撮影日記 0
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485系1500番台:特急「ひばり」上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。主に485系仙台車が使用車両となりますが、仙台車に混じって青森運転所の車両も多く運用されていました。北海道に781系が登場し、その任を解かれた485系1500番台が青森運転所に集中配置されたため、4つ目のクハ485-1500も「ひばり」に使用されるようになりました。昭和56年 上野駅にて と583系「はつかり」と並ぶクハ481-1500「ひばり」上野駅での1コマ。東北・上越新幹線が開業するまで、極日常的な風景でした。昭和57年5月頃 300番台だとばかり思っていた写真なのですが、良く見たら北海道用の1500番台でした。蕨駅の貨物取扱いも健在で、田端~川口間の折り返し中継となる蕨駅では、DD13や旧型電機日常的に見ることができました。1500番台が青森へやって来たのが昭和55年半ばですから、「ひばり」に充当されたのは実質僅か2年程と言うことになります。本数はそれなりにあった筈ですが、ただでさえ運用の長い青森運転所の車両であり、出逢う確率はかなり少なかったようです。98795 国鉄 485-1500系特急電車(はつかり)基本セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》【予約 2022年9月予定】 Nゲージ TOMIX No:98796 485-1500系特急電車(はつかり)増結セット(3両)
2022.09.22
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183系1000番台:特急「あまぎ」全国で唯一の157系を使用していた定期特急「あまぎ」でしたが、1段下降窓からなる雨による腐食が激しく、新製当初のデザインの良さが仇となって、引退を早めてしまいました。昭和51年のことでした。ちょうどその頃、耐寒・耐雪装備を施し上越線で使用実績を挙げていた183系1000番台が増備に次ぐ増備で増殖し始め、ついにはこの157系を引退に追い遣ることになりました。183系1000番台となった「あまぎ」は、定期2往復、季節・臨時2往復の計4往復体制を堅持していましたが、老朽化した153系「伊豆」の置換えを念頭に誕生した当時斬新なデザインの185系導入とともに、急行「伊豆」を全部格上げして特急大増発への道を歩むことになります。しかし、ここで疑問となったのが愛称名。「あまぎ」をそのまま引き継ぐこと無く、「踊り子」という名前が採用されることになりました。「伊豆の踊り子」と言ってしまえば誰もが頭に浮かぶ単純明快な語呂ですが、当時特急の愛称にそのような発想で付ける例は無く、非常に違和感を覚えました。「しおさい(潮騒)」に次ぐ百恵ちゃんシリーズ第2弾といった感じで、なんか拍子抜けな感じがした記憶があります。そんなわけで、157系を追い遣った憎き183系ではありますが、157系を押えられなかった悔しさもあり、伝統ある特急「あまぎ」を撮影したわけです。昭和51年 東京駅11番機回し線にて 文字マーク時代の「あまぎ」まだ183系が導入されたばかりの頃ですね。中1の年齢でカメラも使いづらいオートハーフ。当時はこんな写真でもブレていないだけマシな方でした。この頃、9・10番線は主に横須賀線に使用されていました。昭和54年頃 東京駅11番機回し線にて イラストマークとなった「あまぎ」53・10改正より「あまぎ」もイラストマークになっています。ブルトレの撮影の際についでに撮ったもので、157系でなくなってしまってからはまず撮る気になれない列車でした。昭和56年5月頃 戸塚~保土ヶ谷間にてこれは、東戸塚駅の戸塚寄りの線路脇から撮影したものです。現在では駅周辺環境もかなり変わってしまいましたので、同じように撮影できるかどうか分かりません。このときは、「あまぎ」を撮影するというより185系に置換えが始まった153系を中心に撮影するつもりで立ち寄りました。現実にはEF58などを撮っていたような気がしますが・・・。昭和56年9月頃 品川駅にて (2枚とも)185系が昭和56年前半に誕生し、153系急行「伊豆」や間合いの普通列車に使用されるようになり、増備の完了を待って「踊り子」に移行することが発表されました。それでようやく重い腰を上げて「あまぎ」を撮影するようになりました。昭和56年9月28日 東海道本線 戸塚~保土ヶ谷間にて(2枚とも)「踊り子」号への以降直前、この「あまぎ」の撮影をメインとした初めての撮影。このときは結構気合いが入っていた覚えがあります。高校3年の頃で、機材も充実し、腕もかなり上がってきた頃なので、手応えを感じながら撮影したものでした。先々週も撮影に訪れた同区間。基本的な景色は変わりませんが、余分なものが映らずスッキリしていて好感のもてる画です。周りのビルやマンション、保安設備に至るまで、現在では鬱陶しくなってしまいました。この後、計画通り急行「伊豆」は185系化のうえ特急列車に格上げとなり、特急「あまぎ」の愛称は消滅してしまいました。183系1000番台は、しばらくの間「踊り子」として活躍していましたが、後に新幹線上野開業に伴い運転解除された新幹線リレー号から185系200番台が流入し、長野など本来活躍すべき地域へと旅立っていきました。
2022.09.15
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485系 ボンネット型:特急「やまばと」「やまばと」は、上野~山形間を結んでいた特急列車です。登場当初はキハ82系が使用され、上野~会津若松間を結ぶ編成を併結していました、電化の進捗とともに会津編成は独立して特急「あいづ」となり、上野~山形間が「やまばと」として存続しています。電化後、しばらくは仙台運転所持ちの485系が使用されており、クロ481を含む12連でしたが、昭和50年頃からクロ481の撤退が始まり、サロの組み込みとともに貫通型や非貫通型が使用されるようになっています。また、一部には青森運転所持ちの編成も運用に入っています。クロ481はもちろんですが、仙台持ちの車両は仙台方にボンネット型を組成したものが多くあったため、日常的にボンネット型の「やまばと」も多く見られました。53・10改正からは「つばさ」とともに運用が秋田運転所持ちとなり、すべて1000番台による運用となります。そのため、ボンネット型のイラストマークは誕生することはありませんでした。また、53・10改正からは「つばさ」とともに運用が秋田運転所持ちとなり、すべて1000番台による運用となりました。昭和48年頃 蕨~西川口間にて クロ481 ※トリミング処理483系登場当初は、481系と同様にタイフォンがスカート部に取り付けられていました。そして、東北特急にはクロ481が登場し、上野方に連結されるようになり、「やまばと」は12連になってもこのような編成が見られました。しかし、東北地方を走行するためにスカート部への雪の付着が問題となり、タイフォンのボディー側への移設工事が行われます。その後の増備車は全てボディー部への取り付けとなって新製されています。この写真を撮った頃には既にボディー側にタイフォンを設置された車両を見た記憶がありますので、写真の旧タイプも最期の頃であったと推測されます。昭和51年頃 上野駅にて クハ481この頃は既にタイフォンの移設工事も終っており、前出のような旧タイプの車両を見ることはありませんでした。仙台運転所持ちの仙台方はボンネット型のクハ481が多く見られました。昭和52年頃 大宮駅にて クハ481陽の向きと座席の向きから見て、午後の上り「やまばと」でしょうか。この頃から既にボンネット車が好きだったようで、クロの外れた上野方の車両は撮らず、仙台方のボンネット車ばかり撮っていたようです。昭和52年頃 大宮駅にて クハ481この列車も、陽の加減の感じからして上の写真と同じ運用のようですね。プリントすると先頭が切れてしまうほどギリギリのフレーミングなので、プリントにしていなかったようです。昭和52年頃 上野駅にて上野駅地平ホームでの1コマ。16番線にクハ481-200番台の「ひばり」。そして、15番線にはボンネット型の「やまばと」が停車しています。東北・上越新幹線の開業前、上野駅の特急黄金時代とも言える頃ですね。「やまばと」は昭和53年10月のダイヤ改正から秋田運転所持ちとなってしまった関係ですべて1000番台に移行、ボンネット型が使用されることが無くなってしまい、魅力が大幅にダウンしてしまいました。当時から3往復しかなく、やや地味な存在であった気がしますが、東北ボンネット車としては唯一残っていた4文字列車でもあり、トータルバランスの整った列車として思い出深い特急です。485系 貫通型・非貫通型:特急「やまばと」485系:団体列車「特急やまばと」-101527 485系初期形 6両基本セット[KATO]【送料無料】《01月予約》送料無料◆10-1527 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット送料無料◆セット販売 10-1527/10-1129/10-1130/4556/4570 KATO カトー 485系初期形 6両基本セット+後期形 2両増結セット+初期形 2両増結セット+サハ481 初期形+サロ481 後期形 Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】
2022.09.13
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2009年夏臨185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。平成20年夏に「新宿あがつま草津」として再スタートを切り、同年の秋臨、平成21年度も初冬~春臨と多く設定されました。今回は、平成21年夏臨の記録です。平成21年9月20日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成21年9月20日 185系 上り「新宿あがつま草津」平成21年9月20日 入庫回送平成21年9月21日 送り込み回送平成21年9月21日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成21年9月23日 185系 返却回送下り 9月19~22日上り 9月20~23日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:40 ~ 新 宿 15:55使用車両 185系7連マーク 専用ステッカー式掲示季節的には秋臨となる筈ですが夏臨として発表されています。祝日法改正以来初の5連休となるシルバーウィーク期間中に上下列車とも設定された関係もあるかもしれません。連日運用ということもあり、専用のステッカー式ヘッドマークが復活しています。だるまるは相変わらず逃走中?その後、平成22年冬~春休みの間、まったく同列車の設定が無くなり、「新宿あがつま草津」の運転は終焉を迎えてしまうことになります。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2009年初冬~春臨特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬送料無料◆10-1764 KATO カトー クモハ52 (1次車) 飯田線 4両セット Nゲージ 鉄道模型 【12月予約】10-1764 クモハ52(1次車) 飯田線 4両セット[KATO]《12月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1764 クモハ52(1次車) 飯田線 4両セット【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1288 クモハ52-004 + クモハ54-100 飯田線 4両セット 【A】
