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「短歌人」10月号に掲載された歌人・生沼義朗氏の優れた評論「解体そして新陳代謝」より、歌壇内外から注目を集めている気鋭の若手歌人・永井祐氏に関する部分を一部引用してご紹介したい。骨子は下記の通り。 永井祐論として出色であることはもちろん、彼の出現が歌壇に与えつつあるインパクトと、アクチュアルな現代短歌史的意義について、世代論をからめつつかなり納得のいく分析をしていると感服した。実をいうと、私もかねてから似たような方向性で考えていたのだが、緻密に思考を深めるのは苦手かつ面倒くさいので(よく言えば直観的な性分なので)、ここまでの思索にはとてもとても達していなかった。 永井作品と石川啄木の通底的な相似性については比較的見やすいところだと私は思ってきたが、生沼氏が、同じ近代でも巨人・斎藤茂吉を引き合いに出してきた点には舌を巻いた。これすなわち、「短歌人」が誇る巨匠・小池光氏の名が喉まで出かかっているということかと勝手に忖度している。 今後、永井作品に言及する者は、何人もこの論文を無視できないであろう。いうなれば、歌壇側からの永井氏への「武装解除」宣言とでもいうべきか。いずれにせよ、「叩き台」としてもかなり包括的で完成度の高い評論であると思う。なお、この評論文はもう3人の新進歌人の作品に言及しているのだが、この部分については、言っては悪いが「なるほどごもっとも」という棒読みの感想しか浮かばなかったのは、まことに申しわけなく思う。【以下引用】 永井は徹頭徹尾、平易な口語文体でフラットな世界を立ちあげてきた。ゆえに作中主体の行動を言葉通りに解釈し、その感情がはっきりと描写されていないために、(特に上の世代の)読者が読みを深められずに終わる現象が確かにあった。 実際、穂村弘からは「修辞レベルでの武装解除」の代表例と看做され、永井を痛烈に批判した島田修三の時評「まわって来たツケ」(「短歌現代」2006年5月号)は当時大きな反響を呼んだ。一方で、永井と同世代の花山周子は、坂井修一、大辻隆弘、斉藤斎藤との座談会「批評の言葉について」(「短歌研究」2010年6月号)で、「割と近代に近いような読み方で素朴によさを感じているんですけれども、歴史からもっとも切り離されたみたいな言われ方をされているのをよく聞いて意外な感じがするのです。(略)彼の作品が上の世代の方たちに受け渡される過程に、穂村さんの批評用語が挟まることで、かなりねじれた伝わり方をしているのではないか(以下略)」と述べている。(中略) かつてリアリティは、具体的なモノと合わせて読者に手渡すのが王道だった。その最たる例が斎藤茂吉の唱えた実相観入である。だが永井は、リアリティをリアリティのまま、剥き身の状態で読者に提示する。永井にとって、歌の中に出てくるモノは比喩でも象徴でもなく、ただ(作品世界の中で)そこにあるから読み込まれているに過ぎない。つまり、従来の読み方では、永井の歌からリアリティを感受できないのだ。永井の歌の詠まれ方が世代によって異なる大きな要因である。 だが、『日本の中でたのしく暮らす』(2012年5月刊)をよく読むと、作中主体の気質という点では、前述の座談会で花山の言った「割と近代に近い」ことがよく分かってくる。永井は表面的な写生にとどまることなく対象に自己を没入し、自己と対象が一つになった世界を具象的に写そうとしており、その意味で実相観入本来の意義は果たされている。ただ、その修辞や描写のベクトルが近代短歌のセオリーとあまりに違うゆえに、反応の差が生じたのだろう。 かつて、永井の作品はしばしば「脱力系」と評されたが、脱力と呼ばれるべき要素はそれほど感じられない。読者が永井の作品を読んで勝手に脱力するのならともかく、少なくとも作者および作中主体は脱力なんかしていない。むしろ冷静に対象を眺めている。脱力しているように感じるのは、作中主体自身や外部の把握はもちろん、表現そのものもやるせないほどまでに身も蓋もないからである。 とはいえ、読者へ主義主張やメッセージを届けようとする歌でもない。あくまで永井は、現在使われている言葉の、現在使われている用法で、現在の生活と自我を描いているに過ぎない。そこに、前衛短歌およびそこから派生したニューウェイブが培ってきた、修辞を駆使した自我の描き方の方法論は存在しない。その意味で、前衛短歌以降の方法論を一度解体し得たことは永井(ひとりだけではないが)の功績と言っていい。【引用了】 (文中敬称略、下線は筆者の疑問点) ただ、「ツッコミどころ」は若干あるようにも思える。アンダーラインを引いたところあたりに、私個人はちょっと引っかかった。認識が間違っているというのではなく、論理的整合性は至極通っているのだが、異議というほどではないものの、かすかな違和感を覚えるのだ。 