全722件 (722件中 1-50件目)
私を含めた、すべての愚か者たちへ(笑)。汝は恥べきではない。己の愚かさを(爆)。なぜなら、汝が積み重ねてきた醜い愚弄な泥水の中からだけ、美しい蓮の花は咲くのだから。ここ数週間に渡り、我が生涯、最悪の日々としかいいようがない酷い日々を這いつくばってきた。もう嫌になるくらい、消えてしまいたくなるくらい自分がどうしようもなく愚弄に思えて、未来が見えていなかった。しかしである!笑今日の日記のタイトルと、日記文章の冒頭の4行に記した、この世の真実めいた気づきがふと生まれ、それまで固く閉ざされていた暗黒の扉がふわっと開き、少し美しい光が見えてきたのだ。よかった、良かった。ふさぎこみながら灰色の地面を抱腹前進していた数時間前までの自分を、今の自分が救った感じがして、天から少し祝福の光を受けた気がする。数日前、なぜかすごく久々に、ルー・リードの「コニー・アイランド・ベイビー」を聴いていたら、大粒の涙が溢れて止まらなかったことの意味が理解できた気がする。空に虹が浮かぶ前には、必ず、雨が降っているということだ。
2017.08.22
楽天インフォシークニュースから入って、ネット上の色々なメディアの記事を梯子読みしていたところ、プレジデントオンラインが出した記事内容の異様さが気になり、読み進めつつ、目が点になった箇所があった。次の文章箇所である。>実に朝日らしい反権力的姿勢の社説である。↑この文章、すごく、おかしい。朝日新聞が反権力的なのは、表層的なポーズであり、偽装といえる。実際のところ、朝日新聞ほどに権力に追従する新聞社はない。中国や朝鮮半島、時にアメリカにと、要するに、第二次世界大戦後の戦勝国側と、その勢力側につくことで利権を得た側が敷いた強力な権力体制の従順な犬、それが朝日新聞なのであり、現代日本に蔓延る卑怯極まりないメディアの代表格なのである。いま、さまざまなニュースなどでマダニの脅威と危険性が騒がれているけれど、朝日新聞はマダニみたいなものだ。で、今日の日記タイトルである「朝日新聞に代表される反日メディアとマダニ騒動との関連性」。これは、ちょっとギャグでつけたものであるが(笑)、しかし、反日メディアという凶悪なマダニに刺されまくっている日本の現状は、決してギャグにならない。朝日新聞や毎日新聞や河北新報などの反日メディアの毒は、日増しに致死量に近くなっている。
2017.07.27
民進党と縁の深い元アナウンサーの候補者が、次期、仙台市長になってしまう可能性が現時点で高い状況になっている。仙台といえば、極左的なイメージでネット上で蔑まされることが多い都市であり、実際のところ地元民が非常に怖くなるくらいに極左系に牛耳られている都市であることは間違いないのだが、こういったことは普段、見えにくくなっていて、ある時ふと(選挙の前などに)怖い顔を覗かせるのでタチが悪い。仙台で圧倒的に強い影響力を持つ新聞社は、河北新報である。日刊ゲンダイとさほど変わらない下衆な新聞社である。普段は公平で中立で善良っぽいメディアの立場を装っているので、この新聞社は本当にタチが悪い。この新聞社の上層部と中国共産党とのつながりを、実際の個人名をあげてネットで告発していたサイトを5,6年前に読み、鳥肌が立った記憶がある。ガサネタとは思えない。数日後の、7/23、仙台市長選が行われる。この状況の流れのまま、民進党と縁の深い元アナウンサーの候補者が当選ということになれば、おそらく仙台は、いまの沖縄みたいな危機的状況になってゆくのではないだろうか。現在、そのような状況が整っているように思えて仕方がない。
2017.07.20
数年前に自民党が歴史的敗退し、民主党が政権を奪取した後、東日本大震災が起こり日本は未曾有のパニックに陥りました。私は、あの出来事は偶然ではないと、なかば妄想のようにですが、なんとなく考えていました。いま、日本中が安倍首相を政治の舞台から引きずり降ろそうと躍起になっているように見えますね。ほんとうに、バカ丸出しってのはこういうことを指して言うのだなと思わずにはいられませんが、そんなふうなことが近い未来にほんとうに起こったら、今度は富士山が噴火するんじゃないかと、妄想というより、けっこうマジで考えています。さて前回の日記で、---見当違いの処方しか出せない、考え付かない、そんなヘボ医者級のヘボ議員たちにばかり華麗にスポットライトを当て賛辞するテレビや新聞などのマスメディアも、彼らが自覚があるのかないのか知らないが、日本を滅ぼす巨大な勢力となっている---と書きましたが、どうして、そんなヤブ議員やヘボ議員ばかりでなく、多くの新聞やテレビなどのマスメディアが大々的にヘボな活躍(?失笑)を出来ているのかというと、なんのことはない、現代日本に蔓延るヘボ野郎たちを後ろから操っている勢力がいるってこと。ヘボ野郎たちを後ろから操っている勢力というのは、その時々で、アメリカだったり中国だったり朝鮮半島だったりロシアだったりするわけですが、現時点では中国・北朝鮮の勢いと、戦後の利権にしがみつくダニのような日本国内の前川なんとかみたいな連中が、がっちり握手を組んでいるのでしょうね、きっと。そんな気がしますが、あなたはどう思いますか?。
2017.07.10
人間の健康の問題も、世界の危機の問題も、実は、根本的な部分は根が同じ。どうでもいいような、誤った診察を下し、間違った処方を強要する医師というのは、これを ”ヤブ医者” と呼びます。政治の世界のおいて、上記の例に合わせて考えてみると、ヤブ医者に該当するのは、民進党や日本共産党や社会党です。ヤブ医者が患者の命を救うことがないのと同じように、上記したヘボ政党は、日本に甚大な弊害しか及ぼしません。見当違いの処方しか出せない、考え付かない、そんなヘボ医者級のヘボ議員たちにばかり華麗にスポットライトを当て賛辞するテレビや新聞などのマスメディアも、彼らが自覚があるのかないのか知らないが、日本を滅ぼす巨大な勢力となっていることは、まともな感性と羞恥心を持った人間であれば、一切、誰も否定などできないでしょう。さて話を変えて、下に紹介する動画は、昨夜遅くにネットで見た動画です。凄く感銘を受けた内容の動画、非常にいろいろなことを考えさせられ、昨日から今日にかけて、何度も何度も繰り返し見ました。
2017.07.08
ここまで凄いYouTube動画は、実に久々。まさに圧巻!時代が変わる瞬間、歴史が動き出す瞬間に立ち会っているような、時代のうねりを感じて鳥肌が立つ動画です。20時間前に発信されたばかりの動画なのに、すでに2万5千もの再生回数に達した模様。日本中、いや世界中の人々の心に届いてほしい内容の動画だと思います。-------沖縄の異常な反基地運動を取り上げた東京MXテレビの『ニュース女子』を巡り、在日韓国人の辛淑玉氏らが「沖縄ヘイト・デマ報道」と抗議の声を挙げたが、これに対し、我那覇真子氏らが「沖縄県民」の立場から真っ向反論し、報道・言論の自由の下、公開討論を申し入れた。その回答期限後に、東京都内で開かれた沖縄県民側の記者会見の模様をお送りします。(動画内解説文章から転載)-------併せて、是非、次の記事も読んでほしいです。『憎しみの種を植える中国 加担する記者たちは責任を負う 米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン』http://www.sankei.com/premium/news/170225/prm1702250023-n1.html-------中国は、死をもたらす情報戦争を主導している。第一の標的は日本。最終的な目標は米国だ。2年以上、私たちのチームは、中国が推し進める過激化プログラムが、日本を標的としたテロの発生につながるだろうと警鐘を鳴らしてきた。これらの警告が正しかったことは、小規模な攻撃が加えられたことなどから証明されている。(記事文章内の一部を転載)-------上に挙げたふたつの事柄。ひとつは、動画。ひとつはニュース記事。一見、関係のないように思えるふたつの事象。しかし、しっかりと目を通せば、あっと驚く真実が浮かび上がってきます。根っこで、つながっているからです。話をYouTubeネタに戻します。YouTubeでは様々な素晴らしいチャンネルが沢山あって、日々すごい動画が発信されています。竹田恒泰さんが運営するチャンネルも連日すごい動画が発信されているチャンネルです。下に挙げる動画は、アパホテルがらみの動画ですが、これも凄い内容です。
2017.02.25
