、舞台上の雛壇 大植&大フィル 兵庫県立芸術文化ホール 2012年5月)、舞台上の雛壇 アルミンク&新日フィル (すみだトリフォニー、2013年8月)、オルガン奏者用通路 ノット&東響 (サントリー&ミューザ川崎、2015年9月)、客席他に、記事で言及していない、あるいはそもそも記事を書いてない、というためにもはや確認できない演奏会も少なからずありますが、大体毎年1回くらいは出会えるようです。さて今回のプログラムは、マーラー3番に先立って合唱曲が二つ歌われました。児童と女声の2部合唱で、オケ伴奏でした。プログラムによると、“卒業式でも定番の合唱曲「変わらないもの」は、景色が移り変わる中で友に出会い、支えあい、分かち合った思い出を語る、そんな感謝の気持ちを「1年先も10年咲きも変わらない思い」と歌う。発表されたばかりの「いつまでも伝えたい」は、この星に生まれ、生きてゆく幸せに、心からの「ありがとう」を伝える地球賛歌。これから歌い継がれるであろう名曲。”トロンボーンも加わったオケ伴奏に乗った合唱が心をこめて歌う歌は、素晴らしかったです。3番の合唱は出番が少ないですから、それに先立ってまず合唱を歌うというのは、特にアマチュアの演奏会では、合唱の「やりがい」を高め気持ちを充実させる意味で、とても良い企画だと思いました。歌のテーマもこの時期、この状況の中での演奏会にふさわしく、聴いていて、とても感動しました。このあと休憩を挟まず、合唱団が舞台から退場し、オケの残りの人たちが入場し、そして3番が始まりました。ホルンはアシスタントなしの8人です。冒頭のホルン主題から力強く、ゆっくりしたテンポで、演奏されていきます。岡田さんの音楽は、シャープではないですが、丁寧な、心のこもった演奏で、とても好感を持ちました。こまかなミスや、音落ちは、結構ぽちぽちあって、はらはらしますけれど、指揮者の目指す音楽の方向性と、それに共感するオケの気持ちが十分に感じられて、なかなか良い第一楽章でした。ホルン主題時のシンバル人数は、冒頭も再現部も一人だけで、これは人手の点でやむを得なかったのでしょう。それからホルン主題再現前の小太鼓は、舞台裏でなく、舞台上でそのまま盛大に叩いていました。人手や楽器の事情などからやむを得ない現実的な選択だったのだと思いますが、これはやはり残念でした。あと細かな点ですが、気になったことがひとつありました。演奏中に、ごく微かですが、鐘、あるいは鉄琴のような楽音が、たまに聞こえてきたことです。音源は良く分からないのですが、おそらく、2階の客席に置いたチューブラーベルが、何かの具合でオケの音に共鳴するような現象を起こし、ときどき音が鳴ってしまったのではないかと想像します。本当に微かな音ではありましたが、曲の最初から最後まで時々聴こえてきてしまい、少し気になりました。長く出番のないときの打楽器(ベル?)の消音対策が、ちょっと甘かったのだろうと思います。第一楽章が終わったとき、あらかじめプログラムに書かれていたとおり、15分の休憩が挟まれました。ここで休憩をとるのは異例のことですが、演奏者、聴衆の集中力を保つためには、アマオケとしては悪くない方法と思いました。蛇足ですが、第一楽章が終わって休憩にはいるときに指揮者が客席に向かってお辞儀をされたため、拍手が起こりました。第一楽章終了時の拍手には初演時の歴史的な意味もあり、今回はその意味とは異なるものでしたが、それなりに貴重な体験でした(^^)。詳しくはこちらの記事のコメントの7番目、もぐぞうさんからいただいたコメントと、それ以降のコメントをごらんください。http://plaza.rakuten.co.jp/jyak3/diary/201005040000/comment/write/#comment休憩の終わりごろに、合唱団が2階の客席に入場してきました。静まった会場に入場してくるのでなく、まだ休憩中の会場に、気楽に入ってきて、リラックスした感じでした。そしで2階の左前のブロックに陣取りました。ステージに近い方から順に鐘、児童合唱、女声合唱です。