お久しぶりです。。。
東日本大震災から、2週間が経とうとしています。
こうしてPCにむかう事すら、
後ろめたいような、申し訳ないような気持ちになってしまい・・・
日記に時間のかかる私は、
なかなか更新する気になれませんでした。
この度の地震 ・ 津波で、命を落とされた方や、そのご家族。
不安な避難所生活をされている方々。
心から、お悔やみ、そしてお見舞い申し上げます。
また、命がけで、
福島原発の復旧のため、
働いてくださってる方々やご家族のことを想うと・・・
ありがたく、言葉に詰まります。
今、わたしにできるのは、
確かなところへの義援金かと想い、
郵便局から、 日本赤十字社 へ振込みさせて貰いました。
また、市やJAを通じて、
物資や野菜をお送りすることになったので、
微力ですが、我が家も協力させていただきました。
少しでも、お役にたちますように。。。
更新もしてないのに、ご訪問くださったみなさん。
メッセージを頂いた、
せつこマ~マさん、藍夢わーるどさん。
ありがとう!!!
とっても嬉しかったです。。。
そんな中、
3月19日(土)、実父が他界しました。
85歳で、心臓病だった父。
今まで3回救急車で運ばれましたが、
その度に不屈の精神で持ち直し、実家でのひとり暮らしに拘っていました。
ここ3~4年は落ち着いていたのですが、
震災のニュースを見て心を痛め、
不眠になり、食べ物もあまりうけつけなくなって・・・ 13日に緊急入院。
私も、3日間泊り、父の横で付き添いました。
協力してくれた、主人や家族に感謝の気持ちでいっぱいです。
一時はおかゆが食べられるまで回復しましたが、
19日の夜、急変。
電話を貰い、
主人 ・ 息子とともに駆けつけた時には、亡くなった直後でした。
父の手は、まだ温かく、
今まで多くの方をおくられたであろう看護師さんが、
「眠られてるように綺麗で、驚きました」
と言ってくださったほど、安らかな最期でした。
泊っていた時は、
「水が飲みたい! 酸素マスクが鬱陶しい!!」と、
我儘を言って困らせた父。
でも、娘だからこそ、本音を言って甘えられたのかな?!と。
お二人の看護師さんと共に、
父の体を清め、うっすらお化粧もしました。
父が入院する前日、
ぽーちゃんを連れて実家を訪れた時のことです。
「もう帰ろうか」と車へ向かっていると、
「ぽーねぇ、じぃじ、すき。。。」 2歳の娘がポツリとつぶやきました。
「じゃ~、もう一回じぃじのところ行く?!」 「うんっ♪」と。
「じぃじ、バイバイ。。。」
そう言って、父のほっぺにチュッ。
これは、
あんまり可愛かったので、「もう一回して!」と頼み、撮った写真です。
小さいながら、なにか感じたのかな?!
孫が大好きだった父。
最後の、そして最高のプレゼントになりました。
亡くなった夜は、
葬祭センターの方に無理を言って、
大好きだった自宅のベッドで、いつものように寝かせていただきました。
翌日(日曜)が通夜、その翌日(祝日)に告別式。
まるで、参列してくださる方を想い、休日を選んだかのような・・・
生前、
なるべく人に迷惑をかけたくなかった、父らしい最期でした。
お骨を実家でひとりにはできないので、
四十九日の間は、主人の実家に寄せて貰ってます。
お墓ができて落ち着けば、そちらに収める予定。
大好きだった、タバコやロールケーキ。
笑った時の口元がうりふたつな息子は、 言わなくても、朝晩ちゃんと手を合わせます。
ぽーちゃんも「じぃじ、おはよう♪」と。
愛する2人の孫の中で、じぃちゃんが生き続けてくれますように。。。
父がお世話になっていた、2人のヘルパーさん。
車で30分以上かけ、主人の実家まで、お線香をあげにきてくれました。
父も、さぞ喜んでいることでしょう。。。
お父さん。
44歳の時に私が産まれてから、ずっと見守ってくれてありがとう。。。
幼い時、母に叱られ外に出されると、迎えにきてくれたね。
反抗した私は、思春期あまり話さなかったけど・・・
私が結婚し、孫ができ、
月1で薬を貰いに行く車中で、い~っぱい話せたこと。
たまには、 父と向かい合わせのランチ 。
そんな時間を共にし、また、仲良くなれた気がします。
お父さんの娘に産まれて良かったよ。
これからも、孫の成長を、遠い空から見守っていてね。
たくさんの想い出を、ありがとう。。。
心から、ありがとう。。。
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