【粗筋】
汚い坊主が煮ている豆を所望したが、女房は、
「これは馬にやる分で、人様の食うものではない」
と断った。煮上がった豆を亭主に持っていくと、亭主が馬に変身している。さてはあの汚い坊主が弘法大師だったのかと、追いかけて詫びを入れると、坊様引き返して、馬の頭、肩、腕、胸をなでると、たちまち亭主の体に戻る。さて下の方に手を出すと、女房、
「ああ、そこはもう、そのままでよろしゅうごぜえます」
【成立】
要するに、あそこだけは馬並みでおいてくれという……バレ噺。同様の昔話、伝説などあるが、直接の原典は
1694
(元禄7)『正直咄大鑑』黒之巻7にある「夢想の馬ぐすり」で、「腰から下は馬がよいぞ」という落ち。こちらは浅草観音霊験譚である。
これが
1777
年(安永6)『譚嚢』の「魔法」、安政3年『落噺笑種蒔』の「評判」などの小噺になったもの。
【一言】
馬と豆が日本人の好笑的連想を誘うことを、最初から計算に入れた咄で、弘法伝説を女房の巨根願望むき出しの艶笑譚に作りかえてしまった手ぎわは、凡手ではない。
(宇井無愁)
【蘊蓄】
関東から東北に多いのは慈覚大師円仁か徳一上人開基の寺。弘法大師の開いた寺はめったにないが、弘法水、弘法芋、弘法機(はた)などの弘法伝説は西日本よりも多い。
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