良い時代の空気を作り出している人々よりも、悪い世論を作り出すために鼻息荒くヘヴィーに躍起する人々の割合が圧倒的に多い現代日本。数年前に比べればいくぶん世の中の空気は少しずつ修正されてきたものの、しかしそれでも、いまだに左翼陣営の悪影響を駆除することは現代日本においては簡単ではないことは確か。 簡単ではない・・・というより、むしろ絶望的ともいえる困難さこそが、日本が抱え続けてきた戦後レジームの熾烈さそのものといえるでしょう。最近とても心に訴えたYOUTUBE動画のいくつかプラスアルファを、以下に紹介します。民進追及 歪曲だらけ、目立つ印象操作http://www.sankei.com/politics/news/170217/plt1702170049-n1.htmlさて、挨拶が遅れました。楽天ブログにて日記記事を発信するのは一体何年ぶりでしょうか。私自身、覚えておりません、というくらい御無沙汰しております。御無沙汰というか、待っていた人もいないと思いますが(笑)、2017年がスタートしたばかりの現代日本に生きている一介の生粋の日本人として、様々な報道に目を向けるたびに天を仰ぎたくなる毎日ゆえに、何かしら小さな声を世の中に発したくなる今日この頃。そうした理由で、多忙な仕事の合間に、時間のゆとりのある際に、時折、これからブログ日記を発進することが少なからずあるかもしれませんので、気になった人は是非またこのブログに足を運んでくださると嬉しいです。
2017.02.18
いちおう文明国とか先進国とか称されている国々においては、武器を持った戦いは野蛮であると揶揄されており、それでは一体どのように、それらの先進国らしい国々が互いに牙を向き合うのかというと、肉体的には一滴の血を流すことのない、しかし敵側の心の血が噴き出まくることを目的とした ”情報戦” において熾烈さを極める。で、情報戦というのは、どういった戦いであるのかというと、それは現在地球規模で行われている時事問題と照らしあわせ端的に言えば、過去にそれぞれの国々が行った行為をまな板に上げた歴史認識を軸にした、事実と嘘が複雑怪奇にないまぜになった心理戦、「お前が悪い」「いや、お前が最初にけしかけたのだから、お前こそ本当は悪い」などという罵倒合戦にすぎない消耗戦を繰り広げることであるわけです多分。このような阿呆としかいいようのない消耗戦に信憑性とかは殆ど関係ありません。本当にあったことかとか捏造されたことなのかとかの土俵に実は殆どの国が立っていないのだから、ある意味、皮肉にも、これほど ”戦争” の真髄をそのままあらわしているバトルの様相もないのかもしれないのです。こういった消耗戦において勝利者となる国とは一体どのような国なのでしょう?おそらく、どれだけ迫力勝ちしたか、どれだけ大きな力を誇示できた国に勝利の狼煙があがるように思います。しかし、これは短期的にみれば、の話です。全世界規模でネット網が敷かれた現代社会は、第二次世界大戦前後の世界とは違う。当時の情報戦で圧勝した西欧諸国の戦い方は、現代のリアルで迅速な情報化社会で通用しないばかりか、己の愚かさを曝け出すスピードばかりが勢いが増す悪循環に自らを追い詰めることに彼ら自身が気づき、にっちもさっちも行かなくなっている。これは韓国や中国も同じ。もちろん、いずれはアメリカもそうなる。つまり長期的にみれば、メッキは確実に剥がれるということが証明される事態が、数年後か数十年後かは定かではないが、明らかに姿を現すはずなのです。そして、そのような未来が私たちの目の前に現れた時、かつて、日本こそが世界の救世主となると語ったドラッカーの未来を読み解く眼力の凄みが改めて高く評価されることでしょう。と思いたいですね私は。あなたはどう思いますか?。さて以下に、最近に強く心に響いたYOUTUBE動画のいくつかを紹介します。ぜひ、なんどもなんども閲覧いただきたいと願います。いま、日本をダメにしている者たちは本当は誰なのか、その正体の一端があぶり出されるはずです。
2015.03.20
社会が荒んだら、それは多くの人々の心に広がる大地が荒廃しているのと同じこと。もしも、いま、あなたの大事な人の心が荒んでいたら、あなたは、その人の表情に笑顔の花を咲かせるために、どんなことが出来ますか。東日本大震災追悼 2015.3.11 上に紹介した動画は、最近に見たYOUTUBE動画の中で最も心に染みた動画です。
2015.03.16
現在の日本にとって最大の不幸は、子供達や若者たちにとっての教育環境が滅茶苦茶なことになっている点、その一点に問題のすべてが集約されるように思う。精神的に問題の多い大人たちに日常的に囲まれていたら、そのような大人たちの姿を見ている子供達や若者たちは一体どのように育つでしょう?ましてや、それが本来は自分たちの見本となるべき存在であるなら。まじめで素直な子供であればあるほど、かなり、ひねくれた精神を内に抱えた成長のしかたをするではないだろうか。そんな子供たち・若者たちが、大人になって、彼らは一体どんな国の未来を作ってゆくのだろう?。というか、国の未来を作る云々以前に、異常といえる教育者たちのせいで自らが抱えることになった奇怪なトラウマを克服するだけで生涯を費やしてしまうのではないだろうか。考えただけで、複雑な心境になります。では、どうして子供達・若者たちの置かれた教育現場が、これほど酷いことになっているのか。戦後日本に、頭のおかしい教育者組織(日教組)を作ったのは誰か?そして、そうした狂った集団が陥った巨大すぎる洗脳工作が、長い長い歳月を経て現在に至っても、今だ解かれていないのは何故なのか?。そういったことのエトセトラに想いを深く馳せ続け、大きな謎と思えることを真摯に究明しようと模索すればするだけ、戦後70年という歳月にわたって一向に解決されることのなかった人類規模のエトセトラが多々浮かび上がってくるはず。http://www.sankei.com/premium/news/150226/prm1502260004-n1.html↑ 上に青文字でURL紹介した報道記事と同内容の記事を楽天INFOSEEKで探したのですが、なぜか記事にたどり着けないあるいは存在しないのかのため、楽天での記事リンクを貼れず、仕方なく他のメディア媒体の報道記事サイトURLをリンクなしで紹介する次第。上にURLを紹介した記事を読んで、あなたはどう思いますか?。世界を支配する巨大なカオスの様相、その核が上に挙げた記事に的確に象徴されているのだから、そうした様相を正しく理解し紐解く努力・責任が多くの人々に求められて然るべきと私は思いますし、でないと、日本だけでなく、世界は、というより人類が破滅の道から逃れることがいっそう困難になるような気がしてなりません。
2015.02.26
重圧に囲まれている人は、幸せです。日々、生きるのが苦しいと感じている人は、とても幸運です。逆にいうと、毎日が淡い幸福感の只中にいると感じている人は、それが幸福か不幸かは判別は難しいところですが、死期が近いことだけは確かです。乗り越えなければ、自分が置かれた逆境から這い上がることが出来ない、そんな ”壁” の軋轢に苛まれている人というのは、実は、幸運なのです。なぜなら、大きな未来が、乗り越えるべき壁の分だけ、あなたには約束されているから。ただし、「現在、自分がおかれた苦境を必ず乗り越えてみせる!」というような覚悟が内に芽生えた人にだけ、上記の幸福の条件は当てはまります。そんなふうに、私は日々、自分に言い聞かせている。それが、私のモチベーションを支えることにもつながっている。
2015.02.25
前回の日記に連日多くのアクセスがあり、勢いのあるアクセス数が一週間ちかく続いてることって久々なので驚いた。首を傾げつつ長時間、考え込んだりもしたものの・・・こうした現象の確かな理由はよくわからない。「いい内容だなあ」と思って沢山きてくれたのか、「この人の言っていることには合点がいかないマジでむかつく」とか思いながら何度も来てくれた方々がいたのか、さっぱり分からない。とかなんとかいって、別に分からなくても自分は困ることはないのだが、首を傾げつつ、少々、補足蛇足ちっくに駄文を付け加えたく思った次第。前回の日記で、私はなにが言いたかったのかというと、要点は大きく挙げてふたつあり、ひとつは、現在の日本のマスメディアの主流が醸している論調に自分の心の波長を合わせてはいけません、なぜなら、バカになるからです(朝日新聞の読者みたいになってしまうと大変ですよね)ということ。もうひとつが、時にMAXに、自分の心の状態を明るい方向へ調律してみるということがすごく大事だということ。その理由は、なるべく自分の心の状態を明るい方向へ設定する姿勢の中に自分を置いていると、出来ない言い訳や、やりたくない言い訳が次から次へと浮きあがってくる、つまり自分の弱い部分が鮮明に見えてくる、同時に可能性が宿る方向の光の扉も蜃気楼のように浮かんでくる、逃げ道を断ち切る、そういった作業の連続というのが、自然に自己を向上させる訓練となり、自分の心を鍛えることにも直につながるからということ。そして、こうした訓練を日々己に課していないと、これからのヘヴィーな世界においては生き残ることが困難になるということだけでなく、正しいものの見え方が己の内に育むことを自ら放棄することにもなる=そうした人が、まともな未来に進むことなど、ありえない。というふうに、簡易ではありますが少々弁証法的に(笑)、前回の日記内容のちょっとだけ補足をしてみたんですが、いかがでしょう。
2015.02.24
