エッセンスクラス卒業レポート


思い返せば今までの三十数年の人生で、こういうふうにシミジミとした感慨にふけったことはなかった。
いろいろ多忙・多彩な1年間であったと思う。そして振り返れば非常に充実していた。
昨年11月頃に、やすらぎの部屋でコオさんからレイキアチューンメントを受けたのと、
知り合いの社長さんからの引き合いでサプリメントアドバイザーの民間資格試験の講座を受け始めたのと、
独学でフラワーエッセンスを始めたのと、ほとんど同時期であったので、
渦中にいた時にはハッキリとした自覚はなかったけれど、人生の転換期の始まりだったに違いない。
エッセンスクラスの開始は4月だが、それ以前に遡ってお話しすることを許して頂きたいと思う。

◆それまで◆
そもそも美保さん主催のエッセンスクラスに参加したのも、不思議なご縁が繋がり続けた結果であった。
5年前、それまで固定の美容院にお世話になった経験のなかった私が、なぜか大船の某美容院に通うようになった。
私はJR山手駅が最寄で、駅前にも、隣の石川町(元町)にも美容院が山ほどあるのに、である。
2年後には、腰まで伸ばしていたロングソバージュを「短いのも似合うと思うなら切ってください!」
とイキナリお任せしてしまえるほど信頼できるようになった、とある美容師さんとの出会いによる。
彼女が、同じ大船のアロマ整体マッサージのスタジオを紹介してくれた。
腕の確かな、しかし癒し系の小柄で可愛いA先生であった。
そこにも通ううち、先生が施術中に注入してくれる「気」が中国気功のものでなく、
レイキ系のものだと伺い、さらに雑談の中で「鵠沼海岸に『やすらぎの部屋』というのがあって、
ダンナ様がレイキ伝授、奥様がフラワーエッセンス教室をされているそうですよ」という話が。

私は九州に住む友人が家族トラウマに悩んでいることを何年も前から聞いていたので、
漠然とではあったが、遠隔ヒーリングに興味を持っていた。
レイキというものの名は聞いたことがあったものの、それまで一抹の胡散臭さを拭い去れなかった。
しかし毎月、A先生が注入してくれるアレがレイキだと知ったことで一気に垣根が消えてしまった。
そして何かに引っ張られるようにして、レイキアチューンメントの申し込みを行なった。
いよいよ明日は『やすらぎの部屋』へ行くという、前夜。
午前中から出かけるので早寝しなくてはならないというのに、またも何かに引っ張られるように、
フラワーエッセンスが気になって気になって、ネットをウロつき、欲しいエッセンスをリストアップし続けた。
おかげで眠い目をこすりながらアチューンメントを受けることに。

しかもコオさんとの雑談の中で、ふと机にあるレスキューに目が行くと、
「ああ、これね。フラワーエッセンスは、繊細な人には効果の出るものだそうですよ」(大意)
と、聞く前にさらっと言われた。過去には酢バッチのレスキューを使ったことがあったが、
何が効いているのかいないのか判然としないまま使い終えた経験しかなかった私が、
その時にはなぜか、ああフラワーエッセンスやっぱりいいかも。と自然に思うことができた。
今考えてみると、あれも一種のお導き(エッセンスのディーバの?)かも知れない。
それから、自分に合いそうなもの、前述の九州の友人や、重篤な不眠で悩んでいた母に合いそうなもの、
少しずつ少しずつ、バッチエッセンスを買い足していくようになった。
自分でも効果を感じ、周囲の友人からも好感触を得るうち、いつの間にか意識が変わっていった気がする。

特定の誰かのためだけ、ではなく、これは必ず、まだ知らない誰かの役にも立つもの。

それはもしかしたら単なる建前で、本音は「コンプしたいから!」というオタク魂だったかも知れないが、
とにかく私は始めて数ヵ月後、バッチ38本をコンプリートしてしまった。
もちろん安いものではないが、それでも米国から個人輸入すれば国内流通価格よりは段違いに安い。
何年も前からサプリメントを購入していた米国のWEBショップがホメオパシー分野を扱い出し、
その一環としてネルソン社のバッチ製品を揃えてくれた、というタイミングにも恵まれた。
さらには、私のブログを見てくれた方から「私もエッセンスを使っていて…」とメールをもらって、
エッセンス友達めいたものにも恵まれた。
もちろん、トリートメントボトルを使ってくれる周囲の友人が有難いのは言うまでもない。
中には顔も知らない人もいるのだが、信頼して使ってくれる人が何人もいることに深く感謝している。
そんな時に、美保さんのクラスの募集告知のメルマガを受け取った。

