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あのですね新型コロナ陽性になりました。ゆうて一週間前のことなんですけどね。喉の痛みから始まって、なんか熱っぽいような…からの全身倦怠感そしてえづくレベルの咳。こう書くとそんなにダメージ無い感じではありますがその実かなりやばい。怠さがマックスになって思考が停止する。危険を察知してなにか脳を動かしていないといけないとひたすら、ただひたすらにナンプレ(ナンバープレイス・別名{数独})を解き続ける。TVも音楽もラジオも聞きたくない。ただシンプルに思考だけを動かしていたいということで数字だけを考えていた。一日、一日と状況は少しずつ改善されていき一週間後の今はもう喉がいがらっぽい程度でその他は何も問題ない。でもね。いつもなら駆け上がっても平気なレベルの階段を普通に上っただけで息が切れてしまったり健脚自慢だったのに動けなくなったりそんな経験をすると、どう考えたって新型コロナウイルスに感染することはデメリットでしかないと思うのですよ。罹るより、断然、罹らない方がいい。罹らないにこしたことはない。それには屋内での不織布マスクの着用。突きつめたらそこであると思います。感染発覚一週間前。周りはもうマスク外してる人が多く、そろそろいいかなと自分も思ってしまった。でもせめてもとウレタンマスクにしてでかけたあの日。往復バス。現場でマスクしてない人なんてに気もしてなかった。でもこの日、間違いなくこの日に感染してしまったんだよな。日頃から体力自慢で5回ワクチンも打っていて自分が罹るわけ無いと謎に持っていた自信それは、あっさりと本当にサクっとスコッと潰されちゃったんですよ。そして迎える「病人」の日々。あれは、ただの風邪なんかではない。元が健康体だったから一週間で元に戻れたのかもしれない。でも、そうでなければ戻れなかった可能性が少なくはない。それくらいの危険な病気であると思います。まだ罹っていない人、僥倖です。そのまま縁なく過ごされますように。今罹ってる人、頑張ってください!どうか諦めず無理せず養生してください。そして少し悪化したかもと思ったらすぐ医療にかかってください。我慢はしないで。半世紀生きてきて、こんなにしんどい病気は初めてかもしれない。そして、父や母が罹らずいてくれてほっとしている自分がいるのです。(ふたりとも鬼籍にはいってますからね)
2023/08/13
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連休、いかがお過ごしでしょうか。本日5月5日、残すところ週末土日で大型連勤(平日)が始まるわけですが今年の連休は何もしませんでしたよ…。細かく言えばまぁしないでもなかったけど。そもそも4月29日が土曜日で普通に休日。でもツツジ見に出かけたな!(一人で)30日はコンロ掃除したぞ。5月1,2日は仕事じゃ。3日は台所と洗面台のシンク掃除。昼はだんなさまとデッキで肉を焼いて食す楽しいイベントがあったっけ。そして昨日、4日。ウキが突然やってきた。彼氏とともに。デェエエエ!!!!いや、前日の夜「今金沢!」とかってメッセージきて慄いたんだけど家に来るのは断念したみたいでホッとしていたらこれだ。16時くらいにメッセージが来て家の前まで行くとのこと。彼氏さんとともに。だんなさまには言えないよな…。とりあえず家の周りの雑草抜きに勤しむ。嬉しそうなウキとはにかんだ彼氏さん。30分くらい話して車停めた駐車場まで送って。びっくりしたなあ。てゆか、彼氏と旅行で来てて自ら実家に寄るって感性がもう自分の中には無いもので。お付き合いするのとか親に知られないようにってしてきた自分にはもう眩しいよ、眩しすぎるよ!彼は2つ上の穏やかな男子。ウキと上手くやっていって欲しい。こっぷも、ウキも幸せに過ごしてくれていればそれでいいんだよなあ。さて、今日含めて残り3日。私はどう過ごそうか。
2023/05/05
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仕事柄、定期的に訓練がある。その一つが患者さんが危機的状況に陥ったときにどう対応するかという緊急時対応訓練。職員3人をランダムに選び、各々の役割をスムーズに完遂するというやつです。Aさんは検査中の技師BさんCさんは緊急要請を受けて駆けつけた人という感じで割り振られ、台本がある。台本があるから自分の役割がわかりやすくて素晴らしい。私も何度かAさん役をして患者さんの万一の時に備えるのはそれなりに覚悟ができていた。そんな今季のクソ寒いある日のことでございます。降り積もった雪の多さに、もう雪かきする気力も起きず(だってまだまだ降ってんだもん)ぐうたらしていた午後、どんだけ積もったか写真撮ってやろーとスマホ片手に外に出てみたら30センチは超える雪。うへえ。と写真を撮り、家の前の道に出てみると。お隣の前はきれいに雪かきしてある。ぐぬう。心を決めて手袋を取りに戻り、雪かき開始。とりあえず家の前だけなんとかしよう、せめて新聞配達くらいはしてもらえる程度に。と、やる気なく始めたその時向こうから道なき道を来る一台の自動車。ご近所ママさんである。予想に違わず雪でどハマリして困っていたのでスコップ担いで加勢する。「どうしても出勤しないといけなくて〜」と半泣きでお礼を言われ、お互い様よと答えふと、脇道を見たところとある家の前に誰かが横になっている。子どもが雪遊びでふざけている……んじゃない!大人だ!成人男性!!でも、動いてない!!またもスコップを担いで駆け寄った。両肩を叩いてでかい声で声掛け。意識はちゃんとあった。どこが痛いか、動かない場所はないか。彼は消え入りそうな声で「右側が動かない。立てない」と答える。「頭痛もある」これ動かさないほうがいいやつ。そうこうしていたら、そのお宅のお隣の奥さんも出てきてくれた。雪が降り積もってくるので彼に傘を差し掛けてもらい、私は救急要請。いつもなら雪かき時は落としたらイヤなんでスマホ持ってないんだけどさっき雪景色撮ったついでにまだ持っていたのが功を奏した。