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「ダックコール」(ハヤカワ文庫 稲見一良)野鳥と猟に関する小説の短編集である。第四回山本周五郎賞受賞作。この中のとくに「密猟志願」を読みながら夢想に耽った。映画になればいいと思った。経理畑一筋、不正とは全く無縁の世界で生きてきた初老の男がいる。ガンで余命半年といわれながら二度の手術に耐え、余生を送っているときに「密猟」に魅了される。男らしさ、五感のすべてを使う仕事、獲る、奪う、そして盗むという毒の「こ惑」!!彼は仕事を辞めていたので、金と時間は有り余るほどあったが、川べりで猟をするという技術はなかった。そんなとき、まるで男が夢見た理想の姿を具現化したような少年に出会う。男は少年から密猟の技術を学ぶ。男と少年の奇妙な友情。やがて二人は、一世一代、痛快な「密猟」を思いつく‥‥‥。男は緒方拳が演じてほしい。少年はだれも見たことがない、戦後ガードレール下でたくましく生きていたような子供を発掘してほしい。ほかの登場人物では、密猟の舞台の強欲な地主に往年の悪役スターを。男と少年の理解者で、老人施設の老女に岸恵子。舞台はできたら、作者も住んでいたという花見川オールロケ。きちんと監修者を配置して、猟の描写と美味しそうなカモ料理はリアルに。最後の大密猟は空撮も駆使しながら思いきりスリリングに撮る。男と少年と老女の勝利のディナーは桜の舞う川べりを選ぶ。ラストは原作とは少し変える。原作でも少年の住んでいる家は明かされていない。いつもローラースケートでトラックなどの後ろにくっつき、隣町から来ていたという。大密猟の後いっこうに現れない少年に業をいやし、男は少年が一言漏らした言葉を頼りに隣町に行ってみる。その家は廃屋になっていて、家族は海難事故で全員死んだということが分かる。少年は二度と現れることはなかった。男はつうに去られてしまった「夕鶴」の与ひょうのように嘆き悲しむ。そのご、病院の検査結果で男にガン再発の知らせがやってくる。胸の癌の影だといわれる画像を見て、男はニヤリと呟く。「 見つけた」そこには、最初の猟の時に取り逃がしたカモの姿があった。
2007年12月17日
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尾崎 放哉(おざき ほうさい、1885年- 1926年)の最新句集を読んだ。「尾崎 放哉句集」(岩波文庫 池内紀編)96年に、師匠の井泉水の物置小屋で発見された添削前の200種ばかりの句も、新たに選ばれている。尾崎放哉(ウィキより)1902年 - 鳥取県立第一中学校卒業 第一高等学校(一高)文科に入学 1909年 - 東京帝国大学法科大学政治学科を卒業 通信社に入社 1911年 - 東洋生命保険株式会社に就職 契約課に所属 1914年 - 東洋生命保険大阪支店次長として赴任 1915年 - 東京本社に帰任する「層雲」に寄稿 1921年 - 契約課課長を罷免される この年の暮れ頃東洋生命保険を退職する 1922年 - 新創設の朝鮮火災海上保険に支配人として朝鮮に赴任 1923年 - 「層雲」への寄稿を再開する 罷免される 満州に赴き再起を期すも肋膜炎悪化のため入院、手記「無量寿仏」を口述筆記する 一燈園へ 1924年3月 - 知恩院塔頭常称院の寺男となる 6月 - 知恩院塔頭常称院から須磨寺大師堂へ入る 1925年5月 - 福井県小浜常高寺の寺男となる 7月 - 常高寺を去る 8月 - 小豆島霊場第五十八番札所西光寺奥の院南郷庵に入る 1926年4月7日 - 南郷庵に死す 死因は癒着性肋膜炎湿性咽喉カタル 戒名大空放哉 居士 まさにエリートの挫折を絵に描いたような人生。酒を飲んで暴れたらしいが、何が彼をそうさせたのかは私は知らない。現代ならば、うつ病の治療をしながら、滅んでいくタイプだろうが、大正末期の彼は自由律の俳句を作りながら、最後の三年で文学史に残る俳人になる。編者の池内紀より新たに知ったことが二つ。ひとつは放哉の名の由来。彼は東京大学に入学した年、従妹の沢芳衛に結婚を申し込んだが、親類が医学的理由で反対する。放哉は「芳衛」への思慕を「放つ」意味から名付けたらしい。彼の「挫折」の大きなひとつだろう。晩年放哉は、一日十句、半年で1800句を作り、そのまま井泉水に送っていた。井泉水は俳句の世界の約束事により、その中の数句を選び、ときには添削をして同人誌に載せた。その俳句が放哉の死後有名になったのである。けれども、添削は例えばこのように行われていたことが今回わかる。有名なこんな句がある。口あけぬ蜆死んでいるこれは元の句はこうである。口あけぬ蜆淋しやつまり、抒情句がとたんに厳しい死の造型になったのである。しかしこれは決して共作ではない、俳句世界の約束事からも放哉のオリジナル性は変わらないと池内は言う。20年ほど前、私は小豆島南郷院を訪ねたことがある。小さな記念館として、死んだときのままその小さな庵は残されていた。海が少し見える小さい窓一つもつ今でも笠岡の神島などにも残っているし、全国的にもあるが、小豆島にも四国と同じように八十八ヶ所巡りの寺或いは庵があり、そのお遍路を待ってあがるわずかな収入で、少しの焼き米と焼き豆を食する生活。当然放哉は衰弱する。しかし彼はそのことを期待していたのである。「安定シテ死ヌ事ガ出来ル」エリートの挫折。壊れた心はどのように死に近づいていくかを、ひとつの典型として放哉の句に読むことが出来るような気がする。20年前、帰りのフェリーの中で涙が止まらなかった。放哉が哀れでならなかった。わがからだ焚火にうらおもてあぶる淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見るひげがのびた顔を火鉢の上にのつけるハンケチがまだ落ちて居る戻り道であつた豆を煮つめる自分の一日だつた鼠にジャガ芋を食べられ寝て居た蚊帳のなか稲妻を感じ死ぬだけが残つているアノ婆さんがまだ生きて居たお盆の墓道線香が折れる音も立てないわが肩につかまつて居る人に眼ががない入れものが無い両手で受ける机の足が一本短い咳をしても一人墓のうらに廻るカタリコトリ夜の風がは入つて居る
