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このブログを読んで下さった皆様へ。ご承知の通り、KEIKOは平成25年3月30日、朝6時43分永眠致しました。親族を代表して、皆様にご挨拶申し上げます。今まで応援して頂き、ありがとうございました。皆様の御多幸をお祈り申し上げます。
2013年05月12日
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何と何と、一昨日からまた入院しています。私の三大嫌なもの、発熱、痛み、息苦しさ、が出てきたので診て貰ったら、即入院手配されてしまいました (T_T) という訳で、ここ一、二週間、頂いていたメールやお手紙には、体調不良で全くお返事できていません。申し訳ありません。 m(__)m 俺様になるって決めたのに、気の小さい俺様なのです。とにかく理由を述べて、謝ってしまわなければ、気が済まない。わかっていただけますか? (:_;) ま、そんな中途半端な俺様ですが、二日ばかりの治療で、何か少し元気が出てきたので、またポチポチとブログを書いてみようかな。 それは、今月始めの出来事だったんです。 エムコとヒロシくんの新居の事です。 普段仕事で全くプライベートな動きができないヒロシくん。 なのでエムコが物件を探します。 その都度私も一緒に見に行って、一杯写真もヒロシくんに送って、相談する日々でした。 エムコは、物件を探せば探す程、自分の理想が現実的でない、と感じるようになって行ったようです。 駅近は高いのにほとんどがLPガス、しかもお風呂に追い炊き機能なし。 理想に近い物件は築20年以上。 そんな中、暮らしやすいお店が入ってる物件は、バス便ではあるけれど、今までで最高クラスに見えました。 システムキッチンもお風呂も内装もエアコンも全部交換してくれるとの事です。 ヒロシくんに報告し、その日ヒロシくんさえ気に入れば、契約にしよう、と、書類も揃え、仲介会社の方や大家さんも集まりました。 少し早く着いた私達は、周りのお店をチェックしたり、バス停を確認したり、外観上危険はないか見たりしていました。 大家さんが交換箇所を説明してくれ、それもとても良い条件のように思えました。 あとはヒロシくんの返事待ちです。 すると、ヒロシくんは、 「申し訳ないですが、ここには決められないです。」 って言ったんですよ。 ええ~~! みんなヒロシを二度見です! 担当者さんは顔色を変え、エムコは部屋の隅までヒロシを引きずって行き、 「いったい何が気にいらないのよ!」 と、襟首掴まんばかりの剣幕。。。 ここが他所に決まっちゃったらまた一から探し直しだよ、出来るの? と聞くと、 はい、決めます!との事。 結局、その物件は諦めました。 エムコは、思わぬ頑固者のヒロシに大層ご立腹でしたが、ヒロシの主張にも耳を傾ける点がありました。 対面式キッチンはいいけれど、あんな狭いリビングで、すぐに生まれる赤ちゃんのものは置けるの? どうやってご飯食べるんだよ 私は二人の間に入らないよう、注意をしていましたが、母親がついていながら、なかなかいい物件にめぐり逢えないものだなぁ。 あんなに宇宙にオーダーしたのになぁ。 と、すっかりくたびれ果てていました。 もう暗くなってきました。エムコは、ヒロシがこの地域がどんな所なのかわからないから、わがままを言い出すんだ。今からこれ以上の物件を探しに行こう、と言いました。 そしたらね、 約3時間後、 理想のおうちが見つかったんですよ。 そのおうちを見に行った時の、二人の興奮ぶりと喜びの表情は、写真にバッチリ写っています。 エムコが一番に宇宙にオーダーし、その後諦めてしまった条件とは 「新築」です。 都市ガス、追い炊き、対面キッチン、広いウォークインクローゼット、駅近、オートロック、などなど贅沢すぎる物件です。 エムコはヒロシ、妥協しないで思いを貫いてくれてありがとう!と感謝していました。 人との出会いも家との出会いも、何とも不思議なご縁ですけれど、 私は今回、自分の思いを強く出しすぎたのかなぁ、と反省です。 まずは若い二人が決める事。そこを忘れていたのかも知れないなぁ。 でもね、二人は昼休みや夜中、良くも飽きないなぁ、という位話し合っていますよ。 そうして、少しずつ夫婦らしくなっていくのかな。
2013年03月13日
