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プラナコーンキリの入口に到着したので登りますか。プラナコーンキリとは、ラマ4世がこのカオワンという山の上に建設した暑季用の王宮群の総称です。完成は1860年。地図がありました。私の現在地は右の一番下。カオワンは3つの頂きのある山で、地図右半分を占める山頂には王宮群、左中央の山頂に白い大仏塔、左下の山頂に寺院が建っています。左手に見えてきた受付で入場券を購入。20バーツでしたが、もしかしたら外国人は別料金かも。払ってから、あっ! て気が付きました(笑)登山道にもサルがうじゃうじゃいます。でも悪さをされるでもなく、大人しい印象ですね。ここは、馬や馬車を留め置いた施設のようです。今ではサルの遊び場と化していますが。「タイ語話せる~!?」突然遠くから叫ぶ女性の声が聞こえてきました。ジュース屋台のおばちゃんが私が登って来るのを目ざとく見つけて声をかけたのでした。ここまで登ってくるだけで汗ダクダクになって熱中症が心配だったのもあるので、飲み物を買ってあげますか。「今日は学校の新学期が始まって登って来る人が少ないのよ。 30人登って来て20人に断られちゃった」ジュースを1本買って21人目のお客さんになった私(笑)20バーツ也。「サルにチャーイェンあげてみない?」え? サルがチャーイェン(タイ・アイスティー)を飲むんですか?おばちゃんの商売にまんまとのせられ、さらに20バーツを払うと、おばちゃんはチェーイェンを地面にバシャーッとぶちまけます。なんだ、私にやらせてくれるんじゃないんだ。でも、サルが早速飛び寄ってきて、本当に飲み始めました!面白いモノを見せてもらいました。おばちゃんありがとう。なぜか私の年齢を尋ねるので答えたら、「あら、同い年じゃないの!」そ、そうなんだ… ^_^;)その先でメインの登山道から左へ分かれる道へ入ってみると、見晴らしのいい場所に出ました。ここは国王に謁見する上級官僚の待機所だったとのこと。左下には白い大きな仏塔のワット・マハータート・ウォーラウィハーンが、右の山頂に順路の終点になる寺院が見えています。うひゃー、結構遠いなあ。元に戻って再び登ります。正面に見えるのは衛兵の詰所だった建物で、現在はこのプラナコーンキリに関するパネル展示のスペースとして使われています。でも館内撮影禁止。その裏に王宮のメイン施設があるんですが、この時私はあの建物がそうとは知らず、さらに中国人観光客の団体さんの人だかりが見えたので近寄らずに通り過ぎてしまいました…。それよりもあのずっと先に見えた寺院に行きたくて気が早っていたというのもあるんですが…。ということで、大汗をかきながらさらにずんずん進んでいきます。途中で中国人グループを何度も追い抜いたりすれ違ったりしたんですが、なんでこんなに多いんですかね?ここの建築物は西洋文化を取り入れようとしていたラマ4世の考えを反映してネオクラッシック建築という西洋風のデザインになっているのですが、当時の職工らが中国から渡ってきた人達だったために、屋根瓦など随所に中国建築の影響が見られるんです。それで中国人に人気なんですかね?突然右手に階段が出現。見上げると仏塔があります。ここが真ん中の山頂かあ。登るとするか。そろそろ足に疲労が溜まり始めましたよー。山頂到着。誰もいなくて静寂に包まれています。プラタート・ジョームペットという名の高さ40メートルの仏塔で、仏舎利が収められているのだとか。脇には、ラマ9世ご夫妻が1971年に行幸した際の写真パネルが。ここまで登られたということですか。私なぞが弱音を吐いていちゃいけませんね。元の登山道というか遊歩道に戻り、最終地点の寺院目指してラストスパートです!<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:100バーツ※旅は2017年5月28日(日)に行いました。<参考>phranakhonkhiri "ประวัติพระนครคีรี"phranakhonkhiri "พระธาตุจอมเพชร"Wikipedia "อุทยานประวัติศาสตร์พระนครคีรี"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/12/04
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丸々2週間開いてしまいましたが、バンコク周辺1日旅シリーズを再開します!今回はもう十数年前からいつかは行きたいと思っていたペッチャブリーに向かいます。というのも、私がタイにおける外国人土地所有権に関する修士論文を執筆した中でペッチャブリーの名が出てきたので、この目で確かめたかったからなのです。まずはペッチャブリー県の位置をグーグルマップを拝借して説明しておきましょう。バンコク南西に位置し、タイ中部でもっとも南の県です。中心市街は、地図上ペッチャブリー県の枠内にある国道4号線を示す四角で囲まれた「4」の字の辺り。バンコクから130kmほどの距離にあり、今回目指すのもそこです。旅行実施日は2017年5月28日(日)。まずはBTSラーチャテーウィー駅からペッブリー通り沿いの最寄りのバス停まで歩き、そこからやってきた511番バスで新南バスターミナルまで向かいます。と思ったら、前面に「旧南ターミナル止まりの増発便」との表示が。まあいっか。ということで旧南バスターミナルに到着。初めて来たぞ。時刻は、09:06。あ、運賃メモるの忘れたので、交通費合計額はここからスタートにさせてください ^_^;)「旧」というぐらいだから何もないのかと思いきや、なんだ、立派に営業してるんじゃーん。様々な行先のロッ・トゥーのブースが並んでいる光景に思わずワクワクしてしまいました。ペッチャブリー行きロッ・トゥーは一番奥の正面にありました。32番ブース。市内まで行くか確認してから運賃100バーツを支払い、チケットを受け取ります。09:30発とのこと。椅子に座って待つように言われたので、無料トイレに入ってからそのとおりに。右から2番目のロッ・トゥーがペッチャブリー行きです。しばらくして運転手に促されたので乗車。09:33発。が、乗客は私一人…。そんなんで採算取れるのかなといぶかしく思っていたら、ロッ・トゥーは新南バスターミナルへ入って行くではないですか。「あっちの車に乗り換えて」と運転手。そういうことね。でも旧南バスターミナルを営業し続けている理由がさっぱり分からないんですが(笑)ということでほぼ満席の別の車に乗り換えて09:51再出発。苗木を積み込んだ男性に運転手が何の木かと尋ねています。ラムヤイだと男性。おお。道中とくに何もなく順調に飛ばしたロッ・トゥーがいよいよペッチャブリー市街に近づいたところで運転手にプラナコーンキーリーに行ってもらえるか尋ねると、終点がプラナコーンキーリーだと。え、市内には入らないの?ちょっと呑み込めなくて混乱していると、終点とやらに到着。時刻は、11:31。場所はここ(グーグルマップ)。地図で確認するとペッチャブリー市内から2kmあまり離れているぞ。右手がロッ・トゥーのターミナルになっているようです。ペッチャブリー市内の乗り場がこぞってここに移転したのかな。バンコクの戦勝記念塔の乗り場がモーチット・バスターミナルに強制移転させられたように…。位置は、プラナコーンキーリーの山の南西側でした。あの山に登りたいんですよね。とりあえず真っ直ぐこの道を進んでみたら門はあるにはあったんですが非情にも「NO ENTRY」との看板が。山の東側まで歩くしかないかな。南を東西に走るバンダイ・イット通り(ถนนบันไดอิฐ)に出ました。訳すと「レンガ階段通り」。昔はレンガの階段でもあったんですかね。東へ向けて歩き出すと、ずっと先に市内に建つワット・マハータート・ウォーラウィハーンの高く白い仏塔が見えていました。後で行くことにしましょう。行き交う車を観察していると、どうやらペッチャブリー市内にはソンテオ路線はないようです。代わりにこの車がトゥクトゥクとして走っているみたいですね。あとはバイタクがあるのみ。この信号を左折しまーす。つつましい個人商店が軒を連ねる通りを歩いて行くと、T字路の向こう角の白壁には手書きのへなへな文字で「ペッチャブリー」と。で、その奥に豪華な仏塔が見えているではないですか。ここはワット・コイ(วัดข่อย)。寺自体はアユタヤ朝末期からあったようなんですが、この仏塔は元副郡長が夢で見たデザインを住職に相談したことから計画が始まり、総工費2千4百万バーツで1年3か月かけて2013年に完成したばかり。なかなか変わったデザインの仏塔になっていますね。2階部分に4体の仏像があるため、3階は女人禁制なんだそうで。結構人気のお寺のようで、観光バスで乗り付けている団体さんを見かけました。ちなみにその反対側、つまり左手のもう少し手前にはワット・プラプッタ・サイヤート(วัดพระพุทธไสยาสน์)という対照的に古びたお寺が。大きな寝釈迦仏があるようなんですが、入りませんでした。結構歩いたなあなんて考えていると前方に、ハッ!? サルだ!どうもこの山にはサルの群れが棲んでいるようで、道路脇に沢山下りてきていました。ロッブリーでの教訓から、間合いを取りながら写真撮影(笑)そこからほどなくしてやっとプラナコーンキーリーの入口に到着したようです。時刻は、12:31。ロッ・トゥー終点から歩くこと29分。思ったより遠かったな。この上には史跡があるんです。さあ、登るぞ!<旅費交通費>ロッ・トゥー:100バーツここまでの合計:100バーツ※旅は2017年5月28日(日)に行いました。<参考>TouronThai "วัดข่อย"TouronThai "วัดพระพุทธไสยาสน์ (วัดพระนอน)"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/11/27
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トーンパープムでの泰緬鉄道線路跡探索を終え、元来た道を吊り橋付近まで戻ってくると…「ドボン!」という石を川に投げ込んだような大きな音が聞こえてきました。吊り橋を見ると子供らが橋上にたむろしています。いくらなんでも石を投げ込んで遊ぶのは危険だろ~。ヤレヤレと思いつつ吊り橋前のあずま屋に到着。時刻は、11:35。泰緬鉄道線路跡の道路奥で突き当たった柵から25分でした。吊り橋を渡って町側へ戻りまーす。ん? 川の中にも子供たちが。え、ってことはもしやさっきの音は子供が飛び込んだ音!?そうでした。今まさに、飛び込まんとしている男の子が。早く行けよー! と友達らから囃し立てられています。カウントが始まって半ば無理やりに(笑)1,2,3!いったー!ドボーン!!まさにこの音です、さっき聞いたの。水面下に沈んだ体が浮き出てきてホッとしましたよ。結構な高さがあるからちょっと心配でした ^_^;)トーンパープーム市場へ戻ったところでちょうど良い時間なのでランチにすることに。何も思い浮かばないので手っ取り早くガパオ・ムー(豚のガパオライス)(笑)時刻は、11:54。さて、どうやって帰ろうかな。店のおばちゃんにカンチャナブリー行きロッ・トゥー乗り場を尋ねると、坂を少し上った右手だよと。市場内じゃないのか。3バーツの有料トイレに入ってから、歩いて探すと、あった。場所は、ここ。敷地のちょっと奥にあります。時刻は、12:13。ロッ・トゥー乗り場受付の女性にカンチャナブリー行きは何時か尋ねると、面倒くさそうに「だいたい14時」との返答が返ってきました。そんなに待つのかいな。じゃあ、ノロノロのローカルバスと変わらないからバスにしよー。この女性の態度にちょっとムカついたし(笑)トーンパープーム市場入口のバス停ベンチで座って待つこと1時間近く。13:08にカンチャナブリー行きローカルバスがやって来ました。すぐに発車するようなので写真を撮る暇もなく乗車。市場内を通ってから一路カンチャナブリーへ。14:32、国鉄西線(ナムトック線)終点ナムトック・サイヨークノーイ駅前を通過。静態保存されているC56の姿が見えました。途中ガソリンスタンドで給油休憩があったりしつつ、終点カンチャナブリー・バスターミナルに到着。ここはいつ来ても活気があっていいですね。時刻は、15:49。バスを降りたところで待ち構えていた客引きについついついていってバンコク行きロッ・トゥー受付に。BTSモーチット駅まで行くとのこと。120バーツでした。本当はターミナル裏にある「マンゴーン・ツアー」という業者のバンコク行きロッ・トゥーが好きなんですが、まあ、いいか ^_^;)トイレ近くにあるベンチでニオイが気になりながら待っていると、呼ばれたので車へ。16:10。乗客5人で出発したのは、16:33でした。実際はそんなことないと思うんですが、今回の帰りは時間がいつもよりかかっている印象を受けました。国道4号線に入って、カンチャナブリー県からナコーンパトム県に県境を越えたのが17:53。モーチット・バスターミナル前に寄った後、最後にBTSモーチット駅へと向かいます。その頃には乗客は私一人に。慌てて撮ったのでボケボケですみません。モーチット駅横の駐車場敷地で降ろされました。時刻は、19:32。という感じで今回の1泊2日の旅も終了です。また一つ、愛着のある地ができた旅となりました。泰緬鉄道線路跡をさらに確認できたのも大きな収穫でしたね。最後までお付き合いいただきありがとうございました!次回は、どれにしようか考え中です。もしかしたら1週間ほどお休みさせていただくかもしれません。それでも必ず次の旅を書きますので、お待ちいただけたら幸いです。<旅費交通費>カンチャナブリーまでのバス:80バーツバンコクまでのロッ・トゥー:120バーツここまでの合計:1,539バーツ※旅は2017年3月27日(月)~28日(火)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/11/13
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目の前に現れた地形に胸が高鳴ります。緩やかに左へ向けて上がっていっているあのスロープ状の地形、間違いないんじゃないか!?時刻は、10:44。場所は、ここ(グーグルマップ)。歩いて来た道も左にカーブし、そのスロープに沿って上り坂となって続いています。お、ここに人が上り下りした跡が。よし、私も登ってみよう!木に掴まったり手を土まみれにしたりしながら急斜面を登り切ると、泰緬鉄道の線路跡に間違いない。うん、100%そうだ!しばし歩いてみたものの、枕木は残っていませんでした。滑ってズッコケそうになって指を切りながら下の道に戻り、先へと歩いて行きます。道は急な上り坂となり、泰緬鉄道線路跡のスロープの高さへとどんどん近づいていってるなあと思っていると、合流しちゃいました!つまりここから先、泰緬鉄道の線路だったところが道になっているんです。行けるところまで歩いて行くぞ!!斜面に沿ってクネクネしながら泰緬鉄道線路跡の道は続いています。ところどころ岩肌を削ったらしき跡に出くわしました。さらに進むともっと凄い光景が。切り通しじゃないか!!こここそ岩を削る大変な作業をして線路を通しています。ヘルファイア・パスほどではないにしても、立派な観光資源になると思うんですけど、なんでトーンパープーム郡は放っておいているんですかね。もったいないなあ。で、この切り通しを抜けると、道が右へ急カーブしています。Ωの字を90度右に横倒しにしたようなカーブを描いているんですが、元の線路はここから谷を越える橋が架かっていたようです。平坦な地に出ました。コンクリート舗装が終わったところでまた切り通しが出現。ここを抜けると、逆に盛り土がされた軌道跡がはっきりと。あれ、柵?ここまでかー。残念!時刻は、11:09。場所は、ここ。分かりやすいようにグーグルマップの航空写真にしてみました。途中までストリートビューでも確認できますよ。グーグルマップでは、この先もところどころで途切れながらも、ワチラロンコン・ダムの堤防近くまで続いているのが確認できます。その先は、1984年にできたそのダム湖の底なんでしょうね。来た道を戻りますか。ここをかつてはC56に牽引された列車が走っていたんですよね。なぜか帰り道の方が泰緬鉄道線路跡であったことがイメージしやすいですね。お、右下にクウェーノーイ川が見えてる。さらにはカオ・チャーンプアック(白象山)となぜか城郭建築なトーンパープーム町役場も。町役場を何気なくズームしてみてビックリ。右の建物には、なんと旭日旗のデザインが!!やはりあの建築デザインにしたのは、泰緬鉄道建設で日本軍が駐留した歴史と間接的にしろ関係がありそうですね。なお、間から顔を覗かせている大仏様は、町役場敷地内ではなく、道を挟んだ反対側に立っています。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:1,339バーツ※旅は2017年3月27日(月)~28日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/11/06
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トーンパープーム市場のはずれでソンテオに降ろしてもらった地点から対岸へ渡る橋はすぐでした。ワクワクしてきたぞ(笑)吊り橋なんです。でも思ったほど揺れませんでした。途中からクウェーノーイ川の下流方向を眺めてみたんですが、穏やかな流れですねぇ。対岸に到着すると、そこにはワット・ターカヌンの本堂が。そうか、寺のメイン施設は山頂ではなく平地にあるんですね。場所は、ここ(グーグルマップ)。トーンパープームの町は、かつてターカヌンと呼ばれていました。「ジャックフルーツの木の船着場」の意味で、文字どおり船着場にジャックフルーツの木が何本も立っていたからだとか。かつてここまでの交通手段はクウェーノーイ川を船で遡るのが一般的でしたからね。船着場周辺に集落ができたんでしょう。で、そもそもは1786年頃にラマ1世の軍隊がビルマと戦う前線基地をここに置いたのが始まり。ワット・ターカヌンもそれと同時に創建されたと推定されていますが、文献上に現れるのは20世紀初頭です。近くで見上げると結構高いなー。しかし汗をかくほど暑いのにここで突然全身に鳥肌が。タイのお寺に来ると時々こうなるんですよね -_-;)そうそう、ここワット・ターカヌンは戦後すぐの一時期、僧侶が皆マラリアを恐れて住職の成り手が見つからず廃寺同然になっていたんだそうです…。登山口を探して山の右側に沿った緩い上り坂を進んでいきます。セミがシャワシャワと鳴きとても賑やか。この階段のようですね。右にはなぜかカモフラージュの網がかけられた軍の詰所が。うひゃー、キツそうだな (>_<)途中木々の間から景色の見える階段を4分ほど登ると、頂上に到着。結構足にきました…。時刻は、10:13。場所は、ここ。いい眺めですが、町と反対側の景色ですね。山と緑ばっかり。まずあるのは大仏殿で、大仏様が下界を見下ろしています。断崖絶壁のなかなかスリルを味わえる通路をやり過ごすと、町からもよく見えるビルマ様式仏塔とようやく対面。ここからはトーンパープームの町全体が一望できました。中央を右から左に流れているのがクウェーノーイ川で、その対岸がトーンパープームの町です。背後のラクダの背中みたいなモコモコと連なる山はカオ・チャーンプアック。訳すと白象山。自由には登山できず、トーンパープーム国立公園に予約要。しかも毎年登山可能シーズンは12月からの数か月のみで1日60名限定、ガイド付きでテント1泊という狭き門な山なのです。ちなみに昨シーズンは滑落者が出て、それ以降はシーズン中にも関わらず一切登山中止となってしまいました。そうそう、イートンは写真の左端ぎりぎり入るか入らないかの山の上に位置するはずです。こう見ると、年中涼しい理由も頷けるなー。さて、ここで真下を見てみましょうか。私の勘では左端中央から右の枯れたような木々の方向へと伸びていたんじゃないかなあと。ここに来た一番の理由は、これなんですよ。泰緬鉄道の線路跡を探すこと。泰緬鉄道には「ターカヌン駅」がありました。たぶんこの周辺だと思います。山頂から階段を下り、この写真のさらに左側に広がる林に足を踏み入れてみましたが、何も痕跡を発見できず。まだ諦めないぞ。さっき吊り橋を渡り切ったところまで戻り、そこからクウェーノーイ川沿いに上流側へ続く道を歩いて行きます。右手には先ほどの仏塔がある山が。あの崖下を沿うように線路が続いていたと推測してます。道が川沿いから右へと逸れました。なおも歩いて行きます。ふと気付くと、正面にはあまりにも不自然な地形が。アヤシイ。アヤシしすぎますよあれは!<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:1,339バーツ<参考>วัดท่าขนุน "ประวัติวัดท่าขนุน"※旅は2017年3月27日(月)~28日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/10/30
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山道をソンテオはさらに下って行きます。昨晩防空壕を見た話を運転手さんにしたところ、子供の頃はよく撃ち合いをしていたんだそうです。でもタイ軍ではなく、ミャンマー軍とカレン民族同盟(KNU)との間の戦闘だとのこと。タイ軍とミャンマー軍は一緒にご飯を食べたりしていたよと。08:40過ぎに山道を抜け、比較的平坦な気持ちのいい道に。イートンは6~11月は雨の日が多いんだそうです。「1週間ずっと降り続くこともあるんだ。 家から出たくなくなってウンザリすることもあるよ」1週間も続いたらそりゃそうですねぇ…。でも気温は年間を通して涼しく、暑くても29℃だとのこと。人家がポツリポツリと見えてきた頃、運転手さんが売店前でソンテオを停めました。「何か飲む?」あ、いえ、結構です。売店に入って戻ってきた運転手さん、「どうぞ」と缶コーヒーを。うわあ、ありがとうございます!こんなことしたら運賃からの手取りがなくなっちゃうじゃないですか ^_^;)走り出すと車窓に風変りな道路標識が。「ゾウの横断に注意」ええっ!?(笑)左手にはワチラロンコン・ダムの湖面が見えてきました。ボートハウスが点在しています。すると運転手さん、車の速度を落とすではないですか。どうしたんだろうと思っていると、道端にはなんと、ゾウだ!!後でわかったんですが、この辺りに観光客用?のエレファント・キャンプがあるんですよ。どうもそこの子ゾウみたいです。お食事タイムのようで。そうか、さっきの標識はこれに注意しろということですね。ちょっと降りて写真撮って来てもいいですか?嬉々として写真を撮りまくってしまいました(笑)再び走り出したソンテオは、途中でお客さんを一人拾った後、左に折れダム湖へ向かう道へと入って行きます。ターペー(ท่าแพ)、訳すと「いかだの船着場」というカレン族の集落だと運転手さん。場所は、ここ(グーグルマップ)。時刻は、09:13。「ここからチェーディー・プラタート・ボーオーンへの船が出ているんだ。 プラタートには船でしか行けない。女人禁制だよ。 女性は桟橋を渡ろうとすると桟橋が揺れて渡らせないんだ」チェーディー・プラタート・ボーオーン(เจดีย์พระธาตุโบอ่อง)は、この辺りの仏教を信仰するカレン族の信仰の中心的存在でご利益のある仏塔のようです。船でしか近寄れない場所にあるなんて、興味を掻き立てられますね。集落をクラクションを鳴らしながらぐるっと回ってまた表の道路に戻りました。10分も走らずに運転手さんがまたソンテオを停めます。「ワチラロンコン・ダムだよ。写真撮る?」ありがとうございます。ちょっと待っててください。後ろに乗ってるお客さんにちょっと待っててあげてとか運転手さんが言ってるのが聞こえました。ここがクウェーノーイ川を堰き止めて造られたワチラロンコン・ダムの入口かあ。場所は、ここ。先にはゲートも見えていますね。ここからダムの堤防まではさらに3kmほどあるんですけど。ソンテオに戻りつつ時間を確認しようとカバンにしまったiPhoneをまさぐると、あれ? ないぞ。あたりを見回したものの無し。ソンテオに戻って走りながらも座席下を探せどやはり無し。やばい。どこかで落とした!!みるみる額からイヤな汗が噴き出してきます。「スマートフォンを落としたの?」様子を見ていた運転手さんが尋ねてきました。きっとさっきゾウを見に降りたところで落としたんだと思います。「戻ろうか?」お客さんも乗ってるのにそれは申し訳ないです。しかも路線運行のソンテオだし。マイペンライ・クラップ(大丈夫です)と大丈夫じゃないけど答えるしかありませんでした。どうやらソンテオを降りるときにカバンのポケットからするりと抜け落ちたようです。4か月前に買ったばかりなのに~。沿道に咲く桜のようなチョンプーティップの花が綺麗なんですが、全身脱力した私は写真を撮るだけで精一杯の精神状態です(T_T)トーンパープームの町の入口の三叉路に到着しました。ここで停車した運転手さん、待機しているバイクタクシーを呼びます。後ろの乗客にこのバイクタクシーに乗り換えてもらえませんかとお願いしています。乗客も笑顔で承諾。なんと、ここから引き返してスマホを探してくれるんだそうです。ううっ、私のおっちょこちょいで迷惑をかけてしまいました。本当にすみません、ありがとうございます (>_
2017/10/23
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早朝のイートン市場でカオソーイを食べ、橋を渡りながら市場を振り返ると、托鉢らしき僧侶の姿が。タイで一般的な山吹色の袈裟より濃い色をしていますが、ミャンマー僧なんでしょうかね?池から見渡すと、さっき訪れた山の上の寺ワット・ムアンレーピロックがちょうど昇ったばかりの朝日を受けて輝いていました。時刻は06:50。ぶらぶら散策しながら宿に戻りますか。イートン集落の目抜き通りにもようやく日が射してきました。お、昨晩エークくんと飲んだ食堂がもう営業してますよ。さすがに今朝は集落長の姿がないですね。すると背後から黄色いソンテオがやって来ました。運転席には昨日ヌーン・チャーンスックへ行くのにチャーターしたソンテオの運転手さんが。7時ちょうどの便ですね。すみません。7時半の便に乗ることにしました。なんだ、という顔を一瞬見せたかと思うと仏頂面に戻った運転手さんはそのままソンテオを走らせていきました。すみませーん ^_^;)宿の部屋に戻り荷物の支度をします。昇ったばかりの朝日が眩しくすがすがしいですね。07:25、部屋から出ると、目抜き通りの奥には既に7時半のソンテオが停車中。そうそう、これが今回私が泊まった宿です。ナット-エン-トン-ハウス(ณัต-เอ่ง-ต่อง-เฮ้าส์)ここイートンは元々「ナットエントン」と呼ばれていました。多分ミャンマー語で、ナットは神、エンは家、トンは山の意味。なので「神の山の上にある集落」という意味だったとか。それが次第に略され訛って「イートン」になったとのこと。町名でありスズ鉱山名であった「ピロック」の由来も解説しておきましょう。ビルマから越境してきた鉱山労働者がタイ当局側に抵抗して戦い死んだとか、鉱山事故やマラリアなどの熱帯病で死者が出たとか色々言われているんですが、とにかくかつてここでは多くの人が死んだんだそうです。それで「ピー・ローク」(ผีหลอก)=「お化けの出る」鉱山、と呼ばれていたのがやはり訛って「ピロック」になったとのことです。扉が開いていた表の母屋兼受付にお邪魔して、女性オーナーにチェックアウトしますと告げます。「おまけで朝食を出してあげるね」あれま、どうもありがとうございます ^^焼き上がったトーストを目の前の皿にポンポンと3枚積み上げてさらにミカンも2個くれて、スティックコーヒーも付けてくれました。「ウォーターサーバーの水は天然の湧き水だよ」さすが山の上の集落!せっかくなのでその水も頂きました。「外は20℃だね」と温度計を見て教えてくれます。外を眺めながらパンを食べていて気付きました。見づらいですが、山の上の右寄りにタイ国旗が立ってますね。あそこが昨夕登ったヌーン・チャーンスックです。するとオーナーさん、さらに右手の山を指差し、「あの山、左半分が禿げているでしょ?」あ、本当だ。なんでも2か月前にミャンマー側から出火した山火事が延焼してあんな姿になっちゃったんだとか。夜も赤々と燃えていたそうです。「集落の人総出で棒切れで火をはたいて消火活動をしたのよ。 だって水をあそこまで運ぶことはできないからね」それで消火できてよかったですね、ホントに。そうこうしていると、ちょうど07:30にソンテオ登場。昨日乗ったトーンパープームからの便と同じ運転手です。オーナーさんにお礼を言って荷台に乗り込もうとしたら、運転手さんが助手席に座るようにと。ありがとうございます!いいところだったな、イートン。懐かしく感じるというか、また絶対に来たいと思わせる何かがある集落です。山道を下って行く間、運転手さんとずっと話をしていました。子供の頃はトーンパープームまで歩くしかなかったんだそうで、イートンを朝5時に出て、トーンパープーム着が16時だったとか。未舗装の道で赤土が舞い、雨が降るとぬかるんで膝下までドロドロになったものだけど、10年ほど前に舗装されたんだと教えてくれました。しかしカーブの多い山道です。転落事故は起きたことないんですか?「転落事故は一度もないよ。象廟が守ってくれているからね」運転手さんがおもむろにクラクションを鳴らしました。ここが象廟か。この山道の守り神なんですね。象廟っていうぐらいだから、もしやと思い尋ねると、やはりこの辺りには野生ゾウがいるとのこと。たまに姿を見せるもののほとんどは夜間。ここのゾウは大人しいので、カオヤイ国立公園のゾウのように車を襲うことはないそうです。また北タイやイサーンと違い、ここは食べ物が豊富なので人里に下りて農園を荒らすこともなく、ご利益のあるゾウなんだと。イートンには人にとっても食べ物が豊富なんだと運転手さん。山に入ればタケノコやキノコが取り放題。湧き水が飲めるから水を買う必要もない。唯一ないのが農業に適した平坦な土地。でも農業ができたら化学肥料や農薬で水が汚染されて飲めなくなるからこのままでいいんだ、と言ったかと思うと、おもむろに車を停めて降りていっちゃいました。すぐに戻ってきた運転手さんの手には何やら木の実が。「これはスープ(トム・ジュート)にすると美味しいんだ」イートンの自然の豊かさと自給自足に近いお金のかからない生活を誇らしく思っているように窺えます。なんでも一旦はバンコクへ出ていたものの、故郷に戻ってきてソンテオ運転手になったんだそうで。「ここの人はたいていタイ語とミャンマー語の2つを話せるんだ。 両親がミャンマー人で生まれてからタイにいるのでタイ国籍を 持っている人も多い。僕もハーフで2言語を話せるよ」失礼ながらあんな山奥の集落なのにというか、だからこそのバイリンガル環境、なんだかちょっと羨ましいですね。運転手さん、右に折れてソンテオを停車させました。昨日は通過したビューポイントではないですか。「時間があるから寄り道して行こう」ありがとうございます!時刻は、08:11。一番先端の展望台に来てみました。見えるのは山ばかりですね。ワチラロンコン・ダムも見えるようなんですが、ガスが若干かかっていて発見できませんでした。頭上にはトンビのような鳥がぐるぐる回って飛んでいます。5分ほど景色を眺めてから、再び山道を下り始めました。<旅費交通費>ソンテオ運賃まだなので:0バーツここまでの合計:1,139バーツ<参考>ceediz.com "หมู่บ้านอีต่อง กาญจนบุรี"ceediz.com "เหมืองปิล๊อก กาญจนบุรี"※旅は2017年3月27日(月)~28日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/10/16