第一印象は「と、遠い…」である。
基本的に出不精で、微妙に大昔の鬱ヒッキーを引きずっていないこともない私には鵠沼海岸は遠かった。
しかし、興味だけはあった。申し込もうかどうしようか数日悩んだ。
レストラン勤務のため、人手の足りない日にクラスが重なったらどうしよう、という気持もあった。
その後、先にコオさんのヒーリングクラスが締め切られ、このままではエッセンスクラスも危うい状態になり、
私はそれこそエイヤッという感じで申し込んだ。
自分で「行かれない言い訳」をいくら列挙しても、それ以上に興味が強かったというか…
そして幸いにも受講が決まり、私は覚悟(何のだ)を決めた。

◆第1回◆4月
初めてのクラスである。
講師の美保さんは華奢だがどこかに強靭さを感じさせる知的美人で、とても嬉しかった。
私は面食いで、エッセンスを使ってきた今に至っても、やはり顔のきれいな人が好きである。
人の価値は顔や見た目では判断できない、という論理Aと、
それでもキレイなものはキレイ、キレイなものがスキ、という論理Bいずれも捨てられない。
そういうダブルスタンダードに悩まなくなったのは、エッセンスのお陰に違いないが。
クラス仲間の人々も、クールでシャープなのにどこか可愛いKさん(牧羊犬っぽい)、
どこか夢見るようでいて無口なのに不思議な存在感があるCさん(シャム猫)、
可愛すぎて放っておけないYさん(豆柴)と、強い魅力のあるメンバーに恵まれた。
当初、私が意識していたことは「年上ぶらないこと」「エッセンス経験者ぶらないこと」
この2点に尽きた。それは自戒であり、矜持であり、一体感を持つための遠慮でもあった。

初回に美保さんから勧められたエッセンスは、忘れもしないラーチとインパチエンス。
いずれも、ひとのボトルには入れたことがあっても自分で使ったことはなかった。
だってラーチはおとなしい、自信のない人が飲むものだし。
インパチはセカセカタイプの人がイライラした時に飲むものだし。自分には縁がない。
…しかし、事前に提出していた自分のテーマに則して考えると、
「サプリメント助言の仕事が思うように進行していないことに対する焦り」(大意)
には合っているのでは、という美保さんからの示唆があり、飲んでみることにした。

またクラスの帰りには、初対面なのにYさんと異様に意気投合してしまい、
5時すぎに解散したというのに夜10時までお店をハシゴして話し込むということがあった。
中でも、Yさんは事前に提出するはずのテーマが決まらずに困っていたそうなのだが、
話しているうちに対人関係の悩みの中に、自分のテーマが潜んでいたことに気づいて、
私の目の前で「エウレカ!」な瞬間を迎えられた。
聖書によると霊感は鳩のように下るそうだが、あのとき彼女の頭上には鳩がいたのかも知れない。

そして私はというとラーチ・インパチのコンビを何度か飲み、強烈な睡魔に襲われて寝たのだが、
翌朝起きた時の感じは今も忘れられない。なんというか…全身の細胞が生まれ変わった感じがした。
大げさでもなんでもなく、それが実感である。
見慣れたはずのキッチンの蛍光灯でさえ、なんだかピチピチと眩しく見えたほどだった。
自分で選んだエッセンスで、ここまで劇的な変化を感じたことはなかったので、
さすが専門家はスゴイ!と痛感した出来事でもあった。

また後日、観劇のため渋谷に1人で出かけた時のこと。
帰りに駅前交差点の雑踏の中を歩いていて、ハッとした。「今なにも考えてなかった…」
これまでは無意識のうちに物事を考えたり感じたり、しかもそれが自己嫌悪につながる事柄だったり、
自意識過剰っぽい面が強かったりしていたのだが、そういう余計なものが急速に消え始めた。
その意味ではラーチもインパチも、人を深い部分で安定させる作用がある、と体感した。