2022.09.11
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2009年初冬~春臨185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。平成20年夏に「新宿あがつま草津」として再スタートを切り、同年の秋臨でも再び設定されました。今回は、平成21年初冬臨の記録です。平成21年2月14日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成21年2月1日 183系OM101編成 下り「新宿あがつま草津」下り 1月31日・2月 7・14・21・28日・3月 7・14・20・21・28日上り 2月 1・ 8・15・22日・3月 1・ 8・15・22・29日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:40 ~ 新 宿 15:55使用車両 185系7連(運転日赤字のみ183系充当)マーク 専用ヘッドマークは作成されず、185系は定期「草津」、183系は臨時用 「草津」を掲示。今シーズンは、初冬臨~春臨まで2ヶ月にも及ぶ長期間運転となりました。そのためか、専用のヘッドマークが用意されなくなり、185系については定期「草津」、183系については臨時用「草津」の常備マークの掲出となりました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.09
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。平成20年夏に「新宿あがつま草津」として再スタートを切り、同年の秋臨でも再び設定されました。今回は、平成20年秋臨の記録です。平成20年11月1日 185系 下り「新宿あがつま草津」平成20年11月3日 大宮駅にて 183系 上り「新宿あがつま草津」送り込み回送平成20年11月9日 183系 上り「新宿あがつま草津」下り 11月 1・ 2・ 8・22・23・29日上り 11月 3・ 9・16・24・30日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:40 ~ 新 宿 15:55使用車両 185系7連(運転日赤字のみ183系充当)マーク 183系のみ専用ステッカー式掲示、185系は定期「草津」のヘッドマークを使用。8月中の毎週土曜日下りと日曜日上りという週末パターン運転で設定されました。前シーズンまでは折り返しが利かないダイヤでしたが、今回は折り返し可能な時刻になっています。しかし、土曜日の下りと日曜日の上りで片道設定となったため、あまり意味はありませんでした。185系200番台では専用のヘッドマークが用意されず、定期列車のものが使用されたため、殆ど写真は撮りませんでした。逆に、今回初登場となった183系では専用マークが用意され、横サボもステッカー式のものが掲示されました。ヘッドマークは山が緑色の夏仕様に。さらに「新宿」がデザインされています。だるまるが戻ってきました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.08
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)平成19年の秋臨で初めて設定され、平成20年初冬臨まで2シーズンにわたって運転された「あがつま草津」ですが、平成20年の春は設定無し、同夏シーズンに再び姿を現します。運転形態は全く同じでしたが、名称が「新宿あがつま草津」と、「新宿」の名が冠されることになりました。今回は、平成20年夏臨の記録です。平成20年8月23日 下り「新宿あがつま草津」送り込み回送平成20年8月23日 下り「新宿あがつま草津」平成20年8月31日 185系 上り「新宿あがつま草津」下り 8月 2・ 9・16・23・30日上り 8月 3・10・17・24・31日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:17 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 12:41 ~ 新 宿 15:55使用車両 全て185系7連マーク 専用ステッカー式掲示8月中の毎週土曜日下りと日曜日上りという週末パターン運転で設定されました。前シーズンまでは折り返しが利かないダイヤでしたが、今回は折り返し可能な時刻になっています。しかし、土曜日の下りと日曜日の上りで片道設定となったため、あまり意味はありませんでした。ヘッドマークは山が緑色の夏仕様に。さらに「新宿」がデザインされています。だるまるが戻ってきました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.07
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特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)「あがつま草津」は、新宿~長野原草津口間に設定された臨時特急列車です。平成19年の秋臨で初めて設定されています。新宿発着となる草津温泉行の特急列車ですが、この後愛称の変化と共に、ステッカー式のヘッドマークが用意されたりされなかったり、シーズンの都度ヘッドマークのデザインが変わったりと複雑な変遷を辿ることになります。今回は初回で、1~2シーズンで運転された特急「あがつま草津」としてのデータをまとめました。まずは平成19年の秋臨です。平成19年11月24日 下り「あがつま草津」下り 11月23・24日上り 11月24・25日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:18 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 11:38 ~ 新 宿 14:55使用車両 全て185系7連マーク 専用ステッカー式掲示初回の運転では、ステッカー式のヘッドマークが用意され、にわかに注目を集めました。続いて平成20年初冬臨です。平成20年2月10日 上り列車の送り込み回送平成20年2月10日 下り「あがつま草津」下り 2月 9・10日上り 2月10・11日運転区間 下り 9003M 新 宿 9:18 ~ 長野原草津口 11:55及び時間 上り 9004M 長野原草津口 11:38 ~ 新 宿 14:55使用車両 全て185系7連マーク 専用ステッカー式掲示翌年の冬臨でも専用のヘッドマークが用意されました。ヘッドマークは前回と同じ配色でしたが、「だるまる」が居なくなってしまいました。この時点では「あがつま草津」を名乗っており、乗車率も良くなさそうでいつまで運転されるか注目していましたが、次のシーズンからは「新宿あがつま草津」に名称が変更されてしまったため、特急「あがつま草津」としてはたった2シーズンのみの運転で終了となりました。特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年秋特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2008年夏特急「新宿あがつま草津」の軌跡:2007年秋・2008年初冬
2022.09.06
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185系:臨時特急「なつかしの新特急なすの」185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)「踊り子」からの撤退が発表され終焉迫る国鉄型185系電車。様々なリバイバル列車が企画されましたが、何故か東北本線の代表新特急であった「なすの」が設定されることはありませんでした。この終焉が間近になって、令和元年に突然臨時列車として「なすの」が設定されました。※撮影は、令和元年5月26日です。185系OM8編成 5006M 「なつかしの新特急なすの」185系OM8編成 回5007M残念ながら「新特急カラー」にはなりませんでしたが、現役当時と同じデザインのヘッドマークシールが前後に用意されました。本来なら下りの送り込み回送を狙って準備を整えていたのですが、気が付いたら9時を回っており、ガッカリな1日でした。全国的に記録的な猛暑となった5月、天気の良い中で回送を含む1往復をカブリなしで記録できたのは幸いでした。
2022.09.04
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157系:特急「白根」吾妻線初の特急列車として運転を開始した特急「白根」。昭和46年4月20日が初日だったそうです。運転開始当初は長野原行きだったようですが、後に万座・鹿沢口まで延長されました。車両は特急「あまぎ」の基本編成と同じ157系7両編成で、グリーン車も2両連結された豪華編成でした。昭和48年頃 西川口~蕨間にて 157系 臨時特急「白根」もしかしたら昭和49年になっているかもしれません。小学4・5年生頃に撮った写真なので、この構図でご勘弁ください。当時はサクラパックの素通しファインダーだったので、こんなのが多くありました。157系は準急用として非冷房で落成したため、1段下降窓となっています。この構造が仇となって車体腐食が激しく、昭和50年には新鋭の183系1000番台に置き換えられることになり、157系での活躍は運転はわずか4年半程度しかありませんでした。しかもオンシーズンの週末のみですから、撮影したくてもなかなか運転日が少なくて、当時小学生だった私には非常に捉え難い列車でした。185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)【中古】(未使用品) KATO カトー Nゲージ 157系 あまぎ 増結 2両セット 10-394 鉄道模型 電車KATO Nゲージ 157系 あまぎ 基本 7両セット 10-393 鉄道模型 電車【中古】【輸入・日本仕様】KATO Nゲージ 157系 お召電車 5両セット 10-456 鉄道模型 電車KATOから発売された157系はまったく再生産がされておらず、中古市場でも目玉が飛び出るほどの値段で売られています。業界TOPのKATOも最近の企画力の無さにはガッカリするばかり。こうした車両の再生産も視野に入れればいいのに・・・と思うのは私だけ?
