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(*別ブログにも同時掲載)正月早々、暗い話に触れたくないが、歯科医家族の事件に思うことがある。(テレビニュースと新聞情報のみによる)一つは「しつこい」である。議論や喧嘩で、相手を言い負かすまで「しつこく」くいさがる人がいる。自分の意見が正しいと信じ切っている人、相手にどうしても負けたくない人だ。こういう人は半歩下がることを知らない。相手の意見、考え方を全否定する。一人でブログにでも書いているあいだはいいが、しつこい人が二人対すればどうなるか。双方、譲らないから、会話や議論では治まらない。突き進んだあげく、言い争いになり、喧嘩にいたる。口喧嘩で治まればマシだが、恨みを残し、殴る蹴る殺すも起こる。こうならないために、子供や若い人たちに「引き」の術を教えたい。対立したその場では、三度反論する。四度目は「引く」。そして家に帰る電車の中で、相手の意見を考えてみる。ベッドで思い出してみる。まだ腹が立って悔しいなら、「あの人はそういう考えだ」と思い、もう忘れることだ。またなにかの折に思い出す。まだ腹がたつなら、もう考えないようにする。「人口1億数千人いれば、そういう考えの人もいる」と思えばいい。どちらの意見が正しいかは、時間、歴史が証明する。また、正しい意見が正しいともかぎらない。どちらもただしく、どちらも間違っているともいえる。つまり「正」「誤」の決着を急いてはいけない。思うもう一つは、「離れ」である。人と人とが寄れば摩擦が起きる。「触れ合い」がトレンドだが、良識ある交流があってのことで、「引き」を知らない人同士では、トラブルになる。殺傷事件で家族・知人間というものは多い。働けと説教する母親を息子が殺す。勉強しろとうるさく言う父親を息子が殺す。親しかった友人を殺す。歯科医家族には、以前からトラブルがあったという。殺しにまで進むような、そんな家は、出たほうがよいのである。娘も息子も二十歳を過ぎ、親が援助できる経済力もある。子供は家を出て家族から離れたほうがよかった。距離ができて、少しは親やきょうだいや自分が見えるようになる。トラブルが大きな負担になるとき、そこに留まってはいけない。挨拶程度の距離を取って離れることだ。(*写真は噴水の氷)
2007.01.11
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爆弾低気圧で荒れたらしい列島を、伊豆から横浜、栃木へと移動。風は少々強かったが、新幹線は止まることなく、1分の遅れもなかった。電車で読んだ雑誌の後記に、ブログと私小説とを同一視する文章があった。短絡的だなあと思うも、ブロガーとしてはおもしろい。この筆者がイメージする私小説は、私のいう私小説とは異なる。ブログに対する視点もちがう。ブログと私小説を日常の「垂れ流し」と見るのは、ブログと私小説への洞察に欠ける。新幹線を降りたら路面は乾いていた。この地に嵐はきたのか?雑木林にだけ雪があって「夢のよう」。こんなどうでもいいことを書くから、ブログは「日常」とばかにされるのだ。ところで日常ってなあに?私には日常も非日常もない気がする。
2007.01.09
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元日の日の出時刻に、南側デッキに立って林の奥を見つめて待った。いつもそこに現れる朝日ではあるけれど、やはり気分がちがうのである。お隣の庭を越え、道を1本またぎ、もう1軒先の林が染まり、やがて木の根元に赤い点が光る。父を真似て拍手を。その前後に撮影を。カメラはシャープ携帯で。近所のHさんが見えて、皇室カレンダーをお年賀にいただく。雅子さまのご快復を祈るも、新聞広告の雑誌目次は、なぜかいつも「雅子さまいじめ」が。案じるふりして追い討ち掛ける言葉。非難するふりしてワイセツ記事書くに同じ。慈善のふりして稼ぐに同じ。悪人より不快な人たち。
2007.01.03
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午前0時ごろ初詣に行く。境内で、甘酒に清酒を落としていただく。胸が少々、熱くなる。破魔矢を買う。帰り道で北斗七星をながめる。おだやかなり。
2006.12.31
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クリスマス前にパソコンが壊れた。急遽、古いPCを出すが、Lanが繋げない。ダイアルアップになってしまう。年末だというのに、お正月だというのにブログも更新できない。そんな今朝、MYサポーターの菊地さんが干し芋を持ってきてくれた。特別作りの干し芋だとか。菊地さんが壊れたPCに触れると、なぜかPCはよみがえった。「狐につままれたような」「嘘みたい」「ええ~?」ダウンジャケットのポケットに手を入れた菊地さんは「あれ? こんなもん入ってた」と言ってルービックキューブを取り出す。そして手早い手つきで手首を回しはじめた。「よいお年をお迎えください」そう言って菊地さんは去った。古いデスクにランボードを買ってきてくれるとも言う。やっとブログの更新が間に合った。皆さま、よいお年をお迎えくださいませ!
2006.12.31
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呉雅力さんのブログを読んでいて気づいた。本にまとめてもういちど読んでみたい。不思議なもので、雑誌で読んだ文章を本でまた読むと、作品がぐっとよくなっている。手直し効果だけではなく、活字にはそういう力があるのだ。雑誌やブログのおもしろさは、よりリアルタイムに近いところにあるから、本になるまでに古びる心配はある。だが「過去」のおもしろさや検証が生まれる。ブログは日記というより、一日分のエッセイのようなもの。死後は別に、日記は他人に読ませない。ブログは読ませることを前提に書く。したがってすこしは客観性を意識する。読者への説得力を心がける。ブログを書いている人は、本にできなくても、プリントアウトしてまとめてみるとよい。その場合、A4判の半分サイズに組む。1ページの行数と字数を決める。ホッチキスでもいいが、こよりとか紙紐とかで綴じる。タイトルとペンネームを入れた表紙をかける。表紙には写真やイラストも。10部か100部作って友達に50円か100円で売る。友達は「おもしろかった」とか「まだ読んでない」とか感想を言うだろう。読んでもらうのだから、すこしは誤字脱字を手直ししよう。、や。の句読点をどこに打つか、すこしは考えたい。すこしお金をかけられるなら、印刷屋さんに相談すれば、雑誌のように製本してくれる。(*ブログの原稿は、メールで送る)
2006.12.21
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昨年の写真によれば、いまごろ栃木は雪だった。そういえば去年、バス待ち客が、「今年は特別寒い」と言っていた。ということは今のこの暖かさは例年どおり?いや今年06年の初雪は2週間遅れとテレビが報じていた。6時半ごろ「日の出」時刻に、雑木林の地面に朝日が現れる。まだ赤い。やがて南へ回りながら上昇していく。この日光に午後4時ごろまで暖かい。冬だからこそ感じる太陽のエネルギー。ふと、「太陽が消えたら」とそのときの地球を想像した。地球温暖化どころではない。太陽を守れ!
