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先日、22歳で死んだ猫です。2歳のときの写真。2年前に死んだ猫。3歳のときの写真。2匹とも体重は3kg台で小さい猫でした。猫がいなくなって4日たちましたが、寂しいものです。よく癒されるといいますが、自分を癒すために飼ったわけではないので、癒されるというよりは家族が増えたと思っています。あとは熱帯魚だけになってしまいました。熱帯魚も、もう30年近くになりますが、今は買うのが簡単な魚になってしまいました。生き物を飼うのはこれが最後になりそうです。地震があったら大変なので、早く止めたいとは思っているのですが、生きている間は止めるわけにいかず中々大変です。
2023年08月06日
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昨日8月2日、22年と2カ月飼っていた猫が死にました。知り合いにもらった猫で、死んでスグその知り合いに電話で伝えました。「大事に育ててくれて、ありがとう」と言われ、こちらこそありがとうです。奇しくも、知り合いからもらってきたのが、2001年8月2日でした。自分が我が家に来たのを覚えていて、頑張ったのかもしれません。この1週間は寝たきりになったのですが、横になったまま餌は食べ、水もよく飲んでいました。 もう一匹は2年前、18歳と半年ほどで逝ってしまいました。こちらは幼稚園の前に捨てられいたのを、拾ってきた猫でした。2匹にありがとうです。
2023年08月03日
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10年以上前、少しの期間だけど、商品納入で松山三越へ毎日行っていた。車を停める場所がほとんどなくて、毎日路上駐車のまま納品していた。検品担当者が3人くらい並んで座っていたが、これが意地悪で目の前に行っても検品してくれない。「お願いします。」と言って、初めて検品してくれるのです。担当者の一人は自分の子供くらいの若い人であったが、目の前に行っても小さなハンコの掃除をしているのか全然反応しない。毎日、三越は嫌だった記憶がある。それに比べて、次の納品先のイヨテツ高島屋は車は台数が限られていたが、路上に停めることはなかった。検品は三越と違って、警備の担当者に入る時に挨拶をするが、検品は売場まで行って高島屋の社員がしてくれていた。嫌な思いは一度もしなかった。と言うより感じが良かった。三越について思ったのは、納品するときは納品業者だけど、一歩外に出たら客なのにと思って、二度と三越では買い物はしないと思った。あれから10数年たって、現在はどうなっているかは分からないが、今でもあのままだったらと思うと、いくら表面を奇麗(改装)にしても中身がそのままだったら、一時的良くなっても将来はないなと思う。検品担当者のあの態度だけは、10数年たった今でも忘れられない。 三越としてはあれが厳格にしていると思っているのかもしれないけどね。
2022年11月20日
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ずっと忠をただしだと思っていた。神田川がヒットした年、二十歳であった。3畳一間の大きな下宿の近くにあった銭湯へ、「赤い手拭 マフラーにして・・・」と歌いながら歩いて行ったのをいまでも覚えている。1974年1月10日初版 620円そういえば、このころは1974年5月10日第1版発行 690円帯は吉田拓郎の文章が発行されフォーク関連の全盛期であったと思います。これはちょっと前の本ですが、昭和46年9月30日初版 590円 雑誌ではガッツ 1972年7月号 200円これは遠藤賢司の3ページと吉田拓郎の記事が2ページだけだったけど買ったと思う。泉谷しげるの方がページ数が多いけど、泉谷はどうでも良かった。結局、泉谷は春夏秋冬がヒットした一発歌手で、今でもメディアに出ているのが不思議なくらい。喜多條さんと岡本おさみさんは特に想い出深い。久しぶりに、今日はお二人の作詞した曲でも聴くかな。岡本おさみさんの詞で特に好きなのは、吉田拓郎のLP「伽草子」の中の制服という曲。気持ちだけ73、74年に戻ろうかな。
2021年12月01日
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高校の時から京都が好きで、京都という言葉が入れば好んで聴いていました。今でも表題の嵯峨野のさやさや/たんぽぽのほか街/高石ともや北山杉/うめまつり京都慕情/渚ゆう子などなどカセットテープに入れたものを聴いています。嵯峨野さやさやの作曲は小林亜星さんだったんですね。以前、小さな波紋というサイトを運営して方と知り合い妹の三代さんからサイン色紙をもらいました。たんぽぽさんのCDを出そうと署名活動をして2008年ころに改めて発売されたのがこのCDです。音源は過去のもの集めたもので20曲程度入っています。三代さんは松原でケーキ屋さんを営んでいらっしゃいます。小さな波紋を運営されていたTさんにはいろいろお世話になりました。いろいろありブログを閉鎖しなければならなくなりました。 最近、レコードプレイヤーを買おうか悩んでいます。ビクターのQL-A7に愛着があり、修理しようかどうしようかとも思ったのですが、そうもいかず、かと言ってそれほどお金はかけたくはないし。レコートをいちいちかけるのも面倒だし、な~んて考えていると時だけ経ってしまいました。
2021年07月07日
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梓みちよさんが亡くなった報道を目にしました。従兄が大学を卒業して就職したのがワタナベプロで、最初梓みちよさんの運転手だったそうです。従兄の母親の弟がワタナベプロにいた関係で就職したのだとは思いますが。もうこの頃には付き合いがなかったので、親戚か親の話だったと記憶しています。結婚式の時も、梓みちよさんのお母さんまで出席していたそうです。ただ、その後いつか不明ですが、ワタナベプロはやめていました。今はその従兄がどこで何をやっているのかは全然知りません。
2020年02月04日
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久しぶりの書き込みです。 台風の進路を見ていると、松山直撃みたいですが、ほとんど影響はありません。この台風で1970年(昭和45年)の同じ8月のこの時期を思い出しました。台風の目が通過するとき青空がみえるんです。今でもあの青空は覚えています。その数日後に父親が死んだのでよく覚えているのです。私が高校2年生の時でした。今年50回忌。あの年も暑かった。窓を通して見える景色がメラメラと揺れていました。「京都の恋」とか「愛は傷つきやすく」などなどラジオから流れていたと思います。「男一匹ガキ大将」が毎週楽しみで近くの貸本屋に一番に行って借りていました。もうすぐ真上を通過するみたいなので、青空が見えるかどうか。風もほとんど止んで、雨も降っていません。
2019年08月15日