「その修辞や描写のベクトルが近代短歌のセオリーとあまりに違う」と生沼氏が言うほどに方向性が違っているとは思えないのだ。私には、同じ近現代の日本語表現という枠組みの中での時代・世代や個性の差異に過ぎないのではないかと感じられる。坪内逍遥や二葉亭四迷らが明治期に(当時の落語の速記本を参考にしたといわれるが)言文一致体を始めた時の読者や識者の戸惑いと似たような現象ではないかとも思われる。 「読者へ主義主張やメッセージを届けようとする歌でもない」という点にもやや違和感がある。なるほど、狭義の(政治的、ないし社会的などの)「主義主張やメッセージ」性は確かにないが、茫漠とした広い意味での(とりわけ文学的な)メッセージ性は明らかにあると、私には感じられる。ただ、これらはいずれも直観的な感じ方であり、これを的確に説明する言葉を持たないわが身の無知が残念である。 永井作品の持つフラットなテクスチャーは、何かに似ている(デジャブがある)とかねがね思っていたが、短歌以外にいくつか思い当たるものがあると気づいた。それは例えば保坂和志の小説である。谷川俊太郎の一部の詩である。いずれも私は大ファンで、主要作品はほとんど読破していると思う。また、多くの俳句が醸す枯淡な境地である。映画でいうと、成瀬巳喜男監督の作品群である(その系譜からは異質といわれる代表作の『浮雲』を除く)。 一見平板で起伏がなく、だらだらしているように見える中に、噛めば噛むほど味が出る都こんぶやするめいかのような興趣がじわじわと溢れ出してくるのである。私は若い永井君に魅せられてゆくばかりであり、蔭ながら将来を嘱望しているところである。* 永井作品のいくつかは、10月2日~3日のエントリーに掲載しています。 大塚駅 都電・大塚駅前停留所(東京都豊島区)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。画像には特に意味はありません。
2014年10月18日
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小池光(こいけ・ひかる)たくさんのことばをしやべる人をりて歌の講釈をしてをれるらし「短歌人」2008年11月号
2014年10月03日
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藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう)キリマンジャロ挽きては思う見えざれど真昼の天に惑星あるを果てしなき砂漠をあゆむ隊商の一人となりて果てたかりしに誕生とともに落ちはじめる砂の色知らざれど量知らざれば「短歌人」9月号* この3首を含む一連を肴に一晩飲めた。わが師匠、絶好調とお見受けする。三首目は、二首目の「砂漠」からの展開で、砂時計のイメージ。「人生の砂時計の砂の色は知らないが、(あらかじめ有限である時間の長さを示す)砂の量も知らないので・・・」という言いさし(接続助詞で終わる言い回し)の論理的意味はやや晦渋だが、奇妙に心に残る一首である。2、3句目が句またがりで、「誕生と/ともに落ちはじ/める砂の/色知らざれど/量知らざれば」となっている。 キャラバン(隊商)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年09月15日
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井上春代(いのうえ・はるよ)思想など雲の上にあり反対の反対がための新聞やめたり四十年愛読なせし新聞を止める訳など言いたくないが「短歌人」2月号註 ついに、と言うべきか、やはりと言うべきか、歌壇主流派の一角を占める「短歌人」の有力同人のベテラン歌人がこういう歌を詠む時代がやって来たのである。この「新聞」がどの新聞であるかは、「思想」「反対の反対がための」の文言によって自明であろう。昇った日はやがて沈むのである。一葉落ちて天下の秋を知るべきである。
2014年02月19日