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またまた続きです。 さて、いよいよ週末がやってきました。 息子が大阪から戻ってきました。 エムコと彼氏君はどんな風に話し合い、この日を迎える準備をしたんでしょうか。たった数日間だし、結構離れているから平日には会えない二人です。 メールや電話で一杯話したのでしょうね。 二人は駅そばにあるホテルのラウンジで息子を待っていました。 そこで一時間位話した後、病室の私にメールが入りました。 これから三人でお母さんの所に行くから、と。 パジャマの私は、髪を整える位しか身支度はできませんが、 ドキドキしながら三人を待っていました。 現れた彼氏君は初めて見るスーツ姿でした。 日曜日なのに、お誂え向きに、談話室は誰もいません。 談話室に入る時、こっそり息子に、どうだった?と小声で聞いたら、 「やばい!俺マジ泣きそうになった」 って、やっぱり小声で答えました。 テーブルに着き、挨拶を済ませると、彼氏君とエムコは立ち上がり、彼氏君の言葉が始まりました。 真剣に交際をしている事、 将来も二人でずっと手を取り合って頑張って行こうと思っている事、 今回、順番が逆になってしまった事を申し訳なく思っている事、 そんな思いを、しっかり語ってくれたのでした。 そして 「どうかエムコさんと結婚する事をお許し下さい。お願いします。」 と、二人は立ったまま、私に深々と頭を下げました。 正直、優しいばかりの若者と思っていた彼氏君に、私は本当にびっくりしてしまい、若いながらもしっかりと誠実な挨拶をしてくれて、 ああ、この二人ならきっとやっていける、という気持ちになりました。 私は何と返事をしたんだか、頭がぼぉーっとしていましたが、 「おめでとう!いい家族になろうね」 みたいな、福山雅治っぽい事でお返事したような気がします。 その後はずんずんと事が進み、翌日の成人式が休日でしたので、老人ホームのジイジに二人は挨拶に行ったのでした。 ジイジは大歓迎してくれ、赤ちゃんの事もとても喜んでくれたようです。 これで家族みんなが二人の結婚に向かい、ひとつになりました。思えばあっという間の事でしたね。 翌週は、彼氏君のお父様が手術、無事成功。 その翌週には彼氏君のお母様が、雪国から挨拶に来て下さいました。 リハビリ中のご主人がいらっしゃるので、とんぼ返りです。 じっくりお話したり、早速必要な役所関係の書類を確認したり、有意義な時間を過ごせました。 とても愛情深いお母様を感じる事ができました。 またすでにエムコとの間に、太いパイプのような信頼関係が生まれているようで、これも嬉しい事でした。 とにかく、私が何一つ出来ない状況で、エムコは良く頑張って彼氏君のお母様と連絡を取り合いながら、事務的な事は全部クリアしました。 これには私も驚きました。 一人じゃ何にもできない、あのグータラエムコが… 母が言っていた、早い方がいい、っていうのは、こういう事もあるのかもね。 若いからできないんじゃなくて、やらないからできない。 やらざるを得ない場面になれば、底力が湧いてくるっていうものです。 それにしても、この一連の大事な対面、ご挨拶、すべてが入院中の病院で行われた訳です。 本当ならきちんとした御席を設け、正装してお化粧して臨むべき所、私はせめて洗いたてのパジャマに顔を洗う、位の事しかできません。 しかも高熱と痛みで人相も悪かったはず。 あ~あ、、 娘の大事な日、私もきちんとお洒落したかったな。。。 絶対、ぜった~い元気になってやるぞ~!! 結婚式には優雅なエムコママで出席するんだから! 命についてのお話はここまでです。 プライバシー丸出しの日記だけど、私はどうしても書いておきたかった。 消えかけた命と授かった命が交錯し、同時に光を増したこの一ヶ月、忘れたくないからね。 ところで、今日、やっと色んな管を抜いた跡や傷が癒えて、今年最初のシャワーを浴びましたぁ (^O^)/ 気持ち良かった~! サッパリして久々に潤い一杯、人間に戻った気持ちになりましたよ。 今までシャンプーや体を拭くのはやってたけど、たっぷりお湯を浴びるのは最高に幸せ♪ 過酷なサバイバルゲームが終了しました~!って感じです。 おかげ様で、2/2(土曜日)退院が決まりました。 応援して下さった皆様に感謝申し上げます。 ありがとうございました。
2013年01月31日