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先日、樋田が逮捕されてホッとしています。愛媛県庁に寄って日本一周のボードを作って、2回もきたそうです。なめらていますよね。かなり、勇気がいる行動だと思いますが、2度も行こうと思わせたのは、結局、親方日の丸その日が無事終わったらいいというくらいの考え方なのでしょう。知事が私でも見抜けなかったと思うとコメントしていましたが、たとえそうだとしても責任者がそれを言ったらどうかなと思ってしまいます。犯罪を繰り返して、警察署から逃げ出した人間ですよ。愛媛県庁で食い止めたかったくらい言って欲しかったと、私、愛媛県人としては思います。知事は加計の問題で色々追及コメントしていますが、まずは足元から引き締めてはどうかと思います。
2018年10月10日
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アメフトから始まって、テレビを観ていたら大騒ぎ。特にバイキングは好きですね。この手のものが。ちょっと疑問なのですが、坂上って子供に演技指導をしているってテレビで観たことがあるのですが、どうみてもパワハラだと私は思うのですが、芝居の世界は違うのかなと。暴力はしてないけど、言葉で子供が泣いていたのが印象的で、あれくらいしなければならないのかと・・・。でも、そういう人が他人事であれ、自分は違うって当然思っているのでしょうね。支持する人が多いから仕方ないのかもしれません。
2018年09月24日
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2週間に1度、近所の図書館へ本を仮に行っています。小さな図書館だから蔵書数が少なく、借りたい本がなかなか見つからない。昨日も返す本があったので行っていろいろ見ていたのですが、目につくのは既に借りたものばかり。 まあ手ぶらで帰るのもなんだし、寝る前に本を読む習慣もついているので、無理やり借りて帰りました。私は桂枝雀だと思って借りて帰ったのですが、桂雀々さんという方で(知らなかった)でも読んでみたら面白い。枝雀さんの弟子の方でした。「必死のパッチ」 桂雀々(かつら じゃくじゃく)ひっしのパッチという言葉の意味が分からないと思ったら、冒頭で説明がありました。大阪弁で「必死のさらに上」を意味する言葉で必死と死に物狂いを足して、さらにがむしゃらをかけたような言葉だそうです。ここで、そういえば私の子供時代にも同じような意味をする言い回しがあったなと思い出しました。必死のパッチではなく「必死のカブ」と言っていました。「お前、必死のカブで頑張れよ。」なんて使っていました。こういうのは方言というより、一過性の流行り言葉なのでしょう。いつの間にか使わなくなり死語になっていました。昔は、その時点でもほとんど使う人はいませんでしたが、「そうぞなもし」とか「そうじゃけれ」というのを高校生の頃まで聞いた覚えがあります。私たちがよく使ってた言葉で「〇○ねや」は今では聞くことがありません。「そうじゃろがねや」とやたらねやねやを語尾の最後につけるのです。これも方言というより一過性の流行り言葉だったのかもしれません。雀々さんは大阪の住吉区我孫子生まれだそうで、この地名そう言えば、伯母がしばらく住んでいたところだと思い出しました。伯母はここに住む前、千葉の我孫子に住んでいて偶然やなあと思ったものです。千葉に住んていたころ、帰郷して「千葉は麦茶に砂糖を入れて飲む」と言っていたのを思い出しました。麦茶+砂糖考えられない発想だったので、印象的に覚えています。 今テレビでは体操協会の報道で朝から晩までにぎわっています。私もこういうもめごとは大好きなのでよく観ますが、坂上忍の性格を理解出来るところが、ちっと考えさせられます。ただ、この前のボクシングにしても行きつくところは日大のアメフト問題での理事長の態度でしょうね。日大ブランドといっいましたが、例えば慶応ブランドとか青学ブランドとかいえばスッキリしますが、日大ってブランド、まあ有名は有名ですけど、日大でいいんじゃないのかと思います。私が高校時代の大学受験で、出来の悪い高校でありましたが、日大、駒沢、国士館、拓大、大東文化、高千穂は第一希望ではありませんでした。もちろん学部にもよりましたが。毎日暇なのでいろいろ出てくる方が面白い。明日は台風がこちらを向いて来るみたいですが、影響はそれほどないやろうとおもっています。こんな時に限って酷かったりして。言ったら
2018年09月03日
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今までの記憶では、台風が言った後は涼しくなったと思うのですが、毎日暑い、暑い。昨日の台風も全然影響はありませんでした。四国は四国で同じだと思うでしょうが、高知は違うところみたいに思っています。私の住む松山や高松などは瀬戸内気候で、毎日の天気予報など見ていると、松山や高松は通常は波の高さは0.5m。高知は2mとか3mとか全然違う場所のようです。 今年の高校野球は久しぶりに面白かった。興味はないのであまり見てはいませんが、盛り上がったようです。ただ、優勝した大阪桐蔭の報道はほとんどなく、負けた方の報道だけで余計見る気がしない。まあオリッンピックの時のカーリングも一緒で全然興味がないので仕方がありません。でもいくら優勝候補だったとはいえ、本当に優勝した大阪桐蔭を報道すべきだと思うのですが、間違っていますかね。
2018年08月24日
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ピッチャーの球数制限云々といろいろな人が制限すべきだと言っています。ほかの国では当たり前のことがとか・・・。野球をやっていない橋下まで言っています。 私も野球はそれほど詳しくないのでよく分からないのですが、球数制限はブルペンとかキャッチボールとかマウンド以外はカウントされないのですよね。マウンドで投げた球数だけを言っているのであれば、無意味じゃないのかなと思ってしまいます。肩の消耗を気にしてのコトバだと思うのですが、ブルペンやほかの場所で練習とはいえ一生懸命何百球も投げていて、それは肩の消耗には影響がないのか。ちょっと気になっりました。
2018年08月18日
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2歳児ほ助けたボランティアの人のしゃべっている言葉を聞いていて思ったことがあります。自分のことを「わたし」と言っていて、最近、いい年をした人でも「僕」というのが当たり前になりました。先頃までテレビによく出ていた日大のアメフトの内田さんも「僕」と言っていたのを思い出しました。なんか違和感を私は覚えるんです。 私も普段はというより子供の頃より「僕」といいます。このあたり(私の住んでいる地域)は子供の頃、ほとんど自分のことは「ワシ」というのが当たり前でした。言葉が悪くて例えば「そうだろう」は「そうじゃろゲー」「ほんとに」は「ほんとケー」と最後にケーとかゲーといいます。こういう言葉を言ったら、母親に怒られた、怒られた。「そんな汚い言葉はしゃべられん(しゃべったらいけない)。」って。横道にそれましたが、たまたま私はブログで私と言っていますが、ブロクなどではどういういい方でもいいと思うのですが、正式の場所とか、公の場所ではいい年をしたおっさんが「僕」はどうかと思うのです。この田舎でも、目上の人と話すときは標準語でしゃべるのは昔はありました。今は知りませんが。当然標準語でしゃべられる訳はありませんが、なるべく方言を抑えてということです。 もう45年ほど前になりますが、大学入学で大阪に行った時。先生に話しかけてるのを聞いてびっくりしました。友達にも先生にも言葉遣いは同じなのです。私たちの育った環境では目上の人、公の場所ではなるべく標準語でしゃべるというのが常識でしたからカルチャーショックというやつですかね。まあ言葉遣いは大事だと思いました。
