2004/06/08
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カテゴリ: 国内小説感想
 水の張られ始めた田に落ちる雨音が実際の雨量の何倍もの大きさに聞こえる夜、立ち並ぶ家々の屋根と窓が人の顔のように見えた。同じ道でよく見かけた馴染みの猫をこの数ヶ月一度も見ていないことに気付いた。100円寿司屋の表に出してある「釜玉うどん」という旗の上端がめくれ、「金玉うどん」となっているのを見て感心した。
 主人公の吁希子は時折亡父に対面する。吁希子と父との関係は、父が死んでからようやく一人の人間と人間の関係になったようで、それまでは、幼い頃は父を恐れ、育つと共に父を軽んじるようになる、ごくごくありふれたものでしかなかった。
 これは父の幽霊との物語ではない。いよいよという時、ナニが縮まり亡くなる印象的な父の死の場面で、文字通り父は死ぬ。その後何度も現れる吁希子の父は吁希子の思い込みの中の存在でしかないかもしれず、実に存在感の薄い幽霊である。にもかかわらず吁希子は亡父の立てた三本の指を「三人までなら殺してもいい」と解釈し、次々と人を殺す。この展開、何故吁希子がその犠牲者を選んだのか。喧嘩に明け暮れていた夫を選ぶなら分かるが、何故母を、かつての恋人の幼い息子を、見ず知らずの男を、殺すのか、理由が解らずとまどう。何しろ突然のことで、どの殺人場面もリアリティがあり、そこに至るまでの経過も(第三の殺人は除く)ただの妄想とは言い難いほど現実の出来事であると見えるのに、家出した後、鍵を持たないので家に入れず夜中まで夫を待ち続ける場面が二度、全く同じ文章で繰り返されたりと、夢と現の狭間を文章が行き交う。起き出した後、細部を肉付けしなおし、夢の中の殺人場面を思い出すのに似ている。もっとも、そういうことをするのは殺人の夢の場合ではなく、もっと気持ちの良い夢の時だが。
 実家に帰り、今までしたことのなかった母との添寝の最中の会話の中、「孝行娘ねえ」という何でもないような母の言葉を「彼女はそれを肯定的に言われたものと受け取ることにし、母の最後の言葉にしようと思う」と決意するくだりは、その後行なわれる残酷な母殺しの場面よりも恐ろしい。
 母に何か読むものを、と訊ねられた時に河野多恵子の本だけは差し出してはいけない、というようなやりとりをどこかで見た覚えがある。それはきっと正しい。
 現実と非現実をもっとはっきりと分ける書き方をすれば、読者も混乱せずに済んだかもしれない。「単行本『不意の声』あとがき」を読むと、雑誌掲載時はもう少し違った形のものであったらしい。しかし「『同室の現実的なリアリティ』と読者の混乱とを思うあまり、いつの間にか主人公の真実と私の視線とのあいだに生じていた死角に気づいたのである。板挟みを克服するには、主人公の真実を生かし通すしかない。妥協や姑息な手段を拒否するしかない」という発見により、物語当初とは別の形で完成された。すっきり割り切れるものよりも、多少「?」マークのつく物語の方が、心には残る。


講談社文芸文庫 1993年





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Last updated  2004/06/08 07:33:15 PM
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