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前回の続きです。 さて、では早速彼氏君に連絡だ! となったのですが、この日は仕事で夜まで電話が繋がらないとの事。 夜、直接電話で話す事に。 じゃあ、お兄ちゃんに報告だ!となりました。 エムコからの電話に大仰天の息子! 一昨日までうちに一緒にいて、彼氏君の事も当然話題になったり、写メ見せたり、仲の良さを私が話したりしていましたから、いつか会ったりする機会もあるかもとは思っていたでしょうが、まさかの急展開に電話の向こうでひっくり返っている姿まで目に浮かびました。 で、息子はエムコに、しっかり二人で話し合っておくように。 今週末また大阪からうちに帰るから、その時二人の思いを聞かせてくれ。 俺はこの家を代表して二人と話したい。 と伝えたそうです。 そう、私は入院中の身。息子は自分がしっかりしなければ、と思ってくれたようです。 この事の為に、また帰って来てくれるのか…頼もしいなぁ、と涙が出そうになりました。 それにね、息子は年末年始考えて、私と離れて暮らすのは余りにも心配、高齢のバアバとエムコに任せっきりで自分は何もできてない、と何度もゴメン、というのです。 で、年明けの仕事が始まる前に、上司に東京転勤の相談もしていてくれたのでした。簡単に行く事ではないし、でも上司も色々可能性や方法を考えてくれて嬉しかったそうです。 大阪で自由を満喫して、遊んでばかりいるけど、まあ仕事も一生懸命頑張っているみたいだし、若いんだから今のうちはのびのびしてていいと思っていた私は、息子が色々考えていてくれていたんだ、とまた胸が熱くなりましたよ。 そして、 あとの難関は、私の母と、老人ホームにいる亡夫の父です。 (亡夫の母は認知症が進んでしまっています) あー、おうちのバアバにいつ報告しよう… 今うちでバアバと二人きりだから、超気まずいよぉ、どうしよう…、とエムコ。 うーん、お母さんがいないからねぇ。 せめて三人でいる時に話したいよねぇ。 と、その場では結論が出なかったのですが、翌日、あっさりと解決しました。 翌日、見舞いに来てくれた母は、心配して私にこんな話をしました。 「エムコがね、様子が変なんだよ。時々換気扇の所で煙草を吸っていたでしょ? それが、帰って来た日からピタッと止めてしまってるの。 もしかして、あちらにいる時何かあったんじゃないかしら。」 さすが母です。 異変に敏感です。 私は、これは今話すべきだ、エムコはここにいないけれど、と気持ちが決まりました。 おめでたを知った母は、びっくりしてしばらく複雑な表情を見せていました。 そりゃそうですよね。当たり前です。 でも、すぐ 「早い方がいいね。」 と言いました。 なんでわざわざこんな大変な時に… という思いもあったでしょうけれど、 今、この時に起こるべくして起こった、とも言えます。 家族が弱っている時に授かった命。 やって来てくれた命。 私も早くて良かったのだ、という気持ちになれました。 今授かった事にきっと意味があるって。 さて、 一方の彼氏君宅でもこの一大事に、あっという間に家族がひとつになったのだそうです。 あの晩、エムコからのおめでたの報告に、すっかり慌てた彼氏君。二人の気持ちはずっと前から決まっていたようでしたが、急におめでたの事実を告げられた若者。 どんな心境になるものか、少しわかる気持ちもします。 彼氏君は、 「とにかく、落ち着いて考えてみたいから、一旦電話切らせて。」 と言ったらしいです。 で、すぐお母さんやお兄ちゃんたちに連絡したらしいです。(お父様は入院中、しかも翌週手術予定) 何だってこんな時に! は、我が家同様ですよね。 でもね、前の日にみんなに会いに来た、あのエムコちゃん! 楽しく食事して、楽しく帰って行ったあのエムコちゃんとなら、異存あるわけないじゃないか! それより、勇気出して報告してきたエムコちゃんからの電話をなぜ途中で切ったんだ! なんですぐプロポーズしなかったんだ! ご家族はそんな風におっしゃって下さったと、後からエムコに聞きました。 彼氏君から、泣きながら、結婚しよう、っ電話がすぐあったって。 それもこれも、全部病室のベッドで、エムコとのメールのやり取りで知った事です。 続きます。(この日記は二日で書けたよ~。ちょっと回復してるかも)
2013年01月27日