2022.09.03
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581系・583系:寝台特急「金星」「金星」は、昭和43年10月1日改正から運転を開始した寝台特急で、名古屋~博多間を581・583系で運転されていました。その前身は153系の急行列車で、もちろん運転区間も全く異なる列車でした。寝台特急化当初は、北陸本線富山行きの特急「しらさぎ」とペアで運用されていましたが、「しらさぎ」は53・10ダイヤ改正により485系化されてしまい、その後「金星」は廃止されるまで夜行専用として運用となっておりました。(確か、博多到着後は「有明」に運用されていたと思いました。)名古屋から九州へは、多客期に「金星51・52号」も設定されていましたが、何故かこちらは西鹿児島行きとなっておりました。個人的には、この「金星」が581系で運転されていること、他と違って廃止になるまで名古屋始発を固持していたこと、1往復しか設定されなかったことなどから、特別な思い入れがありました。昭和52年3月30日 名古屋駅にて 上り特急「金星」中学1年生の終わり、友人らと友人の親戚に遊びに行くついでに名古屋に行ったものです。これが、彼との初めての出会いです。写真はクハネ581ですが、タイフォンが開閉式の東北仕様で、誕生当初に「はつかり」「はくつる」に使用されていたものです。53・10改正前ですので、夜行列車らしい文字マークでした。昭和57年10月3日 小郡駅(現新山口駅)にて 下り特急「金星」「金星」廃止の一報が入りました。なかなか利用する機会の無い列車でしたが、当時、山口線の撮影に行くようになっておりましたので、早朝到着の利便性も合わせて考慮し、同列車の乗車を選択しました。結局、これが彼との2度目の出会いであり、最後の別れとなってしまいました。写真は元祖クハネ581。イラストマーク化されております。この写真を撮ってから約1ヵ月後の昭和57年11月14日、ダイヤ改正により廃止されてしまいました。最後に乗車した時の特急券・B寝台券です。この頃は身近なところで西川口駅で硬券が使用されていましたが、殆どが順常備券であったのが残念でした。10-1355 581系 モハネ2両増結セット(再販)[KATO]《03月予約》10-1355 KATO カトー 581系 モハネ 2両増結セット Nゲージ 再生産 鉄道模型 【3月予約】10-1717 581系(スリットタイフォン) 7両基本セット[KATO]【送料無料】《03月予約》送料無料◆10-1717 KATO カトー 581系 (スリットタイフォン) 7両基本セット Nゲージ 鉄道模型 【3月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1717 581系(スリットタイフォン) 7両基本セット
2022.08.31
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185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」平成24年、185系に157系風の塗装を施したOM08編成が出場し、鉄道ファンの注目を集めました。先に登場しました湘南色と同様、イベント用という位置づけではありませんが、あまりのインパクトはその上を行く感じで、しかもそれなりに似合っていることからファンにも歓迎されたようです。この車両を使用し、平成24年3月3日、臨時特急「あまぎ」の送込みを兼ねた高崎~伊豆急下田間運転の臨時特急「上州踊り子」が設定されました。平成24年3月3日 南浦和~蕨間にて 185系OM08編成 臨時特急「上州踊り子」登場したばかりの157系色OM08編成を使用し、草津号50周年記念と同様のスタイルの特製ヘッドマークが取り付けられました。※この当時はスカートが黒色のままであり、その後グレー塗装に変更されました。この列車は、伊豆急下田に到着後翌日にかけて臨時特急「あまぎ」号として運用され、返しは設定されない片道運転となりました。実はこの列車、前年の平成23年3月26日に設定されおり、おそらくは湘南色のOM03編成を使用した臨時列車として運転される計画となっていたようですが、直前の3月11日に東日本大震災が発生したことにより、設定中止となっていたものです。震災によりすべてお蔵入りになってしまったと思っていましたが、1年後に企画が復活したことをうれしく思いました。私自身も楽しみにしていた企画でしたので、震災とともに記憶に残る列車となりました。
2022.08.30
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181系100番台:特急「とき」(その1)E653系 特急とき 運転リバイバルに使用できる国鉄型車両はすっかり引退してなくなり、近年はカラーリングだけの車両を使用した列車が設定されるようになりました。まあ、これも時代の流れで仕方が無いこと。しかし、特急「とき」が485系12両編成により10何往復が設定されていたとか、誤った情報と言うか、知ったか吹聴するのはどうかと憤りを感じたので、今回はリバイバル記事として「181系」を持ってきました。「とき」は、上越線経由新潟行きの初の特急として昭和37年6月10日に誕生しています。折りしも上越線が全線電化されると同時になります。勾配区間の長い上越線を走るため、当時の直流型特急車両である151系に勾配抑速ブレーキを付加した161系が導入されました。しかし、当時から151系の出力不足が課題となっていたため、モーターを大出力のものに取替え、181系へと発展します。また、その後の新製車は181系として製造され、これらは151系からの改造車と区別するため、100番代の区分が与えられます。今回は、昭和52年から昭和56年まで撮影したものと思われるクハ181-100番台の写真をご紹介いたします。昭和52年頃 上野駅にて文字マークの時代。「とき」以外にも「朱鷺」と漢字で表記されているのが特徴のヘッドマークでした。昭和52年頃 西川口~蕨間にて100番台でタイフォンが2つ折シャッター式になっていますが、これはクハ181-100番台最終増備車の-109番だけに見られる特徴だそうです。昭和52年頃 蕨~西川口間にて昭和53年頃 上野駅にて昭和54年頃 上野駅にて特急電車にイラストマークを導入したのが53・10改正で、その後気動車やブルトレなども1年遅れくらいで浸透してきます。ボンネット型は経費の関係でしょうか、なかなかイラスト化されない中で、上越線の「とき」「はくたか」、信越本線の「白山」には昭和54年後半くらいからイラストマークが導入され始めました。昭和55年頃 西川口~蕨間にて昭和55年頃 蕨~西川口間にて昭和55年頃 尾久~赤羽間にて 昭和55年頃 尾久~赤羽間にて昭和55年10月頃 蕨~南浦和間にて昭和56年1月 西川口~蕨間にて昭和56年頃 蕨~西川口間にて昭和56年10月 西川口~蕨間にて昭和56年12月 鶯谷駅にて100番台の台車は485系の台車とほぼ同じものを履いておりますので、形態的には近代化された感じがします。また、先頭車の100番台は、スカートに取り付けられたタイフォンが楕円形をしているので判りやすいと思います。ただ、写真では2枚目と8枚目のクハ181のみが開閉式のタイフォンを装備しており、異彩を放っています。そして、この間に53・10ダイヤ改正を迎え、181系編成の特徴であったモロ181-モロ180のユニットが外され、485系への編入可能なサロが製造されて差し替えられました。これにより車齢の若い100番台のモロユニットがモハに格下げ改造され、編成中間に使用されるようになり、サロの凸凹と小窓のモハが気になる編成となりました。(その2)に続きます。181系100番台「とき・あずさ」 6両増結セット【KATO・10-1148】「鉄道模型 Nゲージ カトー」【沖縄・離島配送不可】Nゲージ 181系 100番台 とき・あずさ 6両増結セット 鉄道模型 電車 カトー KATO 10-1148【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1147 181系100番台「とき・あずさ」6両基本セット 2013年ロット 【A´】 外スリーブ若干の傷み
2022.08.28
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185系:新特急「谷川」185系 新幹線リレー号塗装 復活撮影会(ツアー)・・・だそうです。今までとにかく復活を望んでいたにもかかわらず実現しなかったシチュエーション。ここに来てやっと実現しました。ただ、先が短いのが残念です。昭和57年11月のダイヤ改正において、上越新幹線が大宮暫定開業するとともに、在来線特急である「とき」が全廃となりました。ご存知のとおり、上越新幹線は地形の関係から有名温泉地の入り口となる水上や渋川を経由しない経路となったため、「とき」の廃止により優等列車から孤立した地区になってしまいます。これを補完するために、同区間に設定されていた急行「ゆけむり」を格上げするスタイルで誕生したのが「谷川」です。また、急行時代から「ゆけむり」と併結されていた急行「草津」は、「谷川」と同時に格上げされ、停車駅や所要時間も急行時代とほぼ変わらないまま185系特急として誕生しています。ただし、185系というグレードダウンや所要時間の大幅な短縮など考慮されていないことを意識してか、定期券で乗車することが出来る『新特急』という新しい制度も誕生しています。昭和57年12月 蕨~西川口間にて 185系 下り特急「谷川」「白根」登場間もない頃の「谷川」「白根」の併結列車。185系200番台で急行時代と同様に14両という長大編成を誇っていました。この時点ではまだ特急でした。昭和61年8月17日 渋川~敷島間にて 185系 上り新特急「谷川」昭和60年3月からは新特急となります。定期列車の殆どは相方の「白根」と組んで走っていましたが、新前橋駅における分割併合により身軽な編成となります。 昭和63年5月4日 大宮~宮原間にて 185系 下り新特急「谷川」こちらは高崎線内の併結区間。上信越線の特急と言えば、大宮を出ると高崎まで停まらないのが相場でしたが、大宮を出ると熊谷・深谷・本庄にも停車するようになります。そして、年を追うごとに停車駅は拡大し、その後の「水上」「草津」は上尾・桶川にまで停車するものが出現し、昔の急行以下のグレードとなります。写真は、右側に『鉄道博物館』が出来た辺りの地点を行く同列車。平成2年5月6日 渋川~八木原 上り新特急「谷川」相方「白根」との増解結は、本来の分岐点の渋川駅ではなく新前橋駅で行われるため、新前橋~渋川間は「谷川」「白根」がそれぞれ7両編成となって続行で走ります。この方法は急行時代から行われており、入換え要員や乗務員を電車区のある新前橋に置いたほうが運用が組み易く合理的であったからと思われます。平成2年5月6日 渋川~八木原 下り新特急「谷川」この写真は、上の写真と同箇所で撮ったものです。この時代は、水上方に「谷川」、上野方に「白根」を連結しており、下りは「谷川」→「白根」、上りは「白根」→「谷川」と続行し、「谷川」優先のダイヤが組まれていました。後の「水上」「草津」では、増解結駅の取扱いは従前と同様ですが、編成順序が逆となっており、「草津」が優先されたダイヤに移行されています。平成8年1月14日 沼田辺り? 下り新特急「谷川」新特急「谷川」としては最後に撮影したコマです。撮影した当時はSLばかりで、さらにリバーサルだったので全然気にしていなかったのですが、塗装が「踊り子」になっていました。転属直前くらいだったのでしょうか?余り新特急に目を向けて撮影することはなかったのですが、折りしも復活SLブームで上越線にD51498が走るようになったため、ついで的に「谷川」を撮る機会がありました。誕生当初は車両不足もあり、急行「ゆけむり」「草津」と共に上越線を走っていた時期も存在するという、大宮暫定開業と合わせて暫定的で珍しい体制が採られていました。その後、上越新幹線の停車駅・愛称等の見直しがあり、東京~越後湯沢の相互発着の新幹線に「たにがわ」の愛称を譲ってしまったことにより、「水上」と名称を変えられてしまいました。さらに『新特急』の制度も消え、旧塗装も消え、特急「水上」まで消えてなくなりました。185系:新特急「なすの」185系:アクセス列車「新幹線リレー」団体列車 東北新幹線開業35周年:185系「新幹線リレー号」
