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北海道の写真で厳選したもののみInstagramにアップしています。さて、これにて北海道関連の記事はとりあえず終了です。これからしばらく忙しくなるので、更新も休みがちになります。落ち着いた頃に更新していきますので、またお会いしましょう。
2021年10月01日
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今回の北海道ツーリングのまとめ動画を作りました。北海道ツーリングの世界観を感じていただければ幸いです。後日、高画質版をアップロードしました。ぜひ4Kテレビでご覧ください。【再編集高画質版】2021北海道ツーリング
2021年09月30日
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今回は、函館滞在中に少しお話しした過去の心霊話です。怖いものが苦手な方は、ここで読むのをやめることをおすすめします。↓↓↓↓それは函館滞在2日目の話。私は青函連絡船記念館摩周丸に来ていた。ここは、昔起きた悲劇【洞爺丸事故】の詳細が語られている場所でもあるのです。資料を見ながら私は、日本一周の時に起きた心霊現象を思い出していました。それは2007年の10月。北海道を走り尽くした私は、本州に渡るべく函館に来ていた。帯広のカニの家で知り合ったメンバーと酒盛りをしながら、唐突に【洞爺丸事故】の話が出てきたのだ。それは1954年9月26日。当時の青函連絡船である洞爺丸をはじめ、多くの船が台風で遭難し沈没。1000名を越える死者行方不明者を出したという悲惨な事故のことだった。すると旅仲間の1人が語り出した。「函館からさ、すこし西に行ったところに七重浜ってあってさ、そこに遭難した水死体が200体ほど打ち上げられたんだって」この旅仲間はこんな話が大好きで、襟裳の100人浜の由来も嬉々として語っていた。その時はみな、「ふーん」と聞き流す程度だった。翌日。私は北海道最南端の白神岬まで出向いた後、青函トンネル記念館に来ていた。展示はさほど興味を惹かれなかったのだが、その中に昨日話に上がった洞爺丸事故の新聞記事が拡大コピーされているコーナーに釘付けとなっていた。今思えば、この時から何かしら憑いていたのだろう。そしてその展示には、七重浜に慰霊碑がたてられたとあった。それを見た瞬間、「これは行かなければ」と強迫観念にも似た強い気持ちに囚われていた。そして到着した七重浜。駐車場がなかったので、となりにあった開店準備中のドンキホーテの駐車場に停めさせてもらう。浜に出る前にコンクリートで作られた慰霊碑が立っていた。花も添えられておりどれも新しい。誰かがずっと管理しているのだろう。慰霊碑から海岸に出てみる。弓状に湾曲した海岸からは、函館山と市街地がよく見えとても気持ちのいいところだ。ここは海水浴場にもなっているのだが、北海道では晩秋にあたる10月に、ここにいる者は皆無であった。私は海岸に向けそっと手を合わせ目を閉じた。するとここで不思議なことが起きたのだ。私は目を閉じている。なのに目の前がよく見えるのだ。いや、目で見ているのではない。頭に直接画像が入ってきている感じだ。そしてその画像の左端に、人の集団が写り込んでいた。こんなに広い浜辺で、満員電車のようにすし詰めで立っており、みな昭和の服装で頭巾をかぶっている者もいた。そしてその全員の足が、ない。地面は影だけあり足はぼうっと消えていたのだ。慌てて目を開ける。すると目の前には先程と変わらない浜辺が広がっていた。私は血相を変えてバイクに駆け戻った。そしてバイクにキーを差し込もうとかがんだ瞬間、私の周りを囲むような形で人の気配を感じた。恐ろしくて顔をあげられない。そこで私はそのままの姿勢で「私についてきてもなにもできることはありません。本当にすみません」と何度も何度も念じた。すると人の気配はスッと消え、目の前の国道の喧騒が戻ってきたのだった。私はバイクを始動して振り返ることなく走り去るのであった。こぼれ話は以上になります。この頃は若かった影響もあるのか、やたらと霊感が強く、日本一周中に3回も心霊体験をしました。今はまったく霊感がなくなってしまい、安心したような残念なような(笑)
2021年09月29日
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北海道を走るとかなりの確率で遭遇するのが【暴走車】です。今回はそれにまつわるお話。それは函館から登別に向かう途中。時間調整のために高速を走っていた時の話です。有珠山SAより下り方面は1車線なんです。そこを流れに乗って走っていたのですが、後方からやたらと飛ばすSUV登場。追い越し区間でさっさと抜いていけばいいのに、ビタ付けして一向に追い越さない。私の前には乗用車が一台いるだけ。あまりにも車間距離が短いので危険を感じ、次の追い越し区間で前の乗用車を追い越して、走行車線にすぐ戻りました。すると、そのSUVも追い越してきたので、道を譲るべく減速。するとそのSUV、なんと私の鼻先スレスレに割り込むように車線変更してくるではないですか。慌てて左にハンドルを切りつつ急ブレーキ。しかも道路上の砂利を巻き上げながらギリギリで割り込んできたもんだから、全身に砂利を浴びてヘルメットのシールドに傷が入りました。事故寸前の危険運転をされたのでしばし追走。SUVはどんどんスピードを上げ、明らかに150km/h以上は出ており、距離が開いていく。まだ見える距離にいるうちに、有珠山SAに入って行ったのが見えたので一言文句を言ってやろうとついていきます。するとさすがというかなんと言うか、堂々と身障者用駐車場に停めるではないですか。もちろん車には障害者マークなどつけてないですし、降りてきた運転手は元気そのもの。早速文句を言いにいきますがその運転手、直前の危険運転を把握していませんでした。ということは、普段から当たり前のように危険運転をしているということ。そこで一から十まで丁寧に説明することに。こんな輩だから、喧嘩になることも覚悟していましたが、意外や意外。説明を終えると。「それは私が悪かったです。以後気をつけます、申し訳ない」と謝ってきたのです。行動と言動が一致しないのですが、謝られたのでそれ以上は追及しないことに。ちなみに身障者スペースに停めたことについては、何も考えなしに停めていたとのこと。これについても今後気をつけると話していましたが、その言葉が本当かどうかは分からない。「事故を起こせば簡単に人を殺してしまうのだから、気をつけてください」と話し出発することに。しかしこの運転手、本当に気がつかなかったのか、それともバイクが追っかけてきたことで怯んで謝ってきたのか。何にせよ、もう一度教習所からやり直せと言いたくなる運転手でした。こぼれ話はまだ続く。
2021年09月28日
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久々の長期旅レポをご覧くださりありがとうございました。今回からこの2021北海道ツーリングレポートで語りきれなかったこぼれ話をお送りします。〜立ちゴケの危機この旅は、荷物ドカ積みということもあり、あまり速度を出せなかったんです。それが幸いしたのか、自分が原因の事故につながりそうなヒヤリハットは1回もなかったですし、警察のお世話になることもありませんでした。しかし、荷物をドカ積みの影響は少なからずもあったわけで。その中でもギリギリ回避できた立ちゴケの危機をお送りします。ケース1、爆走!後進バイク。それは美瑛の白髭の滝を見に来ているときでした。ここは駐車場などはなく、【登り勾配】のある路肩に停めて滝を見に行っていたんですが、事件は出発するときに起きた。MTちゃんを少しでも勾配のあるところに停めるときは、必ずギアを1速に入れていたんです。しかしこの時は入れ忘れていたようで、バイクを起こした瞬間に、勢いよく後方に下がり出すではないかっ!ブレーキを握りたいが、右手はシートに置いていた。ギアを入れてたら、左手でクラッチを調整して止めるのだが、ニュートラだからそれも無理。しばし、バイクと一緒に駆け足。この間バランスを崩してたら、道路にガサーーーーーッッッ!!!!と倒れていただろう。しかし、日々の体幹トレが効いていたのか、ガッチリバイクをホールドして倒すことはなかった。しばらく降ったところで、平坦になりバイクの勢いがおさまったので、シートから右手を離し、フロントブレーキをかけて止まることができた。ほんの数秒の話だが、生きた心地がしなかった危機でした。ケース2、バイク乗りあるある。それは帯広の六花亭本店を出発しようとしていた時のこと。この日は朝から雨で、早く出発したいと焦りがあった。バイクを起こし、【サイドスタンドを払い】、バイクを発進できる位置まで押していく。バイクの鼻先を大通りに向けて、バイクに乗ろうとした瞬間、サイドスタンドを払っていたことを忘れており、自分の方に倒れてくる過積載バイク。しかしここで火事場のなんとやら発動。左ハンドルと、シート上コンテナを支えて戻すことができた。焦るとろくなことがないというお話でした。ケース3、道を間違えて。それは鹿児島に帰る前日。大阪でトンデモナビ(Googleマップ)によって強制的に高速を降ろされた時の話。コンビニの駐車場でGoogleマップのリルートをしようとしたのですが、駐車場が満杯で仕方なく路肩で操作していました。すると前から逆走チャリがスマホいじりながら突っ込んでくるではないですか。このままではぶつかりそうだったので、回避するため方向転換しようとバックした時、後輪が轍に乗り上げ右側にバランスを崩し、転倒しそうに。なんとか根性で右足を突っ張り転倒を免れましたが、チャリは相変わらずスマホばかり見てて突っ込んでくる。思わずね、ヤ◯ザみたいな声が出ましたよ^^;それに気がついたスマホ逆走チャリは、直前で急ブレーキ!そのまま慌ててUターンしていき、衝突を免れました。その代償としてこの日から数日右足が痛くてまともに動けませんでした・・・。今回はこの3つのお話を紹介しました。しかしこぼれ話はまだございますので、お楽しみに。
2021年09月27日
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insta360 one x2で撮影した360°動画を、360°自由に動かしながら見れるよう編集しました。ただ、360°でアップロードすると、画質が極端に落ちてしまいますね。調べたところ、より繊細な画質ででアップロードするためには8Kカメラが必要なようです。insta360 one x2は上限5.7Kまでなので、どうしてもこれが限界のようです。さらに、insta360 Studioでエンコードした後、ダヴィンチリゾルブで編集し、360°のメタデータを追加すると、画像の上と下に黒丸が入ってしまい見辛くなってしまっています。ここも今後改善していきたいところ。とまあ色々言いましたが、360°で見れるのは新鮮なので、お時間のあるときにでもご覧ください。※スマホやタブレットで360°自由に見るためには、You Tubeアプリで見る必要があります。
2021年09月26日
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2021北海道ツーリング「バイクで北海道を走りたい。」その思いは常に心にあったものの、「またいつか行けるから」と自分を騙し続けていた。月日は流れ、気がつけば2010北海道ツーリングから11年。その機会はふいに訪れた。信じていた者に裏切られ、身代わりにされ、そこから救い出してくれるはずだった者からも裏切られた。1年に満たない間にこれだけのことが重なると、さすがに衰弱し心も体もボロボロだった。しばらくは何もできない日々が続いていたが、「俺は俺の生きたいように生きる。」そう割り切ると不思議と心が軽くなり、その足は自然と北海道に向いていた。私の原点は旅である。旅が私という人間を形成し、前に進めてくれる。そうだ、私の始まりの大地。あの北の大地に答えがあるのかもしれない。その答えを求めて、バイクに火を入れるのだった。〜プロローグ〜〜1日目〜ゲリラ豪雨〜2日目〜汗に濡れる〜3日目〜航路〜4日目〜寂しさ〜5日目〜慰霊の旅〜6日目〜懐かしい仲間と風景と〜7日目〜南の果てへ〜8日目〜休息と酒と〜9日目〜ノスタルジック函館〜10日目〜第二の故郷へ〜11日目〜北の国から〜12日目〜潮風と夕陽を浴びて〜13日目〜白い道〜14日目〜直線〜15日目〜東へ〜16日目〜懐古と死別〜17日目〜雨の中〜18日目〜旅の終わり〜19日目〜さらば北の大地〜20日目〜船旅再び〜21日目〜仲間たち〜22日目〜旧友〜23日目〜路は続く
2021年09月25日
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8月24日朝5時起床。日の出を見るために早起きしたが、残念ながら雲に隠れてしまっている。再び船室に戻り2度寝。着岸は9時過ぎになるのでゆっくり過ごす。朝食を済ませ荷物をまとめて準備完了。下船案内があるまで部屋で過ごす。午前9時着岸。程なくして下船案内があり、バイクに荷物をくくりつけ下船する。出発の時に想像した通り、暑い空気が汗を誘う。そして蝉時雨は変わらず、まだ夏は続いていた。フェリーターミナルから西進。今日はどこにも寄らず、まっすぐ帰宅するつもりだ。大隈路を走っていると、高速に乗る前に雨が降り出した。今日の降水確率は確か20%のはずだが。雨雲レーダーで確認すると、なんとゲリラ豪雨が各地で発生。この小雨もその余波のようだった。仕方がないがカッパを着る。最後の最後まで雨に降られるとはなんとも私らしい。北海道でほぼ雨に降られなかった方が奇跡と言うべきだろう。再び走り出し国分に到着。隼人東インター手前で、急に周囲が暗くなる。桜島も見えなくなり、このあと通る姶良まで見えない。目を凝らしてみると、雨が壁となって迫っていた。カッパを着ているので大丈夫なのだが、できれば豪雨の中は走りたくない。そこで隼人東インターで一旦降りて雨宿りすることに。ここら辺で雨宿りできそうな場所はと考えていると、私行きつけのラーメン屋、徳田ラーメンがあるではないか。あそこは店の横にテントが張ってあるので、そこに避難することにする。インターを降りてすぐにとくだラーメン到着。それと同時に豪雨がやってきた。慌ててテント下に入り難を逃れる。雨は激しく降っており雷鳴も激しい。あのまま高速を走っていたらと思うとゾッとする。雨はなかなか上がらず、先にとくだラーメンの開店時間となったので、少し早いがお昼を済ませておく。久しぶりの鹿児島ラーメンを満喫。やはり私はとんこつラーメンがないと生きていけない。ラーメンを食べ終わる頃には雨も上がっていた。再び隼人東インターから高速に乗り走り続ける。自宅近辺までたどり着いたところで開聞岳が顔を出して迎えてくれた。しかし今回は帰ってきたという実感が湧かない。旅の期間が短かったせいか、それとも旅自体に慣れてしまったせいなのか。ほどなくして自宅に到着。11年ぶりの北海道ツーリングに幕を下ろした。北海道ツーリング。ライダーなら誰もが憧れるその言葉。特に日本の端である鹿児島から向かうのは至難の業であり、なかなか実現することは難しい。それを4回も実現できている私は幸せ者なのだろう。今回の旅を通して、やはり私の原点は旅なのだと再確認できた。人生で躓いたとき。目的を見失った時。その答えは旅の中にある。私という人間を旅が形成し、旅が先へと導いてくれる。これから先も迷ったらきっと旅に出ているだろう。それはバイクかもしれないし車かもしれない。もしかしたら自転車や徒歩かもしれない。手段は変わるかもしれないが、それが私の旅である限りこの路はずっと続いていく。どこまでもどこまでも。2021北海道ツーリング 完←22日目へ 一覧へ→
2021年09月24日
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8月23日朝6時起床。夕べはいろいろあったが何事もなく眠ることができた。今日は大阪のフェリーターミナルまでの旅なのだが、その前に旧友に会いにいく。今日も天気は安定せず、午前中なのにも関わらず、ゲリラ豪雨の予報が出ていた。仕方なくカッパに包まる。汗で濡れたカッパが異臭を放っている。昨日の乾かし方が不十分だったようだ。宿を出てすぐに高速に乗る。今日は新名神で大阪に向かう。名古屋市街を抜け三重に入るも雨は一切降らない。代わりに汗で濡れねずみだ。なんか行きでも同じことがあったような。途中SAで休憩した際に、バイクの異変に気付く。右のサイドケースが火傷しそうなくらい熱を持っているのだ。右はカメラやモバイルバッテリーを入れてあり、バッテリーが発火したかと思い、中の荷物を急いで全部取り出す。しかしどれも異常はなく、ケース自体を調べると、マフラーの排気が当たる耐熱シート周辺が一番熱を持っていた。ここからは仮定なのだが、カッパを着たことで後方への風が遮断され、空冷で冷却されるはずのサイドケースに排気による熱がこもり、結果触れないほど蓄熱したのではと考えられる。どれだけサイドケースが発熱したかというと、サイドケースに放り込んでたグルースティックが溶けるほどのものだった。これは帰ってからヒートシンクを貼り付けるなどなにか対策を講じなければ。ほどなくして大阪市内に入り、旧友の家に到着した。到着すると、バイクの音に気付き友人が満面の笑みで出てきてくれた。「うおー!ひっさしぶりですかずやんさん!」懐かしい声にこちらも表情が和らぐ。彼とは2007年の日本一周中に富良野で出会い、これまでずっと付き合いが続く数少ない仲間の1人だ。一緒に北海道を走ったり、淡路島や小豆島を走ったり、鹿児島の自宅で宴会したこともある。そういえば2010北海道ツーリングの帰りに泊めてもらったこともあったな。最後に会ったのは、これまた小豆島で出会った旅仲間と一緒にご自宅に伺った以来だ。4年ぶりの再会である。「立ち話もなんですから」と自宅に招かれるが、コロナ禍なので遠慮させていただく。その代わり、彼自慢のガレージに案内してもらう。彼は昔からカフェレーサーに乗りたいと熱く話し続けており、ついに夢であったトライトンを購入。今やInstagramで1万を超えるフォロワーを持つインフルエンサーだ。そんな自慢のガレージでこだわりのコーヒーをいただきながら、今回の北海道ツーリングの話や、お互いの近況を話す。久しぶりの再会に話は尽きず、気がつけば4時間も滞在してしまった。すっかり長居してしまって申し訳ない。色々と話ができてとても楽しい時間が過ごせた。またの再会を誓い出発するのであった。さて、時刻は14時過ぎ。少し早いがフェリーターミナルに向かおう。Googleマップのナビをセットし高速を走り出す。すると10分もしないうちに高速を降りろと言い出した。指示通りに降りると、大通りのど真ん中でうんともすんとも言わなくなってしまった。現在地を確認するとまだ豊中ではないか。Googleマップのトンデモガイド、ここに極まれり。流石にここから地図を記憶する自信がなかったので、再度Googleマップのナビをセットし走り出す。今度はエラーもなくスムーズに案内してくれ、無事に大阪南港に到着した。手続きを済ませ、乗船は17時からというので近くに夕食を買いに行く。ポートタウンにショッピングセンターがあり、そこで買い出しを済ませる。すると年季の入ったたこ焼き屋があるではないか。大阪に来たら粉もんだろうとたこ焼きを12個買い込む。再びターミナルに戻ると、ちょうど乗船時間となっていた。乗船してレモンサワー片手にデッキに上がる。夕日に照らされる大阪の街並みが美しい。旅の最後を飾るのにふさわしい光景だ。またこうしてさんふらわあから大阪の街を眺められるのはいつになるだろう。北海道ツーリング自体が11年ぶりであったのと同じく、フェリーで旅をするのも8年ぶりであった。もう昔のように時間は取ることができない。それでも私の原点である【旅】に触れるため、初心を思い出すため、またこうして旅を続けるんだろうなぁ。ありがとう大阪。ありがとう北海道。23日目に続く。←21日目へ 23日目へ→
2021年09月23日