雪の上に横たわっていたので顔が冷たかろうと、隣の奥さんに見守りを任せ家に戻ってタオルを引っ掴んできて、そっと敷く。暫し後、雪がひどすぎて救急車が来られない為ふもとに着いたら徒歩で上りますと連絡が来た。幸いなことに彼の意識はずっと清明だったからまだ少し安堵感はある。その間に彼の奥さんと息子さんに連絡を取る。我が町内会にはLINEグループがあって、彼のご家族も入っていたからこういう時役に立つことよなあ。そうこうしていると救急隊が二人到着して私がしたのと同じような声掛け対応。その後数人集まり、彼は無事ソリ型の担架で搬送されていった。傘を差してくれていた奥さんにもお礼を述べて家に戻る。なかなか普段生活しているとこんな出来事ってぶち当たらないけどでも絶対にないとはいえないんだなあ。訓練していてよかった。すぐに救急要請できてよかった。この日記を読んで少し興味を持ったならちょっと「救命救急 手順」でググってみてほしい。それに119に電話したら質問に答えるだけでいい。このご時世GPSがあるから住所だって言わなくて大丈夫。ちょっとの勇気と知識があれば誰かを助けるってそんなに難しいことじゃないから。
2023/03/19
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本日2023年1月25日。大阪にて-真天地開闢集団-ジグザグの禊が行われる予定でありまして僭越ながらワタクシもる、FC先行でチケットを取り今か今かと待ちあぐねておりました。昨日確認した整番は1500番台ですが何ということはない。しかし忍び寄る10年に一度の超強力寒気団。住むは北陸。戦々恐々としつつしかしワンチャン狙うまでもなく電車もバスも全てが運休。さようなら禊。本日最低気温マイナス5.1度 最高気温マイナス1度。マイナス5度を下回るのは26年ぶりだそうで25年前にこちらにきた私にとっては人生初の寒さ。寒さというか冷たさというか、痛さ、な。ネコをもふもふしながら溶ける気配のない雪景色を見ています。何もしないできない有給休暇。でも雪をどかすくらいはしてこようかな……。
2023/01/25
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この時期、買い物に出ると季節商品で節分の豆が売られている。それを手に取りそうになりぐっと堪えるということを毎度しているわけです。だって今年は一人きりの節分だもん。50過ぎたババアが一人で豆まきするのは気が引ける。ウキがいた時のことはあまり思い返さないようにしているけどこういう時、やっぱり思い出して寂しくなってしまう。一緒にあれこれ楽しかったなあ。なんてな。
2023/01/21
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先日、同年代のお方と雑談していてハッとした。「私達の世代って良くも悪くもすごく色んなことがあったよね。この前30代の人と話してたら『私今まで一度も景気が良い世界見たことないです』って言われちゃってさ」確かに。バブルを経験した世代ですもの私達。紐解けば第二次世界大戦が終結した1945年。その25年後に生まれましたワタクシもる。物心つく頃、名古屋は栄の地下街のそこかしこには傷痍軍人さんが軍服を着て肢体不自由となった御身を晒し軍歌を口ずさみ物乞いをしていらっしゃった。いやホントよ!?近所の駄菓子屋のおばさんは常にサングラスを掛け、奇形となった手で商品を取り、お釣りをくれた。噂では戦前は町内一の別嬪さんだったと。被弾して顔も手も醜くなったと。そういうのが日常だった幼少期。戦争怖いお!ノーモアセンショー!!!だけど震えて夜を過ごしていた私は気づけばめちゃめちゃテンションアゲアゲな場所にいるじゃないですか!それがバブル!!!!!!ウッハァー!!!!求人はドカクソ出まくるし新採研修はお土産に手当まで出るという高待遇。外に出れば商店街はどこでも毎日大売り出し!買い物客は後から後から連なってくる。ネオン鮮やかに街はいつまでもにぎやか。がキラキラしたそんな日々はそう長くは続かないもの。デスヨネーwwwwwwwwwバブル弾けた後はまあなんだ今みたいな感じでゆるやかな死に向かう、みたいなそんな日々がここ30年近く続いている気がします。でもね今一番恐ろしいのは戦争をしてもいいと思ってる上の方の人たちのこと。AIを使って好戦的な風潮を広めることってできちゃわね?国民に番号ふったら「お国のお呼びですよ」ってもれなく徴集できちゃうんじゃね?ってあの当時以上に人を人とも思わないような世界になっちゃわね???戦争だけはいかんよ。どんな正義があったとしてもよ。戦争だけはしないで欲しいどうかどうか
2022/12/11
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あの日のことは今でも覚えている。22歳の私はいつものように自転車に乗って出発した。犬小屋には前夜与えた薬が効いているのか犬が静かに眠っていた。向かうは某精神病院での実習。片道1時間半かけて往復してその日は帰り道に駄菓子屋に寄って犬の好物だったうまい棒のサラミ味を一本、買った。辺りはもうすっかり暗い。急ぎ、庭に自転車を適当に停めて「けん」と声をかける。犬小屋に気配はない。気配はないが、横たわる姿はあった。呼んでももう返事はないだろうと分かっていたけれど私は犬の名をもう一度呼ぶ。「けん」抱き上げるともう冷たくなった体から、最後の一息が漏れたような気がした。それからずっと、犬のことを忘れたことはない。そりゃあ待ち受け画面ずっと犬の写真だもんなw写真を見ていると、思い出す。黒い鼻の湿っぽさや硬い肉球。フカフカの耳。少し硬いきつね色の被毛。もう記憶の中でしかないけれどいつでも思い出せる。私が向こうの世界に行っても絶対に見つけられる自信があるよ。今日はそんな私の飼っていた犬の30年目の命日です。
2022/12/04
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さて、今週もバジルの進捗状況であります。双葉大会!!
