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紀貫之(きのつらゆき)花もみな散りぬる宿は 行く春のふるさととこそなりぬべらなれ拾遺和歌集 77花も皆散ってしまったわが家は過ぎ行く春の旧跡になってしまったようだなあ。註べらなれ:助動詞「べらなり」(まるで・・・のようだ、あたかも・・・らしい)の已然形。「こそ」の係り結びで変化した。ふるさと:現代語の「ふるさと(故郷)」とは意味が違い、「旧跡、旧都、廃墟」のニュアンス。
2010年05月25日
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兵庫県・斎藤元彦知事再選に絡んで、詳細な「SNS広報戦略」をネット上で“自己申告”して、オウンゴール自爆大炎上したPR会社女性社長に、苦笑を禁じ得ない。ニュースを見て、久々に片えくぼで笑ったよ事実関係については、連日大々的に報道されているので、ここで繰り返さなくても皆さまご存じであろう。近頃では割と珍しい、公然たる悪質な公職選挙法違反(買収)の疑いで、逮捕・処罰も十分あり得る立場となった。司直、特に警察が動き出すことは必至といわれ、すでに内偵捜査に入ったという観測もある。当人は、いまさらながら頭を抱えているのだろう。捜査の方は、おそらくそんなに難しくなく、適用する法律についての検討が問題なだけではないか。・・・あ~あ、名前も顔写真も会社名も家族関係も出ちゃったよ。当人は、かなり脳内お花畑な世界に住んでいる自称セレブって感じ。高価なジュエリーきらきら、バーキンのバッグを持ってにっこり優雅に微笑んでいる姿。これらの振る舞いは、自己顕示欲(承認欲求)の塊みたいな性格の典型的な現われなのだろうと察せられる。炎上まっしぐらの要素満載である。性格(パーソナリティ)と知能・能力に必ずしも相関関係がないことは、割とよく知られている。性格の形成については、先天性(遺伝)説と後天性(生育環境)説があり、最終結論は出ていないが、やはり、蝶よ花よでちやほや育てられ、大した蹉跌もなく育ってしまうと、こういう人格になってしまうよということは、経験的・世間的に知られている。KO大学を出てるらしいので、もちろんバカではないし、仕事は有能なのであろうが、いかんせん社会常識が小学生並みだった。法律の「ほ」の字も知らない政治的しろうとが、望外な結果に狂喜乱舞して有頂天になり、誰に頼まれたのでもないのに、今後の同種の仕事の宣伝も兼ねて、自ら法律違反を詳細に綴って自白してしまった素っ頓狂ぶり。見ようによってはコミカルともいえる事態であった。ある意味で、往年頻発した「バカッター」と同根のSNS炎上事件かなとも思える。テレビでよくやっている「衝撃映像100連発」みたいなバラエティー番組に時々出てくる、「おマヌケ泥棒・強盗」みたいだわ。選挙、とりわけ競せった勝負の場合、「当選請負人」「軍師」などと呼ばれるような選挙プランナー・コンサルタントが暗躍し、報酬に関しても巧妙に操作しているというのは、ずいぶん昔からよく知られた事実だ。ジェームス三木脚本・監督の映画『善人の条件』(1989年松竹)は、まさにこういう世界を活写していて面白かった。市長候補者に津川雅彦、「選挙の神様」と呼ばれる裏参謀に丹波哲郎。大物俳優同士の共演により、半ばシリアスに、半ばコメディタッチで描く政界の暗部は、まさに伏魔殿だった。彼ら軍師たちは普段は決して表に出ず、黒子役に徹しているといわれる。今回の事態は、まったく度外れた非常識だったと、今回テレビに出てきた彼らの同類項の異口同音の嘆息であった。遠い北関東の地にあって、関西・兵庫県民の空気感は茫漠としてよく分からないし、斎藤知事に関しては好きでも嫌いでもないが、つとに興味はそそられている。なんか嵐を呼ぶ男だよな~。ただ、根拠薄弱の直観でいうと、庇うわけではないが、少なくともこの「自爆テロ」行為については、斎藤知事自身はほとんど想定外だったのではないか。ここまで人間社会の怖さを知らないしろうとだったとは夢にも思っていなかった。黙っていれば、たぶん何の問題もなかった。雉も鳴かずば撃たれまい。この女性社長の一方的なお転婆・猪突猛進跳ね上がり言動ではなかったかと、私はちょっと慨嘆しているところなのである。
2024年11月25日
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正岡子規(まさおか・しき)ベースボールの歌 久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも国人くにびとととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゝしも *若人わかひとのすなる遊びはさはにあれどベースボールに如しくものはあらじ九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来きたる人の手の中になかなかに打ち揚げたるはあやふかり草行く球のとゞまらなくに打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな明治31年(1898)、新聞『日本』に発表。歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)所収註この歌発表の時点でまだ「野球」という訳語は確立していなかったが、なんと正岡子規自身が、幼名の「升(のぼる)」をもじって、「野球(のぼーる)」という筆名を名のっていた。久方の:「天(あめ)」「雨」などに掛かる枕詞(まくらことば)。とつ国人:外国人。ゆゝし(ゆゆし)も:不穏な殺気がみなぎって、ぞくぞくするなあ。「も」は詠嘆。* 「近時、第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来、ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり」と別の随筆にある。さはに:たくさん。打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて:揚げ雲雀(あげひばり、ヒバリの雄の求愛行動)に擬(なぞら)えているのだろう。なかなかに打ち揚げたるは~:中途半端に打ち上げた球は結局どうなってしまうのか危ういなあ、草原の中を留まらずに転がってゆくけれども。グラウンダー(ゴロ)。打ちはづす球キャッチャーの手に在りて:ファウル球がキャッチャーの手にあって。ベースを人の行きがてにする:「ホームベースにランナーを行き難くする」の意味の上古語(万葉集)的表現。三つのベースに人満ちて:満塁のチャンスもしくはピンチで。そゞろに(そぞろに):気もそぞろに。そわそわ、わくわくと。
2023年03月31日
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今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』が最高に面白い。絶好調である。毎回ドラマチックかつロマンチックな展開で、心が揺さぶられる。まだ早春の今からこんなに面白くては、今後いったいどうなってしまうのか(いい意味で)先が思いやられる。特に昨10日放送の第10回は、なにげに神回と思った。□ 哀れ花山天皇 が、それよりまひろと道長の展開が速くないかざわつく「光る君へ」第10回【木俣冬氏 ヤフーニュース 10日】子供のころから親しんできた大河ドラマだが、私の知る限り、歴代の中でも五指に入る出来だと思う。日曜の夜が待ち遠しい。吉高由里子は、国民的大女優になりつつある。現在のわが国の人気女優を見渡しても、余人を以て代えがたい配役である。このあと、間違いなく歴史的傑作小説を物するであろう文人的な落ち着いた物腰と聡明な感じ。彼女はこの役を演ずるために生まれてきたと、私は確かちょっと前の詠草で(いくぶん大げさな表現で)短歌にしたが、その感想はますます裏付けられている。ただ、平安宮廷を描く以上やむを得ないのだが、登場人物が藤原姓ばかり(あとはせいぜい「源」ぐらい)という「藤原問題」をはじめ、かなり歴史ファン向けの「通好み」な作風になっており、見る側にも一定の教養が要求される感じだ。一般視聴者がなかなかついて来られないようで、視聴率は苦戦している模様だが、これはもうしょうがないよね。間違いなく、長く語り継がれる名作となりつつあるので、NHKのスタッフや上層部は、目先の数字なんか一切気にしなくていいと思う。芸術・芸能への評価って、しばしばこういう感じだから。生前はほとんど理解されず無名で、死後に評価・称賛された芸術家のなんと多いことか。ゴッホ、宮沢賢治はその典型である。芸術の歴史は、死屍累々・無念ゴロゴロの歴史である。・・・って感じか。「時代を先取りしすぎていた」「生まれてくるのが早すぎた」とかいわれる類いである。きのうも、若き藤原道長とまひろ(紫式部、こちらも藤原、遠い親戚)の情熱的な恋模様が美しく描かれたが、当時の慣例に忠実に、玉梓(たまずさ、詩歌によるラブレター)のやり取りで恋愛が進行する。道長のラブレターが、当時の貴族なら(当たり前の)必須科目の古今和歌集からの引用であるのに対し、まひろの返歌が読むのも相当難しい漢詩であるというあたりに、紫式部の文人(学者)としての教養とプライドあふれる人物像を垣間見せた面白さがあったのだが、こういう世界に少々は慣れ親しんでいる私(くまんパパ)にとっても、解読を断念するほどの高踏優雅な場面であり、ましてや多くの視聴者にはチンプン漢文であったかも知れない。