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(本日更新1)カナダのケベック州はフランス語圏で今でもカナダからの独立運動が盛んですが、そんな中で走る車のナンバープレートは州法で全て後ろ側だけにしかつけられていません。疑問に感じた私は現地ガイドに聞いたのですが、「前から見えなかったら後ろから見ればいい。」とのことらしいです。そして結果「カナダやアメリカでは取締りのカメラ等は全て後ろ側から撮影し車の所有者に違反金の請求が行くそうです。」合理的な考え方ですね。またナンバープレートには、ジュ・ム・スヴィアン(Je me souviens)と「私は忘れない」という意味のフランス語の合言葉が刻まれています。これは古き良きフランスの歴史と伝統を守ろうとする姿勢の表れなのでしょうか・・・。〇カナダ・ケベック州で見かけた「車とナンバープレート(後ろだけ)車の前側(1)IMG_0159 posted by (C)手持ちのまっちゃん車の前側(2)IMG_0205 posted by (C)手持ちのまっちゃん車の後ろ側IMG_1769 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年11月11日
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(本日更新1)カナダのローレンシャン高原で見た「メープル(楓)の紅葉」です。紅葉の見ごろは1週間程度と短いらしく、最も綺麗に染まった晴れた日に行くのは、なかなか難しそうです。メープルは、カナダの国旗にもデザインされており、カナダの国の象徴として、自他共に認められる存在です。<カナダのローレンシャンの紅葉> http://plaza.rakuten.co.jp/mattyan328/diary/201210050000/〇カナダのローレンシャン高原で見た「メープル(楓)の紅葉」メープル紅葉1IMG_1913 posted by (C)手持ちのまっちゃんメープル紅葉2IMG_1942 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月24日
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(本日更新1)カナダ・ケベックシティの「勝利のノートルダム教会」です。17~18世紀の英仏戦争でのフランスの勝利を讃えて名付けられた教会で、珍しい城の形をした祭壇の前には、フランス人兵士らが航海に使ったとされる船の模型が展示されています。その後、最終的にはケベック州もカナダに編入されていますが、ケベック州ではフランス語も公用語で、現在もカナダからの独立運動が続いているようです。また、この協会は結婚式にも人気の教会のようで、この日も結婚式が行われていたので、教会の中を十分に見物出来ませんでした。〇カナダ・ケベックシティの「勝利のノートルダム教会」勝利のノートルダム教会1IMG_0197 posted by (C)手持ちのまっちゃん勝利のノートルダム教会2IMG_1863 posted by (C)手持ちのまっちゃん勝利のノートルダム教会3IMG_1862 posted by (C)手持ちのまっちゃん勝利のノートルダム教会4IMG_0205 posted by (C)手持ちのまっちゃん勝利のノートルダム教会での結婚式IMG_0204 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月23日
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(本日更新1)カナダのケベックシティで観察した「ノートルダム聖堂」です。ケベック州のカトリックの中心といえる大聖堂で、ケベック大司教座所在地で新大陸で最初に建設された聖堂です。内部は撮影禁止と聞いていたのですが、フラッシュ禁止のようだったので、カメラを机に固定して撮影しました。〇カナダのケベックシティの「ノートルダム聖堂」ケベック・ノートルダム聖堂IMG_0194 posted by (C)手持ちのまっちゃんケベック・ノートルダム聖堂IMG_1848 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月22日
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(本日更新1)カナダのモントリオールで観光した「ノートルダム聖堂」です。内部にはカナダにあるカナダ製パイプ・オルガンは、7000本ものパイプを使用しているようです。ステンドクラスも大変綺麗でした。〇カナダのモントリオールで観光した「ノートルダム聖堂」ノートルダム聖堂1IMG_0151 posted by (C)手持ちのまっちゃんノートルダム聖堂2IMG_0146 posted by (C)手持ちのまっちゃんノートルダム聖堂3IMG_0147 posted by (C)手持ちのまっちゃんノートルダム聖堂4IMG_1773 posted by (C)手持ちのまっちゃんノートルダム聖堂5IMG_1775 posted by (C)手持ちのまっちゃんノートルダム聖堂6IMG_1774 posted by (C)手持ちのまっちゃんノートルダム聖堂7IMG_1776 posted by (C)手持ちのまっちゃんノートルダム聖堂8IMG_1772 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月19日