◆第2回◆5月
確か、この回だったろうか。
肉体→エーテル体→アストラル体の存在について話を聞き、ついで実験があった。
メンバーが2人1組になって、離れたところから段々に近づいていくのである。
なんだかイヤな感じ、バリヤーが破られそうな感じ?になったらストップをかける。
先にYさんとKさんが実験を行い、そこそこの位置でストップがかかった。
次に私とCさん。ずんずん近づく私。しかしCさんから「もー無理です~」コールが。
その距離、30センチほどだったろうか。(記憶曖昧)

なぜそうなるかという美保さんの解説によると、肉体が離れていても、
まず先にアストラル体が触れ合うことになるので、そこでさらに接近すると、
自分のアストラル体の中に侵入されるわけである。それを人は不快と感じるのだという。
Cさんとの実験後、美保さんから「ばち子さんはどのくらい大丈夫そうですか?」と聞かれたので、
「たぶん胸が触れ合わないギリギリの近さまで大丈夫です!」と元気に答えたものの、
じゃあ自分のアストラル体はどーなってるんだ???と思わずにはいられなかったのだが、
美保さんはサラッと「自己が確立してる人の場合、他人を受け入れやすいのかも知れません」
…というようなコメントを下さった。そ、そうなのだろうか。

また前回に使ったエッセンスの感想をシェアする場面では、
ああやっぱりフラワーエッセンスは的確に使えば的確な効果が出せるのだ、と再確認。
次回用に選んだボトルは、ブログの記録によるとクレマチス・ラーチ・タンジー(FES)。
せっかくなので、そのクラスで取り上げたバッチから選ぶようにしていたらしい。
そのクレマチスのせいかどうか、その後1ヶ月の間に3度も、公私で非常に難しい問題が持ち上がり、
ボーッとしているどころではなく能力フル活動で、自分1人が調整役となる必要に迫られた。
エッセンスが出来事を呼ぶこともある、というのを肌で実感した期間であった。

◆第3回◆6月
この回では、花の色と、そのエッセンスの働きの関係について。
普段ネットや本の情報(解説)をおもな頼りとしてエッセンスを選びがちだが、
色という(形もそうだが)直感的に視覚に訴えるものを方法論に取り入れることで、
選択の幅や豊かさが増すことを学んだ。
これはもっともっと自然に身につけて、多方面で役に立てたいと考えている。

また、正しいオーリングテストの方法も教わることができた。
今まで自己流でやったり、1人なんちゃってオーリングでもそれなりの効果はあったが、
本式なものを知った上でアレンジを加えて試行錯誤するのと、
基本を知らないで適当にやるのではあまりに違うので、この時点で教われて良かったと思う。

今回選んだのは、インパチェンス・スターオブベツレヘム・ラーチ・ヘザー。
好転反応が恐ろしいと噂のスタオブだが、ちょうどこの回で取り上げられたことと、
思えば2000年の5月にリウマチを発症して丸5年経過したので(現在、寛解のもよう)、
ごく単純な思いつきでボトルに入れてみただけである。
しかし、まさかこんな効果があったのか、と翌朝またも驚かされることになった。

私の場合ボトルが合うと、やたら手が伸びてしじゅう飲んでいることになる。
それでクラスでは「エッセンスがん飲みしました~^^」などと言うわけだが、
この回のボトルもそんな感じで、しかも当たると初めの1日はものすごい睡魔が来る。
整体や鍼灸治療を受けた日にも同じ状態になるので、
エッセンスをとることで身体に何かが起きていることには間違いない。
それで1回めのボトルの時と同じく、爆睡したあげくに翌朝ぼんやりと目をさました。
なんとなく、なぜか「そーいえば新しいボトルにはスタオブ入ってるんだっけ…」と思い出した。
昨晩がんがん飲んでいた時には不思議と、そのことを忘れていたのである。
ベッドから起きないまま「そう、スタオブといえばトラウマ」と、また頭に浮かんだ。
そして思いがけない意識が、頭に浮かんだと思ったら、ストンと心に落ちてきたのである。

過去の傷が今に至る影響を及ぼすかどうかは、過去の時点で決まるのではない。
それは、今ここにいる自分が決めていいことなのだ。
大きな傷があった。痛かった。その事実はもう変えられないけれど、
傷がふさがって、跡が消えれば、それはもう傷ではないのだから、
傷ついた!痛かった!…と言い続けなくてもいいのだ。