2022/11/20
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バジル!芽が出てきましたよ。
2022/11/12
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半ドンの日。いつもよりずっと早い時間から夕飯を作り始めてそのうち、ふと「今日は誰が先に帰ってくるかな」って思ってああ、もう帰ってくる子どもは誰もいないんだったと苦笑い。平日でも1日休みならこんな勘違いしないんだけど10年くらい前までの15時終わりとかの頃に一瞬戻っちゃったんだな。13歳だったこっぷは23歳に9歳だったウキは19歳に二人の成長が嬉しいのに涙が出てくるのはなんでなんだろうな。
2022/11/08
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ネコらが葉っぱを好んで食すんですよ。観葉植物なんか秒でマルハゲです。でも大切に育ててきたパイナッポーそして数少ない友人より贈られし誕生祝いのシクラメンはもういい加減外に置いておくわけにはいかない時期に来てしまった。ということで買い求めたのは温室。【11/4 20:00〜11/11 01:59 エントリー&購入でポイント7倍】武田コーポレーション ビニール温室棚 2段本体フレーム ビニールハウス 家庭用 家庭菜園 小型 OST2-02BK フラワーラックそこにin。ついでにダイソーで買い求めたバジルを参加させてみる。というわけで定期的にバジルの成長をお届けしたいと思います。ネコの草もね。
2022/11/03
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ハロウィンというと連想するのはウキが幼稚園児だった頃のこと。園でハロウィンパーティーをするにあたりお菓子を貰って回るためのカゴを作ってくださいとお知らせをもらったのだった。牛乳パックを底から7センチのとこで切って残った部分で取っ手をつけたものを工作し飾り付けは思い思いにドウゾーという流れ。で作ったカゴをまだ捨てきれずとってあるーーーッス!!!へへへ。(写真でかいな笑)もう15年は前のお品ですけども多分、朽ちるまでとっておくと思う。もう既にこんな時期があったなんて忘却の彼方になってるけどあの頃たしかに、ウキの小さな手をとって私は歩いていた。泣けちゃうくらいに懐かしい日々を忘れないためにも。
2022/10/30
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こんばんは。わたくしもる昨日無事また一つ年をとりました。御年52歳でございます。思えば4/5くらいの日々を年齢より若く見られそして軽んじられナメられ続けた人生でした。ここんとこそういう憂き目に遭わないのは3年前から大事に育ててきた白髪だと思います。8割白髪。もうそこで既に若造ではない。素晴らしい。ありがとう年の功。うん、そういうのもそうなんだけど日記に認めたいのはそれだけじゃなくてね。祝ってくれた人々への感謝なのです。SNSでお祝いの言葉をくれた皆様。お時間を割いてのメッセージありがとう!リア友達。ワラビ餅おいしかった!ありがとう!シクラメンきゃわゆす!ありがとう!血縁の皆様。クッキーとかチョコ最高!姉ちゃん大好き!!燻製器でら嬉しい!だんなさま感謝しかない!ハンモックとパステルお母様一生ついていく!ドライヤーとクロヌコ水筒嬉しすぎ!ウキ様!そしてこっぷよ…。夏のあの日、自分のその腕時計を私にはめながらのトークはほぼナンチャッテ的ななにかだと思っていたのにお前……。ウキの加勢もありつつだけれども林檎時計。こんな高価なものを。ありがとうね。もし誰かから「時計変えたんですね」って言われたら はい、息子と娘が誕生日にこれをってそこから泣けて声にならなくなる予感がバシバシする。大きくなったなあ。二人とも気づいたら立派な「ひと」になっていたんだなぁ。私がいなかったら生きていけなかった幼子達はもう自分で、自分の生活だけではなくそれ以上のこともできるほどに強くしなやかに生きている。私にできることは、あと何があるんだろうか。いや、まああれだな酔っ払って人様に迷惑かけないってのが一番の課題ねwうんwww
2022/10/15
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ワタクシもる。お酒を呑むようになって幾年月。父は酒豪。あんなに呑む人はおらんわっつーくらい呑む人だった。母は隠れ酒豪。・・・・・・多くは語るまい。というわけでDNAに起源しているのであろう酔っ払っている夜がないくらい晩酌はルーチンなのである。てなわけでまあ大体の永谷家の集まりではオーバーフローで記憶喪失起きたらなんかかんか破壊しているみたいな記録を更新し続けている。そこで心強い味方は息子と娘。ワヤになった母を介護して布団まで連れて行ってくれるというナイスアシスト。マジ助かるわー。つてね。実は少し記憶あるのよね。『ああもう!あー!もう!!』みたいな仕方ないなあ!(笑)ってしてくれてる様子。ありがたいなぁと。こんなんしてくれるのこの子たち以外におらんよなって感謝と尊敬と。ちょっと泣きそうになりながらヨッパライでいる私。あのね、もうちょっとだけ甘えさせてね。後五年くらい。多分、その頃になったら私なんとなくなんだけど酒ほとんど呑まなくなると思うから。