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(本日更新1)カナダ紅葉旅行のもう一つの楽しみであった「ナイアガラの滝」で、近くから見ると凄い迫力でした。船(霧の乙女号)で滝下までのクルーズで行ってずぶ濡れにまりました。レインボーブリッジを渡ると向こうはアメリカ側です。カナダから出るのに50¢でゲートを通過でき、橋を渡ってアメリカ側で通関手続きを済ませて6$支払うと入国できたので、滝のあるゴート島まで観光と野鳥観察に行きました。通関手続きはすべて本場の英語なので、本場ものに苦手な私は四苦八苦でした(;^_^A苦労の甲斐が合ってアメリカ側から見た滝はもっと近くで見れて、これも大迫力でした。カナダ側は凄く観光化されて喧騒たる町並みでしたが、アメリカ側はひっそりとした街並みでした。この時はカナダ側では滝のしぶきでいつも雨降り状態でした。〇カナダ側とアメリカ側から見た「ナイアガラの滝」ナイアガラ滝1(カナダ側)IMG_0397 posted by (C)手持ちのまっちゃんナイアガラ滝2(カナダ側ライトアップ)IMG_0477 posted by (C)手持ちのまっちゃんナイアガラ滝3(カナダ側)IMG_0366 posted by (C)手持ちのまっちゃんナイアガラ滝4(レインボーブリッジ)IMG_0421 posted by (C)手持ちのまっちゃんナイアガラ滝5(アメリカ側)IMG_0434 posted by (C)手持ちのまっちゃんナイアガラ滝6と霧の乙女号(アメリカ側)IMG_0436 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月06日
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9月27日~10月4日まで、カナダ直行のJALチャーター便による「紅葉のカナダ」の旅に行ってきました。紅葉のメープル街道は800km程続き、天候が優れなかった時もありましたが、一番の見所のローレンシャン高原では、うまく薄日が射して来てくれて綺麗な紅葉が楽しめました。紅葉の絶好期間は1週間ほどしかないので、直行チャーター便ならではの紅葉巡りとなりました。〇カナダ「ローレンシャン高原」の紅葉カナダ紅葉1IMG_1937 posted by (C)手持ちのまっちゃんカナダ紅葉2IMG_1907 posted by (C)手持ちのまっちゃんカナダ紅葉3IMG_1911 posted by (C)手持ちのまっちゃんカナダ紅葉4IMG_1935 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月05日
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(本日更新1)オーストラリアのケアンズ近郊の農場で目撃した「自走式スプリンクラー」です。この装置はエンジン付きの自走式散水装置で、これが広大な農場を走り回り、農作物に水をやるようです。長いものでは数百mもあるようです。ガイドさんに聞いた話では、数キロmもあるような広大な農園では「飛行機で種を捲き」「自走式のスプリンクラーで散水し」「とてつもない大型のトラクターで収穫」するそうです。自走式のタイヤが踏み荒らし、その部分が収穫できなくなるような小さな事は考えていないようです。日本の小さな田畑とは、規模も考え方も大分違うようですね。〇オーストラリアの農場自走式スプリンクラー1IMG_1715 posted by (C)手持ちのまっちゃん自走式スプリンクラー2IMG_1714 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年01月19日
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(本日更新2)紀元前16~11世紀にかけて、移住してきたギリシャ人が築いたのがアルテミス神殿を中心に繁栄した古代エフェソスの街。紀元前7世紀頃、キンメリア人の攻撃を受け街も神殿も破壊されたが、リディア王クロエソスが再建、後紀元前5世紀、アケメネス朝によって占領、紀元前4世紀アレキサンダー大王の登場を待って、ヘレニズム時代となる。1世紀、初代ローマ皇帝アウグスティヌスによってローマ帝国領アジア州の都とされ広大な帝国内でも5本の指に入る大都市として発展した。3世紀、ゴート族の攻撃を受けたのが直接のきっかで衰退した。、7-8世紀、イスラム教化されたアラブ人の侵略を受け、後土砂に浸食され、港も埋まり廃墟となった。現在、まだエフェソス遺跡は10%程度しか発掘されていなくても、この規模であることから、その大きさは想像に絶する。将来、世界遺産に登録の可能性の高いと思われる。(追伸)11月のトルコ旅行の忘れられない遺跡の記録として今回取り上げました。