2006.12.20
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まっちさんの別ブログアウトドアのすすめが非正規雇用に触れている。みぞれ降ると言いたい寒さの昨日、武蔵小杉で「時間給900円」のポスターをあちこちで見かけた。人手がほしいということだが、一方でニートという人たちもいる。働かない学ばないくらいなら、とりあえずパートで働きながら行く末を考え、資格取得なり就職なりに進めばいいものをと思う。最近はテレビでも正規就職を啓蒙する意見がでているが、以前はサラリーマン否定のコメントが大半だった。「好きなことをする」のがよい人生で、会社のために働くのはナンセンスとコメンテーターたちはしきりに言っていた。彼らの無責任さに腹を立てる私は、若い人たちに「口車に乗るな」と言い続けた。コメンテーターたちはサラリーマンせずとも食べられる人たちである。普通の人が自由な暮らしをしてよき生活を担保できるわけがない。「アリとキリギリス」の話に近い。(*強い志を持つ人は別)現在は「独立・起業」がブームで私もビジネスに興味がある。しかし若いビジネスマンたちに「45歳まで待ちなさい」と言う。学生起業も理解するが、人脈を含めた企業での蓄積は後に大きく生かされる。「いま辞めるのはもったいない」と保守的に諭す。(それでもやる人はモノになるだろう)会社の知識、技術を身に着けて飛び出すほうを勧める。
2006.12.09
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葛飾区の辛口行政書士大魔神さんが資格取得についておもしろい日記を書いている。会社勤めしながら資格取得しておくのは、リタイア後の仕事を考えても必要だろう。どんな資格がよいか。これは好き嫌いもあるから、よいと言われてもそうできないところもある。だが大魔神さんの日記には、いいかもしれないと思う。「1年に1つずつ取ればよい」資格なら、取りやすい。資格ではないが、やっておけばよかったと思う技術がある。手仕事である。鞄をつくるとかビーズアクセサリーをつくるとか。手作り品があればネットショップを開ける。いまは手仕事好きの人が愉しい世の中である。
2006.12.02
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捨てるつもりのPCからデータを移していた。一太郎など、ファイルがたくさんあって時間がかかった。その作業中、捨てるのが惜しくなった。このPCは別宅用に買ったもので、使用時間は短いのに壊れた。感覚的には、いわばまだ新しいNECの診断では修理代に5万かかる。たしかにインターネットはつながらない。でもテレビは見られるのではないか。久しぶりにテレビ画面を開く。2003年のNHK番組の録画があった。三島由紀夫の市ヶ谷映像が映った。
2006.11.25
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電気設備工事会社の人が、「PCに詳しい後輩」を紹介してくれた。「後輩」は「いま行っていいですか」と電話をかけてきた。このノートPCの立ち上がりは遅い。やってきた後輩は、ばらばらになっているらしいファイルを「適正化」し、壊れたPCを持ち帰った。次に来たとき、使っていないプリンターを見て「ここに嵌めるもの、ありますよ」と言った。USBがついていないので、ノートPCに接続できないでいた。「いまから行っていいですか」とまた電話があった。彼はなにやら器具を買ってきていて、私が覗きこんだときはもう、プリンターに器具を嵌めこんでいた。ケーブルの片方にはUSBがついている。私がプリンターのドライバーをさがしている間に、ネットでドライバーを引っぱってきて設定している。つづいてクリーニング。テストプリントしてコーヒーを飲む。「次回は有料で」と私。「いやいや」「こういうサポートの会社つくれば?」と私。「それも考えてますが」「リタイア後のビジネスにつなげれば、いいと思う」元電気店の彼の家には、看板が残っている。量販店ができたせいで、店がつぶれたらしい。シャッターをあげてサイドビジネスする日がくるといい。
2006.11.19
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八ヶ岳高原ロッジのメルマガが、初冠雪を知らせてきた。八ヶ岳北海道・大雪山の初冠雪は、前にブログで見た。富士山の雪は今年、まだ見ていない。田舎暮らしの家からも、遠くに山が見える。林の木々の背後に稜線が見え隠れるしているが、落葉が進むごとに山のすがたを現す。「うちの富士山」と呼ぶ。山を見たくて、林の細木を20本ほど切った。工作用手鋸だったので、直径25センチの木が限度だった。次回は、山を隠す高木をチェンソーで間伐したい。でもチェンソーをうまく使えるかどうか。
2006.11.06
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「抱擁家族」などの小説を書いた小島信夫が亡くなった。近著『残光』の若々しさに驚いたばかりだったが。今朝の日経(日本経済新聞)でも小島に触れている。明日から信州へ小旅行。友人の別荘での夜の話題は、小島信夫になるだろう。
2006.10.27
