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学校を卒業してから、ほとんど中国語を使っていません。やばしです。私が一番恐れているのは、学校を離れることによって中国語から遠ざかってしまうことです。それは、机に向かって学ぶ中国語ではなく、人と会話することで学ぶ中国語です。話さなくなることが怖いんです。地元に戻ってすぐに中国人をナンパしようと思ってたんですが、どうにも時間が取れません。学校卒業して、まだ2週間もたってないので、そんなに焦る必要はないと思うんですが。…焦ってます。TV電話でお茶の間留学だのウェブカメラで気軽にレッスンだの、様々な便利ツールが溢れるご時世に、生で会って会話する相手を探している私は古風でしょうか?…ていうかケチなのか?(笑)いやいや、友達が欲しいんですよー。(今更)仕事でも当分中国語の出番はなさそうだし…。(先日、職場に行ったらそう言われた;)向上しなくても、最低限今のレベルを維持したいです。いつの番組だったか忘れましたが、SMA●草●君の韓国に対する、韓国語に対する姿勢を見て、自分はまだまだだなぁと感じました。あれだけ忙しい人でも、3年間であそこまで話せるようになったのに、同じように3年間中国語を学んだ私は、まだまだ彼に遠く及びません。…と反省してみても、生来「地道に根気強く努力する」のが苦手な性質なので、一生彼のようにはなれないでしょう。(おい)ただ、折角身につけたものだし、大好きな国の言葉だから、絶対に手放さないつもりではありますが。
2004年03月25日
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昨年自殺を図った友人の日記を見た。彼女は春から学校に戻ってくる予定だそうだ。留学するのが夢だそうだ。現実を語りながら、彼女は死を口にする。習慣のように腕を切る。私には、彼女の死に対する姿勢が分からない。日記には楽しそうな顔文字が並ぶ。楽しそうな顔文字と「死」という言葉が同居している。「死」「逝」そんな文字が頻繁に出てくる。楽しそうに。まるで「死」が本当に楽しく、素敵なものであるかのようだ。TVでリスカやアムカを繰り返す女性達を取材した番組を見た。ある女性は言った。「リスカやアムカをしている人に対して、やめろとは言わないで欲しい。それは私達にとって、死ねと言っているのと同じだから」と。手首や腕を切ることと、自殺を図ることは別なのだろうと思う。では、彼女は何故いつも死を考えているのか。何故腕を切るのか。死なないために腕を切っているのではないか。だが、彼女は死にたいと言う。私は彼女に「やめろ」と言ったことはない。無理にやめさせても、私にはその後の責任を取ることなど出来ないからだ。私には何も判断出来ないからだ。どうすればいいか分からないからだ。私は彼女の死など望まない。だが、彼女にかける言葉も見つからない。「キレイに逝ければいい」と彼女は言う。キレイに逝くとは何なのか。苦しまずに逝くことか。体に傷一つつけず逝くことか。誰にも迷惑をかけず逝くことか。一瞬で逝くことか。以前は、彼女の言葉や表情で、彼女の望む言葉、態度が分かった。今は何も分からない。何を望んでいるのか。何も望んでいないのか。そもそも、本気で死のうと考えているのかどうかさえ分からない。彼女を引き止めたいと思うのは、私の我侭だろうか。
2004年01月06日
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某日記がダウンしちゃったらしく、また新しく日記探さなならんようです。がっくり。前回ここに書き込んだのはいつでしたっけ。あのうんざりするような事件に関して、つい最近(といっても11月下旬か12月アタマ)某ニュース番組で、現地日本人留学生のその後を放送していました。あの後、事件のあった大学に留学中の日本人に対し、大使館(?)は帰国を勧めたそうです。(抗日デモを起こした学生達が学内にいて危ないから)帰国した人もいたかもしれませんが、インタビューを受けていた学生は帰国しなかったそうです。二度とこのような事件を起こさないためにも、きちんと中国語を学んで、日中間の交流をより深めたい。というのが、その理由でした。ただ、「あの事件以来、自分が日本人であることを公言するのが怖くなった」とも語っていました。