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宇田川寛之(うだがわ・ひろゆき)領収書もらはぬけふのひとり呑み、とことん呑みたしあくびしたれど三業地の路地を歩めば猫と会ひ昭和の夜に包まれゆきぬ呑みし量を手帖に記しささやかな日日の記憶を積み重ねゆく「短歌人」12月号註三業地:一般的には花街を示すお役所言葉だが、ここでは「大塚三業地」のことだろう。東京・JR大塚駅南口から山手線に沿って巣鴨駅の方向(東)に料亭や待合旅館、飲食店が立ち並ぶ地帯。地味ながら独特の風情のある「昭和の」町並みは大人が歩くのにふさわしい。五代目・坂東玉三郎の出身地としても知られ、地元の人々はそれを誇りにしている。歌としても巧みと思うが、それ以上に私には個人的な懐かしさがこみ上げてきて、感激の三首である。私も20代の終盤まで大塚(豊島区南大塚)の会社に勤務し、その近所のアパートに住んでいた。この大塚三業地は私も根城にしており、夜な夜なここで呑んだくれていた。安月給の身で、飲食費のエンゲル係数が極度に高い生活をしていた(笑)一見すると地味な裏通りだが、料理や酒が美味い店や、さりげなく粋で楽しい店が目白押しだった。常連同士の老若の知り合いもたくさんいて、ごちそうになったこともたびたびある。ここで出会った女性と恋もした。大げさにいうと、青春の残照の墓標ともいえる場所である。宇田川さんの歌にはしばしば酒が登場し、重要なモチーフ・小道具になっているが、飲んでいる場所が大塚三業地と明記されたのは、私が知る限り今回が初めてではないかと思う。以前からそうではないかと密かににらんでいたのだが、やっぱりそうだったようだ。さすがに脂の乗りきった一流歌人、いいところでお飲みになってるな~と思う
2013年12月25日
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高橋とみ子盆提灯ひごの数だけのばし切り門に対なす火袋ともすカーテンのレースの襞をおくりおくり猛暑の庭へせせり蝶はなつどの木肌どの鉄柱か選びかね羽音さだまるまでのアブラゼミ「短歌人」11月号註熟達の力量を感じさせる作者の近詠。一首目、私も地方都市で歴史の古い祭礼に携わっているので、このような先祖代々の因習的な世界は割とよく知っているが、これはこれでいいものである。これを簡単に陋習などと斬って捨ててほしくないと思う。この歌は客観写生に徹しつつ詩がある。「門に対なす」は「かどについなす」と読むか。二首目、三首目も語り口がすばらしい。一事が万事で、作者はこうした玄人好みの完成度の高い歌を毎月のように発表している手練(てだれ)である。今後も注目していきたい人である。ひご(籤):(竹を細く割り削って作った)ちょうちんの骨。「ひごをのばす」とは、小さく折り畳まれていたちょうちんを使うために伸ばすこと。
2013年11月19日
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小池光(こいけ・ひかる)野良猫にひとたび生まれいつのまに妻なきわれをかくも慰む「短歌人」平成23年(2011)11月号
2013年11月15日
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小池光(こいけ・ひかる)やすやすと歌の出てくるうれしさを正岡子規の歌は伝ふる降る雨をむかへて立てる噴泉に春のちからのみなぎりゐたれ「短歌人」5月号
2013年04月28日
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吉岡生夫(よしおか・いくお)国民といわれたくない国民と呼ばれたくない 鳩山や小沢に亡霊のたなかまきこがあらわれてぺちゃくちゃぺちゃくちゃよく喋ります「短歌人」9月号* 吉岡氏の「吉」の字は、正確には上の部分が「土」の、俗に「つちよし」と呼ばれる異体字です。ちなみに、牛丼の「吉野家」も同様です。
2012年09月01日
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砺波湊(となみ・みなと)ある程度抗ってから受け入れる設定なのだゼリーは匙を「短歌人」9月号註抗(あらが)う:抵抗する。
2011年10月08日
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小池光(こいけ・ひかる)そこに出てゐるご飯を食べよといふこゑは とはに聞かれず聞かれずなりぬ「短歌人」埼玉歌会(5月22日、さいたま市岸町公民館)註「短歌人」8月号(各地歌会の報告記事内で紹介)。巨匠・小池氏の代表作の一つと目される「そこに出てゐるごはんをたべよといふこゑすゆふべの闇のふかき奥より」(歌集「草の庭」平成7年・1995)を自ら引用。この「こゑ」は、昨年お亡くなりになった奥様の「声」である。短歌表現の代表的な技法である「本歌取り」を用いて、痛ましいまでの秀歌となった。
2011年08月04日