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8月22日朝6時起床。外は快晴である。東横インに泊まる旅も今日でラスト。無料の朝ごはんはおかずが全て野菜であり、味付けもされてなくて不味かった。いつか昔のようなバイキング形式に戻ってほしいものだ。バイクに荷物を積み込み準備完了。宿の目の前にあった古代と雪の銅像と写真を撮り、出発した。「これを20個ください。」体格のいい中年の男性がパンを爆買いしていた。敦賀を出発して30分ほど走っただろうか。私は滋賀の長浜に来ていた。知り合いから「帰りにサラダパン買ってきて」とお使いを頼まれていたからだ。私もサラダパンは食べたことがなかったので、お使い分を合わせて6本購入する。うん、これは美味しい。独特な味付けのマヨネーズに細かく切ったたくあんがいいアクセントだ。人気が出るのも頷ける。そういえば長崎の観光施設に、同じようなパンを出すところがあったな。あっちの方はたくあんも大きく存在感もあった。帰ったら買いに行ってみよう。サラダパンを簡易クーラーボックスに押し込み出発した。「どうぞお気になさらず、ゆっくりしていてください」名神高速を東進していたところ、急な雨に襲われていた。タイミングよくここ養老SAのガソリンスタンドで雨宿りさせてもらっていた。雨雲レーダーを見るも、雨が降っている様子はない。しかし雨は益々酷くなる。やはり本州の天気は不安定だ。行きもこの不安定な天気に悩まされたな。このままでは待ち合わせ時間に遅れるので、カッパを着て出発することにする。名古屋市内に到着するも、例のごとくGoogleマップが狂い、目的地を2転3転と変える。ここら辺の地図は持ってきていなかったため、Googleマップのナビを止め、地図を記憶してなんとか目的地にたどり着いた。目的地は今日の宿【ホテルキヨシ本館】だ。ここは屋内駐車場がある上に、チェックイン前にバイクを置かせてもらえるとのことで選んだのだった。そのぶん余計に駐輪代がかかるとのことだったが、かなり安かったので即決したところだった。東横インの方が待ち合わせ場所まで近かったのだが、東横インでバイクを置けるのは12時からであり、さらに往来の激しい通りに面した入り口に置くという。それは防犯上不安なので、こちらのホテルにしたわけだ。バイクを駐車場に入れて、サッと着替える。ホテルはかなり古い作りだが、掃除が行き届いており綺麗に感じる。少し薄暗いが。部屋に入れるのは16時以降なので荷物は全てバイクに乗せたままで集合場所に向かう。待ち合わせ場所の栄駅に着くと、見覚えのある顔が。でも明らかに体格が違う。かなり太っているのだ。俺の知っている「奴」は、筋トレ好きで痩せ型だったのだが。試しに電話をかけてみると、そいつが電話に出た。間違いない、AO野くんだ。このブログを以前から見ている方はご存知だと思うが、AO野くんとは私の元同僚でバイク仲間である。鹿児島出身なのだが、今は愛知で働いているのだ。久しぶりの再会に喜び合う。久しぶりと言っても1年も経っていないが、その間お互いいろんなことがあった。積もる話もあるので、昼飯でも食いながら話すことにする。AO野くんの案内で到着したのは味噌カツで有名な矢場とん。味噌カツは私も初体験だ。早速いただく。味噌の甘味がカツに合わさりこりゃうまい。ソースもうまいがこれはこれでありだ。食べながらゆっくり語るつもりが、お客さんが多く次の目的地まで歩きながら話すことにした。名古屋の街を歩きながら色々と語る。AO野くんはあれから結婚し、今は個人での治療院の開業を目指し頑張っている。なるほど、その体は幸せ太りなのだな。お互いこの1年もしない中で数年分の濃い経験をしていた。途中で美味しいフルーツ大福の店に寄り、えらいお高い大福をいただいた。そこからコメダ珈琲に寄り、色々と語る。そういえば、初めてコメダ珈琲に行ったのもAO野くんと熊本旅行に行った時だったな。懐かしい思い出で話が弾む。本当なら晩御飯までと行きたかったが、用事があるとのことでそれはまたの機会にと解散するのであった。AO野くん、また会おう。時刻は17時前。宿に帰り着いた。バイクから荷物を全て降ろし一旦整理する。明日フェリーに乗るための荷物をまとめ、それ以外の荷物を全てコンテナに押し込む。必要な荷物を部屋に上げて、ひと段落。とりあえず滝のような汗をかいたのでシャワーを浴びる。ここから洗濯をしようと思っていたら、ふとバイク仲間のこけさんを思い出した。急な連絡だが、ダメ元で連絡する。すると驚いたことに、山梨帰りのネクタイダーさんと一緒にいると。面白い偶然があるものだ。私もすぐに合流する。こけさんには今回の旅で宿を紹介してもらうなどお世話になった。こけさんを通じて、色んな方とすぐ打ち解けることができたし、今回の旅で1番お世話になったのはこけさんなのかもしれない。色々と語っていると、ネクタイダーさんが時間切れ。みんなで名古屋駅まで歩いていく。なんかこのメンバーで名古屋に集まるのは不思議な感じだ。いつもは北海道のキャンプ場で集まるメンバーなのに。またそんな風に集まれるといいねと話しながら解散した。みなさん、またお会いしましょう。名古屋駅から東別院まで電車は走り、宿に戻ってきた。すると1階の客室から、全身防護服の男性が出てくるではないか。そしてその男性が操作しているのはオゾン殺菌装置。一瞬、特殊清掃かと思ったが、最近はゴキブリの駆除でもオゾン殺菌装置が使われる。フロントでさりげなく聞いたらやはりゴキブリ駆除であった。建物が古いのでゴキブリが出るのはしょうがない。ちなみに、部屋を含めた館内でゴキブリなどの虫は一切見なかった。清掃が行き届いているおかげだろう。安心して泊まることができる。部屋に戻り、着替えたところで洗濯をする。駐車場の奥にコインランドリーがあり、そこで洗濯をするのだが・・・。入り口の天井に【魔除け】と書かれたお札が2枚貼ってあるのを見つけてしまった。洗濯場などは陰の気が集まりやすいと聞いたことがあるが、それでこのお札を貼っているのだろうか。特に嫌な感じはしなかったので、洗濯を済ませて早めに眠りにつくのであった。22日目に続く。←20日目へ 22日目へ→
2021年09月22日
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8月21日朝目が覚めるともう8時を回っていた。フェリーは順調に南下しているようだ。眠い目をこすり、デッキに向かう。今日の朝ごはんは、ラストすじこおにぎりだ。これでしばらく食べられない。大事に味わっていただく。さて、フェリーが敦賀港に到着するのが夜の9時過ぎ。それまですることがないので、これまでの旅レポを書いたり、タブレットでダウンロードしておいた映画を観たりして過ごす。長旅の疲れを癒すように、自堕落に過ごす。今日も酒は飲んでいない。そんな時間はあっという間に過ぎていくもので、フェリーは敦賀新港に着岸した。我先に車両甲板に降りていくライダーたち。そんなに早く降りても下船には時間がかかることを知っているので、ゆっくりと降りる。すると皆荷物を積み終えて、入り口ゲートに向かって並んでいるではないか。エンジンもかけるものだから、煙たくてしょうがない。私もゆっくりと荷物を積み、ジャケットに袖を通し、ヘルメットをかぶる。ちなみに入り口ゲートはまだ開かない。1番目に並んでた人が滑稽に見える。私が出発準備を終えて5分後、ようやく下船となった。下船すると、濃い湿気が全身を包む。あぁ、もう北海道ではないんだな。ほとんどのバイクがバイパスに左折していく中、私は直進して敦賀市街へと向かう。程なくして宿の東横インに到着。今夜は風が強くセキュリティがかけられない。ゴジラロックで後輪とサイドケースステーを繋ぐ。ワイヤーロックを使う時は、地面に降ろさないように設置することが大事だ。これでハンマーなどで鍵部分を壊されることがなくなる。チェックインを済ませ部屋に上がる。風呂はフェリーで済ませていたので、そのまま眠りについた。21日目に続く。←19日目へ 21日目へ→
2021年09月21日
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8月20日朝7時起床。今日は10時に白老に行けばいいのでゆっくりとした出発だ。朝ごはんをいただき、出発した。今日は北海道最終日である。23時30分のフェリーで北海道を離れる予定だ。国道36号線を白老に向けて南下していく。マザーズでシュークリームを食べたかったが、10時開店なので諦める。程なくして到着した白老の【民族共生象徴空間 ウポポイ】ここは以前【アイヌ民族博物館】があった場所なのだ。2010年、ここを訪れたときは【ポロトコタンの夜】という展示をしていた。早速入場する。現在コロナ禍の影響で博物館は事前予約制になっており、これがなんともややこしい。スマホやパソコンでのチケット購入ができない方はまず無理であろう。学生の遠足とかぶらなければ比較的どの時間も空きがあるので、ネットで予約が難しい方はウポポイに直接来てから係の方に聞いて予約すればいいだろう。私は10:00からの入場なので、そのまま博物館に入る。建物は以前の博物館とは比べ物にならないほど綺麗な作りだ。順路に従い進んでいくと大きなホールに出た。すると解説員の方が「フラッシュを焚かなければ撮影して大丈夫です」と声をかけてくれた。順路に従い見ていく。内容は他の資料館と大差ない。途中に実際にアイヌ文化を体感できるコーナーがあったのだが、コロナの影響で体験中止中であった。ここの展示で面白く思ったのが、すべての展示にアイヌ語が書いてあるのだ。ただし、アイヌ語のルビがふっているのではなく、主語がアイヌ語なのだ。アイヌ語に日本語と英語などでルビをふっているのだ。これはアイヌを主役にした作りになっているからであろう。全ての資料に目を通し、さあ次はと思いホールの右側に進んだのだが、なんと展示はここまでであった。「えっ!?もう終わり!?」これが私の率直な感想だった。展示内容が薄すぎる。解説員の方の説明では2ヶ月に一度展示替えがあるそうなのだが、そのために展示している資料や品物を少なくしているのか。それとも最初からこれで十分だと思ったのか。私的には、函館の北方民俗資料館の方が何倍もまともに感じた。なんか肩透かしを食らった感じでがっかりしたまま常設展示ホールを後にした。常設展示の次に入ったのが、特別展示「ゴールデンカムイ トゥラノ アㇷ゚カㇱアン ― 杉元佐一とアシㇼパが旅する世界 ―」に入る。これが面白い。ゴールデンカムイの舞台である明治時代の和人とアイヌ民族やニブフなどの少数民族の関わりを丁寧に紹介していた。これはゴールデンカムイを読んだことのない人でも楽しめる内容だ。個人的には鶴見中尉の紹介コーナーで、衣装の肩に27連隊の隊号がふってあるのがお気に入りだ。残念ながら撮影禁止だったためここで紹介することができない。正直常設展示より、こちらのほうが内容も濃く非常に楽しめた。ゴールデンカムイは最終章に入ってしまったので、次展示機会が巡ってくる時には連載が終わっているだろう。それでももう一度開催してもらいたいと思うほどいい内容であった。博物館から出て外を散策していく。チキサニ広場では、アイヌの伝統舞踊を実演中である。伝統舞踊は11年前にポロトコタンの夜で全て見ているので、今回は休憩ついでに遠巻きに見ていた。それにしても今日は暑い。ここで座って休憩しているだけで熱中症になりそうだ。人も多くなってきたので撤収することにする。もうここも来ることはないだろうなぁ。時刻はお昼前。ここの近くでお昼ご飯となれば、虎杖浜と相場は決まっている。ウポポイから近い虎杖浜。そこにある海鮮工房虎杖浜に入る。ここはたらこが有名なのだが、えびの天丼も美味しいのだ。迷いに迷ったあげく、両方頼むことにした。えびの天丼に降り幅を大きくしたため、たらこはほんの少しである。でもこれ1個でご飯2杯はいけるから問題ないだろう。あっという間に完食。ごちそうさまでした。「浜の名前を言い間違えて恥ずかしい思いをしたことがあります。」そんなバイク仲間の会話を思い出していた。虎杖浜を出発して室蘭まで来ていた。目の前に広がる絶景はイタンキ浜と言うらしい。姐さんはここをなんと言い間違えたのだろう。気になるが本人の名誉のため、あえて追求はするまい。再びバイクに跨がり走り出す。イタンキ浜から住宅街の丘を登り詰めると急に視界が開け、眼下に室蘭の工業地帯が広がっていた。あのパイプや鉄骨1本1本すべてに意味があり、無駄なものなど無い。工業プラントこそ完成された美だと私は思う。工業地帯を右目に捉えながら住宅街の狭い道を進んでいく。程なくして地球岬に到着した。快晴の噴火湾はどこまでも見渡せ大迫力だ。実は地球岬を訪れるのも今回が初めてだ。近くは通るものの、なぜか行く機会がなかったのだ。今回は今までの北海道ツーリング定番コースを外れる代わりに、はじめて行く場所が多くて新鮮だ。ただ今回は期間が短すぎた。他にも寄りたいところが沢山あり、完全燃焼とまでは言えないのが現状だ。やはり宿を取る旅は資金が問題だ。単に北海道を楽しみ尽くしたいと思うなら、車で来て車中泊がいいだろう。実はそれも候補として上がっていた。ただやはり北海道をバイクで走ることに意義があり、走りながら風や匂いを感じることは、旅の記憶を残す時に大きく差が出る。今度はキャンプ道具を持って来れる装備でチャレンジするか、車に小さなバイクを積んでくるか。どんな旅のスタイルになっているのだろう。おそらくそれができるのは、定年退職後だろうが。まだ旅は終わっていないのに、次に北海道を訪れた時のプランが頭を駆け巡る。これもまた旅の醍醐味であるのかもしれない。地球岬を後にして、白鳥大橋から伊達方面へ走る。さらに海沿いから内陸方面に向かって走る。程なくして昭和新山に到着した。この近辺は何度も訪れていたのが、なぜか昭和新山だけは来ていなかった。これも単に呼ばれていなかったのだろう。時刻は15時過ぎ。駐車場で環境維持協力金を300円払うと、昭和新山周辺で使えるクーポン券をいただいた。その額500円。赤字じゃないか・・・。と思いつつもありがたくいただく。ここも16時で全て閉まるので、この時間は閑散としている。クマ牧場もカフェもすでに閉まっているので、写真を先に撮っていく。その後、土産物屋でステッカーを先程のクーポン券で購入して出発することにした。さて、それでは登別にお土産を買いに行こう。来た道を戻ってもつまらないし、この時間からは渋滞に巻き込まれてしまう。そこで洞爺湖まで一旦下り、オロフレ峠から登別を目指す。峠道を快走して、登別温泉に到着した。9日ぶりにしもPご夫妻と再会する。早速貴泉堂で土産物を漁っていく。今回しもPさんのおすすめは【山わさび】関連商品だ。それに個人的にお気に入りの夕張メロンゼリーを大人買い。店の在庫がなくなってしまった。これにて爆買い完了!お土産を配る友人が多いことと、しもPご夫妻への恩返しにもなるのでwinwinの関係性が成り立つ。ダンボール1個分のお土産の発送をお願いして、さぎり湯に汗を流しに行く。北海道最後の湯がさぎり湯とはなんて幸せなことだ。濃い温泉と、しびれるほど冷たい水風呂でリフレッシュできた。さぎり湯の方に「また来ます」と伝え、後にした。さて、それではフェリーの準備をしよう。セコマで食料を買い込む。それではどこかで夕食をと思ったら、しもP妻さんから「うちで食べていきなよ」と声をかけていただいた。ありがたい。今回も本当にお世話になっている。ちょうど虎杖浜産のたらこがあるとのことで、昼に食べたたらこ丼より豪華なたらこ丼をいただいた。これが本当に美味しい。北海道最後の晩餐がこんなおいしいものをいただけるなんて幸せなことだ。美味しいご飯をいただきながら、仕事を終えたしもPさんと色々と語る。あぁ、なんて楽しい時間なんだ。この時間をずっと過ごしていたい。北海道から離れたくない。今までも北海道最終日になるとこの気持ちに包まれていた。楽しい時間を過ごさせていただいていたら、あっという間に出発の時間が来てしまったバイクにフェリーでの食料をくくりつけて、温泉で濡れたタオルを結びつける。時刻は21時過ぎ。夜露で濡れたMTに跨がり、しもPご夫妻に挨拶する。「お世話になりました。登別は第二の故郷です。また帰ってきます。」ご夫妻に見送られ出発した。さて、北海道の夜走は鹿が飛び出してくる可能性がある。フェリー乗船直前のトラブルは避けたいので高速で一気に苫小牧を目指す。買い出しも済ませているので問題ないだろう。高速は夜霧が覆っており、街明かりがぼやけて見える。思えば北海道でこの時間にバイクで走るのは初めてだな。以前小樽から乗った時は、日が沈む前にターミナルについて、温泉でダラダラ過ごしていた。そんなことを考えているうちに、苫小牧東フェリーターミナル到着。バイクは数えるほどしかいない。車も同様だ。乗船手続きを済ませ、バイクのそばで乗船までの間これまでの北海道旅に思いを巡らせる。美しい美瑛の風景に心癒され、懐かしい方と再会でき函館で食べ歩きもした。登別は故郷のようで麓郷はなぜか懐かしく感じ見納めのオトンルイも走った。最果ての地を走り知床でヒグマに怯えたり根室でラッコを初めて見ることもできた。阿寒湖では悲しい死別を経験し再び富良野で北の国からに想いを寄せた。北海道はいつ訪れても私を暖かく迎えてくれる。それはコロナ禍の今でも変わらず、北海道の方は皆暖かくて優しい。私もその恩に報いるような人間にならなくては。しばらくして乗船。北の大地から離れる。闇夜に浮かぶ苫小牧の街並みを見据えながら、新たな門出を決意し、踵を返すのであった。20日目に続く。←18日目へ 20日目へ→
2021年09月20日
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8月19日今日は朝ごはんをお願いしているのでゆっくりした出発だ。最終目的地も苫小牧なので問題ないだろう。外は雨は上がったが、霧があたりを包んでいる。幻想的な風景にしばし目を奪われる。晴れれば目の前に十勝連峰が見えるそうだ。次は天気がよく、残雪のある時期に来てみたいものだ。しばらくしてオーナーさんから声がかかり、朝食となった。夜も雰囲気があったが、朝は外の景色が借景になっており、まるで絵画のようだ。おいしい朝ごはんをいただき元気補充完了。そのまま外の水道を借りて洗車とチェーンに注油していく。これで帰るまで保つだろう。荷物も積み込み準備完了!オーナーさんにお世話になりましたと伝え出発した。さて、最終目的地が近いというのもあるが、ニングルテラスの北の国から資料館も見ていきたい。しかしニングルテラスは正午にならないと開かないため、いつもの富良野定番コースをめぐることにする。その前に、ゲストハウス旅の途中のトシさんに、ヘルパーさんに頼まれていたブツを渡しにいく。到着すると、トシさんがまさに今出るところでギリギリセーフだった。ヘルパーさんたちはちょうど出てしまったとのことでお会いできなかったが、お土産は渡すことができたので良しとしよう。なんとかミッションをこなし、再び富良野市街へ。まずはすっかり忘れていたラベンダーのアロマオイルを購入しにいく。到着したのは定番のファーム冨田。5日ここを訪れたときは、ラベンダーも終わっていたし、人が多すぎて避けていた。今日はあの時と違って空いている。すぐにアロマオイルをと思ったのだが、奥の畑にラベンダーのような花があるではないか。急ぎ足で行ってみると、普通のブルーサルビアであった。ラベンダーとブルーサルビアは似ているのだが、ブルーサルビアは鹿児島でも咲いているので見間違えることはないのだが。がっくりと肩を落としたら、アロマオイルを買うことをすっかり忘れてしまっていた。そのままファーム冨田を後にするのだった。「アー、 ロクゴウデシタラ、コノチズイイデスヨ」富良野駅の観光案内所に立ち寄り、北の国から観光情報を聞こうとしたら、なんと受付の方が外国の方だったのだ。この方も富良野が好きで移住してきたのだろうか。地図を受け取り「ありがとうございます」と観光案内所を出て、富良野駅周辺を散策。懐かしのへそ祭りのオブジェがあちこちに見られた。2010年のへそ祭りに、私も踊り子として参加していた。あれからもう11年とは、月日が流れるのは早いものだ。またいつか、この地に立つ時も同じ想いを抱くのだろうか。まだ見ぬ未来を思い浮かべながら富良野駅を後にした。「これはドラマのワンシーンのセリフでして。」「いや、それは分かっているんですが。」木造りの小屋で店員との会話のキャッチボールがうまくいかない。あれからフラノデリスでホットビスケットを食べて時間を調整し、開店時間に合わせてニングルテラスに来ていた。その入り口にある富良野ドラマ館で、自分へのお土産を見ていたのだ。その中に「子供がまだ食ってる途中でしょうがラーメン」という商品に一目惚れ。会計のときに店員に「これはドラマのパロディで"しょうがラーメン"なんですか?」と尋ねたところ、先程のずれた回答が返ってきたのである。私はてっきりドラマのセリフに掛けて、しょうがラーメンにしたのかと思ったら、普通に醤油ラーメンであった。しょうがはお好みで入れてくださいと。くだらなすぎる発想と、セリフに何も掛かっていないただのラーメンということに吹き出してしまい、お買い上げとなった。お土産をバイクに詰め込んだら、ニングルテラスへと降りていく。白樺の森に囲まれた空間に、日が差し込みとても清々しい。さて、わざわざ時間調整してここに来たのには理由がある。かつて富良野駅近くに北の国から資料館があり、そこで展示されていた資料の一部を期間限定でここニングルテラスのチュチュの家で展示しているのだ。北の国から放送開始40周年記念で様々な企画のひとつだそうだ。チュチュの家の周りには、北の国から出演者のポートレートがたくさん飾られている。記念館に入ると、年表ごとに写真や小道具・衣装が展示されている。その懐かしさに感慨深い気持ちになる。これ以上ここにいたらもたない。ここでも黒板五郎が笑った写真があり、これが止めとなった。なんだか涙腺が弱くなってきてないか。記念館を出て出発することにした。「ソフトクリームたべたい~!」幼稚園ぐらいだろうか、男の子が私を指差しながら母親にねだっている。「わかったから、ほら、何にする?」母親に手を引かれて男の子は去っていった。ニングルテラスを出発したところで、アロマオイルを買い忘れていた事に気づき再びファーム冨田を訪れていた。アロマオイルと友人へのお土産を買い込み、ラベンダーソフトを食べていた。ここのソフトは美味しいのだが、食べる度にラベンダーの香りが薄くなっていく。