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タイ・ミャンマー国境の集落イートン(ピロック)の宿でスマホのアラームを午前5時にセットして就寝。なぜなら翌日のトーンパープーム行きソンテオ最終便が07:30発なので、その前に少しでも集落を歩いておきたいからなのです。翌3月28日(火)、犬が一斉に吠え出して目が覚めました。時計を見ると5時直前。アラームが鳴る前に起きちゃいました ^^どうやらこの集落は朝5時から始動するようですね。身支度をして宿を出てみます。時刻は、05:57。この頃には静かになった犬に代わって、ニワトリや鳥が一斉に鳴き始めています。6時ちょうどになると今度は山の上の寺ワット・ムアンレー・ピロックからお経が響き渡り始めました。そんな中、既に開いている市場を通り過ぎて、池の反対側まで歩いてきました。お経が聞こえてくるワット・ムアンレー・ピロックに目を向けると、背後の仏塔の電飾が私を呼んでいるではありませんか(笑)よし、あそこまで登るぞ。この時間はみるみるうちに空の明るさが増していきますね。登り道を経て、お寺の階段をよじ登ります。東の空は、もうかなり明るいです。本堂の背後の仏塔を目指しますか。僧侶の像が並ぶ階段を上がって辿り着いた仏塔は、下から見たイメージよりかなり小振りで意外。でもまだ日が昇っていない中、空の明るみに照らされて優しい光を放つ金色の仏塔は、何とも言えず見ていて和みます。いかにも東南アジアな電飾が、そろそろ空の明るさに負けそう。日の出までここにいようかと思ったんですが、まだしばらくかかりそうなので下りて朝食を取ることに。イートン集落の目抜き通りに戻ったら、トーンパープーム行きソンテオがちょうど走ってきました。06:30の便だな。まだ乗りませーん。私は右に折れて、イートン市場に再び戻ってきました。並んだ商品はミャンマー文字が躍っているものだらけ。ミャンマー嗅ぎ薬にミャンマー軟膏、ミャンマー日焼け止めクリーム、ミャンマー・ランプ…とタイ文字で説明が書かれた値札には「ミャンマー」が溢れています。もちろんミャンマー名物、顔に塗る「タナカ」もありました。真ん中の袋がそうです。20バーツ也。右に掛かっているのは民族衣装かな?その先に料理の屋台を発見。何がありますか?私が店のおばちゃんに尋ねると、「これだけだよ。カオソーイ・ガイ」と鍋の蓋を開けて見せてくれました。一択ってことですね。じゃ、カオソーイ・ガイください ^_^;)30バーツ也。カオソーイ・ガイ(鶏のカオソーイ)チェンマイで見るのに比べて、かなりシンプルです。カオソーイって元々ミャンマーの料理なんですよね?これが原型に近いカオソーイなんでしょうか。池を眺めながら食べる素朴なカオソーイは、薄味なものの額に汗がにじみ出るちょい辛なお味でした。時刻は、06:45。そろそろ宿に戻って出発の支度をするかな。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:1,139バーツ※旅は2017年3月27日(月)~28日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/10/09
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日没を見たヌーン・チャーンスック山頂からチャーターしたソンテオで下りてきました。時刻は、18:55。運転手さんにお礼を言いつつチャーター代200バーツを支払います。山頂で知り合ったエークくんもすぐに大型バイクで到着。「知ってますか? ここには防空壕があるんですよ」えっ!?「防空壕見ていいですか~?」エークくんは運転手さんから了解を得て、電気を点けました。なんでも昔、ミャンマー軍からの砲弾がよく飛んできていたので運転手さんの家族が手掘りで防空壕を作ったんだとか。内部は結構広くできています。ミャンマー反政府少数民族武装組織が抵抗を続けていた1990年以前は物騒だったんですねぇ。2人でイートン集落へ歩いて行こうとすると、集落入口の前国王肖像画前に、かつてスズ鉱で使用していた水を高圧で噴射するノズル状の器具が置かれていました。池の脇の橋でイートン集落へと戻ります。灯りがともっているのは、宿やカフェのようで。目抜き通り沿いの「クルア・ジェーニー」(ครัวเจ๊ณี)という食堂で一緒にディナーを食べることに。「あら、また会ったわね」なんと店先にはトーンパープームからのソンテオで一緒だった集落長さんが座っているではないですか。もしやこの店のオーナーって集落長さん?まあいいや ^^エークん曰く、ここはカニ料理が美味しいとのこと。でも残念ながら今日はカニが無いのでエビの料理を1品注文。左のがそれ。あとプラーカン(ปลาคัง)という魚の料理。日本ではレッドテール・キャット・フィッシュと呼ばれているみたい。それにパッカナー・ファイデーン(カナー炒め)も。なんとエークくんが奢ってくれちゃいました。お礼にビールは私の奢りで、いい感じに酔いながら旅や恋愛の話で盛り上がったのでした。で、エークくん、泊まらずに夜道をまたバンコク近郊まで帰るんだとか。あのカーブの多い山道を街灯も無い中で運転して大丈夫なんですか?「大丈夫大丈夫、慣れてるから」食堂を出ると、集落入口に停めたバイクへと向かうエークくんと別れたのでした。無事に帰れますように!私はと言うと静まり返ったイートン集落の目抜き通りを奥の方まで歩いてきました。突き当り付近で集落住民たちが集まって飲んでいるようです。私はここを右折し、全て閉まって淋しい限りの市場を通り、池のほとりに出ました。池沿いに歩いてみますか。これ、左面はLove ピロックホームステイ0km宿みたいですね。右面はイートン市場0kmピロック鉱山200メートルさっきの食堂の住所表示にはカンチャナブリー県トーンパープーム郡ピロック町イートン集落とあったので、ピロックは町名かつ旧鉱山名で、イートンはここの集落名ということのようです。ここも宿ですが、「PILOG CAMP COFFEE」との看板が目に留まったので寄ってみることに。中庭兼テーブル席では、制服姿の警官と集落の人たちが楽しげに談笑しています。「日本人かな?」と言っているのが聞こえたので、はいと答え、一応愛想を振りまいておきました ^^カウンターでホットのアメリカンと頼むと女の子がちゃんとマシンでコーヒーを淹れてくれます。酔い覚ましのコーヒーはちょっとぬるめでしたが、涼しい気候にちょうどいい感じ。まだ20時半ですが、店はあらから閉まっていて何もすることがないので、宿に戻るとしますか。オーナーさんの家の横の通路へと入って行こうとしたら、私を待っていたのかオーナーさんが出てきて、「明日7:30のソンテオを呼んでおいたから」と。え、さっきチャーターした運転手さんが7:00の便だというので、乗ると言っちゃいましたけど…。「7:30の便の運転手は今日トーンパープームから乗ってきた便の 運転手だよ。彼は私の教え子なの。優しい人だからそのほうがいいよ。」なんと、学校の先生だったんですか。わかりました。そうします ^^部屋に戻ったところで、壁に飾ってある写真に気付きました。3,4,5月以外の時期はこんな日が多いってことですね。これはこれで幻想的で素晴らしいかも。22:00頃にエークくんからトーンパープームに着いたとLINEで連絡がありました。一安心したので寝ることにします ^^<旅費交通費>ソンテオのチャーター代:200バーツここまでの合計:1,139バーツ※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/10/02
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イートンのタイ・ミャンマー国境ビュー・ポイントヌーン・チャーンスック(เนินช้างศึก)に到着してから10分近くが経ちました。チャーターしたソンテオの運転手さんからは「30分」と言われているので、あと20分ほど。国境を監視する国境警備警察の青年と遊んでいたソンテオ運転手の子供たちが中から出てきました(笑)監視台の横にちょこんと座って、国境線となっている目の前の稜線を眺めます。「こっちに来てみなよー」運転手の子供が呼ぶではないですか。「入れるんだよ」ん?シェルターになってるのか。かつてのピリピリした雰囲気が伝わってきますね。再び座りなおしてミャンマー側を眺めます。山々が幾重にも折り重なって幻想的な光景です。左手を眺めると、タイ国旗があそこでもはためいていますね。ちょっと行ってみますか。タワン・ルアンシー陸軍大将記念碑と書かれています。この方はカンチャナブリー県が拠点の第9歩兵師団司令官。2011年にペッチャブリー県の山間部で起きたヘリコプター墜落事故の行方不明者捜索に、悪天候の中自らが指揮を執ってヘリコプターで向かったものの、そのヘリもまた墜落して殉職したのだそうです。それで陸軍が勇気と栄誉を称えてここに記念碑を建てた、という経緯が記されていました。元の場所に戻りますか。監視台のチャーンスック陣地国境警備警察第135中隊の文字が夕日に照らされています。そう、もうすぐ日没なんですよ。再び監視台横に腰を下ろし、時間まで夕日を眺めていることに。「ビールいかがですか?」さっき話しかけてきた20代後半の男性がLEOビールの缶を差し出してくるではないですか。「横に座って話をしてもいいですか?」とも。ありがとうございます。どうぞどうぞ。仮にエークくんとしておきますか。エークくんは、ここヌーン・チャーンスックに来るのは4回目だそう。気分転換したくなると800CCのバイクでバンコク近郊から4時間かけてやって来るのだとか。たった4時間でここまで来れるとはビックリ。どうやら今回は好きな女性に振られたのが来た動機のようです ^_^;)でも今でも仲の良い友達ですよと。好青年なので、エークくんのことを気になっている女性はきっと大勢いると思いますよと慰めたら、「はい、もう大勢」とこれっぽっちの謙遜もない返事が返ってきました(笑)ここイートンは年中多雨の地域なのだそうです。しかし3,4,5月の間だけは雨が降らないベストシーズンなんだとか。知らずに3月に来た私はなんとラッキーなんでしょう ^^雨季には霧が立ち込めて一寸先も見えないほどだそうですよ。そんなこんなで話をしていたら、運転手との約束の30分が経ってしまいました。するとエークくん、僕がお願いしてきてあげますよ、と運転手のところまで行って夕日が沈むまで待ってもらえるように話を付けてきてくれました。なんと知り合いなんだそうで。よくよく話を聞いたら、カンチャナブリー県内のここからさほど遠くないところ出身なんだとか。それでか。さあ、いよいよ夕日が沈みそうです。缶ビール片手にミャンマー国境の山脈の彼方に沈む夕日を眺める男2人。こんなベタなシーンを当ブログで演出することになるとは、考えもしませんでした(笑)日が沈みました。静かです。とにかく静か。ふと見上げると、うわあ、なんて綺麗なんだー。これ以上運転手を待たせては申し訳ないので、そろそろ行きますか。「下で夕食を一緒にしませんか?」エークくんの誘いに是非!と答え、山頂を後にします。ヌーン・チャーンスック、ぜひまた来て今日と同じように夕日を眺めたいな。下山するソンテオの座席からあの空をずっと眺めていました…。<旅費交通費>ソンテオのチャーター代まだなので:0バーツここまでの合計:939バーツ※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/09/25
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タイ・ミャンマー国境の検問から急いで戻ります。イートン(ピロック)の集落入口ゲートまで戻ってきました。時刻は、17:18。次に行きたいのは、右の山の山頂なんですよ。なんとか日没までに間に合いたいのですが。宿に戻りオーナー女性に相談してみました。貸し自転車はどこかにありますか?方々に電話をかけてくれた結果、バイクしかないとのこと。私、バイクを運転したことがないんですが、それでも貸してくれますかね? 無理ですよね… ^_^;)また何度か電話をしてくれて、ソンテオをチャーターしてくれました。しばらくするとインド系っぽい顔つきの男性と男の子2人がバイクで登場。この男性がソンテオ運転手みたいです。1か所案内するのに200バーツとのこと。OKです。お願いします m(_ _)m「市場を抜けて橋を渡ったところまで歩いてきて」わかりました! では出発~。宿から左に目抜き通りを進み、奥の右手の路地にある市場を突っ切ります。この市場はまた明日の朝に立ち寄ろうと思うので、今は素通りです。その先の池に架かる橋の欄干(?)には、こんな木のプレートが無数に結わえつけられています。観光客が残して行ったんでしょうね。橋のところでこのプレートを販売しています ^^橋を渡り切ったところにタイ文字とミャンマー文字で「イートン市場 1939年開設」との看板が。スズ鉱の始まりと同時なんですね。この先にバイクで先回りしていたソンテオ運転手が待っていました。後をついて行くと、なんと、トーンパープーム市場-イートン路線のソンテオを使い回して案内してくれるようです。ということは、この運転手も1日4回運行のいずれかを担当している方なんですね。17:35に出発したソンテオは山道を登って行きます。例え貸し自転車があっても、ちょっとキツかったかも ^_^;)お子さんらしき2人の男の子も一緒です(笑)この山に登ったことある?「うん、何度もあるよ!」見晴らしの良いところに出たと思ったら、到着です!時刻は、17:42。物々しい監視台とゲートが見えてますね。あそこまで早速登ってみますか。チャーンスック陣地国境警備警察第135中隊と書かれています。ゲートをくぐり到着した頂上には、タイ国旗がはためいていました。ここは「ヌーン・チャーンスック」(เนินช้างศึก)と呼ばれています。ヌーンは「丘」。チャーンスックは直訳すれば「闘象」なのですが、タイのサッカー・ナショナルチームの愛称も「チャーンスック」なので「タイ」を意味していると捉えていいでしょう。つまり「ここはタイ領の丘だ」との主張が込められた地名です。かつてこのタイ・ミャンマー国境の山岳地帯には、ミャンマー政府に反対する少数民族武装組織が拠点を構えてミャンマー政府軍と戦闘を繰り広げていました。時にはミャンマー政府軍に圧迫された武装組織がタイ領側に越境して逃れてきて、さらにそれを攻撃するためにミャンマー政府軍まで越境して砲弾を撃ち込んだりしていました。この丘にも一時はミャンマー政府軍が陣地を構えていたのだそうです。以前訪れたラーチャブリー県のタイ・ミャンマー国境フアイコークムーでは1999年に反政府武装組織が制圧されたので、恐らくイートンの地でもその前後には同様に制圧が済み、ミャンマー軍も退却して行ったのでしょう。そうしてミャンマー軍が去った後、この丘にタイ国境警備警察が陣地を設けたのでした。監視台には、国境警備警察の青年が1人で見張り番をしています。いつの間にかソンテオ運転手と男の子2人もやってきていました。男の子たちは監視台の中に入って国境管理警察の青年と遊び始めるし(笑)西側のミャンマーの光景は、ここからも山が果てしなく続いています。地平線の先まで山しか見えない景色を、この人生で目にする機会に遭遇するとは思いもしませんでしたよ。中央を左右に走っている稜線がタイ・ミャンマー国境です。で、稜線を辿って視線を右、つまり北へと移すと…この写真の左から中央奥へと続く稜線につながっているのですが、真ん中あたりの稜線上に、先ほど訪れたヌーン・サオトン(旗柱の丘)が見えています。その先に切り通しになった国境検問の位置もなんとなく確認できますね。稜線を右のタイ側に下りた、写真の右端あたりに金色の仏塔が見えるでしょうか?それを目印に…視線をもう少し右に移したのがこの写真。金色の仏塔が左に位置しています。中央の家屋の塊が、イートンの集落です。集落と国境線との距離感を掴んでいただけたでしょうか ^_^;)こんな感じで丘から四方八方の景色を眺めてぐるぐる歩いていると、「サワッディークラップ」(こんにちは)と20代後半ぐらいのタイ人男性が声をかけてきました。一人で来ている様子ですね。「こんにちは」と笑顔で答えます。丘の上にいる野犬を見て「うああ、こんなに大きくなったのか。以前は小さかったのに」と私に敢えて聞こえるように言うではないですか。えっと、会話にのってあげたほうがいいんだろうか。もう少し様子を見てみよっかな ^_^;)<旅費交通費>ソンテオのチャーター代まだなので:0バーツここまでの合計:939バーツ<参考>lovethailand.org "เนินช้างศึก"※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/09/18
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イートン(ピロック)の宿に荷物を置き、タイ・ミャンマー国境を目指して早速歩き始めました。時刻は、16:39。イートン集落の入口です。こんな木製のゲートが建ってるんですよ。ここイートンは、スズ鉱山としてかつて賑わった集落です。ビルマを1886年に完全に併合したイギリスは、武器製造用にスズを現地調達していました。そんなスズ需要の拡大を受けてビルマ人がスズ鉱を求めて山深く入って行くようになります。1938年、けもの道を伝って現在のイートンの地に辿り着いたタイ側の猟師が国境を越境して鉱物を掘削しているビルマ人を目撃。山を下りて当局に通告します。当局はそこで部隊を編成しビルマ人を追い出し調査したところ、この地には、スズとタングステン鉱の豊富な埋蔵量があることが判明。1939年から農業省金属局管理の下で鉱山運営が正式に開始されました。当時トーンパープームから徒歩で3日もかかった山奥の地にも関わらず、最盛期には50前後の鉱山と数千人の住人で活気があったようです。映画館までありました。しかしスズ生産国で組織されたスズ生産国同盟による価格管理が破綻し、世界市場のスズ価格が暴落した1985年の「スズ危機」をきっかけに、この地のスズ鉱も相次いで閉山。ついに全て廃鉱になってしまいました。鉱夫も去り、百軒前後の静かな今の集落の姿となったのです。イートン入口ゲート左の看板には、上段はミャンマー文字に似せたタイ文字で、下段はミャンマー文字で地名が書かれています。⇑ダウェー市 114マイル⇑ガムボック郡 52マイル⇑ミャンマー連邦 2kmでは矢印のとおり、この坂を登って行きますか!登って行くと右手にはヘリポートを兼ねたキャンプ場があり、その左手にワット・ムアンレー・ピロック(วัดเหมืองแร่ปิล็อก)が。訳すと、ピロック鉱山寺ですね。さらに進むと、あれ?ゲートがあるぞ。国境管理警察の「ヒンゴーン検問」でした。現れた青年警官にこの先まで行っていいか尋ねると、「行っていいです。でも6時までに下りてきてください」と。了解です!先で道が右へ折れているんですが、左手が開けてますね。何かありそうだなと思いつつ到着すると、なんだここは?逆光で見えづらいので右手の丘に少し登って撮影すると、「タイ-ミャンマー永久友好協力地点」とタイ語・ミャンマー語で書かれた碑と警備の詰所があります。反対側の丘は竹柵で仕切られた上に家屋も見えますね。ってことはこの碑と竹柵の向こうがミャンマーってことかな。詰所を良く見たら中にはちゃんと見張り番の人がいました。この詰所はタイとミャンマーのどっち側なんだろう?で、ここは何なのかですが、 注意高圧ガス管と書かれています。実は地面の下1.5mにはミャンマーのアンダマン海にあるヤダナ・ガス田からの天然ガスパイプラインが通っているんです。ここでタイ・ミャンマー国境を越えて、ラーチャブリー県のピクントーン発電所まで繋がっています。どうやら2013年頃に完成したらしいこのプロジェクトには、三菱商事も関わっているようですよ。右手の丘を階段で上ると頂上には、タイ国旗とミャンマー国旗がはためいているのでありました。ここはヌーン・サオトン(เนินเสาธง)。訳すと文字通りの「旗柱の丘」。グーグルマップを見ると、国境線は両国の国旗の間ではなく、このすぐ左手を通っているようです。で、そのミャンマー側の風景を眺めると、地平線の彼方まで山、山、山!怖いぐらいです。あっちもよくこんなところまで道を敷いたもんですね~。目をちょっと下にやると、緑一面の中に天然ガスパイプライン関係と思われる道路と施設だけが視認できました。丘を下りてさらに先まで歩いてみます。どこまで行けるかな。するとたった3分で、行き止まりです。タイ国旗が掲げられた施設と土嚢の間には、おお、国境ゲートか!詰所には、友好ルート検問(จุดเฝ้าตรวจ ช่องทางมิตรภาพ)と。切り通しの向こうはミャンマーです。越えてみたい衝動に駆られますが、この国境検問は地元の人でも通れないんだそうです。たぶん天然ガスパイプライン関係者のみが通行できる作業用の国境なんでしょう。時刻は、17:07。実はもう1か所、国境の眺望ポイントがあるんですよ。日暮れまでに間に合うかな。急いで戻るぞ。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:939バーツ<参考>ศูนย์การเรียนรู้อุตสาหกรรมเหมืองแร่ "ปิล็อก"ปตท."โครงการท่อส่งก๊าซธรรมชาติจากแหล่งพม่า ไปยัง สถานีควบคุมความดันก๊าซฯ"(PDF)『中長期的に見た錫の需給動向-2(需要編) 』独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構『三菱商事、ミャンマーのガス田プロジェクトに資本参画』財経新聞,2013年12月23日付※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/09/11
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休憩した食堂兼売店の先から山道を登りに登り、50分ほど経ったところで、こんなところに到着しました。右手の小屋には「トーンパープーム国立公園」と書いてあります。内部には宿泊施設もあるそうですよ。なんでも樹上ハウスもあるんだとか。でもタイ人の旅行記を読んだら携帯の電波が届かないそうなので、自然に囲まれた環境を満喫する以外、何もすることがないかもしれません(笑)それでもちょっと興味がありますね。いつか泊まってみたいもんです。そんなトーンパープーム国立公園入口前の綺麗な草地を眺めながら、ソンテオはなおも走ると、そこから12分でゲートが見えてきました。イートン住民は皆様を歓迎します。 涼しい気候 鉱山伝説で有名おぉ、ここからがイートン(อีต่อง)なのか!時刻は、16:15。少々停車してから走り出すと、一人のおばちゃんが運転手に左の道に入るように伝えました。細い上り道を進んでいくと、そこは学校。国旗掲揚をする柱の前に子供達数人が直立しているのが見えます。おばちゃんは学校関係者かな?降ろして元の道に戻り、ソンテオはさらに坂道をずんずん登り出しました。イートンのゲートを通ったからもう到着だと思ったらとんでもなかったです。でも大きな国王肖像画が立っているので、ようやく目的地の集落入口に着いたようです。右手には長方形の池があり対岸に建物が並んでいます。進む道の先に見える山の上には寺院も見えますね。池の先で右に曲がります。ここにもゲートが。集落の入口ですね。さっきのゲートからここまで一帯をイートンと呼び、ここの集落だけをピロック(ปิล็อก)と呼ぶのかなとも思いましたが、そうじゃないような表記も見かけたのでよく分かりません。なので私はこの集落をイートンと呼ぶことにしますね ^_^;)この道がイートン集落の目抜き通りのようです。右手で鉄筋コンクリートの建物を建設中…。ハッ!? もしや屋根に縛り付けてある鉄材って!?と思ったところでちょうどソンテオが停車。「ここが宿ですよ」と運転手さん。ソンテオを降りて運賃70バーツを支払います。時刻は、16:28。トーンパープーム市場を出発してから3時間かかったんですね。でも集落長を待たなければ、2時間10分ほどで着いたのかも…。思ったとおり、鉄材を下ろしにかかっています(笑)そしてソンテオは去って行ったのでした。どうも突き当りで終点のようです。で、左手のここが宿のようで。すみませーん、と入ってみると、中には60代の女性が一人。オーナーさんでした。一人だと告げると、通常は800バーツだけど700バーツにしてあげる。でもその代わり朝食は付かないよ、と。それで結構です ^^オーナーさんは鍵を持ち、建物の裏手へと案内してくれました。てっきりこの建物かと思った。裏手階段のこの右手の建物が宿でした。「どちらの部屋がいい?」2つ並んだ部屋をそれぞれ見せてくれます。あ、じゃあ奥の方の部屋でお願いします。鍵を渡すとオーナーさんは戻って行きました。ほお、小奇麗じゃないですか!テレビもコンセントもありますね。エアコンは無いけど、年中涼しいみたいだから要らないんじゃないでしょうか。トイレが手桶式じゃなくて本当に良かった!!(笑)部屋の外の廊下兼バルコニーに出てみます。考えてみたら当たり前なんですが、山と緑に囲まれたとても静かな集落の景色なのでした。さて、日が暮れる前に是非とも行きたいところがあるので、早速歩き回りますよ~。<旅費交通費>ソンテオ:70バーツ宿代:700バーツここまでの合計:939バーツ※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/09/04
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トーンパープーム市場のイートン(ピロック)行きソンテオ乗り場まで戻ってきました。時刻は、12:53。ちゃんとまだいて、ちょっと安心(笑)左が乗車するイートン行きです。右は途中まで同じルートのバーンライ行き。出発時刻の13:30までまだ時間があるので、横の狭いカフェでソンテオを監視しながら休むことに。アイスラテ 40バーツ也。そして少し早めに乗車して待っていると、13:29にクラクションを2,3回鳴らしてからイートン行きソンテオはゆっくりと発車しました。市場内をクラクションを鳴らしつつ通過してから、緩やかな上り坂のテーサバーン通りを右へと走って行きます。あ、そうだ。そろそろかな。進行方向右手に見えたのは、以前も気になったトーンパープーム町役場。どう見ても、日本の城郭建築を模してますよね。どういった経緯でこのデザインになったのか、機会を見つけて調べてみたいもんです。しばらく走ったソンテオは道路から右へと逸れて、なぜか鉄材店前で停車しました。店の従業員が鉄材の束をソンテオの屋根に載せて縛りつけ始めました。こんなもんどうするんだろ? ^_^;)再び走り始めてほっとしたのも束の間、なんとソンテオは市街地目抜き通りのテーサバーン通りに戻って行くじゃないですか。あっけにとられていると、美容室前で停車。「集落長をちょっと待っててあげて。今美容室にいるから」運転手さんは座席のみんなにそう告げると、向かいの店で買い物をしてからタバコをふかせ始めました。同乗のおばちゃんが舌打ちしたり、一人でぶつぶつ言ったりでイライラしているのが伝わってきます(笑)結局25分ほど経ったところで、くだんの集落長が店から出てきました。60歳近くに見える黒髪が綺麗な女性です。乗客が大勢乗っているのを見て「なんだ、後から車をチャーターして帰っても良かったのに」とかのたまわっています(笑)で、すぐに発車するのかと思いきや、この集落長さん、買い物に行っちゃいました。バイクタクシーで戻ってきたのは、12分後。ようやく、今度こそ本当に出発です。時刻は、14:20。乗客は7人。私の横には欧米人みたいな顔つきの若いミャンマー人僧侶がスマホで動画を見ながら座っています。気が付くと右手には1984年にクウェー・ノーイ川を堰き止めて完成したワチラロンコン・ダムが見えていました。緩やかな起伏の続く道路を順調に走って行きます。途中、学校前で学生2人が乗車。そしてこの寺で隣のミャンマー人僧侶は降りていきました。15:02、T字路直前の売店前でソンテオが停車。場所は、ここ(グーグルマップ)。「これから山道に入るから、ここで休憩よ」集落長がニコニコしながら私に説明してくれました。「クイッティアオでも食べたら?」先に食べ始めていた集落長さんが叫んで声をかけてくれます ^^いや、さっき市場で食べたしなあ。運転手も「トイレはいいですか?」とみんなに声をかけました。じゃあと、トイレを借りてから飲み物でも買おうと売店の冷蔵庫を開けようとしたら、こんなところに日本語発見!でもフォントがむちゃくちゃアヤシイ(笑)ちなみにこの先のT字路を左に行くとイートン方面、右に行くとさっき市場で隣に停まっていたソンテオの行き先のバーンライです。15:15に売店を出たソンテオは、いよいよ山道を上り始めました。これは沿道の草刈りのために燃やしてるんですかね?ちょっと下には草刈り機を手にした作業員たちの姿もありましたし。登り始めて20分あまりで、もうこんな高いところまで来ました。途中、人家はずっと皆無。あそこはビューポイント。カンチャナブリーの山々や、もしかしたら眼下にはワチラロンコン・ダムも見えるのかもしれませんが通過です。時刻は15:43。いつの間にか道が細くなり、舗装状態も悪くなっています。穴ぼこがそこらに空いてますよ。ちょっと心配になってきたぞ。道のりはまだまだ長いはず…。<旅費交通費>ソンテオ運賃は未払いなので:0バーツここまでの合計:169バーツ※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/08/28
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モーチット・バスターミナルからのバスでトーンパープームに11:51に到着。バスの停車した路地の目の前を左右に通りが走っています。トーンパープームの目抜き通りテーサバーン通りです。この通りを左へと歩いて、イートン行きソンテオが出ているトーンパープーム市場まで行かなければ。道幅が狭くなって、両側にちょっと粗末な商店が連なり始めました。すると右手にあ、あった。トーンパープーム・ツーリスト・サービスセンターです。看板にはศูนย์บริการท่องเที่ยวPROVINCIAL CENTER OF TOURISMとだけ書いてありますが。場所はここ(グーグルマップ)。事前にグーグルマップを眺めていて偶然こんな施設があることを知ったんですよ。イートン行きソンテオが本当に10:30発の1本しかなかった場合、他の交通手段をアドバイスしてもらえるかもと思いまして。そんなわけで立ち寄ってみたら、鍵が閉まってる… _| ̄|○ひょっとして昼休み!?役所のサービスに期待した私がバカだった。外にあるトイレだけお借りして、早々に後にしたのでした。緩やかな上りのテーサバーン通りをさらに進むと左手にホテルが出現。振り返って眺めたのが、この光景。ソムジャイヌック・ホテル(โรงแรมสมใจนึก)という看板が。こんなところでもWiFiが無料みたいですよ。そこから4分で、トーンパープーム市場前に到着!時刻は、12:05。場所はここ。目の前の赤いバスはサンクラブリー発カンチャナブリー行きのローカルバス。最初にサンクラブリーを訪れた時に乗りましたねー。車掌のおばちゃんが「カンチャナブリーへ下りまーす!」と叫んで呼び込みをしています。そうか「下りる」というイメージなのか。で、市場はこの右手に入ったところに広がってるんですよ。さて、ソンテオはいるかいないか…。すぐ右の食堂前に真っ黄色のソンテオが1台。横っ腹のタイ文字ををまじまじと読むと、トーンパープーム - イートン(ทองผาภูมิ - อีต่อง)とあるじゃないですか!!!!運転手が見当たらなかったので、食堂に飛び込んでおばちゃんにこのソンテオが何時発かと尋ねると、「そこに運転手がいるから聞いたほうがいいよ」えっ?荷台の座席に座っている男性が運転手でした ^_^;)「13:30だよ。今日はもうこの1本だけだ」良かったー! 間に合った―!!誰だよ、10:30発の1本だけだなんてデマ流したのは!(怒)安心したら急にお腹が空きました。ちょうど食堂に足を踏み入れたので、ここで食べることにしましょう。センレック・ムー(豚肉のクイッティアオ細麺)30バーツ也。まずまずの味 ^^食べ終えたところで時刻は、12:19。もう1回、店先に停車中のイートン行きソンテオを眺めていたら、運転手がニコニコしながらやって来て色々教えてくれました。まずは本数と発車時刻。トーンパープーム市場発イートン行きソンテオ 1日4本10:3011:3012:3013:30 毎日あるとあえて言ったのは、この運転手さんはいつも13:30発の便を担当しているので毎日あると断言できるということのようです。その前の3本は他の運転手なので保証できないんでしょうね。あれ? まだ12:30前なのに次の便は13:30とはいかに?12:30のは今日は運行休止なのかな。イートン発トーンパープーム市場行きソンテオ 1日4本06:0006:3007:0007:30 運行しない日もあるこれも07:30の便の担当がこの運転手のようです ^^ちなみにイートンはピロック(ปิล็อก)とも言うんですが、運転手はずっとピロックのほうを使っています。さらに「宿は決まってるの? 案内してあげるよ」と。それは嬉しい! ぜひお願いします。すると携帯電話で早速問い合わせてくれてます。「今晩部屋は空いてる?」という話し声が聞こえてきました。宿は取れたとの返事。ありがとうございます!もっと色々手こずるかと思ったら、予想外に順調で拍子抜けしてしまいました(笑)そうそう、イートン行きソンテオの右隣に停車中の同じく黄色のソンテオはワチラロンコン・ダム湖畔近くの集落バーンライ(บ้านไร่)行きです。イートン行きより本数が多い感じ。ワチラロンコン・ダムへ行くのに使えそうですが、ダムの堤防は公園入口で下車してから3km近く歩かないとならないんですよね…。さて、発車時刻までまだ1時間余りあるので周辺を散策するとしますか。トーンパープーム市場を奥まで歩いて行きます。するとこの写真にも辛うじて写っているんですが、奥中央に「RUAN-SUAN RESTAURANT」と書かれたゲートが立っていました。くぐって坂道を下りると、レストランの他に「ルアンスアン・リムクウェー・トンパープーム」(เรือนสวนริมแคว ทองผาภูมิ)という簡素なホテルも経営しているのでありました。訳すと「トーンパープーム・クウェー河畔庭園の家」ってなホテル名です。そう、正面の下にクウェー・ノーイ川が見えてるじゃないですか!あそこまで下りてみたいなー。坂を戻ります。トーンパープーム市場を改めて奥から逆に眺めると、なんというか空気がバンコクと異質なことが分かりますよね。どう違うのかと言われてもうまく説明できませんが…。ここから右手に歩いて行くと、川の方へと下りていく急坂を発見!下は、トーンパープーム町立ラマ9世記念公園でした。飲み物の屋台の姿もある広い駐車場からさらに下りると、クウェー・ノーイ川に出られましたー。なんて穏やかな流れなんだ。思ったよりも透明度が高いです。川岸には、浅黄色のチョウが数多く乱舞しているんです。分かりますかね? 中央から右寄りに2匹写ってるんですが。なんだか癒されるな~。カンチャナブリーが一層好きになりました ^^<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:169バーツ※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/08/21