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急に書棚がうるさくなって、レースのテーブルクロスを引っかけた。とても隠し切れないながら、すこしばかり気分が落ち着く。ハードカバーの派手な装丁のせいだ。実用書は少ないし別棚に置いてあるし、蔵書はそう派手なほうではない。それでも本はうるさくなる。書店に平積みしたとき目立たなければ売れない。そこで装丁は派手になる。CMによれば「日本人はうるさい」らしい。本もインテリアを考え、せめてパステルカラーにしてもらいたい。家が汚くなるから本は買わない、という人がいる。読み終わったら、すぐに売る人もいる。カバーを外すとどうなるか。いちどやってみようか。映画で見る、むかしむかしの書棚は、茶や黒の本で美しい。*講談社文芸文庫はパステルカラー。
2006.10.23
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神楽坂から中目黒にきてみれば、傘の飛ぶ雨風・嵐GTタワーに2時間ほどいて出ればまだ嵐。とにかく近くでと「和」の店でお魚を食べる。明けて嵐は秋晴れに。新首相も晴れて中国に。私は伊豆の川原で、釣り人100人(?)を平和にながめる。新首相夫人はアンニョンハシムニカ。ベランダでトンビ見る私は、38度線は壁だった? と思う。鉄条網なら、ベルリンのようにハンマーは要らないし。
2006.10.10
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友人たちは信じないが、私は人見知りのところがある。マーシェンカさんの走墨展にも、黙って出かけた。帰ってからも「行った」と知らせなかった。数日、時間がなくてネットを開けなかったが今、リンク日記を巡回してマーシェンカさんの日記を読み、触れたくなった。先日、西武新宿線・東伏見駅に降りた。マーシェンカさんの走墨展を見るためだった。マーシェンカさんとの出会いは楽天日記であり、美術に疎い私は勉強させてもらうことが多い。マーシェンカさんの批評文がおもしろいというか、緻密であり、素人の私にもわかりやすい。また、今朝読んだ日記の文体もそうだが、日常語の熱い気持が率直に表現されている。マーシェンカさんの思いが、情熱が伝わるという離れ業に感服してしまう。私の文章はどうしても硬い。ブログなんだからできるだけ日常的にとは思っているが、「です」「ます」調さえうまく使えない。文は人なりだから、まず人柄を磨こう。温かく、優しく、情熱的に、前向きに。*東伏見は初めてだったので、マーシェンカさんに見つからないように、遠くから写真を撮った。駅の階段を降りたらすぐ正面に、ギャラリーはあった。
2006.09.23
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写真は雑木林の栗&楽天の栗NHK日曜討論を見る。谷垣、麻生、安倍のみの出演で、外交、教育等を三者が語る。議論ではなく、司会者の質問に答えるだけだから静かなもの。しかも全員自民党であれば、元々がそう大差ない。語り口が明快なのは谷口氏。麻生氏も、中学生のわかる言葉で話し、内容はわかりやすい。安倍氏は以前、もっと早口だったように思う。外国の舞台で演説するときはどうだろう、と心配したこともある。毎日テレビを見ているわけではないので、久しぶりに安倍氏をながめた。カメラの写し方かもしれないが、自信・覚悟が窺える。国民の大半は庶民であり、大衆は強いリーダーを望む。迷いや曖昧、謙遜に不安を持つ。毅然と自信を見せる安倍氏の、明日の支持率は上がるにちがいない。テレビのあとは床磨き。ついでにクローゼットの冬物衣料をチェック。そのついでにみたらし団子をつくり、このまま遊びをつづけて栗拾いにでも行きたいが、原稿を手直ししてメール送信した。
2006.09.17
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『ブロンテ姉妹の風土』(エリザベス・サウスワート 上野眞枝訳)が届く。副題に「村と荒野をめぐる逸話」とあり、翻訳本の興味深さがある。「嵐が丘」といえば、もう一度見たいテレビ番組がある。何度でも見たいと言ったほうが気持に近い。NHKの「世界こころの旅」。現皇太子妃の父・小和田氏が、「嵐が丘」の旅をするという番組(皇太子妃とは無関係に)。かつての留学生は、青年のような風情でボートを漕ぎ、ヒースの丘に風を聞く。教養人のその素敵さ!*訳者・上野眞枝の著書(楽天)。
2006.09.11
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せめて田舎暮らしの家には、足湯があったらいいな!雪の雑木林をながめながら、足元がほかほか。近所の人も来て、いっしょに熱いフルーツティを飲む。フルーツティは俳優の柳生博さん・慎吾くん父子の八ヶ岳倶楽部(山梨・大泉)で飲んだのが最初。フルーツの種類と量をたくさん入れるのが美味しい方法と見た。(早朝から休憩ナシのデスクワークで疲れた夕方、発作的に足湯へ行った。ここは回廊式の立派な施設。鏡になる湯面にむかってステージまである。「美術館で寄席」のトレンドにあやかってか、寄席が催されるのだとか。温泉好きの若いカップルが並んで腰掛け、話すでなく、足をぶらぶらさせている。でも伊豆では小さな足湯。駅に電車が着く。ホテルの送迎車が来る。売店のおばさんが見える。駅員さんの声がする。タクシーが客を待っている。こういうのも愉しい!