まさか自分がこんな事を納得できる日が来るとは…自分でも驚きであった。
私には30年近く引きずってきたトラウマがあり、どうしたらそれを克服できるのか、と思っていた。
いや、克服できるとは信じられなかった。30年、それがトラウマだと気づいてからでも20年、
それはずっと私の心にあり続けたものだったので。
それでも5年前にリウマチを発症した際に、心身ともに地獄を見てしまったせいで、
いくぶんかスッキリしたというか、自分なりに整理がついたような気がしなくもなかった。
でも、それでもさらに何か澱のようなものが心に残っていて、
たとえば何杯もお茶を飲んだ茶碗に茶渋がこびりついて取れなくなるように、
私の心にはトラウマが棲みついて、染みついて、消えないのだと意識のどこかで諦めていた。慣れていた。
トラウマとはそういうものだから。

しかし、スタオブの入ったボトルを飲んだ翌朝、トラウマは過去のものになり、
もはや致命傷ではなくなっていた。
もしかしたら、もうとっくにそうなっていた…のかも知れない。
そのことに気づくよう、スタオブが働きかけたということなのかも知れない。
いずれにせよ、私にとってのスターオブベツレヘムは恐ろしいものでなく、静かで強力に作用してくれた。

◆第4回◆7月
このあたりから、内容がいよいよ本格的なものになってきた。
ホメオパシーについての基礎知識、植物を総合的に捉えるための12のチェック項目など。
個人的には非常に直感的に、感覚でエッセンスのキャラクターを捉える派なので、
学術的な見方というのは正直、苦手分野に属する。
しかし、ここを押さえるかどうかでエッセンスに対する意識も格段に違ってくると思うので、
引き続きマイペースでも勉強していきたいと考えている。

それと、美保さんからとても実践的なアドバイスとして、
「○○しなきゃいけない」と思うと身体が萎縮するような反応が出てしまう。
それが却って大きな負担になるので、その言葉を意識せず、
「○○しよう」という前向きな言葉に置き換えるのが良い、というのを伺った。
分かっていてもナカナカ癖を変えるのは時間がかかるのだろうけど、
知らずに身体を萎縮させ続けるよりは、少しでも改善させていけたらと思う。

この回で選んだエッセンスはワイルドローズ単品。
ネット某所で、ホーンビームでも出なかったヤル気がワイルドローズで出た、という話を読み、
前回のボトルにも途中から入れていて、好感触を得たのに気を良くし、単品チャレンジ。
シングルレメディにまさるものなし、を実行してみたくなったし。
これはこれで、とても自分にしっくり来るエッセンスだった。
後日、私にとってこのエッセンスは単にエンジンかけ役以上の存在なのが判明するが、それはまたその回で。

この時期、長年の不眠や鬱傾向に悩んでいた母が、さまざまなエッセンス使用の甲斐あって、
一時期、投薬ゼロになるという信じられないほど嬉しい出来事があった。
その後またも心の揺れが大きくなり、数種の薬をもらうようになってしまったが、
以前のように薬が合わなくてアレコレ変えるということもなく、まあまあ安定した生活を送れている。
エッセンスを使うようになってから、明らかに薬の種類も減らしていかれたし、
たとえ一時期でもクリニックと手が切れたことは家族の自信になった。
今後も諦めずに、いつかは投薬フリーを目指したいと思う。

◆第5回◆8月
月初めにコオさん主催の1日ワークショップに参加し、数秘術に触れた。
そして不思議な偶然に気づくことができた。
私の数字1はリーダーシップを表わし、悪く出ると強引だったり見栄っ張りだったりするらしい。
今までの人生、ブランド物に入れあげたことは一度として無く、
むしろ徹底してそういう傾向を嫌ったり冷笑している側だったのだが、
エッセンスを使い出して1ヵ月後、生まれて初めてブランド物の財布を買った。
その後も同じブランドの小物を買いあさり、それだけでは足りずに米国オークションに乗り出し、
日本国内の価格に比べたら遥かに安価ということでアホみたいに買いまくった。
そう、エッセンスを使うことで私は良い意味でも悪い意味でも、自分の地を出し始めたと思われる。

クラスではいよいよ、バッチ博士の人となり、その哲学を学ぶ回。
たんに医師なだけでなく、哲学者や神学者、教育者のような側面のある人である。
今までシュタイナーやらユングやらに傾倒しては冷め、ということを繰り返した私だが、
ようやっと冷めずにいられる相手にめぐりあった嬉しさを感じる。
と同時に、シュタイナーもユングも、冷めはしても今の自分の糧になっているのだ、
と再評価できたことも嬉しかった。それだけでなく、前述の鬱ヒッキー時代でさえ、
毎日のように書き続けた膨大な日記によって、心の奥底まで掘り下げる訓練になっていたと思う。
それらの一見寄り道でしかない経験がすべてエッセンス使用という目的のもと、
一つに収斂されていっているようで、深い自己肯定感を得られたように思う。

