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2007年01月21日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
一昨日フジテレビの金曜プレステージというドラマ枠で「壊れた脳生存する知」という山田規畝子さんの著書をドラマ化した作品が放送されていました。その著書は整形外科医である彼女が4度の脳卒中で倒れながらも小学生の息子と必死にリハビリに取り組む姿を実話を元に書いたものです。

私の父も山田規畝子さん同様「高次脳機能障害」となり、丁度今父が入っている施設の理学療法士の方から「是非ご家族の方はこれを読んで理解を深めてください」と言われた一冊でした。私はとりあえず母に買って「先に読んでみて」と渡してきたので、まだ読んでなかったのですが、先日母から「ドラマ化されるらしいから見ておかれー」と電話がかかってきて、録画して見ました。丁度良いタイミングでした。

厳密には父と症状は異なり、一口に「高次脳機能障害」と言っても様々のようです。私の父の場合はまだ山田さんより症状が軽くはあるみたいですが、そうは言っても父も年ですからなかなか思うように回復しません。

大塚寧々さん演ずる山田さんの何度倒れても必死に生きようとする姿と、それを支える幼い息子の姿にただただ感動でした。あまりここで書いてしまうとアレなので詳細は実際に読んでみてください。きっと感動すると思います。

私が見て感じたのは病気や症状が患者にとってきついという事もさることながら、それに対する社会の理解不足がより患者を苦しめるんだなということです。逆に言うとどんなに辛くて苦しい障害があったとしても、家族や周りの環境がそれを支えてくれさえすれば乗り越えられるという事が今更ながら身に染みました。ドラマの最後に山田さんの実際の映像が流れていましたが、本に書かれているのは決してキレイ事ではなく、体験した者がわかる愛の記録だと思います。

それにしても山田さんもなかなか五体満足といかない状態でよくこれだけの本を仕上げられたものだと思います。さぞ大変だったことでしょう。私も「書くの疲れた」とか「しんどい」とか言ってる場合じゃないですね。違う部分でも私自身も勇気づけられました。

さて、今日は日曜なので小説の日です。前回までの分は毎週日曜のブログを参照してください。前回までの分が読み辛い場合や余りにも長過ぎて過去の話を忘れてしまった場合は下記のまぐまぐバックナンバーの方でも本文のみ公開していますのでご確認ください。

↓メルマガ「短編小説家」のバックナンバー
http://blog.mag2.com/m/log/0000169503/


※この作品はフィクションであり、実在する、人物・施設・団体とは一切関係ありません。

正義のみかた

第二十四章 白昼夢

「判決を言い渡す。被告に反省の余地は見い出せず、再犯の可能性は依然残る。よって無期懲役とする」

被告席に立つ少年は失意の内にうなだれるかと思っていた。しかし実際には違っていた。口元にはうっすらと笑みさえ浮かべている。その顔は裁判にまつわる全てのつまらなく疎ましい行事、儀式が終わり、これから晴れて少年刑務所内での新生活を楽しみにしているようにすら見えた。

その瞬間私は背筋が凍り付くようなおぞましさを感じた。悪魔だ。こいつは人の皮を被った悪魔だ。およそ人の心なぞ持ち合わせてなどいない。人間らしい心を求めるなんて無理な話なのだ。

確か私は裁判に勝ったはずだ。被告を有罪にし、現少年法の下、最重刑である無期懲役の判決が下されたのだから。しかし何だあいつの表情は?それを確認した私は裁判に勝っても嬉しさも何も込み上げてこなかった。むしろ一層の無念さが私の心を鷲掴みにした。ごめん、洋子、梓。俺にできる限りの事と言えばせいぜいこれくらいのことだ。ごめん。

そして守衛に囲まれながら退廷する際、傍聴席に私を見つけた悪魔は、未だ私の脳裏から離れない一言を言い放った。
「よう、旦那さん。奥さんの体は最高だったぜ」

次の瞬間私は吠えた。頭の中が真っ白になり、傍聴席の柵を乗り越え少年にただ掴みかかろうとした。その目論みは守衛の力強い制止によって達成されなかった。頭の中では「殺してやる!!殺してやる!!」と繰り返し連呼し、意味もない絶叫を発していた。放り出した洋子と梓の遺影が笑顔のまま、怒り狂う私を見つめていた・・・

もしあの時制止されなかったらどうしていたであろか?手錠に繋がれ、両手の不自由な被告の少年を気が済むまで殴り続けたに違いない。気が済むまで?どれだけ殴れば気が済むのだろう?例え少年がぐったり動かなくなったとしても殴り続けていたに違いない。悪魔を退治するのだから法が許してくれなくても神が許してくれるだろう?

開廷前に随分早くやってきた私は誰もいない法廷の傍聴席に独り座って7年前の事を思い出した。福岡地方裁判所は仕事柄何度も訪れる場所ではあるが、私の忌み嫌う場所の一つでもあった。握り締めた拳がわなないていた。裁判所としては結審し、終わった過去の判例かも知れない。しかし私の中では何も終わっていないのだ。多分私の人生が終わるまで終わる事はないであろう。未だに目を閉じるとあの時の光景が蘇る。蘇らなくても良いのに・・・。

今日で一つの事件の決着が付く。第三者にしてみればただそれだけのことだ。テレビで裁判の結果が報じられる。翌日の新聞でも報じられる。ネット上でも報じられる。受け取り方は人それぞれだろう。良かった、残念、当然だろう、そんなバカな。しかし大部分の人とこの事件との関わりはそこで終わりだ。ニュースや新聞は次の話題を探し求める。

原告は一人置き去りにされる。別に世間の注目を浴びたくて裁判を起こしているわけではない。しかし裁判が終わると無量の寂寥感が彼を襲うのだ。彼は世間にも、そして家族にも置き去りにされ、今後の人生を一人歩んで行かなければならない。

私が随分と早く家を出、そして随分早く裁判所入りしたものだから、マスコミは私を捕らえる事ができなかった。さぞ悔しかっただろう。しかし私は別にマスコミを撒くためだけに早く行動したわけではない。あの時を思い出し、自分の決心を固めたかったのだ。

一旦弁護士控え室に戻った私は開廷まで資料の最終確認や流れを再確認する。もう何度とやってきた事だ。だが最後の最後で手を抜くわけにはいかない。準備は万全だ。成すべき事は全てやった。後は今日の弁論本番を残すのみだ。

開廷時間が迫ってくる。傍聴席も徐々に埋まりつつあった。傍聴席最前列中央には原告の若葉和明さんが亡くなった幸恵さんと来未ちゃんの遺影を掲げて座る。口を真一文字に結び、ただひたすら正面を見据えていた。

その後私も法廷に入った。若葉さんの視線を感じた。当然好意的な視線ではないだろう。私は若葉さんの顔を見る事ができなかった。ただ私は後ろめたい事をしているつもりはない。どんな凶悪犯罪者にも弁護人を付ける権利は有するのだ。法治国家として当然であった。

「それでは開廷致します」
裁判長の声が朗々と裁判所内に響き渡った。今日は8月23日。奇しくも洋子と梓の命日でもあった。





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Last updated  2007年01月21日 20時15分49秒
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