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カンチャナブリーに最近ハマっているんですが、ネットで情報収集している中でミャンマー国境の「ど山奥」にすず鉱山だった集落があるとの記事を見つけました。集落名は「イートン」(อีต่อง)。カンチャナブリー県のトーンパープームからイートン行きのソンテオが出ているのですが、朝10:30発の1本のみと、どのウェブサイトにも書かれているんです。モーチット・バスターミナル発スリーパゴダパス行きは6時台出発でトーンパープーム着11時台なのでギリギリ間に合いません。さてどうしたものか。今までの経験でタイのこの手のソースはいい加減なことが多いと分かっています。いくらなんでも1日1本ってことはないだろう。万一そうでも他の手段が何かあるはず。最悪の場合は、目的地をカンチャナブリー県内の温泉宿にでも変更するかな。というほとんどぶっつけ本番的な感じで旅立ったのでありました。旅行実施日は2017年3月27日(月)。まずは早朝、モーチット・バスターミナルへ。モーチットバスターミナルに05:16着。正面から入って中央の窓口へ向かって行くと、22番窓口の女性が「Where you go?」と。ダーン・チェーディー・サームオン(スリーパゴダパス)行きのバスでトーンパープームまで行きたいんですが。「ポー2ね」エアコン2等バスとのこと。あれ? 前回乗った時はエアコン1等だったのに。曜日かシーズンによって変わるのかな?しかも出発時刻も06:30と。前回は06:00だったぞ。でもポー2になった分、運賃は安くて169バーツ也。窓側の席を指定しました。ブラブラして時間を潰した後、指定の109番ホームへ。これか。06:10。そう、起きた時からずっと雨模様なのです。このシリーズ初の、雨の中でスタートする旅になるとは…。バスに乗り込むと車掌さんが席まで案内してくれました。全員の乗車券確認があった後、06:36に発車です。バーンレーンを通過する頃に一旦小降りに。でも厚い雲が立ち込めたままです。すると前方席の女性がおしっこしたいと車掌に訴え出しました。おいおい、出発したばかりなのに。トイレに行っておかなかったのか。ちょっと待ってと車掌さん。あ、そうだ。あれがそろそろなはず。車窓を凝視していると…いた!ナゾのジャンボジェット機です(笑)空港があるわけでもナイトマーケットの客寄せパンダなわけでもなく、ここにある理由が不明なんですよ。グーグルマップの航空写真でもその姿を確認できます。そしてバスはカンペンセーンの町を通過。ほどなくして左手で停車しました。バスを運行しているトランスポート社の施設のようですね。ここで急遽、さっきの女性のためにトイレ休憩です。時刻は08:12。10分も立たず出発すると、今度は右手の一角に入って停車しました。場所は、ここ。時刻は、08:36。「15分の休憩です。食事をしたい方はどうぞ」と車掌さん。え、こんなところで休憩なのか。しかもポー2なので食事は無料ではないとのこと。中には、飲み物とタイ料理のコーナーが。奥には土産物や地元の物産が並んでいます。運転手&車掌さんはクイッティアオを食べ始めていましたが、私は手前の飲み物コーナーにでかでかと「ラオス・コーヒー」と書いてあるものだから試しに注文。20バーツ也。「熱いのでトレーのまま持って行ってください」と店の女性。本当に熱い。スプーンまで熱いぞ。アルミ・コーヒーフィルターのないベトナム・コーヒーって感じですかね?正直に言ってあまり風味を感じませんでした ^_^;)09:05に再度出発。カンチャナブリー・バスターミナルに09:34に到着して、5分後に出発。10時過ぎに山が迫って来たら雨がまた結構降り出しました。天候を諦めかけていたところ、国鉄西線(ナムトック線)ナムトック駅付近で、ようやく止みました。ナムトック・サイヨークノーイ駅を通過してすぐの検問で停車。迷彩服の男性が乗って来てミャンマー人5-6人を詰所に連れて行きます。時刻は、10:45。その間に他の乗客はトイレ休憩。入国管理警察のサイヨーク検問所の様子です。10:50発車。日が出てきましたよ。ツイてるな~。車内で聞こえてくるタイ語はみんな訛りがあります。後部座席の集団はミャンマー語だし。旅行者は皆無かな。ヘルファイアパスもヒンダート温泉も通過したバスは、クウェー・ノーイ川に架かる橋を渡ります。そしてトーンパープーム(ทองผาภูมิ)に到着!時刻は、11:51。場所は、ここ。うーん、町のはずれじゃないか。予想外の場所で降ろされたぞ。<旅費交通費>バス:169バーツここまでの合計:169バーツ※旅は2017年3月27日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/08/14
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遅めのランチを終えた次は、せっかくチャオプラヤー・アパイプーベート病院まで来たんだから、マッサージでも受けてみることに。最初に見学したアパイプーベート・タイ式医療ミュージアムの左横の建物入口に到着。マッサージ&サムンプライサウナ・センターとの看板が掲げられています。中に入ってすぐ右手の受付でマッサージを受けたい旨告げると何やら電話をして確認してくれました。「今日は一杯です。今度は電話で予約してくださいね」と笑顔での返答。そんなに人気があるのか!うむむ、残念。60分200バーツで受けられるようなんですが。一応公式らしいサイトのリンク貼っておきますね。タイ語ですが。でも、さっき食事をしたレストランと同じ建物にスパも入ってたよな。高いだろうけど他に選択肢がないからあっちで受けてみるとしますか。と再び敷地の東端まで歩いて、さっきの建物に戻ってきました。(写真は前回のものを再掲。)正面に向かうとアパイプーベート・デイ・スパの入口です。さっきのアパイプーベート・スパ・キュイジーヌの本来の入口もこちら。豪華そうでちょっとビビリますね ^_^;)勇気を出して扉を開けると、ゴージャスなレセプションが目の前に!私が利用していいんだろうか(笑)女性が丁寧にコースを説明してくれます。1,000バーツ払って会員になればスパ代金が半額になるとか。でも2度目の訪問があるか分からないしなー。マッサージの他にもフェイシャルトリートメントやサムンプライのバス・サウナ、アカスリ、ハーブボールなどのメニューがあるようです。が、私はマッサージをお願いしました。90分で1,500バーツです。会員になって半額なら750バーツですか。でも入会費を足したら1,750バーツですから、一度きりなら入会しないほうがお得ですよね。「とくにマッサージをしてほしいところはありますか?」肩をお願いします。「どちらの肩ですか?」おぉ、そこまで細かく尋ねるのか。少々ソファーで待った後に案内されたのはレセプション裏の小さな診療室。「血圧を計らせてください」本格的だな~。「ちょっと高めですね。140です。コーヒーでも飲みましたか?」あ、さっき辛い料理を食べたばかりなので、そのせいかもしれません ^_^;)で、次に案内されたのがマッサージを受ける部屋。清潔感があっていい感じです。用意された服に着替えたのでドアを開けようとするとマッサージ師の女性が気配を察したのかノックして入ってきました。それからは至福の90分(笑)「足の筋が張ってますね。 これはずっと前からの慢性的なものでしょう」と。タイでマッサージを受けるとほぼ毎回足の筋が張ってると言われるんですけど、たぶんタイ人より歩く日本人はみんな同じじゃないですかね?それとレセプションで聞かれた肩についても、リクエストした左肩を重点的にマッサージしてくれました。90分が短く感じられましたよ。マッサージ後、レセプション前の椅子で待つように言われました。すると、ハーブティーとお菓子を先ほどのマッサージ師が運んできてくれるではないですか。うわあ、かわいらしい ^^お菓子はバナナ味でした。ハーブティーは何なのか尋ねたところ、5種の花粉茶(チャー・ゲーソーン・ドークマーイ5チャニット)だとこと。優しい味で美味しいじゃないですか。欲しいぞ。頂きながら周囲を見渡すと、サムンプライ・コーヒー と書いてあります。あなたに適したサムンプライから抽出した物質を配合したコーヒーをお選びいただけます。マームイ(หมามุ่ย)脳の維持、体の維持、体力増強、男性に最適。ラーク・サームシップ(รากสามสิบ)全世代の女性の体維持、免疫力増強、綺麗な肌にする効果。ブアボック(บัวบก)脳の維持、記憶力増強、心臓維持、体力をつけすっきりした気持ちに。…の3種類があるようで。コーヒーを飲むだけでもここを利用できるのかな?ちょっと不明です ^_^;)さて、最後にマッサージ代金の支払いです。後払いなんですよ。レセプションで入会したいか再度尋ねられました。入会したらこのアパイプーベート製品のセットをプレゼントしますと言われたんですが、とくに必要ないしなぁ。すみません…。ということで1,500バーツを支払い、アパイプーベート・デイ・スパを後に。さすが病院な光景を横目に向かったのは、食事前に寄った「アパイプーベート健康サムンプライ・センター」。さっき飲んだ「5種の花粉茶」を売ってるだろうと思いまして。店員に尋ねたところ、「ここではなく、アパイプーベート・コミュニティショップで 売っています。でも今日はもう閉店しました」時計を見ると17:00を回っています。たぶん17:00までなんでしょうね。残念!じゃあ、仕方がない。帰るとしますか。入口へ向けて歩きざまに振り返ります。中央の建物にアパイプーベート健康サムンプライ・センターとアパイプーベート・コミュニティショップがあります。左端が病院本館で、右端がアパイプーベート・タイ式医療ミュージアム。予約一杯でマッサージを受けられなかった施設の建物は、中央と右端の建物の間の裏手に隠れて建っています。入口の道路を挟んだ反対側にトゥクトゥクが待機していました。よかった。つかまらなかったらどうしようかと心配でしたよ~。運転手にバンコク行きロッ・トゥー乗り場までと告げると、60バーツと。でも50バーツに値切れました。時刻は、17:29。ほどなくして右折し、夕日に照らされたバンパコン川を渡ります。「ランシットですか?」ふいに運転手が尋ねてきました。まあランシット行きでもいいので「はい」と答えます。乗り場に到着です。17:35。確かにランシット行きです。ロッ・トゥー乗り場はここ(グーグルマップ)。モーチット発プラチンブリー行きはあってもプラチンブリー発は全てランシット止まりなんですかね?怪訝に思いつつも80バーツを支払って乗り込みます。20分待って17:55発車。ナコンナーヨック市街を通過する頃には日が暮れて真っ暗に。そしてランシットのメジャー・シネプレックス南側駐車場の終点到着です。時刻は、19:50。この写真を撮っていたところ、その場に居合わせたおじさんが「サービスが悪かったの?」とニヤケ顔で尋ねてきました。あ、そうか。最近タクシーやロッ・トゥーの対応だとか運転の酷さをSNS上に写真をUPして批判する人がいるご時世だからそれだと思ったのかな。なんだか写真を気軽に撮りにくい風潮になってちょっとイヤですねえ。メジャー・シネプレックス正面でやって来た戦勝記念塔行きロッ・トゥーに乗り、BTSモーチット駅下で下車したのでした。時刻は、20:30。これにて今回の旅は完結です。ショートトリップでしたが、「アパイプーベート」ブランド生みの親チャオプラヤー・アパイプーベート病院の歴史と、タイ・ハーブ「サムンプライ」について色々興味深い知識を得られたので行って良かったです!次回は、カンチャナブリーの山奥、ミャンマー国境にある元鉱山だった集落への旅をお送りします。お楽しみに~。<情報>アパイプーベート・デイ・スパ(Abhaibhubjhr Day Spa, อภัยภูเบศร เดย์ สปา)地図:グーグルマップ営業日時:水~日曜9:00~20:00公式サイト:อภัยภูเบศร เดย์ สปา - สมุนไพรอภัยภูเบศร(タイ語)<旅費交通費>トゥクトゥク:50バーツロッ・トゥー(プラチンブリー-ランシット):80バーツロッ・トゥー(ランシット-モーチット駅):25バーツここまでの合計:295バーツ※旅は2017年3月23日(木)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/08/07
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チャオプラヤー・アパイプーベート病院のシンボル的建物、アパイプーベート・タイ式医療ミュージアムを出て、その裏手に回ってみました。アパイプーベート・サムンプライ園 ⇒Abhaibhubjhr Herb Gardenとの看板に従ってさらに進むと、その名のとおり、タイ・ハーブ「サムンプライ」を植えた一角が出現。でも予想に反してさほど広くないですね。日本の住宅街にある児童公園程度の広さです。これ、幹の途中からトマトみたいな真っ赤な実がごろごろと房になって実っているのが面白いですね~。チャムマリアン(ชำมะเลียง)と書いてあります。実はフルーツとして食べられ、下痢止めの効能があるとか。根は、解熱、鼻血止めなどに効くようですよ。戻って、病院本館に右端から入って行くと、アパイプーベート・コミュニティショップとの看板が掲げられた農産物販売所を発見。地元で採れたと思われる野菜やフルーツが八百屋みたいに売られています。あっ、この実ってナコンナーヨック市街地手前の道路沿いに売っている屋台を沢山見たぞ。その時は名前が分からなかったんだけど、この辺の特産なのか。マヨンチット(มะยงชิด)と書かれていますね。英語では Thai Plango と呼ばれ始めたようです。味がプラムとマンゴーを掛け合わせたような味なので、Plam + Mango で Plango になったんだとか(笑)おぉ、ファックカーオ(ฟักข้าว)もあるじゃないですか!オートーコー市場や水上マーケットで時々見かけるようになりましたね。ビタミンAが豊富で、日本ではナンバンカラスウリと呼ばれているんだとか。その先、スロープの左の一角に「アパイプーベート」ブランドの製品を販売する店がありました。入口は裏側で…こんな地味な佇まいです ^_^;)でも中は、明るくてお客さんも結構いますね。店名は「アパイプーベート健康サムンプライ・センター」。チャオプラヤー・アパイプーベート病院がそもそもサムンプライ事業を始めたのは1983年。博士号を持つ一人の女性薬剤師がサムンプライに興味を持ち、地元の薬に詳しい人への聞き取りや森に入っての調査などでデータを収集したのに始まります。でも前回書いたようにアパイプーベート公爵がサムンプライに造詣が深かったことも間接的にせよ影響はしているんだと思います。そして病院の事業として次の原則を掲げ、研究と製品化を進めてきました。1.人々の健康管理への悩み・要望に応えること。2.効能があり安全なサムンプライを用いて開発すること。3.入手・栽培が容易で、集落から国レベルまでが日常的に使えるサムンプライであること。4.国内外の専門書や研究・試験成果、民衆レベルの経験などあらゆる方面のデータを研究。5.古来の知識と最新技術を融合させ状況に合うように応用すること。6.公・民で協力すること。効能に研究データの裏付けがあるサムンプライを用いて開発した商品は、30年余りの間に100種以上に及び、ハーブ薬のほか、化粧品、ケア用品、飲料などのラインナップがあります。私も何を隠そう(って隠してはいませんが 笑)、アパイプーベートのアンチャン(バタフライピー)シャンプーをかれこれ10年以上愛用しているんです。が、この日はユカン(Emblica)のフェイシャル・クリームを購入。ちなみにアパイプーベートの製品は、何もプラチンブリーまで来なくても、バンコク市内で購入可能です。シーロム通りのCPタワー地下1階にある健康食品スーパー「Golden Place」やセントラルワールド7階スーパー左奥の「タムラップタイ」(ร้านตำรับไทย)などで一部商品の取り扱いがありますよ。さて、時刻は14:35。いい加減腹が減ったのでランチにしようと方々で病院の食堂の場所を尋ねたんですが、返ってくる答えが人によって全然違う!病院総合受付女性:「左手奥にあります」⇒ない! 最近食堂が無くなったことが判明。売店女性:「ミュージアム裏のサムンプライ園にありますよ。」⇒鍋のある小屋はあったものの、料理は出してないと言われる。その小屋の女性:「あっちの端の緑の建物にレストランがあります」⇒もうそれに賭けるしかなさそう -_-;)というワケで敷地を右往左往した挙句、西端から東端までさらに歩いて行くと、屋根が緑だからあの建物のことかな?近寄ると看板に⇐健康レストランと。指示に従い飛び石を進んでいくと、ちょっと待った。これって勝手口じゃ? ^_^;)まあいいや、とガラっと開けて入ると、確かにレストランではあったので、ひとまずほっとしました。このレストラン、「アパイプーベート・スパ・キュイジーヌ」(Abhaibhubjhr Spa Cuisine)という名称でした。頂いたメニューを開くと、飲み物からして、聞き慣れない名前のサムンプライを使ったスムージーやジュースが並んでいます。右下のはミュージアムで買った物凄く酸っぱいやつ、ナム・トリーパラー(น้ำตรีผลา)じゃないですか。ハーブティーも様々な花を使ったメニューが並んでいて、女性ウケしそうですよ。料理のページも「お年を召した方向け」「お母さんや出産後の女性向け」「痰を切り、咳の症状を軽くするメニュー」「便秘を和らげお通じを良くするメニュー」「糖尿病の方向け」といった感じで、それぞれに合ったサムンプライを使ったお洒落なメニューが並んでします。さすがですね~。面白いなと思ったのが、「あなたにピッタリのサムンプライ入り玉子焼き」10種類のサムンプライから好きなものを選べるんですよ。単なる玉子焼きもちょっとした趣向で興味深いメニューになるもんなんですね~。私はフースアのスムージー(มมูทตี้หูเสือ)と普通にラープ・ムー(豚ひき肉和えサラダ)を注文。フースアの日本名はキューバンオレガノだとか。食欲増進、虫歯予防、風邪の症状軽減、鼻の通りを良くするといった効能があるそうです。写真では分かりにくいですが、そのフースアの葉が上に一枚添えてあるのがニクイです。ちょっぴり辛みのあるスースーする味で美味しかったですよ。ラープも上品な味付けかつ適度な辛さでレベルが高かったです!そうそう、レストランの本来の入口は、次回紹介するスパと同じで建物正面にありました ^_^;)<情報>アパイプーベート・スパ・キュイジーヌ(Abhaibhubjhr Spa Cuisine, อภัยภูเบศร สปา คิวซีน)地図:グーグルマップ営業日時:月~日曜8:00~20:00公式サイト:Spa Cuisine (สปา คิวซีน) - สมุนไพรอภัยภูเบศร(タイ語)<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:140バーツ<参考>MedThai "ชำมะเลียง สรรพคุณและประโยชน์ของต้นชำมะเลียงบ้าน 12 ข้อ !"ไทยรัฐ "คนไทยต้องเฮ! สื่อฮือฮา ‘มะยงชิด’บุกอังกฤษ วางขายห้างดังแล้ววันนี้"อภัยภูเบศร "ประวัติตึกเจ้าพระยา"MedThai "หูเสือ สรรพคุณและประโยชน์ของต้นหูเสือ 28 ข้อ ! (เนียมหูเสือ)"※旅は2017年3月23日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/07/31
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モーチット・バスターミナルから乗ったロッ・トゥーでプラチンブリー県市街地にあるチャオプラヤー・アパイプーベート病院に到着しました。場所はここ(グーグルマップ)。敷地正面にはその名のとおり病院本館が建っています。でもまず目指すは、敷地右端の方にあるあの建物、アパイプーベート・タイ式医療ミュージアムです。「アパイプーベート」ブランドのロゴイラストにもなっているので見覚えのある方もいるのでは?入口で靴を脱いで裸足で入りますよー。入館料は無料です。時刻は14:01。建物は2階建てで1階には3部屋あります。まず左端の部屋は、このお方の経歴の展示室。チャオプラヤー・アパイプーベートその人です。チャオプラヤーとは爵位の最高位なので、訳すと公爵ですかね? ここではそうしておきましょう。つまり「アパイプーベート公爵」(1851-1922年)の経歴が展示されているのです。このお方、元タイ領で現在はカンボジア領になっているバッタンバン、シェムリアップ、シーソーポンの知事を父から継ぎ務めていました。生まれもバッタンバンです。ところが1907年、タイがフランスにその3地域を割譲させられてしまいます。アパイプーベート公爵は、自分はラマ5世のもとで官僚職を務めてきたという信念で、フランスからのバッタンバン知事を引き続き務めて欲しいという要請を断り、雨季で道路の悪い中をゾウと牛の引く牛車でプラチンブリーまで疎開し、普通の公務員として人生の再出発をしたのでした。たださすがに財産は相当蓄えていたようで、この地で学校、病院、寺院の建設に資金を寄付しています。またアパイプーベート公爵はタイ・ハーブ「サムンプライ」を用いた手料理が得意で、ラマ5世がプラチンブリーへ行幸された際には自らの手料理でもてなされたそうです。で、その時アパイプーベート公爵は、ラマ5世がまたいらした際のために迎賓館の必要性を感じ、建てたのがこの建物なのです。1909年のことです。ラマ5世は残念ながら再びプラチンブリーを訪れることなく崩御。でも次のラマ6世が1912年に行幸した際に使用されました。1922年のアパイプーベート公爵の死後、遺産を相続した息子がこの建物を王族に寄贈。紆余曲折を経たのち、最終的には病院用にと政府に寄贈されます。それで1941年6月に病院としてスタート。当初はプラチンブリー病院という名称でしたが、この建物が最初の病棟だったこともあって、1966年6月にチャオプラヤー・アパイプーベート病院に改称されました。その後1989年に建物が修復され、ミュージアムとして使用されるようになったというわけです。ちなみに建築様式は、今なおバッタンバンに残る旧アパイプーベート公爵公邸とそっくりのデザインとなっています。この建物の落成後たった1年でアパイプーベート公爵はバッタンバンを去らざるを得なかったので、名残惜しいお気持ちがあったんでしょうね。次の中央の部屋では、何やらセミナーの真っ最中でした ^_^;)右端の部屋は、サムンプライの調剤薬局になっているようです。説明を読むと、今までの検査結果を提出して登録し、カードを作って…と面倒な手続きをしないと利用できないみたいです。薬草だけかと思いきや、貝がらやカメの甲羅、さらにはヘビまで瓶詰になっていて見ているだけでも楽しめますね。調剤カウンターで販売している商品は買えるようで。なんか目ぼしいものはないかな。なんだこの黒っぽい液体の入った袋は?「ビタミンCが豊富なんです」と薬剤師のお姉さん。苦いんですか?「酸っぱいです」へ~、一つ買ってみるか。15バーツ也。次は階段で2階へ。レトロな雰囲気の廊下がいいですね。右端の部屋は、サムンプライの処方・効能などを記した古い書物などが展示されています。うおぉ、ヘビだ。でもカンボジア語なのでまったく解読不能。これ、壁のポスターには、伝統処方は、薬の処方だけではありません。入れ墨もあります。目的は、不死身の戦士となる。愛される呪文疫病予防女性を口説く。女性をゾッコンにさせる。妻に焼きもちを焼かせない。家への泥棒侵入防止。などなど…と書いてあります。ヲイヲイ ^_^;)それよりも私は下に置かれた竜柄の水瓶に狂喜。ラーチャブリー産水瓶に違いありません!こんなところで出会えるとは。隣の部屋にも昔薬を作る際に使った道具がいくつか展示されていて、これはアユタヤ~ラタナコーシン朝初期の薬をすり潰す道具とのこと。さらに奥の部屋ではそこでもセミナーをやってました。…とまあ、こんな感じでひととおり見終えました。そうそう、さっき買った黒っぽい液体ですが、宿に帰ってから飲んでみたんです。口に含んですぐは、煎じた漢方薬のようなモワーっとした苦味を感じましたが、その後時間差攻撃で身震いするほどの強烈な酸っぱさが襲ってきました。身体には、たしかに良さそうではありましたけどね(笑)袋には「ビタミンC豊富、抗活性酸素物質含有、風邪・アレルギー・咳・痰防止、弱めの便秘薬」と書かれていました。さて、次はさらに病院敷地内を散策してみましょう。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:140バーツ<参考>アパイプーベート・タイ式医療ミュージアム館内の説明Wikipedia "เจ้าพระยาอภัยภูเบศร (ชุ่ม อภัยวงศ์)"อภัยภูเบศร "ประวัติตึกเจ้าพระยา"※旅は2017年3月23日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/07/24
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タイのマンゴスチン石鹸がお土産に大流行したのはいつでしたっけ?このマンゴスチン石鹸です。懐かしいですねー。十数年前だったかな?美白効果があるとかで、私も職場ばら撒き用に買った覚えが(笑)今でこそさまざまなメーカーが出してますけど、当時はこの写真のマンゴスチン石鹸だけだったように思います。ブランド名は「アパイプーベート」。日本では「アパイプーベ」と呼ばれているのを目にするこのブランドは、実は「チャオプラヤー・アパイプーベート病院」というれっきとした病院のブランドなのです。サムンプライと呼ばれるタイ・ハーブを使った伝統療法を現代の薬学に取り入れる研究を続けてきた病院で、研究成果から生み出されたサムンプライを使った製品の製造販売も行っています。今回は、この病院を訪れてみようと思いまして。場所は、プラチンブリー県。グーグルマップの地図を拝借して説明すると、バンコクの東方にある県で、意外とカンボジアからも近いのがわかります。中心市街地は「ナコーンナーヨック」の「ク」と「プラーチーンブリー」の「チ」を結んだ直線のちょうど中間地点に位置し、目指す病院もそこにあります。旅行実施日は、2017年3月23日(木)。まずはBTSモーチット駅の下から、バスでモーチット・バスターミナルへ向かいます。ちょうどやってきたのが無料バスでラッキー。何番バスか忘れちゃいました ^_^;)ターミナル敷地内に入って停車。そこからターミナル中央の建物へ歩いて向かいます。↑戦勝記念塔から移ったロッ・トゥー乗り場はこちらと大きな垂れ幕が。乗り場案内図によると、戦勝記念塔から移ってきたロッ・トゥーの乗り場が青い枠線のところ、それ以外のロッ・トゥーの乗り場は黄色い枠線のところにあるようです。私は黄色い枠線のところ=3番プラットホームへ向かうとしますか。裏へ抜けて、長距離バスのプラットホームも突き抜けてさらに奥へと進んでいくと、奥の5番プラットホームのさらに向こうに目指す3番プラットホームがありました。両側に並んだ仮設トイレみたいなのがチケット販売ブース。外側に窓口があります。うーん、どれだろ。あった!プラチンブリー行きロッ・トゥーは6番でした。おばさんにプラチンブリーに行きたい旨告げると100バーツと。あと10分で出るとのことですぐに支払います。あの、チャオプラヤー・アパイプーベート病院まで行きたいんですが。おばさんは運転手に相談してくれて、病院まで送ってもらえることに。うわあ、ありがとうございます~。「追加で40バーツね」あ、はい ^_^;)乗車して、チケットをまじまじと眺めているうちに出発です。11:07。乗客は、なんと私一人!心配していたところ、ターミナルを出てすぐに軍人が一人乗ってきました。その後、高速道路下のベーカーリー前で停車して運転手さんは降りて行ったきり戻って来ません。パンを仕入れているの!?私も車を出てパンを一つ買ってみました。こんなにレーズンが贅沢に詰まったパンでした!20バーツ也。10分経った頃ようやく運転手さんが戻ってきました。パンを詰めた発泡スチロールの箱を抱えて(笑)プラチンブリーでどこかに卸すんでしょうね。で、11:25に再出発。運転手さんと軍人さんはずっと話をしています。当局がランシットからモーチットまでの間では停車させてくれないんだよと運転手さんがボヤいているのが聞こえてきました。そのランシットに11:56到着。ここでわんさと乗車してきて満席に。12:02出発です。ここからはランシット-ナコンナーヨック通りをひたすら走り、13:17に懐かしのナコンナーヨック市街に入りました。左手には以前の旅でランチをしたナコンナーヨック病院が。そのすぐ先のこの交差点で右折します。ちなみにここを真っ直ぐ行くと宝くじにご利益のある寺、ワット・プラーンマニーがあります。境内には、旧日本軍第37師団慰霊碑もありましたね。しばらく走って行くと沿道が緑豊かになってきました。こんな苗木屋がいくつも車窓から見えます。いきなりロータリーに出くわしました。ロッ・トゥーは時計回りに270度方向転換して南下する道へと進路を取りました。ちなみにこのロータリーから写真の正面奥方向の道は、カオヤイ国立公園の玄関口となる道です。いつか行ってみたいんですが、公共交通機関だけでは辿り着けない(要ヒッチハイク)ので悩んでいるところです ^_^;)国鉄の線路を越えるあたりからプラチンブリーの市街地ですね。この先を右折し、国鉄プラチンブリー駅前を通過しました。駅前にはトゥクゥクの姿しか見えませんね。さっきから車窓を気にしていたんですが、どうやらプラチンブリー市街地にはソンテオ路線がないように見えます。たまたま私が見かけなかっただけかもしれませんが…。その先で最後のお客さんを降ろすと乗客は再び私一人に。バンパコン川を渡りしばらく走ると、目的地のチャオプラヤー・アパイプーベート病院に到着しました!敷地内まで送ってくれてありがとうございます!場所は、ここ。時刻は、13:58。所要時間は2時間51分。さて、まずはやっぱり見えているあそこからだよな ^^<旅費交通費>モーチット行きバス:0バーツロッ・トゥー:140バーツここまでの合計:140バーツ<参考>โรงพยาบาลเจ้าพระยาอภัยภูเบศร "ประวัติองค์กร"※旅は2017年3月23日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/07/17