〇エフェソス遺跡エフェソス遺跡1IMG_1248 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡2IMG_1254 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡3IMG_1269 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡4IMG_1277 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡5IMG_1312 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡6IMG_6181 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡7IMG_6192 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡8IMG_6198 posted by (C)手持ちのまっちゃんエフェソス遺跡9IMG_6220 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月31日
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(本日更新1)11~13世紀に小アジアを支配したセルジューク・トルコ。コンヤはその首都として、イスラム世界の政治、文化、芸術の中心地となりました。そのため街のあちらこちらに当時の建物が残っています。メヴラーナ教の総本山でもありました。今ではこちらのほうが有名です。神秘主義者メヴラーナ・ジェラレディン・ルミによって提唱された宗教運動は、一心不乱な旋舞により神との一体感を得るという、イスラムとはかけ離れたあまりにも異色なものでした。その開祖の霊廟が博物館として公開されています。(追伸)11月のトルコ旅行の忘れられない遺跡の記録として今回取り上げました。〇トルココンヤのメヴラーナ博物館トルコ(コンヤ)1IMG_1359 posted by (C)手持ちのまっちゃんトルコ(コンヤ)2IMG_1361 posted by (C)手持ちのまっちゃんトルコ(コンヤ)3IMG_1362 posted by (C)手持ちのまっちゃんトルコ(コンヤ)4IMG_1366 posted by (C)手持ちのまっちゃんトルコ(コンヤ)5IMG_1367 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月31日
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12月11日から16日までの6日間(実質4日間)のオーストラリア(ケアンズ)の鳥観旅行から先ほど20時30頃無事帰国しました。オーストラリアでは、ケアンズとその周辺・アサートン高原・キングフィッシャーパークと鳥観を続け、シラオラケットカワセミやヤイロチョウ他、総計150種ほどの野鳥が観察できました。また、データ整理が出来れば紹介していきたいと思います。〇関空からケアンズへ出発ケアンズに向けIMG_1625 posted by (C)手持ちのまっちゃん〇ケアンズから関空へ帰国帰国便JQ015便IMG_1834 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月16日
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この日は、キングフィッシャーパークから探鳥しながらケアンズに戻る。
2011年12月15日
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この日は、ケアンズから探鳥しながら、野鳥の楽園で探鳥の憧れの地「キングフィッシャーパーク」へ出発。キングフィッシャーパークでは、目的のシラオラケットカワセミとノドグロヤイロチョウ等を観察。
2011年12月14日
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この日は、アサートン高原地区を中心に探鳥
2011年12月13日
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朝05時10分ケアンズに到着(時差+1時間)この日は、07時30分頃から、ケアンズ市内とその周辺を探鳥
2011年12月12日
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トルコ世界遺産の「カッパドキア」です。火山の噴火で出来た大地でとてつもない広さです。この前はバルーン(熱気球)でも紹介しました。特にギョレメはキリスト教徒が迫害を逃れて移住してきた歴史があり、その一部を野外博物館として開放しています。フレスコ画(撮影禁止)や壁画が今も残っています。現在でも一部の許可された人々は、劣化防止の観点からこの奇岩の中で生活しています。〇カッパドキアカッパドキア1IMG_6347 posted by (C)手持ちのまっちゃんカッパドキア2IMG_6355 posted by (C)手持ちのまっちゃんカッパドキア3IMG_6357 posted by (C)手持ちのまっちゃんカッパドキア4IMG_6400 posted by (C)手持ちのまっちゃんカッパドキア5内部IMG_1415 posted by (C)手持ちのまっちゃん〇ギョレメ野外博物館カッパドキア6IMG_1452 posted by (C)手持ちのまっちゃんギョレメ野外博物館1IMG_6372 posted by (C)手持ちのまっちゃんギョレメ野外博物館2IMG_6444 posted by (C)手持ちのまっちゃんギョレメ野外博物館3IMG_6438 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月10日
