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ただ今、塾フェスティバルが行われたホテルの一室で「秘密の会合」が終了しました。京大の西村教授、灘中学・高校校長の和田先生と対等に渡り合った塾代表のS先生と私を学習塾協会に引き込んだ()アリさんと話し込んでいました。本番のディスカッションと合わせ大変勉強になりました。またこのブログがきっかけで来ていただいたY先生にもお会いし、S先生の「とんがり具合」を喜んでいただきました!塾の中にもこんなにも真面目な方々がいることは誇らしい限りです!今日の日記はホテルの部屋から書いています。このホテルでは各部屋からインターネット接続できます。こうでなくっちゃ!会場の様子です。いつもの画像処理ソフトがないので、うまくいくかどうか不安です。そろそろワンちゃんたちが心配です。畑も。明日には帰ります。(夜には授業です!)
2009.10.11
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昨日、中3の授業に行くと、Y君とH君に「どうやってダウンロードしたらいいんですか?」と聞かれた。(そう言えばH君は、この土日に中学野球の「四国大会」に香川県1位で出場するらしい。かつて在籍した者としては驚きだ(笑))先日来、ホームページの方に掲載している日本国憲法前文の歌。即答できなかったので、あれこれ調べて、考えて、実験してみた。もっと簡単な方法を知っている方がいれば、教えて下さい。まず、ダウンロードは、ホームページに説明を書いたようにすれば、簡単に出来る。とりあえず、デスクトップに保存しておけばいいでしょう。次にCDに焼く場合、いろいろ方法はあると思いますし、私は「Beat Jam」というソフトを利用していましたが、Windows Media Player(WMP)でもできることを確かめました。WMPを起動して、「書き込み」を選択→「オーディオCD」を選択。(WMPがバージョン9のときは「デバイスへ転送」→「CDドライブ」→「オーディオCD」)CDRを挿入して、「書き込みリスト」にデスクトップに保存したWAVファイルをドラッグ&ドロップ。→書き込み開始。これで多分大丈夫なはず。
2008.05.22
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昨日のブログで、今回の地震によって、突然生きることを中断された話を中3にしたことを書きました。今日、昨日の新聞を片付けていて、(読んでなかった)「毎日新聞」の1面に眼がとまりました。この写真です。(ネットで発見しました。毎日新聞はネットで読むのが習慣になっているんです。)タイトルは、「もっと勉強したかった」!この写真から何を思い、何を連想できるかが重要だと思います。そして、自らを振り返ったとき、こうした人々の果たせなかった想いを、どう引き寄せることができるか、それは人『類』として、当然の責務であろうと考えます。 だから・・・休めない(笑)。
2008.05.20
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読み応えのあるものが少なくなったブログの中で(「お前」のもそうじゃないかと揶揄されそうですが)、最近、科学寅さんのブログが面白い。(ウロコ先生の紹介です。)今日の記事は秀逸だし、日々紹介したいと思いながら、更新の速さもあって(笑)、つい遅れてしまっていました。何が面白いのかをつらつら考えてみるに、事象を根源的に見る眼が面白いのです。世間には、「~~しなければならない。」とかの主張(信念?)は多いのですが、そこで「何故?」とたずねると、はたと立ち止まってしまいます。いわゆる「お勉強」のことを考えても、「これは・・・・だ。」という知識が多い子はいます。しかし、「それはなぜなの?」と迫ると、極めて乱暴な分類ですが、「そんなことはどうでもいいじゃない。答えはこれよ。」というタイプと「なぜなんだろう?」と考え込む、少なくとも考えようとする子に分かれます。経験的に(と言っても、30年足らずしかありませんが)、どういうタイプの子が大きく伸びるのか(「伸びる」の定義はちょっと留保するとして)は、言うまでもありません。科学寅さんの記事を拝見していると、その「科学的根拠」も見えてきます(笑)。また、学校に対する視点も素晴らしくて、単に「外から」ではなく「中から」も見ていますから、説得力があります。これや、これです。随分たくさん引用してしまいましたが、私だけの楽しみにしておくのはもったいないので、(既にご存知の方も多いとは思いますが)、是非読んでみて下さい。こうしたブログに触発されて、いろいろなことが考えられたり、基礎付けられたりする、そこにもまたブログの効用がありますね(笑)。さてさて、今日も授業準備が大変です。「塾は授業時間だけ・・・」と思われている面も多いのですが、真面目にやろうとすると、実は準備に多大の時間がかかるものです。(笑)
2008.04.11
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今日の新聞によると、来年から「自己推薦入試」が県下の全ての高校で始まるそうだ。高松高校も丸亀高校も定員の10%で、来年2月4日に「入試」を行い、10日に発表ということだ。試験は総合問題と面接。従来型の入試は3月10日で19日発表。新聞記事はこちら。この「自己推薦入試」にどのような意味があるのかちょっと考えてみよう。総合問題の「試行テスト」があったとも聞かないから、総合問題テストが学力的なものか、学力差のつかないものか分からない。間違いなく言えることは、自己推薦入試の倍率が2倍を越えるだろうということだ。例えば、丸亀高校を例に取ってみよう。来年度も今年の定員280名が維持されたとする。(最終的に決まるのは恐らく11月!)そうすると、10%ということは28名。それが自己推薦入試の定員ということになる。さて、もともと丸亀高校を希望する者が仮に300名いたとして、そのうち何名が自己推薦入試に出願するだろう?もしかしたら3倍を越すかも知れない。「入試」は総合問題と面接「だけ」ではないはずだ。実は最も大きな要素を占めるのは「内申」だ。今年の「一般入試」を見ても、「内申重視」に舵を切ったとしか思えない傾向が出ている。