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斉藤斎藤(さいとう・さいとう)真心の「板の間」正座60分に129人が涙した !「短歌人」7月号*「雅子さま 真心の『板の間』正座60分に被災者129人が涙した !」(「女性自身」2011年4月26日号) 註いささか畏れ多いモチーフでもあり、私としてはあまり余計なことは言いたくない。・・・が、女性週刊誌の見出しという引用元や、感嘆符やアラビア数字表記も含めたある種の胡散臭い言葉の使い方の端々に加え、見るからに抜け目のない顔をしている曲者・斉藤斎藤氏が作者であること自体をも踏まえれば、これが皇室の方の挙措への単純素朴な賛美・共感であるなどとは、到底受け取れない(・・・いや、そのように素直に読んでも、一向に差支えないと思うが)。少なくとも、読者が勝手にそう感じることも十分計算に入れた上で、かなりケムに巻きつつの、ギリギリ巧妙な作歌術である。いわば、ニュアンスが重層的になっている。ここに漂っているようなシニカルな眼差し・感性を、僕自身はあまり好まないが、しかしテクニカルには文句なしに上手いなと思う。〔たまにゃんさんへ〕こういう手法が「あり」か「なし」かと問われれば、僕の結論を言うと、完全に「あり」だと思います。・・・僕も、けっこうこれに近いことをやったことがあるかも知れません^^;この歌は、僕も最初は意味が分かりませんでした。「短歌人」本誌にも、何の註釈も付いていません。インターネット上で縷々調べて(ググって)、引用であることを含め、やっと一通りの意味が分かりました。文学史的に言えば、アイルランドの巨匠ジェイムズ・ジョイスがすでに20世紀初頭、不朽の傑作長編小説「ユリシーズ」の一部で、当時の婦人雑誌の文体のパロデイを試みています。日本語訳でも、その面白さはかなり分かります。また、モダンアート(美術)の畑では、アンディ・ウォーホルによる、あたかも現代文化のコピーのようなポップアート作品群も知られています。今見ると、まさに戦後(とりわけ1960~70年代)のアメリカと世界が凝縮されているような感じがします。現代短歌も現代文学・芸術の一部門である以上、こうした尖鋭的な表現技法は十分許容されますし、さらなる逸脱さえ期待されるところでしょう。ただ、もちろんこういった技巧の濫用は慎むべきでしょうし、用いる場合にはそれなりの思索と覚悟も必要でしょう。歌壇でも鬼才として知られている斉藤さんの意図は正確には分かりませんが、おそらく文字通り・字面通りの単純なニュアンスではなく、揶揄や皮肉など何らかの「毒」を効かせてあるのでしょう。少なくとも、この歌は読むものにいろいろな思いや感慨を喚起させる力があり、好き嫌いを度外視すれば、上手いと思います。・・・ただ、正直言って僕の好みとしては、どちらかといえばやや嫌いですけどね~^^;> これってありなんでしょうか?> 週刊誌の見出しをモチーフにしたら、いくらでも詠めそうな気がします。> 見出しの存在を知らないでこの歌を読んだら・・・私みたいなおバカは「なんの歌だろう?」と悶々としそうです。
2011年06月28日
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長谷川莞爾(はせがわ・かんじ)絵でいへば自画像ばかり描いてゐる 画家のやうなり歌人といふは歌誌「短歌人」1月号註言っていることは、もちろん言いすぎである(短歌は、もう少し広い対象を取り扱っている)とは思うが、現象的にも本質的にも、どこか鋭く真実を穿っているところがあって、新年早々笑えた。短歌表現特有の、短い「端的な断定」の面白さが決まっている。
2011年01月06日
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勺禰子(しゃく・ねこ)もうなにもしんぱいせんでええんやと言はれてるやうな「おやすみ」の声「短歌人」4月号
2009年04月23日
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河村奈美江 数首次々と食器欠けゆく今週を淘汰の週と呼びて愉しむ *破水して目覚むる夜更けさかさまの汝なは光へと泳ぎ始めぬ未来より確かなる今日みどりごは諸手広げて生まれてきたり胎内の匂ひまとひて眠る汝を繭の如くに胸に抱けり賑はしき産科病棟に残し来しカルテの中の我が十ヶ月「短歌人」2008年1月号原文にルビ(振り仮名)は振ってありません。* おそらく、「陶器(食器)」と「淘汰」が掛けてある。註所属する結社「短歌人」期待の若手(30代)ホープ。一回り年齢の違う僕だが、このような歌を詠む人と、同じ時に同じ短歌結社に所属できて幸せだ。むろん、技巧的にも完璧。ファンというより、誤解を恐れず言えば、ほとんど愛している。なお、一点だけあえて言うならば、「さかさま」は「さかしま」(雅語)の方が、よりスタイリッシュでカッコ良かったか。
2008年09月27日
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