語学力を身につけ、「日本人=悪劣」というイメージを払拭し、個人レベルでの交流を深めていきたいと思っても、騒ぎを起こした日本人と同じ人種であることは事実で、それはやはり負い目になるのでしょうか。中国人の日本人に対する感情は複雑で、いつ何時「抗日」が叫ばれるか分かりません。何しろ、子供用の国語参考書に「日本鬼子」、スポーツの試合を報じる新聞でも「抗日」の文字が載るのですから。日本でいうなら、欧米との試合で「鬼畜米英」と叫ぶようなものでしょう。そう言われるだけのことをした、と言われればそれまでなんですが。私自身、北京の抗日記念博物館で日本語を話すのが憚られましたし。(小心者)とかく愛憎相半ばする日中関係ですが、中国に残った日本人留学生同様、私も個人レベルでの交流を深めていきたいと思います。先日、初めて翻訳のバイトを任されました。子供用の教材と劇の台本(?)を日本語から中国語に訳したんですが、子供用だからといってナメてちゃいけませんね…。(汗)色々チェック入れられましたよ。とほほ。勉強になりました。
2003年12月22日
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何の話かといいますと、先日西安で起きた抗日デモ。(日本人留学生が大学の交流会で、真っ赤なブラ&股間に紙コップという姿を披露した上、「看!這就是中国人(見よ!これこそ中国人)」と発言したことで、学内から抗議運動が起こった)その日本人留学生は書面で謝罪し、大学から除籍され帰国したそうですが、最初にこのニュースを聞いた時は耳を疑いましたよ。留学するからには、何かしら目的があってその国へ赴くわけですよね。その国の言葉を習得したい、その国で生活したい、何となく興味があった等々。その国が嫌いなのに留学する人は、滅多にいないと思います。彼らだって、中国に何かを求めて留学していたはずです。それが何故あんなことになるのか。真っ赤なブラなんて事前に準備していないと、急に用意できるものではないので、ただ単に酔っ払いが起こした騒ぎとも思えません。もちろん、学生以外に日本人教師も一人混じっていたので、いくらなんでも中国人に喧嘩を売りたかったわけではないでしょう。悪気はなかったんだと思います。私が疑問に思うのは、彼らは中国で生活していた中で、中国人という人々のことを考えることがなかったのかということです。外国で生活していれば、嫌でも自国との違いが見えてきます。昨年中国への短期留学で、一ヶ月しか滞在しなかった私でさえ、「ここはやはり日本ではないんだ」ということを何度も感じました。中国人の言動にとまどうことも、しばしばでした。彼らが中国で何年、何ヶ月生活していたかは分かりませんが、その間中国人の気質というものに、一度も目を向けなかったのでしょうか。どの国でも、冗談ですむことと、すまないことがあります。あんなパフォーマンスを行う前に、その境界線を確認する人がいたのかどうか。確認しないのは問題外。確認した上での行為だとしたら、今まで中国人の何を見ていたのかと思います。中国人は、自分の面子を潰されるのが大嫌いです。もちろん、世界中どの国の人だって嫌いでしょうが。日本人の多くは、自分を卑下することに、あまり抵抗がありません。それを日本では「謙遜」というのですから。謙遜する=慎み深い。悪いことではありません。日本では。中国人は、滅多に謙遜なんてしません。何なら出来ないことも「出来る」と言います。(それはどうかと思いますが)「対不起(ごめんなさい)」も滅多に言いません。実際、私は中国で「そこは謝れよ!」という場面に何度も遭遇しました。(その内自分も謝らなくなってましたが…)プライドの高さでは、日本人はその足元にも及ばないでしょう。そんな彼らの目の前で、あの行為。「デモを起こしてくれ」と言っているようなもんです。私は中国が好きです。中国人が好きです。長所も短所も含め、母国である日本を想うように、中国を想っています。だから、あの国で一部の日本人が問題を起こし、「抗日」という文字がニュースや新聞に載るたびに、日本で一部の中国人が殺人や強盗をして、批判の対象となるたびに、本当に悲しくて、泣きたくなります。問題の起こらない人間関係なんてありませんけどね。こんな無駄な騒動は、もうごめんです。私は、中国人と知り合う度にこう言っています。「我非常喜歓中国!」社交辞令ではありません。「中国大好き!」好きでも嫌いでも、お互いを理解しあうのは必要なこと。我が身を振り返る事件でもありました。ちなみに、日中関係だけ良ければいいと思ってるわけじゃないですよ。(笑)