2018年08月16日
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2年前の7月に一カ月間入院したのをきっかけにタバコを吸うのを止めました。46年間続けたものを止めるのには、ちょっとした未練もありましたが、体のことを考えると仕方ないと思いやめました。今は止めやすい環境が整っています。病院内はすべて禁煙なので、退院するまでは吸うことができない。この2年間、吸いたいという欲求は多々ありましたが、最近それも大分消えつつあります。ただ、食欲がないということが一切なくなったので、退院後体重が15kgくらい増えました。そのおかげで、中性脂肪対策の薬3錠と、朝夕EPA900mg飲んでいます。タバコはやめた方がいいということを実感しています。まあ急性心筋梗塞で死にかけたから仕方ありませんけどね。今も2カ月に1回病院へは行っています。今年に入ってカテーテルを2回しました。
2018年08月15日
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ただ、昨日の済美と星陵は済美が勝つよう願っていました。まあ済美が地元ということもありますが、そういう風に思う別の意味があるのです。江川と伊良部が出た年はテレビを観ました。それ以外はほとんど見たことがありません。今年も地方大会の決勝で母校が済美に負けましたが、悔しくもありませんでした。今年は高校野球が始まって100年とかで星陵出身の松井が始球式をしました。たまたまだったとは思いますが、自分の出身高校の始球式。出身高校のモチベーションは高まったことでしょう。松井も応援していたみたいですから。疑問。これってフェアでしょうか。たまたまとはいえ、星陵の相手高校は同じようにモチベーションが上がったのでしょうか。松井も中立的立場をとっていれば、たまたま仕方ないと思いますが、星陵が勝った後、校歌まで一緒に歌っていたと報道にありました。国民栄誉賞を取ったひとです。これでいいのか気になって仕方がありません。
2018年08月13日
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以前のデザインの方が良かった。変えるのもいいけどいつも成功するとは思えないけど。最近は忙しくなって、孫を保育園へ毎日迎えに行って娘が仕事が終わるまで面倒を見なければならず。まあ保育園はたまたま町内の歩いて1分以内の所にあるので、それはそれでいいのですが。女なのにいそしい、いそしい。顔は同じくらいの歳の私によく似ているのでこの辺は隔世遺伝かもしれません。小学生の頃など通知表に落ち着きがないとよく書かれていました。私と違って勉強はしてもらいたいと思っています。
2018年08月12日
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以前、南海放送で清掃の仕事をしていた知人が言っていたことを思い出しました。汚い仕事をしているのでしょうね。かなりバカにしたことを言われたそうです。私もサラリーマンをしていて、当然清掃の仕事をしている方がいましたが、そういうこと(人を見下げた)を考えたことがなかったので、「へぇ、あの感じが良いと思っていたアナウンサーが、そんなん。」挨拶しても誰隔てなく接してくれるのは、藤田晴彦さんと熊本フミさん。優しい人だと言っていました。お二人とも南海放送の人ではないんですね。アナウンサーの方全員がというわけではなかったみたいですけどね。アナウンサーともなるとなんかプライドがあるんだろうなと思いました。私はあなたみたいな人とは違うんですよ、みたいな。メディアに出る人は自分を特別と思うのかと、ちょっと思った次第です。
2018年07月29日
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今テレビで裏口入学の報道でにぎわっています。そこでちょっと疑問なのは、子供は知らないだろうと決めつけているのを観ていると、なぜ子供が知らないと決めつけられるのか疑問に思ってしまうのです。学力が足りないのが分かっていれば当然本人は分かることだと思うのです。昔、私も高校と大学入試の際、裏口入学の話がありました。何故分かったかというと、親がどうすると聞いてきたのです。すぐ断りました。高校、大学とも第一志望は半分くらいの確率での当落だったので、落ちたら落ちたで滑り止めに行ったらいいだろうと思ったからです。結局、どちらも滑り止めの学校になってしまいましたが。その話を聞いた時思ったのは、裏口入学が出来たとしてもまずは嬉しくないだろう。もう一点は裏口入学した学校を出てから、自分は裏口入学であの学校に受かったと一生思い続けるやろう、思い続けるのがいややと思ったのです。後悔したくなかったのだと思うのです。多分、裏口入学した本人は知っているだろうと思うのです。
2018年07月05日
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そういえば、小学生のころ(昭和30年代)、キンポンカンと言っていたなあと思い出しました。きん(近畿大学)ぽん(日本大学)かん(関西大学)まあ意味は分かる人は分かると思いますが。当然、小学生といっても東大や京大が頭のいいひとが行く大学だというのはわかっていました。また、高校2年の時から関西学院大学はあこがれの学校でした。でも、学力が足りなくて受験することにはなりませんでしたが。まあそんなことをここ数日連続でやっているテレビを見ていて思い出しました。
2018年05月24日
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ほとんどのカセットテープは何十年振りで聴くものばかりです。ここんとこ気に入っているのは1990年頃によく聴いていたのに、いつの間にか聴かなくなって忘れていました。 カセットもそうですが、本棚も20年前引っ越しをしてから、ほとんど触っていなかったので又取り出して見ています。ホント本の間に、ちいさな歌本が挟まっていました。月間明星5月号第3付録いつ頃のものなのか、裏表紙広告に’69新人募集とあったので、1969年(昭和44年)ですね。私が高校1年の時のものです。泉麻人という人がいますが、この人が書いてるものを見ていると、似たことをする人がいるもんだと思います。つくづく東京に生まれたかったと思う。
2017年12月18日