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ヒエラポリス遺跡とパムッカレは、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されており、トルコの代表的な観光地となっています。〇パムッカレパムッカレは石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、丘陵地帯の石灰棚が弱酸性の雨によって溶け、地熱によって温泉となり沈殿した石灰が固まった結果、この芸術的な景観が生まれたそうです。訪れた時は残念ながら水量が殆んどなく、迫力が少し足りなかったようです。パムッカレ1IMG_6298 posted by (C)手持ちのまっちゃんパムッカレ2IMG_6299 posted by (C)手持ちのまっちゃんパムッカレ3IMG_6292 posted by (C)手持ちのまっちゃんパムッカレ4IMG_6297 posted by (C)手持ちのまっちゃんヒエラポリス遺跡とパムッカレIMG_6282 posted by (C)手持ちのまっちゃん〇ヒエラポリス遺跡ヒエラポリス遺跡は2世紀頃のパムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡で、ローマ帝国に温泉保養地として栄えたらしい。現在は大地震で完全に廃墟と化しています。ヒエラポリス遺跡1IMG_6260 posted by (C)手持ちのまっちゃんヒエラポリス遺跡2IMG_6264 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月09日
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(本日更新2)世界遺産トロイ遺跡は直径約600m程の小さな城塞で、初期青銅器文明の紀元前3000年から、ローマ時代の紀元前334年まで栄えたらしい。トロイの木馬は、神話の世界と思うが、トロイ戦争でギリシャ軍に勝ったと思ったトロイ兵が戦利品として木馬を港から持ち帰ってお祭りをしていたところ、木馬の中にひそんでいたギリシャ兵によって町を滅ぼされたと謂われている。〇伝説のトロイの木馬トロイの木馬1IMG_1172 posted by (C)手持ちのまっちゃんトロイの木馬2IMG_1175 posted by (C)手持ちのまっちゃんトロイの木馬3IMG_6065 posted by (C)手持ちのまっちゃん〇トロイ遺跡トロイ遺跡1IMG_1182 posted by (C)手持ちのまっちゃんトロイ遺跡2IMG_1211 posted by (C)手持ちのまっちゃんトロイ遺跡3IMG_6082 posted by (C)手持ちのまっちゃん遺跡ガイドIMG_1176 posted by (C)手持ちのまっちゃん〇トロイの夕日トロイの夕日IMG_6083 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月08日
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(本日更新1)ダーダネルス海峡は、ヨーロッパ大陸とアジア大陸を隔てる狭隘な海峡で、フェーリーでヨーロッパ大陸側からアジア大陸の町まで横断するのに約30分かかった。アジア大陸側の町の名前をとってチャナッカレ海峡とも呼ばれており、先は地中海につながるエーゲ海と黒海につながっている。〇ダーダネルス海峡ヨーロッパ大陸IMG_1151 posted by (C)手持ちのまっちゃんフェリー1IMG_1135 posted by (C)手持ちのまっちゃんフェリー2IMG_1142 posted by (C)手持ちのまっちゃんアジア大陸(チャナッカレ)IMG_1167 posted by (C)手持ちのまっちゃん〇海峡で出会った野鳥達カモメ3IMG_6060 posted by (C)手持ちのまっちゃんシラコバト1IMG_6052 posted by (C)手持ちのまっちゃんイエスズメ1IMG_6037 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月08日
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イスタンブールの通称「地下宮殿」。東ローマ帝国時代は巨大な貯水槽であったらしい。東ローマ帝国の貯水池としては最大のもので、現在は一般にも公開されイスタンブルの歴史地区として世界遺産にも登録されている。造りにはかまっていられなかったのか、柱の顔が反対に利用されていた。内部はライトアップされていたので、三脚はなかったが真面目に撮ってみた。(追伸)先ほど30万アクセス(約300アクセス/日)を突破したようです。2年半ほど前までは毎日飲んで夜遅く帰ってましたが、ブログ始めてから基本毎日更新の積み重ねで、殆んど真直ぐ帰宅・・その成果でもあると自分でも思っています。これからもよろしくお願いします。〇イスタンブールの通称「地下宮殿」地下宮殿入口IMG_6526 posted by (C)手持ちのまっちゃん地下宮殿1IMG_6529 posted by (C)手持ちのまっちゃん地下宮殿2IMG_6535 posted by (C)手持ちのまっちゃん地下宮殿3IMG_6549 posted by (C)手持ちのまっちゃん地下宮殿4IMG_6540 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月07日
