日々のあぶく?

日々のあぶく?

October 8, 2005
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カテゴリ:
映画

映画での"まっ白な嘘"の使い方がイマイチで読むことに。
てか、それだけのために原作読む自分もなんかね…。まぁ、いいか。

親の離婚問題の末、母親に連れられ東京から母親の実家・鳥取に引っ越してきたタダシ。
祭りでその年の麒麟送子に選ばれた彼は知らず知らずの内に妖怪大戦争に巻き込まれていく。

川姫と加藤、アギの過去に踏み込んであるところは興味深い。
と、いうか、これ読んで映画見ると納得度が増すかも。
ヤマト衆に虐げられ、殺され、捨てられた先住民・鬼を捨てた穴(黄泉)にたまった恨み、怨念からヨモツモノは生まれた。
鬼とは恨みだけに凝り固まった魂の事。
ヨモツモノを率いる加藤に大昔に加担した川姫は敵対した人間(陰陽師)によって藁人形にされた。
藁人形にされると百年はその姿が解けない。
鳥刺しというのは(もとは)妖怪のことではなく、鳥占いをする巫女(人間)のことだった。
見えないモノが見える、選ばれた者は恨みを持たないため、ヨモツモノにならない(巫女など)。
"こっくりもっこり"という得体の知れない妖怪(またの名を「むくりこくり」といい、
この妖怪に狙われたら逃げられず、神隠しに遭って、こわいところへ連れて行かれるれしい)
この起源は”こーくりもーこ”(高句麗・蒙古)で、彼らの襲撃を恐れたことからこの妖怪が生まれた。
妖怪は怨むことをしない。
などなど。(一部は映画でも説明あったがメモとして載せる)

映画の方がより遊んでいて馬鹿馬鹿しい(良い意味で)。
ラストは映画だと小豆洗いがキーパーソンだが、本ではアギである。
笑いを取るかシリアスを取るか…映像的に笑えるようにしたのもまぁ、ありでしたな。
よりユーモラスに、という意味ではジィちゃんの存在も映画の方がより誇張されてたしな。

気になったまっ白な嘘については本の内容ならば納得。
本の冒頭でそれは分かるので書く。

…あの日、僕はまっ白な嘘をついた。
妖怪は、この世にいるの、いないの?
   ―いないよ。
あなたが好きなのは、母さん、それとも父さん?
   ―おかあさん。
まっ白な嘘は、おとなの始まりだった…

映画では佐田氏のために川姫の伝言を作る(伝言があると嘘をつく)。

麒麟送子というのは普通の大人になるための通過儀式の一つなのかもしれない。





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Last updated  October 8, 2005 08:50:48 PM


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