2007年12月03日
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「狐笛のかなた」上橋菜穂子 新潮文庫解説の金原端人は勾玉シリーズの萩原規子、十二国記シリーズの小野不由美、そして守り人シリーズの上橋菜穂子の3人を日本のファンタジー作家三羽烏と呼んでいるらしい。「指輪物語」に触発されて、独自の世界を築き上げ、なおかつ和製テイストを守っているという意味で、この三人は確かに三羽烏なのだろう。なぜ、宮部みゆきが入っていないのか。「ブレイブストーリー」などを読むと、独自の世界構築にはまだまだ程遠い。たぶん正解なのだろう。金原はその3人の中で、上橋が筆力、膂力、迫力という点では突出している、と言う。ほか二人を読んだことがないので分らない。タダ、独自の世界は構築出来ている。元は人類学者だという。この物語に現れる、の描写は、まさに彼女ならではのものだろう。これは彼女の処女作。これに続く、守り人シリーズもすこしづつ文庫になってきた。ちょっと読んでみようかな、と思う。
2007年11月19日
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「猟犬探偵」稲見一良 光文社文庫前作「セントメリーのリボン」から登場した猟犬探偵、竜門卓シリーズのみを扱った四編の短篇が収められている。犬が好きな人にとっては、たまらない短編集なのだろうと思う。と、同時にハードボイルド好きにとっても唸る短編集。つまり「高い矜持と職業的使命感の持ち主で、強者に対してはどこまでも強く、弱者に対しては底抜けにやさしくなれる。また他人の親切に対しては、最大限の誠意を持って報いる」(解説者郷原宏の言)男の物語である。この連作は一編一編独立をしてはいるが、一方では前作の登場人物が思い出したように出てきたりするので、基本的には「セントメリー」→「猟犬探偵」と読むのがよろしかろうと思う。本作で一番好きな一編は最後の「悪役と鳩」。おそらく遺作に最も近い時期に書かれたであろうに、中年男の初恋のような初々しさがある。この一編は無骨な男がブランコをこぎながら歌うこんな歌詞で締めくくられる。いのち短し恋せよ乙女朱き唇あせぬ間に熱き血潮の冷めぬ間に明日の月日はないものを‥‥‥
2007年11月16日
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手塚治虫傑作選「瀕死の地球を救え」手塚治虫全集は400巻ある。だからこそ、このようなアンソロジーも可能なのだろう。この本のことではないけれども、アンソロジーといえば、「華麗なるロック・ホーム 」(河出文庫―手塚治虫漫画劇場)という文庫本がある。手塚はスターシステムを採っていたので、 このようなアンソロジーも可能だったのだ。ただし、このシリーズ、ヒゲオヤジやランプも出たが、この本が白眉だった。ロックの名前は「バンパイヤ」の悪役で一挙に有名になったが、実は彼のデビューは「ロック冒険記」の主役であり、少年スターだった。しかしやがてケン一くんにほとんど主役の座を取られるようになり、この一作で「マクベス」の悪を借り、間久部禄朗として悪役スターとして再生を図る。以後「人間的な」悪役として手塚マンガでさまざまな活躍をするようになる。このアンソロジーには、枚数の関係で入っていないが、「火の鳥未来編」では核戦争の放射能の嵐の中、最後に残った人類として死ぬ場面がある。助演男優賞ものであった。話がずれた。この本は環境をテーマにした手塚のアンソロジーである。「ガラスの地球を救え」という本の中で、手塚はこのように言っている。「地球は今、息も絶え絶えの星になってしまいました。」手塚の科学の眼はずいぶん前から環境破壊に目が行っていました。そして首尾一貫していました。それはこの本を読めば分ります。編者は明記されていないが、隠れた名作を発掘しています。この中で、「ブラックジャック」から二編、初期「鉄腕アトム」から一編が取られている。手塚作品は八割がた読んでいると思っていたが、初見あるいは全く忘れていた作品ばかりだった。「ブラックジャック」の「ジャンゴ」(1976)は一編の映画の原作にしてもOKの名作。「鉄腕アトム」の「赤いネコの巻」(1953)では、開発の名の下に武蔵野の自然を破壊することを告発しています。この本に、「海の姉弟」(1973)という作品が載っています。沖縄名護湾にある小さな漁村で海女をしながら仲良く暮らしていた姉弟の物語です。開発公社の社長を信頼し嫁に行った姉が開発のためにサンゴの海が死んでしまう、といって工事をとめるために海の中で死んでしまいます。弟は「だからぼくがだからぼくがいったんだ。ヤマトンチューに気を許すなって」といいながら助けに行きますが、時遅し。「だれも彼も出て行けーっ」「人殺しめーっ」と叫ぶ、写真で紹介したラスト場面で終わります。名護、ヤマトンチュー、二度と戻らないサンゴの海、人殺したち‥‥‥まるで現代の名護の辺野古の海のことを予見していたかのような作品です。本屋で10分もあれば立ち読みできます。手塚の奥の深さを知ることが出来るアンソロジーです。
2007年11月12日