高い倍率で「内申点」の高い生徒を合格させ、多くは「不合格」の思いを抱えて「一般入試」に臨むことになる。さて、2月10日に合格が決まった子が4月の入学式まで、何らかの勉強をしっかりするだろうか・・・・・?今年、いわゆる「進学校」で先行的に「自己推薦入試」を実施したところがある。自己推薦入試は2倍以上の倍率。そして一般入試は定員割れだ・・・・。さて、この「制度変更」、一体誰にとって都合がいいのだろう?中高連携と言うけれど、今以上に「内申の横暴」に泣く中学生が出ることになるだろう!「メリットを全受験生に広げる」ことに、本当になるかならないのか、そんなことも分からないのだろうか!今日は、久々「授業の無い日」だった。(31日まで)「介護車」(車椅子のままで乗れる車)が届いたので、試運転。乗る予定の人に伝達すると、「ワシ、そんなものなくても車に乗れるが!」だと(笑)。これからチューリップの写真が増えるのは季節柄いたし方ありませんが、今日は「ナチュレ」。いつもはパンジーとビオラなんだけど、今年は「ナチュレ」というものを植えていた。要するにパンジーとビオラの両方の性質を持つ「小輪パンジー」らしい。これは本館の花壇。
2008.03.29
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めったにしないのですが、最近、検索してみました。キーワードは「レーゼクライス」。そうすると、ホームページ関係のものがあれこれ出てきます。古いホームページも放置しているので(笑)、そうしたものも出てきます。それから、ブログで取り上げられた方々のブログや掲示板も出てきます。そして、ふと眼に留まったのが、これです。う~ん、誰なんだろう?ブログをあれこれ拾い読みすると・・・・たぶん、彼かな?(笑)この記事を発見してから、随分元気になりました。ありがとう!私たちの目指すものは何なのだろう、と、よく考えます。年齢のせい(永遠の38歳その2なんですけど)かも知れません。未来からの来訪者たちに何を伝えていけばいいのかと。よく「塾だから、成績・・・・」という言葉を目にします(耳にもします(笑))。本当にそうでしょうか?それじゃ学校は何をするところなのでしょう?また、授業やテキストや・・・・それらさまざまなものを、「商品」として定立する考え方も広がっています。それは、現代社会の中では実に都合のよいものです。しかし、本当にそうでしょうか?子供たちの学力を分析的に見られる方は気付いておられるでしょうが、いわゆる「成績」(こういう言い方をするのは、少なくとも塾内ではこの言葉を使っていないからです)が良くなる子にはほぼ共通した特徴がありますよね。一言で言えば、「苦痛を選択することができる。」そして、その苦痛がむしろ喜びとなる。(ちょっと自虐的過ぎる表現ですが(笑))そして、「ここ」が重要な点ですが、自分が苦痛の最中にあっても、周りの者を思い遣ることができる。そうなれば、はっきり言って、こちらが「教える」(これもカッコ付き!)ことはほとんどありません。なぜなら、自ら次々課題を設定し、様々な『知』を受験という枠に囚われず吸収していけますから。「商品化論」には、こういう『視点』が欠けていますから、いえ、正確には「無視」していますから、「成績」も「売ります」。中学校の教科内容ははっきり言って「難しくない」ので、大量の問題集等を無理やりにでも(場合によっては暴力を使ってでも)やれば、あるいは、教師によっては手抜きして「過去問」をそのまま、乃至ちょっと変更して出題しますから、「出ると予想して」過去問をやらせます。そうすると・・・・まあ、ある程度は出来るでしょう。そして、それを売る。そうしたことは、本当に子供たちのためになるのでしょうか?遥かなる「卒塾生」に刺激されて、ちょっと長くなりました(笑)。続編はまたということで。
2008.03.12
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丸亀校の5号館で「センター試験」の1回目の予行が始まりました。後5分で国語が終わります。予行では、平常の「10分短縮」と違って5分短縮ですから、時間に余裕がある(はず)です。既に公民と地歴は午前中に終えました。この後、英語、リスニングと続きます。予行では、実際の試験官がする注意を「復元」して、そのまま実施します。(ちょっと照れくさいようですが(笑))試験から試験の間(ないし、自分の選択教科でない場合)は、直しと自主学習。昨日から今朝までの雨はすっかり上がって、青空が広がってきました。暖かです。そろそろ国語が終わります。
2007.12.23
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今朝、某国営放送のハイビジョンで、明代の「鄭和」の話を放送していました。CGを駆使し、現地取材を交え、なかなか素晴らしいものでした。鄭和自身は加わっていませんが、「鄭和のアフリカ艦隊」に関して、中国の交易船がアフリカ沖で難破したそうです。その乗組員の子孫が(現在)人口7千人余りの島に住んでいて、インタビューもしていました。確かに周囲のアフリカ系の人々とは肌の色も顔かたちも違います。ちょっと前置きが長すぎますね(笑)。要するに、その家の娘さんが中国に留学しているのだそうです。そう、遙かな昔の祖先の国に。そしてタイトル。彼女は今、医学の勉強をしている。「島には医者が一人もいなくて、病人が出ると大変なことになる。一所懸命に勉強して、村の役に立ちたい。」今日を入れて後3日で、ほとんどの高3・予備校部生が入試を迎える。大学へ行くということは、どういうことなのか、その原初的な形を見ることが出来た。一人でも多くの諸君が、「自分のため」ではなく、「人のため」にと願って一所懸命に勉強していることだろう。そういう子たちの集う場でありたいな。
2007.02.22
