【西洋陶器を求めて】 0
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にほんブログ村 愛知県刈谷市の御嶽神社。こちらでも、摩利支天の石像に出会えます。しかし、この摩利支天……。残念ながら、やる気がありません。弓を持つ姿もやる気なく、猪の上で立ち上がらず、どっしりまたがってしまっています。顔も1面のみで、まるで瞑想中の様な表情。驚くほど動きがありません。この摩利支天、戦う意思はないのでしょう。みなさんもこちらのブログで、いくつか摩利支天をご覧頂いたと思います。もはや摩利支天ツウのみなさん、この摩利支天の違い、おわかりですね。【 「あしたのジョー」は、ブタに乗っていましたね 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.07.14
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にほんブログ村 雨に降られ、石碑の摩利支天のみ。そんな私に、たくさんの同情のコメント、ありがとうございました。でも、ご心配は不要です。私が鯖弘法に気づかなかった、諸輪御岳神社。そこでは、摩利支天の石像にも出会っています。立派な摩利支天の石像です。摩利支天は、矢を弓につがえる前の御姿です。片足を上げ、躍動感があります。大柄の石像は避けられたはずの摩利支天。その大きな石像が、なぜあるのか?私なりに分かってきた気がしますので、また別の機会にお話します。【 完全装備 熱中症対策 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.07.10
コメント(36)
にほんブログ村 先回の諸輪御岳神社を参拝後も、周囲の神社仏閣を巡っています。鯖弘法の存在には、気づかないまま。諸輪御岳神社からでも1〜2キロ歩いた場所。そこには天道木 不動明王堂があります。そしてその横には、摩利支天が祀られていました。ところがここに来て、激しいにわか雨。先ほどまで晴天でしたので、傘もありません。カメラを雨から守りつつ、撮影しました。やはり摩利支天は石像ではなく、石碑です。石碑には「摩利支天尊」と刻まれています。しかし、私は文字だけの摩利支天には、あまり興味がありません。また白體龍王も祀られていました。激しい雨に、これ以上の探索は断念。摩利支天の石像に会えず、鯖弘法の見逃しにも気づかず、激しい雨に濡れながら、トボトボと戻って行ったのでした。【 晴雨兼用傘なら万能? 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.07.07
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にほんブログ村 なぜ摩利支天の石像が少ないか?その続きです。摩利支天の彫像は、とても小さく作られました。それはなぜか?摩利支天は、密かに信仰するのが良いとされたからです。摩利支天は、太陽や月の光、そして陽炎(かげろう)の化身です。つまり、捕らえどころがありません。武士が摩利支天を密かに持てば、「護身」のご利益があるとされました。そこで武士は、小さな摩利支天の像を、マゲの中に隠し持ったと言われます。多くの武士は、摩利支天信仰を隠しました。楠木正成、毛利元就、山本勘助、前田利家など、摩利支天信仰が知られる武将はわずかです。護身のため、隠し持たれた摩利支天の小像。当然、持ち運べない大きな摩利支天の石像は、あるべき姿ではありません。そんな異端の摩利支天の石像に、私は魅かれてしまうのです。*名古屋市天白区平針の御嶽神社の摩利支天の石像。この石像は、3面ではなく、1面。様々な摩利支天があり、興味が尽きません。【 猪突猛進! (安眠できる?) 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.05.21
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にほんブログ村 名古屋市天白区平針5丁目。整備された幹線道路や高架道路に隠れるようにして、小さな御嶽神社があります。この御嶽神社にも、摩利支天の石像があります。以前、摩利支天の文字板はあっても、石像は少ないと書きました。なぜ、摩利支天の石像が少ないのか?その理由がわかりました。理由は、経典『摩利支天経』に記されています。『摩利支天経』には、摩利支天の彫像のあるべき姿が記されています。その経典では、「彫像の材質は、金、銀、銅や香木とすること。 彫像の長さは、半寸、または一寸、または二寸以下が良い。」とあります。経典が定める摩利支天の彫像は、半寸から二寸以下。つまり約1cm5mmから6cm以下の、とても小さな彫像です。材質を石として、ましてや大きな摩利支天の彫像を祀ること。これは経典の定めから外れた、推奨外の摩利支天の祀り方です。そのため、大きな摩利支天の石像は多くはありません。さらに摩利支天の石像が少ない理由がありますが、それは次回の記事でお話します。【 推奨外と言われてもねぇ・・・ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.05.19
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にほんブログ村 武士に守護神として信仰された、摩利支天。摩利支天は女神です。次の写真は、岩崎御嶽社で撮影した摩利支天。以前に紹介した石像とは、別の石像。3面あると、弓が引きにくそうです。顔の付近を拡大しましょう。中央は矢の狙いをつけていますが、左の顔はとても嫌そう。左の顔は、弓を引く邪魔になっています。しかも目を閉じています。摩利支天は戦わない。真の姿は、平和を願うやさしい女神。この石像を見ると、そう感じるのです。【 根付 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.03.22
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にほんブログ村 摩利支天の石像。愛知県日進町の岩崎御嶽社にあります。この摩利支天は3面ではなく、1面です。摩利支天は陽炎(かげろう)の神格化と以前にご紹介しました。陽炎はすぐに消え、追って捕まりません。その様子が、イノシシに例えられました。傍には、仙人の様な石像もあります。無数の石像やコンクリート像がある岩崎御嶽社。石像好きには、興味が尽きることはありません。【 pole pole いのしし親子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.02.23
コメント(50)
にほんブログ村 実は、馬頭観音以上に、長く気にかけている石像があります。それは、摩利支天の石像。摩利支天の姿が刻まれた石像は、少数しか出会っていません。次の写真は、岩崎御嶽社で撮影した瓦。摩利支天は、実体のない陽炎(かげろう)を神格化した神様です。摩利支天は眷属のイノシシに乗り、弓を引きます。摩利支天には、開運・護身・勝利のご利益があります。戦国武将に人気でした。陽炎は捕えたり、傷つけたりできないため。摩利支天は、山本勘助(武田軍),毛利元就,立花道雪(大友軍)らに信仰されました。戦国時代の史跡が多い愛知県。そこで摩利支天のあまり出会えないのは、よほど巡りが悪いのでしょう。まさに勝負運が悪いのかもしれません。【 摩利支天 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.01.27
コメント(38)
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