バッチ博士のサインを商標登録している会社は、博士の研究室なども保管していて、
我こそは一番の後継者!という自負が強いように考えていたが、
結局のところバッチ博士に心酔している面も大きいのだろうなぁ、と少し見方が変わった。
誰かが守らなければ、研究所だってサインだって、人手に売り渡されてしまうのだろうし。
そういう意味で、博士が好きで功績をしっかり後世に伝えたいと考えているのかも。
しかし一方で、そういうものから一切自由になってしまうことも、
それはそれでバッチ博士の遺志を伝える生き方かも知れない、とも思える。
たぶん、このあたりから私の心の中でも、バッチエッセンスを始祖として敬愛しつつ、
他のエッセンスもいいな、という視野の広がりが生まれ始めたのだろう。

この回のクラスのテーマで、女性性に関するエッセンスに触れられたのだが、
そこでまたも不思議な偶然にめぐり合う。
数日前に、米国オークションでFES北米の103本セットが売りに出されて入札したら、
直後に友人から「健康のことで悩んでいて、何かサプリメントで体質改善できないか」という、
シリアスな相談を受けた。そしてこの日のクラスでは、某FESエッセンスが、
まさに同じ健康上の問題傾向のある人に使われるもの、と聞いたのである。
この偶然には驚きつつ、絶対に北米キットを買う!と固く決意する動機になったのは言うまでもない。
(そして後日めでたく落札することができた)

◆第6回◆9月
今回のテーマは錬金術。
エッセンスの成り立ちを学ぶのに錬金術の基礎知識が欠かせないということで、
これまた難しい話になるのか、と思いきや、つまり花というのは四大元素(風水地火)すべて、
理想のバランスが存在しているもので、だから人のバランスを取り戻す力もある…
という、きわめて「ナルホド~膝ぽん!」な説を聞くことができた。
地に根を下ろし、水と太陽光(火)を栄養に、風を受けて育つ花。人間よりスゴイかも。
これまで様々な面から花に触れるうち、以前に比べて非常に「花が好き」と思えるようになっていたが、
この話は決定的だった。心の奥にあった自然への漠然とした畏敬の念が、花という対象を得て、
今後ますますエッセンスに対しても敬虔になれる気がする。

もうひとつ印象的だったのは、四大元素の話の中で「ばち子さんは水の要素がすごく大きいです」
と言われたこと。初回から徹底して、迂闊に口先で褒めたり評価したりしない姿勢を貫いている美保さんに、
はっきりと「コレコレこうですよ」と言われることはあまりないので、ちょっと驚きつつ、
水であることには不思議と納得できた。ちなみに他の要素が欠けているとか少ないとかでなく、
とにかく水の部分が大きい、のだそう。
また他にも、バランスを意識するあまり、今以上に大きくなれないでいる(大意)という指摘も頂いた。
ピザ生地を伸ばすのに、広げるためには一時的なゆがみが出ることも当たり前で、
それと同じように、人が大きくなるためには過程でアンバランスになることもあって当然。
これまたナルホド~な話だった。
20歳前後に大きく心身の調子を崩したり、5年前にリウマチ発症して荒れたりして、
そういう自分にはホトホト嫌気が差しているというか、もうオナカいっぱいだったのだが、
荒れるというのとは別に、変貌や脱皮はあって当然なもので、なければ古く滅びてゆくだけ。
もし指摘を受けなかったら、まだその時期がきていないのに成熟を求めるあまり、
結局なにも残さずに腐っていたかも知れない…と思った。