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この本はニートとかが騒がれる前に小説に書かれた「無職」にまつわる短編集らしい。直木賞受賞作品。「プラナリア」(文春文庫 山本文緒)しかし表題の「プラナリア」はじつは無職がテーマではない。情緒不安定の女性が突然乳癌になる。手術が無事終わり、死への恐怖がまだ抜け切っていないのに、周りは必要以上に気を使い、あるいは一方では「もう終わったことなんだ」と言う。自分を理解してくれないことに不安を感じるそんな女性の物語。出てくる登場人物はみんな優しく、みんな自分勝手だ。だからみんなすこしづつ傷つけあう。いわゆる普通ことではある。けれども一般にその普通の生活が傷つけあいがヒートして破綻しないのは、これ以上すると破綻するということをみんな知っているから。しかし、この女性は、病気のせいか、性格のせいか、多分その両方なのだろうが、「わたし乳癌だから」と必要以上に大声で言うことで人間関係を破綻させる。それは彼女だけが悪いことなのだろうか。癌は今でも死の病だ。怖い。乳癌の克服率は高いといっても怖い。周りの人間は、本当はその癌に正面から向き合っていないのだと思う。卑怯なのだと思う。女性はそのことに気がついているのだ。ほかには「あいあるあした」のファンタジックでリアルな明るい終わり方が、なんということもなく、愛おしい。
2007年09月25日
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この作品は雑誌「小学四年生」に連載されたものを大幅加筆した文庫オリジナル版らしい。「くちぶえ番長」重松清 新潮文庫でも基本的には児童小説である。重松清の文庫は、無条件に買うことを自分に課している作家の一人なので、こういう本も読む。なおかつ、読んだ本と映画館で見た映画は全て記事にすることを自分に課しているので、当然ながら記事にする。こういう書き方をしたからといって、この本が失敗作なのではない。単に何でもかんでも手を出すことに言い訳を加えているだけなんですね。むしろ、いい作品だった。いや、なかなかいい作品だった。いじめはある。けれども小学四年だと彼らのいじめはまだまだ技術的に洗練されていないので、「くちぶえ番長」(注)みたいな強きをくじき、弱きを助けるタイプの女の子が出てきたら、軽々と吹っ飛ぶのではある。(注)当然作者はこの題名に「夕焼け番長」(荘司としお )というマンガを意識している。に違いない。当時流行っていた番長ものだけど、最後は夕焼けを見ながらなぜか涙するというセンチなところもある主人公なのである。しかし、この作品はほとんど今は市場に出回ってはいないので、読んだ人々は確実に日本マンガ文化史の歴史の薄い層の中に埋もれつつある。ちょっと浪花節、ちょっとわざとらしい。けれどもそんな物語も小学四年ならまだ有効なのかもしれない。私より二歳年下、岡山の県北で幼少期を過ごした重松清はまだそういうことも信じているのだろう。私のようにちょっとだけセンチだから‥‥‥。たった420円。電車の旅で2-3時間ほど手持ち無沙汰な時間ができたときなどに読むのにちょうどいい本ではある。
2007年09月17日
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「君たちはどう生きるか」(岩波文庫 吉野源三郎)この固い題名から小難しい理屈を並べた哲学書の類を想像してこの本を敬遠していた人がいるとしたら、その人は不幸である。こんなに面白い本はめったにあるものではない。少年が読んでも発見だらけの本であるが、大人が読んでも足元がすくわれるように、あなたを打ち負かすだろう。この本は山本有三編による「日本少年国民文庫」(1935~37)全16巻の最後の配本だった。「当時軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由は著しく制限され、労働運動や社会主義運動は、凶暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、1935年には、もう自由な執筆が困難になっておられました。その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたい、と思い立たれました。先生の考えでは、今日の少年少女こそ次の時代を背負う大切な人たちである。この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、何とかして伝えておかなければならないし、人類の進歩についての信念を今のうちに養っておかねばならない、と言うのでした。」と吉野源三郎は戦後版の作品解説に書いている。今の15歳が憲法国民投票の最初の世代になるということを考えると、山本有三先生の言はまるで現代の我々に諭しているかの如くである。当初はこの最終配本は山本有三が書く予定であったが、病気のためにそれが出来なくなり、編集者の吉野が責任を取る形で執筆をすることになったという。仕事の傍ら約半年をかけて書き上げたのが本書である。現代中学生にもわかるような平易な現代文。少年たちがすんなりと入ってこれるように、世界の見方(認識論)の一番根本的なところを少年の発見そして成長物語として描く。社会はどのように繋がっているのか。科学的な見方とは何か。貧困の問題。英雄とは何か。勇気とは何か。主体的に生きるとは何か。歴史と国と文化の関係。この本が岩波文庫に入ったのは1982年。吉野さんの死の直後です。解説として丸山真男の一文が載っていて、(これがまた、丸山研究の上でも重要な一文)貧乏問題については「現代では実感することが困難です」と書いている。しかし、2007年の今日、豆腐屋の浦川君よりもまだ一段と貧しく惨めな「階級」が存在し始めているというのは、なんという歴史的な皮肉だろうか。現代は回りまわって新たにこの本が必要とされている時代になりつつある。子供だけではない。大人もところどころ大きな問題を突きつけられます。特に第7章「石段の思い出」でのお母さんの思い出話は、鋭く私の内省を迫ります。叔父さんはあとで覚書ノートに書くのです。「人間が本来、人間同志調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいと感じることが出来よう。