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40年以上車の運転をしていますが、初めて接触事故を起こしました。事故証明で来た警官がドライブレコーダーはつけてないの?と言われ、まさか事故を起こすとは思っていなかったので、つける気もしていなかったのですが、証拠にはならないらしいけど(物損の場合)、参考にはなるだろうと思ったのです。取り付け費込みで1万円でした。それと外資系の保険会社は安いけど頼りにならない。次回、保険料は高いけど日本の保険会社にしようと思っている。安いのには理由があるということです。
2017年12月12日
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ということで、久しぶりの更新ということになります。毎日、朝の10時頃からペダルローラーを40分から60分やっています。この間はラジオを聴くかカセットテープやCD、レコードを聴きながら、365日(元旦も)漕いで漕ぎまくっています。水曜日はNHKFMの「アルフィーの終わらない夢」は必ず聴きます。ただ、月に一度しょうもない番組が水曜に組み込まれているのでその週はカセットかレコードになります。特にカセットテープは録音をしたことを忘れているものもあり、宝さがしをするようで楽しい。先日、40年振りくらいで、このレコードを聴きました。s52.6.5 日曜日 勤め始めた会社のソフトボール大会と書かれてありました。結構良かったのに、あまり聞いてなかった。チャーリー・パーカー、スタン・ゲッツ、アート・ペッパーほかバラード集でゆったりとした気持ちにさせてくれます。最近は孫に会えるのが一番の楽しみになってしまいました。まあ近くに住んでいるので週に2~3度は会うのですが。赤ん坊にこうして接していると日に日に成長しているのが手に取るように分かります。わが子の時は気が付きませんでしたが。ただ、じいちゃんとは呼ばせたくないとは思っています。
2017年12月11日
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昭和45年(1970年)高校2年生の時この時、全校生徒数は3221人男子校でした。中を見ると、住所、電話番号、出身中学両親の名前、職業が掲載されていました。いまだったら個人情報といって大変なことになりますね。電話もまだ引いてなかったり、呼や有が番号の頭についていたりして今では考えられません。万博があった年で修学旅行へも行きました。京都の恋、京都慕情、愛は傷つきやすく洋楽も豊作の年であったと思います。魔法、霧の中の二人、又、レッドツェッペリンの移民の歌など他にいっぱいありました。ボーリングも爆発的に流行っていて、修学旅行先の東京で勝手に4~5人で後楽園まで行ったのを思い出します。冬はスケート。ちょっと上手くなったらフィギアからホッケー靴に履き替えて、よく転んでいました。この年はいい年でありました。
2017年02月04日
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もう20年ほど前、友人がガンでなくなりました。入院をしたのを知ったので、お母さんにどこの病院へ入院しているか聞いたのですが、頑として教えてくれませんでした。その時は何で会わせてくれないんやろうと思ったのですが、変わり果てた息子の姿を見せたくなかったのでしょう。転移したから、また入院しなくてはならないと電話で話したのが最後になってしまいました。まだ、40代半ばだったので無念だったとは思いますが、実際の気持ちは知る由もありません。 小学5年の時、初めて一人で映画を観に行ったことがありましたが、それが松方さん主演の「伊賀の影丸」でした。当時は少年サンデー、マガジン、キングがあり、中でもサンデーが一番読まれていたのではないのかと思います。戦争と忍者は定番でしたが、その中でも伊賀の影丸は別格でした。伊賀=正義。甲賀=悪者と思っていました。由比正雪だったか悪の親玉がいたような記憶があります。 年を取ったら友人はいらないと数年前から人間関係の断捨離を行っていますが、先の友人とはもっともっと年を取るまで付き合うだろうと思っていたので今でも残念でなりません。松方さんは子供の私にとってヒーローでした。
2017年01月25日
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CDは一通り聴いてしまったので70年代から90年代に録音したカセットテープを聴きながら、フィットネスバイクを漕いでいます。オーディオの前に構えて聴くのではなく、ラジカセで聴いています。 音楽を聴いていて一つ疑問が。歌はSMAPの中居や、昔、大場久美子にしろ浅田美代子にしろ、歌が下手で。でも、レコードやCDとして発売される、言い換えると商売になるのに、楽器というより演奏の下手はない。レベルの違いはあるにしても、音程を外したりリズムがおかしかったりすることないのです。厳密に聴いたらあるのかもしれないけど。松下奈緒さんのピアノや高嶋ちさ子さんのレベルがどうなのか知りませんが、大変お上手でCDを出したりコンサートもしたりしている。また、演奏の場合、絶対的に上手だからといって人気が出るとも限らない。昔、熱心にJAZZを聴いていたころ、オスカーピーターソンは早くて上手いと言われていたけど、ウィントンケリーやマッコイ・タイナーなどのほうが好きでした。まあ歌もそうですけど。 70年代から80年代の女性歌手は歌のうまい人が多い。八神純子、大橋純子、五輪真弓、泰葉、小比類巻かほるなどなど聴いていて気持ちがいい。いくらなんでも一番じゃなくていいから歌は上手いほうがいいですね。それでもデビュー当時の浅田美代子は好きでしたけど。レコードも買いました。1973年だったと思います。
2016年11月24日
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風の噂によるともう亡くなったみたいですが。仕事関係の知り合いで気が合う人でした。高知の一つ年上の同じグループ会社の人で東京出張の際は、いつも始発の飛行機で羽田で待ち合わせて、会議は午後からだったので、その時間まで一緒に行動していました。アンドリュー・ワイエス展これは1995年渋谷の東急にある文化村でやっていた絵画展へ行った時のものです。私は知らない画家でしたが、高知のその知り合いが好きな画家だったみたいで、高知の知り合いは大阪芸大出だったので、芸術に興味があったのだと思います。こうして何でも残しておくクセがあるので、思い出すことも多いのではと思ってしまう。渓流釣りでは高知でけっこう有名な人で、大柄で毛深かったので、「クマと間違って撃たれるよ」って冗談で言ったものです。大柄で足も大きかったので、ある時は今度の出張は原宿の駅前に大きいサイズを置いているスニーカーのお店が出来たので行かないかというので行った覚えがあります。まあ1990年代のことなので、今はそのお店もないと思いますが。まあ昭和ではなく平成になっての思い出です。
2016年11月18日
