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城山三郎氏をご存知でしょうか?「落日燃ゆ」の作品や「硫黄島に死す」などの作品で知られる、名古屋市生まれの作家です。城山三郎はペンネームですが、名古屋市栄町に生まれ、結婚後に名古屋市の東「城山町」に引っ越ししたことで、「城山」に決めたそうです。(詳細は最後にあります・・)先日、仕事の合間に立ち寄った本屋さん。新刊本の棚のなかで、眼を引かれた本がありました。どうせあちらへは手ぶらで行く 「これからは、鈍鈍楽楽で生きる」 とても、心に響く言葉です!思わず気になって手にして作家の名前を見ると・・「城山三郎」著者彼がなくなる晩年まで書き綴った日記でした。執筆しつつも、著者の孤愁の日々。耐え難い悲しみ、老いとの葛藤、限られた命の自覚。そして柔らかな軽みの境地。最愛の妻が倒れる前年から最晩年まで、自らを励ますように綴られた9年間の感動の記録です。亡き妻の回想本。「そうか もう君はいないのか」 昨年発売後、ベストセラーになったもうひとつの本です。 「そうか、もう君はいないのか」 。 奥様のがん告知、 医師からの宣告は余命3か月でした。2000年(平成12年) 2月24日。奥様が亡くなられました。奥様がなくなられてから、城山氏の落胆は大きく、「どうせ・・」の日記全編には、奥様への愛惜と、一人で生きていくつらさが綴られています。心にぽっかり空いた洞は、誰にも・・たとえわが子でも、埋めることのできないものでした。2007年(平成19年)3月22日、城山三郎氏は急性肺炎のため亡くなられました。奥様「容子」さんが亡くなられてから、7年後です。。 緑濃しひとりの夏の重きこと、 緑濃し ひとりの夏をなんとせん (8月10日) 余生の指針 楽々鈍 何事も気にしない (楽々正論の楽、筋を通す。井上準之助が好んで色紙に書いた言葉。 「世間は欣ばず。楽しみは正論にあり」。世間が何を言おうと気にしない。 自分の楽しみは正しい論にあるということ。 鈍、鈍、楽、へ行くと、どんどん楽になる。楽々鈍鈍 (8月27日)まるで、自分を励ますように何度も日記に書いています。ますます高まる憂いと悟り、葛藤と老いを受け止めて、抗わず、よくも悪くも開き直る。何事にも煩わされず、心地よく、心地よく生きて行こう。力が入らぬのなら、力を抜いて生きていけばいい。(中略)晩年の心の支え。応援句。こうした日々を送りながら、どんなに要請があろうと、亡き妻物は書かぬと言っていた、城山氏が、奥様との出会いと結婚生活を「回想記」として書き始め、ひたすら打ち込んだ作品が、 「そうか君はもういないのか」でした。残念ながら、完成を目前にして、79歳で亡くなってしまいましたが・・。娘さんの紀子さんが未完のままの原稿を整理し、新潮社にお渡したそうです。次女紀子さんが寄せたあとがきは、「二冊の本」の最後にありますが、読んでいて、涙が流れてしまいました。この世の中、縁命で出会って、結婚して、ともに人生を過ごす。「五十億の中でただ、1人、おい、と呼べる」おまえ。夫婦の絆を、共に生きる素晴らしさを、教えてくれる感動の一冊です。そういえば芸能界のおしどり夫婦と呼ばれていた「長門宏之・南田洋子」夫妻。先日、南田洋子さんがなくなられました。認知症を長く患い、夫の長門さんは介護の日々でした。くも膜下出血で倒れられても、なお、泪をこらえ、舞台を勤め、元気な洋子さんでなければ洋子ではない、と言い切りながら、最後に、いっぱいのキスをしたと言います。50年以上夫婦であり続けたお2人。残された長門さん、洋子さんがなくなられた現実を、どう受け止め、この先をどう生きていくのでしょう?生命は永遠ではありません、どんな人にも必ず、別れが・・長く生きた夫婦にも別れがやってきます。その時になって、残された者は、どう生きていったらよいのでしょう。(若いときはさほど気にならないと思いますが)老いたとき、特に・・孤独と老いと・・をどう受け止めていけば良いのでしょう。2冊の本を読み終えて、夫婦が・家族が、共に生きる事、それは、「安らぎ」であり、、人生を生きるための応援歌になる、と言う事を感じました。時には「けんか」もしたり、「愚痴」「不満」も出てしまいますが、相手があってこそなんですね。応援歌(応援句)を教えていただきました。
October 22, 2009