それに続く、月の光の中でのラブシーン(ほぼ、今でいうベッドシーン)は、思わずうなるほどの美しさと激しさで魅了された。まさしく、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、『ハムレット』であった。稀に見る「ファンタジー大河」と言えよう。史料の少ない平安時代をこれ幸いと、オリジナル脚本の大石静はやりたい放題。ロマンチック盛り盛りマシマシで、空想の翼を自由奔放に羽ばたかせまくっている。うるさいアカデミズムや歴史マニア方面の一部からは、多少クレームが付き始めているとも仄聞するが、所詮エンタテインメントのドラマなのであるから、そう目くじらを立てなくてもいいだろうと、私は思う。この調子で、今後もガンガン行ってもらいたい。なにしろ、信頼しうるまともな同時代の参考資料は、ロバート秋山演ずる藤原実資が毎日小まめに書き綴った日記『小右記』ぐらいしかないといわれるのだから。その秋山竜次も、コメディ・リリーフとして笑わせながら、けっこう重厚な存在感を示していて、役者開眼だね。売れない大部屋役者だったというお父さんは、草葉の陰で涙してるよ。道長役の柄本佑が、放送前のインタビューで「大石さんの脚本があまりにも情熱的なので、気恥ずかしさをこらえるのに苦労した」(うろ覚え)というようなことを言っていたと思うが、こうした場面のことであったかと納得。その柄本佑がいい。平安宮廷での権力闘争・謀略に邁進する父と兄たちに翻弄されつつ、自己を確立してゆく繊細かつ心優しき道長像を新たに創造している。この大抜擢といえるキャスティングは大当たりだったね。今のところ、若さ・未熟さを表現するため、わざと生硬(下手め)な芝居をしていることさえ、ありありと感じとれる。大河は長いのである。天才的な俳優である父親譲りの計算された演技がすばらしい。かつて、岸谷五朗もそんな感じだった。これは、一年間見ていられる。ほかにこの役を務められる若手中堅の人気演技派俳優は、菅田将暉ぐらいしか思いつかない。ただ、菅田はついこないだ同じ大河で大役・源義経をやったばかりだしな。そして、上手いが地味めなバイプレーヤーと思っていた段田安則が、「平安のゴッドファーザー」を見事に演じて、出色の貫禄と包容力。脚本の大石静が、『ゴッドファーザー』シリーズと『華麗なる一族』を参考にしたと言明してるだけあって、なかなかの「ブラック大河」でもあるが、まさしくマーロン・ブランドと北大路欣也を髣髴とさせる。しかもけっこう家族思いの温かい人間味やユーモアさえ宿っていてすばらしい。岸谷五朗演ずる父・藤原為時と娘・紫式部の関係性も、いろいろ波瀾もあったが本当にすばらしい。抑制された穏やかな演技の中に、冬を超えた春爛漫の温かい情愛が香り立っている。私にも、まもなく先生という敬称で呼ばれることになるであろう親孝行な娘がおり、とても人ごととは思えず、毎回うるうるして見ている。その娘は、吉高由里子と横澤夏子を足して2で割ったような顔をしているのである。かわいい。* この記事は、もうちょっときちんと加筆修正して書こうと思ったのですが、仕事が忙しすぎて頭がぼやけておりまして、とりあえずこれで終わりにします。すみません。
2024年03月11日
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木戸孝允(きど・たかよし、桂小五郎) 俳句世の中は桜も月も涙かな
2013年04月02日
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)春の雪銀座の裏の三階の煉瓦造れんぐわづくりにやはらかに降る第一歌集『一握の砂』(明治43年・1910) * 改行は原文のまま。 パブリック・ドメイン江戸東京博物館蔵 銀座煉瓦街模型
2014年02月04日
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【参考】 日本映画「火垂るの墓(1988)」に関する、アメリカの著名な映画評論家・ロジャー・エバート氏(「シカゴ・サン・タイムズ」紙記者)の評論文(2000年3月19日発表)第二次世界大戦末期、米軍爆撃機が日本の都市にナパーム弾(焼夷弾)を投下し、空襲火災を引き起こしていた。ナパーム弾は空き缶よりはちょっと大きいぐらいで、光を曳きながら落ちていく様は美しくもある。地表に衝突した瞬間、一瞬静寂が支配し、爆発と共に轟音と炎をまき散らす。日本の住宅地における脆弱な木と紙で作られた家屋は、火に対抗する術を持たなかった。「火垂るの墓」は、空襲によって住む家を失った、神戸の周辺都市の子供たちを描いたアニメーション映画だ。清太は10代の少年で妹の節子は5歳に満たない。彼らの父親は帝国海軍に従軍しており、母親は空襲で犠牲になった。清太は救急病院で熱傷に覆われた彼女の遺体に対面する。彼らの家も、隣人たちも、学校も、全てが失われた。いったんは小母が彼らを受け入れるも、彼らを食べさせることに残酷になり、結局は清太は二人で住むことの出来る丘の防空壕を見つける。清太は食料を調達するために、両親に対する節子の質問に答えるために、彼の出来ることをする。映画の冒頭において、清太が地下鉄の駅で死ぬ場面が描かれる。そして、我々は節子の運命を想像することができる。我々は少年の魂に導かれて過去を回想するのである。「火垂るの墓(Grave of the Fireflies)」は、アニメーションに対する再考を迫る圧倒的な感動すべき体験(emotional experience)をもたらす。当初アニメーションは子供向けの漫画に過ぎなかった。「ライオンキング(The Lion King)」や「もののけ姫(Princess Mononoke)」、「アイアン・ジャイアント(The Iron Giant)」等の最近のアニメーションはより深刻なテーマを扱っており、「トイ・ストーリー(Toy Story)」や「バンビ」のような古典は数人の観客を涙に誘うこともある。しかし、これらの作品は安全な一線を越えることはない。それらは涙を誘いはするが、痛みを伴うことはない。「火垂るの墓」は力強くドラマチックなアニメーション映画で、批評家アーネスト・リスター Ernest Risterが「火垂るの墓」を「シンドラーのリスト(Schindler’s List)」と比較して「この映画は今まで見た映画の中で最も深遠なヒューマンアニメーション映画である」と批評したことがよく理解できる。「火垂るの墓」は生き残ることをシンプルに描く。少年と彼女の妹は住むところと食べ物を見つけ出さなくてはならない。戦時において彼らの親類は親切でも寛容でもなく、彼らの小母が兄妹の母親の着物を米を買うために売り払ったときには、彼女はその多くを独り占めにした。結局清太は彼女の元を離れる時だと決断する。清太は少ないお金を持っていて最初は食料を買うことができたが、すぐに買えるものがなくなる。節子はどんどん衰弱していく。彼らのストーリーはメロドラマとしてではなく、シンプルに、ダイレクトに新写実主義の様式で語られる。そしてその中には静寂の時がある。この映画のもっとも素晴らしい贈り物の一つはそれが要求する忍耐にある。映画のショットは我々がそれらについて考えることが出来るよう留め置かれ、プライベートな時間の中にキャラクタの個性が覗き、雰囲気と本質はそれが確立するのに十分な時間を与えられている。日本の歌人は休止と区切りの中間のような「枕詞」を利用する。偉大なる映画監督小津安二郎は「枕ショット」──詳細な自然の描写を、つまり、2つのシーンを分割するために利用した。「火垂るの墓」もそれらを利用する。そのビジュアルはある種の詩を形作っている。中には爆弾が雨のように降り、通りを埋め尽くす人々を恐怖に陥れる時のように素早いアクションのシーンもあるが、この映画はアクションを乱用せずそれがもたらす結果を重視する。この映画は最も偉大な日本のアニメーションの供給元である「スタジオジブリ」の高畑勲によって監督されている。彼の同僚には宮崎駿(「もののけ姫(Princess Mononoke)」「魔女の宅急便(Kiki's Delivery Service)」「となりのトトロ(My Neighbor Totoro)」)がいる。彼の映画は通常このようにシリアスではないが、「火垂るの墓」はそれ自体でカテゴリを形成する。「火垂るの墓」は野坂昭如による半ば自伝的な要素を含む小説に基づいている。彼は焼夷弾が降った時代に少年時代を過ごしており、彼の妹は飢餓によって死亡していることから、彼の人生は罪の意識と共にあった。その原作小説は日本でよく知られており、実写による映画化の方がより容易く想起されるかもしれない。これはアニメーションの典型的な題材ではない。しかし、「火垂るの墓」にとって、私はアニメーションは正しい選択であったと思う。実写映画は特殊効果、暴力とアクションの重荷に悩んできた。アニメーションにすることによって、高畑はストーリーの本質に集中することができた。彼のアニメキャラクタにおける視覚的なリアリズムの欠如は、我々の想像力をより刺激する。現実の俳優による過度のイメージを排除し、我々は容易にキャラクタを我々自身に重ねることができるのだ。ハリウッドアニメーションは、矛盾した表現に見えるかもしれないが、数十年間「写実的アニメーション」の理想を追求してきた。