お互い愛し合い、お互いに好意をつくしあって生きてゆくべきものなのに、憎みあったり、敵対しあったりしなければいられないから、人間はそのことを不幸と感じ、そのために苦しむのだ。また、人間である以上、誰だって自分の才能を伸ばし、その才能に応じて働いてゆけるのが本当なのに、そうでない場合があるから、人間はそれを苦しいと感じ、やりきれなく思うのだ。」「僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。だから誤りを犯すこともある。しかしー僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。だから、誤りから立ち直ることも出来るのだ。」本当は今一度、新しい吉野源三郎が、新しい「君たちはどう生きるか」を書くことが求められている時代です。それは難しい仕事です。吉野さんを越える内容が書けるか、ということも然ることながら、情報があふれている現在、単なる少年ものの書籍として出版しても埋没してしまう恐れがあります。けれども、この内容はアニメとかではなかなか伝えきれないものです。「隣のとっとちゃん」みたいな大ベストセラーになれば、少年少女も知るのではないかとは思うのですが。次は「アリランの歌」についての読書感想文を書こうと思ったのですが、小田実さんのお亡くなりになった今、もう少し背景のことを知りたくなったので、もう少し後にします。(講談社新書「日中戦争」買いました)次回はたまりにたまった映画評。
2007年07月30日
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「相剋の森」集英社文庫 熊谷達也フリーライターの佐藤美佐子は熊狩りの取材を進めているうちに、いまだ残っているマタギ集団の「山は半分殺(の)してちょうどいい」という想いを知る。それは自然保護団体とは一線を画した想いではある。しかし私は、「邂逅の森」を読んだあとでは、そういうマタギの気持ちはよくわかる。「山を半分殺す代わりに、おのれも半分殺す、すなわち自分の欲も殺す」神聖な山を前に、時には命を賭けるマタギたちの正直な想いである。この本は「邂逅の森」より前の出版である。そして熊谷達也の「ウエンカムイの爪」の6年後の作である。「ウエンカムイ」で主人公だった吉本が成熟した動物写真家として現れる。「邂逅の森」の富冶と美佐子との思わぬ繋がりも明らかにされる。だから時系列としては「邂逅」→「ウエンカムイ」→「相剋」なのだが、もちろんそれぞれ独立した長編である。私としてはニヤッとしたり唸ったりした。どこに唸ったか、熊谷達也の作家としての文章が数年の間に驚くほど上手くなっている、と言うことに対してである。「ウエンカムイの爪」を読んだときは「熊の生態等の未知の世界を教えてくれる教養小説の一面と、それでも熊に魅せられていく主人公たちの心の奥を探る小説」「導入の緊張と中盤のたるみ、そして後半部の盛り上がりで、一気に読ませてもらった。処女長編とは思えない上手さではある。」とメモに書いてある。処女長編としては凄いが、荒さが目立った新人作家だった。しかしこの「相剋の森」になると、終始緊張感が持続し、「人と熊のかかわり」と言うテーマを現代を舞台にして描ききっている。全然だれがない。六年間の人の成長をまざまざと見た。しかし、「邂逅の森」にいたり、熊谷達也はさらに飛躍する。多分「相剋」を書いていたころは「邂逅」の構想はほぼ出来上がっていたはずだ。よく文章を練ったためか、構成や文章の上手さもこなれ、結局見事なエンタメになった。そして雰囲気として、いい意味での緊張とロマンがあふれ出した。人はこのようにある時期突然に変貌する。次回の「氷結の森」もどうやらちょいとばかりこれらの本の内容と被るところがあるらしい。 produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年07月07日
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今年のブックマイベストワンはすでに決まっている。北方「水滸伝」である。この本はもしかしたら、その次のベスト2になるかもしれない。読み終えた後しばらく放心した。何度も読み返す。小説を読む悦びのひと時を過ごす。「邂逅の森」文春文庫 熊谷達也明治半ばの東北、あるマタギ(熊追い猟師)の半生を描いた小説。一人の無骨で、しかし優しい、けれども自分では自覚していないか゛超人的なな能力をもったマタギという職業とその東北の自然、東北マタギの民俗を描ききって秀逸。例えば、こんな場面がある。主人公の富治は事情があって第一次世界大戦前後、当時最盛期を迎えていた鉱山に住んでいた。そこでひ弱な青年慎之介に出会う。富治は慎之介が鉱山の先輩から慰み者にされていることを知り、二度としないことを誓わせる。しかし、ある日また慎之介の犯されている場面に遭遇し先輩を血まみれにさせる。厳罰を覚悟していた富治だったが、意外にも鉱山から永久追放されたのは先輩たちであった。慎之介にも平安がおとづれたかのように見えたある朝、富治は周りには誰も見えないが遠くの森で慎之介が首をつっているのを目撃する。遠目が利く富治の目にははっきり見えるのだが、ほかの者には、回りの雑木に埋もれた桜の木そのものの判別がつかないらしい。富治は走り出した。ただならぬ状況を察した面々があとに続く。鉱夫たちを従えたまま、斜面を駆け下り、深い藪へ飛び込んでいく。下りきったところで、流れの速い沢にざぶざぶと分け入り、再び斜面を駆け上がる。富治のあとを追っていた鉱夫たちがあっという間に置き去りにされた。山を駆けるマタギの足についていける者はいない。体中を引っかき傷だらけにして走り続け、肺が破裂しそうになったところでようやく山桜の下に立った。