国連教育科学文化機関(ユネスコ)が先月末、「世界の記憶」(世界記憶遺産)に「朝鮮通信使に関する記録」を登録したと発表した。
朝鮮通信使は江戸時代、朝鮮国王、回を重ねるにつれ、民間人による幅広い文化交流も行われた。
通信使の随員が宿泊する宿には、日が徳川将軍家に派遣した使節団。約200年間で12回、日本を訪れた。豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した国交を回復する形で始まった“国家間交流”だが本の学者や文人が訪ねて筆談し、詩を互いに披露するなどした。多くの人々が押しかけ、明け方まで随員が寝られなかったとの記録も残る。医師や画家同士の対話も行われたという(仲尾宏著『朝鮮通信使』岩波新書)。相互理解の裾野を広げたのは、こうした多彩な交流であった。
学会はこれまで、韓国や中国など各国に訪問団を派遣してきた。参加者からは「現地の人々と触れ合う中で、相手の国への印象が大きく変わった」との声を多く聞く。教育・芸術など諸分野でも交流を推進する。
「民衆は海だ。民衆交流の海原が開かれてこそ、あらゆる交流の船が行き交うことができる」と池田先生。時代や環境の変化に揺るがぬ「人間としての絆」を世界に広げていく。その積み重ねが、平和を築く確かな道である。
~~~~~~~~~聖教新聞名字の言より~~~~~~~~~
【今日は何の日】