描かれる人々は撮影された人々のようには見えない。彼らはより形式化され、より明確に記号化され、(ディズニーが骨の折れる実験の末発見したように)彼らの動きはボディランゲージを通して気持ちを伝えられるように誇張されている。「火垂るの墓」は「ライオンキング」や「もののけ姫」のリアリズムを追求していないが、逆説的には「火垂るの墓」は私が今まで見たものの中で最も写実的なアニメーション映画だ──心情的な面で。舞台と背景は18世紀の日本人浮世絵師、安藤広重と彼の現代の弟子エルジェ(タンタンの冒険旅行の作者)の影響を受けたスタイルで描かれている。その中にはアニメーションの枠に留まらない素晴らしい美しさがある。キャラクタは大きい目と子供的な体型、素晴らしい柔軟性の特徴(口は閉じているときには小さいが、子供が泣くときには巨大になって、節子ののどちんこまで見える)をもつ、現代的な日本アニメーションにおける典型的な描き方をされている。この映画は、アニメーションは必要ならば、現実を模倣することではなく、それを誇張し単純化することで、感情的な効果を与えることができることを証明している。そのため、映画のシークエンスの多くは経験描写ではなく、感情表現に割かれている。そこには圧倒的な美しさを伴った数多くのシーンがある。あなたは、子供たちが蛍を捕まえて、彼らの防空壕を光で照らした夜の中にいることに気付くだろう。翌日には、清太は彼の妹が虫の死骸を埋めているところを見つける──そのとき節子は彼女の母親が埋葬されたことを思い起こしていた。節子が泥を使っておにぎりと想像上のごちそうを作り食事を用意するシークエンスがある。砂浜で彼らが死体を見つけ、そして空の彼方にさらなる爆撃機が現れるシークエンスのタイミングと静寂の活用は注目すべきである。リスターはまた別のショットを挙げている。「清太がタオルで空気の泡を閉じこめ水中に沈めて解放することで、節子が破顔する瞬間がある。そのとき、私は特別な何かを見つけた気がした」「火垂るの墓」の表層の奥には古い日本の文化的な流れがあり、それらは批評家であるデニス・H・フクシマ Jr.Dennis H. Fukushima Jr.によって解説されている。彼はこのストーリーの源流を心中の伝統の中に見出した。清太と節子は公然と心中を約束したということではなく、人生が彼らの生きる意思をすり減らしたのだ。彼は彼らの防空壕と丘陵の墓との類似点についても言及している。フクシマは、著者の野坂昭如のインタビューを引用している。「たった独り生き残った。彼は妹の死に罪の意識を持っていた。食料をあさる時にも、彼はしばしばまず自分が食べ、妹は次に回した。妹の死因が飢餓であったことは否定できず、その悲しい事実が野坂を長年に亘り苦しめてきた。贖罪の意識が彼が体験を元に小説を書くモチベーションとなった」「火垂るの墓」はアニメーションであって日本の作品であることから、(米国では)あまり見られていない。アニメファンがどれだけこの映画が素晴らしいと主張してもだれもそれを真剣に受け取らない。しかし、今なら英語の字幕や吹き替え付きのDVDが簡単に入手できるし、もしかするとこの作品が受けるべき注目を得ることが出来るかもしれない。その通り、この映画はアニメーションであり、子供たちの目は皿のように大きいが、これは今まで作られた最も優れた戦争映画のあらゆるリストに加えられるべき作品である。〔この翻訳文のソース〕
2009年05月10日
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よみ人知らず散りぬとも香かをだに残せ梅の花 恋しきときの思ひ出にせむ古今和歌集 48散ってしまっても香りだけは残していってくれ梅の花よ恋しくてたまらない時のよすがにするから。
2013年03月19日
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和泉式部(いずみしきぶ)黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき後拾遺ごしゅうい和歌集 755黒髪の乱れにも気づかずに横たわっていると初めてこの髪をかき撫でてくれた人が恋しくて仕方がない。註古来敬愛されてきた、艶麗な恋の名歌。まづかきやりし人:初めて(いとしく)かき撫でてくれた人、つまり「初恋の人」とするのが普通だろうが、一説には、親を偲んでいるのだという真面目な(禁欲的な?)解釈もある。案外、捨てがたい解釈とも思う。さらに、「まづ」が「かきやり」ではなく、「恋し」に掛かっているという見方もある。この場合は、「(かき撫でてくれた人が)まず第一に恋しい」という意味になり、初恋ではなく最近の恋という解釈もある。与謝野晶子が、明治の一世を風靡した第一歌集『みだれ髪』で歌集タイトルおよび歌に引用した。
2013年03月10日
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正岡子規(まさおか・しき)ベースボールの歌 久方のアメリカ人びとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも国人くにびとととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゝしも *若人わかひとのすなる遊びはさはにあれどベースボールに如しくものはあらじ九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ち来きたる人の手の中になかなかに打ち揚げたるはあやふかり草行く球のとゞまらなくに打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな明治31年(1898)、新聞『日本』に発表。歌集『竹の里歌』(明治37年・1904)所収註この歌発表の時点でまだ「野球」という訳語は確立していなかったが、なんと正岡子規自身が、幼名の「升(のぼる)」をもじって、「野球(のぼーる)」という筆名を名のっていた。久方の:「天(あめ)」「雨」などに掛かる枕詞(まくらことば)。とつ国人:外国人。ゆゝし(ゆゆし)も:不穏な殺気がみなぎって、ぞくぞくするなあ。「も」は詠嘆。* 「近時、第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マツチ)ありしより以来、ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり」と別の随筆にある。さはに:たくさん。打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて:揚げ雲雀(あげひばり、ヒバリの雄の求愛行動)に擬(なぞら)えているのだろう。なかなかに打ち揚げたるは~:中途半端に打ち上げた球は結局どうなってしまうのか危ういなあ、草原の中を留まらずに転がってゆくけれども。グラウンダー(ゴロ)。打ちはづす球キャッチャーの手に在りて:ファウル球がキャッチャーの手にあって。ベースを人の行きがてにする:「ホームベースにランナーを行き難くする」の意味の上古語(万葉集)的表現。三つのベースに人満ちて:満塁のチャンスもしくはピンチで。そゞろに(そぞろに):気もそぞろに。そわそわ、わくわくと。
2013年03月04日
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斎藤茂吉(明治15年・1882-昭和28年・1953)とほき世のかりようびんがのわたくし児ご田螺たにしはぬるきみづ恋ひにけり赤光しやくくわうのなかの歩みはひそか夜の細きかほそきこころにか似むしろがねの雪降る山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり自殺せし狂者きやうじゃの棺くわんのうしろより眩暈めまひして行けり道に入日あかくにんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけりいんしんと雪降りし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか死に近き母に添寢そひねのしんしんと遠田とほだのかはづ天に聞ゆる母が目をしまし離かれ来て目守まもりたりあな悲しもよ蚕かふこのねむりのど赤き玄鳥つばくらめふたつ屋梁はりにゐて足乳根たらちねの母は死にたまふなり第一歌集「赤光」(大正2年)註1首目、斎藤茂吉が客観写生(リアリズム)だなんて、誰が言ったのかと思う。かりようびんが:迦陵頻伽。想像上の鳥。雪山(せつせん)または極楽にいて、美しい声で鳴くという。上半身は美女、下半身は鳥の姿をしている。その美声を仏の声の形容とする。わたくし児ご:私生児。非嫡出子。玄鳥つばくらめ:燕。足乳根たらちねの:「母」にかかる枕詞(まくらことば)。 斎藤茂吉歌集
2008年01月21日