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最近感じていることが今日のタイトルです。ちょっと難しいタイトルにしてしまったような気もしますが・・。本棚にある「貧困襲来」・・・湯浅誠 「広がる貧困」・・・・宇都宮健児×猪俣正×湯浅誠 を読み返してみた。内容は2006年当時のことなので、少し古くなっていますが、現在でもこの問題は深刻だと思う。けれど、現在、実際はどうなんだろう?と考えている。愛知県はトヨタショックにより、たくさんのの失業者を抱えた。どこのワローワークも職を求める人と、失業給付を求める人の数で大混雑。私の会社も、一日に何本もの、面接希望電話が鳴り、担当が必ず、一日に数人の面接をしている。年代は20代から60代。派遣切りされ、職を求めて来た人がほとんどです。人材として適材適所かどうかは別として、彼らの生活は国からどう支援されているのか?聞くところによると、住む処をなくした人は(失業とともに、寮を追い出された)シェルター(一時保護施設)に入りながら、求職活動を続ける。その間に保護申請を受けながら、各自治体の規定にあった家賃金額のアパートを見つけ入居をする。(派遣切りの人には特例で一年間県営住宅を特別家賃で提供する自治体もあるという。)入居の際の家賃の「保証人」は自治体が保証となり、引越し費用もすべて自治体から支払われる。こうして、「生活保護」を受けながら、求職活動を続ける。その間には「病院代」も「役所証明書」代金も無料との事。仕事が見つかった場合には、「就業報告」をして、(お給料の金額も報告)する。しかし、いつまでも生活保護を受けることはできない。生活保護の搾取もよく言われること。(ここからは、私の愚痴です。すいません)搾取するつもりはないのだ、と思いたいのですが、私の会社も、それに近いような人が面接にくるのです。「生活保護を受けています。」とはっきり言ってもらえたら、こちらも「では、採用決定になりましたら、雇用契約書を届出しておいてください」と言えますが、採用決定になって、試用期間中にいきなり、「実は・・」と言い出すのです。「生活保護を受けているから、収入を表に出さないようにできませんか?」「それは絶対できません」と返事しますが、「では、やめさせてください」です。事前に「前職確認」「身元確認」はするのですが、こればかりは・・確認しょうもありません。中には「生活保護」を受けながらも、結構良い(?)暮らししている人も見かけます。「生活保護」をうけながらも、以前、住んでいた家賃を滞納していて、知らん顔の人もいます。アパートを退去する際には、修繕費がかかります。「部屋のクリーニング代」「クロス張替え」等々、大家さんが催促しても、一円も支払わずに1年以上の家賃滞納もしているのです。入居時の契約で、彼の入居には連帯保証人もいるのですから、大家さんは連帯保証人にも請求しています。彼の言い分・・「生活保護」中なので余裕がありません。就職がきまったら支払いします。 たしかに、余裕がないのかもしれません。 生活保護支給金約12万円・・家賃 38000円・・残り82000円が生活費です。 しかも、彼は4級障害者(少し難聴)なので市バス・地下鉄は無料なのだそ う、病院代も無料。歯医者も足しげく通っています。 (無職なので時間はたっぷり在ります。) 誠意があるとしたら月500円でも支払う気持ちがほしいです。 (生活保護では借金の返済はしてはいけない事になっているとのことです。 借金のある場合は自己破産・借金整理してからの申請になるようです。) 彼の勤務態度はすこぶる評判が悪く、「人の話を聴かない」。「聞こえない」のではなく、「あきらかに「聴かない」のです。みんなは「都合耳」と言います。無断欠勤はするし、パチンコ大好きなんです。生活保護を受けている全員が全員、彼のような人ばかりではないとは思っていますが・・。実際、昨年6月から、約一年間、行き倒れになりそうだった彼を、預かり、毎日の生活を間近にみてきた私です。「生活保護」に甘えて、職を転々としてきた彼の勤務態度を見る限り、なんとも言いようのない怒りがこみ上げてくるのです。多くの中小企業が、厳しい経営環境にある中、「国税」(所得税」「消費税」「法人税」)納税は義務です。利益も出ない上状況・・で、必死に支払うのです。会社員も同じように、毎月支払われるお給料の中から「否応なく差し引き去れます」税金の無駄使いはよく言われるところですが、私達が必死に支払った税金ですが、このような生活保護の現実を、身近に見てしまうと、なんだか、とても寂しくなってきました。
October 11, 2009
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