2002/08/02
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「母の発達」を書いた後作者の母親はガンで死んだ。殺しても死なないお母さんが分裂して増殖し、「あ」から「ん」までのお母さん小噺を作れと娘に強要する母の話を作者の母も読んでいた。その後死んだ。因果関係などない。ただの偶然だ。その母の死の周辺で書かれたものが集められた短篇集。
 某ジャズコンサートにて隣に坐ったメガネをかけたおばさんが屁のようなゲップを繰返した時、思わず笙野頼子氏の顔が浮かんだことに今更申し訳ないような思いを抱いたり。この頃はまだ猫との関係が比較的穏やかだなと思ったり。映画館で映画を観る度に二週間眼科へ通わなければいけないという人が毎日ワープロ打つ仕事をしているのを不思議に思ったり。


 これを書いて少し涙が出てきたがすぐ止まった。「どんな不幸も飯のたね」と母以外の人間から笑って言われた。「母の発達を書いて親不孝とは思わなかったか」と滅多に行かない講演に行って、信頼する評論家に言われてしまった。作品の意図を言ったらすぐ判ってくれた。が、書く事は側にもし自分を全部受け止めてくれる誰がいてくれたとしても、また、仮に国民全体から尊敬されても、どんなに豪華な生活をしていたとしても、それでも永遠に自分以外の全てからの、誤解や弾圧との戦いに過ぎないのだと、再確認した。そしてまた、慣用句や安易な情動に流されない私の資質は、書く事に向いてはいても誰からも許されず受け入れられる事のないものかもしれないのだと。ありふれた冷たく幼稚なナルシズムしか、私の名かにはないのかもしれない。だがそんな欠点自体が私に作品を書かせるのではない。もしも作品の中に自己弁護があれば、それはまさに作品の、傷であり自分の不明だ。──生前、私と母は、ともかくどんなに離れていても癒着していた。母には私以外のものがいろいろあったが、私には母以外の人間はゼロであった。だから、仲は悪かった。母が死ぬ前から、母を失うのがどういう事か、母が自分にとってどんな存在か、そんな事は人に請われなくとも充分判っていた。母を失う日を覚悟していなければ、私はそもそも小説を書くどころか、生きている事さえ出来なかっただろう。


笙野頼子「時ノアゲアシ取リ―笙野頼子窯変小説集」(朝日新聞社)





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Last updated  2002/08/02 12:40:24 AM
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