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バンヤイ市場を後にして、パープルラインのバンヤイ市場駅ホームに戻ってきたところで私の携帯電話が鳴るではないですか。登録してない番号に不審がりつつも出てみると、なんとワット・モーリーで船を呼んでくれた少年僧でした。「寺に来ないの?」あ、ごめんなさい。もう水上マーケットから出て今バンヤイにいるんですよ。「次はいつ来るの?」いやあ、まだちょっと分からないですね…。そうか、私の電話番号を尋ねたのはそういうことだったのか ^_^;)すぐに来たタオプーン行き電車に乗り、保健省駅で降ります。時刻は、13:25。電車進行方向左手をホームから眺めた景色がこれ。奥に見えるゲートが保健省入口です。最後の目的地として保健省に行ってみようと思いまして~。2番出口から出てセブンイレブンの角を右に曲がると、ゲートに続く道です。沿道には商店やアパートが並んでますね。入口から2~3分でラマ10世ワチラロンコン新国王の肖像画が並んだ保健省ゲートに到着。時刻は、13:31。場所はここです(グーグルマップ)。足を踏み入れると正面はロータリーになっていて中央に足を組んだ男性の銅像が。ルアンウィチアンペーッタヤーコム(หลวงวิเชียรแพทยาคม)と名前が刻まれています。アメリカに留学して精神医療を学び、それまでは西洋人が院長を務めたタイの精神病院で1941年に初のタイ人院長になった人なのだそうです。「狂人病院」という名称だったのを「精神病院」に変更したのもこの人物。現在では単に「シータンヤー病院」(โรงพยาบาลศรีธัญญา)という名称にさらに変更されてこの地にあります。そう、保健省の敷地はとにかくだだっ広く3,4km四方ぐらいあるんじゃないでしょうか。で、こっちのゲート側敷地にはそのシータンヤー病院があるんです。保健省庁舎へは東へ2km、総合病院にも北へ2km行かないと辿り着けません ^_^:)てなことで、敷地内のこっち寄りにあるという公園に寄って帰ろうと思ったんですが、案内板を見ても表示がないんですよね。ふと見回すと、マンゴー売り屋台が。マンゴーを1キロ買って1つ剥いてもらいました。ついでに公園はどこにあるのか尋ねると、左のほうを指差すので、そっちへ向かってみることに。緑が多くて癒されるんですが、暑い -_-;)誰も歩いてなんかいやしません。車かバイク。当たり前か。ちっとも公園が見えてこないので諦めて路地を右に曲がってみました。タイの国花ラーチャプルック(ゴールデンシャワー)が綺麗ですね~。突き当りを右に曲がります。沿道には「女性10」「女性11」とかいった建物がまばらに並んでいます。これらもシータンヤー病院の施設なんだろうか?立派な交差点に出ました。なんだか閑散とした研究都市といった趣です。直進すると。精神衛生局第4精神衛生センターとの看板が。やはりこの一帯広くがシータンヤー病院なんですね。実はいい時間なのでランチにしたくて食堂を探していたんですが、ようやく「食堂」と書かれた建物を発見!が、中はガラーーーン。端でくっちゃべっているおばちゃん数人とスズメのチュンチュンという鳴き声だけが響き渡っています。あ、左端のほうにズズメが2羽写ってますね(笑)唯一営業中のコーナーでPETボトルの水だけ買い、さっき剥いてもらったマンゴーをランチ代わりにすることに♪食べ終えて、弧を描く道を西へと歩いて行くと、あれ、左手の緑が濃くなってきたな。ちょっと分け入ってみるか。やっぱり公園でした!ネットで読んだ公園があるって情報は、ここのことだったのかも。場所はここ。ハトが沢山いるのと、サギらしき鳥も数羽見かけました。池の向こうの敷地内の道路をタクシーが何台か走っていたので、一般車でも入ってきて良さそうな雰囲気です。さらに歩いて、入口のゲート付近に戻ってきました。さっき見た銅像の背後にこんな建物がありました。1階にはなぜかファンシー雑貨店と雰囲気良さげなカフェが入っています。でも土日は休みなのか鍵が閉まっていました。残念。結構歩いてもうヘトヘトなので、そろそろ帰りますね。時刻は、14:15。保健省ゲートを出て、正面に見える保健省駅から再びパープルラインに乗りました。タオプーン駅に戻り、8月にMRTがタオプーン駅まで延伸開業したら廃止になるであろう無料シャトルバスでバンスー駅へ。バンスー駅到着は、14:40。そこからMRTで宿へ戻ったのでした。ということで今回の旅も完結です。パープルライン沿線の行き残したスポットを3,4か所訪れましたが、やはりチャオプラヤー川西岸のノンタブリーの良さは、運河と舟のある景色に尽きますね。さて次回は、病院ネタに触れた延長線上でプラチンブリー県某所に足を延ばしてみます。お楽しみに~。<旅費交通費>パープルライン(8月まで土日は均一運賃なので):15バーツ×2回ここまでの合計:140バーツ<参考>Wikipedia "โรงพยาบาลศรีธัญญา"สถาบันจิตเวชศาสตร์สมเด็จเจ้าพระยา "ประวัติสถาบันจิตเวชศาสตร์สมเด็จเจ้าพระยา"※旅は2017年3月25日(土)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/07/10
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続いてパープルラインでバンプルー駅からバンヤイ市場駅にやって来ました。時刻は、11:48。駅からは歩道橋でセントラルプラザ・ウエストゲートに直結しているんですが、既に以前行っているので今回は、下を走るカンチャナピセーク通りの反対側へ下りてみます。駅名の由来になっている「バンヤイ市場」に行ってみようと思いまして~。歩道橋を下りて振り返ると、ひときわ高い看板に赤い←とともに「バンヤイ・シティー」と。バンヤイ・シティーとは、新興住宅街開発に合わせて、市場や商店街を、さらには行政官庁まで揃えて造成された文字通りの「町」なのです。バンヤイ郡役所なんて、庁舎用地を寄付までしてここに移転してもらったんだそうで。それで郡役所が元あった地域は、今では「旧バンヤイ」と呼ばれているんですよ。そんなバンヤイ・シティーはこの奥に広がっていて、グーグルマップから拝借した航空写真で説明すると、黄色い線で囲んだ範囲がバンヤイ・シティー。その広大さが分かるかと思います。目指すバンヤイ市場もバンヤイ・シティー内にあり、黄緑色の印のポイントなんですが、この時は正確な場所を知る由もなく…。あ、ファミリーマートの看板の直上に←バンヤイ市場の看板も見えますね。ということで奥へと入って行ってみましょう。歩いて来た道はバンヤイ・シティー・ソイ1だと看板を見て初めて気付きました。左の神様はサヤームテーワーティラート神と書いてあります。バンコクの旧中心部「ラタナコーシン」の守護神で、本物の像は王宮内のパイサーンタックシン宮殿内に安置されているようで。ここのは分神ってことですかねー。さらに進んでいくと、おぉーっ、商店街が予想以上の規模でビックリ!どうも卸業者も混じってたりしているようです。ところで肝心の市場が見当たらないんですよね。最初の角を左に曲がってみると、あれか、バンヤイ市場!場所をグーグルマップで示しておきますね。早速、中に足を踏み入れてみると、この辺りは精肉売り場ですね。左奥にブタさんの頭が並んでいます ^_^;)2つ上の写真のような建物が3つ繋がっているようで、市場全体では相当な広さがありますよ。表通りに近いゾーンのほうが活気がありますね。あら、カエルさん ^_^;)クロントイやバンケーの市場のほうが規模は大きいですが、それでもここバンヤイ市場もかなり大きな市場でした。私は結果的に裏手からバンヤイ市場に入りましたが、ふつうはこっちの正面から入るんでしょうね。車で来る買い物客が多いのか、市場前の路地をひっきりなしに車が通って行きます。そろそろバンヤイ市場駅に戻ろうかと歩き始めたら、小さなカフェを発見。「Get a cup」っていうみたい。場所はここ。どうせなので入ってみますか。店内にテーブル2つとカウンター席が数席、店外のわきにテーブルがあと2,3あるだけの本当にこじんまりした店ですが、店内は清潔感がありいい感じ。女性が一人で切り盛りしています。ホットのアメリカンコーヒーを注文してテーブル席に着席。エアコンの効いた店内で涼みながら休んでいると、お客さんがひっきりなしにやってくるではないですか。ほとんどはテイクアウトなんですが、意外と繁盛してるんですね。すると小さな子供を2人連れたお母さんがやってきました。子供が座りたいと言っているのが聞こえたので、私はどうぞとテーブル席を譲って背の高いカウンター席へ移動。飲み終えてカップをカウンターに下げたところ、「もう帰るんですか? お茶を淹れるんで飲んでいきませんか。 席を譲ってくれたお礼です」と店主の女性。えっ!? どうもありがとうございます!タイの店でこんな気配りに触れたの、たぶん初めてですよ。心が温まる思いがして思わず嬉しくなりました。このカフェ、また必ず行きますよ~ ^^さて、次は行き残した最後のスポット、保健省へGO!<旅費交通費>パープルライン(8月まで土日は均一運賃なので):15バーツここまでの合計:110バーツ<参考>Wikipedia "อำเภอบางใหญ่"Wikipedia "พระสยามเทวาธิราช"※旅は2017年3月25日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/07/03
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お客さんのほとんどいないスアンブア国民水上マーケットを真ん中のエビ・魚養殖池に沿って反時計回りにさらに歩いてみます。対岸の店沿いには、ヤシの木が実を付けた姿で立っていたりして自然の中のマーケットな雰囲気でいいですね。あれ? なぜか北タイ名物サイウア(辛口豚ソーセージ)が売ってるぞ。もう即断で買っちゃいました(笑)1袋20バーツ也。ナムプリック・ヌムも売っていたんですが、冷蔵庫保存でも2週間しかもたないとのことだったので買うのを断念。近くの休憩所? に座りサイウアを突っついて汗をかきながら、改めてマーケットを見渡します。ベンチが丸太で、これまたいい味出してますね~。池の対岸に浮かぶ舟が気になります。外の運河とはつながっていないので、わざわざマーケットの客寄せパンダ的に持ってきて浮かべたんでしょうけど、やっぱり舟があるのとないのとでは雰囲気が全然違いますよね。舟の物売りがいれば「水上マーケット」の名称に嘘はないですし ^^ということでお次は舟のクイッティアオを注文。35バーツ。女性がちゃんと舟の上で丁寧に作ってくれています。すぐ手前にあったプラスチック製の小さなテーブルに身をかがめて食べようと座ったら、「あっちのテーブルのほうが落ち着いて食べられますよ。 それは子供用のテーブルだから」と近くにいたおじさんが。どうりで小さいわけだ(笑)ありがとうございます!レストラン近くの立派な木製テーブルに移りました。豚のクイッティアオ・ナムトックを頼んだんですが、合格点の味でした~。具が多めなのが嬉しいです。食べ終えて最後にもう一周歩いておくことに。するとノートが広げて置いてあるだけのブースが。気になって寄ってみると船のツアー申込みカウンターでした。30バーツなら安いな。9寺巡りですか?ブースにいたおじさんに尋ねてみると「サパーン・ジェットに行きます」と。ジェット橋? ラマ7世橋まで行くのはちょっと遠いなと思い、後で調べてみたんですが、オームノン運河出口付近にあるマハー・ジェッサダーボディンタラーヌソーン橋(Maha Chesadabodindranusorn Bridge)のことのようです。でも18人集まらないと出ないんだとか。ノートにはまだ一人も名前が…。諦めましょう ^_^;)さて、ここの〆にもう1本ジュースをば。メークローンの砂糖ジュース、20バーツ也。サイウアにしても、この集落の産品ばかり売っているわけじゃないんですね。写真からすると、サトウキビではなくヤシ砂糖(パームシュガー)のようで。優しい控えめな甘さで美味しかったです。そろそろバンプルー駅へ戻りますか。来た時と同じ船のルートでは芸がないので、何分かかるのか、ひたすら歩いて実験台になりましょう。実は砂糖ジュースは熱中症予防に歩きながら飲もうと思い買ったのでした。なんとも素朴だったスアンブア国民水上マーケットを表のゲートから出て後にします。時刻は、11:07。スアンブア国民水上マーケットからバンプルー駅までこれから歩くルートをグーグルマップで示しておきますね。右に折れ、道なりにずんずん歩いて行きます。静かなソイの両側は果樹園の間に時々人家がある感じ。なんだろう、あの実は?こっちはマンゴーですね。いいなあタイは。放っておいてもマンゴーがたわわに実るなんて。この木には不思議なマメ科っぽい実が沢山付いていますよ。暑くてヘトヘトになるんじゃないかと心配していたんですが、沿道の風景や木々を眺めるのが楽しくて、全然苦になりません。強いて言えば途中、民家の前で飼い犬らしき3匹に取り囲まれてワンワン!とすごい剣幕で吠えられたのには参りました。私も負けじと眼力で対峙して撃退しましたが ^_^;)途中何度か細い運河を渡るんですが、どの運河にもこんな感じに水門があるのがやや興ざめ…。なんだかバンコク近郊にいるのが信じられない光景になってきましたよー。でもこの先で左折→右折したら急に両側が賑やかになりだしました。そんな中の右手には、バンレーン町集落商品販売センター(プラチャーラット)との看板のある建物が。残念ながら鍵がかかっていてお休みのようでした。しかしここにもプラユット首相提唱の政策「国民」(プラチャーラット)の名が。ここから数分で、ようやくバンクルアイ-サイノーイ通りに出ました!時刻は、11:27。スアンブア国民水上マーケットからちょうど20分かかったんですね。ちなみに今歩いて来たソイは、バンレーン・ソイ1(บางเลน ซอย 1)だと看板を見て知りました。ここから右に曲がり、大通り沿いに歩いて行きます。現れた橋の下は、行きに船に乗ったオームノン運河です。右岸にレストランがありますね。夜は雰囲気いいのかな。で、橋の上から向かう先を眺めると、目指すパープルラインのバンプルー駅が交差点の上に見えています。ちなみに左手の金色の塔状のものは、船に乗ったワット・モーリーに続くソイの入口です。交差点まで戻りました。右の角には、定期市の準備中かな?見回すと看板が立っていて、歩道市場(バンプルー交差点)ここで午後開催毎木金土日と。午後にスアンブア国民水上マーケットに行けば、ついでにここも見られるってことですかね。交差点を右折して、来た時とは違う3番出口からバンプルー駅に入りました。時刻は、11:39。スアンブア国民水上マーケットから32分か。歩くならやっぱり熱中症対策をしっかりしたほうがいいですね ^_^;)さあ、次はパープルラインでバンヤイへ向かいますよ~。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:95バーツ※旅は2017年3月25日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/06/26
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「船を呼んだ人がいるようだけど」目の前にやってきた船の男性が話しかけてきました。ティーさんですか? 呼んだのは私です。スアンブア水上マーケットへ行きたいんですが。男性が頷いてニコッとすると、船着場に船を寄せます。ということで乗船して、スアンブア国民水上マーケットへ向けて出発です。時刻は、10:12。もう一人乗っているおばさんは、相乗りのお客さんなのか船頭さんの奥さんなのか不明 ^_^;)さっき歩いて来たバンクルアイ-サイノーイ通りの橋をくぐり一路東へ。穏やかな水面が綺麗ですねー。しかしワット・モーリーとスアンブア国民水上マーケットを結ぶシャトル船が運行開始から数か月で廃止になってしまった今、一般的に利用しえる足の選択肢は、自家用車一択。あとはタイ語力がちょっと必要ですが、今回の私のようにワット・モーリーで誰かに船を呼んでもらうか…。最後の手段は、ひたすら徒歩ですね。帰りに気が向いたら人柱になってみますか(笑)4分ほどで見えてきました。あの青い屋根のところが、どうやら水上マーケットの船着場みたいですよ!泊まっているのが、元のシャトル船ですね。今は9寺巡りツアーにでも使われているんでしょう。その船に横付けしてここから上がりなさいと。50バーツですよね?船頭さん、渋い顔してます。「ここまで来るのには…」と言いかけて口ごもっているので、いくらですか? と尋ねると「80」まあいっか。言い値で支払います。電話番号を教えてもらって、もし帰りにまた利用したかったら電話しますね、と伝えて船着場に上がりました。時刻は、10:19。船着場の垂れ幕には、「国民」政策にもとづく基礎経済増強プロジェクト スアンブア国民水上マーケット 運営:バンヤイ郡村落・市街集落基金ネットワークとあります。ちょっと説明が必要ですね。「国民」と訳したプラチャーラット(ประชารัฐ)とは、プラユット首相が唱えている政策です。ざっくり言うと、「国」(ラット)と「民」(プラチャー)が協力して治安の安定、国家・コミュニティの発展、格差の是正などを進める力を生み出そうという考え。なのでここは、プラユット首相の「国民」政策に沿った、公的団体運営の水上マーケットってことなんでしょう。今年2017年1月14日にプレオープンで翌日の1月15日に正式オープンしたばかりの新しいマーケットです。船着場から細い通路を抜けると、まるで田舎の住宅街の路地に迷い込んだかのような景色が。あれ、ここで合ってるんだよなあ? ^_^;)歩いて行くと、両側に池があるのに気付きました。左の池沿いにはホームステイ(宿泊サービス)の部屋が並んでいます。で、右の池を囲むかたちで目指していたマーケットがあるようです。茂った木々の間から物を売っているブースが池側を向いて営業しているのがやっと見えました。とりあえず周辺の観察からと思い、路地を突き当りまで抜けると、そこが表側の入口でした。「スアンブア」とだけ書かれた看板が掲げられたゲートが路地入口に立っています。その右が駐車場。で、さらに右にはゾウの頭をあしらったモニュメントが聳えています。まったくもって逆光でゾウさんの顔がはっきり見えなくてすみません ^_^;)ゾウさんモニュメントの下には線香とお供え物が。その先の池にはハスがビッシリ。「スアンブア」=「ハス園」の由来は、この池なのかな。ちなみに左に見える池の上に建つカラフルな家屋がさっき見たホームステイ用の部屋です。さあ、路地を戻っていよいよスアンブア国民水上マーケットに入ってみますか!場所は、ここ(グーグルマップ)。四角いかたちのエビ・魚養殖池の3辺に通路があって店が並んでいます。もう1辺はレストラン。のどかな雰囲気が漂っていますねぇ。ここならではの商品を探して進んでいくと、プーヤイウェオ農園のマナオジュースと書かれた屋台を発見。マナオ(ライム)生搾りハチミツ入りジュース100%と。ちょうど喉が渇いたので買ってみますか。「自分の農園で取れたハチミツです」と店の女性。ほぉ、マナオだけでなくハチミツもですか!20バーツでした。砂糖を加えていない自然で控えめな甘さが美味しいですね~。マナオも酸っぱすぎずちょうどいいです!飲みながらさらに歩いていきます。お客さんの姿がほとんどないのは、まだ午前中の早い時間だからですよね、きっと ^_^;)<情報>スアンブア国民水上マーケット (ตลาดน้ำประชารัฐสวนบัว Suan Bua Floating Market)営業日時:土日祝 8:00-17:00地図:グーグルマップ詳細:スアンブア国民水上マーケット facebook<旅費交通費>船賃:80バーツここまでの合計:95バーツ※旅は2017年3月25日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/06/19
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バンコク北西部に昨年夏開業した高架鉄道パープルラインの沿線紹介の旅を以前書きましたが、その際に行き残したスポットが何か所かあったので、行ってみました。旅の実施日は、2017年3月25日(土)。まずは以前の「パープルラインに初乗車&沿線見どころ紹介」の時と同様にMRT終点のバンスー駅から無料シャトルバスでパープルライン始点のタオプーン駅に向かいます。3分でタオプーン駅下の終点に到着。時刻は、09:01。バスを下車して左手に歩いたところにある上りエスカレーターでパープルラインのタオプーン駅に上がります。ここ始発の電車が入線して出発。時刻は、09:12。今回もお客さんガラガラ。まあ土曜日ってこともあるんでしょうけど、乗車率は5~10%っていったところ。すれ違った反対行き列車はもう少しお客さん乗ってましたけど。チャオプラヤー川を渡って4駅目のバンプルー駅(สถานีบางพลู)で下車します。時刻は、09:39。駅の場所は、ここ(グーグルマップ)。最初に向かうのは、水上マーケットなんですが、ここからちょっと変わった行き方で向かおうと思います。電車の進行方向左手の景色をホームから見ると、真下にバンクルアイ-サイノーイ通りが南北に走っています。中央やや右に赤い屋根のお寺が見えるのが分かりますか?まずはあそこまで歩いて行きます。ホームから下りるエスカレーターに乗ったら、前を行く男の子3人組の一人のTシャツに目が釘付けに。「ずっと友達でいよう」青春だな~!(笑)改札を出て出口へ向かう通路からバンプルー駅を眺めます。建設したのは日本の企業連合体。クオリティーが違いますね~。さすが日本企業!4番出口に出ました。時刻は、09:44。ここから右へと歩道を進み、さっき上から見たバンクルアイ-サイノーイ通りとの交差点を右に曲がり右側の歩道を5分ほど歩いていくと、右手にお寺の山門が建つソイの入口が出現。ソイ・バンラックヤイ22との看板表示が。お、ここだ。ソイに入り、くねくね曲がる道なりに3分ほど歩くと、左にお寺の本堂が見えてきましたよ。タイの伝統音楽がスピーカーから流れているのが聞こえます。ここがお寺の入口。ワット・モーリー(วัดโมลี)といいます。場所はここ。バンプルー駅からの道順もグーグルマップで示しておきますね。入りますか。時刻は、09:55。駅を出たところから11分かかったんですね。本堂横を通り過ぎると、正面奥にあずま屋が並んで建っているのが見えてきました。運河沿いの船着場でしょう。そこまで辿り着くと、右手に屋台の並ぶ一角があるじゃないですか。せっかく来たので冷かしてみますか。これはちょっと・・・ ^_^;)実際に営業している店の数は10あるかどうか。寂しい限りですが、なんと一応「ワット・モーリー水上マーケット」らしいですよ。ここ。2017年2月4日にオープンしたばかりで毎週土日にやっているようです。うーん、大丈夫なんだろうか。あ、これから向かう水上マーケットはここじゃないですよ(笑)スアンブア国民水上マーケットってところを目指しています。実はそこと結ぶ船がこのワット・モーリーから出ているとの情報を得たので、ここに来たんです。で、どこから出ているんだろうか。功徳を積むための放流魚を売っている、夫婦と思しき30台前半の2人に尋ねてみました。「もう来なくなって随分経ちますよ。今は通り過ぎるだけです」ゲェェ!!通り過ぎる船っていうのは、どうせ9寺巡りの観光船でしょう。ここまで来たのにどうすればいいんだ (T_T)「船を呼ぶしかないですね」へ?すると背後から若い男性の声が。「電話して呼んであげましょうか。船賃は50バーツですよ」振り向くと、タイ語でネーンと呼ばれる少年僧でした。歳の頃は20代半ばかな?ありがとうございます!ということでスマホで電話して呼んでくれました。船着場で待っていれば間もなくティーさんが船で来るからと。念のためあなたの電話番号を教えてと言われ、怪訝に思いつつも教えるとすぐにその場でワン切りして確認してました。まあいっか。しばらく少年僧になんでタイ語が話せるのかとかお決まりの質問攻めにあった後、船着場に出ます。これは、オームノン運河。アユタヤ時代にショートカットが掘削されるまではチャオプラヤー川の本流でした。時折住民が手漕ぎの船で運河を行き来している光景が見られます。ノンタブリー県はまだ舟のある生活が残っている地域が結構あって好きなんですよね。10分ほど経った頃、1艘の船が向かってきました。あれに違いありません!<旅費交通費>パープルライン(土日は全線均一料金なので):15バーツここまでの合計:15バーツ※旅は2017年3月25日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/06/12
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メークローン川べりのいかだレストラン「クルア・チュッカドーン」でのやや遅めのランチを済ませてから、店入口目の前の船着場へ寄ってみました。対岸は建物も少なくこっち側と景色が全然違いますね。ちなみに右へと顔を向けると、今さっき食事をしたクルア・チュッカドーンが。さて、次の目的地へ向かいましょう。時刻は、14:30。船着場から少し上がった右手の路地に入ります。左の木にチュッカドーン・ビーチ↑との標識が。よし合ってるぞ。途中犬の群れに吠えられたりしながら、また現れた標識に従い、途中を右へと曲がり、道なりに進むと、あそこがそうみたいですね。行ってみましょう。チュッカドーン・ビーチ(หาดทรายชุกโดน)に到着~。時刻は、14:33。場所はここ(グーグルマップ)。はい、海じゃないのにビーチがあるんです。目の前はメークローン川。海岸ではなく川岸にある、れっきとしたビーチです(笑)子供用のアトラクションまでありますよ ^^でもさすがにこんな炎天下、お客さんは人っ子一人いません。一応、飲食物販売店や土産物店もありますよ~。ビーチに来たからといって水遊びをするわけでもなく、早々に切り上げて次なる目的地へ向かいましょう。時刻は、14:40。来た道を戻り、船着場前の上り坂を上り切ると目の前は、チュッカドーンの市場です。それこそ百年市場並みに100年は経っていそうな木造商店街が両側に連なっていいます。中を通ってみましたがなかなかの活気。ここも観光地として売り出せますね~。で、この角を左折して元のパークプレーク通りを戻って行きます。ワット・チャイチュムポン・チャナソンクラームの山門をくぐった左手に、JEATH戦争博物館(JEATH War Museum)が。時刻は、14:50。場所はここ。さっきは素通りしたんですが、今度は寄っておきます。左の受付で居眠りをしていたおばちゃんを起こして入場料50バーツを支払います。各国語の案内チラシが揃っているようで日本語版を頂きました。チラシによると、ここは1977年に泰緬鉄道建設に関する遺品の展示・保存のために設立されたんだとか。JEATHとは、当事国Japan、England、America and Australia、Holland、Thailandの頭文字を取って、"DEATH"を連想させる順番に並べたものなのだそうで。残念ながら館内は撮影禁止。あったのは、泰緬鉄道建設に従事させられた戦争捕虜の収容施設を忠実に模した建物とその中に並べられた泰緬鉄道建設に関する写真…。あれ? さっきカオプーン洞窟出口で見た「戦争博物館」にソックリだぞ。写真もほとんどカブってるし。異なる点は、こちらには「遺品」の展示があること。あと連合軍機によって投下された不発弾も。滞在10分弱で後にしました。そろそろシメにしますか。最後に向かったのは、朝訪れたパークプレークの古い商店街の一角。バーン・スィッティサン(บ้านสิทธิสังข์, SITTHISANG RESTAURANT)です。時刻は、15:02。場所はここ。築90年ほどのコロニアル様式の建物を使ったカフェなんですよ。パークプレークの商店街では観光客に一番の人気店のようで。ドアを押して入ると目の前にカウンターが。カウンターの女性に、ハチミツ入りナマオジュースを注文。店内はこんな女性が好みそうな雰囲気。オシャレですよね。炎天下で自転車を漕ぎまくってバテた身体にハチミツ入りナマオジュースは最高ですね。生き返りました~。この店、営業時間は08:00~18:00とのこと。体力が回復したところでバーン・スィッティサンを出て、自転車を返しに「Monkey Bar」へ。そこから徒歩で表通りのセーンチュードー通りに出て、適当なところでバスターミナルへ行くソンテオを待ちます。が、しばらく待ちましたねぇ。ようやくやってきました。この通りを東へ走るソンテオなら、きっとどれでも行くでしょう。時刻は15:57。ソンテオはカンチャナブリー・バスターミナルの2本手前のソイに入って停車。みんなが降りるので終点のようで。時刻は16:00ちょうど。まあバスターミナルは目と鼻の先なんですけどね。向かおうとすると、正面奥にデパートかな? 興味を持ったので向かってみると、カノックカーン・デパートメントストア(กนกกาญจน์ดีพาร์ทเม้นท์สโตร์)というローカル・デパートでした。時刻は、16:03。場所はここ。ちょうど下校時間なのか中高生がうじゃうじゃ出入りしてます。館内1階はもっと中高生だらけでした。なんでこんなに人気があるんだろ?(笑)上の階にもそこそこいますね。左の下りエスカレーター、2つとも全員が中高生です ^_^;)うーん、他に娯楽施設がないからなんだろうか…。そんな不思議なデパートを後にして、今度こそカンチャナブリー・バスターミナルへ。時刻は、16:16。場所はここ。バスターミナルへ足を踏み入れたら、「どこに行くんですか?」と男性に声をかけられたので戦勝記念塔と答えると、ロッ・トゥーの受付まで案内されました。120バーツでチケットを購入すると、あと15分で出発しますと。急いでトイレに入ってから、写真の右後ろの車に乗車。16:35に出発です。途中で何度か渋滞にはまったので多少時間がかかり、BTS戦勝記念塔駅下で降ろされたのは、3時間後の19:37でした。これにて今回の旅も完結です。カンチャナブリーの市街やその近郊には見どころが盛り沢山で今回はクウェー川鉄橋付近までは訪れる時間がありませんでしたが、それでも1日でかなり多くの場所を訪れることができました。貸自転車を使うと効率的に回れますね。今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!さて次回は、パープルライン沿線で行き残したスポットへの旅をお届けする予定です(変更の場合あり)。<旅費交通費>ソンテオ:10バーツロッ・トゥー:120バーツここまでの合計:350バーツ※旅は2016年5月27日(金)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/06/05
