Free Space
一番良くて一番楽な道 に対して
Oakさん:クリシュナムルティ風に言うと 作為のない 無執着な
あるがままの精神の発露 エゴから発する掲げられた「愛」とやらではなくて 本来の愛・・・
と言葉ですら言えないようなものでしょうかね
というコメントをいただき、
私:言葉では表現し難いと思います。これは愛なのか?道なのか?
oakさん:道のほうが近いかも。 大道廃れて仁義あり
↑の記事を教えていただきました。
そして私は以下のようにお返事申し上げました。
私:Oakさん記事拝見いたしました。
人を法律とか規則という外側から行動とか行為の規制をすることは可能ですから、
治安や平和のために法律を制定することは必要だとは思いますが、
それが 人の魂に響くわけではないんですよね。これは社則にしても校則にしても条約にしても・・・。
oak treeさん:法律の次元の話はまたさておき、むしろ心を縛り枷になるような主義信条というものがある、ということですね。
そういうものがないほうが心が自由で自然であるということです。
しかし実際にはいきなり自由になれと言われても困るんですけどね(笑)
私:物事に対する認識の仕方は人それぞれです。
苦労を苦労としない、嫉妬も含めて自分をのばし、磨く糧にできる
っと仰った方もいましたが、私はそこまで積極的でも、向上心があるわけでもありません。
嫌なものは嫌なんです!っていうわがままものですから・・・
それはともかく
(私にとって)苦労させられたと感じる事柄の原因を、
相手に求めるよりも、相手をしらないで、
(自分自身が)嫌な思いをさせられてしまうような接し方をしてしまった自分に求めて、
それを今後のその人との関係や接し方の参考にすべきなんだろうな、とは思いました。
ただこれには法則はないんです。それこそ経験が物を言うし、センスの世界!
なんとなく・・・とか全く根拠がもてない 第一印象が、
実は、 一番正確なその人との関係とか距離 の答えを示していたって後から、
かなり痛い目にあってからわかったりするんですよ。
もちろん先入観に捉われないってことを(経験を)重視すると、こういう失敗をやらかすわけです。(なんという逆説!!)
おそらく私が書くことは、きっと抽象的な表現すぎてよく伝わらないかもしれませんが、
私は自分を変えようとか相手を変えようなどとは思わないほうがまず無難だろう・・・
と思うのです。
相手を相手として受け止める、自分ができることをして、
相手とできるだけ居心地の良い距離を模索して、探り当てて、
その距離を調節しながら、持続させる努力をすることのほうが実用的であるし、
抵抗が少ないだろうと思うわけです。
これも全て私に体力的にも、精神的にもゆとりがないからなんですけれど。
そして
自分の変化とか、相手との関係の変化とかいうものは、
変化という革新的なものではなく(変化を目指しての変化)ではなくて、
自分対相手・状況・物事との適切な距離を持続させて、知らないうちに、
意図せずして、融合していく先に続いているものではないか
という気がしています。
卑近なたとえで示すと、夫婦の顔が共同生活の中でだんだんと似てくるようなものです。
ここでも 適合とか、適応性というものが大きいと私は思うのです。
私が2008年に突如薔薇が好きだった想いが憑き物が落ちたようなくなって、
野草に心惹かれるようになったときから、
もしかしたら・・・私はこれを無意識のうちに察知していたのだろうか?
と思いました。
oak treeさん:
あるがまま というのは 変化しようとすることでもなく
変化に適応することでもなく 革新でも革命でもなく ことさらに流れに任せることでもなく
構えのない しなやかな精神
なのでしょうね
気の抜けた脱力ではなくて 良い意味での敏感さがあって
停止ではない静止の状態 いつでも稼働可能な溌剌としている静止状態
高速に回転するコマが静止ししているようにも見える有様。
私:適応しよう、順応しようという力の元にあるのは、
なんとかここ(この場)で足を踏ん張りたいということが一番にあるんだと思います。
それがプッチンと切れてしまったのが、
私の場合は2010年の末でした。
そしてそのまま身体の方もフラフラと彷徨ってしまいました。
96年にイラン人として生活するようになってから、
私なりに一生懸命馴染もうとしていたんです。
そういう私の姿を皆、周囲は理解してなくても、見ていると私は思っていたのです。
でもそう思っていたのは私だけだった!というのを思い知らされ、
確かにこの時期はファミリーの緊急事態でもあり、
私の緊急事態だったけれど、そんな私に冷水をかけるようなことはしないと思っていたんです。
でも、冷水をかけられて、
今までの自分は、この場所になんとしても留まろうと
何が何でも我慢していた私の存在はなんだったんだろうか?
と、プチンと張り詰めていた糸が切れてしまったんです。
2010年末から2年が経過しますが、
相変わらず私には余裕も、余力もありません。
でも冷水をかけられて今はよかったと思っています。
一つの結果が出て、私もそれから今まで紆余曲折しましたが、
義両親、義姉妹の家族、夫とのちょうどいい距離を調整して、それがようやく見えてきましたから。
自分が楽に息ができて、手足がのばせるようにすることが、
結局は相手や周囲にとっても良いことである、そのために続かない無理はしない、
相手と自分にとって良いことを考えられるようになりました。
これをすご~~~く簡単にいうと、
いままで私は馴染もうとしていたんですけど、、、、今は ある部分に於いては、
”私ってこうなの~~~、いろいろ言いたいことあなたにもあるかもしれないけど・・・
この部分に関しては私に慣れてね~~~”
ってさらりと対応できるようになったんです。
夫に対しては以前も、 自分が不愉快に感じることを示せましたが、
親戚などにはどうしても、イランに住んでいるのだから、とこちらの常識と、私の日本人としての価値観がぶつかって、私が 我慢せざるを得ない部分 が存在していたのだと思います。
でも、
どうしても我慢できないことには、 嫌! って
言葉ではっきりいわなくても、
意思表示ぐらいはしないと、とてもとてもやっていけないっていうことを、
私はやっと自覚し、理解したのだと思います。
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