まるで昔の思い出が消えていくような儚い味に感じる。ソフトクリームを食べ終わり、ファーム冨田を出発。富良野を後にした。次はできるだけ早く帰ってきます。富良野を後にして夕張に向かう。北海道に到着して富良野入りした際に通った道を逆にたどっていく。旅の終わりを感じさせる道だ。そういえばいつも富良野を離れると「この旅も終わるんだ」となんともいえない気持ちになっていた。それは今回も同じようだ。気分が落ち込んでは残りの旅も楽しめない。夕張に到着して、行きでも寄ったビッグモローにて最後のカットメロンをいただく。夏の終わりということで味は薄くなってしまっていたが、それでも十分美味しい。ここもなるべく早く戻って来なくては。店の方に見送られ出発した。「この先に進まれますとトイレはございませんので、先に済ませておいてください」受付の方が話す。ここは夕張の石炭博物館。昔の炭鉱跡を利用した観光施設だ。以前から気になっていたが、ようやく訪れることができた。受付の方の指示通りトイレを先に済ませ順路通りに進んでいく。最初は炭鉱と夕張の歴史についての説明があった。学びながら進んでいくと、その途中で島津斉彬が紹介されており驚きであった。確かに島津斉彬公は、列強の脅威に備えるべく様々な産業を興した人物だが、まさか石炭にも注目していたとは。鹿児島県民なのに私もまだまだ勉強が足りない。そのまま進むと、いよいよ坑口へと入ることになる。この辺りから、実際に坑口入る手順通りに展示が進む。説明がずらっと続き、いよいよエレベーターで坑口まで降りていく。しかしこの入り口に、持ち物を確認する係のマネキンがあり、これがなんともいえない雰囲気を放っていた。あまりにも不気味だったため、写真は撮っていない。なにかじっと見られているような気がして急いでにエレベーターに乗り込む。エレベーターはアナウンスが流れる仕組みになっており、地下数千メートルに降りていく演出付きだ。だが、その全てが昭和の香りがする。長くここで観光客を迎えてきたのだろう。そしてエレベーターは地下の坑道へ。ドアが開くと同時に私は思わず怯んでしまった。目の前に大量のマネキンが現れたのだ。実際の採炭の様子を再現しているのだが、どのマネキンも今にも動き出しそうなほどリアルに作られている。照明も暗めであり、そこに換気のための送風機の音が不気味に響く。しかもこの空間に私しかいない。これは下手なおばけ屋敷より怖い。足早に順路通りに進んでいく。しばらく進むと、ようやく人影が見えホッと一息つく。この方はここで採炭に使われる機械の説明をされる方のようだ。少し説明を受けたあと、実際に機会が轟音とともに動き出す。すごい迫力だ。ここで係の方が「今は照明でこんなに明るいですけど。当時はヘッドランプひとつだけでしたからね」と話す。こんな暗い中でこの騒音は相当参るだろう。さらに事故とも隣り合わせなのだ。当時の日本の産業を命がけで支えてくれた鉱夫たちに感謝したい。ここ石炭博物館は、実際に使われていた坑道に入ることができたのだが、数年前原因不明の火事により、坑道を閉鎖しているそうだ。火事が起きたときにはなかなか鎮火せず、坑道を水で満たしようやく鎮火できたそうだ。もし人がいるときに火事になったらと想像するとゾッとする。博物館を出て、火事になった坑道前に行ってみると、確かに焦げ臭い。火事のあとの臭いだ。実は私、この場所だけは来たことがあった。あれは2014年。レンタカーで北海道を周っていた私は、ビッグモローの開店時間までここで時間を潰していたのだ。もちろん博物館は開館前であり、この坑道を外から見るだけであったのだが、あの坑道がこんな状態になってしまうなんて。あの時、時間があればと悔やまれる。しかしこの坑道も復旧を計画しており、順調にいけば3年後には見学を再開できる見通しだと係の方が教えてくれた。その時に改めて訪れることにしよう。またひとつ宿題が増えてしまった。時刻は夕方の4時過ぎ。夕暮れ迫る夕張の街を流していく。それにしても寂れた街だ。田舎とは違う、昔栄えた街から活気と人が消えた感じだ。本州や九州ではゴーストタウンとか、シャッター街になるのだろうがここ夕張は冬の厳しさもあって、建物が崩れるのが早い。それを見越しての解体も早いのだろう。幸せの黄色いハンカチの時代の賑わいが嘘のようだ。そんな事を考えつつ、幸せの黄色いハンカチ思い出広場に到着。ここは16時までの営業のため、入ることはできなかったが、映画で見た風景は消え去りそこは草木がザワザワと音を立てているだけであった。「苫小牧はなんも美味しいものは無いね!」体格のいい女性が続けて話す。「ここらへんは名物も何もないしね。ホッキ貝も地元の人は食べないし。」「どうせあれでしょ?マルトマ食堂に行くんでしょ?あのきったない食堂に。」「地元の人はだれも行かないよ。」歯に衣着せぬとはこういう事を言うのだろうか。豪快な発言に戸惑う私がいた。夕張を後にして日が暮れた苫小牧にいた。宿に入る前に給油と食事を済ませようとガソリンスタンドに寄っていたのだ。「観光客向けでなくていいんです。みなさんが普段行かれている美味しいお店であれば」「それなら、ここの近くの”浜ちゃん”ってお店が美味しいよ」「あそこは魚屋さんだから美味しい魚料理を出してくれるよ」なんだ、美味しいものはないって言いながら実はあるんじゃないか。謙遜しちゃって。と思いつつ、お礼を述べて出発した。ガソリンスタンドから5分ほどで到着した居酒屋「浜ちゃん」店に入るとファンキーなおかみさんが「いらっしゃい!」と明るく迎えてくれた。店内は6名ほど先客がおり、ゆっくりと飲んでいる。私はバイクなのでノンアルビールをお願いして、料理はおまかせでお願いする。すると出てくる出てくるお通しの山!おかみさんのお話も面白くて、写真を撮り忘れるほど楽しい時間を過ごす。料理も地物の刺身の盛り合わせ、時知らずの浜焼きなど美味しいものが次々に出されてくる。苫小牧でこんなに美味しいものが食べられるなんて。紹介していただいたガソリンスタンドのおばちゃんに感謝だ。他のお客さんともソーシャルディスタンスを保ちながら楽しく語る。気がつくと9時前になっており、他のお客さんは帰路に。私も宿に向かうことにする。最後におかみさんたちと記念撮影をお願いする。※撮影のときだけマスクを外してもらいました。ありがとうございました。おかみさんたちに見送られながら出発した。浜ちゃんから今宵の宿の東横インまでは10分ほどの距離なのだが、夜に走ると長く感じる。宿に到着しチェックイン。担当してくれた方が、「どうしても鍵がかからない」時に、対応してくださった方だった。「お久しぶりです。鍵は直りましたか?」と声をかけると苦笑いされるだけであった。チェックイン完了。荷物を部屋に上げてそのまま眠りにつくのであった。19日目に続く。←17日目へ 19日目へ→
2021年09月19日
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パソコン直りました。電源スイッチ押してもうんともすんとも言わなかったパソコン。修理に出したところ、電源ボタンが潰れていたとのこと。ボタンの在庫もなく、仕方がないので電源ボタン横にあるリセットボタンに配線を繋いでもらい復活。おかげでリセットボタンを押すと起動する変なパソコンに(笑)ともあれこれで仕事が再開できる。北海道ツーリングレポも残り6日分です。できるだけ毎日更新していきますのでよろしくお願いします。
2021年09月18日
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パソコン故障のため、しばらくの間北海道レポをお休みします。パソコンが修理から戻るまで、もうしばらくお待ちください。
2021年09月16日
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8月18日雨音で目が覚める。北海道に来て初めての強い雨が降っている。ガレージのある宿でよかった。連泊者以外はこの雨の中どんどん出発していった。私は今日は富良野に宿を取っているので、ゆっくり出発すればいい。だらだらと出発準備をしていると、宿主のカマキリさんがバイク整備のためガレージにやってきた。お久しぶりです。バイクでは11年ぶりなのでさすがに覚えていなかったが、お土産を渡すと朧げながら「その声聞き覚えがある」と話してくださった。実は11年前も顔ではなく声で覚えてもらっていたのだ。カマキリさんは、明日の19日にサロマ湖で開催されるコーヒーブレークミーティングに参加するそうだ。日帰りで。やはりカマキリさんたちのツーリングは頭のネジがぶっ飛んでる。と思ったが、先日の北見→知床→中標津→納沙布岬→釧路に比べたら、100kmも短いことが分かった。ネジがぶっ飛んでるのはお互い様のようだ。カマキリさんに挨拶し出発した。雨の中到着したのは、六花亭本店。ここで11年ぶりのサクサクパイをいただく。一緒に賞味期限数時間セットとして、美味しいスィーツを満喫する。これだけで立派な朝ごはんだ。お土産も買い、出発しようとしたら雨足がどんどん強くなってきた。六花亭は雨宿りする場所がないので、次の目的地に向かうことにする。六花亭からすぐそばの十勝豚肉工房ゆうたくに到着。ここもYSP帯広の店長にオススメされた店だ。しかしこの店、軒先がないためカッパの脱ぎ着でしっかり濡れてしまった。とりあえずオススメされた豚丼をいただく。他のお店より薄味の味付けだが、ロース肉を使っているのか肉がとても甘くて柔らかい。あっという間に完食した。食べ終わった頃でちょうど雨は小康状態に。この機を逃すまいと急いでカッパに包まる。準備完了。それでは狩勝峠を越えて富良野を目指す。国道38号線をひたすら西進。前にトラックが来るたび追い越しをかけながら走る。トラックが雨と一緒に泥を巻き上げるからな。あれはたまったもんじゃない。幸い峠道はガスっておらず、なんとか道の駅南ふらのに到着した。雨は相変わらず降り続いている。軒先で休憩していると、一台ビッグスクーターが入ってきた。そのライダーが軒先で休憩している私を見つけて駆け寄ってくる。「いやぁ酷い雨ですね」話を聞くと彼はこの8月から日本一周をしているそうだ。背の高いアスリートみたいなイケメンだ。そこで北海道の情報を色々と交換し、インスタも交換する。旅先の出会いっていいものだな。お互いの安全を祈りつつ出発した。この方のInstagramはこちら。「チェックインは4時からですので、その時間にお越しください」今日泊まる宿に確認したいことがあり、電話をしていた。時刻は15時過ぎ。雨は降り続く中、麓郷のふらの硝子店の駐車場にある東屋で雨宿りさせてもらっていた。ここのガラス製品もいいものがたくさんあったが、バイクでは持って帰れない。送ろうにも商品によっては送料の方が高くつくので諦めていた。それにもう金欠だ。しばし休憩し、雨が止んだところで宿に向け走りだした。「いらっしゃい、雨の中大変でしたね」宿のオーナーさんが暖かく迎えてくれた。今日の宿はベベルイにある「夕茜舎(あかねやど)」さんだ。1週間ほど前に満室で泊まれなかったので、楽しみにしていたのだ。受付を済ませ、荷物を部屋に上げる。宿はログハウス調のとても綺麗な建物だ。着替えを済ませたら、洗濯機に雨で濡れたものを全て投げ込んで洗う。ついでに他の洗濯物も一緒に洗ってやろう。ほどなくして夕食となった。夕食は1階でみんなで食べるのだが、料理に間接照明が照らされており、今の言葉で言うなら「映える」夕食だ。とてもおしゃれなのだが、外が暗く、食べている姿がライティングされるため外から丸見えになってしまう。自然豊かで人が外を通ることがないからできる方法なのだろう。いつか自分の家でやってみよう。美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、宿のお酒のラインナップにふらのワインがあったのでいただいてみることにする。軽い口当たりで飲みやすく、食事に合うワインだ。たくさん飲みたいところだが、ミニボトル1本だけでやめておく。実際この1本で相当酔いが回ってしまった。それから他のお客さんと語らいながら、虫の声をBGMに夜は更けていくのであった。18日目に続く。←16日目へ 18日目へ→
2021年09月16日
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8月17日今日も早くから行動するつもりが、昨日の走りすぎで起き上がれず。とりあえず朝ごはんを取りに行く。ここの東横インは朝ごはんの盛りがすばらしい。これで完全に目が覚めて、8時前に出発となった。天気は昨日に引き続きどんよりしている。時折霧雨も降るがカッパを着るほどではないかな。しかし北海道の植生はやはり本州や九州とは違う。地元ではみたことのない花や、似ているが違う花が目につく。さて、今日は昨日行った中標津まで北上してから帯広に抜ける予定だ。中標津まで快適なバイパスを快走していくと、途中謎の看板が。CBが看板の上に乗ってる。実はこの看板、事前にホッカイダークマさんの情報で知っていた。しかし細かい場所までは見ておらず、ここで見つけたのは偶然だったのだ。思わずバイクを停め写真を撮る。ついでにこの商店で何か買っていこうと考えたが、電気が消えており、お休みのようだった。さて、それでは改めて北上。ほどなく中標津に到着し、そのままスルーして開陽台に向かう。天気は変わらず鉛のような厚い雲が空を覆っている。そんな中到着した開陽台。もちろん地平線は見えない。ここまで悪天候の開陽台は日本一周以来だ。この天気では写欲もそそられず、早々に次の撮影地に向かう。次は開陽台のすぐ近くにある北19号だ。するとここで奇跡が。先程まであれだけ厚く覆っていた雲が切れ、合間から日が差してきたのだ。これはチャンス到来とシャッターを切っていく。しかし、やはり暑さのせいなのか、雨が少ないせいなのか、木々や草花に艶がない。秋口の曇天のようなくすんだ景色になってしまう。そして再び厚い雲が覆い被さり、撮影を断念した。「彼は先日亡くなりました。」突然の話に固まる自分がいた。撮影を終了した私は、阿寒湖まで西進していた。お気に入りのネックレスを買い漁ろうと、これまたお気に入りのサンラマントさんを訪れていたのだ。「彼」とは、この店で病気と戦いながらも素晴らしい作品を作っていた方のことだ。先天性の病気なのだろう、酸素ボンベを抱えながらも店に出て接客をされていた。私も色々とお話をさせていただいて、一緒に写真を撮っていただいた。高齢ではなかったので、今回も会えるものと思っていたのだが。話を聞くと、ここ数年入退院を繰り返していたが、最近元気になり趣味のドライブで釧路まで出掛けたりしていたと。しかし無理をしてしまったのか肺炎に罹り、そのまま亡くなってしまったという。彼の笑った時の顔が浮かぶ。お悔やみを伝え、ネックレスやキーホルダー買い、お店を後にした。さて、時刻はお昼前。そういえば阿寒湖でお昼ご飯を食べたことがなかった。いつも阿寒湖を拠点に移動していたため、朝か夜しかいたことがなかったのだ。そこでアイヌコタンを下っていくと、アイヌ料理のお店があるではないか。入ったお店は「アイヌ料理の店 ポロンノ」ポロンノとはアイヌ語で「大きい」とか「たくさん」という意味だそうだ。これまた旅人が嬉しくなる名前だ。メニューも多く、迷ってしまう。北海道の山菜がたっぷり入ったオハゥ(汁物)も気になるが、肉を食べたい気分だったので、ユック丼を注文する。ユック(ユク)はアイヌ語で鹿のことを指す。単に鹿というのではなく、獲物とか食料という意味もあるそうだ。ほどなくして運ばれてきたユック丼。思った通りなんとも美味しそうだ。早速いただく。鹿肉は驚くほど柔らかく、しかし脂のように溶けるのではなくしっかりと肉の味を感じる。絡めてあるタレが、濃すぎず薄すぎず絶妙な塩梅でとても美味しい。これはヒンナだぜ。※ヒンナ=食べ物に感謝する言葉。あまりにおいしかったため、あっという間に完食。これはもう一杯食べられる。おすすめです。ポロンノを出て、アイヌコタンを撮影しているうちに13時になった。そこでもう一件の馴染みの店に行くことにする。馴染みとは言っても7年ぶりなので、店の方は覚えていないだろう。到着した熊の家(くまのや)いつもは朝から夜まで開いているのだが、しばらくお昼からの営業にしているそうだ。私はてっきりコロナの影響かと思ったら、ここの店主である康平さんが、なんとアメリカに行っているとのこと。アメリカで開催されているイベントにゲストとして呼ばれたのだとか。以前お会いした時は「一緒に雌阿寒岳登ろうぜ」とか「鹿児島だった焼酎のお土産よろしく」といったフレンドリーで面白い方だったのだが、すっかり阿寒をいや、北海道を代表する人になられたのだ。久々にお会いしたかったが、また次の機会があるだろう。お店には康平さんのお母様がいらっしゃり、色々とお話をしてくださった。そこで前に撮影した写真を見てもらうと「懐かしぃー!」と喜んでくださった。色々とお話をお母様とさせていただいて、阿寒湖で過ごした日々を思い出すことができた。ありがとうございました。また必ず戻ってきますので、どうかお元気で。お母様に見送られてアイヌコタンを後にした。※熊の家 藤戸竹喜さんの作品展が東京で開催中。私も阿寒に通い詰めていつも見ていた作品たちです。お近くの方はぜひ訪れてみてください。【木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ】阿寒湖を離れ帯広に向かう。しかしどうしたことか道を間違え北上してしまった。シゲチャンランドと道の駅相生で気づく。どうせここまできたのだから、クマヤキでも買おうとしたら売り切れであった。残念。それでは再び帯広へ。帯広ではバイクのオイル交換をする予定で、すでに予約を入れていたのだった。このままでは間に合わないので、高速を使うことにする。一気に音更まで南下して、帯広のYSPに到着。私はMT-10のオイルに、ヤマルーブプレミアムを使用している。これがなかなか在庫している店が少なく、札幌は今回行き先から除外していたため、帯広での交換となったのだ。早速交換を依頼するが、ヤマルーブプレミアムは1リットル缶しか置いておらず、えらい金額になってしまった。自分で替える倍の金額だ。まあこれは必要経費なので仕方がない。それにしてもこのYSP帯広びとう商会はみな親切だ。整備士の方は少しクセがあるが、話してみればとても優しく、いろんな話をしてくださった。そして店長は、帯広のグルメスポットを次から次へと紹介してくれて、熱く語ってくれた。このリストに有楽町が入っているあたり、間違いのないリストだと言うことがわかる。いろんなお話をさせていただいて、元気をもらった。旅先でのこんな出会いもいいものだ。さてそれでは宿に向かうことにする。今日の宿は、できれば避けたかったライダーハウスである。昨日に引き続き、今日もどこの宿も空きがなく、旅人と語れると言うことと、久しぶりに宿主さん会えるということもあり、選択したのだった。まあコロナ禍だから、他の旅人も感染対策をしているだろう。しかしその考えは甘かった。到着したライダーハウス&カフェ pit。感染対策で、受付はセルフ方式になっていた。そして宿主のカマキリさんは外出中であり、この日はお会いすることができなかった。受付を済ませ、2階に上がるとすでの多くの旅人で賑わっていた。しかし、なんとみなマスクをつけていない。そしてその状態でコロナ禍以前のように宴会をしているではないか。一瞬怯むも、部屋は上限2名とされているので、逃げ込むように部屋に入る。部屋には先客がおり、この方が良識のある方でしっかり感染対策をとっていた。とりあえず一安心である。安心したら腹の虫が「何か食わせろ」と鳴いた。では早速念願の有楽町でジンギスカンをと意気込んだが、店前について愕然とした。そう、今日は水曜日。有楽町の定休日なのだ。曜日感覚を喪失していた私は考えもしなかったのだ。約11年ぶりのジンギスカンとホルモンうどんの夢は破れた。仕方がないので他のお店へ。紹介された焼肉屋さんも今日はお休みであり、明日から全店お休みとなるインディアンカレーを食べることにした。YSP帯広の店長おすすめの野菜カレーは品切れ。しょうがないのでノーマルをいただく。飾りっけのない家庭の味といったカレーだ。とりあえず腹を満たし、宿に戻るとすぐに雨が降り出した。予報より早い降り方である。駐輪場はバイクでごった返しており、今夜は13台バイクが来るそうだ。ライダーハウスに戻るとノーマスク宴会は続いており、おとなしく部屋に引きこもり同じ部屋の方と情報交換をして眠りにつくのであった。17日目に続く。←15日目へ 17日目へ→
2021年09月15日