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カオプーン洞窟のあるワット・タムカオプーンを後にして来た道を自転車で戻ります。時刻は、13:06。下りは楽でいいや(笑)国鉄西線(ナクトック線)の踏切を越えて、そのまま真っ直ぐ走ります。さっき訪れたチョンカイ共同墓地の横を通り過ぎ、往路とは違う道でカンチャナブリー市街を目指します。緑の多い直線道路が気持ちいい~。しばらくして左手に現れた橋を渡ると、橋の左手にはたくさんのボートハウスが!これらって夜になると船に引っ張られてメークローン川に出て、水上ディスコや水上レストランになるってことですかね?そういえば数年前に、カンチャナブリーでは夜間のボートハウスからの大音響の音楽騒音が問題になっているというニュースを見ましたが、これだけの数のボートハウスがあるんじゃ、そりゃ問題になりますよね ^_^;)そして今度はメークローン川本流に架かる橋を渡ります。対岸に見えている立派な塔のような建物は、カンチャナブリー県出身で第19代大僧正となったプラヤーンサンウォーン師(1913-2013年)の経歴を紹介した記念館だそうです。私は寄りませんでしたが…。メークローン川を渡った先で右の路地に入り、朝、古い町並みを見たパークプレーク通りに戻ってきました!古い建物群の一帯とカンチャナブリー城門を通り過ぎさらに南東へと進むと、パークプレーク通りにお寺の山門が建っていますよ。ワット・チャイチュムポン・チャナソンクラームという寺で、ここにカンチャナブリーの町ができた頃からあるようです。が、ここも素通りして山門をくぐりさらに走ると、再び両側に商店の連なる光景になりました。で、突き当りを右折して緩やかな坂を下って行くと、正面にはメークローン川渡し船の船着場が。その右横が目的地なのです。クルア・チュッカドーン (ครัวชุกโดน)というレストランです。ここでランチにしようと思いまして ^^時刻は、13:35。場所は、ここ(グーグルマップ)。ちはみにチュッカドーン(ชุกโดน)というのは、この一帯の地名。太平洋戦争時、カンチャナブリーには日本軍が駐留し、泰緬鉄道のクウェー川鉄橋もあったことから連合軍機が頻繁に飛来して爆弾を投下していました。ここの集落にも誤爆なのかよく爆弾が落ちたのだとか。それで住民たちは口々にこう言ったんだそうです。ซุกก็โดน ไม่ซุกก็โดน (スック コー ドーン。マイ スック コー ドーン)「隠れても(爆弾に)当たる。隠れなくても当たる」この スック コー ドーン がいつの間にか訛って「チュッカドーン」という地名になったのでした。そんな日本軍とも関わりのある地に立つこのレストランは、ボートハウスのレストランです。席に案内されて注文したのは2品。ホイガタ(カキと玉子で包んだ鉄板焼き)オイスターソースがベースの味かな?日本人好みの味付けでとても美味しい!こっちは料理名をうっかりメモるの忘れましたが、プラークラポン(スズキ)の切り身を揚げた料理です。ナムチムガイ(スイートチリソース)を付けて食べるんですが、付けなくても軽く塩味が付いているので、さっぱりして美味しいです。両方とも大当たりでした!それとライスにナムマナオ(ライムジュース)を頼んで、〆て302バーツ。ちなみに座席からの眺望はこんな感じです。メークローン川の穏やかな流れは眺めていると癒されますよ。時折、渡し船が対岸との間を行き来しているのがまたのどかでいいもんです。バイクも載せて渡れるんですね。対岸の船着場は、なんとも簡素な造り。さて、遅めのランチを食べ終え一服できたので、すぐ近くの次の目的地へと行きましょう!<旅費交通費>貸自転車を漕いだだけなので:0バーツここまでの合計:220バーツ<参考>oknation.nationtv.tv "โครงการ หอพระประวัติ สมเด็จพระญาณสังวร สมเด็จพระสังฆราช สกลมหาสังฆปรินายก"pantip.com "ชุกโดน ชุมชนเล็กๆ ในตัวเมืองกาญจน์"※旅は2016年5月27日(金)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/05/29
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カオプーン洞窟にいよいよ入ります!入口の階段を下りていきましょう。時刻は、12:23。洞窟に入ると、いきなり広間があり、涅槃仏が。静かに参拝している人が何人もいます。そして既にもうここから鍾乳石が姿を見せていますね。ここのタイ語名称タム・カオプーン(ถ้ำเขาปูน)を直訳すれば、「カオプーン洞窟」になり、日本語の観光案内にもそう表記されていますが、これが日本だったら「カオプーン鍾乳洞」って呼ぶんじゃないかと。まあ、細かいことはいいんですけど。カオプーン洞窟には9つの広間があるんだとか。で、この広間は「涅槃仏の間」(ห้องพระพุทธไสยาสน์)。タイでは生まれた曜日ごとに仏像のかたちが決まっていて、ラマ5世の誕生曜日の火曜日は、涅槃仏。それもあってラマ5世は、1870年にワット・タムカオプーンとここカオプーン洞窟に行幸されたようです。一角にラマ5世の像と肖像画が飾ってありました。先へ進んでいきましょう。おぉ、予想以上に川口探検隊感があってワクワクしてきました。身体を横向きにしたりかがんだりしないと通れない箇所があるんですよ。立派な石柱や、天井からぶら下がった仙人の髭のような木の根の太い束などを見ながらなおも進んでいくと、一段と大きな広間に出ました。鍾乳石が見事ですね~。一角には仏像も。実はこの洞窟は太平洋戦争中、日本軍の倉庫として使われていたと数多くの日本語ソースでは解説されています。ただ出典元の一次資料が見つからなくて、何の倉庫だったのか不明なんですよね。さらにタイ語ソースではどれも日本軍が病院として使っていたと日本語ソースと異なる解説をしている点も興味深いです。あるタイ語ソースではこの狭い階段を上った先の広間が病院として使われていたとしているんですが、こんな暗い場所を病院にするかな?というのが正直な感想です(今は電灯が付いていますが)。チョンカイのキャンプには日本軍宿舎と捕虜収容所のほかに病院もあったんですよ。だから近い場所にあえてさらに病院を設けるってのも不自然ですし。個人的には、日本軍が何らかの倉庫として使っていた説のほうが説得力があるように思えますね。そんないわくのある広間の横を階段で上って行くと、出口だ!金属の階段を登り切り地上に戻ってきました。時刻は、12:40。17分間の地底探検でした。出口は入口と離れた場所のようです。道なりに進んでいこうとすると、すぐの左手に日本軍の捕虜収容施設を連想させる建物が。看板に「第二次世界大戦博物館」と。あー、やっぱり。長い建物内には、泰緬鉄道関連の写真が展示されていました。この写真には、「ラーチャブリー県のバーンポーン駅に列車で連行されてきた戦争捕虜」との説明があります。帽子のかたちからして昭南島(シンガポール)から連れて来られたオーストラリア軍の兵士達のようですね。蒸気機関車のプレートをよく見ると、C56 23 と。あ、この車輌見たことがあるぞ!クウェー・ヤイ橋駅(クウェー川鉄橋駅)前にC56 23号機が静態保存されているんです。ほぉ、泰緬鉄道建設にはゾウも使われてたんですか。主な仕事はジャングルから木材を引っ張ってくることだったと解説にあります。そんな写真を一枚一枚見ているうちに出口に到着。そこからこんな緩やかな下りの小路を進んでいくと、ようやく洞窟入場受付がある広場に戻ってきました。喉が渇いたので屋台でナム・マナオ(ライムジュース)を買ってから、再び自転車に跨り、境内のさらに奥へと走って行くと、見晴らしの良さそうなポイントが。クウェー・ノーイ川が目の前で大きく蛇行している雄大な景色が広がっていました。右手が上流ですね。ん? ということは…と視線を下げると、やはりあった!見にくいですが左下の小屋の右手に元の泰緬鉄道、現在の国鉄西線(ナムトック線)の線路が左右に走っているのが少し見えているのがわかりますか?ここから左を向くと、こっちのほうが中央から右下へ真っ直ぐ線路が伸びているのがはっきりとわかりますね。隠れていますが、この左手があのチョンカイの切り通しになります。さーて、昼を回っていることだし、カンチャナブリー市街に戻ってランチとしますか!<旅費交通費>歩き&貸自転車を漕いだだけなので:0バーツここまでの合計:220バーツ<参考>『カオプーン洞窟』タイ国政府観光庁『タイにおける曜日毎の色と仏像』外務省สำนักพุทธศาสนาจังหวัดกาญจนบุรี "วัดถ้ำเขาปูน"※旅は2016年5月27日(金)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/05/22
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チョンカイ共同墓地から踏切のある交差点まで戻ってきました。かつて泰緬鉄道だった国鉄西線(ナムトック線)の線路伝いに左の砂利道へ進んでみますか。ありゃ、線路がどんどん高いところへ行ってしまいましたよ。適当なところで自転車を停めて、仕方なく盛り土部分をよじ登ります。左手にはクウェー・ノーイ川の川面が見えてますね。それよりも前方をご覧ください。チョンカイの切り通し(Chungkai Cutting)です。時刻は、12:03。場所は、ここ(グーグルマップ)。さっき訪れたチョンカイ共同墓地一帯には1942年9月中旬に日本軍によってキャンプが設けられ、すぐに捕虜と労働者を使ってこの切り通しを切削する工事が始まりました。泰緬鉄道の線路を通すため4メートル幅に岩山を削る工事は1943年2月には完工したようですが、人手による掘削ですからね。過酷な作業だったことでしょう。チョンカイの切り通しを抜けて、反対側からも眺めてみました。ヘルファイアパスのほうが無謀ぶりが甚だしいですが、ここも相当なもの。以前列車でここを通過したことがありましたが、やはり直に訪れて眺めると迫力が違います。さて戻りますか。この盛り土部分もチョンカイのキャンプが作業を担当したんだそうで。あ、右に下りる階段があるじゃないですか。さっきは苦労してよじ登ったのに -_-;)下は「クルア・クンオイ」(ครัวคุณอ้อย)というレストランの敷地でした。どうやらクウェー・ノーイ川の景色を楽しみながら食事ができる店のようですよ。自転車に再び跨り、さっき水を買ったカオプーン駅前の売店まで戻ってきました。この写真だと見えにくいですが、線路を越えた向こうの山の上に金色の仏塔が建っているんです。ズームしてみました。次はあそこ、ワット・タムカオプーンに向かいましょう。踏切を渡りほどなくすると上り坂に。さすがに自転車を下りて押しながら登ります。すると通り過ぎる対向車がクラクションを鳴らしました。あ、さっきのイギリス人男性だ。ワット・カオプーンに行くと言っていたので、見学を終えて戻ってきたところなんでしょうね。ここって沿道の茂みにおびただしい数の祠が不法投棄されているんですよ。夜通ったらさぞかし怖いだろうな…。5分ほどでお寺の入口に到着。時刻は、12:16。場所は、ここです。本堂も仏塔も素通りして向かった先には、←洞窟見学入口 THIS WAY GO TO CAVEとの看板がありました。このワット・タムカオプーンにはなんと鍾乳洞があるんですよ。それを見に来たのでした。受付で入場料20バーツを支払い、入口へと向かいます。チケットとともにタイ語・英語併記のパンフレットもくれました。それによるとここワット・タムカオプーンの歴史は長いものの最も古い確かな記録は1870年に時の国王ラマ5世が船でここまで行幸されたという記述だとか。ちなみにワット・タムカオプーンの「カオプーン」は「石灰岩の山」の意味で、この山の名称にもなっています。「タム」は「洞窟」の意味。なので訳せば、カオプーン洞窟寺、って感じですかね。しばらく緩やかな上りの通路を歩いてきましたが、ようやくあの右手が鍾乳洞の入口のようです。川口探検隊世代としては、気持ちが高揚せずにはいられません(笑)<旅費交通費>貸自転車を漕いだだけなので:0バーツここまでの合計:220バーツ<参考>『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治著、同文舘、1994年far-eastern-heroes.org.uk "Tarsao and Chungkai"※旅は2016年5月27日(金)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/05/15
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一時中断していた「カンチャナブリー市街への旅」を再開します。のんびりしていたら本当に1年経ってしまいました ^_^;)読んでいない方のために前回までの記事へのリンクを貼っておきますね。カンチャナブリー城壁! カンチャナブリー市街への旅[1]古い町並みパークプレーク カンチャナブリー市街への旅[2]自転車を借りた店の前のクウェー川通り(メーナム・クウェー通り)沿いにはゲストハウスが並んでいます。カオサンを静かにした感じですかねー。夜はまた一変しそうな気がします。サムローで来た道を自転車を漕いで戻り、連合軍共同墓地の角まで来ました。ここで左折するとすぐの左手に、DEATH RAILWAY MUSEUM というところが。どうせだから入ってみますか。時刻は、10:15。上記リンク先では名称が「Thailand-Burma Railway Centre」になってるんですよね。「死の鉄道博物館」と「泰緬鉄道センター」のどっちが正式名称だかわかりません ^_^;)場所はここです(グーグルマップ)。受付で入館料140バーツを払おうとすると、「あなたはタイ語を話すからタイ人料金です」と言われて20バーツで済んじゃいました。渡されたチケットは140バーツのもの…。ま、いっか(笑)館内は、名称のとおり泰緬鉄道建設に関するパネル展示がメイン。建設作業で使用した遺物の展示も多少あります。ただ館内展示は撮影禁止なのが残念。展示を見ていて、ティモンターという地点には2009年時点で泰緬鉄道の木橋の残骸が残っているという興味深い事実を知ったのが収穫ですね。現在はワチラロンコーン・ダムの島になっているところにあるのだと思います。流して見て上の階のカフェまで来ました。入館チケットと一緒に渡された黄色いチケットをカフェで渡すとコーヒーを1杯無料でくれるんだそうで。ということでホット・コーヒーを頂きました。が、インスタントでした ^_^;)他にはメニューにあるとおり食事もできるみたいですよ。自転車のチェーンの鍵を館内で落として慌てて探し回った後(笑)、再び自転車ですぐの表通りへ。通りの反対側を奥へ行ったところが国鉄カンチャナブリー駅です。あ、先に次の目的地の入口が見えてますね。連合軍共同墓地(ドーンラック)です。筋として寄っておいた方がいいと思いまして。場所はここ。時刻は、10:53。門には「KANCHANABURI WAR CEMETERY」と。説明板によると、ここには主に日本軍の捕虜として泰緬鉄道建設に強制的に従事させられ命を落とした英連邦各国からの5,000人とオランダ人1,800人が埋葬されているとのこと。この中には以前訪れたサンクラブリーにあったニーケ駅とチャンガラヤ駅で疫病で死亡し埋葬されていた300人やタイ各地に点在して埋葬されていた11人、インド軍墓地に埋葬されていた人も含まれます。ここに移されたんだそうで。さらに終戦時に病院で治療を受けていたもののその後死亡した人800人も。泰緬鉄道建設は1942~43年だったのに入口の門には「1939 1945」とあるのは、そのためなんですね。綺麗な芝生と勢いよく水を撒いているスプリンクラーが印象的でした。さて、次に自転車で向かったのは、グーグルマップの航空写真を拝借して説明すると、「現在地」のポイント。さっき自転車を借りたクウェー川通りと、橋から伸びるスッジャイ通りとの交差点です。実はここで2016年4月上旬、道路舗装をはがす工事中に、道路面の30cm下から古い線路が出てきたんです。長さは10メートルほど。さらに数百メートル離れた場所でも同様に線路が出てきたんだとか。地元に50年住む人の話では、昔、蒸気機関車に給水する水を取水するためにカンチャナブリー駅からクウェー・ヤイ川まで引込線があったとのこと。それがいつからあったのか定かではないんですが、日本軍が泰緬鉄道の蒸気機関車に給水するために敷いた線路ではないかと話題になっているんです。だってカンチャナブリーに最初に鉄道を通したのは日本軍ですからね。泰緬鉄道として。このニュースを伝えるVoice TVウェブサイトの動画では、まさにこの写真の中央に縦に線路が走っているんですよ。背後がクウェー・ヤイ川を渡る橋の方向になります。つまり北を見た写真です。今回のこの旅の一番の目的はこの線路跡を見ることだったんですが、既に工事は終わってて残念!しかし元のまま埋め戻されたのか、取り除かれてしまったのかが心配です。ニュースの中では、戦争中のものだと確認できれば保存も検討したいとのカンチャナブリー市長のコメントも伝えていますが。ちなみに2つ前の航空写真で黄色い線を引いたすぐ上をよく見ていただくと分かると思うんですが、今でもかつての引込線の跡を辿るように道路があるんですよ。自転車でずっと辿ってみましたが発見は何もありませんでした。気持ちを切り替えて先に進みますか(笑)そのままスッジャイ橋でクウェー・ヤイ川を渡っちゃいます!時刻は、11:12。こっちは下流側。で、上流側をズームで望むと、「戦場に架ける橋」ことクウェー川鉄橋が見えました。日本軍は当時「メクロン河永久橋」と呼んでいたみたいですね。橋を渡り切ると、のどかな田舎の集落の光景が広がっていました。そんな中をのんびりを自転車を漕いでいきま~す。いい感じですね~。しばらく進むと国道3305号線に出ました。この通りを左にしばらく進むと、右手にかつての泰緬鉄道で現在の国鉄西線(ナムトック線)の線路が現れ、あ、見えてきました。カオプーン駅(ที่หยุดรถเขาปูน)です。時刻は、11:32。泰緬鉄道当時、日本軍はこの駅を「カオポン」駅と呼んでいました。時刻表を見ると、なんと1日に1往復しかこの駅に停車しないじゃないですか!うーん、時間からして通学用かな。駅前唯一の商店でPETボトルの水を購入してから、この先の踏切前の十字路を左折して道なりに少し走ると、右手に緑が綺麗な一角が見えてきました。チョンカイ共同墓地(Chungkai War Cemetery)です。場所はここ。時刻は、11:43。連合軍のもう一つの共同墓地で、英連邦1,400人、オランダ300人の捕虜が埋葬されています。元々ここは1942年に捕虜達自身が設けた埋葬地だったのだとか。ここで車で来ていた60代ぐらいのイギリス人男性に英語で声をかけられました。「どこから来たの?」(ギクッ…) 日本からです。その返答にも笑顔を変えずに逆に気を遣ってくれたのか色々と話しかけてきました。これからどこへ行くのかとか。「私もこれから行くところだよ」そんなところ良く知っているなあと感心しながら「Good Luck!」とお互い言い合って別れました。男性はさすがイギリス人と言うべきか、紳士でした。私もかくありたいものです。<旅費交通費>貸自転車を漕いだだけなので:0バーツここまでの合計:220バーツ※旅は2016年5月27日(金)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/05/08
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バーン・バンケーンの読書室でノートPCでの仕事を片付けると12時を回っていました。フードコートでランチにしますか。有料ゾーンを出る前に、もう一度古い商店街を再現したところへ。こうやって見るとまるで本物ですよね。リアリティが凄い!あ、トイレにも寄っておこっと ^_^;)するとトイレもこんなレトロ風で手を抜いてません。外に出たら雨がポツポツと降り始めてしましました。雨をよけながら有料ゾーンからフードコートを目指して歩き、屋根のあるところへ一時退避。ここはあのレストランのもう一つの入口前なんです。自撮り用の壁面画がこんなところにも。そしてフードコートに戻ってきました。お昼時なんでさすがに混んでますね。さて何を食べようかな~。店を覗きこみながら歩いていると、目が合ったとある店の女性店員さんがニコっと微笑んで「南タイ料理です。いかがですか?」と。オススメのとおりに2品を注文してみました。合計105バーツ也。南タイ料理ってバンコクであまり見かけませんよね。料理が出来上がった頃には、外は土砂降りに。屋外で食べていた人達が大慌てで中に移動してきたので席を探しても空きがまったくない状態に。しまった!右往左往していると、中年女性が椅子を差し出してくれて店のカウンターで食べていいですよと。ありがとうございます!どうやらフードコートの責任者っぽいですね。気配りができる人が上にいるってことは、とても期待できそうですよ、ここ ^^ではお言葉に甘えてさっきの南タイ料理店のカウンターで食べさせていただきまーす。これはクイッティアオ・ガティガイ(ก๋วยเตี๋ยวกะทิไก่)訳すと鶏のココナッツミルク・ビーフン麺。甘いのかと想像したら、気になるほどの甘さではなく、ほのかなココナッツ風味に若干の酸味があって絶妙な味加減です。こっちはサラット・ケーク(สลัดแขก)訳すとインド人サラダって感じでしょうかね。卵、レタス、キュウリ、玉ねぎ、赤唐辛子の具にごまベースでやや辛さのあるドレッシングがかけてあります。うーん、ちょっとはっきりしない味かな。美味しくないわけじゃないんですが ^_^;)食べ終わる頃には雨は止んでいました。椅子を女性に返しつつお礼を言って後にします。ほら、こんなに混み合ってるんですよ!濡れた外の席を拭いているスタッフさん。きっとこの後また拭く羽目になったんだろうな…。さあ、思いのほか楽しめたバーン・バンケーンを後にして帰るとしますか。目の前の歩道橋でパホンヨーティン通りを反対側へと渡ります。途中から振り返って見下ろしてみました。駐車場も結構広いので車でも大丈夫ですね~。反対側正面の陸軍第11歩兵連隊基地を今一度 ^_^;)そう言えばいつだったか、ここって赤シャツ派デモの標的になってましたよね。ちょうどバスが通過しているところにあるのがバンコク中心部方面へのバス停。そこで待っていると運良く185番の無料バスがやってきたので行先を確認せずとりあえず乗ってみました。パホンヨーティン通りでは高架鉄道グリーンラインの建設工事がずーっと続いています。反対側に見える緑の一帯は、カセサート大学のキャンパス。開業したら「カセサート大学駅」もここにできるみたいです。ちなみにこの先のカセート交差点を越えるのにまたもや渋滞でかなり待たされました。やっと交差点を越えたかと思ったら、その先でまた渋滞!歩いたほうが速いんじゃないかと思い下車して歩き出したら…いきなりスコールが!!なんてツイてないんだ~(T_T)商店の軒下で呆然と立ち尽くしていたら、目の前に39番バスが渋滞で止まり、目が合った女性車掌さんが「どうぞ乗ってください!」と。渡りに船。ダッシュで乗り込みました。渋滞を抜け、BTSモーチット駅下に到着した頃にはまた雨が上がっていました。ツイてるんだかツイていないんだかわかりませんね ^_^;)とまあ、こんな感じで往復の交通に難ありですが、バーン・バンケーン自体は古い町並みの再現も食事もオススメできるスポットでした。よかったら行ってみてください!<詳細>バーン・バンケーン(Baan Bangkhen, บ้านบางเขน)場所:パホンヨーティン通り沿い、陸軍第11歩兵連隊基地正面地図:グーグルマップ営業日時:無休24時間ウェブサイト:バーン・バンケーン facebook※旅は2017年3月29日(水)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/05/04
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バーン・バンケーンの昔の商店街を再現したゾーンを見てみましょう!「謝英泰百貨商店」との看板が掲げられたこの店は、時計店ですね。年代物の壁掛け時計が並んでいます。販売はしてないんですよね? たぶん ^_^;)お隣の「和興」さんは電器店でしょうか。電話やラジオ、テレビが陳列されています。さらに床屋のサインがあるってことは兼業?昔のタイには本当にこんなハイブリッドな店があったんですかね。次はどう見ても薬局。「ウィッタヤーポーン・オーソット」とタイ語の看板が。オーソットは「薬」の意味の文語なので、ウィッタヤーポーン薬局ってな意味なんでしょう。棚の中に薬の箱がびっしり並んでいて、芸が細かすぎ!なぜかその隣は、学校の教室(笑)懐かしい木の机には、落書きまでリアルに再現されています。というか、どこかの学校から譲り受けたんですかね?看板の「ラムサヌン学校」はパトゥムタニー県に実在しているっぽいですが。最後は、食料品を扱うよろず屋。ここも陳列された商品の数が半端ないです。責任者はレトログッズ収集マニアなんじゃないかと勘ぐるほどの気合の入れよう。凄すぎますよ、ほんと。で、この商店街には2階があって、赤いアメ車の奥の階段から2階に上がれるんですが、今は倉庫に使っているだけで何もありませんでした。でもゆくゆくは何かがオープンしそうな雰囲気ですね。ちなみに階段のところには「ワット・ターチャーン学校」という大きな看板が掲げられているんですよ。ひょっとしたら2階はそのうち学校を再現した空間になるのかも。ワット・ターチャーン学校は、ググったところ、以前訪れたスパンブリー県のターチャーンに実在してますが、関係があるんでしょうかね?あ、左の「バーン・バンケーン」と書かれた撮影スポットではタイ人女性2人が運営側の思惑どおり写真を撮り合っています ^^さーて、広場の反対側にあるレストランも覗いておきますか。立派な入口に少々たじろぎつつドアを開けて覗くと…ほお、雰囲気いいじゃないですか!広いし天井が高いのでゆったり感がありますよね。店内は逆L字になっていて、奥にはさらにスペースがあるんです。そうそう、ここで入場券が兼ねている20バーツ分クーポンの出番ですよ。写真中央の2人並んでいるところがオーダーするところ。私はホットのアメリカンコーヒー80バーツを注文。クーポンを使用したので20バーツ引きで60バーツの支払いに。するとこんなモノを渡されました。出来上がったら光と振動で知らせてくれるわけですね。しばらく待たされましたが、無事に作動しました ^^で、一つ前の写真の右端のカウンターで受け取ります。警官が制服姿のままで利用してたりして、なんだかのどかでいいですね~。さてさて、広場を囲む右側と左側は見たので、次は残る奥正面を見てみますか。そこにはなぜかプラクルアン(お守り)店があったりしつつ、さらに奥へと進むと、さらにナゾな「読書室」があるのです。土禁なので靴を脱いで手に持ち入ると…。木をふんだんに使ったインテリアと大きな窓から見える緑が読書環境として素晴らしい!素晴らしいんだけど、バーン・バンケーンのコンセプトは理解に苦しみます。この統一感の無さは一体?(笑)ここって一部施設が24時間営業なんですよ。せっかく24時間やってるんだから、近くのカセサート大学生向けに徹夜で静かに勉強できる施設も作っちゃおうと考えたんですかね?でも読書室も24時間開いているのかは、不明ですが。こんなに素晴らしい施設なのに、利用者は1組だけ。勿体なさすぎます。みなさん利用しましょう(笑)下調べした際に読書室があることを知った私は実はノートPCを持参してきてまして。しばしここで集中して仕事をやっつけました ^_^;)一つよく分からなかったのが、WiFi。バーン・バンケーンのWiFi電波が飛んでいたのでアクセスしたらLoginnameとPasswordを求められたんですよ。無料WiFiじゃないのかな?この読書室にはスタッフの姿がまったくないんですよね。事前に入口で聞いておけばよかった…。仕事を片づけるとちょうどお昼時。入口のフードコートに戻ってランチにしましょう!<詳細>バーン・バンケーン(Baan Bangkhen, บ้านบางเขน)場所:パホンヨーティン通り沿い、陸軍第11歩兵連隊基地正面地図:グーグルマップ営業日時:無休24時間ウェブサイト:バーン・バンケーン facebook※旅は2017年3月29日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/05/01
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バンコク郊外に古い町並みを再現した百年市場風な新スポット「バーン・バンケーン」がオープンしたと聞いて行ってきました。まずはBTSで終点モーチット駅へ。電車の進行方向に向かって左側の出口を下りたところのバス停でパホンヨーティン通りを走るバスを待っていると34番バスが来たので乗車。時刻は、09:58。ラートプラオ交差点を越えてセントラルラートプラオの横を過ぎて北上を続けます。が、ちょうどパホンヨーティン通りでは高架鉄道グリーンラインの工事中でラッチャヨーティン交差点とカセート交差点の立体交差橋を取り壊してしまったため、この2つの交差点で大渋滞!逆にグリーンラインが開業すれば、BTSモーチット駅からそのまま電車でバーンバンケーンまで行けるようになるんですが…。カセート交差点のカセサート大学を過ぎ、運河を渡り切ったところでブザーを押してバスを下車。時刻は、10:30。渋滞のわりには意外と速かったかな。バス停の横がもう、目的地。バーン・バンケーン(Baan Bangkhen, บ้านบางเขน)です!場所は、ここ(グーグルマップ)ちなみにパホンヨーティン通りを挟んだ反対側正面には、第11歩兵連隊(กรมทหารราบที่ ๑๑ รักษาพระองค์)の基地があるので、目印になると思います。さあ、バーン・バンケーンに入ってみましょう!まず目に飛び込んでくるのは木造の大きな建物。フードコートになっています。2017年1月30日にオープンしたばかりのはずなのにまるで長い歳月を経たかのようにうまく作ってありますね~。ここはクイッティアオ屋さん。奥にもこの裏側にもずーっとお店が続いています。お昼時になったらここで食べてみますか。さらに奥へと進むと、この木造の建物の端にギフトショップが入ってました。レトロな置物やファンシーな小物、コカコーラグッズにタイの昔ながらのお菓子など、正直言ってごった煮な感じで売られています(笑)そんな中にバーン・バンケーンのエコバッグも発見。Tシャツもありましたよ。この木造建物の終わりはこんな感じで、タイ人が大好きな自撮り用トリックアートが。この建物の裏側の壁にも古いホーロー看板が貼ってあって、お客さんに楽しんでもらいながら写真を撮らせてSNSにUPしてもらうことで宣伝に利用しようという緻密な計算が感じ取れます。こりゃ凄いわ。この建物のさらに奥にはそれこそ百年市場の入口のようなところが。この奥がメインなのか。ここ、ゲート入って左の窓口で入場料20バーツを支払う必要があります。でも引き換えにクーポンを渡されて、内部でペットボトルの水無料引き換えか、レストランでの飲食代金20バーツ割引クーポンとして利用できるので実質的に無料みたいなもんです。窓口を過ぎ両側を木造の建物に挟まれた通路を進んでいきます。右手の建物内にはプミポン前国王の胸像と肖像画が飾られています。左手の建物はコカコーラグッズのミュージアム。そこを過ぎると四方を建物に囲まれた広場に出るんですが、中央には、なぜか樹上ハウス!(笑)上ってみたんですが、別に中に何があるでもなし…。再び下りて、右側の建物に向かうと、なんと昔の商店街がそっくりそのまま再現されてますよ。ここまで本気だとは!こりゃじっくり見てみましょう~。<詳細>バーン・バンケーン(Baan Bangkhen, บ้านบางเขน)場所:パホンヨーティン通り沿い、陸軍第11歩兵連隊基地正面地図:グーグルマップ営業日時:無休24時間ウェブサイト:バーン・バンケーン facebook※旅は2017年3月29日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/04/24