合唱団が着席し、オケが入場し、続きが始まりました。第二楽章以降も、ゆっくりとしたテンポで、あたたかい音楽が進んで行きました。そして第三楽のポストホルン(舞台下手のドアをあけて舞台裏で吹いていました)が、実に魅力的でした!ごくごく微かな傷がないわけではなかったですけれど、何よりもその温かな音色と、歌いまわし、歌心にうっとりとさせられ、大感動しました。第三楽章が終わって、独唱者が入場して指揮者のすぐ左隣の椅子に一度着席しました。幸いにも独唱者の入場に際して拍手が起こりませんでした。そして独唱者が改めて起立し、第四楽章が始まりました。第四楽章が終わると、指揮者は指揮棒をあげたまま、客席の合唱団の方を向き、合唱団を立たせて、すかさず第五楽章が始まりました。これならアタッカと言えます。第五楽章、合唱の出番です。この合唱団は、女声合唱と児童合唱とが同じひとつの合唱団で、その名前が、コール・クーヘン。オケがバウムですから、合わせてバウムクーヘン!というお茶目なネーミングですから、オケと一緒に日ごろから仲良く活動されているのだろうと想像します。そしておそらく、この合唱団にはお母さんとお子さんのペアも少なからずいらっしゃるのでしょう。ほのぼのとした感じがありました。おそらくそれほど場数を踏んでいないであろう小さな子供たちを、緊張させないでのびのびと歌えるように、大人たちがいろいろと配慮していたのだろうと思います。しかしそれでも、合唱団がかなりの少人数(児童合唱14名、女声合唱14名)のため、さすがに声量的にちょっと厳しいものがありました。そしてこの第五楽章は、大きな事故が起こってしまいました。途中何箇所かで、オケ伴奏が止まってしまい、合唱がアカペラで歌うはめになってしまったのです。合唱もあやうく止まりそうになりましたが、踏ん張って歌い続け、オケもふたたび鳴り始めて、なんとか楽章の最後まで、到達しました。良かった良かった。なお独唱者の座るタイミングは確認しそびれましたが、第五楽章の途中で坐られていました。第五楽章が終わり、指揮者はそのまま合唱団を座らせることなく、完全なアタッカで最終楽章が始まりました。(合唱団はそのあと少しして、合唱団への照明が落とされるとともに静かに着席しました。いい感じの着席でした。)そして最終楽章が、一貫してゆっくりした歩みで、名演でした。この指揮者の方、決して急がず、ゆったりとした音楽で、フレーズの最後を良くためて、マーラーの歌を温かくうたってくれます。この指揮者の歌わせ方、好きです。マーラーの音楽が、あたたかく、響き渡ります。やがて、最後近くの金管コラール(練習番号26)のところに来ました。第三楽章でポストホルンを吹いたと思われる女性奏者が、第四楽章は舞台上の雛壇に戻って、トランペット席の一番上手側に座っていましたが、ここまでずっと吹かないで来ていました。そしていよいよ、このコラールで、満を持して吹き始めました、当然一番パートを吹かれたのだと思います。この方、この難所も美しく温かく、見事に吹いていただきました。指揮者は、この部分を、少しも急がずゆったりとしたテンポで進め、素晴らしかったです。そのあと、最後の主題の高らかな歌(練習番号29)は、テンポ少し速めましたが、違和感はありませんでした。そのあとも音楽の響きが輝かしく、最後まで充実した音楽に浸ることができました。ブラボー!☆ 演奏会後に思ったこと僕は、常日頃音楽を聴いていて、ちょっとやそっとのミスがあっても、それでがっかりしたり、感動が損なわれたり、ということはほとんどありません。特にこの曲のように難所が沢山あれば、どこかで音がひっくり返ったり、音が出なかったりすることは、ある程度致し方ないことだし、その手のミスは感動体験とはあまり関係がない、と思っています。もちろん技術は大事ですし、できれば高い技術の演奏を聴きたいです。でも音楽の感動の本質は、そことは異なるところにあると思っています。だからこそアマオケの演奏からもこの上ない感動を受けることがあるのだと思います。今回の3番は、オケや合唱団にとって、技術的には正直ぎりぎりのところだったと思います。