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小林一茶(こばやし・いっさ)あの月を取つてくれろと泣く子かな『七番日記』(文化・文政時代、1810年代)註人口に膾炙した、一茶のほのぼの・しみじみとした代表作のひとつ。内容は明らかにユーモラスであり、やや川柳寄りかとも思うが、それほどカテゴリーにこだわる必要もないであろう。なお、初句を「名月を」とする別案も残されているので、この月が中秋の名月であることは疑いない。幼児は、しばしば些細なことで駄々をこねる。それをどこまで許すか。日本人はこれをかなりの程度まで許容し、むしろ微笑ましい・可愛らしいものとさえ感じる。この感性は、世界的に見て意外に珍しいことなのだという指摘がある。そういう意味では、この名句は、日本人の国民性の一端の機微を表現していると言えるかもしれない。ちなみに、今宵は「中秋の名月(十五夜)」だが、天文学上の望(ぼう、満月=太陽・地球・月がおおむね一直線上に並んだ状態)と、暦の上のいわゆる十五夜が一致することは、意外と稀なのだという。
2021年09月21日
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笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に贈れる歌一首水鳥の鴨の羽色(はいろ)の春山のおほつかなくも思ほゆるかも万葉集 1451水鳥の鴨の羽色に似て淡いブルーの霞がかかった春山のように、あなたに愛されているあたしは、エクスタシーと不安の中で、うっとりとぼんやりと、覚束なく思われるのよ。
2007年03月22日
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西行(さいぎょう)心なき身にもあはれは知られけり 鴫しぎ立つ沢の秋のゆふぐれ新古今和歌集 362世俗を捨てて執着の心がない身にももののあわれはおのずと察せられるのだなあ。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮れ。註心なき:出家して世俗への執着を捨て去ったため、もはや情趣を解して喜ぶ心がなくなったこと。現代語「心ない」の「思いやりや思慮分別がない」という意味と全く無関係とは言い切れないが、ニュアンスは大きく異なる。 タシギウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年12月02日
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藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていか)かきやりしその黒髪のすぢごとに うち臥ふすほどは面影ぞ立つ新古今和歌集 1389かきわけたその黒髪の一筋一筋に至るまで独り寝ている時には面影が浮かぶのだ。〔解説〕 長谷川櫂黒髪をかきやるとは、撫でる、指でなぞる、掻きあげて顔をのぞき、掻き分けて肌に触れる。どれもこれも恋人たちのなまめかしい仕草である。ひとり淋しく寝ていると、あの夜の黒髪の一筋一筋が目に浮かぶ。月光に照らされるように。 【読売新聞 22日付朝刊『四季』】 註淋しく切ない、ちょうど今頃の時季の冬の匂いがする名歌。* 和泉式部「黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」(後拾遺和歌集 755)の本歌取り。
2014年01月24日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)春さればまづさきくさの幸さきくあらば 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹わぎも万葉集 1895春が来ればまず真っ先に咲く三枝のように幸いならばまた逢えるだろう。そんなに恋焦がれないでくれわが愛しい人よ。註春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば:「春が来れば、まず真っ先にさきくさが咲き」と、「何よりもまず(私とあなたが)幸運ならば」の二つの文脈が掛けてある。その後、古今和歌集などで多用されることになる技巧の嚆矢の一つといえる。ひいては、俗化して近世以降の演芸の「謎掛け」などにまで脈々と影響を与えた。なお、「あらば」は未然形なので、「もし・・・ならば」の仮定の意味になる。されば:「さる」は、現代語「去る」の語源だが、もとは方向を問わず移動する意味。古代では、たいてい「来る、訪れる」意味で使われた。さきくさ:早春に咲く三椏(みつまた)のこととされるが、笹百合(ささゆり)や福寿草、檜(ひのき)説などもある。なお、姓氏の「三枝(さいぐさ、さえぐさ)」は、「さきくさ」が音便化したもの。な恋ひそ:恋焦がれて苦しむな。「な・・・そ」で動詞の連用形を挟んで、制止・禁止の意味を示す上古語用法。現代語の「・・・(する)な」に当たる。また、日本語の「恋ふ」が、もともとかなりの切迫感を伴ったニュアンスの言葉であることが分かる。「希・冀(こいねが)う」などの「こう(乞う)」と同源か。吾妹(わぎも):「吾が妹(いも)」が約(つづ)まったもの。わが親しい人。「妹(いもうと)」ではない。
2011年03月10日
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)かりがねも既にわたらずあまの原かぎりも知らに雪ふりみだるひがしよりながれて大き最上川見下しをれば時は逝くはや最上川ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも最上川ひろしとおもふ淀の上に鴨ぞうかべるあひつらなめて鉛いろになりしゆふべの最上川こころ靜かに見ゆるものかも歌集「白き山」(昭和24年・1949)註かりがねも既にわたらず:雁たちももう渡って来ることはない真冬。あまの原:天空。知らに:知らず。「に」は、否定の助動詞「ず」の上代の連体形(平安期以降は連体形も「ず」になった)。これはもともと、ナ行四段活用の「な、に、(ぬ)、ぬ、ね」の系列の否定の助動詞があったところに、語源を異にする「ず」が侵入してきたものと思われる。英語の「be動詞」の複雑さともやや重なるところがある。文法論的にはけっこう面白い問題だと思うが、私が説明すべき任ではないだろう。詳しくは古語辞典等をご覧下さい。ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも:流れがさやかなので、一瞬の間も滞ることがないのだなあ。あひつらなめて:相連なって並んで。
2010年02月14日
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歌川広重 月に雁 こんな夜が又も有あらうか月に雁凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)憂うきことを思ひつらねて かりがねの鳴きこそ渡れ秋の夜よな夜よな古今和歌集 213つらく悲しいことを思い連ねて連れ立って雁たちは鳴いて渡ってゆけ。秋の夜ごとに。 註つらねて:(思いを)「連ねて」と(かりがねが)「列ねて」が掛かっている。かりがね:語源的には「雁(がん)の音(ね、鳴き声)」の意だが、雁そのものをも指す。
2014年11月29日
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引田部赤猪子(ひきたべのあかいこ)日下江くさかえの入江の蓮はちす花蓮はなばちす 身の盛さかり人羨ともしきろかも古事記下巻 95日下江の入江の蓮 花盛りの蓮その花のように美しい盛りの女たちがうらやましいなあ。註かつて若き日、雄略天皇に見初められながら、長らく忘れ去られてしまっていた引田部赤猪子(あかゐこ)という女性が、老いて天皇に奏上した「志津歌(しづうた)」という。志津歌とは「魂鎮(たましづ)め」の歌と解されるが、今日いう「鎮魂歌」(追悼歌)より意味が広い。この歌ではどちらも存命であり、一種の相聞(恋歌)のようでさえある。日下江(くさかえ):現・大阪府東大阪市日下町付近。→ ブログ「長生きも芸のうち日記」蓮(はちす):蓮(はす)。語源は「蜂巣」。花托が蜂の巣のような形をしている。→ 原始ハス羨(とも)し:現代語「乏しい」(不足している)の語源だが、上代語としては「うらやましい」「珍しくて心惹かれる」などの意味も優勢だった。ろかも:深い詠嘆・感動や親愛の情を表す上代語の語尾。接尾辞の間投助詞「ろ」に、詠嘆の終助詞「かも」が付いたもの。
2012年03月06日
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凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)影をだに見せず紅葉もみぢは散りにけり 水底みなそこにさへ波風や吹く家集『躬恒集』 472もう影すらも見せず紅葉は散ってしまったのだなあ。せめて川の底にさえ波風が吹いて紅葉を舞わせているだろうか。
2014年12月01日