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久しぶりに(新中1の学力診断試験を作るために)小学生の社会の教科書を開くと、いろいろなところに「アドレス」が入っていて「調べよう」!もちろん、それは中学校の教科書でも同じ。要するに、そう「決められている」。以前、小学生の「安全CM」を止めてほしいと書いたことがある。小・中学生のPC(コンピューター)も。今日のこの新聞記事を目にした方も多いだろう。この記事も。実は、昨夜、以前も「アラシ」に来た者に再訪された。招待なんかしていないのに(笑)。よっぽど塾が(もしかしたら私が?)恋しいと見える。以前も強く「警告」しておいた。しかし、高校入試がある中学3年生だし、せめて入試を終えるまではと「強権発動」を抑えていた(る)。(ということは・・・・)ですので、再び、「OCN」関係者にはご迷惑をおかけしますが宜しくお願いします。気分転換に、昨日撮影した水仙です。今年は、私立大学の推薦入試の合格者が2名!そう推薦の数を合わせてくれました。それにしても、咲く向きが違うのはなぜ?5号館への通路の前に咲いているので、それぞれが「警戒」しているように見える。えっ?反対側は?それはまあ、それで・・・・
2007.02.09
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ちょっと今手元に今日の朝日新聞が無い。教育再生会議について(今回の第1次答申について)、某東大助教授(名前も忘れた)の批判記事が掲載されていた。今回の記事は、「ゆとり」から「確かな学力」に関するもの、そして時間との「研究」の紹介だったが、最も驚いたのは、教育再生会議(以降「会議」)に、教育に関する科学的研究者が一人もいないということだ。勿論、実証的研究者など任命するわけが無い。ということは、情緒的判断や「思いつき」の提言ばかりということになる。最も重要なのは・・・「世論受け」!「シンクロねぇちゃん」の発言は論外にして、かの「ヤンキー先生」も「体罰導入」への捨石でしかない。今や権力に尻尾を振り、権力の走狗となってあっちこっちで「きゃんきゃん」言っているだけだ。「いじめている子」の排除だけでなく「規律ある教室」と書くだけで、教師の判断に基づいて、体罰が蔓延することは明らかだ。ちょっと当初の目論見と違ってきたので、修正。「頑張る教員」の優遇と共に「不適格教員は教壇に立たせない」、そして「意味のある教員免許更新制」の導入を計る。ちょっと見ると「当然」のように見える(ここが恐ろしい)し、塾関係者の中には賛成している方々もいる。(むしろ多いかもしれない)しかし、根本的な点を忘れてはいけない。「頑張る」「不適格」と判断する「主体」は誰かということを。免許更新制での主語は「国」!「頑張る」「不適格」の主語は教育委員会。教育委員会も国に都合よく在り方を変えるから、結局、国(その中の誰だ?)が身分を決定することになる。校長や教育委員会や国を批判したり反対すれば・・・・それは「非国民」いやちがった「不適格教員」ということになるだろう。日の丸・君が代でさえ東京都の例が示している。更に、私たち塾に関わる者にとって、次のターゲットになることも容易に予想される。学校教員は免許がいるし(まあ特例もあるが)、更新制もあるとなると、それじゃ塾は?となるのが「世論」(カッコつき!)である。もちろん、「分限処分」になってもらいたい教師がいることは知っている。(訴訟しようと思ったくらいということは以前どこかで(笑)書いた)しかし、それでもなお国家の教育への介入を断固阻止しなければならないと思う。むしろ、教員と手をとって!ところが学習塾協会は、塾に対して国家管理の先鞭をつけようとしている!今進行中の「教育再生」の流れで「講師認定」を考えることの出来ない想像力の欠如!(仮にあるとして)「学力の低下」も規律の無い教室も・・・・そういう一切のものを招いたのは誰だ!その点を反省もしないで、子どもたちにどのような「規範」を教えようとするのか。こういうのを「恥知らず」と言うのだ。長くなるので以上「その1」。続く~
2007.01.29
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センター試験の難化で、いろいろなブログでの「点数」問題は殆ど姿を消した。(つまり、点数のことを言わなくなった)そういう中での、この人の発言、その潔さに驚いた。勝手に引用して申し訳ないが、この日から数日間の行動は普通できない。もう既に、たくさんの方々が知っておられるとは思うけれど・・・翻って自分のことを考える。例えば「不合格」という事実があって、それに対してここまでの謂わば反省ができるだろうか?「いいこと」だけを声高に叫ぶことはないにしても、結果を自らに引き寄せることは難しい。でも、そこまで「のめりこむこと」はきっと重要なのだと思う。
2007.01.25
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やっと「二次講座日程」が完成したのと、恐らく、今年は多くの受験生が「センター国語」の難化に泣かされていることと思うので、寝る前のサービス(笑)。数年前のYさん、センター予行でも出来はすごく良くて9割くらいの得点を取っていた。物理・化学の良くできる子で、センターが終わるまで何の心配もしていなかった。ところが、その年は国語が難化(全国平均102.1。年代がばれそう(笑))。そのあおりを食ったのかどうか、何と97点しかなかった。当然合計点も8割ほど。でも、彼女は決して諦めなかった。本人は辛かったと思うけど、そんなことは「おくび」にも出さず、黙々と学習していた。二次配点が高かったこともあるのだろう。そして、大阪大学薬学部に前期で合格したのだ。もう院も卒業かな?元気かい?傑作なもう一人を。H君。これは共通一次の時代だからかなり前の話。試験後の自己採点で数学は200点、物理も100点、国語も100点、すごい満点のオンパレード!待てよ・・・国語は200点満点じゃないか!(そのときの全国平均117.5)それで名古屋大学農学部を受験して合格した。もちろん、E判定で。(Dだったかも?)入学後、教授に言われたそうな、国語の点数は実は30点だったとか。しかし、他の教科に比べて余りに点数が低いので、きっとマークミスだということだったそうだ。勿論、二次が抜群に出来ていたから合格したのだけれど・・・ということは、本人はできていない上に本当にマークミスまでやらかしていたようだ。しかも・・・彼は自分の合格を河合塾の校舎の前で知ったとか。なぜなら、合格したのは第2志望の学科。合格発表で見たのは第1志望の学科。つまり、第2志望の発表は見ていなかったのだ!まさに・・・受験は何が起こるか分からない。受験生諸君、自分が行きたい大学に行こうじゃないか。それには、少々、いや大幅にセンターが悪くても、ひたむきに努力する以外にないではないか。くよくよする暇があったら、1問でも、本当の勉強をしようね!