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ネオンが眩しい移動式の観覧車にメリーゴーランドといったらタイの寺祭りの縁日で見かける光景ですよね。でもここ、お寺じゃないんです。しかもバンコク中心部。タラート・ネオン・ダウンタウン・ナイトマーケット(Talad Neon Downtown Night Market, ตลาดนีออน)という2016年12月1日に正式オープンしたナイトマーケットなのです。場所はセントラルワールドプラザ近くのプラトゥーナム交差点から東へ3,4分歩いた左手。ペッブリー通り沿いだからすぐに分かりますよ。こんな感じで「TALAD NEON」という文字どおりのネオンが入口で輝いてますので(笑)ナイトマーケットの敷地はかなり広いです!でもちょっと残念なのは、冒頭の観覧車とメリーゴーランドは2017年3月15~31日限定で設置されていただけらしいこと。いつもあったほうが楽しいのに~。でも「TALAD NEON」のネオンはいつもあるので迷うことはないと思います。肝心のお店のブースはというと、飲食系が結構豊富に揃っています。売っているだけの店舗もあれば、座席も広く確保している店舗まで色々。一方の物販はというと、ざっと見でローカルのタイ人向けが6割で外国人観光客向けが4割といったところですかね。このあたりは主にタイ人向けかな?で、外国人向けの店の例としてはこんな感じ。様々な店があって、床屋まで店を構えています(笑)おっ、これは日本の縁日と同じ光景じゃないか!射的ですよー!あと風船割りとか日本と共通の縁日の出店が並んでいます。射的などの縁日ゾーンはいつもあるのか観覧車と一緒で期間限定だったのか不明ですが、いつもあるんだったらいいなー。マーケットの敷地の奥にはお酒を飲むこんなゾーンもありました。自撮りしてSNSに写真をUPするのが大好きなタイ人向けにもちろんオブジェも用意されています。サイでしょうかね? ^^せっかく来たのだから何か食べたいなともう一周してみたところ、ケーキ屋さんが鯛焼きを焼いてました(笑)具のクリームが何種類かあるんですが、「CLASSIC THAI TEA」に目が釘付けになり思わず注文。30バーツ也。食べてみると、うーん・・・カスタードにかすかにチャーイェン(タイミルクティー)の味がするかな。色はチャーイェンっぽいんですけど ^_^;)そんな感じで、縁日ゾーンが常設か不明ですが、もしなくても他の店で十二分に楽しめますよ。なにしろこんなバンコク中心部という便利な場所にあって気軽に行けるので、オススメです。どうやらプラチナム・ファッションモール前からトゥクトゥクの無料シャトルが出ているようです。でも運行時間があてにならなそうですし、全然近いので歩いていったほうがいいと思います。セントラルワールド・プラザの伊勢丹前の歩道橋(スカイウォーク)で大通りの反対のBIG C側に渡ってからプラトゥーナム交差点へと歩き、交差点を右折。ペッブリー通り沿いに歩道を進んで、最初の歩道橋で反対側に渡った目の前がタラート・ネオンです。歩道橋から見たタラート・ネオンはこんな感じ。ちなみに「タラート」とは「市場」の意味。「NEON」はタイ人発音では「ニーオーン」になります。それとプラチナム・ファッションモールからトゥクトゥクが出ている理由ですが、タラート・ネオンを運営しているのは、プラチナム・ファッションモールと同じザ・プラチナム社だからのようですよ。<情報>Talad Neon Downtown Night Market (ตลาดนีออน)タラート・ネオン・ダウンタウン・ナイトマーケット場所:プラトゥーナム交差点からペッブリー通りを東へ350m歩いた左側 ペッブリー通りソイ23とソイ29の間地図:グーグルマップ営業日時:水~日曜16:00~24:00ウェブサイト:TALAD Neon facebook※旅は2017年3月25日(土)に行いました。※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/04/17
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3月26日はタイ国鉄開業記念日ということで毎年フアランポーン駅からアユタヤ駅を往復する蒸気機関車牽引の特別列車が走ります。3月26日(日)、私も当日朝から見に行ってきました。乗車はせず見るだけです。8時前にホームに到着したら、もう来てましたよ!先頭の蒸気機関車は、日本製のパシフィック型。以前当ブログで書きましたが、この蒸気機関車がタイへ渡ってきた経緯をもう一度書いておきます。太平洋戦争後、アジア各地が食糧不足の中、タイだけは米生産力に余力がありました。しかし鉄道車両が戦時中の酷使や爆撃被害により不足していたため、とくに東北地方からの鉄道による米輸送力不足が深刻でした。一方日本や朝鮮半島向けに大量の米を調達したかったアメリカ軍は、妙案を思い付いたのです。日本に鉄道車両を製造させ、タイの米と物々交換しよう、と。日本の鉄道車両産業の復興にも寄与することができるまさに一石二鳥の策。1948年、タイは日本へ蒸気機関車50両、客車200両、貨車500両、さらに50年にも蒸気機関車50両、貨車500両を発注しました。この蒸気機関車もそのうちの1両なのです。C56を元にタイ国鉄専用にややコンパクトに設計・製造されたのだとか。824番との番号が見えますね。既に大勢の人が集まっていて写真を撮っています。日本人の家族も何組もいますよ。お、子供は前に上って記念写真を撮っていいみたいで ^^あと関係者らしき国鉄職員さんたちも~。それ以外の人は機関車の前に立って記念撮影をしているんですが、タイ人の中にはずーっと居座って何ポーズも撮影している組が数組…。蒸気機関車撮影のために来ている欧米人たちからはさすがに「Hurry! Hurry!」と声が上がるのですが通じていません。日本人家族だとさっと撮影してさっと立ち去ってるんですが、国民性というか、興味深いもんです ^_^;)機関士が整列して出発式典だかなんだかをやっていますよ。その裏では、タイ政府観光庁のマークが入ったプラカードを持ったご一行さんも記念撮影中。時刻は08:00ちょうど。ホームに流れる国歌に合わせてみなさん直立不動ですが、カメラのシャッターを押す手だけは動いていました ^^でも左の警察官はさすがですね。この姿勢で国歌が終わるまでピクリともしませんでした。重連の後ろの機関車は、パシフィック型850番。アユタヤで折り返す際、こちらが先頭になるんでしょう。花飾りが付けられてハデハデな機関室。同じ花飾りが先頭にも取り付けられました。間もなく出発ですね。今回のこの901列車は、 バンコク発08:10 アユタヤ着10:15折り返しの902列車は、 アユタヤ発 16:30 バンコク着18:40の予定。が、ホームには「出発時刻を10分経過しています」云々の女性アナウンスが流れています。でもようやく、プシューっと蒸気が吐き出されました。出発進行!石炭炊きから重油炊きに改造されてしまったからか、煙突から立ち上る煙に若干迫力が感じられませんけど、それでも蒸気を出しながら大きな動輪を回して走る姿はカッコイイ!!このとおり多くの撮り鉄が走る蒸気機関車をレンズで狙っています。この先、沿線にも沢山待ち構えているんでしょうね~。間近で見ると迫力ある!一路アユタヤへと走り去っていったのでした。ちなみに今蒸気機関車が走っているあたりのちょうど左手に、1896年3月26日にフアランポーン駅で国鉄開業式典が執り行われたことを記念する碑が立っています。で、そのすぐ脇には戦時中に日本軍がタイへ持ち込んだ蒸気機関車C56が静態保存されていますよ。この国鉄の蒸気機関車特別列車は年に4回運行されています。例年だと、3月26日(タイ国鉄開業記念日) フアランポーン ~ アユタヤ8月12日(王妃誕生日) フアランポーン ~ ナコーンパトム10月23日(チュラロンコン大王記念日)フアランポーン ~ アユタヤ12月5日(国王誕生日)フアランポーン駅 ~ チャチューンサオなのですが、ご存知のとおりプミポン国王が崩御されたので、12月5日の運行は例年どおりなのか、現ワチラロンコン国王誕生日の7月28日に運行されるのかは、今のところ不明です。※旅は2017年3月26日(日)に行いました。※蒸気機関車の型名を修正しました。(2017.4.24)<参考>『王国の鉄路-タイ鉄道の歴史』柿崎一郎著、京都大学学術出版会、2010年『毎年3/26(タイ国鉄開通記念日)蒸気機関車特別運行』(イベント情報), タイ国政府観光庁※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/04/10
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毎年3月末から4月上旬に開催されるバンコク・インターナショナル・ブックフェア(Bangkok Intarnational Book Fair)に3月30日、数年ぶりで行ってきました。場所は、シリキット・コンベンションセンター。MRTクイーンシリキット・センター駅から地上に出た目の前です。開場時間10:00からさほど経っていないのにもうこんなに来場者が! 毎年大盛況なんですよね~。なぜかというと書籍が通常より割引価格で販売されるから。そんなわけで会場内に入るとカートを引いて歩く人の姿もちらほら。大量買いして自分で読むのか転売するのかは知りませんが。行列のできたこのブースには「KADOKAWA」って書いてありますよ。PHOENIXってゲームかなんかですかね?ここは若者に人気のサブカル系出版社「a book」のブース。日本を扱った本が多く目に付きました。ここには料理のレシピがずらっと並んでいて壮観!女性が手に取っているのは日本の裁縫の本のタイ語訳版です。あっ、ポケモンGOグッズだ!カビゴンの人形があまりにも可愛くて買おうか迷いましたが我慢しました(笑)ちなみに(小)199バーツ、(大)250バーツ。日本ではなかなかお目にかかれないブースを発見。イランの文化を紹介する本ばかりを集めたブース。たぶんイラン政府が出しているんでしょう。見た限りどの本もタイ語でしたよ。こんなに多く出版されているんですね。このゾーンにはドイツやら中国やら台湾やら海外の書籍などを扱うブースが集まっています。日本のも紀伊國屋書店が日本語書籍を売っていました。それとちょっとそこから離れた場所ですが、泰日経済技術振興協会(ソーソートー)のブースもあります。主にタイ人向けの書籍が並んでいますが、ここで私も1冊購入。右の本です。『日本クロスカルチャータイ』。タイ語中上級者向けの読解練習本です。これ絶版になったという噂があったんですが、また増刷して復活したんですね。良かった!それと左は『クランカム』(คลังคำ)という唯一のタイ語シソーラス(類語辞典)の改訂版。タマサート大学のブースで買いました。初版よりも一層分厚くなって日本へ持ち帰るのに難渋しましたよ(笑)そんな感じで物凄い数の出版社ブースが出展しているのでタイ語学習をしている方は行ってみる価値があると思います!ブース以外に今回はこんな特別展示もありました。葬儀返礼本の歴史展示。葬儀返礼本とは、葬儀に参列した人に返礼として配布する本で、タイ独特の風習です。ラマ5世の意向で1880年、船の沈没事故で亡くなったプラナーンチャオ・スナンタークマリーラット・プラボーロムラーチャテーウィーの葬儀で配布されたのが最初。この方って以前当ブログで取り上げたことがあるのを覚えてますか?アユタヤのワット・ヤイ・チャイモンコン境内にある「ドラえもんの祠」に祀られている子供のお母さんです。一緒に亡くなったんでしたね。その後ラマ5、6世による推奨もあって王族・貴族の間で葬儀返礼本が普及していきました。編纂・印刷をしていたのはなんと国立図書館!内容は故人の経歴のほか、貰った人に役立ったり楽しんでもらえるように、歴史や仏法、古典、文学作品、占い、法令、演劇の台本、薬学などなども盛り込まれていました。とくにマスコミが発達していない時代の「歴史」を掲載した葬送返礼本は歴史研究をするには貴重な資料となっているんですよ。卒業アルバムの巻末に世の中の出来事の年表が掲載されていますよね。あんな感じのものから一つの出来事を詳細に綴った内容のものまでありました。その後、葬送返礼本の文化は一般人にも広まり、今も続いています。プミポン国王葬儀の際にも間違いなく配布があるはずです。これはラマ8世の葬送返礼本。本物は向こうのガラスの中に展示してあって、これは全ページをカラーコピーしたもの。パラパラめくっていて興味深い内容が目に留まりました。「ナレースワン王の象戦の地仏塔について」以前訪れたスパンブリー県のドーンチェーディーの仏塔発見までの経緯が数ページにわたって詳しく書かれているようです。アユタヤ王朝のナレースワン王がビルマ軍大将と象で一騎打ちして勝利した「象戦」(ユッタハッティー)の地は、アユタヤ王朝年代記の記述からかつてはカンチャナブリー県内だと推定されていました。それが年代記異本の記述からスパンブリー県内で発見されたんです。うおぉぉっ、これは読んでみたい!そんな感じでブックフェアをひとおおり見たところでお昼時になったので、シリキット・コンベンションセンター内のフードコートへ。このとおりかなり広くて、さらに大盛況!味はそこそこのカオソーイもありますが、私は、サーモン入りトムヤムヌードルを頂きました。BANGKOK INTERNATIONAL BOOK FAIR 2017 は、2017年3月29日(水)~4月9日(日)の10:00~21:00にシリキットコンベンションセンターで開催しています!ここまででブックフェアについては終わりなのですが、帰り道に最近流行りの店に立ち寄ったのでついでに書いておきます。場所はアソークのターミナル21。スーパーマーケットがある階って地下でしたっけ? 1階でしたっけ?とにかくその階に行くと…うわさどおりに行列が。この店ってチャーイェン(タイ・ティー)の店なんです。この「Cha Tra Mue」というチャーイエンのブランド、見たことのある方もいるかと思います。有名ですよね。で、並んでいる人の目当てはチャーイェンではなく、この左の「チャーイェンのアイスクリーム」なのです。「Cha Thai Soft Serve」って英語で書いてありますね。45バーツ。ここ最近SNSで人気急上昇なんですよ、このアイスクリーム。でも美味しい! という人もいれば大したことないじゃーんという人もいるので自分で確かめようと来たんですが…私の数人前でアイスクリーム製造機が故障して販売中止に _| ̄|○悔しいので、代わりにチャーイェンを買ったのでした。どなたかリベンジをお願いします!!(笑)一応店の情報を書いておきますか。<情報>店名 Cha Tra Mue (ชาตรามือ)場所 Terminal 21(BTSアソーク駅前)内Gourmet Market前「カンチャナブリー市街への旅」は一時中断して、3月下旬に仕入れてきた情報を何回かに分けて書こうと思っています!★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/04/05
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カンチャナブリー城門を出たところから、城壁に沿って古い町並みが続いています。パークプレーク(ปากแพรก)という、1831年にカンチャナブリーの町が現在地に造営された当初から華僑やベトナム人が移り住んでできた商店街です。パークプレークとは「水の流れの分岐点」の意味。メークローン川を遡ってきたら、ちょうどこのポイントでクウェー・ヤイ川とクウェー・ノーイ川に分岐するからそう名付けられたんでしょう。またの名をバーンヌア(บ้านเหนือ)とも言います。城内の南側になるのに「北の集落」とはなぜなんでしょうね ^_^;)さあ、このパークプレーク通りを北西へ歩いてみますか。沿道にはざっと築90年前後の趣のある建物が並んでいます。多くは中国とヨーロッパの影響を受けたシノ・ポルトガル様式。歴史的価値のある建物の前には行政が設置した黄色い案内板が立ってます。この建物は1917年築のブンポン邸(บ้านบุญผ่อง)。ブンポン氏は太平洋戦争中、泰緬鉄道建設用枕木納入の入札で落札したことをきかっけに日本軍相手に商売をした人物です。日本軍が必要とする物資の手配を引き受けていたんだとか。でも捕虜収容所に配達に行った際に連合軍捕虜の扱いの悲惨さを目にしたブンポン氏は、捕虜に対して融資や必要物資の手配で密かに協力するようになりました。なんでも日本軍への物資を詰めた箱や行李に捕虜宛の物や手紙をうまく隠して渡したんだそうで。また暗号で捕虜とやり取りをして、連合軍に爆弾投下を避けるポイントを伝えたりもしていたようで。その功で、戦後ブンポン氏はオーストラリアとイギリスから勲章を授与されたんですよ。TVドラマにもなったみたいです。窓の格子やベランダの欄干の細かい装飾に当時の商人の粋と繁盛ぶりを感じますね~。このビルも相当古そうですが、3階の窓が色ガラスになっているところがシャレてるではないですか。案内板を読むと「カンチャナブリー・ホテル」と!「1937年築で当初の宿賃は2-4バーツ、 20年ほど前に値上げして1人60-70バーツに」って安っ! 今でも営業してるんですか!宿泊客は主にカンチャナブリー奥のトーンパープームやサンクラブリーからの木材商人、会議で来た公務員、ミャンマー国境付近に住む少数民族と書いてあります。ディープだなー。お、英語で「HOTEL ENTRANCE」って確かに書いてあるぞ。剥げかかってるけど。店の看板にはタイ語・英語の他に漢字で「北碧旅店」とも。カンチャナブリーって中国語でそう言うのか。あ、場所はここです(グーグルマップ)。向かいのここはフアホン商店(ร้านฮั้วฮง)。カンチャナブリーホテルと同一オーナーの建物で1919年築。綺麗に修繕されてますね。とても全て紹介しきれませんが、こんな感じでコロニアル風なレトロな建物が道の両側に多く残っているんですよ。ん? 右手の中国廟と木造の大きな家屋の間になにやら青い看板が掲げられてますね。生鮮市場!入口なのか。こりゃ入ってみないと(笑)奥はそのとおり、賑やかな生鮮市場でした。突っ切って反対側に出て振り返ります。活気があっていいですね。実はパークプレークの商店街を歩いたのには貸自転車屋を探すという目的もあったんです。でも結局見つかりませんでした。自転車を借りたいんですよねー。どうしようかな。ふと目に留まったサムロー。漕ぎ手らしきおじさんが横でピックアップトラックに荷物を積み込んでいます。すみません、貸自転車屋が近くにあったら連れて行ってもらえませんか?「あるよ。ちょっと待ってね」サムローに乗って待っていたら、荷物を積み終えたおじさんがやってきて発進~!おじさん、酒クサイです。しまった。不安になってきたぞ -_-;)思っていたより貸自転車屋は遠く、サムローはズンズン走って行きます。あのまま歩いて探していたら絶対に発見できなかっただろうな。「ほら、あそこは連合軍共同墓地だよ」指を差して教えてくれます。裏手を通っているわけですね。しかしあまり酔っぱらってないようでよかった ^_^;)そうこうしていると、英語の看板が溢れた通りに入って行きました。こんなところにゲストハウス街があったのか。「ここだよ」と右手の店の前で停まります。ありがとうございました!運賃50バーツを渡してお別れ~。MONKEY BAR&RESTAURANT というバーレストラン兼貸自転車屋でした。場所はここ。店の主人に声をかけると、1日50バーツとのこと。店先の自転車にチェーンの鍵を付けて貸してくれました。この自転車で町を巡った後、ちょっと遠出もしますよ~!<旅費交通費>サムロー:50バーツ貸し自転車:50バーツここまでの合計:220バーツ<参考>tourmuangkan.com "สถาปัตยกรรมบนถนนสายปากแพรก"paiduaykan.com "ถนนปากแพรก กาญจนบุรี"※旅は2016年5月27日(金)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/04/03
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もう1年近く前になっちゃいましたが、カンチャナブリーの市街へ旅をしてきました。というのもタイ字新聞で興味深い記事を見かけたもので。実施日は2016年5月27日(金)。その頃は戦勝記念塔周辺のロッ・トゥー乗り場がまだ強制移転されてなかったので、私はBTSで戦勝記念塔駅へ。南側出口近くにあったロッ・トゥーのターミナルからカンチャナブリー行きに乗ります。移転後の今だと南バスターミナル発なんでしょうね。チケットは120バーツ也。07:01に出発しました。07:52にナコーンパトムの国道4号線沿いロータス手前の乗り場にいったん停車してチケット確認がありました。半券をもぎ取って返されます。08:24にはバーンポーンで一人が下車。08:54にもまた停車しました。すると道路脇にいたバイクの女性が歩み寄って来て助手席の窓からビニール袋に入った食事を運転手に手渡します。「何?」「ゲーンソム。50よ」運転手さん、いつもこの女性にお任せで朝食を作ってもらって買ってるんですね(笑)そして、終点、カンチャナブリー・バスターミナルに到着しました。時刻は09:16。目の前には、カラフルなローカルバスがずらーっと並んでいて壮観!カンチャナブリーのバスターミナルは活気があっていつ来てもワクワクしますね。早速ターミナル正面から西へと歩きます。カンチャナブリー市街地のメインストリート、セーンチュートー通りに出ました。向かいの正面にはカンチャナブリー地方警察署が。そこをちょこっと右へと歩くと、警察署の角から奥へと伸びる道が。あそこだ。横断歩道を渡ってあの道を進みます。すると、カンチャナブリー県柱廟が道のど真ん中に鎮座しておりまする。場所は、ここ(グーグルマップ)。お参りしておきましょうか。ここのラックムアン(県柱)は、ラグビーボール状の面白いかたちをしてますね。ネットで詳しい情報が見つからなかったんですが、カンチャナブリーの町が現在地に移されたのが1787-1817年のようで、その後ラマ3世の命で恒久的な町に整備されたのが1831年でした。県柱廟が建てられたのも、その1831年。元々のカンチャナブリーの町はアユタヤ時代からもっと北の方にあったんですが、1767年のアユタヤ陥落数年前にビルマ軍によって破壊されて住民もあらかたビルマへ強制連行されてしまっていたようで。そんなことから、ラタナコーシン朝(チャックリー朝)になってから、ビルマへの戦略的な面と、ラーチャブリーとの交易の利便性からよりメークローン川下流の現在の地でカンチャナブリーの町が造営されたのです。県柱廟の先に、1831年に同時に造られたものが見えました。カンチャナブリー城門!場所は、ここ。2006年に修復されたこともあって綺麗な姿で残っていて嬉しいですね~。前に座ってらっしゃるのはラマ3世です。で、残っているのは城門だけじゃないんですよ。城壁もしっかり残っています!思わず狂喜乱舞してしまいました(城壁マニアなもんで 笑)どうもこっち側が城内のようですね。で、こちら側が城外。大砲が5門、外のメークローン川を向いて並んでいます。この右手の城壁沿いには、タイ文字で「カンチャナブリー」とのオブジェ(?)が。観光の記念撮影にいいですね ^^さて、この城壁に沿った道沿いに古い商店街があるので、歩いてみましょう!<旅費交通費>ロッ・トゥー:120バーツここまでの合計:120バーツ<参考>ศูนย์มานุษยวิทยาสิรินธร "จารึกหน้าศาลหลักเมืองกาญจนบุรี"baanjomyut.com "จังหวัดกาญจนบุรี"※旅は2016年5月27日(金)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/03/27
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タイ映画博物館(Film Archive)内で食事を取れるのはどうやらここだけのようで。ホットドッグのスタンド。さっき古い映画を観たピッツバーグの「Nikelodeon」の向かいにあるビルの陰にあります。売り子の女性に注文すると無表情で黙々と作り始めました。うーん、ここの他のスタッフのホスピタリティとは落差が激しいな。たぶん雇用の形態が違うんでしょう ^_^;)近くのテーブルに座っていたら持ってきてくれました。25バーツ也。まるでヨーロッパの古い街にでもいるかのような景色を眺めながらささっと頬張ります。さーてと、ついでなので並びにあるエジソンが発明した映画の原型キネトスコープの初の上映店も覗いておきますか。ニューヨークのブロードウェイにあった「Kinetoscope Parlor」です。男性スタッフが入口でお出迎えしてくれて、館内展示物の解説をしてくれました。熱心に解説を続けるので話を遮って写真を撮るわけにいかなかったんですが、胸の高さほどのキネトスコープの木箱が並んでいて、実際に上から覗き込んで見られるようになっています。5バーツだか10バーツだかの硬貨を投入すると、約1分間の動画を鑑賞できますよー。それから、このムアン・マーヤー(幻の町)の広場にもう一つ建物があるのを見落としてました。引っ込んだところにあったので ^_^;)「Black Maria」というこの真っ黒な建物は、かのエジソンによって1893年に建てられた世界初の映画撮影所です。さっきの「Kinetoscope Parlor」で上映する映画を撮影するための施設だったんだとか。ここでは映画登場初期の歴史や俳優に関する展示のほかに、100バーツで自分が出演して映画撮影体験ができるみたいです。後日DVDに焼いて郵便で送ってくれます。国内限定でしょうけど ^_^;)でも今は閉まっているみたいですね。ここもやはり入館時刻が決まっているのかな。ということで素通りして、敷地の奥まで行ってみました。そこには、古き良き時代の映画館を模した建物が。模しているだけでなく、ちゃんとした映画館で、「シーサーラーヤー映画館」(โรงภาพยนตร์ศรีศาลายา)と言います。月~金17:30、土日13:00, 15:00、祝日13:00に上映してますよ。上映映画は Thai Film Archive の facebookで告知されています。で、その前の女性スタッフが歩いているコンクリート張りのところは、「スター広場」(ลานดารา)。まるでハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターみたいにタイ映画俳優の手形足型&サインがびっしり!思わず知っている俳優さんを探しちゃいました(笑)あ、ありましたよー。映画『フェーンチャン』(แฟนฉัน)のノイナー役女優フォーカスさん!それに上隣は同映画ジアップ役俳優のネックさん!ほかにも小栗旬主演の『ルパン三世』に出演したゴティーさんとか色んな方のがありました。タイ映画好きの人には堪らないかもしれません ^^ということでタイ映画博物館をひととおり見たので、そろそろシメにしますか。向かったのは、世界初の商業映画が上映されたパリの「Hotel Scribe」。さっき「Nikelodeon」での映画観賞チケット購入時にも行ったんですが、1階のカフェ「Grand Café & Salon 」へ。この店名も現在の「Hotel Scribe」内にかつてあって、世界初の商業映画が上映されたカフェの名にちなんでいます。月~金は9:00~18:00、土日祝は9:30~18:30の営業。カウンターで女性にホットアメリカンコーヒー 30バーツを注文。ついでに小さなケーキ菓子 25バーツも頂きました。さっきも気になっていたんですが、ここって2階席があるんですよ。2階で飲んでもいいですか?「どうぞ上がってください」ってことでらせん階段で2階へ。2階は狭いんですが、逆に隠れ家的な座席で気に入りました(笑)ほぉ、カップもお皿も店名が入ったオリジナルじゃないですか。意気込みを感じますね~。2階の広場側に窓があったのでちょっと眺めてみました。タイにいるとは思えない♪ ^^のんびりコーヒーを楽しんで満足満足。タイ映画博物館入口へと戻ります。入口横の、最初に概要を説明してくれた女性スタッフが出てきた建物に立ち寄ってみました。土産物や映画グッズを販売してるんですね。Tシャツも売ってるし~。あっ!さっきのカフェ「Grand Café & Salon Indien」のカップと皿じゃないですか!!さすがにカップまでは買えませんでしたが、スタッフみなさんがとてもいい人達だったので、お礼も兼ねて安いやつですが一つグッズを購入。さあ、帰りましょー。表のプッタモントン・サーイ5通りに出たところ、なんとちょうど515番バスがやってくるじゃないですか!バス停じゃないけど停まってくれるかな?いいや、手を伸ばしてみよう。あ、停まってくれた!!スタスタと駆け寄って乗車。時刻は、13:23。始点からすぐなのでガラガラです(笑)このまま終点まで乗れば戦勝記念塔ですよ~。そうそう、さっき買ったグッズをここでお披露目しましょう。キーホルダーです。上に「SRIKRUNG SOUND FILM」と。例の現在のMRTスクンビット駅の場所にかつてあったタイ初の映画撮影所の名前ですね。下にはタイ文字で「タイ映画博物館」とあります。戦勝記念塔には14:17に着きました。またバンコク滞在中に暇ができたら、515番バスに飛び乗って気軽に訪れたいですね。カフェでまったりするだけもいいかも。てな感じで今回の旅もこれにて完結です。最後までお付き合いいただきありがとうございました!次は、カンチャナブリー市街の旅をお届けします!<情報>Film Archive(Public Organization) (หอภาพยนตร์ไทย)タイ映画博物館 (พิพิธภัณฑ์ภาพยนตร์ไทย)場所:グーグルマップ料金:無料。但し一部有料。営業時間 1 ムアン・マーヤー(幻の町):土日祝 2 図書館:月~金9:00~17:00 3 映画博物館:土日祝10:00, 11:00, 13:00, 14:00, 15:00の5回 4 映画館:月~金17:30、土日13:00, 15:00、祝日13:00 ※変更の場合あり。 5 カフェ:月~金9:00~18:00、土日祝9:30~18:30<旅費交通費>515番バス:23バーツここまでの合計:46バーツ<参考>หอภาพยนตร์ไทย "มายาราตรี Night at mayacity"※旅は2016年11月27日(日)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/03/20