見上げた先に、寝巻き姿で眼窩から目玉を飛び出させている慎之介がぶら下がっていた。事切れているのはわかっていた。それでも富治は、一刻も早くおろせば、息を吹き返すとばかりに桜によじ登り、慎之介を引き上げにかかった。そのとき、二人ぶんの体重を支えきれなくなった枝が根元から折れた。慎之介を抱えたまま、どうっと草むらの中に転落する。落ちていく間、富治は慎之介のかたらだを放さなかった。落下の衝撃で息がつまり、一瞬目の前が真っ暗になる。遺書があった。「約束ヲ守レナクテ御免ナサイ。僕ワ富治サンヲオ慕イ申シアゲテイマシタ。多分、好イテイタノダト思イヒマス。」長い引用をした。小説の場合、荒筋よりも文章が命だと思うからだ。富治の一生は平凡な「山の神様」を信奉するマタギのそれだとひと括りすることも出来る。けれどもその中にはこんなにも豊かな魅力がある。男の魅力があり、それに対する二人の女の一生もある。「直木賞」と「山本周五郎賞」を史上初めてダブル受賞。むべなるかな。男が男に惚れるような男である。そんな男を女は惚れるだろうか。少し気になる。
2007年06月30日
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沈みゆく夕日を眺めながらああ、世界はなんて美しいと、思うよりも大山の影立ち上がる謙作の迎えた朝日を見たい『暗夜行路』の末の夜明けを見たいってなことを書いたからといって、私が長編『暗夜行路』を読んでいるとは限らない。いや、実は読んでいる。しかし、ほとんど忘れた。うじうじと大人の男が悩む話であった。中学二年のときに、国語の先生が読書ノートをつける事を勧めていて、読書好きの私は片っ端から(ルパン、ホームズから宮本武蔵まで)書いて先生に見せていた。唯一国語の授業の中で褒めてくれたのがこの作品の感想だった。私としては有名な小説なので一応読んでおくか、ぐらいで読み始めたのだが、自分は誰の子供かとかで悩む話だったような気がする。「つまらない。」意地で読んでいると、最後の場面でやっと共感できる場面にぶつかった。それを書いたのだ。最後の場面は大山(岡山県と鳥取県の境の中国第一の山)からみた主人公の独白のあと少しエピソードがあって終わる。それに対し、「少し前に学校で登った大山登山のときにこの本を事前に読んでいたならば、そこから見える風景がまた違って見えたのに。」という感想だった。その感想のどこがいいのか、国語教師はしきりと褒めてくれた。おかげで何十年も経った今でも覚えている。後で考えると、私の感想『文』が素晴らしいのではなくて、その小説のその部分を取り上げたことに教師は感心したのであった。結局この長編小説はその最後のクライマックスが『肝』だったらしい。「謙作はふと、今見ている景色に、自分のいるこの大山がはっきりと影を映している事に気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上がって来ると、米子の町が急に見えだしたので初めて気付いたが、それは停止することなく、ちょうど地引網のように手繰られて来た。地をなめて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、そのまま、平地に眺められるのを希有(けう)の事とし、それから謙作は或る感動を受けた」。(『暗夜行路』志賀直哉)さて、どうしてそんなことを思い出したかというと、悪法が次々と通る国会の様子を眺めていると、なんだか今日の夕日がとても綺麗に見えたので、つい感傷に浸っていたのであるが、それでいいのだろうか、とふと思ったときに、この小説の朝日を思い出したというわけだ。出雲には綱引き神話がある。自分の国がみすぼらしいと感じた神は、一方の足を大山にかけて、朝鮮半島その他から土地を綱をかけて引っ張り込んだ。そういう発想は、大山の夜明けを見ながら、自分たちで自分たちの国を作るんだ、という気概から生まれたとしか思えない。志賀直哉の簡潔な文章は、そういうことさえ感じさせるものだろう。沈む夕日の世界で美しい国の感傷に浸る場合ではない。つまりはそういうことを言いたくて、最初の詩にもならない呟きになったわけです。
2007年06月22日
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「影踏み」横山秀夫 祥伝社文庫横山秀夫にしては「異色」といっていい点が二つある。主人公は警官でもなければ、新聞記者でもない。「ノビ師」と呼ばれる人の睡眠中を狙ってはいる泥棒である。よっぽどの度胸と技術、頭が必要とされる。もう一点は彼の頭の中には、家事で焼け死んだ弟が人格のみ棲みついていて、主人公と弟の会話でこの短編集が成り立っているのである。一種の二重人格であるが、弟は決して表面には出てこないので、それを知っているものは主人公以外は誰もいないし、物語の途中でそのことに気がつく人は誰もいない。ホームズの主人公に対して、弟がワトソンの役割を引き受けている。一方、弟と弟を火事心中の道連れにした母親を追い詰めたのは自分ではないかと思っている兄は、エリートの道を踏み外し、泥棒になる。けれども、頭はいいから、こだわりの事件は解決するわけだ。「兄弟愛」という言葉はおこがましいから使わない。このような趣向で、しかも一遍一遍が謎解きミステリになっている、のだから凄い。エンタメの王道を行く短篇連作である。produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年06月01日