声を大にして、確信犯のように言います。幾多の様々な紆余曲折、山あり河ありが続きますが、それでも、これから世界は、良い方向へ、徐々に静かに長い時間をかけバランスを調整してゆくでしょう。上記した良い方向へ世界が向かうことはないとする雑多下種下衆な云々かんぬん虚言屁理屈が、この日本社会において、以前にも増しメディアにアナウンスされることが往々多々あるはずです。しかし、そのような虚言・ネガティブ系捏造記事に視界を曇らされる人々には、これからの世の中、未来はありません。必ず世界は良くなると信じ、己の内なる影から逃げず、未来を信じるエネルギーの集積が志向する空間の様相を真摯に想い描いてください。
2015.02.19
思春期の頃に深夜放送で観た外国映画の中で、今でも忘れられない作品がいくつかある。内容は詳細にわたり覚えているわけではない、というより、殆どの物語は忘却の彼方であり、おぼろげなイメージの断片のみが記憶として浮かび上がってくるというだけなのだけれど、それにも関わらず、理由はよく分からないが、いまだに時折、ふと思い出すことがある。そうした外国映画のひとつが、「灰とダイアモンド」。もうひとつが、「長距離ランナーの孤独」。このふたつは東欧だったかソ連だったか、そうした地域の白黒映画だったような気がする。あとひとつ加えれば、フランス映画の「冒険者たち」といったところだろうか。これは確か、カラー映画だったように記憶している。そんなことを思い出していたら、ふとフランス映画の「冒険者たち」をYOUTUBEで検索してみたくなり、数分後、次の映像が目に入った。↑ Les Aventuriers というのは、邦題である「冒険者たち」のフランス語のタイトル。すごく懐かしい・・・というか、そうした懐古的な感覚よりも、不思議なことに、「なんて格好いいんだ!」という清清しい想いが湧き上がった。映像はカラーではあるが確かに古さを伝えている(実際に、かなり古い映画である)、が、なにか強烈に新鮮な、いまだ色褪せることのない斬新な、あたかも永遠に変わることのない海の青さのような ”何か” が画面いっぱいに豊かに息づいている。これはいったい、どういうことなのだろう。どのように説明づければよいのか。とても不思議。温故知新ということなのか。まあとにかく、心に勇気の火が灯ることは確かだ。
2015.02.18
なぜ人は、この世界が美しいと感じる瞬間を多く持つことが出来ないのだろう。たとえば大富豪なら、世界を芳醇に見つめる心の瞳を、長い時間にわたり持ちえるだろうか?たぶん推測であるが日本の多くの富豪と呼ばれる人達は、実際のところ日々、険しい競争の只中にあるような気がするので、そうした余裕はないかもしれない。では貧乏人なら、どうだろう?。たぶん推測であるが、貧乏暇なしというくらいだから、これもまた、そうした心の余裕など持てないかもしれない。しかし、世界は広い。世界の七不思議という言葉があるくらいなので、富豪だとか貧乏だとかとまったく関係なく、いつだって自由に好きなだけ、この世界が常に美しいのだと一切の疑問もないまま享受できる、まさに千人のように七不思議ちっくな人もいるかもしれないと考えることは可能だと思う。ならば、この日記の冒頭に記した一行の文章を訂正する必要があるだろう。-----なぜ私は、この世界が美しいと感じる瞬間を多く持つことが出来ないのだろう-----↑ きっと、これが正しい。自慢するわけではないが、私の日常においては、世界が美しいと掛け値なしに感じることが出来る瞬間というのは、休日にだけ訪れる ”瞬き” にも似た、魔法のような、ほんの一瞬でしかないように思う。2015年は、上記したような、日常を芳醇に美しく感じることが可能な時間をたくさん沢山持つことができることを抱負のひとつに加えたい。
2015.02.12
仕事のモチベーションを維持することの困難さについて考える時、同時に、社会の中で一人の人間が生きてゆくことの困難さに想いが馳せる。これは実に深遠な事柄だと思う。困難な事柄ではあるけれど、だからこそ、そこに焦点を定め、想いを深めれば深めるだけ、着実に自分が進化し成長することを可能とさせるので、このような内面の試行錯誤を侮ってはいけない。さて話題は変わりますが、上の写真は今日に宮城県の蔵王山脈で撮影した一枚です。何気なく撮った写真でしたが、パソコンで見て少し驚きました。普段、私たちが生活している日常に差し込む光とは別次元の光が溢れているように感じたからです。蔵王というと標高が非常に高く、最近に噴火の兆候が云々とニュースで話題になっていた場所。天に近い場所なので、やはり普段の生活に宿る質感とは異なる空間が広がっているということなのでしょう。光の質が異なると、上質になると、光が宿る存在たちそれ自体の生命力というか輝きみたいなものが根本から底上げされると考えて間違いないと思います。そういうことを考えると、仕事でも自然でも何でもそうかもしれませんが、人はなるべく上質なものに絶えず触れているほうが己の存在を活かすことができ、内なるモチベーションも自然と高く維持できるのかもしれません。
2015.01.10
この世の果てには、光がある。荒廃した砂漠の広がりが、そこにあるのではない。20代の頃、とても人気のあったTVドラマに、「この世の果て」というタイトルのドラマがあった。どういう内容のドラマだったのかというと、この世のものとは思えないほどの美しい恋愛物語の予感に溢れながら、同時にまったくの救いのない暗闇とが同居している、ひじょうに深遠なドラマ。そのドラマの主人公の男に当時の私はなぜかとても共感し、深く感情移入ができて、「ああ、自分だけではなかったんだ」と思いながら、TVに映る物語の進行を目で追っていたが、ドラマの最終回のエンディグは、かなりショッキングなもので、暗澹たる想いがしたものだった。いま、思う。あれから何十年もすぎ、あのドラマでは描かれなかったかもしれない、あるいは、当時の自分が見えなかったかもしれない、砂漠の先にある美しい光のドラマが、現在の私には見える、と。この世の果てには、光がある。美しい光がある。この世の果てに、そのような光があるのだから、本来は、この地上にも、そうした美しい光を織り成す努力を培う責任が私たちにはある。上記したエトセトラの気づきは、20代の頃の自分には皆無だった。あれから20年が過ぎ、そこはかとなく、いろいろなことが見えてきた自分がいる。こういうことを、 ”成長” と呼ぶ。深く、感無量が気がする。しかし、明日には明日の北風が吹いてくる。ここは東北なのだ。厳しい闘いはこれからもずっと続くのだろう。まあ、とにかく、私たちは、矛盾という名の川の流れそのものである。来年、2015年。日本は、そして世界は、かつてないくらいの危機に見舞われる可能性は否定できない。だが、そんな状況でも私たちは、私たちの世界の中で出来ることから目を背けず、前に進まなければならない。2015年に、私は、そして、あなたは、いったいどんな光のドラマに気づくことができるだろうか。
2014.12.26
心の底から答えを求めると、不思議なことが起きる。答えの欠片が徐々に姿を現して、うっすらと、しかし確かな像が解として帯び浮かび上がってくる。どうして、そのようなことが起こるのか?。それは、誰の心にも、宇宙に流れる普遍性を伴った美しい光が流れているからだ。こういうことは、普段は誰にも話さない。緊急事態のような状況と思える時にしか、誰かには伝えない。しかし、このようなことを話すと、いつも決まって、「君のことはとても好きだったし、とてもいい奴だと思っていた。なのに、こんなことを言い出すなんて・・・・・」そんなふうな扱いを受け、縁を切られそうになるので、口に出さないようにしている。とはいえ、不思議なことに、前述した「縁を切られそうになった相手」からは、何の因果か、数ヶ月か数年後かに、殆ど必ず、電話や手紙や何らかの手段によって、連絡がある。別に、君が正しかったよ、とかいう意見ではない。なんでか知る由もないけれど、こちらがいまきちんと幸せに生きているのか気になって連絡してくるようなのだ。いま君はどういう状況で生きているのか、いまどういうことを考えているのか、幸せに生きていてくれればいいのだが・・・・・。そんなふうな想いが何の因果か私の元には届く。たぶん、それらの知己、みなが無意識のうちにも、それぞれの不安と闘いながら生きているからなのだと思う。私が彼らに呟いた何らかの妄想めいた内なる葛藤のエトセトラが、彼らが生きる日常のなかに内在した不安や葛藤を浮かび上がらせただけなのだろう。いわゆるショック療法みたいなもの。まあ、とにもかくにもである。私も、あなたも、宇宙そのものなのだ。この宇宙に神が存在するとすれば、私やあなたの中にだって神は存在するのだし、そうした自覚を持つ責任が、わたしやあなたにはある。この場合の神の定義は別に完全な存在をさしているのではない。不完全な存在でありながら、ぎりぎりの闘いの中で愛を光を模索する崇高な何かを象徴する何か、それが神なのではないだろうか。不完全を内包した完全さ、それこそが神、宇宙の実像なのだから苫米地英人氏がかつて「試験管の中で神がいないことが実証された」みたいな云々・屁理屈を述べたことに私は異を申したいと、ここ数年考え続けてきた。地球を、わたしやあなたが生きる日常を、そして広大なこの世界を、破滅から救う術を模索する責任が、本来、この日本列島に生きる一億人以上の人々には、いやそれだけでなく世界中の人々にはあるはずなのだと思う。誰も彼も私利私欲に溺れている場合ではない。先日の日記に引用したドラッカーの名言と、ここ数年、心の中で対峙し続けてきた。以下に再び引用する。「経済発展の範とすべきは、米ソその他の白人国ではなく、日本である。」「新しい秩序へと向かう、混迷した世界の中で、重要な役割を担う二つの国があります。ひとつはイギリス、そしてもうひとつが、他でもない、あなたたちの国、日本です。」ローマ法王が今秋、第三次世界大戦が近づきつつある旨の声明を発表した。アメリカはロシアを食おうと躍起になっていて、プーチンは必死に抵抗を続けている。こうした危うい平衡感覚が実のところ全世界を貫いている。ウソっぱちと捏造と私利私欲に満ちた世界、これこそが人類の実像なのかもしれない(←ウソウソ、と思いたい)。こうした世界情勢の打開策が、情けないことに、私には、ぜんぜん見えてこない。この日記を読んでくれているあなたには見えていますか?。