2006.09.09
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今朝、日経でおもしろい記事を読んだ。「現代の若者は自分に直接関係ない人間を軽く見る傾向があります。しかし、こういう若者に限って自分の迷惑行為には鈍感なのに他人の迷惑行為には敏感に反応する。自分の方が大きい、立派だという気持ちが無意識に働き、相手を非難するのです」(「個性より社会化促せ」速水敏彦 日本経済新聞9月7日朝刊)「今の子供が昔に比べ、怒りやすくなったという点」『王様のようになってきた』『セルフコントロールができない』「最近の若者は自分にちょっとでも不利益な事があると激しく怒る。反面、社会、社会全体の事には極めてクール」等々。ナンバーワンよりオンリーワンと個性化が叫ばれる世の中だが、個性化の前に社会化を促すことが必要と速水氏は説いている。*速水敏彦 著書『他人を見下す若者たち』がベストセラーに。 他に『動機づけの発達心理学』
2006.09.08
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葛飾区行政書士大魔神さんの楽天日記に、離婚を避けられるゲーム・夫婦のビタミンが発売されるとあった。ゲームじゃん、というようなものではないようで、かなり「本気」ものらしいところが興味深い。買って使ってみればそのビタミン効果がわかることだが、性的な問題はどういうビタミンで問題解決するのだろうと考えた。この微妙な問題が解決されれば、離婚は減る。大魔神さんに聞いてみたいが、離婚原因で挙るのは、経済や素行や暴力といった生活的な問題ばかり。「性的に嫌」とおおっぴらに言ったり議論されたりしない。このゲームは夫婦に限定している(?)。夫婦というからには、性的問題が含まれる。男女、男男、女女の、つまり恋愛感情のある関係と同じ要素を持つ。夫婦とは奇妙な関係だ。恋人と共同生活者という、異質の立場を共有する。この二つは相反する不幸を抱えている。恋愛しなければいけないし、経済や子育ての問題も解決しなければならない。二つを同時に、同じ相手と、しかも長年つづけるのが夫婦である。しかし恋愛にローンや子育ては、世帯臭い。夫婦でも恋人でも、恋愛を長続きさせるビタミンは、世帯臭さの排除に尽きる。夫であれ恋人であれ、楊枝くわえた男と恋愛はできない。
2006.09.06
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「皇室に男子誕生」の数日前、保存精子で出産した女性の子供を「認めるか認めないか」の裁判があった。認められなかったが、新聞で読んだとき素人考えで「認めればいいじゃないか」と思った。恥ずかしい言葉に「お世継ぎ」がある。厭な言葉だ。女の感覚では卑猥に感じる。それに比し、保存精子による受胎、出産には、清潔さ明朗さがある。人間の「知」を感じる。私の提案は「30代に卵子(核)を冷凍しておき、50歳で好きな男性の子を生み、好きな場所で、精神豊かに暮らす」である。50にもなれば、相性もわかる、経済力もできる、子育てにも余裕がある。つまらない男の子を生んで別れて、経済と子供で苦労する女性を見てそう思う。
2006.09.06
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以前から感心しているのが呑気のん兵衛さんの楽天日記である。できればそっくり拝借して自分のページにしたいくらいなのだ。(のん兵衛ではないので、お酒サイトにはとてもできない)ブログやホームページをスッキリ、キレイで温かみのあるページにしたいと思う。アフィリエイトを貼って愉しんでみるが、これが難しい。テンプレートでスッキリしたら、こんどは冷たいというか、妙に空々しい。それを外してバナーを置けば、不揃いのごちゃごちゃ感が増す。今朝、呑気のん兵衛さんはキリン秋味を紹介していた。「あっそうか、これ」と気づいた。いただいたお中元のお返しが決まらず、鞄に入れて夏からずっと持ち歩いていた配送伝票がある。それを取り出してやっと義理を果たした。(気持スッキリ!)忙しくて今年は忘れていたが、キリン秋味は好きで毎年買う。横浜限定とかクラシックとか、キリンのお祭りごとには、好きで参加する。「キリンが好き」には、キリンビールの会社に長くお世話になっているという気持もある。人の好みとはそういうもので、お気に入りのビストロで出されていたハイネケンも好きになった。義理堅いほうの私は、長年お世話になっている企業の商品を買う。エリエール、ユニチャーム、ヤマト、富士フィルム、東レ、ポーラ等々。もちろん、いい商品でなければ買わない。*敬意を表して順にご紹介!
2006.08.30
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楽天広場のわだつみ判官さんは花の写真で癒してくれる。きょうも街の中で見つけたハナトラオなんて花をUPされ、宿根草で丈夫な花であることを私は知る。つまり「うちにもほしい!」過日、田舎暮らしの家で気まぐれに草むしりなんぞして、初めての花を見つけた。斑模様の葉っぱにずっとカタクリだと思っていたものだが、花がちがう。植物は似ているので、花が咲くとか実が生るとかしなければ、わからない。道や庭に「いが栗」が落ちているので栗の木があるのを知る。紫の花が落ちていて藤の木を見つける。雑木林の樹木は丈高い。見上げても花や実がわかりぬくい。幹だけ見ても似ていて判別しにくい。国立公園のそばで保護地区だからか、小鳥もさまざまやってくる。木の枝が揺れると思ったらリスが幹をおりてきた。深夜もかすかに車の音が聞こえ、林をちょっと降りれば商店、民家のある古くは宿場町。コンビニ、ファミレスに近い場所なのに、ただ小さな林の中にあるだけで、こうも自然が身近なことにおどろく。おおげさではなく、ときどき「夢のような」と錯覚する。冬、遠くに雪の峰を眺めているとき、ほんとうに私はここにいるのかと不思議な感覚を持った。旅先で見るときの感覚とはちがうのだった。現実にあって夢、とでもいうか。
2006.08.23
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涼しい田舎暮らしの家から、総理候補を遠目に見ていると、演説政策なんかより「見た目がだいじじゃ!」とやじることになる。我が日本国総理の条件は1に身長である。サミットで、居並ぶ首脳に見下ろされるのは厭だ。第2は英語力だ。外国での演説、記者会見を、方言英語ではない達者さでやってもらいたい。第3は教養度である。政治しかしゃべれない人に、国民をしあわせにする政治はできない。深い思想・世界観のにじむ顔があれば、世界の人から日本は信頼される。3候補について3条件がどうかは知らない。したがって二人でバーへ行くなら、と飛躍すれば、谷垣サン。1時間、会話が持続しそうだし、話をしておもしろそうだ。安倍サンと行けば、こちらがしゃべって間をとらなければいけない気がする。麻生サンもたのしそうだが、グループ飲み会にいい。