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8月16日今日は目的地が多い上に、それぞれの場所が遠い。朝食を取りすぐに出発する。途中、道の駅で休憩したら、とても目を引くものが。思わず買ってしまった。私の旅に新たな相棒が増えたが、メロン熊が嫉妬しないだろうか。それでは行程に戻ろう。前回2014の北海道旅でレンズが故障し、まともな写真の撮れなかった天に続く道に向かう。途中、荷物満載の長靴ライダーが前を走っていた。ナンバーを見ると、なんと鹿児島とあるではないか。鹿児島から北海道までバイクで来る変態ライダーが私の他にもいたのだ。嬉しくなり声をかけようとするも、この方が全然止まらない。結局天まで続く道の入口まで1回も止まらず、声をかけることはできなかった。まあこれも縁がなかったということなのだろう。「ここに停めたら危ないですよ」駐車場入り口で他のライダーに声をかける人がいた。天まで続く道の駐車場は、坂をそのまま駐車場にしており、急勾配な駐車場となっていた。私は事前にホッカイダークマさんからの情報で知っていたのだが、知らないライダーが駐車場に入り転倒する事態が続出していたそうだ。実際私の直後に来たライダーも、駐車場に入り立ちごけしそうになっていた。私はおとなしく手前の道路脇に停める。そして人が少なくなったタイミングで、天まで続く道に乗り入れ撮影する。7年越しの悲願を達成することができた。【クマ出没情報】知床に近づくにつれ、この手の看板が増えていく。書いてある日付も比較的最近だ。やはり知床はヒグマの楽園なのだな。知床の海沿いを離れ、内陸に入っていく。途中景色が開け、羅臼岳がその姿を表したが、頂上と麓に雲がかかっている。頂上はともかく、麓の雲は・・・。予想的中。暫く進むと濃霧に入り込んでしまった。霧でもこの濃さは濡れてしまうので、バイクを停車してカッパを着込む。ふと足元を見たときであった。弁当のゴミが捨ててあり「こんな大自然の中にごみ捨てるとか、控えめに言って○ね」と考えていると、そのゴミの横に黒く大きい塊が転がっていた。「ヒグマの糞だ。」以前ネイチャーガイドをしている人に教えてもらって、ヒグマの糞は写真で見たことがあったのだ。いま足元に転がっているのがまさにそれで、しかもまだ新しい。カッパ装着を中断し、慌ててその場から離れるのであった。霧の中を延々と進む。水滴が視界を遮り、さらに気温も低いためシールドが曇る。このままだと視界ゼロなのでシールドを開けて走るが、寒すぎて口唇にチアノーゼが出てしまった。知床怖い知床怖い知床怖い知床怖い。霧の峠を越え、ようやく羅臼まで降りてきた。ウトロ側の晴天が嘘のように重くのしかかるような空。雨は降っていないが、これではいい写真は期待できない。開陽台と北19号は明日改めて行くことにしよう。しかし中標津には向かう。ここには私が愛してやまない回転寿司があるのだ。程なくして到着した回転寿司「花まる」ここはいつも新鮮でお安く寿司を提供してくれるのだ。地元でも大人気であり、平日なのにも関わらず受付時に「90分待ち」と説明された。しかしそこは一人で来ているので、30分ほどでカウンターに座ることができた。それではここから贅沢すしざんまい。大好きなサーモンをはじめ色々と注文していく。その中に念願のブドウエビがあるではないか。しかも1貫500円と新千歳空港の半額。しもPさんの宿題をひとつクリアすることができた。とは言っても宿題はまだまだあるが。どのお寿司も絶品で大満足であった。ただ今回は、時知らずと秋刀魚がなかったのが残念だった。さて、本来ならここらへんで宿をとり、ゆっくり巡りたかったのだがお盆を過ぎたこのタイミングでどの宿も満室。唯一空いていたのが帯広か釧路であったため、釧路の宿を押さえたのだった。そんなわけで、今日は釧路まで走らなければならない。しかし、納沙布岬は絶対に行っておきたい。こうして北見発、知床・納沙布岬経由の釧路行きというとんでもないルートが完成したのだった。中標津から根室までは視界も開けず、つまらない道を淡々と走る。ようやく厚床まで抜けると、ここから根室までの道が変貌していた。ほぼ全線バイパスなのだ。昔はつまらない道を淡々と走るだけだったのだが、バイパスになっているおかげで距離と時間を稼ぐことができた。そして、ここでも飛ばしすぎる地元の車たち。バイパスとはいえ、平均して120km/hほどで走るのは自殺行為である。バイパスは根室に入ったところで自動車専用道と繋がり、さらに時短できる。根室の街を抜け、大自然が広がる根室半島へ。30分ほどで納沙布岬に到着した。いつまでも晴れぬ曇天は、最果て感をより一層濃くしていた。そんな納沙布岬はかなり寒く、バイクの外気温計は14℃と表示していた。改めて、今日は8月16日である。暖をとりに土産物屋に入る。ここ請望苑は、熊出没系と北方領土系のお土産が豊富で、いつもここで爆買いしているのだ。今回は稚内の蝦夷屋が閉まっていたので、こちらでお土産をあさっていく。会計の際に店主と語っていると「今日はね、まだ暖かいんだよ。」「昨日はもっと寒くてストーブ焚いたんだから。」道東では夏もストーブを焚くという噂は本当であった。続けて店主が「寒いのも悪いことばかりじゃなくてねぇ。」「いいものを見せてあげる。」そう話すと、店の大きな窓の前まで案内された。「あれ、分かる?小さい岩みたいな黒いもの」目を凝らしてみると、確かに小さい黒いものが波の間をプカプカと浮かんでいた。「あれ、実はラッコなんだよ」驚いた私は思わず身を乗り出した。そんな私に店主が「はいこれ使って」と双眼鏡を渡してくれ慌てながら覗いてみる。「本当だ、ラッコだ。」ラッコなんて動物園か水族館でしか見たことがない。野生のラッコがまだ日本で見れるなんて感動ものである。店主に礼を言い、慌ててバイクにカメラを取りに行く。ラッコを脅かさないように、漁港までゆっくりと降りていく。ラッコは2匹おり、つがいのようだ。望遠レンズでみると、なんとも愛らしい顔をしている。しかし思ったよりも大きい。私の中でラッコの大きさといえば小型犬ぐらいのイメージだったのだが、実際にはゴールデンレトリバーよりも少し大きい感じだ。初めて野生のラッコを間近で見れて感動。北海道には私の知らない感動がまだまだあるようだ。「バイクはこちらにお願いいたします。」駐車場の係が立駐の入口に案内する。「今日はバイクが多くてねぇ。こちらですみません」初老の男性が申し訳なさそうに話していた。入口とはいえ、しっかり屋根下であり十分だ。「いえ別に構いません。ありがとうございます。」父親に近い年齢の人に謝られると、複雑な気持ちになる。それは父が、何があっても絶対に謝らない人間だからということもあるのだろうか。妙なモヤモヤを抱えたままチェックインを済ませる。今日の宿は釧路の東横インだ。この近辺で空いていて、1番安いのがここだったのだ。今回の旅は東横インばかり泊まっている。会員なので使い勝手が分かっているというのも大きい。コンビニで買い出しを済ませ、軽めの夕食を取る。今日は昼食にお金を使いすぎたので、夕食は質素だ。夕食を食べ終わると猛烈な眠気が襲ってきた。それもそのはず。計算したところ今日は460kmも走っている。鹿児島から山口まで走るようなものだ。さっとシャワーを浴び眠りにつくのであった。16日目に続く。←14日目へ 16日目へ→
2021年09月14日
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8月15日朝6時起床。手早く準備を済ませ出発した。バイクステーション、2泊お世話になりました。今日はオホーツク海側を南下して、北見まで向かう。まずは樺太を見るために宗谷岬へ。ほどなくして到着するも今日も樺太は見えず。いつになったら見ることができるのだろう。そう思いつつ宗谷岬を素通りし、文字通り最北ターン(端)。猿払へと向かう。オホーツク海側は波が荒い。海岸は削られ、飛沫が霧を作っている。猿払の道の駅に着く頃には全身潮で湿っていた。さて、ここの道の駅は最近有名になり出した「エサヌカ線」のステッカーを販売しているのだ。9時の開店を待つも、すでに半分売り切れていた。本来なら5番が欲しかったのだが、仕方なく2番のステッカーを購入。ついでに道の駅オリジナルのステッカーも購入。よし、それではエサヌカ線に向かおう。国道238号を南下していくもエサヌカ線の入口が見当たらない。結果スルーしてしまい、南側の入り口から入ることに。しかしこれが大正解。順光で撮影することができた。目に飛び込んでくるどこまでも真っ直ぐな路は、新たな名所になるのも頷けるほど圧巻の光景だ。エサヌカ線を後にしてひたすら南下。次の目的地は紋別なのだが、そこまでがひたすら遠い。風景も似たような景色が続き、正直飽きてきた。この道は初めて通る道だが、もう通ることはないだろうなぁ。途中セコマで休憩しつつ、紋別到着。そして紋別といえばこのモニュメントだろう。微妙に撮影位置がずれたのはご愛嬌。説明を読むと、このカニの爪のモニュメントは、昔海上に設置されていたとか。その名残で台場ごと陸に上げているようだ。海上に設置した姿も見てみたかった。さて、紋別はオホーツク海に面した街である。オホーツク海ということは、冬になれば海は一面流氷に覆われる。その流氷のメカニズムを知るために、オホーツク流氷科学センターに入る。入ってまずは、マイナス20°を体感できる極寒体験室に入る。係の方から防寒服を勧められたが、それじゃあ面白くない(?)のでインナー1枚だけで入室。うん、たしかに寒いが、我慢できないほどではない。そのまま地下に降りていき、魚が氷漬けにされている部屋へ。あまり魚に興味はないため、素通りしようと思ったのだが、なぞの展示物に思わず覗き込んでしまった。「昔は屋根より高かった」このユーモラス好きだなぁ。結局この展示以外珍しいものはなく、体験室を出ることにした。しかしやはり寒かったようで、まつ毛は凍り、カラビナはキンキンに冷えていた。手にくっつくほどではなかったが。体験室を出たあとは、流氷のメカニズムについて学んでいく。流氷ははるか北方のアムール川の河口が氷結し、それが北海道沿岸まで流れてくるものだそうだ。これが毎年繰り返されているのだから驚きだ。いつか真冬の北海道を訪れて、流氷を見てみたいものだ。「ホタテなんて私達は食べないよ~」ウェイターのおばちゃんが笑いながら話す。ここは道の駅上湧別のレストラン。昼ごはんを食べそこねていた私は、ここでホタテフライカレーをいただいていた。美味しいホタテ料理はないか訪ね、「みなさんは普段どのようにしてホタテを食べているんですか?」との問いに、先程の答えであった。なんでも安価で手に入る上に、町からも年間20枚ほどホタテの支給があり、食べ飽きてしまっているのだとか。なんとも羨ましい話である。おばちゃんに会釈し、道の駅をあとにした。そろそろいい時間なので宿に向かおう。ツーリングマップルとGoogle Mapを組み合わせて北見までのルートを組む。するとGoogle Mapに見慣れない表示が。「取締報告1件あり」とのことで、国道239から道道685に入った直後に取り締まりがあると表示されていた。これはありがたい。取り締まりに気をつけながら北見を目指す。周囲の車は取り締まりなんて気にしていないようで相変わらず飛ばしていく。そして国道239から道道685に入り、1kmも進まないうちに路側帯に停車するレーダーパトを見つけた。報告は正確だったようだ。もともと荷物をドカ積みしているので、そんなに速度は出せない。この区間も60km出てるか出てないかぐらいの速度だ。しかしレーダーパトの横を通過する際に助手席の若い警官と目が合い、なぜか睨まれる。勘違いではない、目があったままジトッと私を睨みつけていたのだ。意味がわからない。時間があればUターンして「なにか御用ですか?コノヤロウ」と声をかけるところだが、もう夕暮れも近い中そんな時間はなかった。しばらく道なりに走っていると、先程のレーダーパトが数台後ろから緊急走行してくるのが見えた。先程の憂さ晴らしにやってきたのかと思うと、後ろの車も私もごぼう抜きしてどこかへ去っていった。どこかで事故でも起きたのだろうか。あんなチマチマ点数稼ぎせずに、ちゃんと事故防止になる仕事をしてもらいたいものだ。「今日お泊りのお客様ですか?」ホテルの玄関にバイクを停めた私にフロントスタッフが声をかけた。「今日はバイクのお客様が多いので、できるだけ詰めてお停めください」了承し、バイクをできるだけ端に寄せる。お盆ということもあり、旅人が多いのだろう。チェックインを済ませ部屋に荷物を上げてから買い出しに行こうとしたら、玄関前はバイクで埋まっていた。道内はもちろん東京、大阪、名古屋。全国から集っているようだ。このコロナ禍では、都市圏のナンバーは煙たがられるだろう。私のように感染対策を万全にしておけば問題はないというのに。正直、旅に出るより地元のショッピングモールに行くほうが感染リスクは高い。そこを考えずに、思考停止した一部の人が「県外だ」と騒ぎ立てる。とはいえ、実際感染対策を何もせず旅行している馬鹿も多くいる。この旅の途中、旅行者の集団でマスクもせず馬鹿騒ぎする輩を多く見た。あれを見れば、県外からの観光客を毛嫌いしても当然なのかもしれない。そんな考えが頭の中をかき混ぜており、サッポロクラシックですべて流し眠りにつくのであった。15日目に続く。←13日目へ 15日目へ→
2021年09月13日
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8月14日朝5時。バイクのエンジン音で目が覚める。どうやら部屋の前で暖機しているようで、うるさくてかなわない。こんな常識もわからない輩は注意したところで無駄なので、耳栓をして放っておくことにする。そのまま惰眠を貪り、起きる頃にはほとんどの宿泊者が出発して行った。まだ朝の7時の段階でだ。私はゆっくり朝食を取ってから、バイクを洗車場まで押していく。高圧洗浄機も使えるが、バイクに高圧洗浄機を使うと、いろんな場所が壊れるので絶対に使わない。私のMT-10も入荷の際高圧洗浄をしたらしく、フロントホイールのハブリングのグリスが乳化していた。洗車を済ませたら、チェーンに注油。これでまた走りやすくなる。お次はシートを外してサイドケースステーも外す。各所ボルトの緩みがないか、損傷はないか確認。全ての点検を終えて異常は確認されなかった。キャリアが心配だったが、問題ないようだ。それでは外したものを全て元通りにして、コンテナも積載。全ての準備が整う頃には午前10時を回っていた。バイクステーションも1台を除き、全て出発している。※この1台が謎で、このあと13時過ぎに戻ってきても動いた形跡がない。さらにこの前日も翌日も動いた気配がないのだ。でも中に人はちゃんといて、夜中に外に出て何かゴソゴソやっている60代くらいの謎の人だった。バイクステーションを出発し、快適なシーサイドラインを流しながら宗谷岬を目指す。ほどなく宗谷岬到着。ここに来るのは2014年以来だ。思えば快晴の宗谷岬はこれが初めてだ。期待していた樺太は残念ながら今回も見えなかった。さて、お盆だというのに人が極端に少ない。最北端のモニュメントの記念撮影もほぼ人がいない。そして蝦夷屋をはじめとして、数軒店も閉めている。コロナ禍はここにも暗い影を落としていた。とりあえず私も列に並び、記念撮影。insta360がとても便利である。記念撮影が済んだら周囲を散策。ステッカーや記念品が欲しかったのだが、土産物屋はほとんど閉まっており、唯一開いてた柏屋に入る。しかし、すでに持っているものばかりだったので、奥の流氷館に半袖のまま入る。中はマイナス20℃らしく、確かに寒いが我慢できないレベルではない。一眼とinsta360は結露が怖いのでバッグにしまったままにする。それでは宗谷岬を出発。宗谷丘陵登っていく。今回の目的地は、最近有名になった「白い道」だ。元々はただの農道だったのだが、観光客誘致のため一面に帆立の貝殻を敷き詰めたのだとか。早速向かう。宗谷らしい景色を流していると、あちこちに白い道への案内板があるではないか。そういえば、白い道での事故防止にために、一方通行にご協力くださいとの情報があったな。この案内板に従っていけば、本来の入り口にたどり着けるのだろう。案内板を頼りに最高な景色の中を流していく。すると突然舗装路がぷっつり切れ、白い道が姿を表した。この感じ、昔の北海道の「国道が突然ダートに!?」の感じに似ている。漫然運転だと貝殻に乗り上げて転んでしまうだろう。と思ったのも束の間。実際に走ってみると固く踏みしめられており、オンロード車でも問題なく走ることができた。ただ、時折トラクターのタイヤで波状路みたいになっており、振動がバイクにもコカンにも悪い。しかしそんな心配も、この景色を見ればすべて吹き飛んでしまう。一旦停めて写真を撮りたいが、なかなか停められる場所がない。いや、普通のバイクなら停められるのだが、このバイクは停める場所を選ぶ。そのまま進み、ようやく停められる場所を見つけた。それにしてもいい景色だ。青空と草原と白い道のコントラストが素晴らしい。ここでしばらく何も考えずに過ごしたいが、やはり観光スポット。次から次へと車にバイクにやってきてゆっくりできる状況ではない。撮影を終えたら下界に下ることにする。さて、時刻はお昼過ぎ。今から稚内市内まで食べにいくのも面倒なので、目に入ったセコマで済ませることに。100円パスタとおにぎりを買い込み目の前の漁港へ。宗谷海峡を眺めながらの食事は格別だ。さて、今回の北海道旅で困るのがゴミの処理だ。コロナ禍の影響で、殆どのコンビニがゴミ箱を撤去している。ここのセコマもそうであったため、ゴミを処分するため一旦宿に戻ることにする。どのみち稚内市内に向かうのだからちょうどいい。宿でゴミを処分し稚内市内へ。この時も例のバイクは動かした形跡がなかった。稚内市内に入り、まず向かったのが稚内公園だ。ここで氷雪の門と開基百年記念塔を散策。そして公園から降り、防波堤ドームへ。来る前に聞いていたが、現在改修工事中のため一部入ることができなくなっている。入れるところでは子供たちがスケボーで遊んでいた。地元の人にとってはあって当たり前の光景で場所なのであろう。今度は海岸側に出る階段を登り、ドームの外側を見てみる。至る所にヒビが入り、コンクリは剥がれ、痛々しい姿をしていた。それもそのはず。このドームが暴風雪から港を守ってくれているのだ。今回の補修で綺麗に直していただき、これからも稚内を訪れる旅人を永く迎えてほしいものだ。さて、今度はそういえば行ったことのなかった稚内駅に向かう。ドームからほど近い場所にあったのだが駐車場は満車。なんとか停める場所を見つけ駅の構内へ。最近立て替えられたという駅舎は近代的でとても綺麗になっている。最果て感はまるでない。ここで休憩をとりながら時間調整。今日はノシャップ岬で夕日を見るためだ。いい時間になったので出発。ノシャップ岬は目と鼻の先だ。ここには今回初めて来たと思っていたのだが、どうやら2回目らしい。全く記憶になかったが、港に立つ赤い灯台で思い出した。前回訪れたのは2010年の北海道ツーリングだった。ノシャップ岬での夕日を見た後に、みどり湯のおかみさんに「まだノシャップなんて行ってるの?夕日が丘の方がずっと綺麗なのに」と夕日が丘パーキングを教えてもらったのだ。旅の思い出は消えないものと思っていたが、11年も経てばさすがに消えてしまうのだろう。寂しい限りだ。ノシャップ岬にあるイルカのモニュメントの中に日が落ちていく。今回も2010年と同じく水面に消える前に雲に隠れてしまった。同時に撤収していく観光客。誰もいなくなったノシャップ岬を残照が照らす。マジックアワーを背中に受けながら、また来ますとつぶやくのであった。14日目に続く。←12日目へ 14日目へ→
2021年09月12日
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2021北海道ツーリングレポートの途中ですが、ここでご報告。先日、モデルナ製ワクチンを接種しました。1回目の接種です。●接種直後頭がフラフラする感じがあるも、10分ほどで消失。帰宅後徐々に注射した場所が痛み出す。●12時間後全ての症状消失。●24時間後注射した場所が痛み出すと同時に強い倦怠感。●25時間後肩・腰・膝・足首に関節痛出現。●27時間後平熱が35℃台なのだが、37℃前後を推移。●36時間後体温36℃前半に落ち着く。関節痛消失するも、倦怠感変わらず。●60時間後強い倦怠感持続。(今ここ)ある程度の副反応は覚悟していましたが、ここまで倦怠感が強く出るとは。どれほどの倦怠感かというと、トイレに起きるのも億劫になるほど強いものです。1回目でこの状態なら2回目は一体どうなってしまうのだろう。発熱や疼痛ではないので、解熱鎮痛剤を飲むわけにもいかない。というか飲んでも意味がない。やらないといけない仕事は山積みなんですが、ちょっとお休みをいただくことにします。明後日まで回復しなければ、北海道レポも一時中断しますのでご了承ください。接種した後も北レポが更新されていたのは、完成した分を予約投稿にしていたためです。明後日までは自動更新されますが、それ以降の続きは回復するまでお待ちください。
2021年09月11日
