第百十五段
【本文】
むかし、陸奥にて、男、女、住みけり。男、「都へいなむ」と言ふ。この女、いとかなしうて、馬のはなむけをだにせむとて、おきのゐて、都島といふ所にて、酒飲ませてよめる。
おきのゐて 身をやくよりも かなしきは 都島辺の 別れなりけり
〇陸奥(みちのくに)=今の青森・岩手・宮城・福島の諸県と秋田県の一部にあたる。奥州。
〇かなしう=「かなしく」のウ音便。
〇馬のはなむけ=旅立つ人を祝福し、無事を祈って行う送別の宴。
〇だに=副助詞。せめて~だけでも。
〇おきのゐて=『講談社古語辞典』に「語義不明。本文の前後関係から、『沖の井手』の字をあてて地名とする説がある。『―、都鳥(島の誤植?)といふ所』 < > 」。『岩波古語辞典』に「〘連語〙未詳。オキノヰは地名であるともいう。『―身を焼くよりもかなしきは都島べの別れなりけり』 < 古今一一〇四 > 」。地名に「熾(赤く起こった炭火)が体に触れて」という意を掛ける。
【訳】
むかし、陸奥で、男と女が、いっしょに暮していた。男が、「都へいってしまおう」と言った。この女は、とても切なくて、せめて送別の宴だけでも開こうと思って、都島という所で、酒を飲ませた。おきのゐて、都島といふ所にて、酒飲ませてその際に作った歌。
オキノイテという地名の通り熾火が体に触れて身を焼くよりも切ないのは都島辺の別れだなあ。