2007.01.22
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いわゆる「ボーダーライン」も下がるということだ。特に、理系の平均が大幅に下がりそうなので、去年のデータをもとに作られている「ランキング表」も大きな変動がある。現役生には常々言ってきた。「今年のセンターは間違いなく難しくなる。でもそれは、ボーダーも下がるということを意味している。そして、センターでのハンディが少ない、ということを意味しているのだ。」つまり、問題は二次力。もっとも、二次力があるかどうかだ(笑)。ということで、明日までに、その二次用の講座の日程を作成しなければならない。常日頃の授業や2月からの「新学期」(小学生~中1までは2月スタート)の合間をぬうように(笑)。こんなことを言っている暇はなかった・・・。しかし、眼が痛い・・・・。
2007.01.22
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かの(いまだに「塾禁止論」を言っている)野依氏が座長を務める狂育再生会議、いや違った教育再生会議は次々と面白~い提案をしてくれる。今度は、体罰。決してそういう言葉を使わないところがいかにも官僚的。ああいうメンバーをやっているといつのまにかそういう言葉遣いになるらしい。記事参照。いじめや学級崩壊という言葉を出せば、「その責任を追求する」より「対症療法」が何でも許されるらしい。会議メンバー諸君、まずやらなければならないのは、戦争犯罪の追及、いや違ったいじめや学級崩壊を招いた原因を探すことだろう!体罰などはとうの昔に「復活」しているし、こういう「基準の見直し」が行われれば、「毅然とした対応」をする教師はきっと増えることだろう(笑)。そして・・・それは益々いじめと学級崩壊を招くのに違いない。要するに、いじめや学級崩壊、「再生」させなければならないもの(学力や道徳観や・・・)、そういうものを生み出したのは旧文部省であり、現文科省だ!塾禁止論に喜ぶ「学校教師」がいた(る)とすれば、気付けば、自らの眼前に刃が突きつけられることになるだろう。(免許更新制であり、ますますの管理強化であり、クビである!)事の本質は、「戦犯であり妖怪の孫」一派が目指す「美しい国」の正体にある。「美しい」という抽象用語、主観用語で化粧し、子どもたちに何を注入しようとするのか!さて、そろそろ入塾試験2日目。今日は坂出地区の新小4~新中1、坂高の新2・3年。中1までは基本的に作文と面接(子どもだけ(笑))。大変だけど、頑張ろう!