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今日書く日記は、たぶん今までの中でも、一番真面目かつ不思議な内容だと思います。 一生懸命書いてみますね。 私が今回の入院をしたのは1/4でした。 せっかくのお正月に、高熱を出し、子供達にも心配をかけましたが、4日には息子も大阪に戻り、娘は雪国にある彼氏君の実家へ、初めてお邪魔しに出掛けていきました。 子供達が行ってしまった後、私は母と救急外来に行き、即、入院となりました。 つまり、私は子供達が知らない間に入院してしまった訳です。母には甘えっぱなし… 翌々日の日曜日、彼氏君の実家から戻ってきた娘のエムコが、私の病院にすっ飛んできました。 「お母さん、具合悪かったのに旅行行ったりしてごめんね」 と、真っ青な顔になっています。 「いいんだよ。少しでも早く治したくて救急外来で来たら、すぐ入院になっちゃって。でも翌日から一般診療が始まってめちゃめちゃ混むから、あの日すぐ行って良かったんだよ。 それより彼氏君ちは楽しかった? 」 「うん。みんな良い人達だった。すごく歓迎してくれて、美味しい郷土料理もごちそうになった。お父さんが入院中で大変なのに。 兄弟みんなにも親友にも会えて嬉しかった。お母さんが可愛がってくれて、手作りエプロンも貰ったよ。」 そう報告してくれた後、何だか私を見る目がいつもと違うのです。 「どうしたの?」 「何でもないよ」 「え~、でも何か言いたい事がある、って顔に書いてあるよ。」 「………」 娘が私を見る目が、人形のように感情をひそめているように思えました。 「もしかして、あなた妊娠しているの?」 そう聞くと、 目を大きく見開いて、じっと私を見つめました。 私の入院先に来る前に、何故かどうしても診てもらわなくては!と感じ、ここの産婦人科の救急外来で確認して貰ったそうです。エコー写真までありました。 エムコはまだ真っ青です。 私に殴られるとでも思ったのでしょう。 いつも、「できちゃった結婚は賛成できない」と、私は言い聞かせてきましたから。 でも、私はこんなふうに感じていました。面談室前のベンチに二人で座っているのだけれど、何だかオレンジの光をまとった人達が大勢いる。 その光でエムコが白く浮かび上がっている。 そして、こんな思いが沸き上がってきました。 もしかしたら、天使だ。 私の消えかけた命に、新鮮な息を吹き込んでくれる天使。 生きる意欲を目覚めさせてくれる天使。 おばあちゃん。 私をおばあちゃんにしてくれる。 孫を抱かせてくれる。 至福の喜びが湧いてきたのです。 「エムコ、あなたは産みたいの?」 大きくうなづくエムコ 「彼氏君にはもう言ったの?」 診察を受けて真っすぐ私の所へ来たからまだでした。 まずお母さんに言わなくちゃと思って、と。 私は、エムコと彼氏君二人の話し合いも大事とわかっていましたが、今の私自身の気持ちをエムコに伝えようと思いました。私はエムコの手を握って言いました。 「エムコ!腹を据えよう! お母さんみたいな、立派なお母さんになりなさい! 応援するから」 すると、エムコは大粒の涙をこぼしながら、ありがとう、と言いました。 お母さんがそんなふうに言ってくれると思ってなかったって。 やっぱり殴られると思ってたんだね。 続きます。
2013年01月26日
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今、身体も大変楽になり、痛みのコントロールもほぼ満足いく状態です。 あと一回抗がん剤治療をして、胸に入ってる管からの胸水が減ってくれば、そろそろ退院のお話も出るかな、と期待しているところです。 この期間、色んな事がありましたし、肉体的にも精神的にもしんどくて、心が壊れてしまいそうになる事もありました。 俺様キャラは、皆さん好意的に受け取って下さったけれど、実は俺様になるのもなかなか腹が据わってなければできるもんじゃない、という事も身に染みました。 言いたい事を言っていれば清々する、というもんではないのですね。 清々するどころか、こう思っている、と表明する事で、かえってえっ!そうだったのか!となり、新たな気持ちのささくれがあちこちに発生する、という事もわかりました。 いい人でいれば、何てことなくやり過ごせる事も、俺様になったとたん、あちこちから風が吹いてきて、色々ぶつかってきた~、みたいな感じ。 でもせっかくなので、俺様キャラは続けますよ。言いたい事を我慢せずに飾らず言う事で、自分や周りがどう変わっていくか、それも興味ありますし、 まあ何でも学びですね。 