2014.12.03
ほんとうは皆、分かっている。何が悪くてこうなっているのか。一体どこの誰が悪くてこうなっているのか。財務省。そして、役人の世界。これに尽きるでしょう?。そこにメスが入れられないことの弊害。多くの人々が無言のうちに、このことを分かりきっているほどに分かっている。なのに、ことが正しく進展しないのは一体全体どういうことなんだ!?との軋轢に苛立っているのは、たぶんこの日本列島に一億人くらいいると思います。私だけではありません、たぶん。こういう事態が発生すると巷には陰謀論が囁かれたりするものですが、今回はちょっと違う。ユダヤとかフリーメーソンとかの陰謀論に答えの糸口を見出すことは簡単ですし楽です。が、そうした姿勢からは何の真実も現れてこないかもしれない。実際のところ、ただ単純に、誰のせいでもなく、日本の中心が、正しい心を見失った日本人自らによって破壊されようとしている、というのが事の真相なのでは?。つまり、こういうこと。甘やかされているのは、一般労働者ではなく、実は役人たちのほう。このことを、ほんとうは皆、分かっている。2014年の春近し頃、消費税が5%から8%にあがるかあがらないかという時期、あの時期に手に汗を握りながら各種メディアを目で追ったことを走馬灯のように思い出します。安倍首相が断固として消費税をあげない方向で戦っているというのに、なぜか殆どのメディアは消費税をあげることこそが日本の未来を確かなものにする言説でまとまり、安倍おろしに躍起になり、結果として消費税が8%にあがってしまった後、それがあたかも安倍首相の決断であったかのように偽装・捏造全方位で一致団結したことに目が点になる想いでした。卑怯きわまりないというのは、こういうことをさして言うのです。ピーター・F・ドラッカーは、かつて、こう言いました。「経済発展の範とすべきは、米ソその他の白人国ではなく、日本である。」「新しい秩序へと向かう、混迷した世界の中で、重要な役割を担う二つの国があります。ひとつはイギリス、そしてもうひとつが、他でもない、あなたたちの国、日本です。」現在、この日本で起こっていることの重大な危機は、世界の未来を正確に映し出しているように思えてなりません。どれだけ重大なことが起こっているのか、真相を紐解き、この日本列島に生きる一億人が正しい解決策を真摯に模索しないと、世界に新しい秩序が生まれるどころの話ではなく、世界は破滅に向かうでしょう。
2014.11.24
これほどまで日本列島がネガティブキャンペーン一色に染まった光景というのを、はじめて目にしています。今日は書店やコンビニの新聞棚を巡りながら、様々なメディア媒体をめくりつつ驚愕しました。まさか、ここまで酷い状況になっているとは・・・・・。下手なホラー・サスペンス映画を遥かに凌駕するかもしれない現在の日本。次に記す形容・例えが適切か否か上手く判別できないのですが、今日、現代の日本を取り巻く様々な時事問題に関して激流の如く想いを馳せた中で、心に浮かんだイメージ・・・それは古の時代のイタリアの画家であるレオナルド・ダ・ヴィンチが生んだ絵画「最後の晩餐」。私はカトリックではなく、ゆえにキリストという人物の生涯に詳しく云々出来ないことは確かなのだけれど、現在の日本の最後の砦・守護神のように思えてならない安倍首相が、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で描かれたキリストとだぶって仕方がない。日本という国が、これほどまで劣悪・醜悪・無様な様相に陥ったことは、かつてなかったはずだ。自分たちの文化を真摯に守ろうとしている、日本が代々培った長い歴史の中だからこそ奇跡のように現れた守護神を、ゾンビの如き無数の盲目の徒が、民主党に象徴される地獄の亡者たちが、毒や武器を手に取り囲んでいる。こうした構図を、まさに最後の晩際といわずに、いったいなんというのか。激しい眩暈に淀む、両目を覆いたくなる状況の現代日本において、たとえば朝日新聞みたいなメディア媒体を「日本の良心」などと妄信している阿呆な輩が、まだいるとしたら(沢山いるからこういう状況になっている)、次の動画を見て目を覚ましてほしいと切に願います。”大儀なき解散” とか ”アベノミクス=経済至上主義の亡者” とかヒステリーに叫んでいる黒幕たちの正体を、しかと心の目に強く焼き付けてください。 ”一兆円” という名の強欲にしがみついた本当の経済至上主義の亡者が誰なのかよく分かるはずです。
2014.11.23
20代の頃、桜井章一という人物の書籍にかなり影響されたものでした。で、いまこの時に、あれから何十年も経過してから、ふと、「あ、そういうことだったんだ」と腑に落ちることが、この歳になってあるというのは何というか実に感慨深いです。ようやく皮膚感覚で腑に落ちてきたような気がする。そういう想いが今、砂漠のオアシスのように内に湧いてくる。一瞬、と、永遠、とは、相反するものではなく、実はイコールで結ばれている。このことを上手に説明しようとすると、私はどうしても、カメラのレンズに想いが馳せずにいられない。カメラというのは、何か大切な存在に焦点を定めるということは、それを可能にするレンズというのは本当に奥が深い。
2014.11.21
楽天ブログで日記を発信していると、思いがけず奇妙な感覚に陥る時があります。それは、「本当の愛とは?」とか「永遠性とつながる」とか、そういう言葉を日記タイトルに選定すると、予想に反してアクセス数が非常に多くなり、「橋下徹大阪市長VS・・・」みたいな政治的な云々を話題にしたり日記のタイトルに選定すると、アクセス数がめちゃくちゃ少なくなるという、このブログにのみ顕著かもしれない事実・・・とても虚しい気分になり少し落ち込んだりするわけですが、たぶん、これは、このブログに対して、政治的な事柄に関しての深く適切な考察なりメッセージの発信など誰も期待していないことのあらわれなのであることは明白でしょうし、このブログが日本を中心にした世界のリアルな現実問題を正しく紐解くには、あまりにも役不足で稚拙に過ぎるであることの確かな反映であろうかと推測します。いっぽう、愛とか永遠とか、そういう抽象的な話題に云々する日記を発信するとアクセスが増えるのは、きっと、「あ、またこのバカの妄想が噴火しているぞ!笑」みたいな、そういう一種の怖いもの見たさのような好奇心を寄せ付けていることに起因しているのではないだろうかと内省しています。まあ、このブログに関して、政治や時事問題に関する的を得た鋭い意見なりメッセージを期待している方がまず一人もいないことは確かでしょう。実際、私自身そのような能力はぜんぜんありません。ならば、いつもの妄想全開ちっくで抽象的な徒然に流れを戻すならば、「愛だけじゃ、愛にはならない」 そういったテーマで前々回の日記の話の続きを書くのが、もしかしたら私なりに出来ることとしての最小限の役割なのかもしれないと何となく考えたりもするわけです。さて、愛だけじゃ、愛にならない。これは、前々回に発信した日記のタイトルにしようとして最初にメモしていた言葉。文章を綴ってゆくうちに微妙に想いが変化して、あのような日記タイトルと文章内容になった経緯がありました。あの日記内容をいまいちど前進させたい想いが少し湧き上がってきたので、補足っぽく新たに文章を綴ってみたいと思います。というか、端的にいうならば本当は実に短い言葉なり文章で事足りる、というのが実情のように思えてならないわけで、次の短い表現内容をもって、今回の日記は締めとさせていただこうと考える次第です。つまり、---東北の厳しい風土なくして、愛の象徴とされる林檎が、ただの林檎ではない、芸術品のような美しい林檎が育まれることは決してないということの意味へ想いへ馳せれば自ずとこの世の真理が自然と浮かび上がってくる---ということ。あなたは、どう考えるでしょうか。http://item.rakuten.co.jp/surprise-web/aznnsds-11503/
2014.10.21