2022.08.27
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489系 :特急「そよかぜ」特急「そよかぜ」は、上野~中軽井沢を結ぶ季節列車として長らく設定されていた特急列車です。登場当初は181系でしたが、ほんの一時期に157系を使用したことがあります。また、その後は183系0番台(幕張車)や、189系(長野車)、489系(金沢車)、185系(新前橋車)と、実に多彩な車両が使用されました。季節列車でもあり、また運転区間も短距離でもあったため、絵にしづらい列車でしたが、そのさわやかなネーミングが大好きでした。今回は、489系を使用した「そよかぜ」をご紹介いたします。昭和52年頃 上野駅にて クハ489-600番台 「そよかぜ」「そよかぜ」は、昭和50年以降、どの年代においても489系が使用されることがあり、写真も少ないですが残っています。ただ、489系時代においても殆どボンネット型が使用された例は稀であり、雑誌で見た中でもグレードアップ改造(白山色)後のものしか見たことがありません。昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて クハ489-600番台 「そよかぜ」489系「そよかぜ」の写真は2枚だけしか見つかりませんでした。いずれも489系の貫通型です。489系「そよかぜ」の場合、変運用で間合い対応していたようで、「白山」の折り返しで「そよかぜ」に充てられケースも多々見られたようです。183系幕張車:特急「そよかぜ」
2022.08.25
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183系0番台:特急「わかしお」特急「わかしお」は、昭和47年、東京地下駅の開業と同時に「さざなみ」と共に運転が開始されました。房総特急は、地下区間を走行するため、ATCを搭載した専用形式である183系0番台が用意されました。編成は、サロ1両を含む9両固定編成で、「さざなみ」のほかのちに誕生する「しおさい」「あやめ」にも共通で使用され、幕張電車区に集中配置されていました。運転区間は東京~安房鴨川間の固定であり、一部例外的に八王子や横須賀線直通後に大船への延長があったようです。長らくは錦糸町経由となっていましたが、成田エクスプレス運転開始に伴い京葉線経由へ移行、平成16年に183系が全廃となるまで外房特急として活躍しました。昭和52年 東京駅 地下ホームにてこの頃は、都区内フリー切符を買って首都圏の列車写真を撮りまくっていました。一眼レフを買って、スローシャッターの仕組みが解ってきた頃だと思います。まだ文字マークばかりの時代です。ホームが閑散としているのが寂しい。昭和54年頃 錦糸町駅にて53・10改正を迎え、ヘッドマークがイラスト入りになりました。昭和54年8月 錦糸町駅にて錦糸町駅脇の留置線には、昼寝をする車両が多くありました。今は運用効率が良くなったのか、ここで休む車両も昔に比べると少なくなったように思います。幕張電車区までの入出庫時間の節約か、183系がここで休む姿は珍しくありませんでした。現在は昼間の房総特急が殆ど錦糸町を通らなくなり、ここで特急車両が休む姿を見ることはできなくなりました。特急「わかしお」が当たり前のように総武本線を走っていたという事実も、既に遠い過去の歴史となってしまいました。
2022.08.19
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485系 貫通型・非貫通型:特急「やまばと」「やまばと」は、上野~山形間を結んでいた特急列車です。登場当初はキハ82系が使用され、上野~会津若松間を結ぶ編成を併結していました、電化の進捗とともに会津編成は独立して特急「あいづ」となり、上野~山形間が「やまばと」として存続しています。電化後、しばらくは仙台運転所持ちの485系が使用されており、クロ481を含む12連でしたが、昭和50年頃からクロ481の撤退が始まり、サロの組み込みとともに貫通型や非貫通型が使用されるようになっています。また、一部には青森運転所持ちの編成も運用に入っています。また、53・10改正からは「つばさ」とともに運用が秋田運転所持ちとなり、すべて1000番代による運用となりました。昭和51年頃 上野駅にて クハ481-300番台53・10改正以前の字幕時代です。上野駅15・16番線で並ぶ「やまびこ」と「やまばと」。上野駅黄金時代と言える頃ですね。昼頃から夕方までは、上野発と着の列車が各ホームで交錯し、どこのホームに行っても特急列車が停まっているような状況でした。仙台車のため、連結器カバーが無いのが特徴です。昭和52年 宇都宮駅にて宇都宮駅を通過中の非貫通型「やまばと」。連結器カバーがありますので、青森車の運用のようです。昭和52年1月 大宮駅にて貫通型の「やまばと」です。こちらも連結器カバーが付いていますで青森車と思われます。新幹線高架橋のない大宮駅は、今では想像できないほどスッキリしています。昭和53年9月 蕨駅にて イラストマークが使用されている貫通型の「やまばと」です。53・10ダイヤ改正からは「やまばと」の運用が全面的に秋田運転所へ移管となり、一方、ヘッドマークのイラスト化も同時であったため、本来「やまばと」のイラストマークは1000番台車にしか存在しない筈です。しかし、改正1ヶ月くらい前にはヘッドマーク交換の準備が始まっていたため、わずかな期間ではありましたが、200番台貫通型の「やまばと」にイラストマーク掲示列車が存在しました。画像は悪いですが、そんな貴重な1コマです。昭和56年頃 蕨~西川口間にて53・10改正以降の写真です。秋田運転所持ちとなり、1000番台のみの変化のない編成になってしまいました。それでも食堂車を含む12連は、今から見れば堂々とした特急列車らしい編成です。秋田持ちの485系は、初めからグリーン車が6号車に組成されていました。昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて本数が少なかったこともあり、地方での撮影記録は余りありません。雪景色を行く「やまばと」はこの1枚だけで、私的には貴重な記録です。昭和57年1月4日 東北本線 ???駅にて東北の撮影に行った際、どこかの駅で通過待ちの際に撮影したものですが、どこの駅か全く記憶がありません。パンタが2丁とも上がっていますが、ホームが一部分以外低くなっていますので、交流区間の可能性が高いようです。昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて 東北新幹線が開業してからも、大宮暫定開業に伴う乗換え不便対応として、上野発の「やまばと」「つばさ」が各1.5往復づつ残されました。東北新幹線の開業直前から食堂車ははずされ、さらに9連へと編成が短縮されています。そして、この写真を撮影してまもなくの昭和60年3月、東北新幹線上野開業時に福島接続の特急はすべて愛称を「つばさ」とされてしまい、長らく奥羽特急コンビで活躍した「やまばと」の愛称は一足先に消滅することとなりました。485系 ボンネット型:特急「やまばと」送料無料◆10-1479 KATO カトー 485系200番台 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87759)[鉄道模型]トミックス (HO) HO-9078 国鉄 485系特急電車(初期型・クロ481-100)基本セット(4両)[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1120 485系初期形「ひばり」7両基本セット 【C】 外スリーブ傷み 1両目:運転席側窓のサッシに塗装乱れ【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1128 485系300番台 6両基本セット 2012年ロット 【A´】 スリーブ若干傷み
2022.08.13
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185系:新特急「なすの」昭和60年3月14日、東北新幹線上野駅乗り入れに際し、それまで急行列車で運転されていた「なすの」は185系化のうえ新特急という新しい種別の列車として生まれ変わっています。運用は185系7連のみで、他の「わたらせ」「日光」といった急行列車もすべて廃止されてしまったため、併結運転はありませんでした。運転開始当初は、新幹線が停車しない駅の救済措置として9往復も設定されましたが、料金が高くなった割に急行列車と比較してもそれほどのグレードではなく、利用率は当初からかなり低迷していたようです。昭和60年5月 北浦和~浦和間にて昭和60年6月2日 蓮田~東大宮間にて昭和60年10月17日 蓮田~東大宮間にて昭和62年3月 蓮田~東大宮間にて昭和62年3月19日 東北本線 蓮田~東大宮間にて最終的には田町車による新宿始発となるなど変遷を経て、平成7年に東北新幹線に名称を譲るまで残りました。「おはようとちぎ」や「ホームタウンとちぎ」として、辛うじて「なすの」時代の足跡を残していましたが、平成23年3月のダイヤ改正において、その足跡も過去のものとなってしまいました。
2022.08.09
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485系 貫通型:特急「ひばり」上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。今回は、485系200番台を使用した特急「ひばり」を最終日の最終列車までご紹介いたします。昭和52年頃 上野駅にて53年10月改正までは文字マークです。個人的にはやはりこちらのスタイルが良いかな?これは青森車です。昭和52年頃 大宮駅にて大宮駅の4番線に到着した「ひばり」。こちらも青森車の貫通型です。3番線には原形ライトの115系も停車中。まだ冷房車が殆ど無かったころです。 昭和53年9月 大宮駅にて53・10ダイヤ改正を間近に控えた頃。順次イラストマークへの切替え工事が始まり、改正を待たずにイラスト化された車両が多数お目見えしました。イラスト化される前に撮っておこうとした思惑が外れ、既に手遅れ状態になっていました。昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて東北本線を疾走する特急「ひばり」。田舎に行く途中に下車して撮影したもの。連結器カバーが金属製ではなく、こちらは仙台車であることが判ります。昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて東北新幹線大宮暫定開業が目前に迫ってきた頃。前後とも貫通型の200番代を連結した編成。仙台のボンネット車も転出し、東北特急の古き良き時代が終りを告げようとしているとき。昭和57年8月23日 大宮駅にて東北新幹線大宮暫定開業により「やまびこ」は全廃されましたが、大宮乗り換えの不便対応として減便されつつも「はつかり」とあわせて残ることになりました。2枚とも 昭和57年11月14日 上野駅にて 最終「ひばり」最終を飾ったのは、仙台車の貫通型を前後に連結した編成。「山手線が通勤ラッシュ帯に運転が見合わせとなり、階段規制をしなければ危険である」と表現できるぐらいの人出です。特に、最終では車体に装飾がされた関係もあり、順次発車していった「ひばり」よりもファンが集まるのも当然といえるでしょう。私的にも、母親の実家が福島県であるため、「ひばり」は昔から縁のある特急でした。その「ひばり」が無くなる日が来るなんて夢にも思わなかったのですが、新幹線博多開業の時に失った「つばめ」「はと」も然り、やはり歴史は繰り返すものだと、寂しさを隠せませんでした。485系ボンネット型:特急「ひばり」(その1)485系ボンネット型:特急「ひばり」(その2)485系ボンネット型:特急「ひばり」(その3)485系 非貫通型:特急「ひばり」485系K-1編成:団体列車リバイバル「ひばり」10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.08.06