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小倉百人一首 六十三左京大夫道雅(さきょうのだいふ・みちまさ、藤原道雅)今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな後拾遺ごしゅうい和歌集 750今はただ思いを諦めましたとだけでも人伝てではなく(じかに)言うすべがあればなあ。註思ひ絶えなむとばかりを:句またがりになっており、当時の和歌としてはきわめて珍しい。句またがりは、文節と韻律(五七五七七)が一致しないことで、現代短歌では珍しくない。よし:方法、術(すべ)。もがな:詠嘆を込めた強い願望を表す終助詞。「~があればいいのになあ」「~だったらなあ」「~であってほしいなあ」などの意味を表わす。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。和歌で多用される。上代では「もがも」の形で、万葉集などに頻出する。伊勢神宮の前斎宮(さいぐう、いつきのみや)だった三条天皇の皇女・当子(とうし、まさこ)内親王とのスキャンダラスな恋愛事件で天皇の逆鱗に触れ、逢瀬を固く禁じられた時に詠んだ、未練たらたらの歌。恋愛に関しては比較的規矩が緩かった当時の上流貴族社会においても、これはやはり一線を越えていた。悲恋と言えば言えるかも知れないし、大まじめにそのように鑑賞されることが多い歌だが、その反面、一男一女をもうけた妻にはこの事件で愛想を尽かされ、家庭は崩壊。本人も、名門・藤原家本流の御曹司でありながら、形式的な名誉職の閑職・左京太夫で悶々と生涯を終え、その間も殺人を含むともいわれるむちゃくちゃな「ご乱行」の噂が絶えなかった。一種の人格破綻者だったといえよう。別れた妻は、その後あたかも意趣返しのごとく三条天皇中宮(皇后)妍子(けんし・きよこ、藤原道長の次女)に仕え、女房(官女)として大出世、大和宣旨(やまとのせんじ)と称された。私個人としては、どうしても愛娘(まなむすめ)をキズモノにされた父親の気持ちになって読んでしまうせいか、なんとも自業自得なチャラ男にしか見えず、共感・同情できる余地はほとんどないと思うが、まあ「平安朝のサイテー男」「平安失楽園(未遂事件)」としての「イタおも」な感じ(痛々しい面白さ)はあるかな~と思う一首である。
2013年04月15日
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菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき 神のまにまに古今和歌集 420 / 小倉百人一首 24この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註忙しくて奉納の用意が出来なかったので、代わりにこの山の美しい紅葉をまとめて神様に捧げます、という洒落た趣向の一首。・・・「この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして」(作詞:小薗江圭子、作曲・唄:森山良子)みたいだなと、ちょっと思う(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。旅の折などには布または紙の細かに切ったものを持参し、道祖神(土地の神々)に奉った。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには絹や紙を用いた。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。みてぐら。にぎて。秋の祭礼などにおける「初穂(はつほ)」(その年の初めての米などの収穫)や「真榊(まさかき)」の奉納もこの類い。この風習は現代にも残るが、「玉串料」「初穂料」などとして金銭で納めることが多い。とりあへず:手に取れず。準備・用意ができず。現代でも使う「とるものもとりあえず」という言い回しに原義が残る。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。「(幣ぬさを)手向たむける」と掛けている。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。 紅葉 / 御幣ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月17日
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正岡子規(まさおか・しき)瓶かめにさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり(花瓶に挿した藤の花房は短いので、とても畳の上までは届かないだろうなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書ふみの上に垂れたり藤なみの花をし見れば奈良のみかど京きやうのみかどの昔こひしも藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出いで写さんと思ふ藤なみの花の紫絵にかかばこき紫にかくべかりけり(藤波の花の紫を絵に書くのならば、濃い紫に書くべきだろうなあ。)瓶かめにさす藤の花ぶさ花垂れて病やまひの牀とこに春暮れんとす去年こぞの春亀戸かめゐどに藤を見しことを今藤を見て思ひいでつもくれなゐの牡丹ぼたんの花にさきだちて藤の紫咲きいでにけりこの藤は早く咲きたり亀井戸の藤咲かまくは十日とをかまり後のち(この藤は早く咲いた。亀戸の藤が咲くのは十日余り後か。)八入折やしほりの酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く(丹念に醸された銘酒に浸したところ、萎れた藤波の花が蘇って咲いた。)明治34年(1901)晩春、東京・根岸の自宅(子規庵)で詠む。歌集「竹の里歌」(明治37年・1904)註当時としては不治の病であった脊椎カリエス(脊椎の結核)に臥した子規晩年の連作秀歌。一見淡々とした写生(写実)の中に、鬼気迫るほどの気魄が満ち満ちている名篇。
2010年05月22日
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鈴木春信 調布の玉川 (江戸時代)作者未詳 相模国さがみのくにの歌多麻川たまがはに晒さらす手作りさらさらに 何なにそこの児このここだ愛かなしき万葉集 3373 多摩川に手織りの布をさらす。さらさらさらして、さらして、さらすようにさらにさらにこの娘がどうしてこんなに愛しいんだろう。── 俵万智訳(「新潮古典文学アルバム・万葉集」所収)註相模国さがみのくに:現・神奈川県のほぼ全域と東京都の南西の一部。多麻川たまがは:現表記はご存じの通り「多摩川」であるが、いずれも万葉仮名、ないし当て字であることは疑いなく、語源は「玉川、珠川」であろう。当時貴重な珠玉でも採れたのかも知れない。手作り:「調布」とも書く。下記解説参照。さらさらに:川の水が流れるさまを表わす擬音語(オノマトペ)「さらさら」と、副詞「更々」(なお一層、ますます)、および副詞「更に」(重ねて、今まで以上に)の3語が掛けられていると解される。万葉時代の表現としてはなかなかの機知・技巧といえるだろう。ここだ:「こんなに多く、こんなに甚だしく」を表わす上古語の副詞。数詞の「ここのつ(九)」と語源的関係があるともいわれる。愛かなし:「愛しい」「切ない」「悲しい・哀しい」など、強い情動を包含して表わした最重要の古語形容詞。現代語には、そのうちほぼ「悲しい・哀しい」の意味だけが残ったが、「愛しい」「切ない」などの含意も完全には消えていないように思う。「さらす」と「さらさら」、「このこ」と「ここだ」が韻を踏んでおり、言葉遊びの意図が感じられる。奈良時代、庶民は現物納付の税(みつぎもの)である「租・庸・調(そ・よう・ちょう)」を納めたが、相模の国・多摩川周辺の民衆は、そのうちの「調」として布を納めていた。地名「調布(ちょうふ)」の名の由来である。なお、こうした現物徴税の制度があった記録は「魏志倭人伝」の邪馬台国の記述にも見られる。租庸調を納める際には、今でいう「ご当地ソング」のような和歌(やまとうた)を添付する習わしがあったという。いってみれば、後世の熨斗(のし)袋における「熨斗鮑(のしあわび)」のようなものであろうか。また、これとは別に、各地の国府・政庁などからの政治経済に関する報告や「風土記(ふどき)」の編纂資料などとともに採録されたとも言われているが、詳らかな経緯は定かではない。いずれにせよ、このようにして最終的に万葉集に収録されたものが、いわゆる「東歌(あずまうた)」である。編纂には、優れた歌人であり能吏でもあった大伴家持が重要な役割を果たしたと見られる。なお、多摩川に近い東京都下の「調布(ちょうふ)」は、古くは「てづくり、たづくり」と読み、後世に至るまで布が特産品であった。市内には、現在も「布多天(ふだてん)神社、布田(ふだ)、染地(そめち)」などの地名が残る。また「国領」など、大和朝廷に関わる歴史的由来を感じさせる地名もある。調布市国領はタレント高田純次の出身地であると、本人がよく言っている(笑)付近には、ほかにも調布という地名が点在した。現在の田園調布などもその名残である。織った布を川の水に晒す作業は、女仕事として近年まで各地に受け継がれていた。松本清張原作の映画「砂の器」にも秋田県の風物として出てきたのを記憶している。この歌は、そうした風習に絡めて、言葉遊びの要素を加えつつ、古代人の素朴な恋心を歌い上げている東歌の秀歌といえる。相模国さがみのくに:現在の神奈川県の大部分と東京都の一部。もとは武蔵国(東京・埼玉)と一つだったという説がある。江戸期の国学者・賀茂真淵(かものまぶち)は、もともと「身狭(むさ)国」というものがあって、のちにこれが「身狭上(むさがみ)・身狭下(むさしも)」に分かれ、音の欠落などでそれぞれ「相模(さがみ)・武蔵(むさし)」となったと唱えている。傾聴に価する興味津々の説といえよう。さらに、「むさ」の語源については、繊維を採る「苧、紵(からむし)」と関係があるとする説がある。この場合、「から」は「唐」(中国、外来植物)の意味か。