2007.01.20
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やっと今日のテスト作りが終わった。明日から高1・高2が「学力テスト」なので、今までの総復習なのだ。模範解答を作り終え、それからが楽しみの時間。手帳に書いておいた、例えば「高1数テ」を消すのである。勿論、消しゴムでではない。シャーペンで横線を引いて消すのだ。私の使っているのは「能率手帳」。左のページに日にちと時間、右は何もなし、というものだ。もう随分昔、「電子手帳」なるものが出始めた頃使ってみたことがある(要するに「珍しものがりや」なんだろう(笑))。ところが、入力が面倒、細かなラインがスムーズに引けないなど、使い勝手が悪かった。(今は興味もないので、どれほど進化しているか知らないし、携帯も進化しているらしいけど、第一携帯していない・・・)ということで、手帳には、最長で1ヶ月先の予定が記入してある。それらを消すときの快感!ひどいときは右半分のページが「消した線」で一杯になることもある。左のページはどうしても「時間」が入っていないと困る。日々の授業予定と時間を書き込まなければならないから。机の引き出しには、過去の手帳が山ほど詰まっている。別の場所を探せば、昔のものも出てくるだろう。多分・・・・大学生の頃にはもう習慣になっていたと思うから。ということで、この「快感」はやらなければならないことの多い受験生たちにも是非味わってもらいたいものだ。
2007.01.16
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今日の朝日新聞の記事である。こういう記事を読む度に、「教師」の倫理観の希薄さ(言うまでも無く教師だけの問題ではない。かなりの数の「公職」にある卒塾生の諸君、大丈夫だろうね(笑))が明らかになる。もちろん、「返す刀」で自らの倫理性を問わねばならない。虚偽の「合格実績」や「広告」が蔓延していることを否定は出来ない。学習塾協会に自主基準なるものがあるが、まだまだ「甘い」と私は思う。それより何より、「協会員」でありながら、自主基準「すら」遵守していない塾がある。パロディーである。「日本一」や「地域で無敵」や「○○大志望」や「最高」・・・そういう類の言辞を弄するのも大きな問題だ。(客観的に検証の手立てがない。)個人的な「想い」(願望かな?)を吐露するのは結構だけれど、少なくとも塾である限り、塾以外の人間から見れば、「塾はそういうもの」と蔑視的視線を送られても致し方ないだろう。さて、いつの間にか(その筋の方々には好都合にも?)「塾講師認定制度問題」が下火になっているが、この制度を論じる前に、自主基準の再読も必要ではないか。そして、「希望的観測」ではなく、教育基本法が改正されるという時代状況の中で、この制度が「権力的に活用」されるであろうことは目に見えている。もっと現実を冷徹に見なければならない。
2007.01.15
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いよいよ来週は「センター試験」本番である。不安をかかえた諸君もいることだろう。センター試験が終わると、翌日には「自己採点」を行って、「アンサーシート」に記入する。各自5社くらいかな?そうして集められたものから「ボーダーライン」が打ち出される。そのボーダーラインを見て、AだBだCだ・・・中にはEだなどと悲喜こもごも。そして、簡単に志望校を変更する者も多い(はず)。この「流れ」は実に自然で、「虚偽」が混入するなんて考えもしない。ところが・・・「自己採点」はあくまで自己採点であって、マークミス等々は考慮外である。ところが、実際にマークシートを使って練習を重ねてきた結果から言えば、マークミスの山であるはずだ。コード番号ミス、科目選択マークミス、ダブルマーク(同じ行に2回マーク)、飛ばし(一行飛ばす)・・・・など、ミスは数え上げればきりが無い。何が言いたいのか?それは、そのような一種のたくさんの虚偽(中には、意図的にアンサーシートに虚偽を書く子もいるらしい)の上に「ボーダーライン」なるものが存在することだ。テレビ中継をご覧になる方々は、解説者が、そこで出される点数と「大学入試センター」発表の中間集計での点数の乖離の「言い訳」を必ずするから(笑)、よく注意してもらいたい。さて、ボーダーラインなるもののいいかげんさ(定員の少ない学科では虚偽によってボーダーが跳ね上がることもある!)を考慮しなければならないということだ。学部内に複数の学科がある場合、難易度は往々にしてひっくり返る!つまり、ボーダーライン発表で「下」の学科が、本番では「上」になることも多いということだ。ゆめゆめ「ボーダー」なる魔物に騙されたりすることなかれ。問題は、自分がどのような熱意で「志望校」を志望校として想っているかだ。私は、生徒の最終的に受験校を決定する時、「アンサーシート」や「ボーダー」はほとんど信用しない(SとKのは見ますけど・・・、後は「捨てろ!」と言い渡す)。センターは入試の一部。(でも、センター終了で入試が終了した者もいたような・・・・(笑)。センター高得点だけで合格する大学もある。)あれこれ思い悩むことなく、二次に向けて精一杯の努力を!
2007.01.12
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「教育再生会議」で、ノーベル賞化学者の野依氏が、再三に渡って「塾の禁止」を主張しているらしい。こういうときにこそ、しっかりとした抗議の声を上げないとしたら、「学習塾協会」の存在意義など全く無い!「講師免許制度」などと呑気なことを言って(やって)、「文科省(おっとこの場合厚生労働省か)の手先」になって、こんな「バカ学者」に勝手なことを言わせおいてよいのか!そして、教育再生会議の目論んでいることの一端を垣間見ることが出来る。たまたま自分がノーベル賞を貰ったからといって、その自分の過去を基準にして現実を見るなどと言うのは、はっきりいって呆けている。そのような「価値観」しか持ち得ない者が偉そうに座長などをやっているのだ。呆れてしまう。しかも、ご本人は「灘中・高」のご出身であらせられる。まあ、(現在はよく知らないが)、灘へ行っていれば塾に行かなくても京都大学くらいには行けるのでしょう・・・・。かなりのブラックユーモアだ。それが「公教育の再生」を議論しているのだから笑う。なくすなら「私学禁止」にすればよい。リーダーシップのとれる優秀な子が私学へ行くので、公立では・・・・という話は山ほどあるのだ。