2006.08.23
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時事問題に詳しい外資系経理マンのページは「拿捕」に触れている。日経(8月20日朝刊)見出しも「漁船銃撃 遺体が帰還 無言の対面 遺族号泣」と、これだけで事の重大さをしめす。「銃撃?」イラク人ではないから、日本人の脳回路ではこの言葉、着地に迷っただろう。記者会見する外務省山中政務官の写真が、「根室港に到着した盛田光弘さんのひつぎ」の写真と共に出ていて、間抜けた感じがある。彼女自身がとまどっていて、国民の不安が増すのである。こういうときは嘘でもなんでも「しゃんとして」出てきてほしい。「日本国はちゃんとやってるから大丈夫、安心してください」と堂々と舞台に出てこなければいけない。そうでなければ、外交に赤ん坊の国民は、生の不安に脅かされる。当の国家におろおろされたのでは、自分の身は裸で守れというの?とその恐怖に震える。日本は国も国民もノーテンキのところがあるから、銃撃されてしかも殺されることにおどろくが、外国ではそんなことは常識である。北朝鮮工作員や中国犯罪グループ等の密入国さえ「自由」な日本は、ロシアに学ばなければいけない。北方領土の拿捕はむかしからあった。漁民はいつまで危険に身をさらすのか。
2006.08.20
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伊豆長岡温泉へ行くには、駿豆線(東海道・三島~伊豆箱根鉄道・修善寺)の伊豆長岡駅からバスに乗る。電車の改札前・駅正面に三津シーパラダイス行のバスが待っている。帰りも駅までバスがあるから便利だ。旧盆の最中、鉄道と同系列の伊豆箱根自動車のバスで長岡駅へ向っていた。車内放送が「次は長岡駅口です」と案内し、キャリーや大きな鞄を持った観光客がそのバス停で降り始めた。電車の長岡駅まで行くはずなのに、運転手は何も教えない。私も不安になって訊ねた。「長岡駅前へは行かないのですか」運転手は「ここが長岡駅前です」「駅まで行かないの?」「行きません、ここが駅前ですから」炎暑の午後、観光客10人ほどが駅へ向って歩いて行く。確かめていたら、空っぽのバスは長岡駅へ向い、駅舎前に着いた。伊豆箱根鉄道駿豆線の各駅には、温泉やシーパラダイスなどの看板、ポスターがたくさん出ている。看板、ポスターに相当の経費をかけても、観光客を呼ぼうと必死なのがわかる。夏休みはカキイレドキである。なんとか一人でも客を呼びたいだろう。しかしバスの運転手は、温泉宿や町や土産物店や駐車場や遊覧船や観光協会やレストランや食堂など、あらゆる事業者、従業員の願いを無視して、大切なお客を一つ手前で降ろしたのだ。「もう伊豆長岡へは来たくない」「バス停から駅まで歩くのが大変だから、伊豆長岡はやめたほうがいいわよ」とでも言う人がいたら、客を逃がすことになるではないか。この運転手は職業人の資格がない。自分の仕事に誇りも責任も喜びも持っていないのだ。なぜ一言こう言えないのか。「バスはこのあと、長岡駅までまいります」「電車にお乗換えの方は、終点の長岡駅でお降りください」
2006.08.18
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高校を休講できない妹のスケジュールが最優先だった。「この日しかない」と言われて春休みの3泊4日を企画した。私は一週間~10日の旅を入れたかった。どこへ行こうか? となったとき、妹は啄木の旅を候補に挙げた。私も東北が好きなので乗り気になった。だがまだ寒い3月でもあり、同行する姉のために九州を選んだ。長崎へ行きたいと妹が言った。私は「のぞみ」を、妹は飛行機を希望し、けっきょく羽田発にした。姉のためにハウステンボス1泊を入れた。妹と出かけて部屋に戻ると、ハウステンボス・イベント「白鳥の踊り」が部屋の窓の真前に来た、と姉が大喜びで話す。いっしょに見てあげられなかった悔いが残った。浦上天主堂や出島、孔子廟を回り、眼鏡橋の近くでちゃんぽんを食べた。(その昼食がたたって夕食の卓袱料理を残してしまった)。雨になって姉はホテルに戻り、妹と二人、平和の像の前にたたずんだ。毎夏、その像がテレビに映る。昨夜のニュースでは、天主堂で祈る人のレースの白が印象的だった。長年日焼けした顔の皺が、被爆時の年齢を想像させる。こんなことを書いている間に夜が明け、小窓から入ってくる雑木林の微風が寒い。エアコンの要らない家で夏を過ごせるしあわせを、炎暑の都会で忙しい妹には言えない。
2006.08.09
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お肌にとって「夏のミス」というものがある。顔の汗を「うるおい」と勘違いすることだ。汗で濡れているだけなのに、ローションでもつけた気分の人が多い。「うるおい」どころか、汗には塩分もあるからお肌の敵。なるべく早く取り除きたい。洗い流せないときは、ティッシュで吸い取らせる。冬の乾燥に気をつける人も、夏の乾燥には無頓着になりやすい。男女、夏も冬も乾燥はシワの源。夏に年を取るというくらいだから、「暑いからなにもつけたくない」と言わず、お肌の夏対策を!*おすすめ「お風呂で簡単自分流!」*洗い流せるクレンジングでメークを落とす→泡立てる洗顔→マッサージクリームを内から外へのばす→お風呂を出るとき流す(お湯のみ・洗顔クリームを使わない)→美白ローション・ミルク・美容液、アイクリーム等々。
2006.08.09
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きょう報じられたNHK調べでは、水の事故死が13人あったようだ。「川は、表面は穏やかでも川底の流れは速いから気をつけろ」と中学校のキャンプで注意された。この言葉が忘れられず、伊豆の狩野川に行っても足を入れられない。鮎釣りをする釣り人を眺めるばかり。「お盆に水に入ったら死んだ人に足を引っ張られる」と言われてから、お盆に海で泳ぐ気になれない。「お盆を過ぎたら海に入ったらいけない」とも言われた。「土用波にさらわれる」といった脅しもあった。子供のころ、中学生、小学生だけで海や川へ行った。むかしの親は呑気だったなあと思うが、小さい頃から、危険について厳しく教えていた。台風など大雨のときも、母は牛乳瓶で雨量を測っていた。今のようになにかと行政の責任を問えない時代だから、自己責任だった。大雨で避難するしないも、池に落ちる落ちないも自分たちの判断による。裁判になった明石の歩道橋事故で幼児の被害があった。花火大会は混雑するのに、なぜ連れて行ったのかと疑問だった。警察の誘導責任はあるにしても、私ならとても連れて行けない。もし行ったら、時差出勤のように帰りの時間を早めるか遅くする。旧盆のころ、伊豆の三津シーパラダイスのそばの海へ行くつもり。今夏、プールには入ったが海はまだなので、日焼けは怖いが水着で遊びたい。ちょっと躊躇するのは、お盆という時期。波打ち際でパチャパチャやるだけなのに、刷り込まれた大人たちの注意に束縛される。