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「重力ピエロ」伊坂幸太郎 新潮文庫死期が近い父親を看取る兄弟の話。伊坂幸太郎だから「3ひねり」ぐらいは当然している。世の中には、率直に自分の気持ちを言葉にすることにひどく臆病な人種がいる。(ある種の女性には理解できない感覚かもしれない)回り道をして、犯罪すれすれのことをして、危険な目にあって、ついには殺人を犯してでも、母親と父親のことを好きだ、と、言えない人種がいる。現実にいれば、新聞や週刊誌にあることないこと書き立てられるだろう。小説に書けば、また、ありえない話を書いていると笑われたり評価されたりするからたぶん伊坂幸太郎は小説を書いているのだろう。それに共感するこのようなブログ書きもやはり犯罪者すれすれのところにいるのかもしれない。produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年05月30日
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「送り火」 重松清今回の重松清の短編集の特徴は、いつものように家族の話をベースにしながら私鉄富士見線沿いを舞台にしているというところ、だけではない。どの話にもちょいとだけホラーがかかっているのである。中にはかなり怖い話もある。うーむ、やはりこの作家はエンタメ作家ではある。けれどもいつも時代とともに物語を作る作家でもあるので、登場人物は押しなべて「疲れている」。「こんな日本に誰がした!」といつかこの作家も叫びだすのではないか、という気さえしてくる。しかしそう叫ぶ前に、そんな自分を鏡の前で一時間ほど見つめてしまうタイプの人であり、叫ばない自分のずるさをそのまま作品にしてしまうタイプの作家なので、たぶんあと10年は叫ばないだろう。この作家が叫ぶようになったら日本はもうおしまいだ。今回気に入ったのは、9つのうち「フジミ荘奇譚」「ハードラックウーマン」「よーそろ」「シド・ヴィシャスから遠くはなれて」の四つ。
2007年05月22日
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「バッテリー6」角川文庫 あさのあつこ最終巻の文庫の表紙は予想通り原田巧でした。中学入学時から、中学二年へ。桜を見上げる原田の顔には一年前には見られない「やさしさ」があります。野球小説です。岡山の吉備路文学館ではつい最近まで「あさのあつこ展」をしていて、作者が「このボールを握ったり、見つめたりしながら、『バッテリー』を執筆していた」という軟式のボールが展示されていました。汗で黒ずんでいました。ここに出てくる登場人物たちはみんな丁寧に描かれる。プライドとか、心の揺らぎとか、将来への不安とか、本来の小説だと数ページあれば、見事な文章力さえあれば、数ページで描ききることが出来ることを、なん巻にも渡って描いている。「140gに満たない球にすべてを託す」野球少年たちの一日には、いろんな大切なことが詰まっていて、丁寧に描けば、6巻でも足りなかったのかもしれない。あの終わり方で正解だろう。(映画と同じ終わり方です。ただ、もちろん青波はベッドで兄を励まさないし、母親は野球場で無粋な応援はしません。)あさのあつこ展にあった作者の略歴より1954年 岡山県英田郡美作町に生まれる。1967年 中学入学。1年の時、シャーロックホームズの面白さに影響される。1970年 高校入学。1年の時、S・モームの『人間の絆』に衝撃。1977年 岡山市の小学校に臨時講師として就職。1991年 処女作、「ほたる館物語」出版。ホームズと「人間の絆」、エンタメと人間観察、彼女の作品の魅力の一端がわかるようなエピソードです。
2007年04月30日
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『幻夜』集英社文庫 東野圭吾解説の黒川博行がヨイショを書いている。曰く。「伏線の張り方が絶妙である」「ディティールが確かである。」後者はともかく、前者は私はそのようには感じなかった。黒川は例えばこのように言う。「『幻夜』は『白夜行』の第2部だが、そのつながりは巧妙に隠されている。だからまったく別の作品だといって差し支えないが、読者に対しては幾つかのヒントが提示されている。それを見つけて美冬の正体に気づいたときはとても嬉しかった。」書き振りからすると、中盤あたりの曽我のつぶやきのことを示しているのだろうが、私は第1章ですでに美冬の正体に確信を持った。それどころか、この小説の構成についても、1章である程度見当をつけた。そうなると小説というものはあまり面白くない。それでも結局最後まで読んでしまったのは、東野圭吾の文書つくりの巧さによるところ大であろう。第1章で私は何に気がついたか。それは「文体だ」とだけ云って置こう。70年代から90年代にかけて、二人の犯罪と昭和史を織り込んだ見事な『白夜行』には到底及ばない第2部であった。第3部の構想も作者はほのめかしているらしいが、そこまでやると喜劇である。止めたほうがいい。
2007年04月28日
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「10人の共犯者。 同じ組織の同じ課の部下。だが、彼らは果たして仲間といえるのだろうか。気持ちはバラバラだ。捜査一課という荒涼たる砂漠で、それぞれがもがき苦しみ、誰もがひとり生き残ることだけを考えて行動している。 」(P.198)「第3の時効」(集英社文庫 横山秀夫)これはF県警捜査一課長の田畑の独白である。現場たたき上げの刑事としては出世頭の彼であるが、心はぜんぜん休まらない。彼のもとにある三つの班は、どれもが彼の言うことを聞かない。しかし、検挙率はどれもがほぼ100%。一人一人がハイエナのように成果をねらっている。男の職場は戦場である。ということが多い。これは果たしていいことなのだろうか。良くないことなのだろうか。確かに戦いの結果は「出世」に結びついてはいる。しかしだからといって、男たちは出世の先の「お金」とか「安定」とかを目指して戦っているのだろうかというと、そこはおそらく違う。戦いの結果、案外「お金」を得ることには結びつかない。(第一今の時代、出世して昇給しても年間万単位であがるということはない。)しかも、ひとつの判断が、一人の男を潰したり、一人の人生を狂わせたりする。助け合いながら、仕事をすればいいじゃないか、と部外者は思うのかもしれない。しかし、情報戦が仕事の大半を担う彼らにとっては、それでは返って成果はいつも誰かに奪われるだけなのである。彼らを支えているものは何なのか。ひとつはプライドであろう。「矜持」という言い方のほうがあっているのかもしれない。その矛盾した中身を描きながら、実はいろんな仕事場に共通する「仕事」ということの中身について、読ませる小説群なのである。そのこととミステリの部分があいまって、私の好きなエンタメ小説になっている。