2022/09/24
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先日、ウキに荷物を送る段になってふと目に留まったチラシ。郵便局の宛名ラベル作成アプリというやつ。えーなにそれ便利そうー!で、DLして入力し荷物を抱えて郵便局へ。ところがですよ。ここまで来てログインできず流れる汗。なんでなんでなんで背中を額を首筋をひたすら嫌な汗が滝のように流れ落ちます。でもなんとかログインして送り状出せました!やったー!!長い20分だったぜ。こんなんだったら手書きで書いたほうが早かったんじゃないのか私。と、思い至り思い出すのが父からの荷物に付いていた送り状。父の字。うーん。まだとってあるんだよね。捨てられないんだよね。さすがに子どもらは私の書いた送り状なんかとっておいてはなかろうが。荷物が届く。受け取って、送り状を見たときに心のなかで『おやっさんからだ!』と嬉しくなったこと。父が自分の名を住所を書いてくれた、それだけのことなんだけど。印字がポピュラーになってしまったらそういう感情もなくなっちゃうんだろうな。今度何かを送る時には手書きにしようかな。まだもうちょっと時代に抗ってみようかな。
2022/09/17
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今現在、永田と名乗っている私は20年くらい前までは永谷で永田家の一員となってからは義妹さんより若輩者である。そんなこんなでふとその当時を思い出してみた長月の夜であるわけで。その頃、なんとなく義母に訊いてみたことがあった。本題は忘れてしまったが義母の「私も 永田 になって結構長いけど」というフレーズがなんかもうやたらスキで!!いつか私もお嫁さんに言ってみたいワードNO1となったのでした。そしてそれから結構な月日が流れたわけですがそのキメゼリフを使うことなく今日まで参りました。義両親は大変健やかにお過ごしであり我が父母のように致命的な何かに罹患して治療ということもなく不穏な病状もなく至って何事もなく日々をお過ごしでいらっしゃいます。こっぷもウキもそれぞれが平穏に暮らしていて心から感謝で一杯であります。だから義母が結婚直後くらいに私におっしゃった「この年になると変化がないから、こうして嫁いできてくれて変化をくれてありがとう」という言葉が30倍くらいになってありがたいなと、ワシは幸せ者だわとそう思うのです。だって私今その状況に置かれても微塵も嬉しいと思わんもん。むしろ一生君等(子ども等)独身でええわとか思っちゃうもん。一時期は生命保険の受取人を私にしようとしてくれた義両親(それは潰えて正直ホッとした)。この先の見返りは、マジでいらない。生きる過程でのお力や精神的な力添えも思う以上の幸福をたくさんたくさん頂いた。だから、ただ穏やかな日々が続けばいいとそれだけ。保険金で人格が狂った人を間近で見ているので(それは見なかったことにしたいくらい)そんなことにはなりませんように、と。血が繋がっていなくても父と母と呼べるひとは私にとってもう貴方達だけなのだから。この先も、どうぞこれまでどうりにそこにいてくださいね。お願いします。
2022/09/01
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先日100均で珪藻土の置物を買ってそれにエッセンシャルオイルなどをかけてトイレに置いている。ネコが滅多に入らない場所だからね。で、ふとこれを思い出したんですよ。去年買いましたSHIROのフレグランス。キンモクセイですよ。芳しい香りを堪能しつつそういえば一昔前にはトイレといえばキンモクセイだったなぁとしみじみ。もうしばらくしたら町のあちこちから静かにそっと香ってくるオレンジの小さな花々。トイレの匂いと揶揄された過去を思い返せばいい時代になったなぁと思うわけです。
2022/08/28
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大したことをしないお盆でありますが恒例の「キリコ」をぶら下げに永田家…ではないな。義母の実家のお墓へお参りに行ってきました。帰省中のこっぷと朝サウナの帰りに行こうということになり整った我々、墓へ向かう前に花を買っていこうとショッピングセンターへ寄ることに。ところがですよ。花売り場が長蛇の列。どうやらお参り用の花が売り切れたようでバックヤードにあった花束のなかから萎れてないのを選び花束を作り直している。こりゃあ大変だ。でもまぁ急ぐ話でもないので、こっぷとなんやかや話しつつ順番を待つ。「お盆用の花ってあるの?」とこっぷ。正確には決まってないけど、お墓用のお花といえば菊メインだな。そこにリンドウやほおずきやカーネーションとかが入るんだけど。そう言いつつ辺りを見回すがお盆といえばの、ほおずきが見当たらない。もしかしたらもう売り切れてしまったのかもしれないけど思い返せばこの地方では見ない気もする。永谷実家でのお盆といえば、ほおずきだった。祖母が育ててくれていたほおずきを貰って家族で弟のお墓へ向かう。「じいちゃんも、ばあちゃんも、おやっさんもオカンも皆死んじゃったな」そう口に出してみて本当に皆もういないんだと実感してしまった。そしてふと思う。20年後か30年後か、もしかしたらもっと早いかもしれないけど私がいなくなったお盆に、こっぷは今日のことを懐かしく思い出すんだろうか。父の初盆を終えて、今年はなにもしないことを姉妹で取り決めた。静かなお盆になってしまったと思っていたらウキからのメール。『お盆だしおじいちゃんちに行ってこようかな』流石名古屋在住!よろしく頼んだ!そう、できたらほおずきを飾ってあげて。きっと皆喜ぶからさ。そしてこの夏がウキの記憶にも残りますように。
