あたたかな光と相思相愛-永遠の旅へいざなう虹粒子の流れ

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『100万回生きたねこ』や好きな本



レビューと感想の区分けもつかないまま勝手気侭に2004年から2005年にかけて発信した日記文章をストックしてあるフリーページです。
2006年以降に書いた本の感想日記はこれから追加してゆく予定です。









『100万回生きたねこ』 2005.01.03日記


忘れられない絵本があります。

佐野洋子さん著
『100万回生きたねこ』も、そんな絵本のひとつです。

この絵本を随分昔に、本屋さんで何気に手に取り読みしました。

今でも鮮明に覚えているのです。
あんなに心をかき乱される「立ち読み経験」は かつて経験のないことでした。
とにかく
涙腺を激しく刺激され
心が揺れ動き
泣きじゃっくりしそうになった記憶があります。

そして何日も何日も
『100万回生きたねこ』 の絵本のことが、頭から離れませんでした。



自分とは何か
他者を愛するとは何か
生きるとは何か
人生とは何か
愛とは何か
etcエトセトラ・・・・・・

そんな言葉が頭の中を駆け巡り
毎日、自問自答していました。



この絵本 何の事はない 全編ひらがなで書かれた絵本なのです。
幼稚園児でも読めますし、勿論大人でも、その世界に十分に入り込むことが可能な世界です。
やはり描かれているテーマが世代を超えて普遍的なものだからでしょう。

この永遠のベストセラーと言える絵本は
僕たちに、この世を生きるために一体何が大切であるのか
かけがえのない大事なものを思い起こさせてくれます。

とか何とか言って・・・
では一体何が、かけがえのない大事なものなのでしょうね?。


この物語の主人公、つまり猫はまるで運命のように何度でも生まれ変わる。
そう100万回生まれ変わって、100万回飼い主が変わり
それでも まだ生きているのです。
どの時代においても、どの飼い主からも激しく愛され
一旦死ぬときには、周囲の悲しみの涙さえ、ふてくされるように眺めている。

この主人公の正体は一体,何なのだろうか?。
幼年期のような原初的な、一方通行的な餓鬼の如き「自己愛」?

なにはともあれ
愛される術は確かに十分に心得ているのです。


そして或る日、初めて自分に興味を示さない女性の猫に出会います。
それまで星の数ほどに自分を愛してくれた飼い主にしていたように
主人公の猫は、茶目っ気たっぷりに女性猫を相手に、沢山の「芸」を披露するのです。
しかし女性猫はまるで相手にしてくれません。
主人公の猫はショックを受け
生まれて初めて、他者を好きになる感情を内に宿します。



この話の続きは、あえて書きませんが(十分にストーリーを書き過ぎたという話も?^^;)
重要なのは、この後の展開です。
感涙ものなんです。



100万回生きたねこ

http://item.rakuten.co.jp/book/78604/



説明もいらない程に、永遠の名書だと思います。
とにかく多くの人に読んで欲しいと思う絵本です。












『星になった絵本作家 』 2004.11.12日記



星のような花。


お父さんは娘二人を連れて
大自然の草原を散歩していました。
ふと、
お父さんの目に素敵な花々が映りました。
そして娘達と一緒に花の傍にゆっくりとかがみ
静かに見つめながら言いました。

「星が落ちたんだよ。
 星がもういちど生まれ変わりたいと願って
 紫陽花になったんだ」

娘達はお父さんの話を聞いて、大喜びしました。



上記の話は、うろ覚えの話なので、正確な記述ではありません。
花の名前は、もしかしたら違う名前の花だったのかもしれません。
紫陽花だったように記憶しているんですが・・・。
実際のところ定かではないのです。うろ覚えなもので。
間違っていたら、誰か教えて下さい。


上に書いた話
とても良い話だなあと、今でもとても心に強く残っています。

この、お父さんこそ
僕が今日、日記に書こうとしている人物です。


絵本作家の

東君平さんです。



「たとえアヒルの歩みでも
 それが子犬の知恵にしろ
 自分の生きて行く先は
 自分の足の下にある」(東君平「青春」より)


「風は 
 みんなに吹く
 こんなあたり前のことが
 ついこのごろわかった
 うれしい」(東君平著絵本 「はちみつレモン」より)