2007年04月05日
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一人のひとひとりの男(ひと)を通してたくさんの異性に逢いました男のやさしさも こわさも弱々しさも 強さもだめさ加減や ずるさも育ててくれた厳しい先生もかわいい幼児も美しさも信じられないポカでさえ見せるともなく全部見せて下さいました二十五年間見るともなく全部見てきましたなんて豊かなことだったでしょうたくさんの男(ひと)を知りながらついに一人の異性にさえ逢えない女(ひと)も多いのに詩集「歳月」(花神社)よりこの詩は、去年2月17日に亡くなった茨木のり子が、死ぬ前にご主人が死んで31年間の間に書きためた39篇の詩を編んだものである。死んだあと発見された「Y」(三浦安信のイニシャル)という箱の中に、きれいに清書された原稿、目次などが残っていたらしい。彼女は死後の公表を望んでいたようだ。「一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさい。」と甥には言っていたという。その気持ちは詩集を読んでみてよく分かる。なんて明けすけな 愛の詩集か!社会の中の夫の位置づけなど一切考えずに、まっすぐただ夫のことのみ見つめている。少女のような、淑女のような、女(おんな)のような、「二人だけの世界」がここにある。出版されてまだ一ヶ月と少ししか経っていない。私は生まれて初めて、個人の詩集の新刊本を買った。詩は、人々の間で何度も何度も暗誦され、引用されて、初めて生き始めるのだ、と私は思っている。この詩集の中の何篇かは、これから何度も何度も「自分の感受性くらい」のように引用されるに違いない。その前に読みたかったのだ。まだ誰にも引用されていない詩集の中から、一篇だけ自分の詩を選びたかったのだ。自分の感受性くらい、自分で守りたかったのだ。なぜ選んだのか、と問われれば「共感もあれば、憧れもある。今にして思えば、人生を変えた出来事だった。」とだけ云っておこうと思う。今日で朝日新聞の、大岡信の「折々のうた」の長い連載が終わった。二月に彼がこの詩集のことを紹介し、それではっと気がついて買い求めた。本当はUTSのコラムのテーマ「選ぶ」で、この詩のことについて書こうと思っていた。でもあまりに「あざとい」気がして止めた。「偏見を持とう」になった次第である。
2007年03月31日
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薔薇豪城さんの記事で漫画版の「蟹工船」が大学生協などでよく売れていることを知った。小説の漫画化は長編にならない場合は成功しないことが多い。(成功したのは「宮本武蔵」を漫画化した「バカボンド」あるいは鉄腕アトムの「プルートゥ」) この漫画の場合はぎりぎりのところだろうか。努力賞はあげることが出来る。 いい所は、原作では分かりにくかった方言を当時の地方性を残す程度に分かりやすい現代語に置き換え、時代性で分かり難いところを、絵の描写ということである程度描くことが出来たところである。結果非常に分かりやすくなった。 一方で、原作の中の息苦しさ、臭い、そして一番肝心な登場人物の感情が描きこみ不足もあり、不十分。もちろん、ページ数の制限もあるが、力量不足と取材不足もあるだろうと思う。「蟹工船」をこうやって改めて漫画で見ると、つくづく名作だと思う。ひとつの船の中に、無権利状態の労働者の命をモノとしか見ていない資本家、それを助ける政府陸軍、資本家におもねる労働者たち、そしてやがて労働意識に目覚める底辺の労働者、そして結果的に当時の日本そのものを重層的に描くことに成功している。そして非常に視覚的、映画的なのだ。抵抗の仕方はだんだんと進化する。途中までは個人で、やがては組織的なサボタージュ、そしてリーダーを中心とした船中を巻き込むストライキ、それを政府陸軍の介入により潰されると最終的には労働者一人一人の自覚のもとでのストライキへ。畳み掛けるようにラストに持っていく様は非常に映画的だ。一度映画化されているが、現代にもう一度映画化する意義は十分にあるだろうと思われる。この原作の中の、ワンカットワンカットを積み重ねる作り方や、群集シーンのモンタージュ理論の応用などはそのまま使えるだろう。惜しむらくはおそらく時代的制約もあったのだろう、最後のストライキの部分があまりにもあっさりとしているので、そこをきちんと描いてもらったなら、映画史に残るような力作になるかもしれない。描けるような監督はいるのだろうか。うーむ、それが問題だ。
2007年03月01日