2014年06月16日
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大伴家持(おおとものやかもち)春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯うぐひす鳴くも万葉集 4290春の野に霞がたなびき心は悲しい。この夕暮れの光の中に鶯が鳴いているなあ。註天平勝宝5年(753)旧暦2月23日(新暦4月半ば頃)に詠んだと詞書(ことばがき)にある。うら:心。夕かげ:夕方の淡い光。うぐひす:語源は、擬声語(オノマトピア)説が有力。──古代日本語での音韻(発音)は「ウクピツ」。我々が普通「ホー、ホケキョ(法華経)」と聞く鳴き声を、古代日本人は「ウー、クピツ」と聞いたらしい。・・・その気になって聞くと、そう聞こえないこともないと思う。
2010年05月14日
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式子内親王(しきし・ないしんのう)さむしろの夜半よはの衣手ころもでさえさえて 初雪白し岡の辺べの松新古今和歌集 662筵(むしろ)に寝ていた夜半の衣の袖が冷え切って外を見れば冴え冴えと初雪が白い丘のほとりの松。註さむしろ(さ筵):閨(ねや)の粗末な敷物。「寒し」と掛けている。さえさえて:冷え切って。冴えに冴えて。* 式子内親王は後白河院(天皇/法皇)の第三皇女。
2011年12月08日
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藤原敏行(ふじわらのとしゆき)秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる古今和歌集 169秋が来たと目にははっきり見えないけれども風の音にはっと気づかされたなあ。註古今調特有の理屈っぽさもやや感じられるが、繊細な感覚と端正な言い回しで秋の訪れを詠った秀歌。さやか:亮(さや)か。分明。はっきり、くっきりしていること。「爽やか」とは語源的に無関係。ね:打ち消し・否定の助動詞「ず」の已然形。おどろく:気づく。目が覚める。はっとする。現代語「驚く」の語源だが、ニュアンスは異なる。れ:自発の助動詞「る」の連用形。自然とそうなる意味。「ぞ・・・ぬる」は強意・整調の係り結び。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形。「音」と「おどろく」が掛けてあるのかも知れない(当時、濁点表記はなかった)。 秋 リトアニア 月見饂飩ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014年09月01日
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは空暖かにうち晴れし春秋はるあきの日に出いでありく時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しみは、空も暖かくうち晴れた春秋の日に出歩く時。註ありく:現代語「歩く」の語源である古語だが、雅語として用いる場合は、「あちこちそぞろ歩く」「散策する」のニュアンスが強い。
2009年01月28日
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平兼盛(たいらのかねもり)世の中にうれしきものは思ふどち花見てすぐす心なりけり拾遺和歌集 1047この世の中で何よりうれしいことは思う同士が花を見て過ごす心だなあ。
2008年10月03日
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西行(さいぎょう)訪とめ来こかし梅さかりなるわが宿を 疎うときも人は折にこそよれ新古今和歌集 51ぜひ訪ねていらっしゃい 梅が花盛りのわが寓居を。普段疎遠にしていても人が折りによって(訪ねて来るのはいいものだ)。註来こかし:古語動詞「来(く)」の命令形「来(こ)」に、強調の助詞「かし」が接続したもの。ぜひとも来なさい。当時の口語的言い回しと思われる。
2013年03月19日
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○ 噫無情 佛國 ヰ゛クトル・ユーゴー先生 著日本 黒岩涙香 譯僕が世界で一番好きな小説は、19世紀フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの傑作大河ロマン『レ・ミゼラブル』だと躊躇いなく言える。いろんな翻訳で何冊も持っている有様だが、元がいいのでどれもいい。みんなちがってみんないい。汲めども尽きぬ味わいだ。人間というものは、なかんずく男子と生まれた者ならば、多少なりともどこかにジャン・ヴァルジャンの魂を宿していなければならないのだと、かなり本気で信じている。その中でも、幻の翻訳(ほぼ本邦初訳の抄訳)だった大正時代の黒岩涙香(くろいわ・るいこう)版 『噫無情(あゝむじょう)』は垂涎の的で、ごく若い頃から夢にまで見ていたが、ほんの少し前には全く入手することが出来なかった。15年ぐらい前だったか、書店を経営する友人に相談してもダメだったのだから、そもそも市場に存在しなかったのだろう。・・・が、今ではかくのごとく、インターネット上で全文を無料で味読することができるようになったのである。ありがたや~。ネットの発明に感謝感激雨あられである。さて、肝心の本文。──『二十七歳から四十六まで、全く人間の盛りである、此の盛りを牢の中で過すとは、其れも大した罪の有る事か、麪(ぱん)一片(ひときれ)を盗み損じた罰だとは、眞に無慘の極である、爾して漸くに牢を出れば、家も無い、食も無い、 滿十九年の汗脂で稼ぎ溜た金が百法(ふらん)の餘は有ても、世間の人が相手にして呉れず犬猫よりも劣て居る。』・・・うう、美しすぎる。思わず知らず感涙した。この大時代なる文章に恍として見惚(みと)れた。眞に、日本語文語文の美しさの極(きわみ)である。皆さんにも、まずはご一読をお薦めしたい。
2013年02月06日
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河野裕子(かわの・ゆうこ)たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏くらき器を近江と言へり歌集『桜森』(昭和55年・1980)註近江(おうみ):旧仮名遣い「あふみ」。「淡海(あはうみ)」の音便で、もとは淡水湖の意味。琵琶湖の古称。転じて近江の国(現・滋賀県)を意味するようになった。
2022年12月17日
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イエローハットCM『イエローワールド』稀に見る力作と思う。すばらしい。高く評価したい。映像・音楽すべてに、ある種の洗練された懐かしさ(ノスタルジー)を感じる。監督(ディレクター)の力量・識見・引き出しの多さは一瞥して明らかだが、30秒の枠じゃ全然物足りないのは言うまでもない。スピンオフとして、ラフな編集のラッシュみたいなのでもいいから最低でも5分間ぐらいのディレクターズ・カット版を望む。・・・なんか偉そうな言い方になってしまったが、まあいいか。
2023年02月19日
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湖池屋ランチパイ新商品CM新木優子しばらく誰だか分からなかったのは、僕だけじゃあるまい。美しくて、どことなくレトロ感があって懐かしく、商品とのミスマッチが意表を突いていて面白い。CMメイキングCMディレクター(監督)が誰なのか調べたが、今のところ不明。やってくれたね。監督も女優も視聴者も「三方一両得」で楽しい。
2024年04月04日
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光源氏(ひかるげんじ)もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに 年もわが世もけふや尽きぬる紫式部『源氏物語・幻』物思いに耽って過ぎ去ってゆく月日にも気づかないでいた間にこのひととせも、わが人生も今日尽きてしまうのだろうか。* NHK大河ドラマ『光る君へ』11月3日放送。
2024年11月04日
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは木の芽煮やして大きなる饅頭まんぢゆうをひとつほほばりし時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 独楽吟どくらくぎん楽しみなのは、香ばしい茶を淹れて大きな饅頭を一つ頬張った時。註* 原文の「にやす」には、さんずいに「論」の字の旁(つくり)の文字が使われていますが、ネット上で表示できないので、やむなく「煮やす」と表記します。木の芽(を)にやす:茶を淹(い)れることの雅語的表現。茶を熱湯で濾し出す。「煮やす」には「業を煮やす」などの成句もある。