2006.08.06
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神楽坂通りの店先に、蛍の入った籠が五つほど置かれていた。売り物なのかディスプレイなのかはわからない。庭で蛍を飼いたいと思う。横浜の近所に、蛍を育てている家があるのだ。庭に、初めて見る花が咲く。梅雨明けの遅い夏の早朝、寒いぐらいの林の風に一輪揺らぐ。ああ、夏の花!原民喜を思い出さない夏はない。(「夏の花」原民喜)
2006.08.06
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夕方、東京駅からこだまで新横浜へ。むかしは一駅だったが、いまは品川停車で2駅である。新幹線を降りて行ったビルの中で偶然、身内とばったり会った。同じこだまの同じ13号車に同乗していたらしい。東京~新横浜は16分程度ながら、その間、双方気づかなかった。また東京に戻り、MAXやまびこに乗った。えっシート倒れないの?新幹線でリクライニングじゃない?これなら在来線のシートのほうが坐り心地よい。新幹線は節約してグリーンに乗らないからわからなかったが、あちらは倒れるのだろう。誰が設計したのか、嵌めこまれたような感じになる。これで仙台まで行く人がいるのだから。しかし慣れるとそうでもなかった。おっ、シートに肘掛がない。隣におじさんが来たら嫌だな。身じろぎすると、ギッ、ギーと鳴るのである。
2006.08.04
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女友達二人といっしょに大竹さんが見えた。いつも外出しているらしい大竹さんは、きょうもこれから出かけるのだという。女性三人を送り迎えするのは、男友達の東さんである。「アッシーくんがいていいですねえ!」古い言葉を!「そうよ、アッシーくんがいるから」アッシーくんもご近所。大竹さんからきのこをいただいたが、食す勇気がない。「毒キノコじゃありません?」「だいじょうぶよ、ソテーにすると美味しいから、きのこ博士の保障つきで、私が食べたから」でも食べられない。まっちさんにも警告されているし。その日の夕方、小畑さんが見えた。手打ちうどんをいただいた。週に一度くらい一人で来るようだ。前回は屋敷内の草刈りをしていた。横浜からこちらに来たら、裏がすっかり刈られていた。大きな白百合だけが残されているので、浴室の窓から、百合がよけいに丈高く見えた。栃木の家の周囲にこれほど人の出入りがあるとは、じつは思っていなかった。たしかに家は建っていたが、どうせ人の来ない別荘だろうと考えた。リゾートマンションと違って別荘は足が遠のくとよく聞くからだ。それは大違いだった。敷地が隣接する斜め裏の家には、小さな子供のいる3代家族6人や親戚が交替で来る。ご挨拶に見えて、そういうことを知る。3代で定住している家族が、子供を連れて遊びに来た。お隣の学生が祖父を呼びに来る。新宿から直通バスで行き来している男性と立ち話する。毎年3月に来て12月に東京へ戻る人もいる。日帰りの人も。契約管理員さんたちも立寄る。自治会役員もやってくる。郵便、新聞、ヤマト、検針等々。私はただ、ここにいるだけなのだが。これまでご近所づきあいをしたことがない。エレベーターホールで「こんにちは」「お帰りなさい」「ごめんください」と会釈する挨拶程度だった。「はじめてのおつかい」というテレビ番組があったけれど、「はじめてのご近所づきあい」である。ラジオがドレスデンの暑さを報じる。大麦、小麦、ライ麦、とうもろこし、食用ひまわりが枯れているらしい。ワールドカップに賑わったドイツの被害を聞きながら、本日は呑気な日記を長く書く。
2006.08.02
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携帯メールにしばらく返信がなかった。あまりおかしいので気づいてフォルダを整理したら、遅れて数通のメールが入った。その中に、見落としたくなかったメールがあった。某氏が「となり村」に来る知らせ。「となり村」は、田舎暮らしの家の隣町。仕事の合間に、お茶ぐらい飲めたかもしれない。「きょうは、どっちから?」「近所から」双方が遠くの町で出会う。そういうおもしろさがあったのに。
2006.07.30
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まっちさんの楽天日記アウトドア編により、長雨で毒きのこが成長することを知った。栃木の家の雑木林に「きのこ採り」が来るので、日記に興味を持ったのだ。「この時期のきのこは貴重だよ」ときのこ採りは言った。そんなに貴重なきのこがすぐそばにあるのなら採りたいと思い、素人がきのこに手を出さないほうがよいと留まる。背負った籠の中を見せてもらったら、なめこのようなものと白い毒きのこのようなものだった。「この白いの、毒きのこじゃないんですか」「毒じゃない、美味いんだよ」日曜日は、林の中でがさがさ音がする。でもその仲間に入る気にはなれない。
2006.07.30
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山ぶきさま(一部「返事を書く」に書き込みました)前回の楽天日記で、後輩が起業する話を書きました。いただいたコメントに、「どうして書道教室を紹介」とありましたので、その経緯を楽天広場の皆さまと共有する意味で、この欄でお答えしたいと存じます。まず件の後輩は人間関係に傷つきやすい、自己愛の強い人です。そのせいか会社勤務で人間関係に悩むことが多く、「辞めたい」と私に言ってきます。家のローンがあるので会社を辞めるわけにいかないので、私は引き止めます。「会社を替わっても、またその問題は起きる」と。そこで提案したのが、趣味。それも将来、実業にできる分野。「なにか好きなこと、やりたいことはない?」と訊き、熊グッズ狂なので、クマの小店を勧めたり、朝日カルチャーセンターのパンフレットを送ったりもしました。書道に興味を見せたので、書家で活躍中の先生の教室を紹介。この先生のように書家の道を選ばずとも、いくつも教室を持つ先生に習えば将来、家で教室が開ける、子供やリタイヤ後の男性をターゲットにするのもよい、なにより後輩には、会社以外の世界に接することが必要と考えた結果です。彼女の努力で、会社勤務のメリットを手放すことなく、経理と書道とをバランスよく人生に取り込めたことを喜び、「会社を辞めたい」人たちにお勧めしたい人生選択です。