2006.12.23
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一級、二級、特級という日本酒の等級があったことをご存知の方々は、それなりの時代を生きてきたものと思います。「検索」というのは便利なもので、タイトルの言葉で検索すると、まあ出るわ出るわ・・・・たくさんのページがありますね。(何じゃ、要するに自分で検索しろって言っているだけ(笑))確か、昔「二級酒の方がうまいんじゃ」と言っていた人がいたような気がする。しかし、この等級の区別が「税率」にあったとは知らなんだ!要するに、高い税金を払えば、特級が名乗れたらしい。「検査」など形式的なものであったらしい。高い税金を払っても、「ブランド」に人は弱いもの。売れりゃいいのよ~、ということで、「品質」とは何の関係もなかったらしい。意味が無いので、もう10年以上前に廃止されたそうな。それでも、人はブランドに弱いから、「特選」とか「大吟醸」とか「純米」とか・・・・・もろもろのブランド名が溢れている・・・・何の話だって?もちろん、「塾講師一級・二級問題」。要するに「ブランド」の問題なんですね。もしかしたら「税率」の問題と同種かも知れません。ところで、この問題、否定派だけではなくYOSSY先生が「なるほど」と思われる記事を書いておられる。是非ご覧下さい。(先生は、今コメントを中止されているので・・・・)確かに、講師の研修問題は大きな問題だ。実践されているだけに説得力がある。学習塾協会も、「塾講師としての心構えから始まり、各教科別に、学習指導の方法などについて具体的な研修」(YOSSY先生の記事より)だけを打ち出せば良かったのだろう。それにしても、新聞記事として出ているのに、協会のホームページには、この問題についての説明も何もない。「会員専用ページ」にも何も無い。
2006.12.12
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「ほっこまい」は讃岐弁で、近い言葉としては、「馬鹿」とか「あほ」がそれにあたります(多分)。ただ、突き放した言い方ではなくて、ちょっと「いたわり」と言おうか「やさしさ」と言うのか、そうしたニュアンスを含んでいます。男女間の「バカ~(イントネーション上げる)」ほどではありませんが。かの「塾講師1級・2級問題」は、あちこちに飛び火して、そのうち「燎原の火」のような広がりを見せるものと思われます。ヴァージャー先生、kamiesu先生、そして、何と「超~塾長先生」も、それぞれのスタンスで徹底反論をされている。このままでは減少傾向にある学習塾協会加盟塾ももっと減少するものと思われる。「教員免許」があるから、教師は信頼できるのか?「1級認定」があるから塾講師は信頼できるのか?そんなことは、ちょっと考えれば分かることだ。「協会幹部」(組織の幹部というものは、腐敗する運命を免れない!)は、どこに顔を向けているのだろう?
2006.12.11
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白菜やきゅうりの話ではありません。高校生はもうすぐ定期試験があります。高校の場合、授業中の発表回数とか、各種提出物とかそういうもろもろの「つまらないもの」ではなく、殆どがテストの点数で「評定」がつきます。もちろん、1回のテストでどうこうではなく、1年間の平均の平均によって決定されますが、こちらでは現在平均点75点以上が5。各教科の評定を平均して、例えば推薦基準なども決まっている。(正確かどうかはこの際横において置いておきましょう(笑))。1日あたりの教科はせいぜい2~3ですから、その気にさえなれば、そして莫大な時間がかかる教科(数学など)を除いて「一夜漬け」がききます。また、短時間で「詰め込む」ことができるというのも重要なことだと思っています(笑)。だから、高校生には是非一夜漬けをするように薦めています。毎日こつこつと、という学習姿勢は素晴らしい事のようにも思いますが、自分が出来なかったことを生徒に強要する訳にはいきません。昔、評定平均4.5以上は「特別奨学生」になれるという「規定」(?)があって、何とか自分の力で大学へ行こうと思っていたので、それはもうしっかり一夜漬けをしたものです。特別奨学生(今はなくなっている)は、確か返却が2割程度でよかったような気がします。もっとも、大学の学費は月額千円でしたから、今とは状況が違いますね。「受益者負担」という「観念」が導入され「うなぎのぼり」に学費は上がっていきました。(それは分かっていたことです・・・・)今は、自分の力で、というのはちょっと不可能でしょう。ということで、数少ない「経験談」です。基本的には、自分のことは話さない方針ですので。(笑)一夜漬けの成果は?いわゆる通知表は(当時は80点以上が5でしたから)80点前後の点数が並んでいます。いかにして平均80~81をとるか、というのが目標でしたから(笑)。平均が79点だったときには、地団太踏んで悔しがったものです(多分)。さて、そうした一夜漬けの努力の結果(果たして努力というかどうかも横に置いといて)めでたく4.5は上回りました。ところが・・・私たちの年から、「学力」による特奨制度は姿を消してしまったのです!親の経済面だけになったのです。ですから努力は報われないこともあるということを同時に学んだ訳です。(笑)
2006.11.24
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いえ、決して、今日休んでいる方々への嫌味ではございません。(笑)どうして今日は「新聞広告」がこんなに多いのだろうと思っていると、世間は、今日は祭日。何でも「勤労感謝の日」だそうだ。もともとは「新嘗祭」だから、天皇制に批判的な方々が休んでいるのもおかしな話だが(笑)、まあ大抵の学校は休む。そうすると、期末試験や「何たら試験」(最近は2学期制の影響もあって、試験のネーミングが様々だ。)を、自学自習できる子はいいが、そうではない子はどうなるか?そうではない子の割合はどのくらいなのだろう?今日は祭日だけれど、勤労に感謝して、働く喜びを味わいたいから、学校で「試験補習」をやる、なんてところは・・・・まずない(笑)。ところが、「そうではない子」のみならず、自習室提供という形ででも、要するに塾講師は休み無く働いている。(正確には、そういう人も多い(笑))子どもたちの学力を支え、勤勉さを涵養しているのが誰か、言うまでもない。形式だけの権力者はそのうちに滅びる。それは歴史的真理だろう。私が「学校追随」を(例えば、「学校成績」を唯一の価値とする見方)批判するのは、そういう想いによる。私たちこそが、子どもたちの発展に関わっているのだという気概を持ち、歴史的確信として処していきたいものである。特に、幼い子どもたちを抱えつつも、休み無く働く塾講師の諸君に限りない賛辞を贈りたいと思います。