起こったすべての出来事、出会って下さったすべての方々に感謝申し上げます。 それにしても、看護師さんって、本当に尊敬します。 身体は勿論、患者さん達の気持ちに寄り添い、励まし上手です。 私もどれだけ慰められ、励まされたことかわかりません。 この所熱が出ない、なんて些細な事を、殊の外喜んで下さって、凄い凄ーい♪良く頑張ったものね!と手を握ってくれたり、やったね!とハイタッチしてくれる男性看護師さん (ちょっと好みのタイプ!(^^)!) もいてくれて、やっぱり人は誉めて貰って、励まして貰って、喜んで貰って、そうして癒されていくのだなぁ、としみじみ実感しています。
2013年01月26日
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23日まで高熱が続いていましたが、おかげ様で良い方向にいきつつあります。 皆様の応援に、本当に感謝しています。 どんな抗生物質の点滴をしても下がらなかった熱が、19日の夜のステロイドとアルブミンの点滴と輸血でスッと下がり、翌日までぐっすりと眠れたのです。 翌朝はまるで生き返ったような爽快感でした。久しぶりにお腹もペコペコに減って、朝ご飯の美味しかった事♪♪ クリスマスから連日続いた発熱は29日続きましたから、熱がないってこんなに楽なんだ!っとどんなに感動したことか! その後数日間はまた何回か熱が振り返したりしていましたが、昨日からはもう出ていません。万歳するほど嬉しいです。 結局、どの検査でも病原菌が見つからなかった、という事は、やはり癌そのものの進行が原因であったようです。 私は先生のオススメする抗がん剤を断っていましたから、今後、どういう方針でいくのか、絶対抗がん剤を拒否するのか、決めなければなりませんでした。 せっかく自分に使える抗がん剤があるのにそれをやみくもに怖がり、結局つらい高熱で長期間苦しんだ、疲労困憊の日々。 結局家族皆や勤務先に迷惑をかけ、友人達に心配かけていました。 ならば、少しでも体が楽になる期間が長くなるように、抗がん剤で成育を抑える、という事は意味があるのではと思えてきました。 そんなお話を先生方としていました。で、私としてはかなり思い切った決断もしてしまいました。 ポートと言って、鎖骨下あたりの皮膚に、中心静脈カテーテルと500円玉位の薬注入口本体を埋め込む手術を受ける事にしたのです。 数ヶ月前からすすめられていましたが、冗談じゃないと思っていました。 自分の皮膚の下に異物を埋め込むなんて、絶対嫌だと思っていました。 でも今回、沢山の点滴をして、どんどんスムーズに入る血管が固くなり、刺し直しを繰り返し、血管にもダメージが増える一方だ、と感じる事がたびたびありました。 ポートが入っていれば、点滴の血管を探す必要もないし、太い静脈とすでに繋がっていますから、血管から薬剤が漏れだす事もありません。 今回みたいに栄養状態が悪い時の栄養剤にも抗生物質にも使えるんだそうです。 私は先生、私ポート入れて貰って、抗がん剤受ける事にします。と伝えました。 実際にはポート手術は発熱で三回延期になりましたが、おととい無事埋め込む事ができ、今日、そのポートを使って初めて、ハラヴェンとハーセプチンの治療を受けました。 ポートを入れる手術をする前は、怖くて仕方ありませんでしたが、実際手術が終了する頃には、私は覚悟が決まった気持ちになりました。それは清々しい位の気持ちでした。 車椅子で部屋に戻る途中、看護師さんとそんな話をしていたら、 「その葛藤が大事なんだそうですよ」 と言われました。 先生に言われた治療方法を、はいはいと受け身で受けるのと、悩んで苦しんで、自分で受けると決めたのでは、治療結果に違いが出るそうです。 やはり、人まかせではなく、自分の人生、自分で決めるんだ、という意思の力は大きいようですね。
2013年01月25日