クラスの中で、フラワーカードを1枚引いて、それに対して説明やコメントをする場面があり、
私が引いたのはワイルドローズ。諦めの気持を引き立ててくれるエッセンスである。
かじり始めの頃は捉えどころのないキャラだと思っていたのだが、以前に単体使用してとても好きになった。
そして、花の形とエッセンス効果を照らし合わせてみると、カップ型のこの花は受容に関係する。
思えば私は受け取るのが苦手で、与えるのは大好きな性分らしい。(このへんヘザー)
勉強のためだからという言い訳で、ボトル代金も固辞してきたし、
プロポーションとか肌のコトを褒められる機会があっても照れ隠しに否定する癖がまだ直らない。
それでも以前のような「褒められた時の、強い居心地の悪さ」はエッセンスのおかげで消えて、
そのことに気づいてから一層、上手に受け取ることが自分のテーマであり、
それはそのまま、上手に与えることにも繋がるはず、と考えられるようになってきた。
あと一歩でブレイクスルーが起きる、ような気もする。ああ楽しみ。

◆第7回◆10月
合同クラスとしてはこれが最後。
メンバーそれぞれ、期間中に大きな変化があったのだが、どうも私に一大事はなかった。
長い中断期間を経て習い事を再開し、自分再発見を果たした人。
大事な家族とお別れをする運命に見舞われた人。
だんな様が脱サラを果たし、お店の経営を始められた人。
それに比べると私の身辺は比較的穏やかで、たぶんそれはエッセンスを使い続けていたからかも知れない。
家庭内もエッセンスのサポートでどうやら平和を保ち、
また周囲で私の作るトリートメントボトルを使ってくれる人も順調に増え続け、
米国オークションでは様々なエッセンスを驚くような価格で落札できることも多かった。
なんというか、恵まれている、という意識を持つことが増えてきた。
大きな変化がなかったこと自体も、言い換えれば恵まれているのかも知れないし。
とくに、確証はないが私のリウマチはもう現れないのでは、と強く感じるようになれたのは有難い。

クラスの最終講義は、現代科学・医学におけるフラワーエッセンスの存在意義と、
プラクティショナーとしての心構えについて。
すでに私は、無償とはいえ周囲の人のボトルを作る身である。
これまでのクラスを通じて、美保さんが話を振って下さったこともあって、折々に姿勢を話すこともあり、
どうやらその考え自体はそう間違ったものではないと思ってきたが、
それらの総決算のような感じで、いくつか大きなヒントを頂くことができた。
おそらく私は一生、エッセンスと付き合いつづけていくだろうし、
サプリメントのアドバイスの一環、というのを取っ掛かりにして人にもエッセンスを勧めるだろう。
なぜだか私は、ライフナンバー1にもかかわらず、エッセンスを介すると人に対して、
驚くほど神妙に、謙遜な気持ちが自然に生まれるのである。

◆1年を通じての変化◆
エッセンスに関する限り、人に選ぶのにいっそう余計な力が入らなくなった。とても無心に選べる。
もとの自分の性格を考えると、何か症状に悩んでいる人を前にして、
どうにかして「効かせてやろう!」という力みが出そうなものなのに、それが一切ない。
そして気づけば、短くはない今までの人生で、絶えず余計なことを考え、気ばかり回していた。
そういう余計なこと、考えても仕方のないことのためにどれだけ消耗してきたろう。
ある面では、気を遣うことは思いやりにも通じるが、気の遣い過ぎ、回し過ぎは意味がない。
その一線が自分の中で明確になったと思う。

その一方では、より繊細になったというか、物事のコアが自然に感じ取れることが増えた。
たとえば職場(レストラン)でクレームが発生し、年長者で職位も上なので対処することになる。
どんな事柄をどんな表現で、どんな口調で言えば相手に受け入れられるか、分かる…気がする。
同じように後輩を指導する場面でも、どんな言い方をするのがベストか、直感的に感じ取れる。
クラス開始前に一時期使っていたウォーターバイオレットとヘザーのコンビの働きもあると思うが、
エッセンスを使っていてずっと、コミュニケーション能力は飛躍的にアップしたと感じる。

また別の面では、子供の頃から感情を一部抑え込まないと家庭内で生き延びられなかったせいで、
大人になってもそれが習い性となって残っていたのが、上記の「余計なことを考えない」と相俟って、
感情を自分の中で素直に充満させられるようになった。(表に出す出さないは別として)
中でも不思議なのは、本来短気な人が使うというインパチエンスをコンスタントに使ってから、
かえってキレキャラになったらしいことである。
もともとは自分はノロイと思っていたのだが、どうやら、そうではなかった。
自分の中に及第点となるスピードがあり、それはけっこうハードルが高く、
そこに達していないと思われる自分のことを「ノロイ奴」と断じていたらしいのである。
そのへんの仕組に気づき、ふと我が身を振り返ってみると、
いつの間にか、忙しければ忙しいほど仕事が楽しい自分がおり、何かあれば即座にプチっと切れる。
そして修復にもあまり長い時間はかからない。(インパチ=せっかちだから)