2006.11.23
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2002年度募集前文の前半については、すでに引用しておいた。(2003年度と間違っているけれど)その後半を引用しておこうと思う。☆ここから少し長くなりますが,『教育基本法』の序文を引用しましょう。われらは,さきに,日本国憲法を確定し,民主的で文化的な国家を建設して,世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は,根本において教育の力にまつべきものである。われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに,普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。ここに,日本国憲法の精神に則り,教育の目的を明示して,新しい日本の教育の基本を確立するため,この法律を制定する。果たして,この内容を変更する必要があるでしょうか?そして,変更後に来るものが何であるのか,容易に分かるでしょう。日本国憲法の「改正」です。何をか?もちろん,第9条の変更です。中には第9条に触れることもなく,「感想を述べる」人々もいるので(この拙文が「歴史的文書」になる可能性もあるので),第9条も引用しておきましょう。1 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。 私たちは,「現実」の名の下に,様々なものを受け入れてしまいます。そして,日常の忙しさの故か,あるいは意識的にか,目の前の「改革」にどのような背景があり,真のねらいがどこにあり,どのように動いていくのかにまで考えが及びません。「豊かな生活」の豊かさの根源に想いが至りません。こうした「現状」の中で,私たちは,大人の責任として,何をすればいいのか,子供たちにどう接すればいいのかを自問しながら進まざるを得ません。少なくとも,「個別的な利益」を求める「道具的存在」にはならないことを決意しつつ。☆ここまで。教育基本法前文の下線部が、今回の改「正」で削除された部分である。それがどう変わったかを対比すると「真のねらい」は自ずから見えてくる。「改正派」が第1に考えていることは、日本国憲法との切断、そして「たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させる」(改正案)ことである。
2006.11.17
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昨日行われた「学習の診断」テストで、面白い問題があった。「国会での話し合いに大切なことは何か。次の二つの言葉を使って、簡単に書け。」というもの。二つの言葉は「少数意見 多数決」。(まあ、よくある問題だけれど)模範解答は「少数意見を尊重しながら話し合いを十分に行って多数決で決める。」実にタイミングの良い「ブラックユーモア」だ。「いじめ」は、「多数派」による「少数の者」に対する物理的・精神的圧迫の側面を持っている。「国民の(偽りの選挙制度に依拠した)代表者」が、「いじめ」の手口を次々に披露している。ほとんど「お坊ちゃま」たちによって。(つまり二世・三世国会議員によって。国会議員はよほど「おいしい」職業であるらしい。)子供たちは、しっかり見ているだろう。決して「いじめ」は無くならない。「我が国と郷土を愛する」ことを強制するのなら、愛される存在になろうと努力することが必要だと考えないのだろうか?
2006.11.16
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そう、かの「邪知暴虐の王」を排除しなければならない。「走れメロス」は、新中1の最初の「課題図書」だ。信実であったり勇気であったり正義であったり・・・そういう人間がなくしつつある(と太宰も思っていた)心について少しでも、ほんの少しでも考えてもらいたいから。数日前(昨日かも)、かの「夜回り先生」が「未履修問題」に関連して、「学校は正義を教えるところだから」と皮肉(たぶん)を書いておられた。その時、私は思ったのだ。果たして、学校は正義を教えるところか?と。自己の責任を痛切に認めた校長は翌日自死した。数少ない誠実な人に見えたのに。マスコミは、文科省や「戦犯の孫」のお先棒を担いで、「いじめ問題」も含め、「学校現場」がいかに酷い所なのかをセンセーショナルに報道する。「いじめ」も「未履修」も、それを引き起こした「根本的原因」を追求しもしないで。(マスコミ関係の卒塾生、見てるか!)「神様がいい人だけを生き残す」(だったっけ?斜陽)。これは嘘だ。学校は、嘘をつくことを教える場所だ。これから起こること・・・様々な「強制」で「裁判」も起こるだろう。しかし、マスコミの応援も受けて(実は彼らは、改「正」を願っている・・・)、長い裁判をしている間に、遂に「国民投票法案」が成立、しかる後に、「大政翼賛会的国会」の発議で憲法も改「正」されるのだろう。そして遠からず、「国民の国を守る義務」に従って徴兵制が実施される。そのときになれば、もはや「反対表明」すら出来ないだろう。(笑)
2006.11.15