2022/08/14
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世を騒がせている教団もありますが、今日は私が出会ったそういう系の話について少し。50年生きてきて「コイツやべえ」と思ったのは2回。一つ目は同じ年頃のママさん。すごく無邪気に屈託なく「前住んでたとこのご近所さん、すっごく良くしてくれて!あたし免許あるけど運転できないのね。でも、その人、買い物に行きたいって言うとすぐ車で来てくれるから、もるちゃんも困ったら言ってね!あたしが呼んであげる!!」えーっと、うん、なんか半笑いになるよね。まあでもいい元ご近所さんがいてよかったね。ただ、その対価に「自分が通ってる集会に一緒に来て欲しい」って、彼女言われたんだって。もうその時点で やばいやろそれ宗教や逃げるしかないやん と普通は思うだろう。しかし彼女はこうのたもうた。「うん、変だなとは思ったけどねー。集会も一緒に行ったことあるけどそういうの興味ないしたまに付いて行って話聞くだけでこんなんしてくれるんならいいんじゃない?お互い様って感じ?」え。そしたら今でもお付き合いあるの?「うん、普通にお願いしてるよ!向こうも『いつでも声かけてね』って言ってくれてるし」これはね……。相手の方にちょっと同情しちゃうよね。勧誘してきたそいつもどうかと思うけど、コイツの方がもっとヤバいわ人間的に壊れてんわと思って縁を切りました。そしてもう一つは、ご近所さん。地味な印象の彼女は結構印象は良くて、会えば世間話をするくらいの間柄。それがああしてこうなったのは、とある冬の日のことでした。「こっぷくんとウキちゃんも一緒に、我が家でお茶でもしませんか」玄関先でその方はそう言って笑った。珍しいなと思いながらも私も笑顔で承諾。が一時間後、そいつんちの台所テーブルで私は見も知らぬ女二人と彼女に囲まれて謎の経典を押し付けられていたわけです。先祖が生霊が現世の幸せ過去の償いハァ。本気であんたがたそう言ってんの?言葉で凌ごうとしても謎理論で引き戻される。コレはアカンと腹を括り、携帯電話を取り出して「こっぷ、ウキ、お父さんが怒ってるから帰るよ!」だんなさまに汚れ役を引き受けてもらい強引に帰りました。翌日経典は彼女の家のポストに返却。それから暫くして彼女の家は転居し、噂では離婚したとのこと。幸せを求めて縋ったなにかのせいで基本の基本たる幸福を逃した人生ですな。ああ、他にもありましたよ。見ず知らずの人。赤んぼ引っ付けて買い物したり歩いてたりすると「わぁ!赤ちゃんかわいいですね!」ゆうて話しかけてきて、最後には「子どもができると家族とか、家庭って大事ですよね!私達、そんな気持ちで活動してる団体なんです!ちょっとだけでもお話聞きにきませんか?保育もあるのでリフレッシュできますよ!!」ゆうてくる。どう頑張っても怪しさしかないやろがい。ちゅーか、当時からワシは家庭が一番とか思ってねーし。自分の人生が最優先じゃ。そんだもんだから子育て家事には手を抜きまくりだったからリフレッシュもクソもねーの。でもまあ笑顔で一線を引いて事なきを得ていたわけですけども世の中にはふらふらっと行っちゃう人だって少なくないんですよ。子育て中の母は心身摩耗してるんですからね!優しい言葉、自分を肯定して救ってくれる可能性に縋る気持ちはマジわかる。そうして宗教にのめり込んでいくひとはゼロではないのよ多分。以前の日記にも書いた気がするけど宗教って自己満足でしかないんですよね。そんなら自分たちだけで満足してろよって話です。そういうの絶対に他人に強制してはいけない。布教しろというのはそれはもう方向がズレてる。日本にはヤオヨロズ(八百万)の神々がいるでしょ。でもこれは宗教ではない。そこら中に神々が”いる”という体で日常を過ごしていけってことなわけです。水場の神様、トイレの神様、火の神様、玄関の神様、押し入れにも神様……。日常どこへ行っても神様がいる。でもお供えなんかは別にいらない。ちゃんと拝めれば・尊重すればいいだけって話。だけど蔑ろにしたらバチが当たるよって自然の理よねー。こういうのが日本の主流にならんのかしらねえ。ここだけ原点回帰してくれんかねえ。
2022/08/06