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タイ映画博物館(Film Archive)に足を踏み入れてみるとしますか!ここには、19世紀末~20世紀初頭の映画にゆかりのある建物を「映画セット風」に模して建ててあるんだそうですよ。広場全体で「ムアン・マーヤー」(幻の町)と名付けられています。国内外で受賞経験のある著名なタイ人映画美術監督さんの手による設計だとか。左手の星条旗が掲げられている建物は、エジソンが発明した映画の原型キネトスコープの初の上映店を模したもの。1894年、ニューヨークのブロードウェイにオープンし、店内には覗き込んで見る機械が並んでいたんだそうで。正面奥のフランス国旗がはためく建物は、パリの「Hotel Scribe」。1895年12月28日に世界初の商業映画が上映された場所なんだそうです。右手のこちらも星条旗が掲げられている建物は、ペンシルバニア州ピッツバーグに1905年にオープンした世界初の常設映画館「Nikelodeon」。また欧米だけでなく、バンコクの映画黎明期の建築物を模した建物もありますよ~。入口を振り返ると、C56横の建物は駅舎のようですね。恐らく20世紀初頭、ラマ5~6世期の駅舎がこんな感じなんでしょう。この「モンコン・ボーリサット」(มงคลบริษัท)との看板がある建物は、ラマ5世期にあった王族経営の劇場を模しています。ここを賃借した欧州人によって、1897年6月10日にタイ初の商業映画が上映されたんです。右の白い門は、ラマ5世期にヤワラートのチャルンクルン通り始点にあったサームヨート門(ประตูสามยอด)を模したもの。モンコン・ボーリサットは、この門の近くにありました。なお、タイの映画黎明期にもっとも人気のあった映画館は、日本人渡辺知頼が日露戦争の記録映画を引っ提げて1904年に開いた映画館だったんですよ。当初は同じくサームヨート門近くにありましたが、翌年タイ初の常設映画館を今のナコーンカセームに設けました。ってことは、ピッツバーグの世界初の常設映画館と同年じゃないですか…。これは、タイ初の映画撮影所シークルン(ศรีกรุง)を模した建物。オリジナルはイタリア人建築家による設計で1935年築。なんと現在の地下鉄MRTスクンビット駅の場所にありました。一時期は映画館としても使われていたんだそうですよ。で、ここでは狭い意味での「タイ映画博物館」として使用されています。ただ館内に入れるのは土日祝10:00, 11:00, 13:00, 14:00, 15:00の5回という決まった時間のみ。ガイドに連れられて見学するスタイルです。タイミングが合わないのと館内撮影禁止のため、私は今回見学しないことに ^_^;)でももしかしたら渡辺知頼関係の資料も展示されているかもしれませんね。…てな感じで、広場の周囲を概観したところで、C56のところに戻りますか。「シネマ」駅なんてシャレた駅名板が立っています ^^池までこしらえてあっていい雰囲気ですよね。この連結された客車が展示コーナーになっていまして、1922~32年に設けられていた国鉄の報道伝播映画隊の業績や使用機材・フィルムが展示されています。同隊はTVのまだ無い時代にニュース映画を撮影し、鉄道網を使って全国を巡り住民相手に上映する役割を担っていたんだとか。客車後部から外に出ると近くには、こんな車が。薬売りの車なんだそうで。なんでも昔、薬売りはこの車で地方を行脚してやはり映画を上映し、そこに集まってきた住民たちに薬を販売していたんだとか。客集めから映画上映、語りももちろん薬販売も全て一人でこなす神業。富山の薬売りのタイ版は、なんというかアイデア賞もんですなー。そう言えばタイ映画『モンラック・トランジスタ』(มนต์รักทรานซิสเตอร์)、邦題『わすれな歌』で後半にそんな薬売りのシーンがありましたね。車ではなく船でしたが、『モンラック・トランジスタ』トレーラーにも薬売りの客集めと映画上映の様子がちょこっと登場しますよ。2:43あたりからです。さてさて、ピッツバーグの世界初の常設映画館「Nikelodeon」で11:30に映画の上映があるとのことだったので見てみましょうか。チケットはパリの「Hotel Scribe」内にあるカフェ「Grand Café & Salon Indien」で販売しているというのでスタッフに案内されて店内へ。時間までここで待機です。当時の映画鑑賞チケットを模してあるんでしょうね。シャレてます。10バーツ也。安っ!!「11:30の回はあなただけですよ」と言われマジかよとドキドキしていたら、家族連れ3人が直前になって来てくれて一安心。時刻になったので「Nikelodeon」に移動。入口に「5¢」との看板が。当時の映画チケット代だそうで。階段で地下へ下りると、ここが上映室かー。味のある映写機をスタッフが操って上映開始です。まずタイで撮影された最初の映画とされるものが上映されました。「ラマ5世が映っているのでよく見てください」と言われたもののよくわかりませんでした ^_^;)そんな感じで白黒の無声映画を上映しながらスタッフがタイ語で解説してくれます。次は世界初の映画とされるフランスの作品。第一回目の商業上映でお金を払って見た客は33人だったんだそうで。その33人の中にいたマジシャンが映画に魅せられ、自ら映画を製作し商業上映して大成功。しかし第一次世界大戦終結とともに広がった厭世的な風潮とともに映画人気が去ったため、彼は映画フィルムを溶かして靴底の原料として売るしかなく、その後失意の中、おもちゃ屋に転身した…というドキュメント映画を続けて上映してくれました。なかなか興味深くて勉強になったぞ。これが10バーツだなんてお得すぎる!しかも前回も言いましたが、スタッフがみんな笑顔で気持ちがいいんですよ。一人でも十分楽しめます!30分弱で上映が終わった頃にはちょうどランチの時間。どこか食べるところはあるかな?<情報>Film Archive(Public Organization) (หอภาพยนตร์ไทย)タイ映画博物館 (พิพิธภัณฑ์ภาพยนตร์ไทย)場所:グーグルマップ料金:無料。但し一部有料。営業時間 1 ムアン・マーヤー(幻の町):土日祝 2 図書館:月~金9:00~17:00 3 映画博物館:土日祝10:00, 11:00, 13:00, 14:00, 15:00の5回 4 映画館:月~金17:30、土日13:00, 15:00、祝日13:00 ※変更の場合あり。<旅費交通費>見学しただけなので:0バーツここまでの合計:23バーツ<参考>『日・タイ交流600年史』,石井米雄・吉川利治,講談社,1987年หอภาพยนตร์ไทย "วันสำคัญทางภาพยนตร์"หอภาพยนตร์ไทย "มายาราตรี Night at mayacity"slideshare.net "หอภาพยนตร์ไทย"Hall of Fame Records "หนังยุคแรกของไทย ที่มาของ หนังเร่"※旅は2016年11月27日(日)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/03/13
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前々から行きたいと思っていた「タイ映画博物館」に昨年2016年11月27日(日)、ようやく訪れる機会を得ました!場所はバンコクの西のはずれ。ナコンパトム県に入ったところです。まずは戦勝記念塔からバスに乗りますよ~。「ラーチャウィティー側」から戦勝記念塔始発の515番エアコンバスに乗車。何度も利用したことのある路線なので安心して飛び乗ります。時刻は、10:10。Mr.オクレ似の車掌さんに、タイ映画博物館に行くにはどこで降りればいいか尋ねたところ、「スッ・サーイ」(終点)との返事。運賃は23バーツでした。クルントン橋でチャオプラヤー川を渡ります。手持ち無沙汰なので、座席背面に貼られていたバス車内無料WiFi利用手順を見ながら、WiFiに繋いでネットをして暇つぶし(笑)南バスターミナルに寄ったのは10:36。ここまで大した渋滞にも捕まらず順調ですね。ジャンクションからプッタモントン・サーイ4通りに入ると、左手にマヒドン大学サーラーヤー・キャンパスの広大な敷地が見えました。奥を左折して国鉄南線に沿った道をまっすぐ西へと進みます。この頃には乗客はほんの数人に。さらに途中のバス停で残りも下車して、とうとう私だけに~。終点ってどのあたりなんだろう?不安になって車掌さんのほうを向くと、「まだだよ」と。覚えていてくれたんですね ^_^;)左折してプッタモントン・サーイ5通りを南下し始めたところで、「タイ映画博物館はここだよ。道を渡った反対側だ」と車掌さん。親切にありがとうございます!時刻は、11:04。戦勝記念塔からなんと1時間弱で着いちゃいましたよ。日曜日だからでしょうね。反対側ということはあそこか。と、道を突っ切ろうと数歩進んだところで、中央にある緑地帯が深い溝になっていて容易に越えられなさそうなことが判明。しかたないな。歩道橋で渡るか。えーと、歩道橋はどこだ?と左手を向くと、はるか彼方じゃないか!!車掌さん、こんなところで降ろさないでくれよーー!!日差しを遮るものが何にもない中、汗をかきながらようやく歩道橋に辿り着きました。あぢー。歩道橋を渡りつつ南側を眺めると、先の方にオレンジ色のバスが2台停まっているのが見えますか?どうやらあそこが515番バスの始点のようですね。ちなみに右手の敷地はラチャマンガラ工科大学ラタナコーシン校です。歩道橋を下りて北へと戻るかたちで歩き、ようやく入口に到着しました。時刻は、11:13。タイ映画博物館です。タイ語では「ピピッタパン・パーパヨンタイ」(พิพิธภัณฑ์ภาพยนตร์ไทย)。場所はここ(グーグルマップ)。正確には「ホー・パーパヨンタイ」(หอภาพยนตร์ไทย)、英語で「Film Archive (Public Organization)」という、映画保存が役割の日本で言う独立行政法人のような組織の施設なんです。なので訳せば「独立行政法人タイ映画保存館」ですかね?その中の1施設としてタイ映画博物館があるんですが、全体をタイ映画博物館と呼んだほうが分かりやすいのでここではそうさせていただきます ^^ところで、ここに来た最大の目的が、既に見えてますよ!C56 47号機!!言わずと知れた日本製蒸気機関車です。1936年の三菱重工業製。1941年11~12月に日本軍に供出され、タイ・ビルマに運ばれた90両のC56のうちの1両です。太平洋戦争中に泰緬鉄道などで使用されていたんでしょうね。前方デッキ部にはブロンズ像が乗ってますよ。説明によると、このカメラを構えた人物は、カンペーンペットアッカラヨーティン親王。ラマ5世の第35子で、タイ国鉄総裁を1917~26年の間務めた人物です。国鉄の近代化と路線延伸を進め、「タイ国鉄の父」と呼ばれているんだとか。またタイ初のラジオ局を開設したことから「タイ・ラジオの父」でもあり、テレビ放送もアジア初を目指して進めていたものの、立憲革命でとん挫。きっと映画にも関わっていらしたことから、像が置かれたんでしょうね。ここはちょっとした映画の歴史のテーマパークっぽくなっているようで。入ろうとすると、左手の建物からおもむろに若い女性スタッフが出てきました。入場料無料であることや、どんな施設があるのかを説明してくれた上で、映画上映や博物館の解説の時刻は何時からなのでまずはどこそこから見学なさるといいと思いますよと、終始笑顔で親切に解説してくれました。タイのミュージアムってわりと事務的対応なところばかりなのに、民間のテーマパークのスタッフのようなスマイル満点のホスピタリティにしょっぱなから「ここは他と違うんだ」という意気込みを感じとりました。よし、期待しながら入ってみましょう!<情報>Film Archive(Public Organization) (หอภาพยนตร์ไทย)タイ映画博物館 (พิพิธภัณฑ์ภาพยนตร์ไทย)場所:グーグルマップ料金:無料。但し一部有料。営業時間 1 ムアン・マーヤー(幻の町):土日祝 2 図書館:月~金9:00~17:00 3 映画博物館:土日祝10:00, 11:00, 13:00, 14:00, 15:00の5回 4 映画館:月~金17:30、土日13:00, 15:00、祝日13:00 ※変更の場合あり。<旅費交通費>515番バス:23バーツここまでの合計:23バーツ<参考>ウィキペディア『国鉄C56形蒸気機関車』การรถไฟแห่งประเทศไทย "การรถไฟฯจัดงานวันบุรฉัตร ๑๔ กันยายน"Wikipedia "พระเจ้าบรมวงศ์เธอ พระองค์เจ้าบุรฉัตรไชยากร กรมพระกำแพงเพชรอัครโยธิน"※旅は2016年11月27日(日)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/03/06
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ラマ2世期に築かれたラーチャブリー城壁をこの目で見られて満足した私は、城門を通った道をさらに北へと歩いて行きます。奥に見えてきましたよ。さらに歩くと、ラーチャブリー県柱廟です。県柱(ラックムアン)とは、かつてムアン(たいていが城壁で囲まれた町)を新たに建設する際に、まずその中心や縁起の良い場所に建てた柱のことです。バラモン教の影響ですが、家を建てる時にまず柱を建てることに倣った風習のようですね。ここの県柱は、ラマ2世がラーチャブリーの町を対岸から移転させた際の1817年に建てられました。それから城壁や町を整備したのだそうで。かつてのムアンが現在では各県の中心部になっていることが多いことから「県柱」と訳しましたが、県になれず他の県に組み込まれたムアンにもラックムアンが残っているところがあります。そのため例えばプーケット県には4つもラックムアンがあったり。軍の敷地内なので商業施設はお供え物の売店以外皆無にもかかわらず人がひっきりなしにやって来ます。それだけご利益があって信仰されている存在ということなんですね。内部を覗きましょう。県柱(ラックムアン)が金箔をびっしり貼られた姿で建っています。県柱というと、柱の下には人柱が埋まっているという話をよく聞きますよね。確かにいくつかの県の県柱にはそのような伝承が言い伝えられています。バンコク都のラックムアンもにも4人の男性が生き埋めにされたという話を聞いたことのある方も多いかもしれませんね。バンコクはラマ1世期(1782年)とラマ4世期(1852年)の2本のラックムアンがあり、いずれの際も儀式の詳細な手順を記した文書が残されていますが、そこには四方から集めた石と護符の石版を穴に入れてから柱を建てたとしか記述がないんです。他の県のものも人を埋めたという公式記録が残っているところはありません。プーケット県史に妊婦を埋めたとの伝承が記載されてはいますが。単なる言い伝えだけであってほしいものですね ^_^;)そもそもラックムアンを建てる風習はいつからタイにあったんでしょう?ちょこっと調べてみました。13世紀のスコータイ朝時代から続く風習との記述を見かけます。でもバラモン教自体は当時すでに伝わっていたものの、ラックムアンに関しては書物でも物的な面でも明確な証拠はないようです。国内最古とされているペッチャブーン県のラックムアンは石碑で、1021年にクメール文字で記されたサンスクリット語の「シヴァ神を讃える内容」と、1516年にクメール文字で記されたタイ・パーリ・クメール語の「仏教に関する内容」という2つの時代に文字が刻まれているのですが、元々は県内のお寺に建っていたもの。それを1900年に移設してラックムアンとしたんです。じゃあスコータイ県のラックムアンは?かのスコータイ遺跡の中にあるんですが、ラマ6世期の1907年の遺跡調査で、四方の柱に囲まれた遺跡の中心の穴から不鮮明な模様が書かれた石版を発見。ゆえにここにスコータイのラックムアンがあったと推定されたことから現在、スコータイ県のラックムアンになっています。うーん、それじゃアユタヤ県のラックムアンはどうだ!?アユタヤ王朝年代記には初代王ラーマティボディー1世が1350年にアユタヤを建設したと記されていますが、ラックムアンを建てた具体的な記述はありません。1767年にビルマの攻撃で陥落した後ずっとアユタヤにラックムアンは無し。1982年になってラタナコーシン朝創始200年記念行事として現在のラックムアンが建てられたのです。ここまで見た限りでは、現チャックリー朝(ラタナコーシン朝)が始まった18世紀後半以降に建てられたものばかりなんですよ。でも全ての県のラックムアンを調べたわけではないですし、証拠がないだけでスコータイ朝時代から本当にラックムアンの風習があったのかもしれませんよね。さてさて、そんなラックムアンの参拝を済ませたので、また対岸に戻りましょう~。近くには軍の詰所が。สห というのは「憲兵」の略称。おぉ、なんだか怖いのでさっさと去ることにします ^_^;)西側に出て国鉄線路に沿った道をメークローン川へ向けて歩いていると、左手にわかりますでしょうか?新しい壁の裏側にぴったり張り付いてレンガの壁が続いているのが。これ、さっき見た城壁の続きなんです。で、ここで終わっています。西端ってことですね。この先はというと、道を挟んだ向かいに国鉄南線の盛り土が。今見た城壁は南側城壁で、西側城壁はたぶんあの盛り土の場所にあったのでは?ラマ5世期の国鉄線路建設で取り壊されたんじゃないかな。そんな気がします。で、そのラマ5世のお名前が冠されたチュラロンコン橋を再び渡り対岸へ。見どころは見尽くしたので帰ることにしまーす。最初の歩道橋を渡ったその下にバンコク行きロッ・トゥー乗り場があるんです。他にメークローン川沿いのラーチャブリー国立博物館近くにもありますが、こっちの業者が私は一番好き。お姉さんからチケットを購入して待ちます。すると何分と経たずにロッ・トゥーが現れました。なんとラッキーな!時刻は、13:12。車内で爆睡しているうちに1時間ほどでバンコクの南バスターミナル前を高架道路で通過。でも2016年10月25日から乗り場が強制移転になった今では、このロッ・トゥー路線も南バスターミナルが終点なんでしょうけど…。この時はまだ移転前だったので、戦勝記念塔近くのセンチュリーに戻ってきました。時刻は、15:14。これにて今回の旅も完結です。水瓶ケーキ(ケーク・オーン)を食べることが目的だった今回の旅ですが、歩いて見聞きしているうちに予想以上にディープな旅になっていました(笑)最後までお付き合いいただきありがとうございました!次回は、バンコクの西はずれにあるミュージアムを訪ねる旅をお届けします!<旅費交通費>ロッ・トゥー:100バーツここまでの合計:210バーツ<参考>『タイ事典 』,日本タイ学会,めこん,2009年เที่ยวราชบุรี.com "ศาลเจ้าพ่อหลักเมืองราชบุรี"สารคดี "พิธีฝังคนทั้งเป็นในหลุมหลักเมือง"MGR Online "ศาลหลักเมือง” ความศักดิ์สิทธิ์ในความแตกต่าง"เรื่องเล่าชาวเมืองสยาม "เรื่องเล่าเสาหลักเมือง"ペッチャブーン県文化評議会議長ウィソン氏facebook "เสาหลักเมืองเพชรบูรณ์ ศรัทธาและคุณค่าทางประวัติศาสตร์ !!"※旅は2016年5月28日(土)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/27
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「アーティー・コーピー」を後にしました。時刻は、12:24。ラーチャブリーに着いてから4時間近く経っています。さあ、今度こそラーチャブリー城壁へと向かうぞ!まず向かったのは、またしてもメークローン川渡し船の船着場。対岸にいた船が私に気付くと向かってきてくれました。ありがとうございます~。でも船を往復させて稼ぎはたった5バーツってことですか。きっと陸軍から補助金が出てるんでしょうね。そうじゃないとやってられないと思います ^_^;)対岸の陸軍工兵局パーヌランシー基地内船着場に到着。階段を上がって、川沿いの道を東へと歩きます。人っ子一人いませーん。で門を出て振り返ってみると、詰所に警備兵の姿がないぞ。陸軍基地がそんなにユルくていいのか?(笑)ちなみに正門はこの右手の方にあります。そのまま真っ直ぐ歩いてチュラロンコン橋の下をくぐります。どうやらあちら側も基地の敷地内ってことみたいです。ちょっと先の左手に工兵博物館なる施設が現れました。が、今日は休館日のようです。裏手の四つ角にある詰所で警備兵のおじさんに尋ねると、外から見る分にはいいとのこと。では裏側から柵越しに軽く眺めてみますか。屋外には工兵局が使用した様々な重機が展示されてました。ブルドーザーにショベルカー、モーターグレーダー、クレーン車とかそういった工事用車両のようですね。建物内には工兵局の歴史や業務、国民への支援の様子、歴代重要人物の略歴などが展示されているみたいです。ちなみに工兵博物館は1969年設立、手狭になって現在のかたちに拡張されたのが1984年とか。で、屋外展示はここ以外に路地を挟んだ北側にもあって、そこにはなんと蒸気機関車と客車が展示されてました。工兵局との関係性やいかに?と思ったら、やはりそう首をかしげる見学者がいるのか、案内板に説明が書かれています。工兵局はラマ5世の時代から国鉄路線の建設にトンネルを掘ったり、線路を敷設したりと従事していたんだそうで。蒸気機関車は1918~24年の間にイギリスのWeak Poor & Beyer Peacock社で製造された車両で、オランダが蘭領東印度(現インドネシア)で使用していたのを太平洋戦争時に日本軍が接収してタイへ運び使用していたものだとか。感慨深いものがありますなー。としみじみ眺めていて何気なく奥へと視線を移したら、あ、あれは!!思わず小走りに近づきます。あったーーーー!ラーチャブリー城壁だ!!修復が多少されているみたいですけど、歴史を感じさせる痛み具合がいい感じで素晴らしい!先ほど訪れたラーチャブリー国立博物館のパネル展示によると、ラーチャブリーの町は元々メークローン川のさっきいた側にあったのをラマ2世(在位1809~1824年)年が戦略上好ましくないとの理由でこちら側に移転させたのだそうです。とは言っても200×800mの敷地という狭さ。この城壁は、その当時に築かれたもの。その後、海を渡ってきた華僑らがメークローン川対岸に住みつき、商売を始め賑わうようになったため、再度あちら側に町が移って現在のラーチャブリーになったというワケです。つまりコイキー市場が町を向こう岸に引き戻したってことですか ^^町がもぬけの殻となったお陰で、町の発展の中で破壊された他の町の城壁と違い、ラーチャブリーの城壁は残ることができたんですね。軍の基地が置かれたことも幸いしたんでしょう。城壁がどこまで続いているのか東へ辿ってみることにします。隣の敷地には軍の独身寮らしきアパートが建設中だか改修中だかでごちゃごちゃしています。その裏にも続いてますね。寮の敷地の東端まで来ました。お、ここで城壁が終わってる!この右側にはフェンスがあってその向こうには細い運河があります。しかし今にも崩れ落ちそうな荒廃っぷりだな。足元にも城壁のものと思われるレンガがゴロゴロと。こっちの辺りも修復してくださいな!今度は蒸気機関車のあったところから西側へと辿ってみます。隣のテニスコートが終わると縦に道が通っています。その道を北へと歩くと、ん、城門?通って振り向いてみると、確かに城門だ!でも傷み具合の違いなどから見て、城門は後世に作り直されたものっぽいですね。これじゃ門の役割を果たしていないし。実はラーチャブリー国立博物館のパネルには、ちゃんと扉のある城門の写真があったんですよ。最近改修されてこの姿に変えられちゃったのか、はたまたまだ他に城門が残っているのか。いつかもう一度調べにくる必要がありそうですなー。<旅費交通費>渡し船:5バーツここまでの合計:110バーツ※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/20
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ベトナム・コーヒー店「アーティー・コーピー」に今度こそ向かいますよ~!ラーチャブリー国立博物館を出た目の前はメークローン川。川に沿った道を左へ歩いて行きます。ほどなくすると、正面突き当りにお寺が見えます。あそこがワット・チョンロムだな。水瓶ケーキ(ケーク・オーン)を買った店「バーン・カノム」のご主人が道を教えてくれたとおりです。右手の並びにあるはず…。というかもうこの手前の建物がそうでした(笑)上部に水瓶ケーキにもあった顔のイラストが掲げられてますね。アーティー・コーピー(อาตี๋ โกปี๊)漢字で「大廣頼」とも。ん? 「バーン・カノム」には「勝長頼」と書いてありましたね。左右逆に読んで「頼」が姓で両方とも名前なのかな?よくわかりませ~ん ^_^;)そんなことよりも私が狂喜したのは、左ののぼり。なんと「カイガタ」と書いてあるじゃないですか!こりゃあ食べないわけにはいきません。入ってみますか。エアコンがなくシーリングファンがいくつも天井で回っている店内。カウンターはこんな感じ。店主らしきおじさんに一人ですと告げると、「一人だろうが何だろうがどこでも座っていいよ」と軽く突き放されつつ、まあそんなもんだろうと気にせず着席。席から逆側を眺めてみると、ほお、棚には昔のおもちゃや道具が陳列されています。レトロな雰囲気を醸し出そうとしているのが伝わってきますね。渡されたメニューを見て、カイガタ 49バーツと当初の目的のベトナムコーヒー 40バーツを注文。どうもアーティー・コーピーは朝食がメインの食堂って感じみたいですね。サンドイッチから、お粥、カイガタ、ゆで卵、点心、パトンコーにバクテーまでメニューには載ってます。タイ、イサーン、マレー、欧米、中華となんでもありですね(笑)さすがエスニックグループのるつぼラーチャブリー。しばらく待ったらやってきましたよ!この写真の中にもイサーン、ベトナム、南タイ、中華系が同居しています ^^おまけにティッシュ入れが水瓶ケーキと同じ竜柄水瓶の容器が流用されてるし~。まずはカイガタ(鍋焼き玉子)。うーん、ニンジンが入っているせいで味の調和が崩れている気がする。この数日前にバンコクで「カイガタ食べ歩き」をした際にブログで目玉焼きの上にクンチアン(ソーセージのようなもの)とムーヨー(ハムのようなもの)がのっているだけの素朴な味が本来のカイガタだという旨を書きました。でもその後調べてみると、地方や店ごとに様々なトッピングのバリエーションがあることがわかったんです。中には目玉焼きではなく玉子焼きなところもあるんだそうで。でもなあ。それでもニンジンはないだろうというのが私の個人的な感想です ^_^;)気を取り直して本来の目的だったベトナム・コーヒーをば。ちゃんとアルミフィルターが乗っかって出てきたのが嬉しいですね~。底の練乳と混ぜて飲んでみます。うん、こっちは美味しいぞ。濃すぎずにちょうど良い塩梅ですよ。そしてお茶がセットで出てくる南タイ式もポイント高し。薄すぎて味がよく分からないのですがたぶん烏龍茶です。でもそんなお茶でも飲むと気分がほっとしてこのまましばらくお茶を飲みながらぼーっとしていたい気になりました。この店、以前はコイキー市場のチュラロンコン橋近くにあったんですよ。2013年4月に訪れた時は閉店してて「近日中に新装開店」との垂れ幕が架かってたんですが、その後ここに移転して再オープンしたってことなんですね。「バーン・カノム」の系列店ということで、ここでも水瓶ケーキ(ケーク・オーン)を販売しています。ラーチャブリー国立博物館の見学後や近くのロッ・トゥー乗り場からバンコクへ帰る前にベトナム・コーヒーだけ飲みに立ち寄るには良さそうなお店ですね。さて、ラーチャブリー城壁へ向かうぞ!<情報>アーティー・コーピー(อาตี๋ โกปี๊)営業時間:毎日6:30-16:30地図:グーグルマップ詳しくは、公式facebookページ(タイ語)参照。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/13
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ラーチャブリー名物水瓶ケーキ(ケーク・オーン)の店「バーン・カノム」で教えてもらった系列のベトナムコーヒー店「アーティー・コーピー」への行き方のとおりに歩いて行きます。メークローン川沿いのコイキー市場より西側にあるそうで、川に出て左へと進んでいくと左手にあ、そうか。ラーチャブリー国立博物館があったんだっけ。以前来た時にはあいにくの閉館日で入れなかったんですよ。せっかくなので入ってみますか。この建物、元々はかつて置かれていたラーチャブリー省の省庁舎としてラマ6世時代の1922年に建てられたものなんだそうで。1983年から博物館として使われています。どうりで戦争ものの映画に登場する昔の役所っぽい建物だなと思ったんですよね ^^入口で入館料を支払います。「20バーツ」とのことなので何の疑いもなく払ったら、後でウェブサイトで確認したところ「外国人100バーツ」との記載が。後の祭り。ま、いっか。荷物は持ち込み不可なので、すぐの部屋にカバンを預け、預かり札を受け取ります。カメラはOKだそうで持っていくことに。中庭を囲んだ「口」状の建物に従って時計回りに回って行きますか。ラーチャブリーの地理を概説する部屋の次は、先史時代のコーナー。出土した2~3千年前の土器や装身具の展示と人骨発掘のパネル展示がされています。そんな昔から人が居住してたんですね。次の部屋は3~4世紀の「扶南」の次に栄えた6~11世紀のドヴァーラヴァティー朝時代。ドヴァーラヴァティー文化を感じる出土品が展示されています。私が行きたいと思っているクーブア遺跡もそうですが、ラーチャブリー県内にはこの時代の遺跡や遺物が出土した場所が数多くあるということを展示から知りました。次は11~13世紀のクメール朝時代の部屋!が、期待ほどは展示品が多くなかったです。こんな手に触れられるかたちで無造作に展示されているのがタイらしくていいですね ^^でも興味深い事実をパネル展示から知りました。航空写真に写っている縦長の遺構、実はクメール統治時代の都市を囲む堀と土塁の跡なのです。クメール朝のジャヤヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)がアンコール遺跡の一つプリヤ・カーンに遺した碑文に記された「ジャヤラーチャブリー」という都市がここだと推定されています。曲がりくねりつつもほぼ「L]字なのがメークローン川で、この博物館の位置はちょうどその曲がる角あたり。なんだ、歩いて行ける距離じゃないですか!今度ラーチャブリーに来たら見に行ってみま~す。中庭に面した回廊に出ると、ん? クーブア遺跡の模型かな、たぶん。次のスコータイ朝&アユタヤ朝時代の部屋には、スコータイ朝ラムカムヘン王時代のかのラムカムヘン王碑文(1283~92年頃と推定)にもラーチャブリーの名が刻まれているとの説明がありました。またナコンサワン県で出土した同時代の碑文にもやはりラーチャブリーの名が見られるんだとか。結構歴史があるんですねぇ。トンブリー朝時代の部屋の次は、現王朝のラタナコーシン朝時代の部屋。このパネルにまたもや狂喜!なんと城壁の写真じゃないですか!ってことは、城市だった時代の城壁が現存しているってこと!?城壁マニアの私としては見逃すわけにいきません!(笑)今日必ずこの目で見てやるぞ。そしてチュラロンコン橋を訪れた時に説明しましたが、メークローン川に架かる国鉄南線鉄橋の開通式(1901年)にラマ5世が行幸された時の写真です。上から2列目の左から2枚目に当時のチュラロンコン橋が映っています。これは、「省の剣」なのだそうですよ。なんでもラーチャブリー省が置かれていた時代の1916年にラマ6世が行幸された折、下賜されたのだとか。各省に剣があったんでしょう。でも地方自治の省制はこのラマ6世時代に廃止されちゃったんですけどね。次の部屋は、ラーチャブリー県内のエスニック・グループ展示でした。パネルによると、ラーチャブリーは国境県でもあることからエスニック・グループのるつぼとなったんだそうです。県内には、タイ系、中華系、黒タイ族、ベトナム系、モン族(モーン)、カレン族、ビエンチャン・ラオ系、元クメール・ラオ系の8種族が居住しているんだとか。各種族の来歴や文化の展示があるんですが、これはそのうち「黒タイ族」の展示。ラオスにかつてあったルアンパバーン王国とベトナムとの中間あたりに元々は居住していたのが、度重なる戦争を避け難民として散り々に。タイ領内に流入したグループは、時のトンブリー朝タークシン王によりラーチャブリー南隣のペッチャブリー県に住まわされます。が、その後も次々と流入してきてペッチャブリー県を溢れ出た黒タイ族の一部がラーチャブリー県内に移り住んだのが始まりとのこと。元クメール・ラオ系も、かつての戦争では侵略地の住民を自国にごそっと強制移住させるのが常だったんですが、クメールとラオの間を強制移住で行ったり来たりした末にタイに連れて来られた人達の末裔のようです。それで3つの言語がごっちゃになった特異な言語を話しているんだとか。どの種族も数奇な運命を辿ってラーチャブリーに居住するようになったんですね。このガラス板には、見づらくてすみませんが、ラーチャブリー県の「県の標語」(カム・クワン)が刻まれています。韻を無視してざっくりと訳すと、ポーターラームの美人 バーンポーンの麗人竜柄水瓶の中心市街 影絵のワット・カノーン目を見張る美しい洞窟に ダムヌーン水上マーケット億のコウモリに夢中になり 良魚イーソップの住む処てな感じです。おっ、竜柄水瓶は、やはり県の誇りなんですね!ちなみにイーソップは、タイガーバルブっていうコイの仲間の魚のようです。続く文化遺産の部屋には、籐製品が展示されています。そういえば2010年の「バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅」で訪れたバンコクのタラート・プルーで触れたことがありましたね。タラート・プルーがかつて水上マーケットとして栄えていた頃、ラーチャブリーから特産品の籐製品が舟で運河づたいにタラート・プルーまで運ばれ売られていたんです。メークローン川→ダムヌーンサドゥアック運河→ターチーン川→パーシーチャルーン運河→バンコクヤイ運河…というルートに違いありません。竜柄水瓶だっ!!これらが昔ラーチャブリーで生産されていた本物の竜柄水瓶なんですね。実物を初めて見ることができて、思わず感動です(笑)前々回にラーチャブリーの竜柄水瓶の歴史を解説しましたが、パネル展示によると最盛期には水瓶工場が50か所もあったんだとか。あと中国から渡ってきた焼き物職人が1933年にラーチャブリーで初めて開いた焼き物工場は名称を「タオセンリー」といったそうです。「現在のラーチャブリー」の部屋は県内産業の紹介なのですが、このパネルの中央の写真は、バーンポーンのバス車体工場ですね。2009年に当ブログで触れたことがあるんですが、太平洋戦争中、県内のバーンポーンには泰緬鉄道建設の基地として日本軍が駐留していたことから、軍用車両の修理技術が雇われていたタイ人に伝承されたのが元で、戦後に国内最大の車体工場集積地となったんです。タイのテレビ番組にバーンポーンの車体工場オーナーがその旨を語ってくれている部分があるので貼っておきますね。タイ語ですけど02:17あたりです。一周して見尽くしました。いやぁ、ラーチャブリー国立博物館は、軽い気持ちで立ち寄ってみたら予想外に面白かったですね。大いに勉強になりましたし!中庭を囲む回廊になっている造りが、コロニアル風というかレトロかつ優雅な雰囲気を醸し出していていいですね~。入口に戻り、カバンを返してもらいつつ、男性スタッフに尋ねてみました。ラーチャブリー城壁ってどこにあるんですか?「基地の中ですよ。県柱廟の近くです。」よっしゃ、行くぞ!!でもその前にアーティー・コーピーに寄らねば ^_^;)<情報>ラーチャブリー国立博物館(พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติราชบุรี)場所:グーグルマップ休館日:月・火曜日、公休日開館時間:9:00-16:00入館料:タイ人 20バーツ、外国人 100バーツ<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/02/06