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183系幕張車:特急「そよかぜ」特急「そよかぜ」は、上野~中軽井沢を結ぶ季節列車として長らく設定されていた特急列車です。登場当初は181系でしたが、ほんの一時期に157系を使用したことがあります。また、その後は183系0番台(幕張車)や、189系(長野車)、489系(金沢車)、185系(新前橋車)と、実に多彩な車両が使用されました。季節列車でもあり、また運転区間も短距離でもあったため、絵にしづらい列車でしたが、そのさわやかなネーミングが大好きでした。横軽(碓氷峠)も廃止されてしまったことですし、軽井沢行きの新幹線の設定というのも考えづらいので、特急列車としての「そよかぜ」のネーミングはおそらく復活することは無いのでしょう。今回は、幕張区の183系0番台を使用した「そよかぜ」をご紹介いたします。いずれも昭和52年から53年頃で、イラストマーク化される以前の写真です。幕張区の183系0番台を使用していることから、夏季の海水浴シーズンではない頃に撮影したものと思われます。元々157系が1シーズン使われた後、181系オンリーだった「そよかぜ」ですが、信越本線の181系撤退に伴って、幕張区の183系0番台が使用されるようになったようです。当時はまだ189系の両数が揃っていなかったための措置と思われますが、横軽非協調である183系0番台では8両以下に編成が制限されてしまうため、中軽井沢←クハ+サロ+モハ+モハ+モハ+モハ+クハ→上野 の7両編成に組み替えられて使用されていたようです。181系時代、当時のカメラ(サクラパック)を持って満を持して線路脇でその時を待っていたのですが、「そよかぜ」が来る直前にカメラを落としてしまい、壊れて撮れなくなってしまいました。季節列車でもあり撮れずにいたところ、いつの間にか長野から181系が撤退してしまい、とうとう記録できず至った傷は、50年経った今でも忘れられない記憶として刻まれています。
2022.08.03
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JR九州 783系:特急「有明」九州内を代表する特急列車として誕生した特急「有明」について、過去ログ『485系ボンネット型:特急「有明」』でご紹介したことがありましたが、30年振りに九州を訪れる機会があり、偶然ですがJR化後初めて特急「有明」を撮影することができました。平成24年9月22日 博多駅にて 783系 特急「有明3号」九州新幹線が暫定開業すると、特急「有明」は博多~熊本間の運転がメインとなり、近距離ランナーとしての位置付けが色濃くなります。さらに平成23年、九州新幹線が全線開業すると長崎本線や久大本線への直通以外の特急列車は事実上の撤退ということになります。しかし、新幹線の停まらない在来線主要駅もありますので、通勤客の利便性の考慮からライナー的に存続していたようです。撮影時点において、博多駅~長洲駅間で下り3本・上り2本(上り1本は博多駅から普通列車として吉塚駅まで乗り入れ)と、博多駅~熊本駅間1往復の設定となっていました。せっかく写真は撮りましたが、やはりマークのない特急列車は寂しいですね。その後、さらに縮小されて上り1本のみに。そして令和3年3月ダイヤ改正において、歴史ある名称は消滅してしまいました。
2022.07.25
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189系M51編成:臨時特急「わかしお82号」※2014/8/16投稿の記事で、当時の表現になっています。新性能化が完了して久しい房総地区に、久し振りに189系を使用した特急列車が臨時列車で設定されました。平成26年8月14・15日の2日間のみの設定で、豊田車の運用。8月14日は仕事が忙しく、さらに業務が多忙になってしまったためにパスしてしまったのですが、シール式のヘッドマークが掲示されたということで、翌15日は午後休暇をもらって出掛けてみました。京葉線を訪れるのも久し振りです。平成26年8月15日 189系M51編成 臨時特急「わかしお82号」 葛西臨海公園駅にてやってきたのはまさかの「特急」表示。2日間連続の運転でありながら、1日目に掲示したヘッドマークを剥がしてしまう必要性が全く理解できません。嫌がらせとしか思えない対応に憤慨しました。なお、車両の回送は往復とも武蔵野線経由、入出庫は幕張センターでした。E257系 わかしお・さざなみ50周年ラッピング車両
2022.07.17
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183・189系:臨時特急「新宿わかしお」特急「わかしお」は、東京地下駅の開業と同時に運転が開始され、房総特急の専用形式である183系0番代が使用されてきましたが、老朽化及び陳腐化により、E255系やE257系の導入により平成17年を最後に世代交代となりました。房総から撤退した特急色ですが、波動用の183系・189系が臨時列車として房総に運用されることもあったようで、私も1度だけちょこっと撮影に出たことがありました。※撮影は、平成20年9月6日です。新宿駅にて 臨時特急「新宿わかしお」いくつかの臨時列車の撮影を掛け持ちしていたので、とりあえず保険で駅撮りです。結婚後、しばらくは駅撮りなどという手法での記録をすることはなかったので、このように駅を駆けずり回るような撮影も高校卒業直後以来のような気がします。久し振りにじっくり撮った国鉄色は、クハ189-1トップナンバーでした。千駄ヶ谷駅にて 臨時特急「新宿わかしお」限りある時間を有効に利用するため、撮影してすぐ逃げられるようにと選んだ場所。各停が後を追っ掛けてくることは分かっていましたが、嫌な予感が当たり、後続の緩行線と並走してきました。なんとか顔が撮れただけでもよかった。その後も「新宿わかしお」などは運転されましたが、183系・189系の運用が縮小され、さらに房総特急の縮減でE257系運用に余裕が出来たためか、国鉄色が使われることはなくなってしまいました。E257系 わかしお・さざなみ50周年ラッピング車両
2022.07.16
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485系ボンネット型:特急「ひばり」(その3)上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。しかし、53・10ダイヤ改正で編成の統一化が図られてしまい、特徴が無くなってしまいました。それでも、最後までグリーン車と食堂車を連結した往年の特急らしい編成で走り続けました。今回は、昭和57年、定期運転終焉までの撮影分です。昭和57年地元です。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて昭和57年1月4日 白坂駅にて白坂駅は追い越しの要所となる駅でしたが、現在は追い越し設備が撤去され、この風情ある駅舎も無くなってしまいました。昭和57年6月22日 貝田~越河間にて東北新幹線大宮暫定開業前日です。昭和57年6月22日 金谷川駅にて駅間を歩きましたが、あまり良いアングルは探せませんでした。昭和57年5月頃 栗橋~古河間にてボンネット型「ひばり」はこれにて完となりますが、クロ481については別編集といたします。10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.07.14
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485系 非貫通型:特急「ひばり」上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。今回は、485系300番台又は1000番台を使用した特急「ひばり」を撮り始めから晩年までご紹介いたします。昭和52年頃 大宮駅にて昭和52年頃 上野駅にて53・10改正前の文字マーク時代。ヘタクソシリーズの頃なので、お見苦しい写真で申し訳ない。なんかこの文字マークの非貫通型ってイマイチ文字のバランスが良くない感じがします。貫通型だと文字マークが際立ってカッコ良いんですけどね。文字間が詰まり過ぎかな。昭和54年 蕨駅付近にてこちらはイラストマーク化後の「ひばり」です。この時代になると上野方にはボンネット車が無く、貫通形か非貫通型でした。ボンネット車のほうが好きな私としては、敢えてこちら側を撮ることは少なかったようです。現在は左側の貨物ヤードは無くなり、駐車場や駐輪場なってしまいました。画面の右側(東口)は現在ともあまり変化が少ないのですが、左側(西口)は全く様相が変わってしまいましたね。昭和56年 蕨~西川口間にて昔は陸橋の上からだと様々な電線が邪魔して撮りづらかったので、当時はどこからでも撮影可能な道路側から撮っていました昭和56年1月5日 豊原~白坂間にて母親の実家から帰ってくる際、単独行動で途中下車の上、写真を撮ってきました。駅近辺ですが、上下線が離れており、雪があるとまた絵になりますね。ただ、雪の中を平行移動するのは結構大変です。当時は本数が多かったので、行ったり来たり忙しかったですね。昭和56年10月 西川口~蕨間にて クハ481-309これ、ヘッドマークがイラスト化されてから随分経つのに、しばらくの間文字マークのまま使用されていた車両です。当時はこれが来ると嬉しかったのですが、仙台車なので「ひばり」と「ひたち」くらいしか見ることが出来ませんでした。昭和57年 撮影月日不明 上野駅にて上野駅での名シーン。583系「はつかり」と並ぶ非貫通型「ひばり」。昭和57年1月4日 豊原~白坂間にて翌年の同じ時期にも訪れていますが、これは田舎に行くためではなく、完全な撮影行でした。前年と違って全く雪が無く、行程中雨の止むことがない、どうにもならん天気でした。昭和57年2月 上野駅にて東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事の前段として、17・18番ホーム間にあった広大な荷物ホームが撤去され、番線間に大きな空間が出現しました。昭和57年6月22日 東北本線 藤田~桑折間にて「やまびこ」最終日の撮影で、ED71を撮影するため途中下車して撮ったものです。1時間待っていれば必ず2本の「ひばり」が来る時代。でも、翌日は東北新幹線が開業し、「ひばり」の本数も斬減しました。昭和57年6月22日 東北本線 貝田~越河間にて食堂車込みの12連で疾走する堂々とした姿。現在ではこのような長大編成は見られなくなりましたが、当時は極一般的な姿であり、列車名問わず共通の編成内容で運用されていました。特急「ひばり」は運転本数が沢山あったので、それこそ数十枚の写真が残っていますが、写真を撮り始めた頃の非貫通型写真は『え?これだけ?』ってくらい少ないです。やはり、「ひばり」と言えばボンネット車くらいの憧れというか常識みたいなのが自分の中にあったので、あまり好んでカメラを向けることは無かったようです。10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.07.08