2009年02月11日
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和宮親子内親王(かずのみやちかこ・ないしんのう)/静寛院宮(せいかんいんのみや)惜しまじな君と民とのためならば 身は武蔵野の露と消ゆとも身命など惜しむだろうか。あなたさまと民のためならばこの身は地の果ての武蔵野の草葉の露と消えても。註これはまた、皇女・皇妹(仁孝天皇の皇女、孝明天皇の妹、明治天皇の伯母)の歌とも思えないぐらいストレートで悲壮な覚悟の披瀝。幕末が、いかに激しい疾風怒濤の時代であったかが偲ばれる。当時一般的だった古今和歌集調の優雅な歌風からは程遠く、「道歌」(思想的な内容を表現した歌)に近い。ただ、このあけっぴろげなまでの率直さは、やっぱり内親王も関西人だった(?)・・・と同時に、下向した関東を草深い田舎の武蔵野呼ばわりし、「あたしを誰だと思ってんのよ」的なタカビーな含みもきっちり詠み込んであるように見える。これを読んだ天璋院(篤姫)・大奥勢が、かなりビビッたであろうことは、想像に難くないなお、和宮の実像は、今で言う典型的な「ツンデレ」だったという説もある。この「君」は、天皇であろうが、多少は未来の夫・徳川家茂の意味も含んでいる、か?吉田松陰辞世「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」(「留魂録」所収)を連想する。・・・というより、あまりにも似ているので、これは松陰の本歌取りかも知れない。
2008年10月27日
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後白河院(ごしらかわいん)まばらなる柴のいほりに旅寝して 時雨しぐれに濡るるさ夜衣よごろもかな新古今和歌集 579まばらな小枝で葺(ふ)いた屋根の粗末な庵に旅寝して寒い時雨に濡れてゆくさ夜の衣だなあ。
2011年12月08日
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西行(さいぎょう)道の辺べに清水しみづ流るる柳陰やなぎかげ しばしとてこそ立ちどまりつれ新古今和歌集 262道のほとりに清流が流れる柳の木陰にほんのしばしの間と思って立ち止まったのだが(居心地がいいので、ついつい長居をしてしまったよ)。註「こそ・・・つれ」の係り結びが逆接の意味を表わし、言外に訳文の( )内のようなニュアンスになる。この語法は、現代文でも「分野こそ違え、尊敬している」のような言い回しに残っている。* BeNasu 那須高原の歩き方 歌枕の地 栃木・芦野 遊行柳* 遊行柳ゆぎょうやなぎ(下野国芦野、現・栃木県那須郡那須町大字芦野)* 倉木麻衣は、自作の『State of Mind』の歌詞で、この和歌を一首丸ごと引用している。
2014年08月18日
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西行(さいぎょう)をぐら山ふもとの里に木この葉散れば こずゑに晴るる月を見るかな新古今和歌集 603「小暗山おぐらやま」というほど鬱蒼たる小倉山だが麓の里にもう木の葉は散ったのでいま私は小高い木の梢のあたりに清さやかに晴れわたった月を見ているのだよ。 月ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年12月02日
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昨夜は、NHK大河ドラマ「篤姫」最終回マイナス1回目に当たる第49回「明治前夜の再会」。ストーリーなどの詳しい解説は、楽天ブロガー仲間・のの雪さんのブログ「ふわゆら生活」に譲りま~す天璋院(篤姫)と小松帯刀(尚五郎)の今生の別れのシーンに、滂沱の涙を禁じえなかった。若き男女の名優が渾身の芝居を見せて、大河ドラマ史上に永遠に銘記される名場面となったことは疑いない。「亡き夫、家定に相談いたします。」「あっはっは、ずるいなあ(笑)」の軽いジャブを経て、「人はいなくなるのではなく、また会う時の楽しみのために、ひと時、離ればなれになるだけのことです。」「・・・そうですね。」に至るやりとりを、息を詰めて見た。そして泣いた。見事だった。もし、このブログの読者で見ていない方は、今週土曜日午後1:05からの再放送を見逃さない方がいいんじゃないかと思う。宮崎あおいが上手いことはかねがね分かっていたが、普通の中年男にとっては今回初めて知った若手俳優・瑛太が、ここまでやるとは思わなかった。もっとも、天下のNHKたるものが、看板番組の大河でそうそうミスキャストをするはずがないとも思っていたけどね~。こんなヒョロっとした、よく言えば飄々としたセンシティヴな感じの青年に、天下の大河ドラマの準主役が務まるのかな~?と危惧していたが、全くの杞憂だった。そういう個性が、激動の時代に真摯に向き合い、苦悩し尽くした果てに病を得て夭折した悲劇の貴公子にまさにドンピシャリはまって、毎回泣かされた。先週の「(江戸)無血開城」が歴史ドラマとしてのクライマックスだったとすれば、今回は人間(青春)ドラマとしてのクライマックスだった。最高、至高。田淵久美子の完全無欠な脚本は、幕末・明治維新の全体像をも立体的に浮かび上がらせて、しかも血の通った人間像を構築して、毎回完膚なきまでに僕ら視聴者を魅了した。西郷隆盛(吉之助)の覚悟というか、「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」(中島みゆき「空と君の間」)的な真情も、かつてないほど描ききったのではないか。これは書いていいかどうか、かなりの躊躇を覚えるが、腹にあることは書いてしまおう。歴史マニアの間では、この時期の西郷隆盛が“鬼”になっていたという説は、かねてから有力である。あのお方も、その人も、この人も、西郷と大久保、さらに後ろ盾の岩倉具視公らが手を回して殺害した可能性が強い。もっと言えば、邪魔者を消した、「削除(デリート)した」のであろう。確乎たる証拠はないが、状況証拠は限りなく真っ黒に近い。手法は、毒殺だったり、襲撃だったり、さまざまである。当時、砒素は防腐剤として簡単に入手可能だった。そうして、歴史の歯車を大きく回転させた。維新回天の偉業である。そういう事情が、十分にほのめかされて、明治維新のきれいごとでは済まなかった過程がはっきりと読み取れる構成になっていた。一時は、天璋院をも滅ぼす覚悟があったという説もある。そして、維新の偉業を成就したのち、西郷どんその人も、それらの罪を一身に背負って、西南戦争終焉の地、熊本・田原坂(たばるざか)の血の涙を経て鹿児島・城山の露と消えた。心理学的に見てみると、大奥の存在こそが倒幕の原動力であり、そこに同じ薩摩出身の姫君・天璋院がいたことが、西郷らをして最後の一線を越えることを踏みとどまらせたといえる。歴史の奇蹟であり、天の配剤であった。いや、これこそが島津斉彬公の深慮に基づく配剤だったか。大奥とは、事実上の(家康を神とする神授の)絶対王権に近い一人の王(将軍)のためのハーレムにほかならない。血筋がいいだけの一人の凡庸な男が、1000人ものいつでも召しだせる女を抱えるという、世界史上でも希に見る、うらやましすぎる奇形的なシステムであった。比肩できるものといえば、おそらく、清朝までの北京・紫禁城と、ご存知イスタンブールのモスクぐらいのものであろう。確かに、近代国家にはありえない、あってはならないものだと感じるのは、僕だけではあるまい。精神分析学でいうリビドー(エロスの力)の典型的な発動である。それが激しいジェラシー(嫉妬)を呼び起こし、殺意・破壊衝動を励起したと考えられる。そういった心理が、はっきりと読み取れる見事な脚本だったと、言葉を操る者の端くれの端くれとして、僕は満腔から讃えたいと思う。
2008年12月08日