2006.07.29
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たしか24歳で私の部署に来た彼女。数年そばにいて退社、会計事務所に転職した。以来、会計の仕事を続けている。仕事や恋愛で何度も何度も身上相談係になった。9月の湘南へドライブに誘われて日の出を見たり、徹夜の電話相談になったり。会社の人間関係で何度も悩んでいたころ、書道教室を紹介した。「ローンもあるので会社は生活のために辞めてはいけない。趣味を極めればいつか仕事にできるから」書道を極め、大きな賞を取り、先生から教室を分け与えられた。福祉の勉強もしたので、「障害者」書道教室を開いた。今回、新会社法の勉強をし、事務請負と書道で起業。彼女を、もう一人の後輩がサポートしている。こちらは横浜市の保育事業の専門家なので、障害者担当らしい。久しぶりに近日会う。いくつになってもお姫様だった彼女がついに新たな出発。あちこちから後輩たちがけしかけてくるので、こちらも、うかうかしていられない。
2006.07.24
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自民党総裁選に福田氏不出馬の報。時間がなくてまだよく見ていないが、事実なら予測どおり。テレビなどでは「出る?」かもしれないと煽っていたが、「ゼッタイ出ない」と思っていた。選挙時、有権者はテレビのインタビューなどでよく「誰がやっても同じ」と言うが、誰が政治を動かすかで国民の生活は大きく変わる。それは世界を見ればわかり、歴史を辿れば見える。だが私を含め、あなた任せ」の国民は多い。だとしても国民に責任はない。大衆とはそうしたもの。政治の責任はリーダーやジャーナリストにある。
2006.07.22
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イトーヨーカ堂は2年後、国産野菜を7割に引き上げる(日経)。産直店アグリパル塩原に、地元「~町産ブルーベリー」が入荷するところだった。粒が美しく、目によさそうだ。そういえば中国産ブルーベリーを貰ったまま、手を出せずにいる。中国産は農薬まみれと聞いて気持悪いのだ。ログキャビンの販売員が、「うちは日本産ヒノキだけを使ってます」と誇らしげに言う。さつまいもかと思ったら、地元産の赤ジャガイモだった。刑務所で作った木工品も販売していた。木工技術で厚生して家具職人になる?
2006.07.22
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コート羽織ったまま、楽天広場で「大雨」を検索した。これから出かけるためでもあるが、マスメディアの気象情報ではない、ブログ発信の生声が聞きたいのだ。たとえば中川さんちの鶴巻温泉は「いま、降ってないよう!」とか。外資系経理マン・呉雅力さんちはどうか、とか。呉雅力さんは天気には触れず、イスラエル&小泉総理。そう、雨も中東も大問題。いま都内は小止み、らしい。リンク日記を読んでみよう。*いざなみさん、たっぷり雨の写真ありました。
2006.07.21
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新幹線小田原~熱海が運転見合わせ。車内でじっと雨が去るのを待つか、小田原で何かに乗って熱海へ行くか。しかし大雨洪水警報で小田原周辺が大雨なら、動かずに待つほうがよい。
2006.07.19
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数週間前、法務局に出した申請書がボツになった。簡単な図面が、不正確だったらしい。B4用紙、公図どおり、0・2ミリ以下の墨の直線描き、というルール。墨はお習字用のがある。手持ちの万年筆は太字だから0・2ミリペンを買う。申請する家は凹凸なき長方形。シンプルにしてよかった。他の書類は一回でパス。なんだ簡単と思ったら、もっとも簡単な長方形が描けない。いや描けるが、パスしない。「申しわけないですが、ちょっと、ここ、角が~」初回は「確かに」と納得して持ち帰る。製図用具などないから義務教育用三角定規で直角を取ろうとするが、なんとこれが微妙に先が欠けた感じになる。なんでこれでダメなの? と思ってもダメと言われたら受け付けてもらえない。とにかく担当者が「いいです」と言うまでやり直すしかないのだ。栃木県大田原法務局へ2回目。「ああ、これ二つ折りにするから、こっちへずらしてください」え~え! と私。せっかく直角にしたのに。でもまたやり直すしかない。再度、長方形を描いているうちに腹が立ってきた。「あの直角でどんな不都合があるというのだ。だいたいPCでダメとは。墨で手描きとは」こういう役所とのやりとりを書いた小説を、いくつか読んだことがある。ハローワークだったりするのだ。転んでもタダでは起きない精神で、小説でも書いてやろうか。そう考えたら気分が晴れて「直角」がうまくいった。ただし大田原法務局の窓口担当者が「ダメ」と言えば、またやり直し。おもしろい小説にするには、役人は意地悪なほうがよい。もっともっと描き直させればよい。日本の義務教育を真面目に出た自分が、長方形を描けないことを知った。
2006.07.18
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*写真の布は、福島の畑に棉を植え、糸をたまねぎで染め、手織りした友人の作品。3年ほど前から気になっていたメガネ屋さんがあった。駅前商店街に「メガネのサカン」と看板が出て、サラリーマン風おじさんが一人いる。毎日、通るたびに見てしまう。お客さんがいない。家賃だいじょうぶかなあ、と他人の心配をする。ある日、一人の客がおじさんと対面して坐っていた。ああよかった。また一人という具合に、相談している客がときどき見える。サングラスの修理で、サカンへ入った。渋谷・銀座メガネスーパーで親切にしてもらっていたので、サカンに用はないつもりだったが。修理のついでに、PCと読書用メガネを作る。デザイナーブランドでないのを、と言ったらおじさんと同じフレームを勧められた。軽くて長時間でも負担がないらしい。おじさんは脱サラ。この通りに決めて店舗を1年待った。斜め向かいもメガネ店。大手や楽天との競争もある。「徹底的にサービスする」と決めた。近所の人や子供が入ってきた。ちょっとした修理はサービスで、私のサングラスも無料だった。ご近所密着型のコミュニティビジネス。開店のとき妻が描いてくれた絵が飾ってある。早期退職の夫への励まし。会社勤務の妻も50歳で早期退職した。