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485系:特急「やまびこ」 53・10改正前「やまびこ」は、上野~盛岡間を結んでいた特急列車です。特急列車としての起源を辿ると、上野~福島間を「つばさ」に併結していた盛岡編成ということになり、上野~盛岡間の特急としては気動車特急としての運転が最初でした。昭和38年12月のことです。昭和40年、東北本線の盛岡電化開業に伴い、電車での特急列車が運転開始となります。481系交直両用型特急電車として実績が認められ、50Hz版の483系が登場し、東北特急として初めての電車特急「やまびこ」が誕生します。登場当初はボンネット型により運転されていましたが、青森電化に際して青森運転所が開設、ボンネット型の「やまびこ」は早々に姿を消すことになります。※青森運転所の開設当初はボンネット型の配置があったらしく、「白鳥」「いなほ」にボンネット型が使用された実績があるようですが、当時小学2年生くらいでしたので、そのような列車の記録は持ち合わせておりません。今回は、特急「やまびこ」のうち昭和51~53・10改正前の画像をまとめてみます。昭和51年 東北本線 赤羽駅にて赤羽駅3番線を通過する上り「やまびこ」。リコーオートハーフでの撮影のため、当たり前のようにブレています。この時代はもちろん文字マーク。「やまびこ」の場合、非貫通型よりも貫通型の方がマッチしていました。右上に見える三菱の広告塔。見づらいのですが『カラーテレビ』と謳っています。この時代は『カラーテレビ』というだけで広告になってしまったんですね。若い人には解からんでしょうな。(笑)昭和51年 東北本線 大宮駅にてほぼ同じくらいの時期でしょうか、大宮駅の9番線です。今では右奥に新幹線の建物がボーンと建ってしまっていますが、この頃は見晴らしの良かったですね。昭和52年 上野駅にてなぜかこの時代は非貫通型の写真が少なかったですね。比較的に仙台に配置されていたものが多かったのでしょうか?昭和53年10月 上野駅にて53・10ダイヤ改正直後の写真のようです。本来ならイラストマーク化されている筈なのですが、ヘッドマークの交換工事が間に合わずに、文字マークのままの車両も存在したようです。ある意味、この時期は文字マークそのものが貴重でしたので、このような車両を見つけると大急ぎでホームを走り回ったような記憶があります。隣に停車中はEF80。常磐線の普通列車でしょう。番外編ですが・・・昭和54年頃 上野駅にて確か、上野駅の8番線と9番線の間だったと思います。線路と線路の間にさも使用されているように放置されていました。誰かが踏んでしまったのでしょうか、悲しいことに真ん中から割れています。私の記憶では、これ以外にも2枚放置されており、写真以外の2枚は9番線のホーム上にあったような気がします。1枚は純然たる「やまびこ」のヘッドマークでしたが、もう1枚は「あさま」になっており、表面に塗ったペンキのような幕がかなりの面積で剥がれ、その下から「やまびこ」の文字の一部が見えていました。『このようなヘッドマークでも塗り替えて使うんだ』と感心したりショックだったり。写真を撮った時代からすると、約7年も時代が流れた上野駅に漫然と放置されていたということになります。ある意味ずさんとも言える感じがしますが、これを発見したときの嬉しさは例えようがありませんでした。実車のボンネット型「やまびこ」の写真を撮ったことが無いので、たったこれだけの写真であったとしても、私的には大変貴重なものなんです。10-1129 KATO カトー 485系後期形 2両増結セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87760)485系200番台 6両基本セット 【KATO・10-1479】「鉄道模型 Nゲージ カトー」スマホカバー専門店 ドレスマ送料無料◆10-1479 KATO カトー 485系200番台 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87759)
2022.07.05
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485系 ボンネット型:特急「有明」「有明」は、鹿児島本線を走っていた名門の特急列車です。古くは気動車特急(キハ82系)として誕生しましたが、その後、鹿児島本線の電化により九州寝台特急の間合い使用による581系(583系)を経て、本数増に伴って485系が多くなっています。485系も多彩な車種が使用され、民営化に向けた様々な改造車も登場しています。ただ、私としては殆ど出逢いが無く、撮った写真はたった1枚でした。昭和54年3月 485系 特急「有明」中学の卒業旅行と称して当時の鉄道マニア系の友達と九州へ行ったときの写真です。当時の記録があまり残っていないので、どこで撮った写真か曖昧です。(多分、熊本だったような・・・。)この頃の九州配属車はことごとくヒゲを消されてしまい、大好きだった赤スカート車も間抜けなスタイルに見えてしまってガッカリだった記憶があります。鹿児島本線側は何故かあまり撮影しておらず、貴重な1枚となっています。
2022.06.25
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485系:特急「加越」特特急「加越」は、昭和50年3月、新幹線博多開業の際に米原~金沢を結ぶ特急として誕生しています。名古屋~北陸方面への「しらさぎ」を補完する列車で、新幹線を最大限利用して北陸方面を目指す特急列車の性格をもっていますが、米原自体に当時の「ひかり」が殆ど停車しないこともあり、グリーン車1両を含む7両編成と、当時の電車特急としてはもっとも短編成でした。※博多~佐世保間の「みどり」が誕生するまで。私自身は北陸には何度か出掛けたことがあるも、活動が富山中心であったために「加越」に出逢う機会が無く、唯一逢ったのがこの1回でした。昭和55年8月 米原駅にて 485系 特急「加越」山陰でキハ181系「やくも」の写真を撮った帰り道、料金節約のために京都~名古屋間を普通列車で移動。途中乗り継ぎで下車したときに偶然ホームに居合わせた「加越」を撮ったものです。485系を使用し、非貫通型のみの寂しい設定で変化も少ない列車だったのですが、その後489系が使用され、ボンネット型が登場する場面もあったようです。平成15年7月に683系化に際して「しらさぎ」に名称が統合されてしまい、「加越」の名称は消滅してしまいましたが、私が思うに、この間北陸に行った際、米原行きと名古屋行きでは列車の性格や使い勝手が全く違うようなので、何も統合しなくても良かったのではないか?と感じました。[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1479 485系200番台 6両基本セット
2022.06.19
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キハ82系:特急「くろしお」「くろしお」は、天王寺から阪和線を経由して紀勢方面を結ぶ特急列車です。昭和40年代、リゾート地として栄えた白浜や紀伊勝浦などを結んでおり、1往復は名古屋へ直通していた列車も存在しました。当初の使用車両はキハ82系であり、リゾート特急らしくキロが2両に食堂車が連結されていました。また、キハ81系の東北撤退に伴い、この紀勢本線に流れてきたのも有名な話です。昭和49年8月 天王寺駅にて小学5年生の時、初めて写真を撮りに行った関西での撮影の1コマ。何故か天王寺駅へ「くろしお」も撮りに行きました。当時は小学生ですから、キハ81が走っているなんて情報はもちろん入っておらず、「くろしお」という名称だけに魅かれていったと思います。天王寺駅は上野駅に似た雰囲気を持っており、好感の持てた駅だったことを覚えております。ただ、夏休みだったからか分かりませんが、ホームがヒジョーに混雑していた記憶があります。昭和52年3月30日 名古屋駅にて名古屋発着の「くろしお」は1日1往復のみで、唯一限定運用でキハ81が組まれていました。友人がキハ81の写真を持っており、これを撮れると思って楽しみにしていたのですが、残念ながら両端ともキハ82でした。調べて見ると、キハ81は昭和51年に6両のうち4両が休車となっており、この時点においては運用されていた2両も付属編成のみに使用されていたそうで、名古屋でキハ81を見ることはできなくなっていたようです。そんなことも知らずにワクワクしていたのも、情報の無い時代の悲しさですね。昭和53年10月、新宮電化で381系化され、非電化区間は特急「南紀」となってキハ82系が存続することになります。国鉄 381系:特急「くろしお」キハ813(交通科学館時代)TOMIX Nゲージ キハ81 ・ 82系特急 くろしお 増結セットB 3両 98313 鉄道模型 ディーゼルカー「沖縄県へ発送不可です」キハ81・82系特急ディーゼルカー(くろしお)増結セットA(3両)【TOMIX・98312】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」キハ81・82系特急ディーゼルカー(くろしお)基本セット(4両)【TOMIX・98311】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」TOMIX Nゲージ キハ81 ・ 82系特急 くろしお 増結セットB 3両 98313 鉄道模型 ディーゼルカーTOMIX Nゲージ キハ81 ・ 82系特急 くろしお 基本セット 4両 98311 鉄道模型 ディーゼルカー
2022.06.16
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185系:臨時特急「日光」現在は東武伊勢崎線を経由して新宿~日光間をスルー運転している特急「日光」ですが、かつて上野~日光に運転されていた急行「日光」が昭和57年を以って廃止、日光線には優等列車が走らなくなっていました。それでもシーズンには臨時快速を走らせるなどしており、平成になって驚きの列車が設定されます。それが臨時特急「日光」でした。平成5年6月13日 東大宮~蓮田間にて 185系 特急「日光」157系の再来とも期待された185系でしたが、簡易なアコモの造りから特急型車両としての貫禄はなく、あまり注目されない車両でした。しかし、運転区間を上野ではなく新宿や池袋発としたこと・・・そして何よりも157系準急時代を髣髴させるヘッドマークを取り付けたことで、かなり注目度はあったと思います。それでも、マニア的には注目を集めましたが、肝心の旅客はあまり乗っていなかったようで、その後は「特急」としては運転されず、細々と快速の乗入れがあった程度となってしまいました。
2022.06.13
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国鉄 381系:特急「くろしお」「くろしお」は、天王寺から阪和線を経由して紀勢方面を結ぶ特急列車です。昭和40年代、リゾート地として栄えた白浜や紀伊勝浦などを結んでおり、1往復は名古屋へ直通していた列車も存在しました。昭和53年に紀勢本線が新宮まで電化されたことにより、直通する「くろしお」は分断され、381系による電車運転が始まりました。また、製造が追いつかなかった分については、485系による「くろしお」も運転されていました。昭和59年7月6日 白浜~朝来間にて 381系100番台 「くろしお」「しなの」より5年くらい遅れて誕生した100番台非貫通型を使用した「くろしお」です。誕生当初は増備が追いつかなくて485系まで導入して運転されたのですが、いつの間にか381系100番台に統一されてました。EF58牽引による列車を撮影に行った時のものです。この頃はまだ急行列車も残っており、やや本数も少なめであったか、1日撮影していたにもかかわらず、撮っていたのはこのスナップだけでした。キハ82系:特急「くろしお」キハ813(交通科学館時代)[◆]JR東海 381系0番台ICカード・定期入れパスケース:【ts1064pb-ups01】ミスターダイマー Mr.DIMERKATO (カトー) 10-1691 [N] 381系 <パノラマしなの> (登場時編成) 3両増結セットKATO Nゲージ 381系 パノラマしなの 登場時仕様 3両増結セット 10-1691 鉄道模型 電車KATO Nゲージ 381系「スーパーくろしお」 (リニューアル編成) 3両増結セット 10-1642送料無料◆10-1690 KATO カトー 381系 (パノラマしなの) (登場時仕様) 6両基本セット Nゲージ 鉄道模型(ZN83274)
2022.06.12