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ローカルなショッピングモール「サンニー」から北へカタートーン通りを歩いて行くと大きめの交差点に出ました。交わるグライペット通りを右へと進みます。とある店を探しているんですよ。通りの右側にあるはずなんですが…。あった!味もそっけもない外観ですが、バーン・カノム(บ้านขนม)と店名が掲げられているので間違いありません。その横には漢字で「勝長頼」とも。バーン・カノムは訳すと「お菓子の家」。ケーキやクッキーなどを製造販売するベーカリーなのです。お店に足を踏み入れてみると、いきなり目の前にありましたよ、目的の品が。水瓶ケーキ!ラーチャブリー産の竜柄水瓶はタイ全土で有名だということは前回解説しました。その水瓶をラーチャブリー土産として活用し、この店が開発した商品なのです。水瓶ケーキ、タイ語で「ケーク・オーン」(เค้กโอ่ง)のラインナップは2種類。上の写真は、水瓶を模した素焼きの容器にスポンジケーキが詰まっているタイプ。80バーツ。こちらのもう1種類は、「食べられる水瓶」タイプ。なんと容器の水瓶も硬いクッキー生地でできていて、丸ごと食べられるのです(笑)中身はドライフルーツの入った「フルーツケーキ」で150バーツ。冷蔵庫保存では1か月もつと書かれていますが、店のおじさんに尋ねると常温では数日しかもたないそうです。実は詳しくそれぞれの商品について常温何日で冷蔵何日と教えてくれたんですが、私の頭が記憶できませんでした ^_^;)いずれにしても2つのタイプともに日本に持ち帰ってお土産にできるほどは日持ちしないのが残念です。ふと違う棚を見やると、もう1つ違うのがあるじゃないですか。こっちはケーキではなく、中に個包装されたクッキーが入っているタイプ。100バーツ。尋ねると常温で(たしか)3週間もつとのこと。水瓶を使った商品の第1号がこのクッキーだったようです。2001年のこと。その後、水瓶容器も中身も試行錯誤を重ねて、今のラインナップにまで増えたんだとか。じゃあ最初の2つはバンコクへ帰ってから自分で食べる用、クッキーのはお土産用に買い求めることにしましょう。レジへ持っていくと、おじさんがどれも丁寧に箱詰めしてくれました。水瓶ケーキを考案したのは新聞記事によると青年なので、このおじさんはお父さんで先代ってことかな。「2月に東京に行って来たよ。30年前と様変わりしてたね」なんと! 意外と気さくに話しかけてくれて嬉しくなりました。話は一旦飛んで、バンコクへ帰ってから水瓶ケーキを食べてみたのでレポートを。まずは並べての写真。左から(1)水瓶ケーキ(容器は素焼き、中身はスポンジケーキ)(2)水瓶ケーキ(「食べられる水瓶」タイプ)(3)クッキー(容器は素焼き)です。(1)と(3)の容器は形状が微妙に違います。これが(2)の「食べられる水瓶」(โอ่งกินได้)。顔の絵の下には「アーティー・コーピー」(อาตี๋โกปี๊)とあります。これはバーン・カノムが経営するベトナム・コーヒー店の名。ブランドがしっかり使い分けられてなく、ごっちゃになってますね(笑)袋から取り出したところ。周りにビニールが巻かれています。そうそう、こんなのも渡されたんですよ。ルークターン(オウギヤシの実)のジャムらしいんですが、(1)用だか(2)用だか忘れました ^_^;)さあ、豪快にかじってみましょう!中身のフルーツケーキは、こんな感じにレーズンやパイナップルなどのドライフルーツの粒が混ぜ込まれています。周りの水瓶部分は、ケーキのビスケット土台をもう少し硬くしたような食感ですね。全体的な味は、正直に言うとフツー ^_^;)まあ物珍しさで買うものかなー。これ、1つのボリュームがかなりあって、とても一人で一回では食べきれません。切って少しずつ食べたほうが良さそうですよ。もう1つの(1)は、スポンジケーキがあまりしっとりしてないです。これもフツーな味ですかね。(1)を食べた後の水瓶の写真をUPしておきます。ちゃんと竜柄が入っているんですよ。こんなところにはコダワリを感じますよね!素焼きと思わせつつ、内部には釉薬が塗られています。考案した青年は容器の衛生面にもかなり気を遣ったそうなんで、その結果こうなったんでしょうね。さすが。ちなみに(3)のクッキーは私は食べなかったのですが、お土産にあげた人の感想は「中身が少ない」でした(笑)ビニールで個包装されたクッキーが4~5個入っているだけだったそうです。値段を抑えるには致し方ないのかも^_^;)実はもっと大きな水瓶に入ったタイプのクッキーも店にはあったんですよ。でもそっちは確か250バーツだったような…。全体としてまだまだ改良の余地がありそうですが、今までこれといった土産物がなかったラーチャブリー待望の商品ですので、もしラーチャブリーへ行く機会がありましたら、試しに買ってみるのもいいと思いますよ。なによりも食べ終えた後に水瓶の容器が思い出の品として残りますので ^^そうだ! お店情報をお知らせします。バーン・カノム(BAN KA-NOM, บ้านขนม)地図:グーグルマップ電話:0-3232-8311会計時にベトナムコーヒー店「アーティー・コーピー」のチラシを頂いたんで行き方を教えてもらったんですよ。これからそこへ向かってみようと思います!<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ<参考>ไทยรัฐ "SME มีแวว : เค้กโอ่ง...โอ่งกินได้ ไอเดียบรรเจิดจากราชบุรี!!", 2012年9月18日付มติชน "จับเค้กใส่โอ่งของฝาก จังหวัดราชบุรี", 2012年1月12日付※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/01/30
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ラーチャブリー病院前の時計塔から右へ曲がり、カタートーン通りをメークローン川方面へと戻って行きます。おっ、看板には「SHINZEN」と。日本食レストランですね~。でも「新鮮」なのか「親善」なのか、ナゾ ^_^;)店前に広げられたメニューを覗き込むとなんと日本語併記じゃないですか。右のページは普通のネタなんですが、左のページには、カツロール 199アボカドウナギロール 185エビ天ぷらロール 225アボカドエビコ&ウナギロール 235そしてスタンドに差してキャンドルのように突っ立っている手巻き寿司 89と、どうやらフュージョン系のようですね。ラーチャブリーにまで日本食ブームどころか、こんな系統の日本食も到達していて正直オドロキです!なおも歩き続けると、ずっと曇っていたのが、ようやく晴れ間が出てきました。この辺りは右手は商店街、左手は女子高のようです。さらに歩くと左手には広大な駐車場を備えたテスコロータスが。その向かい、右手には、ロイヤルパーク・ITサニー なるショッピングモールが出現。サニー(Sunny)はタイ語風に発音すると「サンニー」のため、地元では短く「サンニー」と呼ばれているみたいです ^^ラーチャブリーのローカルなショッピングモールってどんなもんなんでしょう。ちょっと寄ってみますか。1階入って正面、書店の左隣には、おおっ、ここにも寿司店が!なんと全種15バーツ。やすいやすいやすいやすいやすいやすいやすいがクドイです(笑)それより美味しさをアピールしたほうがいいような気も~。とまあ、インパクトがあるのは入口付近のみであとは上の階も閑古鳥が鳴いています。テナントも全ては埋まってないですね。数年前まで映画館が入っていたようですが、気付かなかったので今はないんじゃないでしょうか?吹き抜けの下から元気な声が聞こえてきたので覗き込むと、テコンドー教室かあ。予想以上に寂れていてあまり見るところがないのですぐに建物を出ちゃいました。すると外に、竜の図柄の巨大水瓶がここにも!そろそろ解説をしましょう。竜柄の水瓶は、かつてラーチャブリーの特産品だったんです。そもそもは戦前に現在の中国広東省潮州市楓渓区から陶芸職人の2人の男性がバンコクへ渡ってきたことに始まります。2人は焼き物に適した土を発見したラーチャブリーに焼き物工場を設立し、水瓶(みずがめ)や植木鉢の生産を開始。1933年のことです。ラーチャブリー初の工場であり、かつ初のタイ国内産水瓶となったのでした。その後1943年に2人は新たな工場「タオセータイ」を設立。当時タイでは水道が普及していないため、各家庭には水を貯めておく水瓶が必須でした。太平洋戦争が勃発すると、今まで中国から輸入していた水瓶が届きにくくなります。そんな状況下でタイ国内産の水瓶が取って代わって普及。大きくて重い水瓶は、距離が遠いほど輸送費がかさみました。また縁起の良い竜の図柄をあしらったこともあいまって、地方の裕福な家の庭先には、まるで現代のベンツかBMWのようにラーチャブリー産の水瓶がステータスを誇示するシンボルとして置かれていたそうです。1954年に2人のうち1人が別れて自らの工場「タオホンタイ」(陶豊泰)を設立してからは、こちらのブランドのほうが人気だったようです。しかし水道の普及とプラスチック製品の席巻で衰退。ドイツの大学に留学経験のある3代目が継ぐ現在のタオホンタイでは残念ながら水瓶をもう生産していません。代わりに利益率の良い盆栽鉢や、韓国向けにキムチの壺などの他、カラフルな前衛的セラミック製品を意欲的に生産しているようで。郊外にあるタオホンタイの工場はカフェ併設のミュージアムっぽい造りになっていて、生産の工程を見学できる観光地となっています。一方のタオセータイも事業継続中。工場内の様子らしい写真(4年前ですが)を見ると、こちらでは竜柄の水瓶を今でも生産しているようです。さて、次なる目的地へ向かうか、と歩を進めようとすると右手に呂祖仙師廟なる中国廟が。呂?…もしやと思い帰ってから調べたら、以前「宝くじに当たる5大願掛けスポット巡り」をした時にバンコクの中華街で訪れた「呂帝廟」に祀られた呂 洞賓(りょ どうひん)と同一人物でした。道教の八仙(七福神みたいなもの)の一人で唐代に実在した仙人。中国の民間信仰では、関帝廟の関羽と並んで人気の神様のようですよ。お参りすると、恋愛と子宝にご利益があるとのこと。しまった。この時知っていればちゃんとお参りしたのに(笑)<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ<参考>"โอ่งมังกร ราชบุรี"Thailand Creative & Design Center "เถ้าฮงไถ่:ต่อยอด DNA แห่งตำนานด้วย“จินตนาการ”และ“ความสนุก”"※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/01/23
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ラーチャブリーのメークローン川沿いを離れ、南へと歩いて行きます。南へ真っ直ぐ続くこの道は、カタートーン通り。ずっと先に見えている時計塔は、また後で登場します。ここではこの道の一本東の道、ラーサドーン・インディー通りを進んでみることに。そっちの道を選んだのにはワケがありまして、ソンテオ乗り場を確認したかったからなんです。黄色い看板に「クーブア」行き乗り場と書いてあります。あったあった!ラーチャブリー市街から南へ6kmほどのところにクーブア遺跡というところがあるんです。6~11世紀頃のドヴァーラヴァティー時代の都市遺跡だそうで。一度見に行きたいんですよね~。そのための下見でした ^_^;)この道自体には特段なにもなく、10分歩いて行き止まりのT字路に出ました。左へ行くと国鉄ラーチャブリー駅ですが、私は右へと進みます。ゾウさんがリアルです ^^ほどなく目的地に到着しました。「メムさんの玉子クイッティアオ」 (ร้าน ก๋วยเตี๋ยวไข่ คุณแหม่ม)ラーチャブリーでもっとも有名なクイッティアオ店なのです。以前営業時間内に間に合わなかったことがあったので、ようやく食べに来られましたよ!店内は天井が高くて広く、ごちゃごちゃしていないのが好印象。笑顔が優しい女性に案内されて席に着き、クイッティアオ・トムヤム(トムヤム・ヌードル)とクイッティアオ・ヘーン(汁無しヌードル)を注文。「ムーサテもいかがですか?」感じの良い接客にのせられて、思わず「はい」と答えてしまいました(笑)そう、この店は味のみならず、親切な接客もあって人気店らしいんですよ。たぶんさっきの女性が店主のメムさんでしょう。メムさんのお母さんかな? お婆さんもいるんですが、この方もニコニコ優しく親切です。さあ、揃いましたよ!戴きましょう!クイッティアオ・トムヤムは、酸っぱさと甘さの加減が絶妙ですね~。トムヤムってスープのトムヤムと、クイッティアオのトムヤムで味が違うじゃないですか。ここのはそのちょうど中間な感じの味です。薄過ぎず濃すぎずでいい塩梅ですよー。このクイッティアオ・ヘーンのほうは濃いめの味付けでちょっと辛いです。私にはとても美味しく感じました!そしてムーサテ(豚の串焼き)。肉が柔らかくていいですね~。タレもまた甘さがちょうどいい具合です。さすが人気店!!あと飲み物に注文したナム・ファラン(グアバ・ジュース)は、市販のものかと思いきや、ちゃんとグアバから搾ったジュースでビックリ。果肉感がしっかり残っていて、これまた嬉しくなりました。夢中で食べていると、「美味しいですか?」と笑顔のメムさん。こんな一見客にも気を遣って声をかけてくれるなんて!人気店になるべくしてなったんだろうなと納得しましたよ。またぜひ来たいと思った店でした。一応お店情報をお伝えしておきましょう。店名:クイッティアオ・カイ・クンメム (ร้าน ก๋วยเตี๋ยวไข่ คุณแหม่ม)場所:グーグルマップ営業・毎日05:30-17:00電話:08-1944-5406会計を済ませ、店を出がてら、入口に陳列された土産物を眺めてみると…おお、今回の旅の一番の目的の品がここでも売られているじゃあないですか!でもまだガマン(笑) 本店で買おうと思います ^^「メムさんの玉子クイッティアオ」を出て右へ。するとそこにはもう、さっき遠くに見えた時計塔が聳えています。その背後に見えるのは、ラーチャブリー病院。ここで以前、武装グループによる人質立てこもり事件があったんですよ。่事件を解説すると長くなるんですが…。事の発端は1999年10月1日、バンコクのサートーン通りにあるミャンマー大使館で「God's Army」を名乗るカレン族のミャンマー反政府組織の12人が武装して人質を取り立てこもり、アウンサンスーチー女史の解放をミャンマー軍事政権に要求した事件でした。犯行グループはその後、ラーチャブリー県のミャンマー国境まで自分たちをヘリコプターで送るように要求を変更。タイ政府は要求をのみ、スクムパン外務次官(昨年までバンコク都知事だった人物)が道中の安全を保障する人質として同行し、事件はとりあえず終結したのでした。タイ政府が弱腰とも思える対応を取ったのは、ミャンマー反政府勢力に肩入れすることで、関係が良好でなかったミャンマー軍事政権に揺さぶりをかける目的があったからではなどと報道されました。が、それが裏目に出てしまいました。4か月が経過しようという2000年1月24日、なんと同じグループの10人が今度はこのラーチャブリー病院で医師・看護師などの病院関係者と患者の400人を人質にとり再び立てこもったのです。今回の要求は、ミャンマー政府軍による掃討作戦で負傷した仲間の治療のために医師・看護師を連れて行くこと。当局は人質の解放交渉を続けますがまとまりません。そこで武力による解決へと作戦の変更を決断します。陸軍、国境警察などから特殊部隊の精鋭を招集。睡魔に気が緩む午前3時が決行時刻となり、病院敷地内所定位置へと悟られないように近付いて行きます。すると思わぬ事態が。ワン! ワン!野良犬が吠え出しました。犯行グループに気付かれてしまったら水の泡だ!ということでいったん退却して仕切り直し。午前5時に再度ほふく前進で病院敷地内へ。今度は順調でした。病院横のスタジアムにある石油タンクを爆発させ気をそらせた隙をついて閃光発音筒(スタングレネード)を投げ込んでから特殊部隊が突進し、15分で作戦は終了。人質の命を守るため、4~5mの距離で頭部を撃ち、必ず絶命させることを徹底したそうです。9人はこの方法で全て射殺。残る1人はトイレに逃げ込んだため機関銃で蜂の巣に。人質には1人のケガ人も出ませんでした。ちなみにこの作戦の指揮官は、スラユット・チュラーノン陸軍大将。2006年9月19日の軍事クーデターで倒されたタクシン政権に代わって首相に就任することになるその人物です。なんだか嫌でも国境県であることを実感させられる事件ですよね。でも上で触れた99年のミャンマー政府軍による掃討作戦の後、国境付近も平穏になったようです。God's Armyの残りも01年にタイ側に投降しましたし。そんなわけで以前訪れた国境のフアイ・コークムーにも安全に立ち寄れるようになったんですよね。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ<参考>pantip.com "เล่าเรื่องราวจับตัวประกันที่ราชบุรีให้ฟังหน่อยสิครับ"Wikipedia "เหตุการณ์ก๊อด'ส อาร์มี่บุกยึดสถานทูตพม่า พ.ศ. 2542 และโรงพยาบาลศูนย์ราชบุรี พ.ศ. 2543"※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/01/16
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しばらく中断していた「ラーチャブリーと水瓶の旅」を再開します!前回の第1回「チュラロンコン橋」で日本軍の手で改修されたチュラロンコン橋を渡ったところまで書きました。渡り切ったところから左、つまり西側を見ると、道路の向こうに写真だとちょっと分かりにくいですが大きな敷地の施設が広がっています。あそこは、陸軍工兵局のパーヌランシー基地。たぶん中に入れると思うので行ってみましょう!チュラロンコン橋とさっきロッ・トゥーで渡った橋の間を下りていきます。下のメークローン川べりの道を右へと歩いて行くと、正面に基地の入口が。脇に詰所があり兵士2人が立っています。緊張の一瞬。さすがにカメラを向ける勇気はありません ^_^;)何事もなく無言でゲートを通ることができました!やっぱり誰でも入れるんだ。ホッとしましたよ~。左手にメークローン川を見ながらまっすぐ続く道の右手には、芝生の綺麗なグラウンドの向こうに学校みたいな建物が見えています。先にも詰所があるじゃないですか。その向かいの川面に、基地内にわざわざ足を踏み入れた理由が見えてきましたよ。じゃーん。渡し船が出ているのです!だから一般人でも立ち入りできると私は踏んだのでした。乗って対岸に渡ってみましょう。私が乗り込むと乗客1人なのに、やおら出発。なんだかのんびりしてていいですね~。ちなみに座席はですね、プラスチック椅子が並べてあるだけなのでした(笑)鏡のように穏やかなメークローン川をゆっくり進んでいきます。向こうに見えるのがさっき渡ったチュラロンコン橋。あの直下に蒸気機関車が沈んでいるんですよね~。ちなみに船賃はたしか5バーツだったと思います。メモるの忘れちゃいました。自信がなくてすみません…。ほんの2分で対岸に到着。朽ちかけた木の板で岸に上がります。その上は、もう何度訪れたか覚えてないぐらいなぜか好きで何度も来ている…コイキー市場です。「渓」に「土へんに乾」でコイキーと読むようで、中国から船で渡りメークローン川を遡上して住み着いた華僑が開いた市場です。200年の歴史があるんだとか。金土日の夕方~夜にはこの通りも歩行者天国になって縁日みたいな市が立ちますよ。ちょうどこの日はラーチャブリー県主催で伝統を紹介するイベントを催していて、ラーチャブリーの昔の写真のパネル展示や、歌謡ショーでもやるのかステージも設けられていました。そんな中で、おや、ここにもありましたよ。水瓶。竜の図柄が入ってますね。水瓶はラーチャブリーと関わりが深い物なんです。まだ何度か出てくるので最後に解説するとしましょう ^_^;)コイキー市場から戻り、メークローン川沿いに西へと歩いてみると、以前はなかったこんなオブジェが。かつてここに定住した華僑の生活の様子を再現したんでしょうね。その先には巨人さんもラーチャブリーに定住してたんですか(そんなワケない 笑)さて、そろそろちょっと遠いですが人気の食堂に歩いて向かいますよ~!<旅費交通費>渡し船:5バーツ?ここまでの合計:105バーツ※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/01/09
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2017年あけましておめでとうございます。!どうぞ今年もよろしくお願いいたします。しばらく更新が滞っていてすみませんでした。今日から再開しまーす。バンコク北西に新しい高架鉄道のパープルラインが2016年8月6日、正式開業しました。プミポン前国王が命名した「チャローン・ラッチャタム線」というのが正式名称です。私も遅ればせながら11月27日(日)に初めて乗ってきたのでその様子と、あとパープルライン沿線の観光スポットを紹介したいと思います。パープルラインの路線は、地下鉄MRT&国鉄バンスー駅から西へ1kmにあるタオプーン駅から始まり、北隣のノンタブリー県のクローン・バンパイ駅まで全長23kmの全線高架の鉄道です。で、始発駅のタオプーンまでは、将来的にはMRTがバンスー駅から延伸してつながる計画で工事も進んでいるのですが、現在は接続していません。なので窮余の策として今はバンスー~タオプーンを結ぶバスとバンスー~バンソンを結ぶ国鉄列車がいずれも無料でシャトル運行しています。まずはそれに乗らねば。MRT終点バンスー駅の改札を出ると、 Feeder SystemsBangsue - Tao Poon Exit 2との看板が。2番出口を出ればいいんですね。通路の壁にもシャトルバスと列車の時刻表がところどころに掲示されています。それによるとバンスー~タオプーンの無料バスは、6~23時の間にラッシュ時は6分間隔、通常時間帯は8分間隔で運行しています。バンスー~バンソンの無料国鉄列車は、月~金曜の6:30~9:30と16:30~20:30のみ15分間隔での運行。今日は日曜日なのでバス一択ですな。2番出口で地上に出たところに大きく「→」と書かれていたので、そのとおり進むと、待合所が。前方に見えるカマボコ型の建造物が2番出口です。ちなみに背後すぐには国鉄線路があって、そのまま国鉄バンスー駅に入れます。ほんの2分でタオプーン行き無料シャトルバスが登場。正面の表示はタイ語オンリーですが、乗降口右横の青地に白字の表示にShuttole Bus Taopoon Station - Bang Sue Stationとあるので分かると思います。すぐに発車して、あっけなく4分で終点のタオプーン駅真下に到着。バスを降りた目の前にある 上り口←パープルライン駅とのタイ語表示に従って左へと進みます。立派な入口が出現。エスカレーターで上階に上がると、持ち物チェックのゲートの先に自動改札が。パープルラインはMRTと運行会社が同じようなので窓口で尋ねたら、MRTのチャージ式カードがそのままこの路線でも使えるとのことで、自動改札にタッチして入場。ホーム階へのエレベーターのところにある日の丸に目が留まりました。バンコク大量輸送網整備事業(パープルライン)(バンヤイ駅~バンスー駅区間)日本とタイの友好と協力の証として、日本の政府開発援助(ODA)によって、2016年に完成しました。と日本語でも記されています。パープルラインは、丸紅と東芝の共同事業体が受注してODAで建設された路線なのです。エスカレーターでホーム階に上ると、ちょうど列車が到着したところ。清掃のため一旦ドアが閉まった後、折り返しクローンバンパイ行きとしてドアが開きました。そうそう、ご覧のとおりホームドア付きです。この車輌もJR東日本系列の総合車両製作所製。山手線や都営浅草線の新型車両と車体構造や機器システムを共通化したステンレス製車両なのだとか。では早速乗ってみましょう!ほぉ、新しいだけあって清潔感満点ですね~。しかし利用客が少な過ぎます。接続の悪さで利用を避けられているのが大きな原因のようで、予想以上の赤字だとか。MRTのバンスー駅~タオプーン駅延伸開業を政府は急がせているようで、今年8月にはこの1駅間を開業させることでようやく昨年末にまとまったのですが、さてどうなることやら ^_^;)(出典:『Post Today』2016年12月7日付)進行方向右手後方の車窓を眺めると、下にそのMRT(ブルーライン)のタオプーン駅がもう完成しています。早く開業できないもんなんですかねぇ。タオプーン駅を発車して1駅目のバンソン駅に到着。バンソン駅を出て間もなく左手下には、建設中のレッドラインが見えました。バンスー駅からこのバンソン駅を経由して、チャオプラヤー川対岸のタリンチャン駅までを結ぶ路線です。右手の車窓にはレッドラインのバンソン駅も見えましたが、パープルラインのバンソン駅とは離れた位置にあり、接続の便は悪そうです。またレッドラインの駅横の地上には国鉄のバンソン駅もあります。なお、上の写真のレッドライン高架線左にカマボコ状の屋根が2つ見えてますが、あそこはサイアム・ジプシー・ジャンクションというナイトマーケット。以前訪れてちょっとワケアリな成り立ちを解説しましたね~ ^_^;)ということでサイアム・ジプシー・ジャンクションは、パープルラインのバンソン駅から歩いてすぐですよ!パープルラインの車窓は、BTSと比べると緑が多いものの、主に駅前には新しめのコンドミニアムがニョキニョキと建っている景色が続きます。保健省駅は、その名のとおり保健省の最寄駅。保健省内にあるタイ式建築の「タイ式医療ミュージアム・研修センター」には、タイ式医療の歴史展示、天然素材から作った石鹸・塗り薬などの日用品販売コーナー、ヘルシーな料理を出す食堂、マッサージサービスなどがあるんだとか。でもそれらサービスの利用には会員になる必要があるみたいですね。あと省の敷地内に公園もあるようですよ。ノンタブリー県行政センター駅の右手駅前には公園が見えました。マクット・ロンマサラーン公園というようです。この公園の背後にノンタブリー県庁や裁判所などの庁舎が建っています。なお手前の白い塔状の建物はノンタブリー県柱廟。ここから3駅過ぎたところでチャオプラヤー川を渡ります!左が今までいた側、右がこれから向かう側なんですが、建物の多さの違いがはっきりと分かりますね。というわけで、渡り切ると景色が一変。緑豊かな光景に。でもずっとこんな感じではなく、駅周辺などにはやはり商店街や真新しいコンドミニアムが建ち並んでいます。またところどころに大規模なムーバーンと呼ばれる同じ形の家ばかりの新興住宅街が塊になって見えています。川を渡って2つめの駅、バンラックノーイ・ターイット駅は、随分前に訪れたワット・セーンスィリタム水上マーケットの最寄駅。進行方向右手に下りて高架づたいに少し戻ると、サイマー-バーンラックノーイ-ター・イット通りというソイがあります。その入口でバイクタクシーに告げれば連れて行ってくれますよ。さらに3駅過ぎたところで、大きなジャンクションが見えてきました。左右に走る大通りはカンチャナピセーク通り。パープルラインは大きく右へとカーブしてその上を高架で走ります。すると間もなくバンヤイ市場駅に到着。復路の列車からの車窓ですが、右手はこんな感じ。駅前にBIG Cがあります。さらに後方のさっきのジャンクション角にはセントラルプラザ・ウエストゲートが見えています。最上階にあったドラえもんコミック・ワールドは、いつの間にか閉まっちゃったみたいですね。残念~!(2017/1/4修正)なおセントラルプラザ・ウエストゲートには駅から連絡橋が直結しています。(2017/1/4修正)そして次の、終点クローン・バンパイ駅に到着!所用時間32~3分といったところでした。ホームから見た左側の景色は、空地の向こうにいくつものムーバーンが地平線まで続いています。ここから6kmほど北西へ行くと、2009年10月に探したかの浅丘ルリ子さんもいたバンブアトーン収容所跡があります。そのうちもう一回探しに行ってみようかな。当時の給水タンクが残っているらしいんですよね。右手に見える巨大な施設はパープルラインの車庫。あそこの運営も当初10年間は丸紅・東芝の事業体が担っているようですね。とまあ、パープルラインはこんな感じでした。さすがにBTSと比べると沿線の見どころは少ないですが、でも都心とは違った楽しみ方ができそうですよね。ちなみに私はクローンバンパイ駅で改札を出ずに、折り返しの列車で戻ってバンソン駅で下車したのですが、自動改札で引っかかって出られませんでした。時間制限があるようで窓口の係員に「手数料42バーツが必要になります」と手を合わせて謝られてしまいました。いえいえ、悪いのは私なんですから ^_^;)また手数料という言い方が控えめで好感が持てました。レシートには「penalty fee」(=罰金)としっかり印字されてましたが(笑)タイの対人サービスの質も随分と向上したものですね。長く書いてきましたが、旅のご参考になれば幸いです!※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めの旅行用タイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/01/02
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