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予定のない休日は朝からネサフ。そして見つけたこの記事。幼児期のある習慣興味のある方は是非元記事を読んで欲しい。面倒っちいという方には平たくこう言っておこう。読み聞かせをせい、ということ。日本語が大切、というのはこっぷが生まれた当時からそれこそ20年以上も前から言われていた話であるがいまだにそういう話が取り上げられてたりすると結果、何も進歩しないまま日本はここまで来てしまったのよなあという感がある。日本語は他の言語と違って文脈から読み取れとかそういうテクニックが必要だ。それは一朝一夕にできるものではない。だから「絵本」という入り口があるのだと思う。そこからどんどんと深くなっていって読み聞かせを過ぎると「物語」を自分で読むようになるのだろう。幾千幾万とある「物語」を自分で選び、触れることで語彙や感情の種類が増えていく。これはとても大切なことだ。ゆうて現況、本を読んでいる人口もそう多くない気もするが。そういえば仕事をしていると幼児の患者も多くやってくる。その子らをあやすのは親の担当なわけだけどやっぱり今はスマホでYou Tubeなんだよなあ。絵本持参で来るってことはこの5年振り返って1、2回あったくらい。職場には音楽の出るおもちゃもあって、たまにそれを使うんだけど(オルゴールみたいなんで童謡が流れる)一緒に歌う親は9割9分いない。確かに他人の前で歌を歌うのは気が引けるだろうけど子が泣き叫んでるなら落ち着くように歌いかけるとか……ないのかなあ。もしかしたら子に歌(童謡)を歌う親というのも絶滅しちゃったんだろうか。話が逸れましたが。図書ボランティアなどという読み聞かせ隊の長まで経験したワタクシ。その良さを解っているつもりだったけれども戻れるならばもっともっと二人に読み聞かせしたら良かったなぁと思う。もし今育児してる人がこの記事を見たなら今からでもすぐ何か本を読んであげて欲しい。できるなら、沢山色んな本を。その中からきっと親子ともに忘れ得ぬ一冊が見つかるはずだから。(出かけるときにはよくコレを持って行ってた こっぷのトーマスとウキのすてきな三にんぐみ)
2022/07/31
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こんばんは。ワタクシもる。当年とって52歳の正真正銘のババア。顔だけは童顔なので時々若く見られることもあるが正真正銘ババア。だから白髪もワッサワサ生えているのである。遡れば流石楽天ブログ・私が白髪と戦い始めた頃の日記がまだありましたよ。白髪わさわさへぁ。(ワードセンスに進歩がないな)…。2009年1月のお話でありました。月日は流れ流れて13年。30代だったワタクシ、50代に。正真正銘のババア(結構好きなフレーズ)。そして白髪は最早戦う相手ではなく共存共栄する相方となったのでした。所謂グレイへアというやつですな。グレイヘアという言葉が市民権を得、少しずつその市民も増えている様子。しかしながら誰でもできるというものではないらしい。というのをさっき検索して知りました。ウワアアア!!!!向かないのは・ズボラ・美意識(ファッションセンス)が低い・メイクしない・ロングヘア私のこと?やだ……私のこと、見てたんだ☆いやいやいや。しかしもう後には引けない。今更髪を黒くは染めたりできない。否染めたくはない。なぜならば今この髪色がものすごく好きだからだ。白髪7割ブリーチして黒いとこはほぼ茶色。肩下の髪は青緑。なんかわけわからん感じではあるが、4年かけてここまで来た感はある。周りの人々はどう思っているのか聞いたこともないし言われてもないので知る由もないが少なくとも私自身はこのグレイ…というにはヤンチャな髪を好いている。人生の半分以上を年齢よりも若く見られてきた。若く見られるというのは良いように思われがちだが、実は逆だ。「この若輩者が」「ハイハイwそうねwそうねwwwわかりまちたよーw」「経験値少なそー笑」言葉に出されずとも態度でわかる。仕事していて数え切れないほどそういう態度をとられてきた。【自分より年下】その前提で横柄な態度をとってくる御仁のなんと多いことか。んだけど、こっちはカルテで貴様の年齢知ってんだって!アンタ私より年下じゃんかよ!もしくはお前の娘くらいの年なんだよ!ところが白髪を隠さなくなってからはそういったことが全くなくなった。つい2年前まで「あなたみたいな人に検査任せて大丈夫なの?」とか言われてたんだよw(いや私どんな存在?)もう風貌がベテラン。最高。正直言えばもう全て真っ白になって欲しいくらいだ。なかなかそこまでは簡単に行かなそうだけども。生え際の白さが憂鬱だった5年くらい前は鏡がストレスだったけれど今はもう遠目にも白いからね!生き様がワンランクアップしたよなぁ。
2022/07/24
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ダイエットをすると言い始めて(3/26)早4ヶ月になろうとしております。先月下降線を描いていたワシの体重でございますが更に一ヶ月経った今!皆さん!刮目せよ!!見てくださったか!!!痩せたわ!痩せたわわたし!!!!食事は3食ちゃんと食べる。毎朝納豆食べる。昼飯はベジファーストで食べる。夕飯は炭水化物抜いて食べる。酒はやめない。寝る前のストレッチは30分以上。いやー、ストレッチ!いいね!!You Tubeで「ズボラストレッチ」というのを見つけ一日2種類くらいやっている。時々ストレッチながら寝ている(オラ)。信じられないが背中肉、腰肉が自覚するくらい減った。たのちい。ただ53kg以下にする気はないので(ババアは小太りくらいがちょうどよい)ここからは維持ね。続けるわよストレッチ。
2022/07/23