小さなミスが多発しましたし、第五楽章にはちょっと前例のないほどの大事故がありました。しかしそれでも、僕はとても感動し、幸せな気持ちになりました。そこに、何かひとつの大きな温かなものを感じたからです。やはり指揮者の力が大きかったと思います。指揮者の岡田真さんという方は、プログラム等に紹介記事が載っていないので、プロではないのだろうと思います。セミプロなのか、アマチュアなのか存じ上げませんが、どちらにしても、ここまで温かな3番演奏を実現するというのは、なかなかできないことだと思います。この岡田さんを中心にオケが一つにまとまり、手作りの、心温まる、ほのぼのとした、アマチュアの良さが十分に発揮された3番でした。聴後に、幸せな気持ちになりました。岡田さんと皆様、ありがとうございました。それからポストホルンを吹かれた方について、是非とも書いておきたいことがあります。今回第三楽章のポストホルンを聴いていて、その明るく美しい音色と豊かな歌心に、僕はすっかり心を打たれました。聴いているとき、何故か、あるアマオケの3番演奏を思い出していました。それは2013年10月に府中の森で行われた、TAMA21交響楽団というアマオケの演奏会です。このオケ、驚異的にうまかったのですが、中でもポストホルンが特筆すべきすばらしい演奏だったのです。ちなみにそのTAMA21響の3番演奏会については、独立した記事には書きませんでしたが、こちらに少し書きました。http://plaza.rakuten.co.jp/jyak3/diary/?ctgy=14このときポストホルンを吹かれたのが、守岡未央さんという方でした。そして今回、ポストホルンを聴いているときに、何故かふと、このTAMA21交響楽団の3番のポストホルンを思い出したのです。「そういえばあのときのポストホルンも素晴らしかったなぁ」と思いながら、音楽に浸っていました。そうしたら! 後日ブログ記事を書くために、プログラムに載っているオケのメンバー表を見たら、なんとポストホルン守岡未央さんと書いてありました!TAMA21響のときと同じ奏者だったのです。道理で素晴らしかったわけだし、聴いていてTAMA21響の演奏を思い出したことにも合点がいきました。僕は、TAMA21響の3番を聴いて以来、この守岡さんという方の名前を意識していました。守岡さんは2014年に行われた第12回東京音楽コンクールの金管部門に出場されたので、結果を見守っていたところ、優勝こそ逃したものの、見事に第3位及び聴衆賞を獲得されました。(☆5月7日追記:つい先ほど知ったのですが、守岡未央さんは、2015年日本音楽コンクールのトランペット部門で堂々優勝されてました!!あわせてE.ナカミチ賞、岩谷賞というのも受賞されてました。今やときの人なんですね。知らないで間抜けなワタクシでした。審査結果はこちらに載っています。http://oncon.mainichi-classic.jp/common/result2015.shtmlいまさらながら、今回の3番、すごい人のポストホルンで聴けちゃったわけです(^^)。幸せ度がさらにアップしました!)守岡さんは、今年の7月14日に東京文化会館小ホールでのリサイタルもあります。こちらです。http://www.t-bunka.jp/sponsership/spo_160714.html昼間で聴きにいけないのが残念です。今回の演奏をきいて、ますます守岡さんの音楽の素晴らしさを認識しました。いずれまたマーラーなどを聴かせていただければ、と思います。今後、新進トランペット奏者としてますますご活躍されることを、大いに期待しています。なおメゾソプラノの愛甲さんは、宮崎県出身で、現在大分県立芸術文化短大で教えられているということです。ロビーには九州の震災の募金が行われていて、僕もささやかながら募金をしました。愛甲さんを通じて、被災者の方に届けられるということでした。
2016.05.05
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