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考えてみれば、以下のような内容を「塾案内」に書き、その上で「塾生募集」するというのも変わっているのかも知れない。やっと今日のテスト作りを終了し、ソフトボールの道具の準備も終えた。授業(補習)は既に始まっているけれど、「授業記録掲示板係」に任せた(笑)。そう、困ったときの「AB合同」授業だ。何せ大教室の定員は実は81名!センター試験用に大学の教室らしく作っている。今は3人用の机を間を空けて2人で使っている。おっと、話題がずれた。以下は2003年度の募集に際して書いたものの一部である。 今年度からいわゆる「新課程」が始まります。というよりも,「学校5日制」(決して週休2日制ではありません)が始まります。私は「学校3日制」くらいがいいかな,と思っているので,別段驚きもしません。また,教科内容にしても,決して「ゆとり」とか「考える力」のために削減したのではなく,土曜休日に合わせて(その時間的減少の割合で)減っただけでしょう。一方では,「御三家」に代表される「有名私立」には,土曜休日はありませんし,恐らく教科内容もほとんど削減されないでしょう。 そして,ここが重要な点ですが,文科省自身が,「指導要領の範囲を越えて,進んだ範囲を学習してもよい」という指示を出すのみならず,その「指導書」も作ると言っているのです。さて「真意」はどこにあるのでしょう? 彼らが考えていることをはっきり書きましょう。大多数の「学校」にしがみつく人たち(それは,「学校成績」を異常に気にし-「絶対評価」に変わるというのに!-その順位のみを至上の価値とする人たちです)には,削減された教科内容で十分だということです。基礎基本さえできれば,後は極端に言えば,「従順な公民」でありさえすればいいのです。ですから,学習よりも「国旗や国歌やそして国家への忠誠」が注入されることになるでしょう。彼らは,今の「学校」が子供たちの才能を伸ばすものでないことを十分に知っているのです。そして,彼らの子どもたちは,塾に通って「より進んだ内容」を学習するか,そうした学習をする「私立」へ進学することになります。そしてまた,学校間にも「進んだ学校」と「そうでない学校」を「自由化」の名の下に制度として導入してくるでしょう。もちろん,学校教師に対しても,「評価制度」の導入とともに,一種の「選別」が行われるでしょう。いわゆる「現状の社会階層」の固定化の進行です。そもそも「教育」とは一体何なのかを考えてみなければなりません。ということで、引用第1弾でした(笑)。
2006.11.11
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「未履修問題」は、既に4年前から文科省は把握していた。とすれば、それが大きな問題を孕んでいることに気付かない官僚がいるはずもない。それがなぜ今になって表面化するのか・・・・・?今回の教育基本法の改正(悪)は、要するに、教育の国家統制を容易にするものだ。それは文科省にとって都合の良いことなのだろうか?それとも所謂「官邸」主導の「改革」に対する対抗策として表面化させたのだろうか?(つまり極端に言えば、改正つぶしとして。)もうちょっと勉強しなければ真相は分からないなぁ・・・それにしても、教育基本法が改悪されようとしているときに、塾のやっていることは何なのだろう。まったく溜息が出る。「学校成績」に一喜一憂し、それのみを価値として追求していいものだろうか?「我々こそが子供たちと共に歩む」気概こそが必要なのではないか。
2006.11.09
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先日来、いじめ問題で騒がれていた岐阜の某中のバスケットボール部が解散した。これは、まさに偶々表ざたになっただけで、いわゆる「部活」における問題はきっと山ほどあるだろう。要するに、活動時間が長すぎるのである。これに関して、猫ギターさんが、書いておられる。是非参照されたい。今までも、何人もの塾生が「部活が抜けられない」という理由で塾を辞めていった。(勿論、部活を止めた者もいるが少数派だ。)問題なのは、長時間の拘束(朝練・放課後延々と・土日もない・・・)と「指導者」と称する、権力的な人間の存在だ。当然のことながら、それらを黙認している保護者の責任もある。徹底的に塾に来させないような方針をとった「顧問」に対しては「訴訟」も考えたことがある。結局実行はしなかったが。今回の「いじめ」との関連にしても、文科省は「未履修問題」に対しては、かなり厳しい政策を採りながら、部活に対しては放置のように見える。多くの「スポーツ」が「愛国心」を養い、「優秀な兵士」としての訓練に役立つからだろうか?くしくも、今日の朝日新聞の「教育再生」のコーナーに数学者にして大道芸人の「ピーター・フランクル氏」の意見が掲載されていた。曰く、「日本人は部活中毒」であると。他にも、いろいろな活動があり、価値があることを教えることこそ重要なのだ、ということ(だったと思う)。彼は、早期の英語教育についても否定的だ。確かに、母国語で論理的な話が出来ない人間が英語で出来るはずもない。部活にメスを入れなければならないと思っている教師も多いと聞く。しかし、「力」を持っている体育会系の教師は、「学校秩序」の要だと自負しているに違いない。まさに、社会のミニチュアが垣間見える。
2006.11.08
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今日の新聞で、県下一の進学校である高松高校でも、2002年度まで「未履修問題」があり、2003年度から是正されたという記事があった。この記事で、「ああやっぱり」と思う方もおられるだろうが、やはり問題は、「なぜこの時期に?」という疑問の方が大きい。思いも寄らない規模で拡大した「未履修問題」、以前から何度も存在した「いじめによる自殺」。そういうものが、(半ばマスコミを利用した形で)なぜこれほど大々的に扱われるのか?これらのことと、性急に進められる「教育基本法改正(悪)」とはやはりリンクしているのではないか?基本法を改正すれば、すなわち、「国を愛する態度」を書き込み、数々の「徳目」を列挙すれば、未履修はなくなり、いじめはなくなるのか?誰が考えても、そんなことにはならないばかりか、東京都で起こっている現象が全国に拡大され、なおかつ「新たな虐めのネタ」を提供することにしかならない。戦前の「非国民」のように。更に考えてみれば(この間、福岡や埼玉でも問題になったように)既に、通知表には「郷土を愛する心」について評価している。なぜなら、それらは「学習指導要領」に従っているからだ。ということは、基本法の改正は、実は本来曖昧なままの指導要領の「法的根拠」を一挙に法に格上げする側面も持っていると言える。恐らく誰かが意図したように、「教育を考える」潮流は生まれつつあるだろう。そうした「熱病」の中で、憲法から切り離された、国家主義基本法が生まれるのだろうか?
2006.11.07
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