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「ハーネス」というのを子育てしている人なら耳にしたことがあろう。ヒモの付いたリュックみたいなんである。歩くことができるようになったコドモに装着して、そこそこの自由を与えつつ半径数メートル以内で管理できるというスグレモノ。迷子防止ひも リード付き ハーネスリュック ハーネス リュック 子供用 キッズ用 子供 てんとう虫 コウモリ てんとうむし こうもり キッズ おしゃれ 可愛い 送料無料こういうの。ホームページ時代、日記に書いたかもしれないがまあ20年以上前のことなんでもう一度言おう。あたしゃあ、あの頃コレを使っていたんだよ。そうだね…もっとコンパクトだったかもね。楽天市場のコレと同じじゃないけどね。買う時、天使の羽と悪魔の羽を選べたから迷わず悪魔の羽にしたね。だってさ……。親の意に反し手をつなぎたくないこっぷ。自分の右手と左手をつなぎ合わせて母の手をブロック。しかし親の言うことなど聞かないお年頃。悪魔の二歳。けれど飛び出し厳禁・迷子の予感。そんなその当時コレを見つけた時にはそりゃあアンタもう どえりゃあええがね!!!!!!!と飛びついたものだ。ただ見知らぬ他人から何か言われたかどうか正直記憶にない。それより何より息子の安全第一!左右ヨシ!だったからそういう戯言に気付いてなかっただけかもしれないけど。で、なんで今になってそういう話かというと。いまだにハーネスを使っている人に否定的な層がいると聞いて来ました。いやマジでか。当年とってワタクシもる52歳。こっぷ23歳。一世代入れ替わったといっていいくらいでしょう。こっぷ世代が子育てをしていてもおかしくはない今祖父母(私世代)が使っていたその頃から子育てグッズとして流通していたソレをなんで使っていた(かもしれない)世代が否定するんだよっていう話。使う人がいなければ淘汰されていっただろうグッズは数多ある。布おむつだって、こっぷの頃にはまだ半数はそうだった(し、ワシも当時使ってた)。起き上がりのガランゴロンも割とどこにでもあった(と思う)。日本製 玩具 楽しく遊べるおもちゃ・ベビー向けおもちゃ 元祖おきあがり 今も昔も変わらぬきれいな音色! 348 おきあがりポロンちゃん 高さ30cm 〈子供用 子ども 幼児用 赤ちゃん用 あかちゃん 赤ちゃんのおもちゃ 乳児 ベビーグッズ 起き上がり人形〉まだ売ってたんだなぁ……(遠い目)。これなかなかいい音するんだよ。お前そうかポロンちゃんっていうのか……いい名前だな。ん?なんだったっけ。ああ、そうそうグッズな!(老化)だから必要であり、使用している層がちゃんといるんですよハーネス。検索するとポロンちゃんの比ではないくらいに数が出てくる。だって確かに役に立つんだもの。使ったことのない人間にとっては驚くかもしれないけどその重要性はお前が判断することじゃない。髪を金髪にしたことのない奴が髪が痛むとかどうこう言うことじゃないっていうことだよ。どこにピアスを開けてたって他人に迷惑かけるわけじゃないんだから口出ししてくんなってことだよ。誰にだって正義があって、その正義を守ってる。他人の正義に口出しするな。自分の正義は自分で守っていればいい。な?時代は21世紀になって令和になった。ジジイとババアは未来を見守る役になるっていうのでええじゃないかええじゃないかヤッホイヤッホイ。
2022/07/16
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我が家には神棚がない。勿論、仏壇もない。永田実家も、どちらもない。義両親とも長子ではないので現状お墓すらない。なので我が永田一族的にはイベントとしての初詣やお盆のキリコはするけれど宗教行事としては捉えていないので、ただ世間に合わせてやっておくというくらいの認識だ。翻って永谷実家では弟が早逝したというきっかけで父母は信心深く毎朝晩の読経を欠かさなかった。神棚は当然のこと、でっかいお仏壇もありお墓もある。毎月の法要におっさまがござり施餓鬼やら年回忌やらアレヤコレヤ。初詣は各所を周り、御札を納めては御札をもらいそれが毎年の恒例行事であった。それを特になんとも思っていなかったのだが父が亡くなったのを機に、私の中の宗教観がガラリと変わった。というのも、父母が信心していたのをA教としよう。弟が亡くなった頃からなので、もう40年以上はそのやり方で法事を行ってきた。母が亡くなった時にも父はその宗派で葬儀を行い、弔ったので当然父は自分もその宗派でそのようにされると信じていたろう。それがだ。話は少し逸れるが大姉ちゃんのだんなさんは闘病の末4年前に亡くなった。そん時に葬儀を行ったのはたまたまその頃縁のあったお寺のご住職だったのだ。そこはA教ではない。B教としておく。そんなわけで姉は自分自身もB教で弔って欲しいと言っていてだんなさんもまたそこで供養してもらうこととなったのだ。そこまでは別にいい。家族とはいえ宗教には立ち入らないのがマナーである。もっといえば小姉ちゃんはキリシタンであるが誰も何も言わない。で、父が亡くなりさあどうしようとなった時「B教のご住職呼ぶでね」と喪主の大姉ちゃん。えっ。まあ確かに残された我々が決めてもいい世界ではあるし父も最近のA教の住職にいい感情を持っていなかったのは聞いていたがだがしかし。