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『プレバト』(大阪MBS制作、TBS系全国ネット)25日放送。今回の兼題は「ふるさと」。評者で俳人の夏井いつき氏によると、「凡人」が安易に使って、良い俳句が出来たと思い込みがちながら、実際は星の数ほど凡作がゴロゴロ転がっている凡庸で陳腐な(臭い)「凡人ワード」が少なからずあるという。その代表格が「無人駅」、「木漏れ日」、「小さい手」などだという。なるほどなと思う。いかにも平板かつ既知感(デジャヴ)そのもので、句全体の内容もあらかた想像がつく。実作者であれば、なるべく避けて通りたいのが人情というものであろう。しかし、これらをあえて使ってワンランク上の表現を目指すという、一種の酔狂で偏奇な、意地悪でさえある趣向の企画が、結果としては毎回なかなか面白い。今回もまさにドツボにはまった「ふるさと」である。これをどう料理するか。案の定、「名人、特待生」の出演者3人ともだいぶ苦吟した模様。千原ジュニア故郷の苜蓿もくしゅくの香は濃かりけりこれはもう「秀句」を通り越して、「名句」と言うべきではないか。俳句の世界で「名句」という言葉は、歴史をも踏まえた、めったなことで用いてはならない最高の賛辞であるが、それを使っていいんじゃないか。千原ジュニアって人は、本当にすごいな。怖いぐらいである。すでに一流俳人・千原浩史でもあると言えるだろう。尊敬している。苜蓿もくしゅくは、植物のウマゴヤシの漢語で、俗にシロツメクサ(クローバー)をも意味するという。ここでは後者のクローバーのこと。作者の故郷・京都福知山市近郊の、作物を植え付けする前の春まだ浅き田畑一面に、肥料にするための可憐なシロツメクサの花が咲いている。そこには、ある種の田舎臭いような何とも言えない匂いが漂っている。わが栃木・宇都宮近郊にも、昔はこんな光景が当たり前にあったことを、ありありと思い出した。夏井氏が「福知山に(この句の)句碑を建ててもらいたい」と絶賛したほどの傑作。助詞「は」の強調がいい。これをあえて枯淡に「の」にする手もあると思うが、ニュアンスは明らかに変わる。ここはやはり「は」か。「苜蓿もくしゅく」という聞きなれない単語が、日本文芸に永遠に銘記された。犬山紙子生家のこでまり甘やかな退屈前半の映像と、後半の心理が一対になっていて、破調と下の句の表現が、現代詩的な抒情を醸している。エッセイストとしてキレのいい批評性を発揮している作者らしい、陰翳のある表現がいい。FUJIWARA 藤本敏史ふるさとや乗ってゆくかと春の雲夏井氏が、原作「『乗りますか』ふるさと経由春の雲」を添削。フジモン持ち味のファンタスティックな文意がすっきりと明瞭になった。醜聞(スキャンダル)による半年間の謹慎の「長期休暇」明けの更生の一句。「もうホンマの廃人(俳人)ですわ」などと言って笑わせてくれた。個人的には大ファンなので、復帰を祝福したい。芸は身を助く。禊は済んだと思うので、俳句もガヤ芸も、ますますのご活躍を祈念します。
2024年04月27日
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松尾芭蕉憂うき我をさびしがらせよ閑古鳥かんこどり『嵯峨日記』もの憂い私を、くっきりとした閑寂の境地に誘ってくれ、郭公かっこうよ。 松尾芭蕉像 葛飾北斎筆ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014年11月17日
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小野小町(おののこまち)あはれなりわが身の果てや浅緑 つひには野べの霞と思もへば新古今和歌集 758あわれなものね。わが身の果ては結局は浅緑の野辺の春霞になってしまうと思えば。 狩野探幽 小野小町ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2017年05月07日
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枕草子 角川第239段(新潮236段、岩波254段)星は、昴(すばる)、彦星、夕づつ。夜這い星、ちょっとすてきね。・・・尻尾さえなければ、もっとね 。星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。註まいて:「まして」の音便。この段は、短い割には註釈が要りますね。昴:羽子板星、プレヤデス星団。現在、オリオン座の右上にほのめいている。彦星:牽牛星、鷲座アルタイル。天帝(北辰、北極星)の娘・織姫(織女、琴座ヴェガ)との七夕伝説は古来有名。夕づつ:宵の明星、あかぼし。金星、英語ヴィーナス。月を別とすれば、地球にもっとも近い天体なので、非常に明るい。また地球から見て太陽に近いので、早朝の日の出直前または夕方の日没直後にしか見えず、また惑星であるから軌道上の位置によって見えたり見えなかったりし、見える場所も一定しない。「素朴天動説」の古代人には、ことのほか神秘的であったろう。2月下旬現在、夕方6時ごろ、南西の低い空に妖しくきらめいている。夜這い星:彗星、ほうき星。太陽系内の小惑星の一部。楕円軌道を描くため、定期的に地球に近づき、太陽のエネルギーを受けて微細な物質を放出するのが、しっぽのように見える。
2007年02月19日
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俵万智(たわら・まち)水仙のうつむき加減やさしくてふるさとふいに思う一月歌集「サラダ記念日」(昭和62年・1987)註そういえば、水仙って真冬に咲くらしい。写真を撮りに今度探しに行ってみようかな。・・・それにしても、ちと寒いなあ
2010年01月27日
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伊丹十三監督『タンポポ』挿話(通称)「最後のチャーハン」井川比佐志 三田和代同 英語字幕入り「タンポポで最も悲しいシーン」映画全体の本筋とは別の、わずか4分間のシーンだが、深く心に残る。世界映画史に残るといっていいのではないか。井川比佐志、三田和代の鬼気迫るほどの入神の演技に加え、せりふのない子役の動きまで、ほぼ完璧である。涙止めえず。唯一、臨終を告げる医者役の演技が上手くないと思っていたのだが、医者も人間である。手立ては尽くした。精一杯やった。礼も尽くした。もう帰りたいよという気分を表現していて、これはこれでいいのだと思い直した。映画好きであれば直ちに気づくことだが、このシーンは巨匠・小津安二郎監督の代表作で、日本映画屈指の名作『東京物語』で母親が亡くなるシーンへのオマージュと挑戦が入っているのだろう。そこで大声を立てて泣くのは、大女優・杉村春子だったが、(・・・これがまた、書けば若干長くなるのだが、書いてしまおうか。当時のこととて、割と優しいけれどもやはり威張っている父親に忍従気味の古いタイプの母親に反発して、手に職をつけて自立して、今は天下の大東京で美容院の経営者として成功している長女・杉村は映画の初めから母親にクールでドライで冷笑的な言動を繰り返す。見事な脚本と演出を得て、歴史的演技派大女優の面目躍如の独壇場である。母親の危篤に際しても、ますますそのドライな怜悧さは冴えわたる。女って、女に対してこうだよなと、いちいち思い当たって男は苦笑する。ところがそれが、長大な伏線であったと気づくのが、くだんの母親の臨終シーンであり、この瞬時、魂の叫びのように杉村春子が泣き崩れる。「ああっ」という声だったか。そしてすべての伏線が回収されたのである。脚本・監督のたくらみであり、ドラマツルギー・作劇の見本であると思う)この長女役の子役の泣き声は、それに勝るとも劣らないと思う。長男役の子役もいい。母の死を目前にして茫然としつつ父の命に従い、その最期のチャーハンを黙々と食う。かなしみは、やがてじわじわと後から襲ってくるだろう。かなしい。
2021年09月05日
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平兼盛(たいらのかねもり)世の中にうれしきものは 思ふどち花見てすぐす心なりけり拾遺和歌集 1047この世の中で何よりもうれしいのは思い合う者同士が同じ花を見て過ごしているその心だなあ。
2024年04月02日
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けさ日曜早朝、NHK教育テレビ『NHK短歌』を寝ぼけまなこで見はじめたら、アマチュア投稿者のレベルの高さに、一気に目が覚めた兼題「ごめん」。歌人・枡野浩一選。MC尾崎世界観(クリープハイプ)。なるほど、いかにも作歌を誘うエモーショナル(情動的)な掲題である。ランク付けが難しいほどの、なかなかの秀歌が揃った。また、選者・枡野氏の指向もあいまって、すべてライトヴァース(軽めの現代口語)による表現である。これは時代というものであろう。短歌形式国民文学は、滅びないどころか、ますます隆盛だわな~と、ちと大げさなことまで思ってしまったのである奈良県斑鳩町 峯瀬品子「すみません」たとえあなたが許しても私が私を許せないので滋賀県守山市 へそごま払いのけた夜をあなたは忘れてもわたしはずっと悔やんでおくね愛知県小牧市 五月雨薊生きていてごめんなさいと言いながらおやつを食べてお昼寝もする東京都西東京市 和田直樹たぶんもう渡せないけど十九から冷凍保存してるごめんね富山県高岡市 星川郁乃気づかないふりはしておくごめんねとやっぱり思えなくってごめんね新潟県長岡市 スワロフ好き代ごめんねの代わりに夫つまがくれた薔薇これっぽっちじゃ足りないってば神奈川県横浜市 中村杏荒らされた花野へあわてて駆けてきてごめんと言うからゆるさなければ千葉県佐倉市 れいこごめんなさい今朝もあなたを覚えてた私も早く忘れたいのに千葉県松戸市 渡邉理紗部屋の隅に埃が積もる毎日の汚れみたいな君のごめんね
2024年11月24日
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与謝野晶子(よさの・あきこ)血ぞもゆるかさむひと夜の夢のやど春を行く人神おとしめな歌集「みだれ髪」(明治34年・1901)血が燃える ひと夜の夢が嵩かさんで宿る至聖所サンクチュアリ。春を行く人よ この神の意思を貶おとしめるな。註かなり難解な言い回しと、観念的な表現を含んでいる歌。とりあえずこのように訳してみたが、どうだろうか。与謝野晶子は、しばしば情熱の歌人といわれるが、形而上的な観念の歌人でもあったと思う。
2010年04月21日
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