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永島慎二の「黄色い涙」が映画になるという。彼にそれほどの想い入れはないのだが、分厚いわりには安い本(1,200円)なので、買って読んでみた。永島慎二の絵はしかし、意外にも私たちの世代には馴染み深いものになっている。彼が「柔道一直線」の絵を描いていたからだ。(原作は梶原一騎)私はそのマンガが最高潮の頃、中学校に入り柔道を始めた。当然二段投げ、地獄車、大噴火投げは試してみた。テレビの影響もあり、つま先でピアノを弾くということも話題にはなったが、さすがにこれは試したものはいない。(二段投げ等、試してみてわかったのは、「あんた、担いだ時点で勝っているがな」ということ)永島慎二の真骨頂はしかし、柔道マンガではなく、「漫画家残酷物語」や「フーテン」など、貧しい青年群像を描くことにあった。この作品にこんな場面がある。一間三畳の下宿に五人の若者が住んでいる。詩人を目指す井上はめかしこんで近くの喫茶店に出かける。残ったものは貴重な食費を削ってまで毎日喫茶店の女の子に逢いに行く彼を感心してこんな会話を交わす。「あすこはその昔ならコーヒー一杯50円だった。安かったなあ。」「今は80円だからな」「我々の食事代の二回分に当たる。」井上君の恋は、哀れ、ご想像の通り。一日の食事代120円というのは、60年代初めでもおそらく最低の生活だったと思われる。彼らには金がなく、仕事も時々にしかなく、将来の展望はほとんどなかった。けれども、現代のワーキングプアーと決定的に違うのは、楽天的であるということだ。彼らには「若さ」と「夢」があり、しかも60年代の始めの時代は彼らに全く「シンクロ」していた。この映画が現代に作られる意義はなんだろう。現代と変わっているここと変わっていないことは何だろう。「若さ」と「夢」は今の若者にもあるだろう。しかしそれを取り巻く「現実」は変わっている。60年代の初め、雇用は上向き、社会保障は年々充実していった。現代はその全く反対だ。このマンガには社会情勢は一切描かれていない。描く必要がなかったからである。同時代を描いていたので、すべては自明のことであった。村岡栄がセキと井上に出会ったとき、こんな感想を抱く。「二人とももう何日もまともなものも食べてなく‥‥‥自分の好きなものを推し進めるために満足にメシが食えないことがあってもまったくあたりまえなのだという顔つきだ。」彼らの顔つきには根拠があった。「夢」を犠牲にすれば「正社員」になれたのだ。そんな社会情勢を、現代との違いを明確に描かなかったらならば、この映画は「昔のワーキングプアには夢があった」などというかえって有害な映画になるだろう。
2007年02月23日
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「野上弥生子短篇集」(岩波文庫)05年末に九州の旅をした。そしてそのあとにこの本に出会った。この旅で純粋に観光をしたのは、唯一大分県臼杵の町である。私はそこで野上弥生子記念館を訪ねたあと、そう大きくない臼杵を散策し、雨で濡れた石畳を歩き、武家屋敷の細い路地を抜けていった。(PCの故障で写真データがすべて消滅したのがかえすがえすも残念だ)野上弥生子はこの短編集の「明月」の中で母親の骨を拾いに火葬場に行く路をこのように描写している。町を抜けて昔の士族屋敷の続く静かな通りにはいると、桜や、桃や、杏子や、椿の花が一軒一軒に咲いていた。以前「カリガリ博士」の映画で狭い板ばかりの町を見たとき、この一廓がふと思い出されたのであるが、路というよりも、もろい灰石の丘陵に穿たれた、屋根のない、急な、曲がったり折れたりした隧道に近かった。岩盤の路面に雨で叩き落された淡紅の花片も、迸り流れる小溝に渦巻く真っ赤な椿も、汚れがなく、土地の傾斜なりに並ぶ古風な武家の邸門や、白壁の塀や、女竹の端々した厚い垣根とともに目が覚めるほどに鮮麗であった。(245P)‥‥‥(^_^;)私の下手な写真よりもよっぽとイメージがわいたと思う。現在もほぼこのままだと思う。今から思えば、まるで箱庭のように美しい町だった。その町の造り酒屋の二階で古典に親しみながら、当時の最先端へ、東京への夢を膨らませていた15歳の少女は、1900年に上京し、ほぼ20世紀の末まで生きる。この短編集を読んで驚いた。ひとつひとつの文章が全く古臭くないのだ。「明月」の発表は1942年1月だが、女友達が三人集まって打ち明けるとっておきの怖い話「死」は1914年の作品。これも文章は「明月」と全く同じ現代文であり、現代人が読んでを必要とするような所はなく、事実無い。文体が新しいだけではない。作者の視線が現代的なのである。「哀しき少年」は1935年(昭和10年)の作品。小学生の隆は少し変わった少年だと思われていた。数学以外はなぜか勉強しようとしないのである。「僕いやなんだ。先生でたらめを教えるんだもの。」隆は思う。「修身ではいつも叱られているか、あてつけられている気がした。歴史でみんな楠木正行にならなければいけないと激励されると、隆は困ってしまった。彼には正成のようなお父さんはいなかったし、顔さえ覚えていないのだから。しかし手を上げてそういったら、睨みつけられた。」(147P)隆はその後中学に入り、軍事教練の授業から逃げだす。それだけの小説である。それだけだけど、そんな小説を1935年に書いていることに驚きを禁じえない。実は、読んでいるときはずーとこれは戦後の作品だと思っていた。「山姥」(1941年)は、北軽井沢の「鳥の巣のような小っぽけな家」の別荘でのエッセイ風な小説。最後に彼女は昨日書いた日記の「万物は流れる」という言葉の続きを考える。「今夜はその横に、 あんまり早く流れすぎる。と書きそえた。それは例の愚痴であった。それから一生懸命気の利いたことを書くつもりで、 その流れにたちて、もの想う葦よ。-と書いたが、その先をどう続けてよいかわからなくなった。それにおそろしく眠かったので、 賢くなれ、一本、一本、ただ賢くなれ。 この世界をよきもの、美しきものにする方法は、 それ以外にはない。 彼女はこんなことを乱暴に書いてペンを措き、床にもぐりこんだ。とろとろとする枕に、大きな、冷たい血なまぐさい宇宙が、音を立てて流れ込んだ。森の下の渓流が夢に入ったのである。」(214P)
2007年02月21日
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