【粗筋】
縄張り荒らしで大勢から袋叩きにされた乞食の親子を救うと、持っている面桶が朝鮮鍬鑵の水こぼしという風流なもの。家へ上げて話を聞くと、芝片門町でお上のご用達をしていた神谷幸右衛門。目が潰れたために家内と番頭に店を乗っ取られたのであった。
「あなたが神幸さん。あなたのお数寄屋に招かれたこともある河内屋金兵衛です」
と茶を入れ、大仏餅を出す。これを食った幸右衛門が喉につかえて苦しみ、河内屋が背中を叩くとたんに幸右衛門の目が開いた。
「あっ、あなた目があきなすった……目があいたが、鼻が変になんなすったね」
「はあ、食べたのが大仏餅、目から鼻へ抜けた」
【成立】
三遊亭圓朝作の三題噺。題は「大仏餅」「袴着の祝」「新米の盲乞食」という。枕に「大仏の眼」を振る。
【一言】
父親が80半ばになった頃、私は発心して国立劇場の落語研究会に父を誘った。大昔の落語研究会の話はよく父から聞いていたし、外出して寄席に行くのも体力的にこれが最後かもしれないと思ったからだ。その日、桂文楽が出て、『大仏餅』を演った。話が一か所をぐるぐる廻りだしたとき、もう私は自分も胸がつぶれる思いで高座を見守った。その前からどの高座でも文楽の口跡はたどたどしくなっていて、近い将来これがくるのではないかと思っていたからだ。「……また勉強して、出直してまいります」文楽が引込んだあと、私はしばらく声が出なかった。「どうした……静かに?」と父にもわかっていたろうが、ことさら無表情を装っていた。私はタイミング悪く、高座の老者と父の老者を鉢合わせさせてしまったのだ。その日、父の手を引いて、交す言葉もなく家路についた。(色川武大・昭和46年8月31日のこと、文楽(8)は同年12月12日、肝硬変で死去する)
●
ご承知のとおり文楽さんは、このはなしを途中絶句してそれが最後の高座になりました。神谷幸右衛門の名が出てこなかったんです。三遊亭圓生(6)さんとよくいうんですよ。「おまえさんならどうする」「あたしなら神谷ウタタでもなんでもやっちゃうね」。はなしの中で人名をまちがえることはよくあるんです(林家彦六(正蔵8))
●
人情噺や落語でもうっかり忘れることはよくある。文楽も、うっかり言葉を忘れてそれをみごとなくすぐりにしたことがあるし、「按摩の炬燵」で盲人が目の前にいて噺が出来なくなったことがあると話している。だが、この「大仏餅」は人情噺のようでいて、実は手抜きをする「逃げ」の噺であった。文楽の芸に対する厳しさとして紹介される事件であるが、普通の噺で行き詰まったのであれば、それほどショックはなかったはずである。「逃げ」の噺での失敗はこの上ない致命傷だったのである。
【蘊蓄】
面桶は、飯を盛って面々に配る曲げ物の食器。
落語「た」の45:大文字(だいもんじ) 2024.06.02
落語「た」の44:タイム・マシン(たい… 2024.06.01
落語「た」の43:大名房五郎(だいみょ… 2024.05.28
PR
Keyword Search
Comments
Freepage List