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今年は自分自身の為に、時間もお金も使う!と俺様宣言した私ですが、早速俺様ぶりを発揮しています。 でもあんまり板についてない (^O^) そんな俺様からいくつか皆様にお願いがあります。 今、ケータイでブログ書いたり、いただいたコメントを嬉しく読んだりしていますが、私のケータイはオンボロなせいか、コメントのお返事が書けません。。 取り扱いもすっかり能力が衰え、少し文章を書くにも疲れてしまう、情けない俺様です。 同じく頂いたメールにもお返事が書けません。 返信不要、って添えて下さる方がほとんどだけど、本当にしばらくはお返事できないの。失礼をお詫びします。 俺様なんだから、お詫びなんかするな!と思って頂けたら嬉しいです。何せまだ俺様に慣れていないので… それから、家族以外の方には、自宅の母に電話で私の病状を問い合わせるのは控えていただきたいです。 私は大腿骨を骨折した母に、楽をして貰いたいから同居を決めました。 ところが、現状は楽をして貰うどころか、家事から何から頼んで、私の病状で心労をかけています。 お使いに出て、私の洗濯をし、ぷーちゃんの世話をして、痛む足を引きずりながら頑張っている母。一日何度も鳴る電話にも、慌てて出ている母を想像すると、私は申し訳なさで胸が張り裂けそうになります。きっと何度も同じ説明をしているのでしょうね。 わかって頂けますでしょうか? 次に、私は自分の感情にふたをするのはやめました。 特に怒りの感情です。 前回の日記でも、怒りや悲しみや苦しみを書きまくって、あれ?いつもと違うな~、と感じられたかも知れませんね。 実は数日前、大好きで大切な友人からメールを貰いました。 母に見舞いに行きたい、って申し出をして下さったのですが、母はお願いだから今はやめておいて、とお願いしました。 友人は、それでも、廊下の窓からのぞくだけでも良いから、とかおばさんと話すだけで良いから、と食い下がってね。でも母は、今は娘をつらくするだけだから、もう少し元気になってからにしてね、という話になったそうです。 確かにお見舞いは嬉しいし、おしゃべりが弾むのは楽しいものです。が、それは回復期に入ってからです。 また、突然来られた時の困惑。 もう一ヶ月もお風呂にも入れていません。くしゃくしゃのパジャマ姿。 昔テレビでタレントの寝込みを、ビデオカメラ持って撮影して面白がる、って番組がありましたが、気分はそんな感じです。 お見舞いは、本人が来て欲しい、と言うまで、是非待って下さいませんか そうそう、見舞いを断られたその彼女から来たメールに、私は目を疑いました。 「去年のうちに、けいこさんに会っておくべきでした。本当に後悔しています。」 ちょ!ちょ!ちょっと待てよ! するってぇと何かい? けいこさんの死に目に会えなくて残念だってこと? これからけいこさんは、どんどん悪くなっていく。って言いたい訳? 私の頭からは火柱が立ち、速攻返事を書きました。 そういう事を言われた人がどんな気持ちになるのか、絶対知って欲しいと思ったからです。 悪気がなくても人を傷つける事は誰しもありますが、私は自分の怒りの気持ちにふたをするつもりはないです。 だって私は今年は俺様だから。 友人には合計三通のメールを送りました。 最後のメールで私が書いたのは、 「私は元気になろうと思っています。どうか心配したりしないで下さい。こうなったら嬉しいな、という私の姿を思い描いてください。また笑顔でお会いしましょう」 いろいろ勝手なお願い読まされて、気分が良い訳ないと思います。ゴメンね。 でもこれは元気な状態の方にはわからない事だと思うから。今、痛みや熱を知っている、俺様からのアドバイスと思ってね。 勿論俺様は、元気を取り戻す気満々ですからね。 (今回の日記、書くのに三日かかったよ) (´Д`)
2013年01月19日
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昨日の朝、6時頃だったでしょうか。 採血に来た看護師さんが、私の熱い腕から血液を取ったあと、私の枕元にしゃがみこんで、じっと私をみつめて、 「こんなに長い事熱がさがらなくて、つらいね」 と小さな声で言ってくれました。 私は失礼な事に、名前も覚えてはいないのですけれど、 数時間前の真夜中にも、寒気で歯をガチガチ言わせてる私に、布団を足して、電気毛布をかけてくれた人と同じ人でした。 私は、つらいねといわれて、あー、本当、私つらいよ、つらかったよ、とやっと気づいた子供のようになってしまいました。 そして驚くべき事に、私は「おうちへ帰りたい」と、幼児のようにその看護師さんに訴えていました。 そして、次の瞬間には、私は55歳の主婦に意識の焦点が合ったみたいに、まくしたてていました。 「どんな検査をどれだけやっても、結果がでて来ないんじゃ帰れませんよね。」 「肺にも肝臓にも針も刺したし、少量残った水を引くため、また管も入れた。