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トルコ旅行の途中の11月14日、世界遺産カッパドキアで最近はやりのバルーンツアーと遭遇した。広大な世界遺産を熱気球に乗り上空から観光するツアーで、下界からは世界遺産と熱気球が調和して綺麗な光景だった。バルーンツアーは、早朝(約4時起き)から出発し、上空から日の出と伴に世界遺産を観光するオプションで、約2万円くらいかかるようです。〇世界遺産のカッパドキアで遭遇した(バルーン「熱気球」)バルーン1IMG_1380 posted by (C)手持ちのまっちゃんバルーン2IMG_1384 posted by (C)手持ちのまっちゃんバルーン3IMG_1392 posted by (C)手持ちのまっちゃんバルーン4IMG_1424 posted by (C)手持ちのまっちゃんバルーン5IMG_6363 posted by (C)手持ちのまっちゃんバルーン6IMG_6341 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月05日
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11月16日(水) 07:00 イスタンブール ホテル発 グランドバザール観光 世界遺産「イスタンブール市内観光 ・ブルーモスク ・アヤソフィア大聖堂 ・トプカプ宮殿他 ・地下宮殿他 23:55 イスタンブール 発(帰路へ)
2011年11月16日
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11月15日(火) 07:30 カッパドキア ホテル発 (バス移動) ギョレメ野外博物館観光 (バス移動) カイセリ空港着 15:00 カイセリ発 (飛行機移動) 16:30 イスタンブール着 18:00 イスタンブール ホテル着
2011年11月15日
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11月14日(月) 07:30 カッパドキア ホテル発 (バス移動) 世界遺産「カッパドキア」観光 ・カイマルク地下都市 ・ゼルベの谷 ・デブレント ・パジャパー ・3姉妹の岩 ・ギョレメの谷 ・イチヒサール 18:00 カッパドキア ホテル着(2連泊)
2011年11月14日
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11月13日(日) 07:30 パムッカレホテル発 (バス移動) 世界遺産「パムッカレ」観光 (バス移動) コンヤのシンボル「メヴラーナ博物館」観光 (バス移動) 19:30 カッパドキアの洞窟ホテル着(宿泊)
2011年11月13日
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11月12日(土) 08:00 アイワルクホテル発 (バス移動) エフェソス遺跡観光 (バス移動) 19:00 パムッカレのホテル着
2011年11月12日
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11月10日(木) 23:30 関空発 11日(金) 05:55 イスタンブール着(時差-7時間で飛行時間は13時間) (バスで移動) 世界遺産「トロイ遺跡」観光 (バスで移動)19:00頃 アイワルクのホテル到着(宿泊)
2011年11月11日
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(更新1)昨年12月に台湾金門島遠征時に見かけた戦車です。この戦車はどうも旧式らしく、退役してもなお砲塔は中国大陸の方向に向けられて並んでいた。ちなみに金門島の名物は、その昔中国大陸から飛んで来た砲弾の破片で造られた包丁である。フォト蔵に保存して忘れていたので今回再度の台湾遠征にちなんで取り上げた。〇台湾金門島で見かけた「退役戦車」(昨年12月24日撮影)戦車1IMG_0082 posted by (C)手持ちのまっちゃん戦車2IMG_0083 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年05月22日
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(台湾遠征中)
2011年05月15日
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(台湾遠征中)
2011年05月14日
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