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「あなたがえらぶ チャレンジショー」という番組を覚えていますか。これがその時の招待券です。昼の部と夜の部の2回収録があったんですね。各8、9枚残していました。何でも残した入るものだから、嫁さんがよくこんなの残していると呆れられます。性格だから仕方ない。それに、こんなのまで残しているものだから、半分バカにしているものと思います。この用紙を見ていると当時はまだ湿式のコピー機しかない時代で、今がどれだけ便利なのかが分かります。この日、両方とも審査員をする予定でしたが、夜の部の審査員はやめました。多分、昼の部から時間が長かったので飽きたのだと思います。初めて、テレビに映りました。日時は1970年6月14日(日)だから、高校2年生の時です。ウィキペディアによると1970年1月~9月まで日本テレビ系列で放送されていたみたいです。南海放送が日本テレビ系列ですからね。隣の幼馴染と2人でいったのですが、着ている服の色のバランスでかなり離されて記憶があります。もう、カラー放送だったんですね。大阪万博もこの年開催中で、日本も元気な頃です。こういうきっかけがあると、色々と思い出します。
2016年11月08日
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心臓のリハビリとしてフィットネスバイクを午前1時間、午後40分毎日やってます。やりながらCDを聴いています。オーディオで音楽を聴くということが減っていたのですが、また、よく聴くようになりました。CDの音は好きでないので、あまり買っていないと思っていたのですが、それでも100枚くらいは持っているみたいなので、毎日1枚づつ聴いています。その中で、こんなんあったのかと思うものもあります。DJ NIPPER KUN MARCH 1995収録されている曲6「恋をしよう!」は菅野美穂さんのデビュー曲です。菅野美穂さんも歌を出していたのかと・・・。この中でくだらん曲が入っているのですが、私も63年間生きてきて、こんなひどい歌詞は初めてです。又、よくこんな歌をこういう形で収録したなとそのセンスを疑ってしまう。最初何度も同じ歌詞を繰り返し、以前、お笑いのジヤルジャルが最初から最後まで「おばはん」「おばはん」で通したことを、不快になってチャンネルを変えたことを思い出しました。今はアンプはYAMAHA AX-2000CDはDENON DCD-1500AEスピーカーは YAMAHA NS-1000Mやはり、スピーカーは音の違いがよく分かります。DIATONE DS-53DVICTOR SX-3Ⅱとは再現力の違いがよく分かります。長い間、人気があったのがよくわかります。1000モニターはいいスピーカーです。私が買ったのが1978年ですから、もう40年近く経ちます。どこも劣化してしているとは思いますがこれで十分です。それほどのこだわりはないし。今日はベンチャーズを聴きました。
2016年11月04日
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何気なしにラジオを聞いていたら、アナウンサーかどうか分からないけれど女性の声で「露地もののみかんが出回る」という言い方を聞いて、オヤッ?と思ったのです。露地ものミカン。今頃出回っているみかんは青切りみかんという言い方はシックリするのですが、露地ものミカンという言い方に引っかかってしまったのです。 露地ものというと野菜をイメージしてしまい、果物でもイチゴは合うのですが、ミカンや柿など木になる果物は露地もののイメージがわかないのです。どうでもいいことですが、私だけなのかと思った次第です。
2016年10月16日
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卓球の水谷選手のガッツポースが問題になっていますが、人それぞれで良いと思うのですが。それより気になったのが体操男子の応援。それぞれの選手の母親が集まって応援しているのを見て、幼稚園か小学生の運動会を連想してしまいました。ある意味やっている選手より目立っていたというか。どうなんでしょうねこういうの。これもどうでもいいことかもしれませんが。昔はこれ程親が現地まで応援に行っていたのだろうか、とか思って気になったりして。ほかにもいっぱい気になることがありますが、愚痴のオンパレードになってもいけないのでこのへんで。
2016年08月18日
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やはりこの年になると何事が起っても不思議はない。テレビの中の健康ものの番組を他人事で観ていた自分に、ある日、胸が締め付けられるようでちょっと息が苦しく、冷や汗が出てとまらない。家に帰っても収まらないので、初めて救急車を呼んでしまいました。急性心筋梗塞ということで1か月入院することになり先週の土曜日に退院しました。運が悪けりゃ死んでいたかもしれないし、退院したからといってまだ予断は許さないし。家へ帰っても安静にしろと言っても、中々それは出来ないし、まあいつ死んでも後悔はないけど好んで死にたいとも思わないし、困ったものです。お陰でタバコを止めるキッカケにはなりました。 血液検査をしても殆ど許容範囲内だし、血圧も上が100前後で下が50~70程度。糖尿の気はないしで安心していたら、今回の心疾患。生活習慣病とは良く言ったものです。長い時間をかけて血管が詰まっていたのです。もうすぐ63。いつまで生きるやら。
2016年08月10日
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中学の頃、周りはビートルズ、ビートルズで私はみんなが言えば言うほど興味がなく、そうしたらビートルズに対抗するのはということでモンキーズでした。ふすまにセロテープでポスターを貼ったり、聴くのはディドリーム・ビリーバーやバレリーなど特に好きでよく聴いていました。セブン・イレブンのCMにも忌野清志郎が歌っていますが、50年近く前の曲なのに全然古くないいい曲ですね。 忌野清志郎にしても高田渡にしても凄い歌手だったみたいなテレビ放送がありますが、当時そんなに聴かれていたのか疑問です。忌野清志郎は変な歌を歌う人やなぁというくらいのイメージしかなく、高田渡はフォーク歌手ではあるけど生活の柄とか自転車に乗ってくらいは知っているというくらいで、なぎらが以前テレビ番組で吉田拓郎がフォークをダメしたと言っていましたが、支持するのは聴いてる側のリスナーであって、その時求められていた歌だったということで、高田渡にそこまでの支持者がいなかったということです。と言っても高田渡は好きですけど。ずっとずっと後にCDは買いました。
2016年07月03日