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485系:特急「むつ」昭和60年3月、新幹線の上野開業に伴うダイヤ改正で誕生した、秋田~青森間を結ぶ特急で、1往復のみ設定されました。新幹線から秋田方面へのアクセス特急は、新潟方面から「いなほ」盛岡から秋田経由で「たざわ」が設定されていましたが、いずれも新潟、盛岡から秋田へ到達するまでの時間が掛かるため、早い時間の下りと遅い時間の上りにおける秋田~青森間は、「特急空白」の時間帯が生まれてしまいます。そこで、運用間合いで設定されたのが特急「むつ」で、青森「いなほ」と共通運用が組まれていました。昭和61年9月9日 鷹ノ巣~前山間?にて 485系1500番台使用の「むつ」この写真の撮影は昭和61年9月ですが、この2ヵ月後、昭和61年11月のダイヤ改正で早くも廃止となってしまい、定期特急として異例の1年半という短い生涯を終えました。
2022.06.07
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485系:特急「日向」特急「日向」は、大阪~宮崎間を結んでいた関西~九州間の連絡列車です。昭和43年10月改正からそれまでの「いそかぜ」を改めて誕生し、特急「なは」を併結した82系気動車による運転となっていました。昭和49年4月、日豊本線の南宮崎電化により485系を使用した電車特急となり、この際に単独編成によって同区間を運転するようになっています。昭和49年8月 大阪駅にて 特急「日向」写真は大阪駅にて出発を待つ特急「日向」。隣に停車中の12系臨時急行「但馬ビーチ」も懐かしいですね。せっかく電車特急としての地位を獲得した「日向」でしたが、昭和50年3月の新幹線博多開業によるダイヤ改正により、僅か1年にも満たない電車特急時代に終止符を打つことになりました。その後、平成12年に特急「ひゅうが」が誕生していますが、この沿革とは全く別の列車と言って良いでしょう。[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1479 485系200番台 6両基本セット
2022.05.31
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キハ813(交通科学館時代)日本初の特急形気動車として登場したキハ80系。先頭車は、先に登場した151系特急形電車に通ずるデザインのボンネット形のキハ81として、6両が誕生しています。東北特急「はつかり」に使用され、電化やキハ181系の登場により「つばさ」「いなほ」へと活躍の場を移します。「いなほ」の時代は間合い運用で「ひたち」にも使用されました。羽越本線の全線電化により東北地方から撤退することになり、紀勢本線の「くろしお」が最期の活躍の場となりました。そして、紀勢本線の新宮電化においてキハ81は全廃となり、解体を免れた1両が交通科学館に保存されていました。平成14年3月31日 交通科学館にて キハ81-3 交通科学館にて義従姉妹の結婚式で奈良にお呼ばれした帰路、大阪に一泊し初めて交通科学館を訪問しました。1度だけキハ81「くろしお」を撮るチャンスがあったのですが、その日に限って両先頭ともキハ82であったため、結局は記録に残すことができず。昭和47年頃に地元で良く見ていた「いなほ」以来の再会でした。ヘッドマークが本物じゃないのでちょっとカッコ悪いですね。鉄道科学館では屋外展示なので劣化の進みが早く、この後屋根が設置されたようです。そして、平成26年から京都鉄道博物館に展示されています。キハ82系:特急「くろしお」国鉄 381系:特急「くろしお」キハ81・82系特急ディーゼルカー(くろしお)増結セットA(3両)【TOMIX・98312】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」キハ81・82系特急ディーゼルカー(くろしお)基本セット(4両)【TOMIX・98311】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」KATO カトー 10-1497 キハ81系「いなほ・つばさ」7両基本セット (鉄道模型:お取寄せ商品)キハ81系特急ディーゼルカー(つばさ)セット(7両)【TOMIX・98737】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2022.05.29
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485系ボンネット型:特急「ひばり」(その2)上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。今回は、地元で撮影したボンネット型の写真のうち昭和56年頃の撮影分を(その2)としてご紹介いたします。撮影日不詳 西川口~蕨間にて撮影日不詳 西川口~蕨間にて撮影日不詳 蕨駅にて撮影日不詳 白坂駅にて2月頃 蕨~西川口間にて5月頃 蕨~西川口間にて5月頃 蕨~南浦和間にて翌年の東北新幹線大宮暫定開業を控え、地元での撮影頻度が多くなっていたようです。特にボンネット型が好きだったので、仙台方の写真が多かったように思います。10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.05.25
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14系寝台客車:寝台特急「いなば」寝台特急「いなば」は、それまで寝台券が入手困難であった寝台特急「出雲」のを補完するため、東京~大阪を結んでいた寝台急行「銀河1号」を米子まで延長の上、紀伊勝浦行き「紀伊」と共に特急寝台化により昭和50年3月に誕生した列車です。登場当初から14系寝台客車による編成とされ、「紀伊」との分割併結という複合列車に適した設定となっていました。写真は、いずれも昭和53年9月または10月、東京駅にて。この写真は、「いなば」廃止の2~3週間前の日曜日に撮影したものと記憶しています。既に廃止の情報は流れており、この写真にはファンの姿があまり写っていませんが、私の背後、或いは横には結構な数のファンが居ます。※貫通ドア窓に「B寝台」とある表示にも注目!こちらは、廃止前日だったか、数日前だったか記憶が曖昧なのですが、とにかく廃止直前という様子です。「カメラを構えて写真を撮る」なんて状態ではありません。このときは、広角レンズで上に手を伸ばしてシャッターを切っています。いつもは角度調整を多少するのですが、今回は臨場感を出すために加工していません。昭和53年10月改正で出雲市まで延長され、名称を「出雲」に改称したことにより、「いなば」の愛称は消えました。寝台特急「いなば」の場合、発展的解消であったため、ただ単に名前が消えるというだけのことであった訳ですが、当時はこれほどパニックになりました。結局、53・10廃止となったため、最後までイラストマークが入ることもありませんでしたし、寝台特急「紀伊」と併結であったためヘッドマークも付くことはありませんでした。名称的には不運だった「いなば」。その後復活し、今でも残っているのはせめてもの慰めと言えるでしょうか・・・。
2022.05.19
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583系:寝台特急「なは」令和4年5月15日、沖縄が本土復帰してから50年になるそうです。当時小学生でしたが、テレビのニュースで復帰の様子が報道されていたのをうっすらと覚えています。道路が右側通行から左側通行に変わったため、バスの乗車口も反対にしなければならないといった内容は今でも記憶に残っています。特急「なは」は、昭和40年10月、それまで「かもめ」として運転されていた新大阪~西鹿児島間のキハ80系による気動車特急を分離独立して誕生しました。誕生時は新大阪~宮崎を結ぶ気動車特急「日向」を併結しています。昭和48年10月の改正で鹿児島本線電化にやや遅れて電車特急となり、「日向」と分離運転され、昭和50年3月のダイヤ改正(新幹線博多開業)まで昼行電車特急として九州連絡の役目を担いました。同改正により山陽の昼行特急が全廃になり、廃止になると思われた「なは」ですが、その名称を与えられた経緯から存続することになり、改正前まで京都~西鹿児島を結んでいた581・583系寝台特急「きりしま」のスジを引き継ぐことになり、ここに新たな電車寝台特急「なは」が誕生することになります。誕生当初は、583系独特の黄緑色で「なは」の文字マークが使用されていましたが、昭和53年10月のダイヤ改正から他の電車特急と同様にイラストマークが採用され、その後の客車寝台特急化、機関車のヘッドマーク復活時におけるマークデザインの礎となりました。昭和55年8月 京都駅にて クハネ583 特急「なは」昭和55年ですので、既にヘッドマークはイラスト化されたものです。横サボは関西特有の発駅と着駅を一緒に表示するタイプで、東日本の着駅のみの表示とは趣が異なります。私的には「きりしま」という名前の方が好きだったので、「なは」に愛称が決まった時点で『なにも乗っ取らなくても良いのに・・・』なんて思ったものでした。高校2年のとき、EH10やキハ181系「やくも」の撤退を知ったときに強引に撮影を挙行し、夜行乗り継ぎがてら関西の列車も出来る限り撮影してきました。この写真は、そのときの1コマです。その後、客車化を経て「あかつき」との併結。なんとか生き永らえた「なは」ですが、平成19年3月の改正を以ってとうとう廃止となってしまいました。昭和49年8月、初めて大阪に連れて行ってもらった帰途、乗車する急行銀河2号」を待っていた時、西鹿児島から到着した485系ボンネットの「なは」を撮影していましたが、光量不足のためプリントにしてもらえませんでした。その経緯からネガを紛失してしまったのですが、愛称が写っていることはネガからも確認できており、同時に撮影していたキハ82「かもめ」と共にきちんと残しておかなかったことを50年近く経った今でも後悔しています。沖縄の日本復帰の願いを込めて生き長らえてきた特急「なは」。そんな願いをもってしても廃止の運命となってしまった今の時代。切ない、寂しい以外の何モノでもありません。国鉄583系特急電車 2両増結セット (M)【TOMIX・92327】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」98770 国鉄 583系特急電車(クハネ581)基本セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》送料無料◆98772 TOMIX トミックス 国鉄 583系 特急電車 増結セットA(4両) Nゲージ 鉄道模型(ZN90145)583系特急電車(クハネ583)基本セット(7両)【TOMIX・98771】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2022.05.15
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485系ボンネット型:特急「ひばり」(その1)上野~仙台間を結んでいた特急「ひばり」。その運転本数は、当時の国鉄随一となっていました。仙台運転所所属の12連を基本に、青森運転所の12連も共通運用。さらに、仙台運転所持ちでは12連クロ編成、クロ+サロの13連、青森運転所の583系と、バラエティーに富んでいました。今回は、地元で撮影したボンネット型の写真のうち昭和52~55年くらいまでのものを(その1)としてご紹介いたします。昭和51年 赤羽駅にて昭和51年 大宮駅にて昭和51年 大宮駅にて昭和51年 尾久駅にて昭和52年 西川口~蕨間にて昭和53年3月頃 西川口~蕨間にて昭和54年頃 西川口~蕨間にて昭和54年頃 西川口~蕨間にて昭和54年頃 上野駅にて昭和55年4月27日 蕨駅にて中学~高校初期の頃。まあ、ろくな写真はありません。母親の実家が東北本線の須賀川駅最寄ということで、「ひばり」自体にも大変馴染みがあり、当時ほとんど特急列車に乗ることはできませんでしたが、一番親近感のある特急列車でした。その他のも枚数が沢山ありますので、追ってご紹介することにいたします。10-1479 485系200番台 6両基本セット(再販)[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》