橋下徹という人は頭いいのかバカなのか、よくわからない。何年か前に、韓国とアメリカと朝日新聞の合作によると巷で推測されている慰安婦捏造問題に対して、日本の識者らによるアメリカに向けた真摯でストレートな会見が行われたことがあった。具体的な内容として、アメリカが決して触れられたくはない、捏造されたものではない”事実”を多々羅列していた説得力の非常に強い凄い会見だったのだけれど、何の因果か、それを潰したのが橋下徹大阪市長だった。当時のことは、よく覚えている。その重要な会見が行われた直後、非常にバッドタイミングで橋下徹大阪市長は、アメリカ兵は性欲を抑えるために風俗を活用してはどうかと世界へ向けて提案する会見を行ったのである。バカ丸出しとは、こういうことを言うのだと目を覆いたくなった方々は日本列島に多々いたと思う。待ってましたとばかりに、アメリカは橋下を、そして橋下発言を許した日本を叩く報道を全世界へ向けて激しく展開し、このバカ丸出しの橋下発言がアメリカと韓国に大きく有利に働く、いってみれば火消しとなった。アメリカと韓国が言い訳のできない様々な歴史的資料を多々用意して真摯に挑んだ、日本の識者らによる壮絶な会見のインパクトが無残にも根本から吹き飛び、そのようなことが最初から何もなかったことのようにされたのはいうまでもない。今日、世間を賑わせた橋下徹大阪市長VS桜井誠の記者会見。もしかして、橋下徹という人はバカ、もとい、非常に残念な人なのかもしれないと、いま、多くの人々が呆れ返っているのではないだろうか。どうして大阪は、こんな口の悪い人を市長にしているのか。確か記憶違いでなければ、この人は元、弁護士かなにかだったはず。理論立てて礼儀正しく相手と論戦を交える技量がない人ではないはずだと思うのだけれど、このチンピラとなんら変わらぬ相手への捩れた姿勢は市長失格とかそういう問題以前のような気がする。数年前、日教組相手に戦いを挑んでいた頃は、すごく格好いい人だなあと思っていたものだけれど、あれはもしかして単なる人気取りのパフォーマンスだったのだろうか?。よくわからない人だ。
2014.10.20
愛というものを表層的な優しさ一面でのみ生温かく捉えてしまうと、これはもう救いようのない不毛な感情を人間社会に浸透量産し、出口のない袋小路の地獄をそこらへんいたるところに出現させてしまうことにつながるのではないでしょうか。例えれば、”ワサビのない寿司”?。いやいや、それどころの話じゃなくなってくると思います。寿司どころか、ワサビにさえ、ならない。ワサビでも寿司でもない、醤油でもない、ゴキブリでさえ遠慮するマーガリンよりも遥かに醜い、煮ても焼いても食えない現代社会の如き代物がぶざまに異様に増殖する姿を我々は目撃し、救いなど微塵もない暗闇の広がりを否がおうなしに突きつけられる、そんな絶望しか生まないはずです。前回の日記に記した内容に沿うならば、今回の日記の締めも、やはり、6:4の法則に行き着く。思慮が6、厳しさが4。この比率が逆になると、生命は退化する。実に危ういバランスの上に我々の進化は成り立っている。翻って現代日本に生きる人々の深層意識に巣食う程度の安易な”人間性”を培うために必要な修練なり研磨なりを支える比率があるとすればそれはいかなるものだろうかと考えれば、おそらく、豚を肥やすような”思いやり偽装”が9、そして、もうすぐこの日本から風化するかもしれない”厳しさ”が1。さて、こんな馬鹿げた比率の上に生命の存在が根本から成立するはずがないと考えるのは私だけではないと思います。上記した云々な徒然を、次に紹介する動画を鑑賞しながら想わずにいられませんでした。https://www.youtube.com/watch?v=EV1OXpsgFKAこの動画で描写されている、一見して殺伐とした暴力性を、あなたはどう思うでしょう?。けしからん!と一蹴しますか?。そんな人がいたら、時代性を超えた部分で永久に息づく物事の本質に宿る真理を見据えることの出来ないバカだと私は思います。そんな失笑もののバカがもし仮にいるとすれば、どうぞ、倒産寸前の朝日新聞に入社してください。きっと、お似合いのはずです。そして、生命を貶め、日本を貶め、世界を、宇宙を貶め、自分自身を深く深く貶めてください。きっと、あなたが生きているこの国以外の、他国が褒めてくれることでしょう。
2014.10.17
今夜、久々に巨匠サム・ペキンパーの映画を観ながら気づいた事柄がありました。こういった気付きは特別にペキンパーの映画作品にのみ顕著となるわけではなく、おそらく、フェデリコ・フェリーニやタルコフスキーやゴダールの映画においても同様のことがいえるような気がします。つまり、こういうこと。---宇宙の究極の秩序を構成する要素とは、プラスとマイナスの関係性の如何に拠る---ということを映画作品を通じて、古の時代から現代にかけて訴え続けてきた巨匠たちに敬意を表しつつ、彼らの知恵から我々が学ぶべき事柄とは何だろうと問えば、おのずと浮かび上がってくるであろう光<プラス>と闇<マイナス>のエネルギーの秩序だった関係性があるわけです。ここでいうプラスとは、たぶん、思慮とか愛とかの保守的なエネルギーを指す。そして、マイナスは、暴力に象徴されるネガティブなエネルギーを指す。強い確信があるわけではないのですが、おそらく、上記した関係性において未来を志向する最善の割合を示すならば、それはきっと6:4の比率になるかもしれない。これは私が発見した黄金率でもなんでもなく、世界的に有名な免疫学者の安保徹さんの著書で示された知恵の応用に過ぎません。まあ、とにもかくにも、この地球上とは別次元において遥か異なる比率が提示される次元が存在する可能性は間違いなく多大にあるでしょうが、少なくともこの地球上においては、たぶん、6:4の比率が同時進行に織り成す物語の上に私たちの進化の過程が在るように思えてならないわけです。ただ、間違えてはならないのは、現代の日本における保守層と、朝日新聞に象徴される偽装左翼(本当の左翼ではない単なるバカ)との正しい関係性など、はなから存在していないということ。なぜなら、偽装された数値を入力しても正しい力学の計算が元から破綻することは目に見えているのだから。そこらへんのことを踏まえて、私たちは私たちが生きるこの世界と、宇宙と、正しい関係性で対峙しなければなりません。そうした姿勢がないと、あっというまに真の暴力に呑み込まれ、闇につつまれてしまうでしょう。だから、まずは自分自身を救うことからはじめた人が、自分自身を輝かせようと心に誓った人が、この地球上に沢山現れれば現れるだけ、そのエネルギーが増大したぶんだけ、地球を守ることにつながるわけです、たぶん。
2014.10.10
優れた音楽家は短命なのか?。至上の音楽を奏でる者は常に薄命なのか?。前回の日記の続きとして少し内容はズレますが、本質的な部分ではつながっている考察と少し綴ってみたいと思います。子供の頃、外国映画の「ある愛の詩」を観て以来、美しい魂を持った人間だから若くして天に召されるような人生観を持ってしまっていた自分が、そこはかとなくいたように思う。いままで気づかなかったけれど、たぶん、そういうことだったんだと思う。ジャニス・ジョプリンという天才シンガーが若くして逝ったことも同様に、魂が美しすぎるがゆえの悲劇だと考えていた自分がいた。しかし、今、そうした考えは、おそらく誤りであったことに、少しずつ確信がいく自分がいる。誤解を避けるために補足しておきますが、ある愛の詩やジャニス・ジョプリンの存在を否定しているわけではありません。それらが象徴する何かが、なぜ、短命に尽きるのか、それには確かな理由があるということに、ふと気づいたというだけのこと。数時間前に、バッハのVn無伴奏パルティータを聴き続けていたことで、ふと、今、こうした想いが内に孵化した。そういえば、バッハは、同時代の殆どの人々が短命だった昔の時代に、かなり長生きした。これは美術家のミケランジェロも同様。ダ・ヴィンチもそう。モーツアルトは究極の美しい旋律の数々を残したけれど、非常に短命に尽きた・・・これは麻薬が絡んでいる。ジャニス・ジョプリンも然り。ある愛の詩も、きっと似たような何かがある・・・記憶違いでなければ主人公の女性の病の名は白血病だったような気がする。これは、かなり無理な生き方で自らを酷使しなければなり得ない病気なのではないだろうか。今夜、バッハのパルティータがなぜに奇跡のような神々しさでもって、永遠性へと人類を導くのか、その理由にひとつ近づけたような想いで感慨深い。実に長い道のりだったが、ようやくここまで気づくことができた。すごく嬉しい・・・何十年も前にギリシャのアクロポリスの丘を歩いた時の感動が蘇るくらい嬉しい。が、こうした感動と学びを明日に活かすことは、また別次元の困難がある。そうした困難に溢れたカオスこそが我々が生きているこの次元なのだろう。こんなにもシンプルで難しい世界に自分が生きているという事実を思うと、眩暈がしそうだけど、まあそれもまた素晴らしい奇跡なのかもしれない。http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=vcsCbxM9Ugw
2014.07.24