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ジャズを聴き始めたころは黒人じゃないといけないと思っていましたが、いい演奏をするのに人種は関係ないそんな中の一人がチェットベイカーでした。またこの人歌が上手いし、聴いていて心地よい。当時はボーカルはまず聴かなかったのですが、ジョージ・ベンソンとこの人は別でした。チェット・ベイカー/枯葉 1974年録音買ったのは1979年1月3日この人のトランペットは何か乾いた音がする、正にウエストコーストの音ですね。メンバーがすごいアルトがポール・デスモンドベースはロン・カータードラムスはジャック・デジョネットとスティーブ・ガッドなんとフルートが入っているのですがヒューバート・ロウズなのです。これもよく聴いた1枚です。ジャック・デジョネットはキース・ジャレットトリオの方が印象深かったのですが、あらためてライナーを見て、このアルバムにも参加してたんやと思った次第。 ポール・デスモンドは小5のときテイク・ファイブを聴いたときの印象がとても強く、ジャズなんて分からなかったのにピアノのデイヴ・ブルーレックよりより強く残っています。日本以外の国の音楽では、エルビス・プレスリーの曲名は不明ですが、ハワイの????とこのテイク・ファイブは親戚のプレイヤーで何度も何度も聴いた記憶があります。それから映画音楽を聴いていました。日本の音楽では三橋美智也さんと春日八郎さんが好きで、レコードは持っていませんが特定の歌手を好きになったはじめだと思います。そういえば、小畑実さんも好きでした。
2016年06月28日
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今年で15歳と13歳になります。まずは15歳のみーちゃんです。13歳のモモです。 今度、秋ころに猫の雑誌に出るそうです。高齢猫ということで、四国代表らしい。娘が言っていたので本当かどうか。
2016年06月26日
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私にとってレコードを所有するということはどうでもいいことで、出来れば安く音楽が聴きたいと思うだけでした。だから、知人やレンタルで借りてカセットテープに録音して聴く、だけでいいのです。 ジャケットがどうのこうのという人もいますが、人は人自分は自分なのです。 今でもよく聴くのは録音したカセットテープ。この中でケニュー・ドリューだけコンサートへ行ったことがあります。ハード・バップの頃の演奏が一番好きですね。レコードでは、モダン・アート/アートペッパーこれもよく聴いたレコードですね。ちょっと見はアラン・ドロンかと思うかっこいい人でこのレコードもスィング・ジャーナルなどやJAZZ本などで名盤として紹介されていたものだったと思います。このアートペッパーのコンサートも行っています。1980年にあったコンサートということはこの2年後に亡くなっているんですね。こんな田舎まで来てくれていたということは嬉しいことです。 東京ドームでハンモンの最後のコンサートが何年か前に2日間ありましたが、娘などは休みをとって観に行っているんです。私には地元以外にまで行こうと考えたこともありませんでしたから、どこであろうと感覚的に近くなっているんですね。ディズニーランドも1回も行ったことがないし。ただ京葉線ができたてのほやほやの頃、幕張メッセへは行ったことはあります。1990年の3月か4月ころだったか。仕事の出張なのでディズニーランドに寄るわけにもいかないし。悔やまれるのは、この頃ジャズ好きの旅行代理店の人と仲良くなって、ニューヨークへジャズを聴きに行こうと誘ってくれていたのに行けなかったことですね。ジャズに関して凄く詳しい人でした。
2016年06月24日
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近くに図書館があるので定期的に通っています。今は小説は読まないので面白そうなエッセイを探しています。 「ポートレイト・イン・ジャズ/和田誠 村上春樹」文庫本のコーナーで見つけました。村上春樹さんのエッセイでは度々ジャズについて書かれているので、かなりの通だと思っていましたが、文は全部村上春樹さんが書かれています。ただ、表現がさすが作家という感じですが、私には全然通じませんでした。やはり通は違うのだと思います。特に酒は飲まないので、何々ビールが飲みたくなるとかウィスキーを頼んだとか言われても、感覚的に分からない。翻訳家でもあるので、英語でひょうげんしている部分がありますが、言葉として捉えられない。独特な表現は流石、村上春樹なのですがそれでという感じです。別に本の批評をしているわけではありませんが、こういうのはジャズ評論家に任せた方が良いように思いました。
2016年06月14日
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ソニー・ロリンズといえばサキソフォン・コロッサスですが、これは1978年録音のこんだけのメンバーやから売れるだろうという内容のものです。マイルストーン・ジャズスターズ・イン・コンサート2枚組です。ビアノがマッコイ・タイナーベースはロン・カータードラムスはアル・フォスター正にスターズです。凄いメンバーでスタンダードばかりだからいいやろうという感じ。こういうのは面白くないのですね。だから、買ったはいいがあまり聴いていないレコードになります。この頃、ジャズを教えた友人がはまってしまって、私より断然聴くようになり、レコードも買うようになったので借りてカセットテープに録音したものが結構あります。1989年、こんな田舎(松山)にロン・カーターが来たのです。チケットにヘレン・メリルの名前がありますが、それは全然覚えていません。前から2列目でロン・カーターが演奏している場所に近かったため、汗が飛んできたのを覚えています。仕事柄、ほとんどコンサートの始まる時間には行けなかったので、行きたくても行けなかったものもあったと思います。今、考えると貴重な時間を過ごしました。
2016年06月07日
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トミー・フラナガンが参加しているアルバムです。サキソフォン・コロッサス/ソニー・ロリンズ1976年8月に買って、3畳の暑苦しい部屋で、毎日毎日よく聴きました。このレコードは私にとって=夏なのです。奔放なテナーサックスの音は気持ちも開放されるようないいレコードです。モノラル録音であるにもかかわらず、音が非常にいい。CTIのレコードはこもった音でいい演奏も台無しでしたが、このレコードを聴くとストレス解消だったのでしょう。何といって最初のセント・トーマスが最高です。ピアノがトミー・フラナガンでドラムスがマックス・ローチ。ハード・バップの典型的なパワフル演奏だと思います。いつ聴いても、あの下宿の部屋を思い出します。当然窓も入口のドアも開け放って汗をダラダラ流しながら、大音量で聴いていました。近所迷惑もいいところです。
2016年06月06日
