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November 9, 2022
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カテゴリ: 政治

重大な岐路に立つ米国の自由民主主義

関西大学  会田 弘継 客員教授

9.11 同時多発テロから 20

国際社会での威信失う

——アルカイダによる 9.11 テロは、ニューヨークの世界貿易センタービル、ワシントンの防衛総省などを標的としました。ハイジャックされた旅客機が高層ビルに激突する映像はリアルタイムで放送され、世界中の人々に衝撃を与えました。会田教授は当時、共同通信の現役記者でしたが、どんなことを思い出されますか。

会田弘継客員教授 20 年前の事件の夜(米時間の朝)は東京本社で勤務中でした。その後、米国はアフガニスタン、イラクとの戦争に突入します。 1991 年の湾岸戦争報道を経験していた私は事件後、ワシントン支局長赴任を命じられ、米国側の動きや情報を一元的に集約し、報道する指揮をとることに。米国の推進する「テロとの戦い」、激動する国際情勢を、米政府・メディアの中心部で追い続ける日々となりました。

——事件が起きと当時は、米国一極体制の状況への激しい反発・反感が広がっていました。

会田 1990 年代の米港における新保守主義(ネオコン)の興隆が大きな要因だったといえます。そこには、 89 年の冷戦終結後、米国で出版され、世界的ベストセラーとなった思想書が深く関係しています。一つは、人類の政治思想は自由と民主主義に収斂していくと論じた政治学者フランシス・フクヤマ氏の著作『歴史の終わり』。もう一つは、フクヤマ氏の師であるサミュエル・ハンチントン氏(故人)が著した『文明の衝突』です。冷戦後には文明間の衝突が主な対立軸になるという主張でした。

ネオコンの知識人たちが冷戦後の世界を解釈する上で、二人の主張・議論は重要な役割を果たしたといえます。 2001 年に誕生するジョージ・ W ・ブッシュ政権を支えた、ディック・チェイニー副大統領やドラルド・ラムズフェルド国防長官など強硬派ナショナリスト(国家主義者)は、イラクをはじめ中東での民主化推進の理論的根拠にしました。実際には、その内容を期独・呉介していましたが、二つの思想的解釈は米外交に強く影響したと考えます。

——米国はイラクとの回線( 03 年)に際し、国際協調路線を拝し、武力外交も辞さない単独行動主義に向かいました。

会田  冷戦に勝利したという成功体験が米国の政策方針を歪めたのです。米国には〝勝者の奢り〟があったといえます。ブッシュ大統領は 03 5 月、空母エイブラハム・リンカーンの艦上でイラク戦争の終結を宣言しましたが、イラクの情勢はむしろ悪化し、米国の外交的威信は低下していきます。また国内では、テロとの戦いが長期化し、米国の関与する中、国民の間には、膨大な犠牲や戦費拡大への不満と政府への不信が次第に高まっていきました。

反グローバル化の拡大

——アフガニスタンではテロも起き、再び混乱が生まれています。 8 月末までに米軍が撤収を進める中、武装組織タリバンが各地を制圧しています。アフガンからの米軍撤収について、どう評価されますか。

会田  現在、米国を含む各国が自国民や協力者の退避を進めており、その模様は 46 年前のベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落しました。現在のアフガン撤退は残念ながら同じ失敗を繰り返していると考えられます。その理由は、簡単に言うと、民主化の強盛では非民主国家のレジーム・てぇんじ(体制転換)を実現できないということ。その国の文化や生活、思考様式に対する理解が乏しかったといえます。米国の対外的な印象も悪化しており、現時点では大きな痛手となっています。

—— 9.11 テロの要因として、米国主導によるグローバル化への反発もありましたが、世界経済の変化については、どう考察されますか。

会田  グローバリゼーションも 1990 年代に遡ると、その流れを理解しやすいでしょう。 95 年の WTO (世界貿易機関)発足に象徴されるように、冷戦終結後、西側の自由貿易体制が世界規模で展開していきます。ワシントン・コンセサス、すなわち米政府や IMF (国際通貨基金)、世界銀行がもつ経済政策の共通認識によって世界経済の一体化が進む一方、格差拡大などを生み、「米国主導の資本主義」に抗議する機運が世界的に高まっていました。 99 年末、西海岸のシアトルで開催された WHO 総会では、数万人が抗議デモに参加し、警察隊との衝突も生じました。

また 97 年から 98 年にかけて、アジア各国で通貨危機が勃発した時、 IMF が介入して難局を乗り切ろうとしましたが、それもワシントン・コンセサスの強要だとの批判が強まりました。

9.11 テロが起きた時、私は反グローバル化のうねりを直感的に想起しましたが、世界中の多くの識者・ジャーナリストも同様だったのではないでしょうか。

政治を動かす思想の力

——グローバリゼーションは米国の社会も変容させました。

会田  そもそもグローバリゼーションは、競争と効率性を重視する新自由主義が広がった帰結です。これは、共和党のロナルド・レーガン政権が 80 年代、小さな政府・規制緩和・自由貿易を中心とする経済政策に移行したことに始まります。本来ならば、米民主党が政策的な対抗軸を打ち出すべきでしたが、次のビル・クリントン政権は同じ路線をとります。民主党を支えていた労働組合の勢力が衰えてきたこともあり、大きな政府・福祉政策の路線から転換し、グローバル化の流れの中で繁栄している新産業の IT 業界、金融資本と結び付いていく。グローバリゼーションは米国経済を底上げしましたが、格差問題も深刻化させました。

一方、9 .11 が起きた 2001 年、中国が WHO に加盟します。これも米国内の格差拡大の重大な契機となりました。端的に言えば、 1970 年代以降、米国の産業構造が変化し、製造業は衰退していきました。中国が世界貿易体制に参加したことで、それが加速化したのです。

——職を失った白人中間層は不満を募らせ、ドナルド・トランプ大統領の誕生を後押ししました。

会田  そうです。反格差運動はそれ以前、 2008 年のリーマン・ショック(米投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻と世界金融危機)を機に、わき上がっていきました。この危機は、 9.11 テロと同様、世界に衝撃をもたらし、米政府は公的資金を用いて銀行を救済する一方で庶民は放置されました。格差は一層広がり、国民は深い失望に陥ったのです。

この 20 年で顕在化した課題は極めて重いといえます。米国では今、台頭する中国との対立があります。中国は権威主義のもと、〝独自の資本金〟を築きつつある。米中両国は、どちらの体制が優位化を競い合うことになりますが、状況は冷戦期より厳しい。東西両陣営に経済圏が分かれていた時と違い、米国は中国経済に依存し、経済力は相対的に低下しています。何より、米国の強みである国内問題を解決する力が衰えている。

米国の自由と民主主義は輝きを失ったとの見方がある一方、米国の識者の間ではリベラリズム(自由主義)を問い直す動きが見られます。建国以来、国家形成の基盤となった「財産(権)の追求、自由を基調とする個人主義」についても、個人主義を重視しすぎたことが政治や社会を行き詰らせた要因だという指摘があります。「思想こそが世界を動かす力だ( Ideas Have Consequenoes )」との言葉がありますが、共産主義と福祉政策を両立させた画期的なアイデアのように、格差問題をはじめ諸課題を解決する上で、米国の回復力を発揮させる新たな発想が求められます。

2021.8.30






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Last updated  November 9, 2022 06:18:59 AM
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