2022.05.14
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489系:特急「つばめ」(幕回し)「つばめ」と言えば、特急列車としてあまりにも有名で、その歴史が古いことから、世代によってその想像する姿の多様さも別格と言えるものではないでしょうか。現在は九州新幹線の愛称となっていますが、その前は787系として久し振りの復活となったのも、既に過去のことになってしまいました。私が生まれた頃は東海道新幹線の開業まで1年を切った頃、既に151系による東京発着が終盤となっており、東海道新幹線の開業にあたり、名古屋~九州間の運転に移行されています。この頃から581系で運転されていたと思いますが、もちろん記憶になどある筈がありません。私が鉄道に興味を持った頃は、新幹線が岡山開業を果たした頃で、運転区間も岡山~九州間とさらに西へシフトしています。名コンビであった「はと」も、本州内特急として岡山~下関間の運転となっていました。よって、自分にとって特急「つばめ」とは、この頃の使用車両である583系や485系が当たり前の憧れの姿でした。昭和49年、どうしても関西特急の写真が撮りたくて、じいさんとともに大阪に行ったことがあります。今では夢のような世界でした。しかし、「つばめ」や「はと」はすべてが岡山発着であったため、憧れのままその姿を見ることはできませんでした。そして、昭和50年3月、新幹線博多開業により、「つばめ」「はと」は他の対九州特急と共に消滅してしまい、その姿を写真に収めることはできませんでした。しかし、そんな憧れの特急「つばめ」を、1度だけ関東の、しかも上野駅で目撃しました。昭和52年頃? 上野駅にて本来は上野駅で「つばめ」を見られることはありませんが、金沢運転所の489系はその運用の関係から関西の特急列車愛称幕が網羅されており、「白山」から「回送」か「そよかぜ」に変更する際、「つばめ」「みどり」「しおじ」「北越」の幕が出現しました。この写真も、たまたま回転が始まる時に列車の写真を撮っていたもので、そのうちの1枚に「つばめ」があったのを収めることができたものです。残念ながら実物の姿を捉えることはできませんでしたが、子供の頃写真を撮ることが出来なくて悲しかった思いが、わずが3年後くらいにGETできたことに喜んだものです。昭和53年10月改正においてヘッドマークはイラスト化され、その際廃止されて久しい「つばめ」はデザインされることは無く、その後もセッティングされることはありませんでした。なお、実際の「つばめ」は岡山発着であり、金沢運転所限定配置の489系が運用されたという話は見聞きしたことはないように思います。
2022.05.10
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キハ183系(新国鉄色):特急「オホーツク」JR北海道において、特急「オホーツク」に使用している最後のキハ183系を新国鉄色に復刻塗装を施し、運用が始まったようです。私は平成5年を最後に渡道していませんので、現状の「オホーツク」には会ったことがありません。私がキハ183系「オホーツク」を撮影した頃は、まだ国鉄時代のスタイルをそのまま使用していた頃でした。よって、その塗装から「新国鉄色」としての編集となります。※撮影は、全て平成3年7月8日、場所は石北本線ですが、詳細は不明です。キハ183-500を先頭とする編成の「オホーツク」JR塗装車が発生する前で、既に国鉄色も無く、「スーパーとかち」の準備車両以外はこの塗装で統一されていました。ヘッドマークも国鉄以来使用されているデザインで、現在のものとは大幅に趣きが異なります。先頭車の脇にちょこっと見えるキロ182は、まだ形態がオリジナルで、キロハ改造が行われるなんて夢にも思っていない時代ですね。0番台を先頭に走る「オホーツク」この頃は、片側が0番台、もう片側が500番台の編成が多かったようです。35mm判の300mm×2で撮ったため、画質が非常に悪くなってしまいました。ただ、600mmの圧縮感、電線・電柱などの障害物が無い、北海道の幹線ならではの風景ですね。じゃがいも畑と特急「オホーツク」このときは内地からクルマをフェリーで持ち込んでの強行軍でした。原生花園から深名線へ向かう途中、石北本線沿いに走り、この一面花畑に感動し、せっかくだからと「オホーツク」が来るまで待って撮ったものです。後で気が付いたのですが、キハ184が連結されていること、グリーン車がキロ182-901(客扉が車端に寄っている)という希少車輌であったことから、私的には貴重な写真となりました。
2022.05.04
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581系・14系:特急「しおじ」特急「しおじ」は、新大阪~広島・下関を結ぶ電車特急列車で、直流区間の特急として181系を主に使用しましたが、後に485系や581系も使用されました。また、多客期には臨時特急として14系を使用した「しおじ51号」もほぼ通年で設定されており、「つばさ51号」と並んで運転期間の長い14系臨時特急としても有名でした。小学生の時に大阪に行った際、581系のみ撮影することが出来ました。ポケットカメラですので画像が悪い点についてご了承ください。昭和49年8月 大阪駅にて 581系 特急「しおじ」当時、1往復のみが581系を使用して運転されていました。当時は運転本数の多かった寝台特急「明星」の間合い使用と思われます。昭和49年8月 大阪駅にて 14系客車 臨時特急「しおじ51号」この写真も見られたものではありませんが、下りの「しおじ51号」です。隣のホームで撮影していて、慌てて撮影したもの。当時の大阪駅は目玉の特急列車の本数が多く、頻繁に発着する列車を押さえるのは上野駅よりも大変でした。昭和51年か52年頃 上野駅にて489系の幕には、関西特急のヘッドマークが網羅されていました。上野駅でもこのような幕回しに出逢うことが出来ればラッキーでした。本数があった割には、当時のフィルムの使用数量制限が邪魔して、満足な写真を撮ることが出来なかったのが非常に残念です。本来なら、ボンネット型の485系やもしかしたら最後の181系が居た頃だったかもしれません。583系特急電車(クハネ581)基本セット(6両)【TOMIX・98770】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」583系特急電車(クハネ583)基本セット(7両)【TOMIX・98771】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」583系特急電車増結セットB(2両)【TOMIX・98773】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」98772 国鉄 583系特急電車増結セットA(4両)[TOMIX]【送料無料】《04月予約》
2022.04.30
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E257系2000番台:特急「踊り子」(池袋・新宿発着)定期スジで設定されていた池袋・新宿発着の特急「踊り子」ですが、令和4年3月のダイヤ改正において消滅してしまいました。他にも大きな出来事があったために気が付かず。帰宅の際、いつもの時間にそれまでいなかった「成田エクスプレス」が5番線に停車していたため、初めて知った次第。仕事が忙しくなって、状況を調べるのに時間が掛かってしまいました。直近の状況確認では、平日・休日の定期的な設定で朝に設定されていた新宿発の「踊り子1号」や夕刻に到着する池袋行きは消滅。4月に1本の臨時が設定されたもののGW期間中には一切設定されていないなど、ほぼ壊滅的な状況に追い込まれたようです。※撮影は、すべて新宿駅にて、特急「踊り子18号」です。令和2年6月26日コロナ禍で時差通勤を余儀なくされた結果、1時間遅い時間に新宿駅へ。この年の3月ダイヤ改正から初投入されたE257系を使用した「踊り子」でしたが、ほぼ毎日残業だったためにこの日初めてのご対面でした。令和2年7月8日令和2年7月21日令和2年11月13日令和2年11月20日令和3年2月1日新宿駅は18:59発。夕刻ラッシュ時間帯のため遅れに巻き込まれることも多く。普通の退勤時だと間に合わないのですが、いずれも少し遅れたために撮影できたものです。令和3年7月9日人身事故で見合わせる前に逃げ切って来たらしく、少し遅れ目で到着したようです。1~4番線の列車が5・6番線に逃げてくることは良くありますが、5番線定発着の特急列車が4番線に入るのは珍しい。5番線に入る湘南新宿ラインが遅れているため、「踊り子」もしばらく発車できずに停まっていました。令和4年2月10日いつも同じ写真にしか撮れないので、遅れで出会う機会は多かったですが、あまり撮りませんでした。この日は雪が降ったために撮影したものの、雪が目立たず残念な結果に。改正前には見落としていたために特に掲示類などの記録は撮っていませんでした。まさか消滅まで追いやられるとは思いませんでしたが、平日の利用率は編成単位でも2桁乗っているかどうか程度でしたので、この決断は間違えとは言えないと思いました。5228 オハ46 ブルー[KATO]《08月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5228 オハ46 ブルー5300 オハフ45 ブルー[KATO]《08月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5300 オハフ45 ブルー
2022.04.03
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JR東日本 特急「成田エクスプレス」大宮~新宿間取り止め2022年3月ダイヤ改正において、特急「成田エクスプレス」の営業範囲が昨年に続いて縮小され、大宮~新宿間の営業運転が廃止されました。大宮~新宿間の2往復が廃止になると共に、新宿~池袋間も同時に運転がなくなります。新宿駅にてコロナ禍となって以来、時差通勤により帰宅が1時間遅くなったため、毎日この時刻表示を見て帰宅するようになりました。当たり前の光景がもう見ることがなくなります。平成20年2月1日 大宮駅にて 253系Ne-105 「成田エクスプレス5号」大宮駅で出発を待つ成田空港行き。早朝発で利便性の良い列車だと思うのですが、何回か見る機会があったものの、客が乗っている姿は殆ど見たことがありません。平成22年3月13日 池袋駅にて 253系Ne-03 「成田エクスプレス14号」池袋駅に到着した上り「成田エクスプレス」。新宿までの需要があれば池袋までの乗客もそこそこ居る筈なのですが、元々新宿駅までの客も座席数に比べると格段に乗車率は良くありません。なので、池袋まで乗る客も全然といったところ。運転当初から乗車率は良くないにもかかわらず、コロナ禍であるべき需要が全く消えてしまいました。おそらくは回復することはないでしょう。このような状態が数年続くとなれば、特急「成田エクスプレス」の存続そのものも危うい気がします。現状においては入出庫の関係が残るでしょうから、コロナ禍の暫定運用ではあるところですが、池袋・大宮への回送運用は継続するものと思われます。98111 TOMIX トミックス 国鉄 キハ55形ディーゼルカー (急行色・一段窓) セット(2両) Nゲージ 鉄道模型 【9月予約】[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98111 国鉄 キハ55形ディーゼルカー(急行色・一段窓)セット(2両)
2022.03.13
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