以前は、キレてもいいはずの状況でもキレることができず、そのせいで悶々として、
かえって非常に長く引きずることが多かった。いや、そんなことばかりだった。
それが今や、余計なことを考えずに素直にキレ、しかも本来の地が出ているので理論派の上司に理屈で迫ったり、
まるでアメリカ人のように「おのれの主張するべきは徹底的に主張する」面がハッキリ出てきた。
だからといって周囲を何も見ていないわけではないので、かえって後輩からは頼られている気もする。
エッセンスは性格矯正アイテムではない、というのは私が周囲のユーザー友達によく言うことだが、
自分に起きたことを見ると結果的に、そういう側面がナイとも言い切れない。
ただ、本来持ち合わせないキャラクターが勝手に作り上げられて出てくるわけでは決してなく、
おそらくは隠れていた資質が隠しきれなくなる…という構図なのだと思うが。

だから、生きてきた状況によって得てしまった病気など負の面は、消えていくこともあるのだろう。
私の場合はどこかに残滓のあった醜貌恐怖っぽい気持がまったくなくなり、自分の顔が好きになった。
表情がハッキリして、意志のある顔になったと思う。ツラダマシイ、という感じかも。
また生理前などに時折顔を出していた摂食障害のシッポも、もうほとんど出なくなった。
相変わらず大食い寄りではあるし、ダイエットを忘れてはいけないという意識はあるけれど、
食べても食べても満腹にならないとか苦しくても食べてしまうとかいうことは、もうない。
これは某友人も同じで、彼女の症状は私より深刻だったようなのだが、それが治まったらしい。
エッセンスの底力を感じられたこと、彼女がラクになったこと、どちらも良かった。

最後に、一番最近得た直感について。
ぼんやりとネットで拾ったゲームをしていたら、ふと美保さんの息子Kくんのことを考えた。
11月のシルバーアーチで会ったばかりの、元気でカワイイお子さんである。
あんな子たちが世界中で誰も、食べるものがなくて困ったり、叩かれて泣いたりしない世の中だったらいいなぁ、と。
そしてなぜかフト「ああ、特定の誰かを好きにならなくてもいいんだ。みんなを好きでいいんだ」と思った。
私はそれまで恋愛やら結婚やらがウザくて仕方なくて、たとえば告白されて付き合っても重くて疎ましくて、
男の子たちとはワイワイ騒いでゴハンを食べに行ったり遊んだりしているのが一番楽しい。
恋愛対象になりにくいので、同年代より年下の方が絶対に気楽。そう思っていた。
しかしそういう自分がなんとなく異形である気もして、心の片隅で漠然とした違和感を持っていた。
だが、別に誰かを好きにならなくたっていいじゃん、という意識に納得して、すごくラクになった。

たとえばマザーテレサのような生き方もある。そして彼女だって、赤ちゃんを抱っこしている女性を見て、
うらやましいな、いいなあ、と思うこともあったろう。…そんなことも考えた。
昔は、赤ちゃんとか子供が苦手でイヤだったのに、10年前くらいからは可愛いと思うようになり、
エッセンスを使うようになってからは特に、子供に寄って来られることが格段に増えた気がするが、
じゃあ自分で生んで育てるかというと、なんだかそれは自分の役割とは違うように感じていた。
誰かを好きにならなくてもいい、つまり恋愛や結婚を選ばない予感は、そういう自分を肯定してくれた。
今までの様々な思いが一つのところに収束したような、不思議な安堵感がある。

◆結び◆
美保さんのクラスは、受ける前の印象よりはるかにヴァラエティに富んでいて、人間的で、
お勉強的な側面がほとんどなく、しかし狎れ合わない絶妙の空間であった。
知識もそうだが、エッセンスに対する考え、姿勢など精神的な面が身につけられると思う。
メンバーにも恵まれて、美保さんいわく「とても個性的なクラスでしたね」ということらしい。
私も最初こそ大人しくすることを心がけていたが、途中でだんだん本性を出していって、
でもメンバーの皆はよくヒかずに受け止めてくれた。
美保さん、Kさん、Cさん、Yさん、どうもありがとうございます。新年会も楽しみです。


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