フランスの中等教育機関の教師だったジュール・ラニョーは、人生を教育にささげた。その授業は知識を与えるだけでなく、思索することを重視。生徒のための行動を惜しまなかった彼を、多くの若者が慕った。その一人が哲学者アランである。
病弱だったラニョーは、42歳の若さで生涯を閉じる。彼の「忠実な弟子」と公言していたアランは、ラニョーの講義草稿を出版し、師を高らかに宣揚した。作家アンドレ・モーロワは「アランはつねに偉大だが、師ラニョーについて語るとき、かれはつねにもまして偉大である」(佐貫健訳)と言った。
67年前の8月、戸田先生の信用組合の事業は行き詰まり、営業停止命令を受けた。当時、理事長だった恩師は辞任を余儀なくされる。給料は支払われず、社員は次々と辞めていく。「戸田の馬鹿野郎」と罵る者さえいた。
学会存亡の危機の中、ただ一人、池田先生は恩師の苦境を支えた。試練を一心不乱に戦い抜いた当時の日記に、こう綴る。「未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」。
師と同じ時を生き、師から学べることほどの幸福はない。師弟の出会いが刻まれた「8・14」から70年。報恩と誓願の新たな出発を開始する日である。
~~~~~~~~~聖教新聞名字の言より~~~~~~~~~
【今日は何の日】
★専売特許の日( 日本) 1885年8月14日に日本最初の専売特許が交付されたことに由来。特許第1号は堀田瑞松が出願していた「堀田錆止塗料及其塗法」(錆止め塗料とその塗り方)であった。この他に第7号までが認定される。
▲続日本後紀」完成(869)
▲仮名手本忠臣蔵、大坂で上演(1748)
▲商人・高田屋嘉兵衛、クナシリ沖でロシア艦に捕らえられるが、日本に抑留中だったロシア艦館長との交換によって翌年、釈放。この間、自ら交渉にあたり紛争解決に貢献(1812)
▲現在の北海道大学の母体となる札幌農学校、開校。W・クラークが教頭(1876)
▲サビ止め塗料、特許第一号を取得(1885)
▲御前会議でポツダム宣言受諾を決定(1945)
▲浅間山爆発(1947)
▲パキスタン独立(1947)
▲世界初の完全自動化銀行システムに住友銀行が成功(1967)
▲富士山砂走り登山道で落石事故。死者12人(1980)
▲東京・中野区、護憲・非核都市を宣言(1982)