この規模の神社としては人気があるのでしょうね。
人出が切れることが無かったです。
場所 世田谷 松陰神社
撮影日 2012(平成24年)1月2日
撮影機材 GXR P10 28-300 VC
松陰神社 (しょういんじんじゃ)とは、 江戸時代 末( 幕末 )の 思想家 ・ 教育者 である 吉田松陰 を祭神とする 神社 である。松陰の墓所がある 東京都 世田谷区 と、松陰の生誕地である 山口県 萩市 にある。どちらも、学問の神として崇敬を受ける。
東京都世田谷区 若林 に所在する。旧 社格 は 府社 。また、付近には 国士舘大学 (世田谷キャンパス)や 世田谷区役所 がある。 東急世田谷線 松陰神社前駅 下車。
鎮座地にはかつて 長州藩 主の別邸があった。松陰が 安政の大獄 で刑死した4年後の 文久 3年( 1863年 )、 高杉晋作 など松陰の門人によって 小塚原 の 回向院 にあった松陰の墓が当地に改葬された。 明治 15年( 1882年 )11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。
松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には 伊藤博文 、 木戸孝正 、 山縣有朋 、 桂太郎 、 乃木希典 、 井上馨 、 青木周蔵 などの名前が刻まれている。 松下村塾 を模造した建物、 頼三樹三郎 、 広沢真臣 らの墓もある。また、桂太郎の墓所も近くにある。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、慶応4年(明治元年)、 木戸孝允 がこれを修復整備した。墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。 敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあるが、案内が不十分なこともあり、参拝者は少ない。桂自身の遺言により、この地に埋葬された。
徳富蘆花 の「謀反論」でも書かれているが谷を挟んだ向こう側には 豪徳寺 がある。豪徳寺は吉田を刑死させた 安政の大獄 を起こした 井伊直弼 の寺である。
ウイキペデイアより