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ピアノの音が好きで、ピアニストを中心に聴いていたと思います。時系列的に聴いていないので、スイングジャーナルなどでいい評価のレコードを聴く、という方法しかありません。 この人もそうでした。オーヴァーシーズ/トミーフラナガンこれを買ったのは1978年7月このレコードはスイングジャーナル選定ゴールドディスクです。まずは聴かなくてはとおもったと思います。ただ、ほかのプレイヤーのアルバムに参加していて、それを聴いていたということもあると思います。その次にバラッド・アンド・ブルース/トミー・フラナガン1979年に買ってます。これは、ジョージ・ムラーツとのデュオで、ただ面白味が薄い演奏だったので、このレコードはあまり聴いていません。そしてもう1枚ザ・スタンダード/スーパー・ジャズ・トリオこれは1980年7月に買ったもので、これもスタンダードばかり集めて、そつなく演奏するスリリングさがない平凡な内容のものでした。トミー・フラナガンは日本人好みのピアニストで人気があったのは記憶しています。やはり、ハード・バップの時代に録音されたものと比べるともの足りなさを感じてしまいます。たまに聴くのはいいのですが。
2016年06月03日
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2時ころめが覚めたので、ラジオのスイッチを入れると、中学2年か3年の時のあの感覚が蘇ってきました。このメロディ?曲名が出てこない。曲が終わって曲紹介がされてカウシルズの「雨に消えた初恋」それより次の曲が紹介され、あのころ一番好きやった曲シーカーズの「ジョージ・ガール」ユーチューブでレコードジャケットを見て、こんな人やったんやと今初めて知りました。この頃って、色んな国のあらゆる音楽が溢れていて幸せだったとあらためて思います。当時好きだった女の子の顔など思い浮かべて、自分の世界に浸っている。音楽には様々な力が存在していて、時にはマイナーなまた、メジャーな曲を心理状態に応じて聴き分ける。自然としているんですね。 先日笑点の司会がかわり時代を感じます。ただ、新しく林家三平?が加入。今後笑点を見ようとは思わなくなりました。親の三平もそれほど凄い人だったのかと・・・。死んだら大物に何故かなってしまう。東八郎なんて面白かったかな。エンケンを面白いと思ったことなかった。こぶ平がジャズのレコードを1万枚以上持っている、なんてテレビか何かで見たような。もっと落語の練習しろよと突っ込みたくなってしまう。と毒づいてしまいましたが。ただホントに笑点はみたいとは思わない。安易に若返りが必要なのか。まあどうでもいいことですが。
2016年05月31日
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これはタイトルで買ったものです。「いそしぎ」という映画が大ヒット(観ていませんが)して曲だけは聴いたことがありました。又、オーバー・ザ・レインボー、カーニバル~黒いオルフェなどなど。聴きやすいが先行して買ったと思います。ジャズとして聴くのであればちょっと物足りないですね。当然うまいのですが、それ以上に特長というものも感じずこれ1枚しか買っていません。ほかに聴きたければカセットに録音もしているでしょうが、それもしていないのです。すべてレコードを買うお金もなく、カセットテープに録音して楽しんでましたから。いそしぎ/菅野邦彦ウイズ・ストリングスジャズというよりはムード音楽という感じで、ポール・モーリアやフランシス・レイなどのビッグバンドぽい演奏です。買ったのは昭和52年5月大学を卒業した年で、この時はまだまだパチンコにはまっていた時でした。給料はほとんどパチンコに使ってしまってレコード1枚買うのが結構貴重な頃です。 ずっと後で知ったのですが、オーディオ評論家の菅野沖彦さんの弟ということでした。ハイエンドオーディオしか聴かないという評論家で、ある意味長岡鉄男さんと対極のひとで、私のようなローコストオーディオを聴く人間にとって好きではない評論家の一人でした。
2016年05月30日
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カール・リヒター、バッハ・オルガン・リサイタル 第1集これを買ったのは昭和52年8月大学を卒業したこの年、ジャズを主に聴いていたけど他の音楽もという感じたったと思います、オーディオ的に箏と同じように、原音に近いという意味でチェンバロの音が聴きたかったのだと思います。バロックは好きで、ここに収録されているトッカータとフーガはバッハの中でも特に好きで、300年以上経った今でも残っているというのは凄いですね。秋になると思い出すのが、祝谷(道後地区)に案山子という喫茶店があり、店内ではバロックを流していたのです。昭和52、53年頃大変美しい奥様と不釣り合いなご主人(もしかして違うかもしれないけど)が営まれていました。よく行っていた訳ではありませんが、いい雰囲気の喫茶店でした。ある年に行ったらなくなっていたので、営業していたのは数年だったと思います。ああいう喫茶店が今はないですね。若いころは友人と喫茶店へ行くというのが日常でした。
2016年05月29日
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日本人ピアニストでこの人は忘れられない。ミスター・ピアノ 世良譲1978年6月に買ってます。大学時代はFMラジオをよく聴いていました。矢島正明のミュージック・スコープ小室等の音楽夜話世良さんも何かやっていた(忘れてしまいました)ある意味FMって大人でしたね。もう何十年FM放送は聴いていません。このアルバムはピアノの練習用これの中のフライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンを聴いてこの曲が好きになったように思います。とに聴きやすくジャズというカテゴリーにあてはめたりせず上手い人が自分なりにアレンジして弾いたらこうなるでいいんじゃないかと思います。春の海 宮城道雄これも1978年頃に買ったと思います。オーディオ的に箏は原音に近く聴こえるんです。この中にあるさくら変奏曲なんかもある意味ジャズだと思うのです。元々、バロックがすきで特にバッハが好きなのですが、バロックもそういう音楽だったと聴いたことがあります。こちらのブログに紹介されていました。娘も5歳から30云歳までピアノは習っていましたがものにはなりませんでした。何に関してもですが素質というのはあります。そういえば20代の頃、箏を真剣に習おうと思ったことがありました。勇気がなかった。「箏教えます」の玄関をたたく。
2016年05月27日
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今日のレコードを知っている人はいるのかな。 アルバムジャケットやライナーノーツに購入した日付やレコード店を記入する癖があるのですが、たまにいろいろ書いたものもあります。メモリーズ・オブ・ユー 大給桜子これを買ったのは昭和55年9月です。なんで買う気になったのかというと松崎龍生カルテットのコンサートが8月25日に松山市民会館であり、その時のピアニストがこの人だったのです。松崎さんはビィヴラホーンで当時はミルトジャクソンなどもよく聴いていたので、日本人でもいるんやというのとチケット代が安かったのもあったと思います。知らない人にそれほどお金を出す気にはなれなかったと思います。大給さんは確か愛媛大学出身ということが購入理由だったと記憶しています。地元ということで。ただ、そつなく弾くなという感じで繰り返し聴くということはなかったアルバムです。まだ結婚する前の嫁さんや他に何人か女性を連れて行った記憶があります。イルカのコンサートの時のように「私一緒に行ってない」と言われそうですが。