何十年も前の伝説の歌手、ジャニス・ジョプリンがテレビ番組か何かのインタビューで、こう語っていた。「音楽と出会わなかったら、私は自殺していたと思う」ジャニスの、この言葉が心をよぎる時、同時に、ひとつの古いアメリカ映画のセリフが思い浮かぶ。ある愛の詩、という名の映画で囁かれる名言、「死ぬということは、モーツアルトが聴けなくなることだ」今夜、久々に、何時間も、音楽が放つ途方もなく美しい光と広大な可能性と魂の救済について想いを巡らしていました。つい数十分前まで聴いていた音楽。この世で最も美しい音楽のひとつが、この曲。人生というのは最悪の暗闇の中で、ひとすじの光を探る過程の連続。だからといって、やってられねえよ!とサジを投げてはいけません。あなたが知らない奇跡の如き美しい、言葉をなくすほどのただただ美しい美しい光のドラマに満ちているのが、この世の本当の実像なのですから。
2014.07.19
仕事帰りに、桜が咲いている風景に出会い、思わず車を止めて写真を撮りました。なんて素敵な風景・・・心があらわれるようでした。こういう美しい風景に出会うと、この世でもっとも大切なものって一体何だろうか?と、つい自問してしまいます。そして、自分は果たして、そのような大事なものを日々、自分の心の中で咲かせているだろうか?と。ほんとうに大事な何かを枯れさせてはいないだろうか?と。こういう自問の時間というのは、人にとって、ふと忘れた頃に必要となるものなのかもしれません。
2014.04.16
最近、夜の睡眠中に見る夢から、日常を根底から変えるような大きな示唆が運ばれてくることが少なくありません。これはとても説明が難しいです。歯がゆいほど、自分でもまるで理解ができていない。おぼろげな像を見つめながら、そうしたイメージが喚起させてくる何かの意味を蜃気楼みたいな暗中模索の中で掴み取ろうとしているものの、まるで正確な焦点が帯びてこないのだけれど、それでも、たぶん、きっと自分は自分でもきちんと測定できないほど微小の穂の種を内に日々撒き続けているような自負は、薄明だけれど、一歩一歩、すこしだけ見えてきている実感としてある。自分で言うのも、なんだかおこがましいが、悪夢のような人生を、これまで長い間、もがきながら、前に進んできた自負がある。自分で自分の目を覆いたくなる殺伐な日々の中、何の因果か僅かに見えた光の後姿を追いかけ、虚ろな空間を美しい光で彩ることを夢想しながら、絶えずパーフェクトな力を出し切ってきたわけではないが(これは生まれついてのバカだからだ)、バカなりに半分くらいは真剣に生きてきた。たぶん。そんなこんなな毎日を過ごしているさなか、ギリギリの感覚の綱渡りみたいな日常で、今夜、ふと、次の言葉が心に浮きあがった。-----美しい光を自分に足してゆく、未来へ歩いてゆく-----心に、こうした言葉が浮かんだ後、涙が溢れて止まらなくなった。なぜ?なぜかって・・・それは説明は難しいです。とゆうか人生、難しい現実に、どれだけ意思を込めて前向きに向き合うことが出きるかで決まるような気がします。光をつかむことも、また然りでしょう。
2014.04.11
なぜか詳しいことはわからずとも、このような示唆が湧き出ていたことには何らかの意味があるのでしょう。2013年の年の瀬、近い未来へと願いを託す際に浮かび上がったイメージ。それは、ルノワールの光でした。http://item.rakuten.co.jp/prettyw/a00005133bl/ここ数日間において、上記したようなエトセトラにつながる伏線が多々あり、それは非常に大きな、実に大きな、これまで経験したことのない大きなカルチャーショックとしてのうねりをもたらすものであったことから、うまく言葉に変換できずに歯がゆかったのだけれども、それでも、そうした歯がゆい中、おぼろげなイメージの像へ結びつく何か、そうした何かと確かにつながるものが過去の画家の存在を通じ僅かに見えていました。ひとりは、ルノワール。もうひとりは、モネ。もうひとりがフェルメール。上に記した3人の画家の作品の共通するものは何か?それを詳細に説明する術は私にはないが、半ば強引にも、おぼえおげなキーワードとして浮かんでくるものを挙げるならば、「光」の存在があげられると思う。ただの光ではなく、美しい光、あたたかい光。そんなこんなで、雲をつかむような内容の話で申し訳ありませんが(毎度のことですけど笑)、とにかく、謹賀新年、どうぞ2014年も宜しく御願い致します。
2014.01.01
http://www.youtube.com/watch?v=Qe_-hhIdVK8&list=PLQAlCPCkwcO-K-8Xy1JaDdPdWEd3cJHs6上に紹介した動画は、2008年にネット上に公開されたものである。先ほどYOUTUBEで発見したのだが、5年が経過した現在でも、日本を取り巻く状況は大きく変わってはいないことに気づいて愕然とした。現在、特定秘密保護法をめぐり、民主党や、朝日新聞や毎日新聞や日刊ゲンダイをはじめとする反日メディア各種、そして山本太郎や福島みずほらが半狂乱に絶叫している様相には深く激しく眩暈を覚えるが、とにもかくにも彼らの姿は、日本が抱える国難そのものを正確に映し出しているといえる。
2013.12.06
福島みずほ(特定秘密保護法で最初に捕まる国賊婆)vs 森まさこ http://www.youtube.com/watch?v=jg1HjNaYOJoこの動画に書き込まれているコメントの数々が、実に的を得ていて面白い。福島みずほは逮捕というより死刑がふさわしい、冗談抜きで。地獄行きがこれほどふさわしい人物も珍しいのではないかと思う。それはそうと、先ほどYOUTUBEで、「バカ」という言葉と「左翼」という言葉の間にスペースをあけて検索してみたら、朝日新聞と毎日新聞の名前が並んで出てきて笑ってしまった。
2013.12.05
燃える闘魂で滾れ!!!。今夜の日記は中邑真輔特集でイヤァオ!!
2013.12.03
滾れ!シリーズは、”音楽の発信”のみに限定するべきではないとの想いが沸き起こったのは、次に紹介する凄い動画と対峙したからだ。
2013.12.02
20年も前の話。冬のイギリスを旅していた時、凍えるような寒さと周りに日本人がいないことの孤独もあって心の中が非常に暗くなり、かじかんでいた時のこと。ロンドンの夜を歩いていたら、この歌が耳に入った。Wonderwall はじめて聴く歌だったが、なんて心に強く染み入る歌なんだろうと感動したものだった。当時、この歌がイギリスのみならず世界的に社会現象となるくらい大ヒットする一歩手前の時期、街頭では毎日この歌がラジオかなにかのスピーカーから流れていた。暗闇の中、心に静かに炎が滾るような気がして癒されたことを昨日のことのように思い出す。
2013.12.01
新日本プロレスが誇る代表選手の中邑真輔が全国的に流行させた言葉が、「滾る!」燃え滾るの、滾る。先日に死去したルー・リードの生涯を、ここ数日間考えてきて、実に様々な想いが去来したのだが、いろんな難しい事柄は置いといて、ほんとうに大事な何かだけを抽出せんと努めていたら、ふと、次のテーマで日記に機関銃のごとく連射したい衝動に駆られた。---人類史上、ロックで世界を滾らせた最重要の存在を10人示せ---このようなテーマで日記を連射し己の魂を滾らせないと、自分自身のみならず、ルー・リードの魂に加え何か巨大な何かが決定的に救われない気がするし、誇大な考えかもしれないが地球規模で扉が未来へ向けて開くこともない気がする。ということで、滾る音楽日記シリーズの第一弾として挙げるのは、この曲。
2013.11.30
人が生きる限り、希望と悩みは共に表裏一体、常にワンセットでつきまとう。「悩みは尽きない、人間だもの」相田みつをさんの詩の一節を引用するまでもなく、これは永遠の真実であると思う。人間だもの。人と人の間を生きる私たちに、悩みが尽きることがないのは当たり前のこと。なぜなら、人と人が無数に共鳴しあう世界というのは、摩擦も激しいが、それに比例するように、そこで生まれる光も輝度が眩いのだから、そうした輝度を根底から支える悩みなり苦悩なりが泉のように枯れず尽きることがないのは当然のことなのだ。私たちの人生というのは、実に矛盾に満ちている。プラスとマイナスの軋轢が齎すエネルギー、火花散る地球は乾電池そのものといえる。さて。子供の頃には、想像もつかなかった・・・世界が、こんなにも残酷で、食うか食われるかの冷淡さに満ちた弱肉強食のものであるかなんて・・・・・子供の頃は、多くの人間がそうであるように親から守られていたから、思いもよらなかった。冷淡な世界。弱肉強食の世界。そこに救いは存在するのか。出口の見えない漆黒のトンネルの中で、私たちは光を見つけることは出来るのか。そもそも、私たちの人生に出口は存在するのか?。結論から言えば、「存在する」。そのような確信を得ることが出来るのは、なぜか?。希望が、光が「存在する」ということを、どのように証明するか、というギリギリの探求を、己の人生を併せて、なぞるように彫刻してゆくことで姿を浮かび上がらせてゆく努力こそが乾電池内部の軋轢が生じる光の可能性と断言して憚ることは全くないと確信的に一切の迷いもないまま、ほぼ本能が導くまま、永劫回帰、宇宙の真理として心の中心に位置づけずにはいられないからである。人生に甘美さを齎す蜜の味が、甘いだけの人生から生まれることは絶対にない。日本が世界に誇る最良の林檎が、冬の厳しさの激しい青森の大地から生まれることを想像すれば容易に理解できるはずだ。