2006.07.16
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横浜西口の果物屋でアンズを見かけた。じつはアンズを待っていた。昨年、ブランデーに漬けたアンズが、予想をはるかに超える美味しさだったので、今年も漬けることにしたのだ。二週間前、とろとろあんずの最後の一個を食べてた。スーパーや酒屋さんでVO一升瓶をさがしていた。これがどこにもない。パックの果実用ならスーパーにあったがちがう。昨日、酒屋さんに訊ねたら、値段をきいておくといわれた。ただし6本単位で買わなければいけない。楽天を調べたら640mlならあった。でも昔ながらの一升瓶が欲しい。
2006.07.15
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楽天で買った青森ヒバ油で、板に試し塗りした。朝からいい香りで、オイルの色も赤く美しい。気に入ったので大缶を注文することにした。そのヒバの香りに誘われ、青森ヒバのお得用チップを小分けした。ふさわしいネットを買ってきたかったが、間に合わないので、洗濯ネットに入れた。小袋はあとでお風呂に入れる。大袋は押入れというか収納スペースに置く。あとはピロケース。いい気持で眠れるだろう。
2006.07.13
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蒸し暑くて上着を取り、ノースリーブになった。ポケットティッシュを配る人たちのいる、横浜西口の雑踏。ハンズの入口が涼しげに見えた。ミニ盆栽のディスプレイのせいだ。へえ、ちょっといいもんだなあ!手入れするオニイサンのそばで、のぞきこむ。というふうになる経緯があるのだ。田舎暮らしの家の周囲には、小さな木芽がたくさん生えている。かわいい野草もある。こんな草花や木を都会の人に送ってあげたい。散策のたびに思う。NHK「趣味の園芸」の柳生慎吾クンは、寄せ植えの雑木林を作っていた。テキストに、落葉を楽しめると書いてあった。こんなふうにできたら喜ばれるなあと思うばかりで、進展がない。庭に少々、移植してみた程度。これ以上、芸を増やしてどうするの!とまた友に叱られる。
2006.07.12
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午前4時に起きてから、ちょっと胸がドキドキ、ときめいている。出版社がアピールする帯には「妻よ! 小説よ! 文学の最前線を走りつづけてきた作家の、残光に照らされた「いま」の輝き、九十歳の最新長編」とある。昨日、楽天から届いた『残光』(小島信夫 新潮社)はまだ表紙も開いていない。開いたら一気に読みたいからだ。今もPCのそばに置いているのに、まだ開かない。きょう午前8時に開く。むかし帝国ホテルのロビーでよく待ち合わせした。今朝のときめきに近い感情を秘めてときどき回転扉を見た。待たれるのが嫌いで、待つことが多かった。エレベーターで上ったバーで、夜の車列を見た。ずり上がるスカートの裾を、そっと引っ張った。
2006.07.12
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*田舎暮らしの家に行けば、道端の野苺が食べられる。NTTが整備を進めている新IP通信網が開放されるらしい。電話とPCと携帯とをIP網に直接接続するとかで、素人考えにも、思考回路がなにかこうすっきりする。電源コンセントに差しこむだけでPCがつながるなど、すでに開発されているらしいが、光ケーブルでTVがやってくるとか、ケーブルでも電波でもいいから、まとめて一つにしてほしい。通信系頭脳に欠ける私には、電気ブレーカー、家電、セキュリティ、PC、電話等々の回路の混雑を交通整理したいのである。
2006.07.11
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道路沿いに七夕飾りをした神社があった。ごく小さな神殿に、数坪程度の境内だが、小ぶりな鳥居がある。それでも3人の男女がパイプ椅子に掛けて控えている。お参りしようと小銭入れを開くが、十円玉3枚しかない。100円玉が欲しいが、あとは1万円。千円札でもあればお祭りだし、たまにはそちらでカンパしたいが、それもない。赤硬貨3枚をチャリンと投げ入れた。お祭り係の3人に会釈して去ろうとしたとき、「お神酒を」と呼び止められた。日本酒を飲む習慣はないが、これが美味しいのである。お酒通の呑気のん兵衛さんを思い出した。立松和平は、乞われて北海道に複合神社のようなものを作ったらしい(日経新聞)。よろずの神の国・日本だし、好きな神社をつくってみたい気がした。たとえば水の神と称する神社とか。一神教に固執する危険は外国で立証済み。他をも受け入れる寛容のない社会は息苦しい。
2006.07.10
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里山暮らし、ときどきスペイン『里山暮らし、ときどきスペイン』を出版した中川璃々さんの楽天日記を、欠かさずというくらい愛読してきた。活字が大きいので読みやすく、語り口がまさに語りかける口調で、じつは不特定多数の人に向けて書いているのだが、読む側は自分にだけ話しかけてくれているような親しみをおぼえる文章である。楽天日記のほうは「どんなもんだい鶴巻温泉」で、鶴巻温泉を賞賛している。その影響で鶴巻温泉へ移住する人も現れ、両国の隠居さん(出版請負業?)までが居を移し、大騒ぎの顛末が、これまた楽天日記で拝読できるおもしろさだった。これまで本は、出版社が出して売るものだった。自費出版もあったが、個人が本を出しても売るすべがなかった。100万、200万かけても「座敷に本を積み上げて」という状況だった。インターネットの普及が、その枠を破った。企画出版も自費出版も、同じ土俵で勝負する。大手出版社は新聞広告を出し、個人出版者はブログで超スピード口コミ宣伝する。本書もまっち」さん(大阪暮らし、ときどき木曾)など、楽天日記で紹介している。私もこうして感想文を書こうとする。営業の世界では、紹介・口コミがもっとも強い。「あの人がいいと言うのだから、いいにちがいない」「あの人が買ったのだから大丈夫だろう」この信頼。璃々さんの本を読むのはこれからだが、写真と「スペイン」が多い。「ときどきスペイン」ではないようだ。むかし闘牛士の小説を読んだ。
2006.07.04
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