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信仰の現代中国
イアン・ジョンソン 著 秋元 由紀 訳
神戸大学教授 梶谷 懷 評
付きまとう「集団と個」の矛盾
国家と宗教との関係は難しい。欧米を始めとした近代国家の仕組みでは、宗教を私的な領域に押し込め、それとは異なる次元に公共空間を築くことで難しさを解消してきた。だが、理性によって宗教を「無害化」する近代的な解決法は、次第にその限界を見せ始めている。元首相の暗殺という衝撃的な事件の後、政治と宗教への巡る議論が巻き起こった日本に住む私たちは、そのことを身にしみて感じているはずだ。では、党と国家が一体化し、しばしば「政治」が人々の私的な領域まで介入してくる中国では、「宗教」「信仰」の問題はどのように扱われてきたのだろうか?
本書は、中国での豊富な長期滞在・調査の経験がある研究者が、急速な変化を遂げつつある 21 世紀の中国社会の様々な場面を、「侵攻」という共通の切り口で描いた濃厚なノンフィクションだ。人権派弁護士として当局から弾圧された経験を持つキリスト者、気孔の実践者としてカリスマ的な人気を誇る道教の伝道者、天安門事件で犠牲になった息子の追悼のため、清明節にその墓を訪れる女性など、本書は実に多数な信仰のかたちを扱っている。
それらの信仰を貫く共通点は、第一に、毛沢東時代を通じて政府から厳しい弾圧を受けてきたということ、第二に、そのご急成長を遂げた中国社会において、実質豊かさでは満たされない精神のよりどころを求める人々によってそれらが支えきた、という点である。
著書によれば、近年の中国政府は、宗教団体を制圧するよりも、むしろ取り込もうとする努力を強めてきた。著者は、これからの中国では、とくに仏教、儒教、道教といった「伝統的」宗教が勝者となるだろう、と指摘している。すなわち、政府はそれらの宗教が自らの政策に従うことと引き換えに、より大きな活動の余地を与える、というわけだ。しかし、そのことはまた、紙を唯一の権威とするキリスト教、特に地下教会での活動が大きな困難に直面していることの裏返しである。本書では、イスラム教の信仰については扱われていない。しかし、同じ一神教の信者として、本書に描かれたキリスト教信者と同様、もしくはより苛烈な状況におかれていることは想像に難くない。
原書が出版されたのは 2017 年だが、その後、外国人による中国社会の調査や取材はますます困難になってきている。おそらく、現在では本書のようなノンフィクション作品を外国人が描くことはほぼ不可能に近いだろう。だが、いかに権力集中がすすんだとしても、中国共産党には宗教の持つアポリアを根本的に解決することはできないだろう。「自分が死んだらどうなるのか」という根源的な問いに答えを与えるものは宗教しかなく、それゆえに宗教は人間社会につきまとう「集団と個」の矛盾を最もストレートに顕在化させるものだからだ。この矛盾がこれからの中国社会にどんな「裂け目」を生み出すのか。本書は、そのことを考える上での大きなヒントを与えてくれる。
◇
イアン・ジョンソン 1962 年、カナダ生まれ。米外交問題評議会のシニアフェロー。 2009 年から中国に滞在。 20 年、米中関係悪化の影響で退去。 01 年、法輪功に関する報道でピュリツァー賞を受賞。
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