尿も啖も生検査できるのは全部やって、薬も色々変えて、こんなに使って貰ってるのに、なんで下がらないの…」 「病院にいたって同じだから、私もう家に帰ります」 と言ったと思ったら 「今こんな私が帰ったって、高齢の母と、体調の悪い娘の足手まといになるだけ。お使いも洗濯もできない、ご飯も作れない私は、このままじゃ帰れないんです。」 酔っ払いの屁理屈の様相を呈してきた… 「せめて熱だけ下げて下さい。そしたら私帰ります。」 そういって、私はぽろぽろ泣きだしました。 全くなんという事でしょう。 自分優先主義というのは、ずいぶんカッコ悪い感じ… 看護師さんは、そんな私を見捨てたりせず、じっと座ったまま 「そうだよね。元気になって家に帰りたいものね。ご家族もそのほうが嬉しいよね。誰にも相談できないでいたんだね。」 最後の一言で、私はまた一つ、連想ゲームのように思い出した事がありました。 今回の入院をしてすぐ、先生から提案がありました。 痛みどめとして毎日三回飲んでいたロキソニンは、胃を荒らすので、長期は使えません。なので、モルヒネ系のオキシコンチンを出します。入院中に、ベストな量の調整も出来たらと思っています。 それでも痛みが引かない時のために、レスキューと呼ばれる液体のモルヒネがあります。今回はオプソというのを出しておきますので、何度でもナースコールして貰っていいですよ。 といった内容でした。 はいわかりました、と私は返事をしましたけれど、私はわかりすぎるくらいわかっていました。 そろそろ亡くなって七年経つ夫が、最後に処方されていた薬だったからです。 食事も取れなくなり、水分も取れなくなり、自宅の介護ベッド(それでも当時は年齢が若いという理由で介護保険を払ってるのに介護保険が使えませんでした。当時は無我夢中でしたから、何も感じる余裕はありませんでした。) オキシコンチンとオプソを飲み始めて何ヶ月もしないで、もう飲み込む事が出来なくなった夫は肌に貼るパッチタイプのモルヒネに代わりました。それから、グーグー大いびきで眠ってばかりいて、時々夢かうつつか「頑張るぞう!」なんて言っていましたが、二週間ほどで旅立ちました。 まあ、私も言うなれば、最後の薬を渡された、とは思ってないですけど、間違いなく、夫が最後の苦しみの中で、私が渡した薬を、今度は私が飲む事になるのです。 お父さんは私が一生懸命お世話したけど、私は病院に来るのも先生と話をするのも、貰ったデータを分析したりするのも一人なんだよ。 なんだよ、サッサと先にいきやがって! (こんな事誰にも言えないよ。コソコソ) と堂々とブログに書く私… 後で薬剤師の先生に聞いた所、その時代には、先生方自体も使う事を怖がり、痛みのコントロールがうまくできていなかったようです。痛みさえなければ寿命も延びるというデータもあるようですから、私は大いにモルヒネの恩恵にあずかろうと思っています。 さて、久しぶりに自分のブログを携帯で見たら、なんにも日記を書いてないのに、随分たくさんの方々が訪れて下さってたんだな、とカウンターを見てびっくりしてしまいました。 ありがとうございます。 それとびっくりしたのは、自分の携帯の扱いスキルの著しい低下です。高熱が続いているせいにしたいのですが、本当に頭も悪くなってるもようです。時間も三倍もかかってます。 きっと、たま-にしか更新できません。お許しください。 あ、でも今年は自分最優先Year(別名俺様Year)だからよしとしよう。 それではみなさま、次回がいつになるか誰にもわかりませんが、ごきげんよう。良い夢見ましょうね o(^-^)o
2013年01月19日
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高熱がおさまらず、苦しくてたまらず、大学病院の一般診療が始まる前日、救急外来に行ったらそのまま入院になりました。 新年早々やらかしてしまいました(:_;) 我慢はしないと決めたのだから、もっと早く行ってれば良かった… まだ連日39度越えの発熱ですが、咳や啖の苦しさは和らいできています。 今回はテレビも見る気になれず、本もほとんど読まず、うとうと眠ってばかりいます。 でも、もうじき帰れると思うので、心配しないでね (^_-)-☆
2013年01月06日
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