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8月13日朝6時起床。今日は稚内を目指すため早めの出発だ。昨日階段落ちで打ちつけた場所が痛むかと思いきや、全くどうもない。改めて太っていることに感謝した。朝7時前、準備を完了して宿のみなさんに見送られながら出発。宿の前が延々と直線なので、見えなくなるまで延々と手を振り続ける。今回の旅も一期一会が多い。この宿で知り合った方々とは、この後再会することはなかった。時短のために旭川の街を迂回して高速に乗る。途中PAで朝ごはんをいただく。この旅何個食べたかも忘れたすじこおにぎりだ。朝食を終えたら、そのまま高速で一気に留萌まで抜ける。留萌でよりたかった店が何軒かあるのだが、まだ朝が早いためどこも開いていない。次の宿題としよう。留萌から日本海沿いに抜け、気持ちの良いシーサイドラインを北上していく。この潮の香り、波の音、ウミネコの鳴き声。北海道に来たことを実感する瞬間だ。そのまま北上を続け道の駅で休憩。カラスが他のライダーの荷物を漁ってたため追い払ったり、信号無視した歩行者が轢かれそうになったりと色々騒がしいところだ。人も多くゆっくりできなかったので、ソフトクリームを食べたら出発する。再び北上を続け、到着した「甘えびファクトリー」かの有名な北のにしん屋さんの隣に最近できたお店だ。北のにしん屋さんは駐車場も満杯で、行列までできているのに、こちらは空いている。早速甘エビ丼を注文しようとしたら、甘エビの唐揚げというなんとも魅力的な商品が。両方購入して外のテラスでいただく。甘エビ丼はプリップリの身で、甘くてうまい!唐揚げは髭までカリッカリに揚がっており、ビールが欲しくなる一品。どちらも美味しかったなぁ。ごちそうさまでした。出発する頃には、北のにしん屋さんから溢れたお客さんでいっぱいになっていた。それでは国道232号線を一気に北上。オロロンラインを目指す。途中数回休憩した後オトンルイ風力発電所到着。何度見ても風車が立ち並ぶ光景は圧巻だ。実はこの発電所、2023年に解体されることが決まった。老朽化に伴い、新しい設備に交換するのだそうだ。しかし交換後は風車の数も減り、間隔も開くとのことで今のような景色とは別物になってしまうのだそう。なんとか建て替え前にバイクで来ることができてよかった。惜しむように風車の前を何度も往復する。insta360にオトンルイの姿を収めたら再び北上。利尻富士を左手に見据えながらサロベツ原野を北上していく。景色は最高なのだが、みんな飛ばしすぎだ。一番飛ばしてたクラウンは160km/h以上は出ていた。一般道であれだけ出すとは。鹿でも飛び出してきたら即廃車か運が悪ければ死亡事故だ。北海道が死亡事故全国一位の訳がよくわかる(クラウンは札幌ナンバー)こんな状況だから60km/hで走ると追突されかねない。あまり飛ばすとキャリアにダメージがいくため、振動が出ない程度まで速度を上げる。ひたすら北上し、坂の下交差点を稚内市街地方面へ。今宵の宿を目指す。今回稚内での宿はゲストハウスを想定していたが、よくよく考えるとレッドバロンのバイクステーションがあるではないか。それに気づき、数日前に函館で2泊分の予約をしたのだった。稚内の街からだいぶ離れ、稚内空港の手前にバイクステーションはあった。宿泊受付をバロンの青い制服を来た店員がするので、なんとも違和感がある。受付を終えたら部屋の前までバイクを押していく。ここは部屋の真前にバイクを停められるのでありがたい。もちろん屋根付きだ。洗車もできるそうなので、明日洗車とメンテナンスをすることにする。部屋に必要な荷物を入れたら、買い出しと温泉に入りにいく。稚内市街地に戻り西條で買い出し。そして稚内の温泉といえば最北の湯、童夢温泉だ。中は人でごった返していたため、すぐに撤収。するとちょうど夕暮れとなっていた。ちょうどいい、近くの名所に行くことにする。童夢からバイクで約10分。到着したのは先程通った坂の下交差点から坂を登ったところにある夕日が丘パーキング。11年前にみどり湯のおかみさんから、ここからの夕日が絶景だと教えてもらっていたのだ。早速バイクを停め、撮影開始。美しい夕景を撮っていると、一台のタクシーがやってきた。このタクシーの運ちゃんがとてもイケメンでいい人で、お客さんも交え語らいながら夕日を眺めていた。聞けば北海道出身だが、働きながら全国を回ったと。落ち着いたらまた旅がしたいとも話していた。夕日が水面に消え、その人たちは稚内の宿まで帰って行った。旅先の出会いは一期一会。寂しくもあるが、縁があればまたどこかで会うこともあるだろう。マジックアワーに輝く空を眺めながら、そう思いに耽るのであった。13日目に続く。←11日目へ 13日目へ→
2021年09月11日
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8月12日朝6時に目が覚めるも、起き上がれず二度寝。昨日は夜中まで熱く語りすぎて睡眠不足。しもPさんたちも遅くに起きるのをいいことに心ゆくまで惰眠を貪る。今日は晴れ予報なのだが、登別だけ雨が降っている。これは登別では当たり前のことだそうだ。朝9時起床。妻さんの美味しい朝ごはんをいただき、10時出発となった。しもPご夫妻、今回もお世話になりました。また帰る前に挨拶に寄らせていただきます。おふたりに見送られ出発した。さて、今日は旭川が最終目的地なので比較的ゆっくりした行程だ。まずは占冠を目指して東進。お昼過ぎに到着した。ここでオリジナルおにぎりでお昼休憩を取り休憩していく。休憩を終え北上。先日訪れた金山湖近くを通過しさらに北上する。それにしても北海道の田舎道はどこを走っても絵になる。次はこの風景が白銀の世界に変わる時期に訪れてみたいものだ。そう考えながら麓郷までやってきた。実は私、麓郷に来るのはこれが初めてだ。倉本聡先生の作品は大好きで、北の国からをはじめやすらぎの郷まで全て見ている。過去には森の時計や風のガーデンも訪れているのだが、何故か麓郷だけは来たことがなかった。何故だかは分からないが、単に呼ばれてなかったのだろう。拾ってきた家にて共通チケットを購入し、見て回る。多くの写真を撮ったが、建物内部の写真はネットにあげるのは禁止ということで、外からの写真だけ。係の方に伺ったところ、写真は大丈夫でYouTubeなどにアップするのが、テレビ局の権利やらなんやらの影響でダメということらしいが、今回は念のため外側だけ写真を載せる。それぞれの家を見て回るが、それぞれの景色ごとにドラマのワンシーンが蘇る。黒板五郎の丸木小屋では、実家にある刺繍箱と同じものが置いてあったり、皿や調味料に一切ほこりが積んでおらず、まるで今もここで生活しているかのような雰囲気があった。五郎の石の家では、先日亡くなられた田中邦衛氏の献花台が備え付けてあり、花々の奥に黒板五郎のとてもいい写真が置いてある。思わず涙が溢れそうになった。そして献花台の横にもう一枚写真が置いてあり、そちらは黒板五郎と中畑和夫が並んで写っていて、これを見た瞬間に堪えきれず涙が流れた。北の国から2002遺言の放送から19年。脚本は東日本大震災直後の話まであるそうだが、それをこの時のキャストで見ることは叶わない。寂しくも懐かしさを感じる麓郷であった。「もう少ししたら夕食ですので、しばらくゆっくりしていてください」宿のオーナーさんが優しく明るく話していた。麓郷から離れ、今日の宿である旅人宿ゆうさんに到着していた。旭川の外れにある宿で、周囲は畑に囲まれ静かでとてもいいところだ。宿も古民家を改装した建屋で、田舎育ちの私にとってとても落ち着く宿だ。この時には、まさかあんなことが起きるなんて想像もしていなかった。必要な荷物を2階の部屋に上げ、少し休憩してから1階の談話室で過ごそうと階段を降りようとしたその瞬間。右足を滑らせ、階段の最上段から1階まで滑り落ちてしまった。幸い受け身を取れたので頭を打つことはなかったが、足や腰から鈍い痛みが伝わる。しかし痛みより先に感じたのは恥ずかしさであった。痛みですぐに立ち上がることはできなかったので、その場で何故か正座をしていた。これは今考えても意味不明な行動であった。人間って咄嗟に思わぬ行動を取るものなのだ。オーナーさんが「大丈夫!?」と駆け寄ってくれたが、痛みより恥ずかしさが勝った私は「お騒がせしました」と答えるだけであった。騒ぎが一旦収まった頃合いで、体の各所を確認する。骨折はない。関節も異常なし。打撲も臀部だけであり今は痛みもない。とりあえず一安心だ。人生で初めて階段落ちを経験し、そして人生で初めて太っていることに感謝した。おそらく全身の脂肪がクッションとなったのだろう。その夜は私の階段落ちの話で盛り上がる。オーナーさんの話だと、2〜3段落ちる人はいたが、一番上から落ちた人は初めてだという。そんな初めてはいらないのだが・・・。もうこうなったら話のネタにしてくださいと笑い合い、旅の話や流星群を見たりして旭川の夜は更けていくのであった。12日目に続く。←10日目へ 12日目へ→
2021年09月10日
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8月11日朝5時起床。ほぼ不眠症から解放されたのにも関わらず、今日は早起きだ。今日の目的地は登別であり、11時までに着かなければいけないためだ。台車で荷物をバイクまで運び積載していく。慣れたものでサイドケース、シートコンテナ、キャリアコンテナ、充電ボックスの積載をほぼ10分で終わらせる。全ての準備を整え3泊お世話になった東横イン函館駅前朝市を出発する。お世話になりました。富良野でも思ったが、拠点を構えて行動すると色々と楽でいい。数日後の稚内でも同じように行動する予定だ。函館の街を抜け、森あたりで気候の変化に気づく。数日前までのあの狂ったような暑さが消え、逆に肌寒い気候へと変貌していたのだ。この時から3日間、インナーを持ってこなかったことを後悔することになる。再度北上し、長万部あたりで休憩。これから目指す室蘭方面は厚い雲で覆われ、目の前にあるはずなのに見ることができない。雨雲レーダーもこの先雨が降ることを予報していた。しかし便利な世の中になったものだ。11年前北海道を旅した時は、通常の天気予報と天気図を見てこの先の天気を予測するしかなかったが、今はリアルタイムで雨雲の動きを知ることができる。ありがたいが、旅の醍醐味がひとつ減った気がして寂しく感じるのは私だけであろうか。カッパを着ながらそんなことを考えていた。さて、時間もギリギリになってしまった。ここからは高速で時短を図る。長万部から高速に乗り、一気に東進。途中札幌ナンバーの車とバトルになったが、それはまた別のお話。10時30分ごろ登別に到着した。早速いつもお世話になっているしもPご夫妻に挨拶する。2年ぶりだがおふたりともお元気そうで安心した。そしてそのまましもPさんの車で拉致されて室蘭へ。国道36号線を南下していくが、この道通ったことがあるはずなのに見覚えがない。鷲別岬が豪快に見える。後から気が付いたのだが、国道36号線は東進したことはあっても西進したことはなかったのだ。先日函館に向かう時も高速を使っているし、室蘭は無視してオロフレ峠から洞爺湖に抜けることが多かった。初めて通る道はいつも楽しいものだ。鷲別を過ぎ、到着したのが「回転寿司割烹 伊達和さび」回転寿司とは思えぬ外観に少し怯む。肩で風を切って入っていくしもPさんに子分のように付き従う。ここはしもPさんお気に入りのお寿司屋さんで、様々な海鮮が美味しいのだとか。席につきしもPさんセレクトの寿司をつまんでいく。このどれもが絶品!これらに加えてどんどんつまんでいく。魚ではさんまが1番のお気に入りに。鹿児島ではさんまを生で食べることはかなわないからな。そして〆にとしもPさんが特注で握ってもらったのが、「山わさび」だった。山わさびとは西洋わさびのことで、チューブわさびに使われているものだが、北海道では山野に自生しており、味も香りも市販品とは段違いなのだとか。私もご相伴に預かる。わさびの香りがとても爽やかで、ほどよくツンとくる味は絶品のひとこと。松本で本わさびを食べたことがあるが、それとはまた違った味わいだ。この味の虜になってしまい、お土産で山わさび関連を爆買いしたのはまた別のお話。満足しておあいそをお願いすると、しもPのアニキがご馳走してくれると!えらい食いまくったのに、なんともありがたい。本当に感謝である。しもPのアニキが「北海道に来たのに、痩せて帰らせるわけにはいかんだろ」となんとも漢気のある言葉をいただいた。まさに漢の中の漢。それがしもPのアニキなのだ。寿司屋を後にして登別へと戻る。道中も様々な話で盛り上がる。旅の話から近況報告まで。さらには政治的な話まで。全てしもPのアニキと同じ方向性なのだが、今は正論を話すと疎まれるという妙な世の中だ、という点においても同意見であった。登別に戻り、しばらくゆっくりすることに。実は私、登別に何度も来ているのにも関わらず、地獄に行ったことがないのだ。この機会に行ってみることに。するとしもPのアニキが案内してくれると。ありがたい。地元の方の説明がつけば、よりその土地のことを深く知ることができる。登別温泉の北に位置している地獄。あちこちでガスが噴き出しており、まさに地獄といった雰囲気だ。地獄は窪地になっているが、温泉街に向かって開けている。そのためかあまりガスの臭いがしない。この地形だと硫化水素による事故も起きにくいだろう。しかし温泉からはしっかり硫化水素が出ているため油断は禁物だ。過去、ここ登別でも温泉貯留タンクの清掃中に硫化水素による死亡事故が起きている。自然は多くの恩恵を人にもたらすが、同時に災いももたらす。この自然の中で生きる我々人間の摂理でもある。地獄を後にしたふたり。この日は富良野に滞在していた時より涼しいとはいえ、それでもやはり夏だ。汗をかいてしまったので、いつものさぎり湯で汗を流す。ここの濃い温泉と、痺れるほど冷たい水風呂が大好きだ。↓見苦しいため加工増し増し。こざっぱりしたところでしもPのアニキと合流。夕食へと向かう。登別で夕食といえばもちろん温泉市場!ここの海産物は他に類を見ないほど新鮮で美味しい。料理の内容は店員さんにお任せして、まずは乾杯。といっても、まだお酒はなるべく控えてる状態なので1杯だけにとどめる。しかしこれが正解だったわけで。次から次へと運ばれてくる料理!写真を撮る暇もないほどじゃんじゃん食べてと言わんばかりに運ばれてくる。一瞬でテーブルは料理で埋まり、どんどん食べないとさらに料理が運ばれてくる。まるで豪華海鮮のわんこそばだ。最高に美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、次々と料理を平らげていく。お腹もなかなか膨れてきたが、ラスボスとして毛蟹が1人一杯ずつ運ばれてきた。普通なら限界で無理なところだが、これだけ美味しそうな毛ガニは別腹である。いやぁ、食った食った食いまくった。もう一生分の海産物を食べたのではないかというくらい満腹である。どのみちビールは1杯しか飲めなかったからちょうどよかった。会計をお願いすると、ここもしもPのアニキがご馳走してくださることに。本当に感謝以外の言葉が見つからない。しもP大権現様、ありがとうございます。それから部屋に戻り、仕事を終えた妻さんも加わり日付が変わるまで楽しく語り合うのであった。11日目に続く。←9日目へ 11日目へ→
2021年09月09日
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8月10日朝ごはんをとりに1階ロビーまで降りていく。ここは和食の弁当を中心にパンもあるからありがたい。朝ごはんだけで立派に育ってしまう。今日も外は雨が降り続き、時折窓を叩くように激しく降っている。雨が収まるまでバイクのチェーンに注油する。注油が終わる頃には雨は小康状態となり、出発することにした。函館朝市を抜けていくと、雨の中そこそこ観光客がいる。しかしそれもコロナ禍前からすると、とても少なく経営が成り立つのか不安だ。私も声をかけられるが、海産物は買う店を決めているので、軽く会釈して通り過ぎる。そして到着した青函連絡船記念館摩周丸。以前ブラタモリで列車を搭載する車両甲板を紹介しており、一度見たかったのだが、残念なことに一般の見学はしておらず、車両甲板に設置してあるカメラを操作してモニター越しに見ることしかできなかった。そこで船内をめぐり、1954年に起きた洞爺丸事故の詳細を見ていく。沖に出て投錨してるのにも関わらず、風に煽られ走錨。そのまま七里浜に座礁し復元力を失い転覆。他にも多くの船が遭難し、1155人の犠牲者を出す大惨事であった。実は洞爺丸が座礁した七里浜は、以前日本一周した際に心霊体験をした場所なのだが、それはまた別の機会に語るとしよう。順に資料を読んでいくと、昭和のテレビニュースが流されていた。モノクロのニュースであったが、なんと普通に遺体を引き上げるシーンを流しているではないか。ショッキングな映像であったが、当時の悲惨な状況を垣間見ることができた。さて、時刻はお昼前。今日のお昼ご飯に向かう。昨日も通ったベイエリアを通過して到着した「カリフォルニアベイビー」ここのシスコライスが絶品なのだ。早速注文。ついでにビールも頼もうかと思ったのだが、べらぼうに高く、後で飲むことにしてシスコライスだけいただくことにした。※シスコライス¥890 ビール¥700ピラフにたっぷりのソースがかかり、その中にソーセージが2本鎮座している。うん、やっぱりうまい。やっぱりビールが欲しくなるが、グッと我慢。満足して店を後にした。さて時刻はまだ12時。雨足が強くなってきたので、ここからは市電で巡ることにする。末広駅から乗車。同時に運転手に一日乗車券をお願いする。該当の日をスクラッチするといった面白い仕組みだ。そのまま市電に揺られ、五稜郭公園前で下車。五稜郭タワーへと向かう。この頃になると雨も小康状態となり、歩きやすくなる。程なく五稜郭タワー到着。ここは何度も登っているのだが、函館に来たら必ず寄ってしまう。今回はゴールデンカムイの舞台にもなっているため感慨深い(ネタバレ防止のためどんなシーンかは伏せます)エレベーターに乗り、ブラックライトに照らされる室内を撮影する。そして到着した展望台。そこは今までと変わらず絶景が広がっていた。悪天候のため、遠くまで見通せないが、それでも充分にいい景色だ。景色を堪能し、五稜郭の成り立ちを学んでいく。やはりこういった歴史は興味深い。その土地のことをより深く知ることができて、今まさにそこに立っていることが感慨深くなる。思い出としても強く印象に残るのが一番いい。しばらくして下界に降り、水分補給を済ませてから出発した。さて、ここ函館の街は温泉の街とも知られている。様々な温泉があるが、今回は湯の川温泉に浸かってみる。市電を湯の川駅で降り徒歩5分。その温泉は住宅街に溶け込むようにひっそりと存在していた。その温泉は大盛湯。なんとも嬉しくなるような名前だ。番頭さんに挨拶して入ると、なんと貸切状態。これはありがたい。体を洗い、下湯から浸かっていく。ここは浴槽が3つに分かれており、それぞれ温度が違うのだ。温度計はないので、体感温度で表すと。右、程よく熱い。おそらく42℃。中央、熱い。おそらく45℃。左、あっっっついっ!!おそらく50℃。湯の川温泉は熱いことで有名だが、ここまで熱いとは・・・。右と中央は肩まで浸かれたが、左は足湯でも無理であった。大盛り湯を出て駅に向かうと、大きな鳥居が目に入った。函館の街に戻る前にお参りしていこう。おみくじを引いたら見事大吉、旅行は「さわりなし」とのことだ。ただし、「健康に気をつけろ」と出ていた。結論から言うと、今回の旅で体調を崩すことは一度もなかった。これでいい旅を確約されたようで気分がいい。その気分のまま明後日の宿を予約。富良野で泊まりたかったがあいにく旅の途中はお休み。後日泊まることになる夕茜宿は満室だったため、旅仲間のこけさんおすすめの宿に連絡。無事空きがあり、予約することができた。これでこの先4日分の宿を確保。しかし、これがコロナ禍でなければこんな行きあたりばったりの旅はできなかったであろう。これも何らかのめぐり合わせなのだろうか。そう考えながら市電に乗り込んだ。「この飲み物がおすすめですよ。」カラフルな店内でこれまたカラフルな制服に身を包んだ店員が謎の飲み物を勧めてきた。ガラナビール、だと。バーガーをビールで流し込んでやろうと、ラッキーピエロベイエリア末広店に来ていた私の前に謎のメニューが現れる。生ビールをガラナ(コーラのようなもの)で割ったという台無し感漂う不思議な飲み物。おすすめということなのでバーガーと一緒に注文してみる。ずばり「台無し」である。お互いがお互いのいいところを打ち消しあってる。なぜこれを勧めてきたのか理解ができない。もう不味すぎて笑うしかない。バーガーはうまいので、今回はプラマイ0ということにしておこう。さて、それでは函館山に登ろうと空を見上げた瞬間愕然とした。先程まで晴れ渡っていた函館山が、すっぽり雲に覆われてしまったのだ。なんてことだ。しかしさっきまで晴れていたのだから、この後もう一度晴れる可能性がある。その可能性に賭けて登ってみることにする。ロープウェイで数分間、到着した函館山は霧に包まれた上に雨まで降っている。とりあえずしばらく待ってみることにする。しかし待てど暮らせど一向に霧は晴れない。そんな無為な時間が過ぎ、気がつけば2時間経っていた。これ以上はさすがにしんどいので、夜景は諦め下界に降りる。ハセガワストアでやきとり弁当を買いこむ。メニューや店内も昔と変わっていた。弁当を買い込み、宿に戻ろうと何気なく空を見上げると、なんてことだ。先程まで厚く覆っていた雲がすっかり晴れてしまっているではないか。まあ、そんなものだよねと自分に言い聞かせ帰路につく。今日は一日ずっと歩いたので、宿まで歩いて行ける距離だが、せっかくなので市電で帰ることにする。ベイエリアも変わらず美しいが、レールや路面が雨に濡れて街灯が反射して美しい。そのうち市電がやってきて乗車。ほどなく宿に到着して函館観光最終日は終わりを告げた。10日目に続く。←8日目へ 10日目へ→
2021年09月08日
