** 長島便り **

2004/02/18
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今日は夫が臨時でお休みだったので、朝から「トッポッキ」を作ってもらしました。(朝と言っても10時過ぎでしたが)。

夫の料理上手は、おそらくオモニム(夫の母)の料理の味をしっかり覚えている所にあると思うのです。だからこのトッポッキも「お袋の味」なのかな?と思って
「オモニムも家でトッポッキ作ってくれてたの?」と聞いてみたら、「僕が子供の頃は作ったことなかったなぁ。甥っ子が出来てからかな」だそうだ。

そういえば、夫の子供の頃の話でひとつ、まるで日本の戦中戦後の食糧難時代の話を思い出してしまうようなエピソードがあるのです。

なんでも、夫が子供の頃、バナナが一本千円だったそうな。比較的裕福な家の子だった夫は、オモニムに闇市でそのバナナを買ってもらって食べた。「あの時食べたバナナの味は一生忘れない」って言っている。

確かに夫と私は10歳半年が離れているし、育った国も違うけれど、つくづく世代の差を感じますわ。このバナナの話聞くたびに。

かくいう私も、子供の頃のおやつに、「煮干」を食べていた覚えがある。。。。(ちょっと恥かしい)
母に「何か食べたい~」と言ったら煮干を手渡され、それをかじりながら、ままごとをしていた記憶がある。祖父か祖母に言えば「お芋」くらい蒸かしてくれたかもなぁと思いながら。

それを夫に話したら、「僕はさすがに煮干をおやつに食べたことはないよ、ふふっ。」と勝ち誇ったように薄ら笑いを浮かべていた。

私は他にも「おこげ」「焼きおにぎり」「とうもろこし」など、いわゆる砂糖やミルクやバターを使っていないおやつを食べていた。そして圧倒的に炭水化物が多かった。

父方の祖母の家に行くと、お餅を揚げて塩味やしょうゆ味の「揚げ煎餅」を食べさせてくれた。「枝豆をゆでたの」もそこで良く食べた。

我が家では、庭の畑にナスやきゅうりがなると、「塩もみ」にしたのを”お三時に”食べたし、きゅうりにお味噌をつけて「もろきゅう」も”お三時”に食べたりもした。

母方の祖父母はよく私の家に来ていて、祖母はおやつにいつも果物をむいてくれていた。祖母が”手で”熟れた桃の皮を上手にむく姿はよく覚えている。面倒くさがりの私の為にスイカの種を取ってくれたりもした。

夏はビワの木に登って「ビワの実」を食べた。
桑の木にも登って「桑の実」も食べた。
冬のおやつは「みかん」が定番だった。

私が子供の頃は焚き火が合法だったので、秋口は庭で焚き火をすると「焼き芋」や、パチンと破裂する「焼き栗」を食べた。

こうやって思い出すと、私が市販のお菓子を買って食べるようになったのは、小学3~4年生位からかなぁ。よそのお宅に遊びに良くと、手作りクッキーと紅茶等を出してくれて「洒落てるなぁ」と思ったりもした。

「果物」は好しとして、うちはどうして子供のおやつに「塩辛いもの」を食べさせていたのでしょう。。。。私はまだかろうじて20代で、東京育ちなのです。これは両親の影響なのか?

母は18歳の時に熊本の田舎から集団就職で東京に出てきて、東京の人になりました。父は生まれも育ちも東京の下町で、戦後4人兄弟+従兄弟と育ちました。

たとえ私が、70年代に生まれた東京育ちでも、両親のバックグラウンドがそのまま育児に反映され、「おやつ」ひとつをとって見ても上記のような「ちょと古めかしい」ものになってしまうようだ。

でも、そのおかげで10歳半年上の夫と、子供の頃の話をしても「闇市の千円バナナ」以外は、差ほどギャップを感じずに話が出来るなぁ。

うちにも子供が生まれたら、どんなおやつを食べさせることになるんだろう。アメリカの怖い色のお菓子だけは食べさせたくないなぁ。。。

でも、煮干だけは「子供のおやつ」に与えないようにしよう。だって煮干って結構高いからね。まだ見ぬわが子よ、贅沢は敵だ!





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最終更新日  2004/02/22 11:42:19 AM


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