2013.11.28
何十年も前に流行した歌謡曲でフォークソングの代表的な作品に「たどりついたらいつも雨降り」というタイトルの歌がある。これは自分自身、物心ついた時から、なにか他人事のように思えない歌だと感じる時間が非常に長く多い日々を20代30代と過ごしてきたわけだが、今、己の過去を振り返りながら、反省と自戒を込めつつ思う、フォークとかロックとか流行の歌謡曲とかに軸足を取られ心動かされていた自分は、あまりにも幼く稚拙であったと。先日、書店で立ち読みをしていて、ルー・リードというアメリカの音楽家が死去したことを知って驚きながら、ここ数日間、様々な想いが去来し複雑な心境でいた。高校生の頃から30代の後半まで、好き嫌いとかいう問題とは微妙に異なる感覚の中で、非常に説明が難しいのだが何の因果か聴き続けてきた音楽家の中のひとり、それが、ルー・リードだった。しかし、そのような何十年も聴き続けていた音楽家だからといって、一度だけ握手してもらったことがある憧れの存在の悲報に接しても、別に哀しくはなってこない。こういう感覚って我ながら軽薄かもしれないなあとは少し思うけれど、だから何なのだ?「ああルーリードよ、あなたが死んで私は悲しみに満ちて毎日涙を流しています」と瞼を腫らしながら天を仰げばいいのか?・・・・・いやいや、そっちのほうが軽薄だと思う、無知という点で。少なくとも私は泣いたりしない。私たちの人生は、終わりのない旅であると思っている。険しい岩の中で闇に包まれトンネルを掘りながら進むことの繰り返しと、ちょっとずつ光が見えてきた感動の狭間で揺れ動くのことの繰り返しが私たちの人生の正しい様相だとすれば、どれだけ冷静に計画的に悪戯に心を掻き乱さずに少しずつ少しずつ一歩一歩己を大事にしながら同時に他者を労わりながら前に進むことができるか?に、本当の賢者の存在価値、翻って人間存在の可能性に宿る光の意義が浮かんでくるのではないだろうかとマジでこの年齢になってくると思わずにいられなくなってくるからだ。そんなふうに思えると、私たちが生きる、この永遠の旅が、単に苦痛に満ちた地獄の裁きとして在るのではなく、実は途方もなく美しい存在へと上昇してゆくためにプレゼントされた美しい舞台であるのかもしれないと嬉しくもなってくるような気がするのだが、ルー・リードよ、あなたはどう思うか?と無言のうちに空に向かって問いかけたら、幻が私にこう語ったような錯覚に陥った。錯覚の中で、ルーリードは私に、こう告げた。「おそらく、君のいうとおりだよ」そして、ほんの少し、微笑しながら、付け加えた。「君のいうことは真実だ。しかし、忘れてはならないことがある。真実を体言することは人間にはできない。人間に出来ることは、この地球上でのたうちまわりながら、わずかに見える光に感謝することだけだ」ルーリードにとって、私は、インナーチャイルドである。私にとって、ルーリードは、険しい旅路を歩んだ先人である。ロックという惨めで哀れで稚拙な精神構造を持て余した餓鬼達が蠢くどうしようもないカオス、それは私自身の愚かな、いや、私の等身大そのものかもしれないカオスそのものの鏡を生きた先人として。さて今回の日記のBGMとして、Coney Island Baby のYOUTUBE映像のリンクを貼ろうかと考えたのだが、やっぱ、やめとく。底なし沼に戻ってどうするんだ?!と思うから。あえて、次のふたつの相反する要素の曲を、祝福と鎮魂の念を同時に捧げるべくリンクを貼ることにする。ロックスターが死去したことで強く心動かされたことは過去に2度ある。1度目は小学生の頃に経験したジョンレノンの悲報。二度目は三十代に経験したシド・バレットの悲報。シドバレットの悲報に接した時は激しく動揺したものだったが、今回のルーリードの場合はちょっと違った、じわじわときた。これまで体験したことがないくらい、じわじわと、きた。また機会があれば、似たようなテーマで文章を紡ぎたく思う次第だけど、このような日記は当分、書かずに済めばいいかなあとも思う次第。
2013.11.18
ふりかえれば、ここ数年にわたる自分自身の課題が、---身も心も擦り減らし磨耗を重ねることの連続から抜け出す--- であった。あれから何年もたち、いま、ようやく、忘れた頃になって、ふと数年前に掲げた目標を達成出来ているような感慨を少し持ち得ている自分に今夜気づいた。すごく嬉しい。ひとつの、わかりやすいほどにわかりやすい課題を達成するために、たったそれだけのために、数年が費やされる。---シンプルな事象を構成しているものが如何に複雑系に極まっているのか---。こういった事柄に自覚的になる機会を得たことは、幸運だったと思う。数年前の自分、当時は哀れなくらい大変だったけれど、後になって思えば少しばかりでも人生の幸へ、リアルに開眼させられたから、なんとか僅かながら成長できたことにありがたく思う。さて。では、どうして自分は数年前の哀れな自分を、現在において克服することが出来たのか?。それは・・・って、これは何気に複雑な話になるわけで。簡単なことを説明するために、ぜんぜん簡単じゃないケミカルな数式を必要とするほど複雑な構成のバックアップが前提となってくる。って、それくらい複雑で大変なことなんだ・・・・・シンプルで美しい人生のレールを心の中に想い描き、それを実際の人生=激流の只中において具現化しようと奮闘する日々の中、淘汰されず強く生きるってことは。というような上記のエトセトラを理解できてきたからに他ならないのでしょう。成長というのは、そういうことを指して言う。日々、こんな風に、稚拙で独善に満ちたブログ日記文章を綴ることによって自分自身を鼓舞しているが、このような行為は意味不明で無駄なことでは決してないと考えたい自分がいる。日々、大小さまざまな決意を行う人間が見据える未来へのベクトルは脆弱ではない。かつて、とても弱かった自分が、いつしか強い自分へ変わることを願う・・・・・そうした想いに宿る人生の本質。そうした人生の本質が照らす真実の光。人生はとてもハードだ。だけど、美しい虹が、忘れた頃に見えてくることがあるから耐えられる。
2013.11.02
それは日々、全力で ”生きる” こと。漠然とした表現と捉えられるかもしれないが、そんなことはない。結論から言えば、己の命を鍛えることと他者の命を守ることはイコールで結ばれている。一寸の狂いもなく同義語といえる。ただ、それだけのことである。プラスとマイナスの関係性が織り成す、おそらく究極のこの世の真実がそこにある。すごく難しいことだけれど、すごく誤解を受けそうなことだけれど、敢えて言えば、この世で、この地球上で生きることの幸を己に発芽させたいのなら、苦しみの只中を覚悟し受け入れ真摯に前進するしか術はない。天国の扉を叩くのは、最後の最後に眩い光が訪れる瞬間、その一瞬だけでいい・・・・・、そんな決意を内に刻むことが出来た者だけに与えられる御褒美のようなものだと認識できてナンボのものくらいの自負を強く内に掲げないと誰も彼も例外なく次のステージに立つことは出来ないし、美しい天使から愛され守られることはまずない。安らぎを得たいがために安らぎに埋没する者には、非常に矛盾するようだけれど、決して安らぎは訪れてはくれないのだ。
2013.11.01
本来、絶望は存在しない。誤った試みを妄信・奮闘する人が、時折、存在するだけである。愛と光と微笑みのベクトルに満ちているのが私たちの世界であるとの認識を正しく持ち得続けた者だけが、次のステージに移ることができることを忘れてはならない。日々、暗闇の中、激しい雨の中を、黙々と前進していると、ふと忘れたころに、天上から声なき声が聞こえてくるような気がして、少しだけ救われた感覚と祝福の光に触れた感慨にふんわりとつつまれることがある。それはある意味、私たちが日々生きるプラスマイナスがMAXに均衡を保つ紙一重の瞬間の只中を、混沌という名の川の渦中を、その激流に耐えながら生きている途中に姿を現した砂漠の蜃気楼のような、うたかたの希望そのものといえる。では、その心の砂漠に姿を現す蜃気楼・うたかたの希望とは何だろう?そうした何かを模索することでもたらされる幸は実のところ、計り知れない。混沌の渦・底なし沼に囚われたくないのなら、人生における幸の真髄を探す旅のレールを踏み外してはならない。光を探す者には、光の神からの視線が後追いしてくださる。愛と光に、あなた自身を重ね合わせる強い意思を、あなたが内に宿したなら、あなたは全世界から愛される。必ず、宇宙的規模の何かが、あなたを守ってくれる。
2013.10.24