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8月9日「◯◯さん◯◯さん、8番にお願いします」忙しい館内放送で目が覚める。時刻は10時を回っていた。部屋の外は掃除のスタッフだろうか、忙しなく動き回っている。まだ眠気はあるが、さすがに起きなければ。昨夜は久しぶりに熟睡できた。こんなに寝れたのは何ヶ月ぶりだろう。顔を洗うとヘルペスは消えていた。それから身支度を整え、雨の函館の街へ歩き出した。宿から傘を借りて歩き回る。雨のベイエリアは人もまばらで、と語れば雰囲気も出そうだが、意外と人が多く賑わっている。函館の街は、日本一周の際に渡道した街であり離道した街でもある。そして2年前に両親を連れてきた時以来だ。あの時は、おすすめの店が全て臨時休業などで、結局まるかつ水産という北海道ではありえない高くて不味くて鮮度の悪い回転寿司屋で愕然としたものである。そんなことを思い出しつつラッキーピエロ本店へ。ここで定番のチャイニーズチキンバーガー、ラッキーエッグバーガーとラキポテをバドワイザーで頂く。濃い味付けのバーガーに、あっさりとしたバドワイザーがよく合う。そういえば、人生で初めてバドワイザーを飲んだのは、はじめてのロンツーで泊まった阿蘇のペンションだった。あの時からバイク旅で飲む酒は、特別に感じていたものだ。しみじみとバーガーとラキポテを完食し、腹ごなしに八幡坂まで足を伸ばす。雨に濡れ、鉛のように重い空を反射する石畳やレンガが美しい。ここはいつ来ても変わらない。以前は「カブで周りたい」と思っていたが、歩くのも悪くない。公会堂まで足を伸ばした後坂を下っていく。すると「函館市北方民族資料館」なるものを見つけた。函館に資料館があるのは知らなかった。迷わず入館する。受付でストロボを焚かなければ撮影可能と伝えられ、いい機会とinsta360を準備する。館内は所狭しと様々な展示物が詰め込まれているが、どれも見やすくさらに説明文もウィットに富んでおり非常に面白い。もっと早く知っていれば何度も足を運んだであろう展示物は、漫画ゴールデンカムイを読んだことのある者なら思わず笑ってしまう物も多く、とても充実した時間を過ごせた。ここは皆さんにも是非訪れていただきたい。資料館を回り終えたところで、五稜郭でも行こうかと思った矢先、足が上がらないことに気がついた。持病の腰も疲れとともに悪化しているのだろう。かなり早いが今日は宿に戻ることにする。ガラナで水分補給し宿へ。宿に着いたのが15時前。結局バイクのメンテナンスをすることもなく、そのまま眠りにつくのであった。9日目に続く。←7日目へ 9日目へ→
2021年09月07日
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今日もやはり早くに目が覚める。が、昨日までのそれとは違い、ぐっすりと眠れた夜であった。空は雲の動きが早い。明日には本州から台風が上がってくるそうだ。荷造りを進め、同泊者と語っていたら8時を回ってしまった。今日はみんな出発するようで、2人は夜のフェリーで帰ると話していた。そんな旅人を見送り、私も出発。やはり出発は寂しい。富良野市まで南下し、三笠方面へ山道を走らせる。三笠から千歳に折れ、苫小牧へ。しかしここで時短のために使用していたgoogle mapが暴走。どう設定してもダートを通そうと画策してくるのだ。google mapを解除し、ツーリングマップルをみて頭に地図を叩き込む。やはりアナログが一番だ。それからゆっくりと景色を堪能しすぎて苫小牧に着く頃には正午を回ってしまった。とりあえず昼食をガソリンスタンド横のラーメン屋でとる。今日は函館まで南下しなければならないため、ここからは高速を使うことにする。どうやらこの先は台風の雲が雨を降らせているようで、カッパに包まり南下を開始した。「鹿児島からですか!?」青い制服を着た青年が驚愕とも呆れとも取れる表情で話しかけてきた。函館まで降った私は、レッドバロン函館店に来ていた。レッドバロンに用と言っても、バイクの整備ではない。数日後に向かう稚内の宿を押さえるためだ。レッドバロンは全国各地にバイクステーションという宿泊施設を持っており、そのいずれも会員なら格安で泊まることができるのだ。稚内に至っては1泊2200円である。私のような貧乏旅人にはありがたい。宿の空きを調べてもらうと、お盆の時期であるのにもかかわらず、キャンセルが出てガラガラだと。やはりここにもコロナが暗い影を落としていた。店員にお礼を言い、今日の宿に向かう。今日の夜から3日間ほど雨が続くらしい。本州から北上中の台風の影響らしい。雨の中走るのは、身体にもバイクにもよろしくない。そこで函館でバイクを宿に預けたまま、歩いて散策しようと目論んだわけだ。買い出しを済ませてから3泊お世話になる東横インへ。台車を貸してもらい、荷物を全て部屋に上げる。全ての作業を終え、何気なく鏡を見ると、左の口唇にヘルペスが2個出来ていた。そもそも私は身体が弱い方で、すぐに風邪を引いてしまう。それを防いでくれていたのが、過去の記事で紹介していた青汁なのだが、さすがに1週間続く旅で疲弊してしまったようだ。寝酒のサックラを飲み干し、床につくのであった。8日目に続く。←6日目へ 8日目へ→
2021年09月06日
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8月7日今朝も4時に目が覚める。そして今日も外に出てみる。朝日が畑を美しく照らし、木々が輝く。差し込む陽光は寝不足の体を優しく温め、今日一日生きる活力を与えてくれる。「さあ、今日も走ろう」準備を済ませ北に向け出発した。今日は北海道で1、2位を争うひまわりの名所「北竜」へと向かう。途中の道の駅でこの旅何個目かも忘れたすじこおにぎりを食す。やはりホットシェフのすじこおにぎりは格別だ。体も心も満ちたところで出発。北竜まであと少しだ。北竜といえば、丘一面に広がるひまわり畑で有名だ。その姿は10km以上離れた場所からでもわかるくらい丘を黄色く染めている。しかしどうしたことだろう。その黄色が見当たらない。いつもならここらへんでその色に気づき、感動するものなのだが。ほどなくしてその理由が判明する。到着した北竜ひまわり畑。目に入ってきた光景に私は愕然とした。ひまわりが、ない。いつも目が痛いくらい輝きを放つ丘のひまわりが刈り取られているのだ。隣に目をやると、花が残ってはいるものの、すでに枯れかけておりその首をもたげていた。唯一綺麗に咲き誇っているひまわり畑は例年の半分以下であり、昔のような華やかさはない。どうやら畑ごとに植え付けの時期をずらし、いつ訪れてもひまわりを見れるようにしているのだろう。だがそのおかげで昔のような華やかさはなく、どこにでもあるひまわり畑の光景になってしまっていた。でも他のひまわり畑のように「人が密集するから切り倒した」なんて事態にならなかっただけでも良しとしなければ。次訪れるときには、昔のような華やかな姿を取り戻していてほしいものだ。ツーリングライダーには、教科書というものが存在する。それは昭文社が発刊している「ツーリングマップル」だ。いつ誰がこれを教科書と呼び始めたのか不明であるが、そのボリュームはまさにツーリングライダーの「教科書」と呼ぶにふさわしいものである。そしてそのツーリングマップルにはそれぞれの地区で担当者がおり、この情報を一手に賄っている。ここ北海道も担当者がおり、みんなは尊敬の意味も込めて「クマさん」と呼んでいる。そのクマさんが、旭川の地でライダーの拠点となる場所「ホッカイダーベース」を立ち上げたのだ。北海道を旅する者としては必ず寄っておかなければならない。実は私とクマさんは初対面ではない。あれは11年前の夏の日、今は無きライダーハウス「ログ由縁」に集った旅人で富良野の一大イベント「ふらのへそ祭り」に参加した際に、クマさんもアウトライダーの取材で、編集員の鉄平くんとその場に居合わせたのだ。クマさんとは共通の友人がおり、その方が私をクマさんに紹介していただき、個人での旅人撮影もしていただいた。そんなクマさんに11年ぶりに会える。今までクマさんは拠点を設けず北海道を取材して回っていたので、会えることは奇跡に近かった。しかし今年からはホッカイダーベースに行けば必ず会うことができる。久々の再会に胸を躍らせ到着したホッカイダーベース。そこは北海道とは思えないほど灼熱の中に多くの旅人が集っていた。この暑さはきっと旅人の熱さもあるんじゃないか。そう思うほどみなクマさんを中心に盛り上がっていた。私もクマさんに挨拶し、お互い「おー!久しぶりっ!」と汗だくの腕を交わした。11年ぶりに会うクマさんは昔と何も変わっておらず元気そのもの。場の明るい空気に私も癒される。そして次々と入れ替わる旅人。出発前に写真に収めるクマさんも大忙しだ。そんな中私はホッカイダーグッズを大人買い。アイスコーヒーと奥尻のハイシャーベットをいただく。パッケージは懐かしのうにまるだ。しっかりクールダウンできたが、心は熱いまま。こんな楽しい時間は久しぶりだ。この機会と場を作ってくれたクマさんに感謝しつつ出発した。「すみません、写真お願いしてもいいですか?」美瑛で風景を撮影していた私に女性が声をかけた。このコロナ禍ですっかり聞くことのなくなっていたセリフだ。持参したエタノールで手指消毒を行い、快く引き受ける。女性同士の2人旅。楽しそうな雰囲気がこちらまで伝わってくる。そんな私も先程のホッカイダーベースで気分が高揚したままである。不思議なもので、気分が高揚すると自然といい写真が撮れる。女性たちを見送り撮影を続けるものの、急にあたりに雷鳴が響き渡る。視線を上げると巨大な積乱雲がまさにその頭を天に向かって伸ばしている最中であった。即撤収。美瑛のガソリンスタンドに避難する。美瑛の雨は大したことないが、上富良野は土砂降りのようだ。スタンドの店主のご厚意で、雨が上がるまで雨宿りさせていただく。30分ほどしただろうか。先ほどまであった押しつぶしてきそうな積乱雲は去り青空が顔をのぞかせた。私は宿に向けアクセルを開けた。「よし、全員揃ったね。」宿主のトシさんが宿泊者を確認する。いつもは宿で夕食の時間なのだが、今日はトシさんの提案で皆で外食することに。トシさんの車に乗り込み富良野市内へ。到着した「野良窯」ここは普段昼営業のみなのだが、今回は特別にディナーを提供してくれることに。こんな貴重な機会を与えてくれたトシさんと野良窯のご夫妻に感謝したい。野良窯の主人は陶芸家でもあり、とても美しい作品を作られている。中には鹿児島の川辺焼きのように透かし彫りの作品もあり、とても美しく。そして奥様はミュージシャンであり、CDも出している。カントリー調の楽しくなる音楽だ。そんなご夫妻の作る料理はどれも絶品で、お昼を食べ損ねていた私の体に染み渡る味だった。そして食事後はご主人の提案でじゃんけん大会が開かれ、ご主人の作られたマグカップなど様々な景品を出してくださった。なお私は晩酌セットを頂いた。後で宿のみんなでいただこう。最高な時間を過ごさせていただき、野良窯のご夫妻に感謝の言葉を伝えトシさんの車に乗り込んだ。「北の国からのロケ地ってどこにいけば見れるんですか?」トシさんの車の中で、野良窯のマグカップを獲得した方がみなに尋ねる。「それなら麓郷とプリンスホテルと・・・。」トシさんがちらっと車の時計に目をやる。「今から行きますか。」トシさんの粋な計らいで、夜のニングルテラスに行くことになった。昼のニングルテラスは何度も訪れたことがあるのだが、夜に行くのは私も初めてだ。というか、夜まで営業していたのを知らなかった。ほどなくしてプリンスホテル到着。夜の白樺の森に、白熱灯のような優しい色合いのイルミネーションが浮かぶ。なんて優しい時間なんだ。夜の闇に包まれながらも、それぞれの建物から優しい光が浮かんでいる。その光がまさに妖精を思い浮かべるように神秘的で美しい。これぞ真のニングルテラスと言っても過言ではないだろう。美しい光景に心奪われつつ、みんなで森のろうそく屋へ。北の国からファンならこのお店は外せないところだろう。アロマキャンドルの香りが心を落ち着かせてくれる。ろうそくはどれも可愛く美しい。香りがあまりにもいいため、何を使っているのか尋ねると、カラマツから摂れたものだそうだ。マツということで松やにのような香りを想像しがちだが、これは全く違い心が落ち着く。いつかこのアロマでキャンドルを作ってみたいものだ。帰ったら手始めにラベンダーで作ってみよう。新たなものづくりの情熱が湧き、富良野3連泊目の夜は更けていくのであった。7日目に続く。←5日目へ 7日目へ→
2021年09月05日
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8月6日相も変わらず不眠である。今日も4時過ぎに目が覚めてしまった。外はすでに明るくなっており、やはり北海道の日の出は早いと再認識した。こっそりと外に出て出発準備を進める。今日は一日富良野と美瑛を周り尽くす予定だ。6時過ぎ、あたりがもやに包まれている中出発した。まずは美瑛の丘めぐり。到着したお気に入りの新栄の丘は霧に包まれており今まで見たことのない景色が広がっていた。次はクリスマスツリーの木へ。この頃には徐々にもやも晴れ、美しい丘の景色が姿を見せ始めていた。ここから気の向くままぶらぶら撮影していく。しかし今日はなんだか気持ちが乗らない。いつもはワクワクするはずの景色でも、心が動かされない。写真にその気持ちが如実に現れていた。そこで一眼での撮影を中断。insta360での風景撮影にチェンジする。午前中いっぱい風景撮影にあてる。その後少しだけ美瑛~富良野を散策。上富良野の日の出公園は、まだ少しラベンダーが残っていた。高台からラベンダーを眺めていると、乾いた排気音を響かせながら、年代物のスポーツスターが入ってきた。元883乗りの私は、ついつい見てしまう。するとその方が話しかけてくださった。なんでもほぼ毎年北海道を旅していて、今年ももう旅を終え帰るところなのだとか。私も元スポ乗りと話して盛り上がる。しばらくしてその方は先に出発して行った。旅先での一期一会。おそらくもう再会することはないだろう。しかし旅の1ページとして記憶に残り続ける。これだから旅はやめられない。と、カッコつけたのはいいが、後日Facebookの「オートバイのある風景」で再会することになる(笑)縁というのは実に面白い。そんな出会いもありながら、メルヘンの丘まで戻っきた。私のブログの表紙に使われている写真はこの場所で撮影したものなのだが、今は電柱が立ってしまい、昔のような写真は撮ることができない。さらに赤い屋根のある丘も、今は除草されておらず登ることはできない。時の流れとともに記憶の中だけの景色となる場所が増えていく。表紙写真↓赤い屋根のある丘↓本日の撮影は午前中で切り上げ、北海道に来た目的の一つを達成するためにかなやま湖に向かう。そういえばかなやま湖に行くのはこれが初めてだ。そしてこれから向かう金山ダムはもちろん初めて訪れる。美瑛から2時間近くかかり到着した金山ダムは、山の中にひっそりと存在していた。ここは去る2018年9月27日。鹿児島から隼で北海道を旅していたライダーがその命を絶った場所。彼が一体どのような苦悩を抱えていたか、最後の地になぜここを選んだのか。それは本人にしか分からない。ただ、同じ鹿児島出身として、同じライダーとして、同じ北海道を愛する者として、一度手を合わせに来たかったのだ。ダムの管理棟に向かい、係の方に当時の詳細を伺う。その詳細をもとにダムから下の公園へと降る。公園にバイクを停め、鹿児島から持参した芋焼酎を彼が身を投げた場所に振りまく。北海道は寒くはないですか?久々の鹿児島の酒は美味しいでしょう。今はどうか安らかに。願わくばこれから北海道を旅するライダーたちを見守っていてください。私は静かに手を合わせるのであった。「大丈夫ですか?」セコマで休憩している私に1人のライダーが話しかけてきた。私の顔色がとても悪く見え、思わず声をかけたのだという。「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」体の不調は感じていなかった。ただ朝の撮影からずっと気は晴れないままでいた。しかしこれは今に始まったことではなく、ここ数ヶ月同じ状態が続いているのだ。原因は分かっている。ここ1年で多くの人々に裏切られたことだ。自分では気にしていないつもりであったが、裏切り(それ)は確実に私の心を蝕んでいた。そんな状態を良しとせず、変わるために急遽決めた北海道ツーリングであったのに、結局何も変わらないままなのであろうか。少し早いが、宿に戻ることにしよう。宿に戻っても私の情緒は安定せず、そのことを他の旅人に悟られぬよう聞き手に徹し、富良野2日目の夜は更けていった。6日目に続く。←4日目へ 6日目へ→
2021年09月04日
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8月5日昨夜は部屋の鍵が故障しており、どうやっても鍵がかからなかった。初日のゲリラ豪雨といい、まったく飽きさせないでくれる。そんななかでもここ数ヶ月続く不眠症は続く。この日も朝4時に目が覚める。どうせこのまま横になっていても眠れることはないので、すこし外出しよう。行き先は宿の近くにある「マルトマ食堂」ここは朝5時から営業している港の食堂だ。私が着く頃にはすでに2組待っていた。朝5時なのにだ。さすがは行列ができる有名店。その方達はみなホッキカレーを注文。私はホッキの甘さを感じたかったため生ホッキ丼をお願いした。このホッキの歯応えと甘み。これはうまい。同じ膳で運ばれてきた味噌汁も蟹の身がふんだんに入っており、とてもいい味だ。行列ができるのも頷ける。北海道初日朝ごはんからこれとはなんと幸せなことなのだろう。幸先良い旅のスタートだ。再び宿に戻り出発準備を整える。今日の目的地は富良野だ。下道をたどりながら富良野方面へ。途中夕張に立ち寄る。まずは夕張メロン熊目立つ農協の直売所へ。今回の旅のお供として、夕張メロン熊を連れてきてたのだ。まずはここで夕張メロン第一号を食す。お次はその夕張メロン熊の故郷、夕張観光センターを目指す。ここは2010北海道ツーリングで立ち寄り、メロン熊を迎えた場所なのだ。事前に聞いてはいたが、いまはすっかり廃墟となっていた。こうして段々と昔の記憶の中だけの存在になってしまう。寂しいが仕方のないことだ。特に北の大地ではそれを顕著に感じる。それはきっとこの土地が同じことを繰り返してきたからなのであろう。しかし変わらぬ場所もあるわけで、行きつけの農産物直売所のビッグモローさんに立ち寄り、夕張メロンを買い込み発送。私もご相伴にあずかりカットメロンをいただく。夕張ではここのメロンが一番美味しいと個人的には考えている。そしてサービスがいい。ここの店は以前旅先で知り合った方から教えていただいた店なのだ。縁というものは本当にありがたく、これからも大切にしていきたい。メロンの甘味ですっかり旅に気持ちが切り替わった。このまま富良野を目指そう。2年前に弟の運転で走った道を辿る。その道も新たなダムができ、11年前走った道はダム湖に沈んでいた。そして到着した富良野。前より少し栄えている気がするが、活気はない。コロナ禍はこの街にも暗い影を落としていた。私は富良野に来ると必ずフラノデリスに立ち寄る。北海度を訪れた時はもちろんのこと、人生の節目でお世話になった方々へ感謝の気持ちを伝えるときもここの甘味を贈る。それほどまでのここの品は素晴らしく、いつも幸せな気分にさせてくれるのだ。2年前と同じカフェ限定メニューのトーストをいただく。ドゥーブルフロマージュのプチも添えて。変わらぬ味に懐かしさと嬉しさを感じ、やはり富良野が好きなんだと再確認できた。そんな富良野の名物と言ったらやはりラベンダーだ。今年のラベンダーは例年より早咲きらしく、ほとんど残っていないそう。そんな中微かな期待を込めて到着した彩香の丘。ここのラベンダー越しに眺める十勝連峰の光景は素晴らしい。そんな懐かしの光景を訪れたのだが・・・。なんてことだ。ここも思い出の中だけの存在となってしまった。閉園してしまったのは去年の前半の話。つまり私が訪れてから半年もしないうちに閉じてしまったのだ。あのとき笑顔で話をしてくれたあの人はどうしているのだろうか。また寂しさを蝉時雨とともに感じる夏の午後であった。「あの宿は最高だ」そんな口コミを頼りに選んだ宿は「旅の途中」ガレージがあるのが決め手だった。宿に到着すると本当にジェットコースターの道の目の前。こんなところに宿があったとは。11年前はとほ宿でも高いと感じ泊まらなかったのだ。しかし最近それは価値観の相違であって、決して高いものではないことに気付かされた。なにより金額に伴い客層も良くなる。しかし不思議なことにこの金額がさらに上がると途端に客層が悪くなるから不思議だ。そんな思いを抱えながら宿に入り宿主のトシさんに挨拶する。トシさんと旅仲間のこけさんとは10年以上前からの付き合いだそうで、自然と打ち解けることができた。これも縁の力なのだろう。私はそのままバイクのメンテナンスに取り掛かる。メンテナンス中次々と到着する旅人たち。みなそれぞれの旅のスタイルを確立しており、人間としての器の大きさも感じる。私もいずれあの仲間入りができるよう更なる自己研鑽に努めなければ。バイクのメンテナンスも終わり、真っ黒になった手と汗だくになった体をシャワーで流す。この日の富良野は北海道とは思えぬほど暑く、私も初めての経験であった。幸いなことにこの宿の談話室にはクーラーがあり涼むことができた。そして夕食を共にして、それぞれ語らう。コロナ禍なので、マスクは着用したままであるが、自然と表情が読みやすく打ち解けていく。こうして富良野1日目の夜は更けていくのであった。5日目に続く。←3日目へ 5日目へ→