2003年11月05日
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この曲が聴きたくて、森山直太朗のアルバムを借りました。シングルでも出てるんですが、折角だから他のも聴いてみようと思いまして。でもやっぱりこの曲が一番良かったです。井上陽水の『少年時代』もそうですが、夏のバラードっていうのは何故か郷愁を誘いますよね。私が田舎育ちだからかもしれませんが。(写メ日記参照)東京は残暑が厳しいので、秋!という感じはありませんが(朝晩は涼しいんですけどね)、実家の方は、そろそろ風の匂いや夕焼けの色が変わってきてるんだろうな~と、そんなことを考えながら聴いていました。ちなみに私は、山に沈んでいく夏の夕焼けが大好きです。『ハッピー・フューネラル』という映画を見ました。中国映画です。よく出来た作品ではありませんが、主人公に惹かれました。妻に離婚され、リストラされた主人公が、某西洋人映画監督の姿をカメラで追い続けるという仕事を与えられます。主人公は英語が話せないし、その監督も中国語は理解出来ません。たどたどしい英語と、オウム返しの中国語で、コミュニケーションをとっていく中、監督は中国に「喜劇葬礼」というものがあることを知ります。つまり、死んだ人を楽しく送る葬儀です。(勝手にそう解釈しただけですが)監督は、自分が死んだら「喜劇葬礼」をあげてほしいと、主人公に頼み、その後本当に倒れて危篤状態に陥ります。そこで主人公は、監督の願い通り、「喜劇葬礼」を盛大に行うため、あちこち奔走するわけですが…。(まだ死んでないのに)これ以上は書きませんが、とりあえず中国で売られている商品等を知っていると笑えます。あと、主人公いいです。坊主頭にヒゲに眼鏡。ルックス最高です。ツボでした。いや、男前ではありませんが。ハリウッド系の良く出来た映画を見慣れている方には、面白くないことうけあいです。(どんな紹介や)
2003年09月18日
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というのは、便利というか何というか…。これも交流の輪を広げるための措置なんでしょうが、皆さんどういった道を辿って、ここに来られたのでしょう?日記をUPした直後なら、新着か何かに載るんでしょうけど。やっぱり適当ですかね?そういえば、テーマ日記の中に「“素通り禁止”というのは如何なものか?」みたいなテーマがありましたが、やっぱ覗いたからには一言記していけよーってな人もいるんですね。自分のサイトを覗いた人がどんな人物なのか気になるんでしょうか。分からんでもないですけど。(でも訪問履歴に残ってるしなぁ…)ま、ここは全然素通りして下さって結構です。しかし、気の向くままに覗いたページの管理者さんに、自分の名前と所在が知れるって、ちょっと恥ずかしいかも。深く考えずに色んなとこ覗かせて頂きましたけど。「素通り禁止」だったらごめんなさい。(笑)
2003年08月23日
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Lycosから移行してきました。ここでは何となくフツーに日常を綴る気にはなれないので、日々思ったことを書いたり、テーマ日記を書いたりしてみようかなと思っています。恐らく、滅多に更新されないでしょうが…。楽天は、利用者同士の交流が盛んですね。自分と同じ誕生日や出身地、共通の趣味を持った人を簡単に探せるからでしょうか。「友達100人できるかな♪」なんて歌がありましたが、今は友達100人いる人なんてざらですよね、きっと。ちなみに私はいませんが。(^^;)まぁ、どっからどこまでが友達かって話ですが。私は、根がヘタレで、結構寂しがりやです。が、寂しいからといって、誰彼かまわず友達になったりはしません。ていうかなれません。不器用ですから。(誰)私は他人を「友達」だと思えるまでに、結構時間がかかる方です。一度でも遊んだら、一度でも会話したら友達。そんな風に思えるほど、でかい器は持ち合わせておりません。「友達」は、もっと気軽なものですか?皆さんにとって、「友達」とはどういった人達ですか?私にとって「友達」とは、「大切な人達」です。
2003年08月22日
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