2016年05月25日
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ダイエーの古い製品が机の中にあったのでダイエーのロゴマークが古い 鉛筆1ダース430課だったかこれはキャラクターが入っているので少し高い 鉛筆1ダースセービングの鉛筆1ダースロゴマークが新しい円の左下が欠けたもの430課これはダイエーとは関係がありませんがさんまがかなり若いころのコルゲンコーワのバッヂ 碑文谷店の名前がなくなるということで先日ニュースになっていました。出張で東京へ行った時、2度ほど見に行ったことがあります。まあダイエーの旗艦店でしたから。スーパーのニュースがあるとここがいつも映っていたのを思い出しました。懐かしい。そうそうこれもダイエーオリジナル商品ですコルティナの扇風機操作盤のところが熱を持っているのでそのうち火を吹くかもしれません。ただ、首振が本体の後ろについていなくて便利なのです。タッチだけなので簡単なのです。
2016年05月24日
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この人のレコードも何度も聴きました。ほかの趣味もあったし、それ程レコードを買えなかったので1枚のレコードを何度も何度も聴いたのですね。「ケリー・ブルー」 ウィントン・ケリー1959年4月録音昭和51年9月に買っているので、4回生の時です。レコードの裏面に買った日付を記す癖があり51.9.27 北野田 アラオ楽器店とあります。これもすごいメンバーでナット・アダレイ、ベニー・ゴルソン、ポール・チェンバースジミー・コブなんと言っても1曲目のケリー・ブルーが最高!!そして2曲目に朝日のようにさわやかにですからいっき聴いてしまいます。この弾き方がたまらなく好きでしたね。うまいとか早いとかどうでもよく、その人にしかない個性というものを感じさせてくれます。
2016年05月23日
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ジャズを聴き始めて好きな楽器はと思い始めました。ボーカルは好きではなく、楽器の演奏のみ(一部例外がありますが)を聴いていました。その中でもコルトレーンとマイルスは外すことはなく、特にコルトレーンは好きで、そのコンボのピアニストがマッコイタイナーでした。バラードとブルースの夜 1963年3月録音買ったのが昭和51年11月11日たぶんコルトレーンの「バラード」というアルバムがあるので買ったのだと思います。改めてこの時24歳の演奏だと思うとすごいですね。トライデント 1975年2月録音買ったのが昭和51年11月16日B面最後のルビー・マイディアばかり聴いていたと思います。ベースがロン・カーターでドラムスはコルトレーンの時一緒にやっていたエルビン・ジョーンズです。マッコイ・タイナーはマッコイ・タイナーの演奏なんですね。同じ楽器を使って個性が出るというのが面白い。 ただ最近は、レコードより昨年買った安いカセットデッキで昔録音したカセットを聴くことのほうが多いです。これも面白いのは、この録音したアルバムは誰から借りたんやろうと思うことです。
2016年05月22日
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アランフェス協奏曲(ジム・ホール)のピアノはローランド・ハナさんでしたが、このピアノの音を聴いて、ロマネスクローランド・ハナ/ジョージ・ムラーツ1982年1月録音ベースがジョージ・ムラーツ聴いてた当時、売れっ子のヨーロッパ出身のベーシストでした。 まあピアノとベースのデュオは音楽的には暗くなるので、たまにしか聴けません。ローランド・ハナさんのピアノの音は透明感があって大好きでしたが、いつも聴きたいという気持ちではありませんでした。この辺が不思議な感覚なんですね。次から次と聴きたくなったキース・ジャレットとは違うんですね。 ジョージ・ムラーツさんの演奏でこれより前に買ったのがALONE TOGETHER今田勝/ジョージ・ムラーツ1977年10月発売これはよく聴いたアルバムです。今田勝というよりジョージ・ムラーツが演奏しているということで買ったと思います。ウィキ・ペディアを見てみると、ジョージ・ムラーツさんは71歳になっていました。
2016年05月20日
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録画して観ています。観るというよりは聴いています。バックに流す音楽が心地よい。若いころに聴いていたJAZZが流れるのです。マイルス、コルトレーンほか多数。 楽器はピアノの音が好きなのですが、ピアノだけでは飽きるのでコンボでの演奏を聴いてしまう。 昨年買った、ラジカセで昔録音したカセットを順番に聴いています。昨日はジム・ホールの「アランフェス協奏曲」これが凄いメンバーでロン・カーター、チェット・ベイカー、ポール・デスモントそしてピアノのローランド・ハナ。ジャズばかり聞いている人からはこんなと言われるかもしれませんが、好きなものは好きなので仕方がない。クラシックも好きなのでオイゲン・キケロの「スィンギング・チャイコフスキー」の中の「古いフランスの歌」は擦り切れるほど聴きました。レコードの中で一番聴いたかもしれません。私が持っているアルバムとはデザインが違いますが。古いものばかりいいとは思いませんが。メロディの美しさは時代に関係がないように思います。
2016年05月16日
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今日はあいにくの雨。連休は混雑するので今日ガソリンを入れに行きました。今はガソリン代が安い。112円/1ℓ。 ここ1年以上前から毎日暇なので料理を作ることが多くなりました。A型なので最初は大さじ1だったら軽量スプーンでキッチリ計ってやっていたのに、慣れてくると適当にやるようになる。冷蔵庫にある食材で献立を立てられるようになりました。今日のレコードはHooray! Hooray! It's a Holi-Holiday ボニーM1979年ノリのいいメロディで今でも古さは感じないですね。バビロンの河は1978年ベスト・セラー・シングルのトップ2位はオーリビア・ニュートンジョン&ジョン・トラボルタの「愛のデュエット」で3位がビー・ジーズの「恋のナイト・フィーバー」やから凄かったということですね。グリース サウンドトラック「愛のデュエット」はこの中に収められています。 コーヒー豆の焙煎も2回やりました。1回目は大半を焦がしてしまいましたが、2回目は大分ましになりました。この2種類なのですが、焙煎度までか書いてくれています。両方ともフルシティ。結構、炒らなければならないということです。いろいろ試しながらやるのも楽しいものです。
2016年05月10日
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