2021年09月03日
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8月4日朝気がつくともう8時を回っていた。今日は一日船上の人となる。いつもなら北海道への機運を高めるために売店でサックラを買い込むのだが、諸事情あって禁酒中。キリンガラナとナポリンでしのぐ。飲めたとして、この航路は夜には苫小牧東港に到着するので、気兼ねなく飲むということができないのが玉に瑕だ。久しぶりの自堕落な時間を過ごし、気がつけば今日も夕暮れ。夕食を済ませ、風呂に入り、上陸準備完了。20時30分、苫小牧東フェリーターミナル着岸。暗闇の中北海道に上陸するのは初めてだ。今日はとりあえず宿に向かう。久々の長旅で勘が鈍ったのか、苫小牧市街地に向かうつもりが逆方向の鵡川に走ってしまう。最初から遠回りとはなんとも自分らしい。その後無事に宿に到着。明日からの日々に期待しつつ床についた。4日目に続く。←2日目へ 4日目へ→
2021年09月02日
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8月3日今朝は雲の影響で朝日は望めないと天気予報が話していた。案の定外は雨である。フェリーは定刻通り大阪第2ターミナル入港。ちょうど雨は止んだが、昨日のことがある。万全の体制で走るため、下船後一旦フェリーターミナルでナビと雨対策を行う。では出発。渋滞の激しい阪神高速で雨には濡れないものの、灼熱のため汗で濡れねずみに。昨日の洗濯が台無しだ。渋滞地獄の大阪を脱出し京都方面へ。ここからは渋滞とは無縁で快走できるものの、今度は雨が降り出した。北海道に脱出するまでこの雨からは逃げられないようだ。京都を抜け琵琶湖沿岸を北上する。このまま敦賀のフェリーターミナルに向かっても、流石にやることがない。そこで三方にある温泉施設に向かうことに。Google mapにガイドをお願いするも、とんでもない山道を案内しやがる。この旅においてGoogle mapによるトンデモガイドはこれから始まった。山奥を経由して、通常だと1時間で行ける道に2時間かかりながら、三方の温泉「きららの湯」に到着。ここで汗を流しながら、今後の予定を立てていく。北海道上陸直後は天気がいいが、その後が不明瞭。とりあえずラベンダーを見たいので、富良野の宿を押さえることに。雨で泥だらけになったバイクのメンテもしなければいけないので、ガレージのある宿を選定。その中で上富良野にあるとほ宿「旅の途中」で3泊することに。温泉に入り予定を組み終えた時点で時刻は14時過ぎ。少し早いが出発することにする。ガソリン補充とフェリーでの食料買い出しを済ませて高速で敦賀新港に向かう。途中昨日のように目の前にそびえたつ入道雲が。しかし風に流されるのが早く、豪雨に降られることなく敦賀新港に到着。するとすでに2台バイクが到着しているではないか。声をかけてみると私と同じく雨が嫌になり早めにやってきたのだとか。ひとりは先程の入道雲と一緒に移動していたらしく、前は見えないし防水バッグは浸水するし散々な目にあったと話していた。時刻は16時前。先に乗船手続きを済ませる。乗船に先駆けて検温したうえで証明の捺印をもらう必要がある。コロナ対策は可能な限り万全を期さなくては。手続きが終わっても、時間は腐るほどある。そこで泥だらけになったバイクを洗ってやる。人間は毎日風呂に入って綺麗にするのに、旅の相棒であるバイクが汚れたままというのはありえない。中には「この汚れこそが旅してきた証だ」と話す旅人もいるが、汚れていては各所の動作不良に繋がるし、トラブルの発見も遅くなる。旅先での洗車やメンテナンスはノントラブルで旅を続けるために必要不可欠なことだ。さて、その洗車を終えてもなお時間が余る。あとはターミナルで時間が来るまで寝て過ごす。幸いターミナルはガラガラでソーシャルディスタンスは確保できている。その後フェリー着岸。荷下ろしと下船が始まった。バイクの乗船は23時30分を過ぎるようだ。また寝て過ごし、乗船時間に。乗船口にはバイクが並んでいるが、やはりと言っていいのか、20台ほどと少ない。しかしコンテナは大量に運び込まれている。トレーラーヘッドが忙しく行き来していて、それは出港時間を過ぎても続いた。日付が変わった頃にようやく乗船、直後に出港となった。明日はいよいよ北海道だ。3日目に続く。←1日目へ 3日目へ→
2021年09月01日
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8月2日元々の出発予定は7月28日であったが、台風や体調不良も合わさり、この日の出発となった。出発前に積載の調整をしたのだが、どうやってもキャンプ道具が積めない。いや、スペースはあるのだが、重すぎる。前の883Rのように低重心なバイクなら問題なく走れたであろう重量でも、重心の高いMT-10には文字通り荷が重いようだ。泣く泣くキャンプ道具を削り、北海道の大自然の中で過ごす夢を諦めた。しかし、今思えばこの選択が大正解だったわけで。午後2時、ガワだけは過積載のMT-10に跨る。北海道ツーリングへの出発は、いつも鹿児島の蝉時雨に見送られ、帰る頃には聞けないんだろうとノスタルジックな気分に浸るスタートだが、今回は期間が短いため帰ってもこの狂ったような暑さと蝉時雨は変わっていないだろう。そんな思いのまま出発。高速を一気に北上していく。東九州自動車道に入り国分PAを過ぎた頃だろうか、パラパラと雨が降り出した。まあこれくらいの雨、このクソ暑い中ではちょうどいいお湿りだ。雨はすぐに止み、青空が顔をのぞかせた。しかしその青空に見えたのは、どこまでもそびえ立つ入道雲であった。無論その中に突入していくわけであって、直後激しい雷雨に見舞われる。SAもPAも、ましてやICもない中でなす術なく下着まで完全に水没してしまった。やれやれ、旅の初日からこれとは思いやられる。そして志布志港フェリーターミナル到着。雨は上がっていた。乗船手続きを済ませ、バイクと共に乗船。沖に出ると少し揺れるとのことで、荷物を降ろすよう指示を受ける。全ての係留作業を終え、濡れねずみのまま客室へ。今回はプライベートシングルという簡易個室の部屋をとっている。濡れねずみの私にはありがたい。早速着替え、濡れたものは全部洗濯機に投げ込む。そして水没したブーツには受付でもらった新聞紙を詰める。そうこうしているうちに出港となった。客もまばら、見送りもフェリー関係者のみ。これが世の中の現状なのだろう。こうして旅に出れる環境に感謝しなくては。志布志港から外洋に出ると、やはり揺れ出した。酔わないうちに全ての作業を終わらせてしまおう。洗濯と乾燥を終わらせて、新聞紙に水分を吸わせたブーツにドライヤーをかける。どうにか日付が変わる前に全ての作業を終えることができた。さて、今回の旅はいったいどうなってしまうことやら。2日目に続く。←プロローグへ 2日目へ→
2021年08月31日
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11年ぶりの北海道ツーリング。11年も経てば世の中の情勢は大きく変わる。しかし今度ばかりはその言葉では片付かないほど変わった世の中での旅となる。旅先で感染してはいけないし、感染させるわけにもいかない。これは最低限必要なことであり、そのための対策は万全にしなくてはならない。マスクは予防効果の高い不繊布マスクを50枚準備。毎日交換することはもちろん、人の多い場所に入ることがあればその都度交換する。職業病みたいなもので、コロナ禍以前はインフルエンザが流行る季節のみPFEレベル2以上のマスクを日常でも使用していたが、新型コロナウィルスは空気中において単体では生存できず、唾液などの飛沫によって感染する。飛沫程度ならPFEどころかBFE・VFEで十分なので、市販の不織布マスクを選択したわけだ。なお不織布マスクは洗濯すると細菌濾過率が著しく低下するため、使い捨てが原則だ。そもそも旅先で毎日洗濯はできないわけだし、使い捨ての方が煩わしくなくていい。次に消毒用エタノールを薬局で購入しそのまま荷物に投げ込む。別にセリアのガラスアトマイザー2本を準備しエタノールを充填。常にどちらかを持ち歩くようにジャケットとズボンに配置した。消毒用エタノールに関しては、コロナ禍以前からインフルエンザ対策で持ち歩いており、扱いは慣れたものだ。これに加え、出発前と帰宅後に自費でのPCR検査を行うこと。抗原検査ではウィルスが一定数増殖しないと反応が出ないためPCR検査とした。そして、宿泊は密を避けられるキャンプと計画したが、積載の関係でキャンプ道具を積むことができず、宿を取ることとした。宿は感染対策がされていないであろうライダーハウスは可能な限り避け、ビジネスホテル、もしくはとほ宿とした。これが結果的に大正解であり、宿に泊まることで十分に体力回復ができて抵抗力を維持することができたし、検温や体調確認にマスク着用など感染対策はどの宿も万全であった。また行き先について、北海道は札幌を中心に感染拡大していたため札幌は行き先から完全に除外。それ以外でも人口密集地は可能な限り避けることとした。以上万全の対策を取ることで感染リスクを極力抑え、旅に出る決断をした。なおコロナ禍以降、この対策で出先で感染したことは一度もない。それは過去数回受けた抗体検査が示している。このことが今回の2021北海道ツーリングを後押しする形となった。←一覧へ 1日目へ→
2021年08月30日
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北海道ツーレポに入る前に、夏の北海道を走る際に特に必要なものをまとめてみました。1、スタンド敷きこれは最重要!北海道はアスファルトが柔らかく、MT-10のスタンドは簡単にめり込みます。コンビニの駐車場は全部めり込むと考えていいでしょう。転倒の可能性があることに加え、綺麗な駐車場に穴を空けてしまうことになるのでスタンド敷きは必須です。私は厚さ5mmのゴム板とスチール缶を用意し、ツーリングネットにカラビナで固定して持ち歩いてました。スチール缶を敷けば絶対めり込むことはありませんでしたし、ゴム板はホテルの軒先に止めるときに、タイルに傷をつけないよう割らないように役立ちます。作るのが面倒な方はこちら↓プロト PLOT サイドスタンドパッド 汎用 ブラック PGR0023 JP店2、チェーンルブチェーン駆動の車両全般に言えることですが、北海道は簡単に走行距離が1000km超えてしまいます。現に私の場合、北海道だけで4000kmは走りました。チェーンのメンテナンスは快適に走る上で欠かせないもので、雨中走行や1000km走った後は注油することを心がけましょう。【呉工業 クレ KURE】呉工業 クレ チェーンルブ 180ml KURE3、ウェットティッシュ(できればアルコール不使用)北海道はとにかく虫が多いです。ヘルメットのシールドでバシバシ虫をはねながら走るので、シールドが悲惨なことになります。そして北海道は一度に走る距離が自然と長くなるので、気軽にコンビニ休憩してシールドを拭くということができません。なのでウェットティッシュを持参することをお勧めします。アルコールを含んだものはシールドに良くないので、できればアルコール不使用のものを選んでください。私はinsta360のレンズ拭きも兼ねていたので、この↓製品を使いました。ユニ・チャーム シルコット ピュアウォーター ウェットティッシュ 外出用 28枚4、ブーツカバー北海道で雨中走行をすると、驚くくらい泥だらけになってしまいます。元々路面に土や砂が多いので、雨中走行をすると前の車がそれを巻き上げて一気に泥まみれです。たとえ防水ブーツであっても泥まみれになるので、ブーツカバーは用意しておくといいでしょう。ホンダ純正 レインブーツカバー Honda グレー Mサイズ 0SYTN-T43-N HD店5、インナー北海道は地区によって気温が全く違います。今年はレアケースなのですが、8月7日の旭川は37.9℃だったのですが、その翌日の稚内は17.9℃まで気温が下降しています(12日には2.6℃まで下降)。このように北海道を走る際には、様々な温度変化に対応できる服装が必要です。私は稚内でインナーを買い足しました^_^;寒過ぎる場合は使い捨てカイロを買ったり、カッパを着るとかなり違います。6、ハッカスプレー北海道はとにかくアブが多い!少し田舎道でバイクを停めようものなら、ものの数秒で飛んできます。普通の虫除けスプレーでは役に立ちませんが、ハッカスプレーは効果絶大です!北海道でも販売していますが(北海道はハッカが名産)最初から作って持っていくのもありです。私も出発前に薬局でハッカ油とエタノールを買い、作ってから持っていきました。作り方はエタノール10mlにハッカ油を5〜10滴垂らし、90ml水を加えるだけ。ハッカ油の香りが強ければ強いほどアブ避け効果がありますが、臭いがキツくなるのと、皮膚に付着すると炎症を起こす可能性があるので、ご自分に合った分量を調整してください。また、白い服などはシミになる可能性があるので使用は避けてください。なお、容器はアルコール対応のものを使用してください。見つからなければセリアのガラスアトマイザーを使用するのもいいと思われます。アブは膝下を中心に狙ってきますので、足元にスプレーすると効果的です。なお、ハッカスプレーを作る際にエタノールと水が反応して熱が出ることがありますが、成分に影響はないので安心してください。このハッカスプレー、効果絶大です!体の周りをブンブン回って血を吸う機会をうかがってたアブが、スプレーした途端どこかに行ってしまうんです。稀に飛んできても、周回することなく通り過ぎていってしまいます。これは是非おすすめしたい。[ネコポスで送料190円]北海道北見産 天然ハッカスプレー(小) 12ml以上私が考える北海道ツーリングで必要なものリストでした。ロンツーに出る以上、他にも必要なものはあると思いますが、今回は北海道だけに絞って書いておりますのであしからず。北海道ツーリングについてご質問があれば林道走行以外はお答えできますので、コメント欄に書き込みをお願いします。
2021年08月27日
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今日のお昼過ぎ、無事自宅に帰りつきました。22日間といつもより短めの北海道ツーリングでしたが、11年ぶりの北海道ツーリングは最高の一言でした!今回ツーリングを実現するにあたってお世話になった全ての方に感謝いたします。また暇を見つけてレポを書いていきますので、また見に来てください〜^_^ここまで旅にお付き合いくださり、ありがとうございました!
2021年08月24日
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ありがとう!!また来ます!!
2021年08月20日
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毎日走り過ぎて、レポが追いつかないのでとりあえずルートだけ(笑)8月16日北見→斜里→知床→中標津→納沙布岬→釧路8月17日釧路→中標津→阿寒湖→帯広8月18日帯広→富良野今宵はゲストハウス夕茜舎(あかねやど)です。明日は苫小牧で、明後日のフェリーで北海道を離れます。今までの北海道ツーリングに比べたら短い日程でしたが、まともに雨をくらったのが今日だけという晴れ男ぶり!あと二日、最後まで楽しみます!
2021年08月18日
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2連泊した稚内とも今日でお別れ。朝7時出発。バイクステーション稚内、お世話になりました。昨日見れなかった樺太を見るべく宗谷岬に向かうものの、やはりもやがかかっており見ることは叶わなかった。見れないなら立ち寄る必要はないなと、そのまま最北ターン(笑)そのまま南下し猿払の道の駅到着。エサヌカ線ステッカーを買いに来たけど半分売り切れ^_^;しょうがなく2番のステッカーを購入。本当なら5番が欲しかった。道の駅を出発し、エサヌカ線到着!と行きたかったが、入口が分からずスルー(笑)結局南側から入る。しかしこれが大正解で、順光で撮影することができた。そのままエサヌカ線を往復し(笑)今度は紋別を目指す。これがまた遠い遠い^_^;到着したのは午後になってからであった。とりあえずカニのつめと記念撮影。この中に身がぎっしり詰まってたらいいのになぁ(笑)そしたお隣の流氷科学館を見学。マイナス20℃の保管室にインナーだけで入ったが、なんとかなった(笑)それから流氷の仕組みを勉強し出発。そういやお昼ご飯がまだだったので、道の駅上湧別でホタテフライカレーを食す。ばりうまい!!さあ、時刻は3時過ぎ。今日の宿を目指す。Google mapでルートを確認すると、途中「取り締まり情報」が入ってきた。すごい!こんな情報まで入るんや。取り締まりに気をつけながら行くと、いた!レーダーパトや!!速度を落としてて問題なかったけど、何故か警官に睨まれる。時間があればUターンして「何か御用ですかこのヤロウ」と聞くところだが、今回は勘弁してやろう。そして迷いながら北見の宿にチェックイン。夕飯は昨日買ってたカップ麺で済ませ、帰りのフェリーの予約や宿の予約にウポポイの予約。それが終わったら明日からのルートを模索。明日は知床、根室経由で釧路に行こう。ではおやすみなさい〜。
2021年08月16日
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8月11日3泊お世話になった東横インを出発。一路登別へ。到着するとすぐさましもPさんに拉致され、大量のお寿司責めを受ける(笑)さんまうまー!!山わさびうまーーー!!登別に戻ったら、しもPさんと地獄デート(笑)実は来たことなかったんです^_^;デートでかいた汗をさぎり湯で落とし、いざ温泉市場へ!!今回もとんでもないラインナップ!!今は書ききれないので、帰ってからのレポをお楽しみにっ!!満腹になった後、しもPさんと熱い政治談話を!(ホントダヨ)最高な夜は更けていくのであった。8月12日昨夜熱く語りすぎて超眠たい(笑)今日は旭川まで走ります。最後まで最高なおもてなしをしていただいて出発!しもPご夫妻!今回も本当にお世話になりました!!ゆっくりしすぎたので、マササイトー(命名哲さん)と写真を撮り出発。時々雨に降られながらも占冠到着。そのまま北上し、麓郷に到着。北の国からが大好きなワタクシなんですが、なぜか今まで麓郷に行ったことがなく、今回ようやく行くことができました。もうね、感動。なんでもっと早く来なかったのかと。帰る前にもう一回ゆっくり回りたいなぁ。さて、麓郷でゆっくりしすぎて夕ご飯の時間ギリギリに宿に到着^_^;今宵の宿は、東川町の旅人宿ゆうさん。早速荷物を部屋に入れて、談話室に下ろうとしたその瞬間。右足から滑り、階段の最上段からお尻でバウンドしながら階段落ち(^◇^;)幸いおデブな体のおかげでほぼ無傷という奇跡(笑)宿のみんなに心配され、ご飯食べて流星群を眺めて夜は更けていった。8月13日朝7時出発。今日は最北を目指す。高速で一気に留萌に抜け、羽幌まで一気走り!途中甘エビファクトリーで甘エビ丼と甘エビの唐揚げをいただく。唐揚げ超うまい!!ただおビールが欲しくなるなぁ(笑)いやぁ超満足。ここから一気に北上して久しぶりのオロロンラインへ。相変わらずここの景色は素晴らしい。写真を撮りまくる!オロロンラインを満喫したら今日の宿にチェックイン。今宵の宿はレッドバロンのバイカーズステーション稚内。一泊2200円と破格の料金!寝床を整えたら再び出発。晩御飯を買い込んで最北端の湯童夢へ。上がったらちょうどいい時間で夕日が丘パーキングへ。稚内のタクシー運転手と駄弁りながら夕陽を眺める。今回は綺麗に水面に消えてくれた。日が沈むと一気に気温が下がる。帰り着くころには16℃まで下がる。インナーを置いてきたのを後悔。明日買いに行こう。こうして夜は更けていった。8月14日。今日はバイクメンテナンスと洗濯をする。洗車、チェーン注油、キャリアチェック。気がついたら10時を越えていた。とりあえず宗谷岬を目指す。宗谷岬をめぐり宗谷丘陵へ。そのまま白い道も走る。出口から入って逆走する車が多いなぁ。白い道から降り、お昼ご飯。潮風が心地いい。今度はしまむらでインナーを買い、稚内公園へ。実はここも初めて来た(笑)眺めは最高だが、悲しい歴史の刻まれた場所でもあった。今度は稚内ドームと稚内駅へ。10数年前ここで哲さんたちとキャンプしたっけ。それでは一度宿に戻りシャワーと夕食を済ませる。時間がいい感じになったので、ノシャップ岬へ。ここは人が多いなぁ(^◇^;)それでも夕陽は綺麗。ノシャップ岬で夕陽を見るのは初めてと思ってたけど、ここ来たことあるぞ(笑)でもいつきたのか思い出せない。帰ってから調べてみましょう。夕陽は水面に消える前に雲に隠れてしまった。また明日!旅はまだ続く!