東君平さんは1940年代の最初に、九州は神戸に
開業医の5番目の息子として生を受けました。

第二時世界大戦のさなか、みんな空襲でぼろぼろの中
そんな幼少時代を何とか生き延びます。
13歳にしてお医者さんであった父が死去
家族は破産のために離散、親戚のもとに預けられます。
そして働きながら中学を卒業。
隣に住む女の子から、絵描きになることをすすめられる。
18歳の時に絵描きになろうと決意し、上京。
新聞配達員として働き始めます。
たった一年のうちに、数多くの職業を転々としますが
20歳の時に、堀文子さんという方に出会い、作品を絶賛されます。
様々な出会いを経て
23歳、新宿・伊勢丹ギャラリーで初めての個展「白と黒の世界」開催。


「 十九歳。
  身も心も腹も どん底の日々だった。
  学校は途中から行けなくなっているし 仕事も辛かった。
  僕は 新宿の街を歩いていた。

      ~中略~

  古びた外灯の錆びた鉄棒に 釘ででも書いたのだろう
  下手な字で新宿と書いてあった。
  「しんじゅく・・・・・か」
  この二度の呟きが ぼくの生き方を決めたといってもいい。
  ぼくは その日から もっともっと
  自分の気持を信じて生きてゆこうと思った。
  それは 新宿の文字が しんじゆく と読めたからだ。  」        
  (東君平「新宿」より)


24歳
東君平さんは、英子さん(現在、美術館くんぺい童話館館長)という女性と出会い結婚します。

英子さんへのプロポーズの言葉

「僕はアメリカに勉強しに行きたい、是非一緒に来てくれないか?
 君はその紫陽花色の帽子を持って来てくれれば、それでいい」

その後の絵本作家・童話作家としての君平さんを支え続けた英子さんは
後にこう後述しています。

「ビッシリ書き込まれたスケジュール表は、消化するごとに線が引かれ
次から次へと仕事を進める君平さんは、まるで魔法使いのようでした。」




僕が東君平さんの言葉で
強く心に残っている言葉が幾つかあります。

「夜 人知れず泣ける人 生まれる前 小雪」
              (「前世占い」より)
「父は、ぼくが少年の頃、星になりました」
              (「鯰」より)
「さってゆくものも、のこるものも、さみしさは、おなじさ」
              (「ひめくりかれんだあとにっきちょうのはなし」より)



1986年12月3日
東君平さんは 星になりました。



僕は夜空の遠くに、輝く星を見ると
いつも
東君平さんのことを思い出します。



もし 東君平さんのことに
興味を持った方がいましたら
このアドレスを訪問して下さい。
東君平作品展示室へジャンプ
http://www.docca.net/kunpei/tenji/tenji.html


僕が語るよりも、遥か多くの沢山の素敵な時間に
きっと 出会えるはずです。



それと
東菜奈さんのホームページへジャンプ

http://www.docca.net/nana/index.html
これは
東君平さんの娘さんである
東菜奈さんのホームページです。
愛らしいHPです。








『言葉の魔法使い  詩聖 』 2004.11.10日記


今日も「魔法」に関連した話。
魔法使いの話を書きます。

魔法使いというより・・・妖精、あるいは詩聖、、、という感覚。
それでもやはり魔法使いなんです。

そう
言葉の魔法使い、だから。

何と形容すれば良いのか難しいんですが
人間の姿をかりた神様のような
魔法のように素晴らしい人の話。

詩人の きのゆりさん の話です。



「昨日 生まれた

 赤ちゃんの誕生日は

 きらきらと輝いています


 九十年も昔に生まれた

 おばあさんの誕生日は

 もっと 眩しく 輝いています

 おばあさんにとっては 

 ただ なつかしい歌のように

 思えるけど


 あたらしくても

 ふるくても

 誕生日は 輝いています 」  

 (きのゆり「誕生日は」より)



上記の詩。
とても美しい清清しい空気を心に、 体いっぱいに吸い込んでいるような
そんな爽やかな気持ちにさせてくれる詩です。
きのゆりさんの作る詩は、どれも
本当に素敵なものばかり。

街の喧騒から離れた、豊かな静けさ。
季節感の美しく流れる
ささやかな毎日の日常の中で
ある時、ふと出会う
ちいさな喜びや感動、不安、悲しみ、そして勇気etc・・・。
この世できっと、一番大切なものが
きのゆりさんの、魔法のような言葉によって
時に、切ないほどに繊細な言葉の徒然によって・・・
音もなく、読み手の心に染み込んでゆくのです。

そんな美しい詩を、きのゆりさんは沢山つくっています。

だから
言葉の魔法使い なのです。












星屑の海




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