川で泳いだことがありますか?。水の流れは表層的に見れば、とても美しく安らぎをおぼえます。しかし、実際に目の前で流れている川に、一歩でも足を踏み入れたなら、心の風景が一変し、身の危険を感じ激しく動揺することでしょう。こうしたことは、誰にとっても例外なく普遍的事柄のように思います。混沌と共に未来へ流れる才覚、あるいは、流れそのものと一体になり混沌を動かす力。そうした力を磨くことが、人間にとっての社会的な仕事の本質なのだということを、痛みに耐えながら噛み締めるように受け入れることの繰り返しの過程に己の進化への道程を夢見続ける・・・・・それが、生きるということなのではないだろうか?。たぶん、そういうこと逃げちゃ、いけない。自分でやらなきゃ、自分を信じなきゃ、川の流れに乗ることはできない。力強く生きる、ということは、きっとそういうことなのではないだろうかと、無言のうちに、ただひたすら自問自答を仕事の合間の僅かな時間の波間に何度も繰り返した。そうすることで、すこしずつ光が見えてきた・・・今日は、そんな一日でした。毎日、頭上には青空が広がっているのだけれど、何の因果か自分には日々絶えず激しい雨が降り注ぐ。川を泳ぐということは、そういうこと。社会も、人の生も、同じ。そうした流れの渦中で、力をつけるということが、生きるということの本質なのだから、とにかく、前に進め、強く生きよと自分を鼓舞することで、心の中心に炎を作り出し、明日もその炎を消さないよう努める。少しずつ、少しずつではあるが、私は混沌に負けず、混沌そのものの中に在り、混沌を動かす力を駆使することができる未来に自分は近づいているということを信じ、そうした未来を常に念頭に置いている限り人生から脱線することはないはずだとの想いを強く心の焦点に定めている。
2013.08.28
たった2日かそこらで再生回数が70万を突破したって、いったいどういうこと?!!。良くも悪くも、参院選後にもっとも人々の注目を一身に浴びた動画がこれ。この動画を機に 「池上彰氏を見直した」 という意見がネット上で急速に広まっているらしい。参院選の真っ只中にYOUTUBEにて幸福実現党のCMがバンバン流れていたときにも腕を組みながら考え込んだものでしたが、---政教分離に関するエトセトラは、山本太郎の存在以上に現在日本が抱える深過ぎる闇を象徴している---そのように思えてならないわけです。私だけでなく、沢山の人々が同じように感じていることの証明が、今回のYOUTUBEにおけるジェットコースター並の再生回数の急激な上昇としてあらわれていると思うのは間違いでしょうか。
2013.07.24
こんなにも大きな感動と安堵の想いで心がいっぱいになったのは一体何年ぶりだろう。奇跡の逆転劇!。ほんとうすごく感動しました。詳しい話は、次に貼るリンク・アドレスをコピベして奇跡のドラマを体感してほしいと思います。日本全国から歓喜の雄たけびが夏の花火祭りのように盛大にフィーバーしています。http://geitsuboo.blog.fc2.com/blog-entry-4777.htmlhttp://alfalfalfa.com/archives/6677886.html
2013.07.22
大阪出身で、現在は仙台に住んでいる歌手のティーナ・カリーナさんの直筆サインを、昨日、本人からいただきました。感謝感激!なんか信じられないくらい嬉しい!!偶然にも誕生日の前日だったので、一足早く誕生日プレゼントをもらえた気分でした。って、どういうことかというと?説明します。昨日にTBC放送主催の夏祭り音楽イヴェントへ出かけたんです。ティーナ・カリーナさんのコンサートを目当てに。そうしたらティーナ・カリーナさん、阪神タイガースのテーマ曲みたいな音楽とともにステージに登場!、手に持ったバットで直筆のサイン入りボールを打った! AND 何の因果か目の前に映画のワンシーンみたいにそのボールが飛んできて普通にチャッチ(笑)。それが、このボールです♪ 笑 ^-^ティーナ・カリーナさん、めちゃめちゃ面白かったです。関西では日常的に笑いが取れないと市民権を剥奪されるという話を聞いたことがあるんですけど、なるほど、そうした厳しい環境(笑)で鍛えられた笑いのセンスは半端じゃないと思いました。「ティーナ・カリーナなんてアホな名前名乗ってますけど、これ本名じゃないんですよ。田中里奈(たなか りな)、タナカ・リナ、タナカ・リーナ、ティーナ・カリーナ・・・生粋の日本人です(笑)」そんな内容の話で、芸名の由来のエピソードを披露し、会場の爆笑を誘いました。あかんティーナ・カリーナ(TIINA KARIINA)楽天ブックスで詳細を見る
2013.07.21
ただ、その至福を受け取ることを可能とする代償というのが、自分のような凡人には無視できません。掛け値なく至福の命そのものとして生きることができるのなら、なにもいうことがないでしょう。しかし、私たちの人生には何の因果か、苦しみが伴う。求める愛の輝度に比例するように。さて下に紹介する動画は、6月に仙台で出会った貴重なるコンサート映像です。歌の内容を聴きながら、噛み締めるように深く強く共感できると感じずにいられなかったヒトコマ。歌詞がとても素晴らしく、旋律もまた、神聖なほど、すばらしい。the voice of LOVE 『最愛』
2013.07.05
本当の成長とは、激しい混乱の渦中で厳しく研磨されることでしか、もたらされることはない。ということが、日々、痛いほど理解できてくる日々を送っている私は、たぶん、それなりに成長を重ねているのだと思う。さて、6月になってから、仕事が多忙を極め、それに伴い自分自身の内なる混沌も激しさが増していました。ここ数週間、ストレスに心身ともに蝕まれ、精神状態がけっこう崖っぷちだったりもしたんですが、今夜ふと、思いがけず、光の矢が降りてきました。どういうこと?。何の因果か、次の言葉が心に浮かんできたからです。「青い鳥は、自分自身だったんだ」やっと、気づいた。ありがとう。痛い想いばかりの人生だったけど、このことに気づくために用意された場所に自分がこれまで生かされてきたのだなあと腑に落ちた次第。
2013.06.21
大阪の橋下市長のことを過大に評価していないので、彼を擁護したいとは思いません。しかし、現在日本を賑わしている悪質な報道の洪水に目をやるたびに、「めちゃくちゃなことが起こっている」と嘆きたくなることも事実なわけです。橋下徹と維新の会。彼らこそが、今回の騒動を起こした犯人であり、裁かれるべき対象なのでしょうか?。そんなわけ、ないだろう、ふざけるな。幼稚園児だってそういうに違いない。では、問題の本質、諸悪の根源はいったい、どこにあるのでしょう?。---大東亜戦争直後の東京裁判史観を軸とした、現在の世界各国の立ち位置・利権をめぐる強欲な争い---上に太文字で記した歴史に関するエトセトラが理解できていないと、ことの本質は何も見えてきません。すごく難しいですよ。この、実に厄介な ”騙しの包囲網” を読み解くのは。しかし、そうした難しい国の様相に隠れた真実を読み解くことができなければ、私たち日本人に未来はないことも、また事実なのであります。ハッキリいいましょう。現在、橋下徹が抱える苦悩は、私たち日本人皆が抱える苦悩そのものであると・・・・・いやがおうなしに。橋下発言の波紋収まらずhttp://news.infoseek.co.jp/article/01fujizak20130601009
2013.06.01
下の写真の女性議員たちの顔ぶれを見て、もし彼女たちが「正義の味方」のようだと感じるのであれば、あなたの脳内は完全に底なし沼に等しく腐朽しています。女性6議員「橋下氏辞めるべき」 外国特派員協会で会見http://news.infoseek.co.jp/article/asahi_TKY201305280399これら6人のバカタレどもの正体を知らない人がいるのなら、それぞれの名前を、YOUTUBEの検索欄に入力してみればよい。あっと驚く!!事態に遭遇して言葉を失うこと必至です。これらの6人に岡崎トミコを加えれば国難セブンスター(笑)、民主党のレンポウを加えれば更に面白いメンツとなるかもしれません。ってゆうか、特に危険なのが民主党の辻元清美と社民党の福島瑞穂でしょうか。こいつらが死刑にならないこと自体が世界の七不思議のひとつといって過言でないわけですよ、マジで。まあ死刑は難しいとしても国家かく乱罪に問われ求刑300年とか最低限当然だと思いますし、こういう輩が刑務所に入らず、シャバでのうのうとしていられる現在日本という国は本当に狂気の沙汰だと考えるのが、まっとうな人間の感性です。
2013.05.28
数週間前の日記で話題にした神動画が再アップされた模様です。一切の誇張抜きにいいます、この動画は私がこれまでYOUTUBEで見た時事問題に関する数々の名作動画の中でも、群を抜いてもっともすごい動画であると。断言します。朝日新聞や民主党をはじめとする様々な反日団体からの圧力を受け、再び消えてしまうことがあるかもしれませんので、この機会にぜひ是非!閲覧をしておきましょう。 世界を見る視点が360度変わること必至、歴史の真実に出会えます。それと、こちらの動画もお勧めです。すずめ祭り大好きです!!!。
2013.05.25
全722件 (722件中 1-50件目)