2021年08月15日
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宿の階段で足を滑らせ、一番上から一番下まで転げ落ちました。普通なら大怪我するような落ち方だったんですが、全身の脂肪が体をガード!!無傷で済みましたとさ(笑)旅はまだ続く!(笑)
2021年08月12日
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旅の疲れが出てきたことに加え、天気も良くないので函館3連泊してしのぎます。8月9日函館沈没スタート(笑)疲れ過ぎて口唇ヘルペスが出たので、まったり過ごすことに。とりあえず昼過ぎまで朝寝(笑)そのあとラッキーピエロ 本店で暴飲暴食スタート(笑)腹ごなしに函館の坂を散策し、偶然見つけた「函館市北方民族資料館」に沈没(笑)だってここの展示素晴らしいんだもの♪もっと早く知りたかった^_^;その後は宿に戻り、撃沈〜。8月10日この日も昼前まで朝寝(笑)それから宿のそばの「青函連絡船記念館摩周丸」にてお勉強。ブラタモリで見た列車を入れる車両甲板が見たかったのだが、残念ながら非公開。なので洞爺丸沈没事故の記事をしっかり読み込んでいく。昔のニュース映像を流していたが、普通にどざえもんを写してたのでビツクリ(*_*)それからカリフォルニアベイビーでシスコライス!気のせいか味が薄くなっていたような^_^;ビールを頼もうとしたが、1杯700円とべらぼうな値段だったため諦める^_^;そこから市電に乗り五稜郭へ。一日乗車券を買ったので乗り放題だ。五稜郭タワーに着くと、ものすごい数の人(^◇^;)やはり観光地は避けるべきか。ブラックライトで偉人が浮かび上がるエレベーターをインスタ360で撮影。このカメラの本領発揮!タワーの頂上から眺める函館の街は雨で霞んでいるものの、函館山まで見通せる。タワーに満足したら、湯の川温泉で立ち寄り湯。めっちゃ熱いいいお湯でした( ^ω^ )函館はどこも熱い気がする(^◇^;)それから目の前の湯倉神社に参拝。おみくじを引くと大吉が出た!しかも旅行「さわりなし」と!ただ「健康に気をつけよ」とも。たしかに富良野では無理をし過ぎた。ちゃんと綿密に計画していきましょう(出発前のおみくじで、旅行「綿密に計画せよ」と出ていた)温泉でこざっぱりしたら、ラッキーピエロの末広店へ。バーガーをビールでやりたくてきたが、何を考えたか、ガラナビールなるものを注文。生ビールをラッキーガラナで割るという台無し感半端ないドリンク(笑)実際飲んでみると、本当に台無しであった(笑)バーガーはチーズバーガーにタマゴをトッピングしたもの。めちゃうま!さて夕方になってきたので、函館山に夜景を見に行こう。しかし、函館山は雲の中。バーガー食うまでは見えてたのに。一縷の望みにかけて、ロープウェイで登る。結果惨敗。寂しく降るロープウェイで、わずかに夜景を見ることができた。それからハセガワストアでやきとり弁当を購入。ベイエリアの夜景を撮影しつつ宿に戻り荷物を片付ける。函館最終日の夜は更けていく。8月11日登別へ!しもPご夫妻に会うために早朝出発!To be continued
2021年08月12日
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ここまでの経過と写真。8月2日さんふらわあ乗船。乗船前にゲリラ豪雨でパンツまで浸水。8月3日雨の大阪到着。一気に三方まで北上。温泉に入った後敦賀から新日本海フェリー乗船。8月4日船内で自堕落な生活ののち、北海道上陸。鍵の壊れたビジホに宿泊。8月5日朝からマルトマ食堂の生ホッキ丼を食し、夕張でメロンを食し、富良野でフレンチトーストを食し、立派に育ってとほ宿旅の途中へ。8月6日早朝から美瑛の丘の撮影。その後、かなやま湖に移動し、金山ダムで慰霊。旅の途中に戻る。8月7日また4時に目が覚める。北竜のひまわり畑を見た後、ホッカイダーベースにてクマさんと11年ぶりの再会。ホッカイダーグッズを大人買い(笑)再び美瑛の丘撮影。ゲリラ豪雨を回避しつつ旅の途中へ。晩御飯はみんなで富良野のカフェのらへ。最高に美味しいディナーをいただく。その後、宿主トシさんのサービスで夜のニングルテラスへ。最高な1日であった。8月8日3泊お世話になった旅の途中から出発。とても楽しい日々だった。出発して函館方面へ。途中Googleマップサマが、どうやってもダートを通そうとして四苦八苦。結局8時間かかって函館到着。夜は疲れが出てコンビニ弁当で済ます。旅はまだまだ続く!
2021年08月09日
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富良野美瑛と撮影中。ふと立ち寄った金山ダム。ここは3年前、同郷のライダーがその命を絶った場所。面識はないのだが、同じ鹿児島のライダーとして一度手を合わせにいきたかった。鹿児島から持参した焼酎を振り撒き、手を合わせるのであった。どうか安らかに。今週末の雨台風は、函館に連泊して凌ぎます。
2021年08月07日
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今日1日で食べすぎた・・・。マルトマ食堂の生ホッキ丼カニの身たっぷり味噌汁ビッグモローの夕張メロンフラノデリス プチドゥーブルフロマージュフラノデリス ふらの牛乳プリンのフレンチトースト今宵の宿、旅の途中の晩御飯フラッグゲットしました。旅はまだ続くっ!
2021年08月05日
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3年前、MT-10にサイドケースとコンテナを搭載して、ツアラー化しました。しかし、それだけでは色々と問題が多くて。私の積載方法は、キャリアに荷物を載せて、ラチェットベルトで締め上げるといったもの。883Rの時は、このキャリアに荷物をたんまり詰め込んで、ロンツーに出かけていたんですが・・・。MT-10のキャリアは、車体への固定ボルトがサイドケースと共用なんです。そしてこのボルトが厄介。車体に合わせるために、ボルトがM8×90というとんでもなく長い代物。しかも構造的にボルトの先端(ボルトの頭)に荷物の負荷が全てかかる状態なんです。この状態で883Rの時のようにドカ積みしたら、間違いなくこのボルトがやられます。曲がるだけならいいのですが、走行中に破断しようものなら大事故につながる恐れが。このことから、シート上コンテナ積載を編み出して、先日の阿蘇合宿旅などロンツーを楽しんでいたんですが、この積載だと荷物があまり積めない・・・。そこで今回、ドカ積み積載を復活させることにしたわけです。まずは、損傷することを想定して、キャリアのボルトを探しますが・・・。ホームセンターにはもちろん無い。ネットで探すも無いんだなこれが。ステンレス製はあるのですが、スチールの黒色酸化被膜がない。モ◯タロウで見つけたと思ったら、誤表記で半ねじでした。仕方なくステンレス製を購入。ステンレスは前兆なくいきなり破断するからなぁ。気をつけていきましょう。とりあえずボルト問題は解決(単なる先送り?)重い荷物はシート上に、軽くて嵩張る荷物はサイドケースとリアのコンテナに配分すれば大丈夫かな?今度はロンツーで欠かせない充電問題です。実はMT-10にはシガーソケットが標準で付いているんです。しかしこのシガーが作りが悪い。少し径が大きくて浅いため、固定が甘々になり走行中のガタつきがひどいんです。それだけガタつけばもちろん接触不良を起こすわけで、まともに充電できません。そして、シガー接続中は防水ではなくなるため、雨に降られると充電できません。これはダメだなぁ〜。そんなわけで新しく充電設備を増設します。以前、トリクル充電用に増設したケーブルをそのまま使います。K先生に教えていただいたんですが、デイトナのトリクル充電機には、オプションでUSB充電ケーブルがあるんです。しかも、バッ直でも大丈夫なように配線の途中にICを挟んであるんです。これを流用します。このままハンドル等に固定して使ってもいいのですが、それじゃあ使い勝手が悪いので、アストロプロダクツでツールボックスを購入。 ↓↓楽天市場へ↓↓ AP プラスチックボックス OD BX886 1,045円これに穴を開けてそこから充電コードを通してしまおうと目論んだわけです。ではまず、充電コードを取り外せるようにカプラーをつけたいので、ぶった斬ります。ゴム被膜を剥いたらなぜかデータ線が入ってるじゃないか!あんた充電しかできんやろ!そこでデータ線が生きてるか確認するために、IC部分を開けてみたのですが・・・。接着剤べっとりでさっぱり分からん・・・。さすがに充電にデータ線は関係ないと思うのですが、念のために残して4極カプラーで接続しましょう。注文したカプラが届くまで、先にボックスをいじります。ボックスの中は革を敷いてクッション代わりに。なぜ革かというと、万が一バッテリーが発火しても革だと延焼し難いからです。比較的燃えやすいコバ面は、木工用ボンドでコーティング(笑)本来なら難燃スポンジでも入れたい所ですが、少しでも安く上げるための工夫です。(革は傷んで作品に使えないもの)見た目もいいしね(笑)あと、機器同士が重なって熱がこもらないよう仕切り板を入れます。これで気兼ねなく充電できる。では、コンテナに穴を開けまして、革もポンチで穴を開けて充電コードを通します。通したら、外側からグルーガンでコードを固定。これで防水も兼ねることができます。それでは剥いた配線にカプラーを装着。今回は1回だけ圧着に失敗しましたが、なんとかスムーズに装着できました。やはり電気工事は苦手だ。このカプラー、一応防水なのですが、完璧を期するために根本をグルーガンでガチガチに固めます。荷物を下ろすたびにこのカプラーを脱着しないといけないため、配線保護も兼ねてガッチガチに固めました。うん、やりすぎた(^_^;)まあカプラはまた買えばいいし、配線はぶった斬ったあと延長すりゃあいいしね。これにて配線完了!バイクから伸びる配線に接続し、無事に通電しました。ちなみに、この配線方法では接続中ずっと給電してしまいます。元々バッテリー容量の少ないMT-10なので、長時間エンジンをかけない時は、カプラーを抜いておくことにします。しかし逆に、エンジンを切っていても充電できるため、キャンプなんかでは重宝しそうです。配線工事が完了したら、今度は充電ボックスの固定です。最初はキャリアを横に延長して、充電ボックスを固定しようと考えましたが、想像以上に横に突き出るため断念。色々と模索する中、ひらめいたのがコンテナの上。今までコンテナの上はカッパとマット・シュラフをネットで固定していたんです。その際に前のコンテナとの間にスペースが空いており、旅する際はこのスペースを宿に入る前の買い出し荷物積載場所にしていたんです。ネットで包んだ荷物と、前のコンテナに挟まれていい感じに固定されるんだよなぁ♪今回はここを利用します。ただ、ボックスをそのまま置いても振動でえらいことになるので、しっかり固定しなければなりません。そこで、ナイロンベルトとバックルでボックスを固定するパーツを作成。このベルトをネットに通して後ろ側を固定。さらに、このベルトのベルトループ部分に100均で買ってきたゴムバンドを通して、前のコンテナに引っ掛けます。これで、前後テンションがかかり、さらに下方へ引っ張られるためガッチリと固定することができました。そして、充電する機材を出し入れする際には、バックルを外せばワンタッチで出し入れ可能になります。ただ、密封した状態で充電すれば、バッテリーや機器が熱を持つ可能性があります。そこで、目玉クリップを前後に挟んでそれで蓋を支え、その状態でベルトで留めました。これで中の荷物が飛び出すことなく空冷できます。ちなみにこれにも鍵はかけません(笑)これもどう慎重に外したとしても必ずセキュリティが鳴るから(笑)やっぱりスティールメイトばんざい(笑)これにて充電設備整備完了!次はコンテナにアクションカムのベースを固定します。まずは金具を調達。それぞれの互換性を考慮しつつ、穴を拡大したり切断したりします。準備が整ったら仮組み。うん、いい感じです。それでは錆止めを兼ねて塗装します。塗装が乾くまでの間にコンテナに穴を開けます。15年間ずっと旅のお供をしてくれているコンテナに穴を開けるのは気が引けましたが、これも美しい風景を撮影するため!それでは金具が乾いたところで組んでいきます。この金具は自撮り棒を固定するためのもの。そしてその自撮り棒を伸ばした先に装着するのは「Insta360 one x2」はい、いつの間にか買ってました(笑)これを自撮り棒に固定して、旅先の風景を撮影してやろうという算段です。ここで注意点が。荷物の積載に関して、法律で細かく決められていまして、荷物の幅は積載装置から左右15cm、後方30cm、高さバイクを含めて2m以内と定められています。私の場合、キャリアが大きいため前後左右共に問題なし。ナンバーも視認できます。高さも問題ないのですが、自撮り棒を伸ばしすぎると2mをオーバーしてしまうため、自撮り棒に2m以内になるようマーキングしておきます。これで捕まったり炎上(?)しないで済みます。自撮り棒を装着した状態で、一度試験走行してきました!ただそのままだと道路のギャップを踏むたびに、insta360がグワングワン揺れて生きた心地がしません。動画も遠くはすごい綺麗に撮れているのですが、近くはグワングワンしていて酔いそう。そこで自撮り棒に穴を開け、ワイヤーを通してそのワイヤーからコンテナに張り綱を渡します。これでしっかりテンションをかけてやることで、揺れを抑えることに成功しました!これで気兼ねなく美しく景色が撮影できる^_^自撮り棒の収納時、張り綱はベースに巻き付けておけばOK。これにて修正MT-10ツアラー化計画完了!それではこの状態でしばらく旅に出ます(笑)しばらく時間ができたので、久々のロンツーです。時々旅の様子をアップしますのでお楽しみに。
2021年08月01日
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長期の旅に出るときは、出来るだけ荷物を減らしたい。でも旅先からもいい写真をSNSにアップしたい。メイン機はNikon D90だから、PCでデータを読むしかない。という状態だったのですが、なんとAmazonのFIREタブレットで一眼レフのデータを読めることがわりました。必要なものは・カードリーダー・ダイソー変換アダプターこれだけです。※開封後の写真で失礼します。今までD90の写真は専用ソフトを使用しないと、データが読めませんでした。ところが、カードリーダーに一眼レフのSDカードを入れて、USB AからUSB Cへの変換アダプターを使用すると、全く問題なく読み込むじゃないですか。しかもRAWデータまでしっかり認識します。すごいぞFIREタブレット!こんなに安価なのに、色々働いてくれる!でもこれがFIREタブレットではなく、もっとスペックの高いタブレットだと、現像までできてしまうでしょう。そして保存は、Wi-Fiの入るところでAmazon PhotoにアップすればOK。余分にSDカードも要らなくなりますね。これをもっと早く知っていれば・・・。先日の阿蘇撮影旅では、データ容量がいっぱいになってカード買い足しちゃったよ。ともあれ、今後は旅先でもいい写真を更新できそうなのでお楽しみにっ!
2021年07月31日
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朝3時。自然と目が覚める。ここ数ヶ月ずっとこんな感じで、旅先でもそれは変わらないようだ。眠れないけどそのまま横になり続け、6時に起床。寝不足と昨夜のマーライオンで今日も朝からぐったり。そんな中、Ufzさんがご飯を炊いてくれました!これをカップ味噌汁にぶち込んでかきこむ!やっぱり米を食うと回復しますね^_^さて、それでは出発に備えて荷物を整理しようと部屋に戻ります。ここで電話の着信に気がつく。詳しくは書けませんが、急遽帰らなければならなくなりました。マジかよ。凶運を振り切るツーリングじゃなかったのかよ・・・。メンバーに説明して、一番早く帰る方法は高速とのことで途中までメンバーと走ります。それでは片付けを終わらせて記念撮影佐世保ライダーハウスお世話になりました!途中給油を済ませ高速にin。高速に乗った途端ぶっ飛んでいくK山busa号(笑)異次元の加速についていくのでやっとです^_^;やっぱり新型隼早えぇ。。。クイックシフターでバンバン加速していくと言うけれども・・・。あれ?MTちゃんにも同じものが付いてるんですが^^;ここらへんはやはり腕の違いか^^;そのまま鳥栖を目指し東進。山浦PAで水分補給して、ワタクシだけ離脱。最後に記念撮影します。お疲れ様でした!鳥栖ジャンクションでメンバーに別れを告げ、一人で南進。宮原SAまでガソリンが持つかと思ったんですが、暑さと意外と混んでる道のせいで北熊本SAで給油。そのままひたらすらぶっ飛んでいきます。次は山江で給油&休憩と思ってたんですが、暑すぎて手前の坂本PAでクールダウン。この暑さ、マジで死ねる。。。それからすぐの山江で給油。その後はノンストップで無事帰宅となりました。帰宅後、着替えてすぐに出ます。少し遅れてしまいましたが、無事につけたので良しとします。ここまでかっ飛ばしてきて、アドレナリン出まくりだったんですが久しぶりに会う人たちに顔を見てようやく落ち着きました。こうして今回のツーリングは思わぬ形で幕を下ろしました。ここ最近本当にこんなことが多いんですよ。今度「凶」を引いてしまったら死ぬんじゃないかと^_^;今度バイクと一緒にお祓いしてもらおう。凶運を振り払え!佐世保牡蠣ツーリング 完写真提供:Hausaさん
2021年07月29日
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久しぶりにやってきましたツーリングレポ。今回はいつものメンバーと佐世保まで岩牡蠣と日本酒をタンノウしにいきます( ´∀`)ちなみにここでは書いていませんでしたが、ワタクシここ最近連続で凶のおみくじをひきまして、そのせいかことごとくツーリングも含めいろんなことに妨害が入るというついていない日々が続いていました。しかし!今回は何もなくツーリングの日を迎えることができました!よし!今回は存分に楽しめそうだ!(フラグ)意気揚々と積載を改良し、例のエイジング塗装を施したコンテナ積載で集合場所に向かうのでした。朝6時50分、集合場所に到着。いつもと違う場所だったので、時間が読めずギリギリの到着^_^;もうすでにHbusaさんとSmtさんが到着していました。とりあえずトイレだけ済ませて次の集合場所に向かいます。今日は曇り空の影響で、そこまで暑くなくて助かる。ほどなく第二集合場所のセブンに到着。ここでUfzさんと合流して、一気に長島を目指します。いつもの佐世保行きは高速でワープしてたんですが、今回は緊急事態宣言の影響で休日割引がなく、フェリーの方がお得になったので、長島-天草-雲仙とフェリーを乗り継いで行きます。ガッツリ走り込んで長島の諸浦港到着。時間もいい感じに到着したんですが、なんとここでフェリーが給油開始(-_-;)出港が30分ほど遅れてしまいました。おいおい、これ今日が減便だったら次のフェリーに間に合わなかったじゃないか。このゆるさが田舎フェリーならではなのでしょうか。その後乗船し、遅めの朝ごはんをかずやん持参のノンアルビールでいただきます(笑)それからほどなくして天草に到着。途中給油してから鬼池港まで突っ走り到着。待ち時間30分ほどで乗船し、雲仙を目指します。穏やかな不知火海を走るクーラーの効いた船内。最近の不眠症も影響して、到着までねまります。ほどなく雲仙に到着。ここに来るのは2年前の異文化に触れる長崎車泊旅以来だ。あのときはここで車中泊したんだったな。下船して一路佐世保を目指します!快適な雲仙グリーンロードを快走!この道眺めも最高でいいところです♪そこから小浜温泉までご飯食べにやってきましたが、どこもかしこもすごい人。さすがは4連休(-_-;)でも暑さでバテてるせいか、空腹を感じないのでそのまま北上します。途中でうどん屋さんにトライするも、見事に店休日。もう仕方がないのでサービスエリアで高くて小さい角煮まんをいただきます。さて、それでは牡蠣を受け取りに行きます!佐世保市街を高速で抜けようとすると、事故渋滞の案内が。渋滞を避けるために佐世保みなとで降ります。後から知ったのですが、事故は佐世保中央より先で、渋滞も佐世保中央まで行ってなかったそうです。帰りは相浦方面は通行止めになってました。それではいつものマルモ水産に到着。そして岩牡蠣15枚・焼き用牡蠣10kg・緋扇貝10枚と大量購入(笑)問答無用でMT号に積まれます(笑)しかしこのMT号。以前も説明した通りキャリアのボルトが弱いため、あまり大量に荷物を積めません。すでに火熾し道具などで、最大積載量の半分は乗せてしまっています。これに牡蠣を積んだ時点で積載量オーバー^_^;この状態で普通に走ると、ボルトが折れる可能性があるので、先に出発して宿に向かうことにしました。ここからは段差に気をつけながら慎重に運転。それでも帰ってからから確認すると、ボルトのねじ山が潰れ、ボルト自体も曲がっていました。いやマジでこれどうにかならんかねぇ。そのままなんとか宿に到着。先にチェックインを済ませ、クーラーをガンガンに効かせてから牡蠣を放り込みます。すると直後に他のメンバーが到着^_^;うん、やっぱり先に出てて良かった^_^;一旦荷物を全部おろして、炭などの買い出しに走ります。買い出しを済ませ、水シャワーでクールダウンしたら、牡蠣を剥いたり火熾ししたり準備開始!すると野太いエキゾーストと共にK山さん登場!来たよきたきた!!NEW隼!!KAWASAKI派閥だったK山さん、隼の新型モデルに乗って颯爽と登場です(笑)いやぁ〜!めっちゃかっこいいですなぁ(*゚∀゚*)K山さんも無事合流できたところで、おビール様でかんぱーい!!2年ぶりでゴザイマス岩牡蠣サマ。レモンをたっぷり絞り、もみじおろしとネギをトッピング。そのままちゅるんっ!と頬張り、すぐに日本酒をクイッ!といく!!(((o(*゚▽゚*)o)))マジデサイコウコレヤバス!!!この時期の岩牡蠣はやっぱり美味いねぇ( ´∀`)日本酒もHbusa杜氏厳選のラインナップ!!これがどれもサイコウデゴザイマス( ´∀`)でもやっぱりブラック村祐最高(笑)さていつもならガンガン飲むところなんですが、ここ最近酒がダメになりまして、酔う前に気分が悪くなっちゃうんです。なので、それぞれ一杯ずついただくだけで我慢しました。酒をガンガン飲める人が羨ましい。そんな状態でセーブしたにもかかわらず、21時頃からマーライオンスタートorz結局夜中の1時までマーライオンで、せっかくの岩牡蠣も日本酒も全部さようなら〜( ;∀;)ここに睡眠不足も合わさり死んだように眠りにつくのでした。2日目に続く。※写真提供:Hbusaさん
2021年07月28日
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MT-10になって初めてのユーザー車検を受けてきました。久々に陸運局に行ったら、書類の場所が変わってて混乱^_^;係の方に助けていただきました^_^;検査は問題なく進み、光軸も事前に予備テスター場で合わせてたので全て1発で検査通過でした^_^883Rの時に四苦八苦してたのが懐かしい( ´∀`)かかった費用、約15000円。かかった時間、約2時間(笑)検査場は死ぬほど暑かったので、コメダでシロノワール休憩してから帰りました。自分で最低限のメンテナンスができて、書類も用意でき、平日に休みが取れるならユーザー車検がおすすめです。自分で整備することで、ちょっとした異変に気づくこともできますしバイクへの愛着もより湧きます。と言いながら、私も素人整備なので重要なメンテナンスはショップに任せています。基本は自分で整備して、難しければ迷わずショップに任せる。これでこれからも楽しいバイクライフが送れそうです^_^
2021年07月26日
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