モヤモヤとしたものを抱えつつ葬儀を終え大姉ちゃんはA教との離檀を提案してきた。反対する理由はない。そのまま信仰を続けるならば毎月の法要やアレコレに関して足を運び出費しなくてはならない。法要もタダじゃないからね。それができる余裕は私にも姉妹の誰にもない。で母も弟も今、父と共にB教のお寺に永代供養されているのだ。宗教って何なんだろうな。実家の、教祖の像が無くなり父母と弟の位牌だけが置かれた仏壇の前で毎度私は自問自答する。自分が信じて拝んできたところではないところで拝まれてしまっている父。ある日突然見も知らぬお寺に移動され全く違った読経で拝まれている母と弟。拝まれているならいいのかな。それなら私も毎朝、写真に向かって手を合わせているから究極それでよくない?私も辛い時、苦しい時神様仏様たすけてと思ったこともあるし、お詣りに行ったことだってあるけど普通に考えて助けてもらったことはないなと思う。どうにもならない時に現実逃避するには宗教は丁度いいのかもしれない。でもそうしたら別に宗教じゃなくていいのでは。アイドルだってロックバンドだっていいのでは。と今日も私は贔屓のバンドやアイドルに課金する。いやお布施だ。お布施。ラブアンドピース。
2022/07/16
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先日だんなさまが憤りメッセージを送ってきた。ウキからの一通に逆鱗だったようだ。それがなんだったかってーと大学の実習に関わるお金は自腹なのか払ってもらえるのかというやつ。私としては「親が払う一択」なんだけどなんでかなんかしらんけどだんなさまはその文面にモヤってしまったそうで「僕はそこまで面倒みないから自分でどうぞ、と答えた」とのこと。うーん、これは由々しき事態ではありませんか。3桁とか4桁じゃない。結構な額の資金である。そう簡単に突き放してはよろしくないんじゃないんじゃないんじゃない?でもだんなさまは娘からのお伺いが可愛くないというのが気に障ったようでもう撤回は絶対しない展開(ちょっと韻を踏んでみました)なのでそっとウキに聞いてみた。「それね、本当はもっとレベル高いのに申し込みたかったんだけどお父さんに言われたし自分でできるレベルのにした」えっそれ私が一番イヤなやつ!!!!!!!なんで可能性を摘んじゃうのよお!!!!!なんで私に言わなかったのよお!!!!!!そしたらウキが鼻声になって。「…だって…おかあさん、私のために色々…留学のお金だって出してくれて……なのに、もっとって、言えんくって……」何を!何をおっしゃるウサギさん!!!!おっと、話したことはなかったか。そうだったら、すまんな!私が働くと決めたのはそう、君が「なんでウキちゃんだけあさからずっと、さいごまでよーちぇんにいないといけないの!!!」と激怒した君が幼稚園に入るか入らんかというあの頃。そこまでして働きたかったのはそれは全て君等のためなんだ。当時専業主婦だった私にもだんなさまはお小遣いと生活費をくれていた。でも、自由になるお金はそう多くはない。日々の買い物の中で君等におやつを買いたくとも「50円で買える分でね」…なんとみみっちいことか。蒲焼きさん太郎とうまい棒で終わってしまう。もう瞬殺。もっと、もっと子供らに笑顔を、嬉しい気持ちを、与えてあげたい!!!!!!それなら私が働いたらいいんじゃない。そして季節労働者となり月に数万の収入を得、おやつは100円分と充実拡大したのだった。その後はもう言わずもがなであろう。私は定職についた。こっぷの中学入学に関わる全ての準備を済ませ高校入学についても制服も何もかも私が払った。だんなさまが出したのは中高、毎月の学費だけだ。時々請求される教材費も私が払った。ウキの学生生活においてもこっぷほどではないけれど私が出した額は半分以上だ。でも何も苦に思ったことも負担と感じたこともない。だってその為に私は働いているのだから。泣きじゃくりながらウキが言う。「お母さんに全部頼るの申し訳なくて」お父さんほどじゃないけど私も働いてお金を稼いでいるんだよ。そのお金を使う先はウキとこっぷなんだぜ。だから使わせてくれよ。全部、全部出させてくれよ?そのために私は頑張ってるんだからさ。そう金ならあるw
2022/07/06
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がっつり5連勤の後の土曜日はギルティーーー!スガキヤ味噌煮込みにワカメとテンプーラと玉子をウィズミー!!名古屋人の心を癒すのはいつも名古屋飯。また頑張れる。
2022/06/25
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最近だんなさまが「オレは痩せる」と宣言して一日一万歩を己に課していらっしゃる。夕食は彼が趣味の一環で作っているのでそこが揚げ物率ダウンダウンダウンすると自然と私もその恩恵を受けるという図式。で、3月26日の減量開始より3ヶ月弱でありますがようやく光明が見えてまいりました!やったぜ母ちゃん。ゆうて1.45kgですけどね。ようやく下降線を……(涙)8月の健診にはもうちょい減らしていくぞい!
2022/06/12
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一ヶ月ほど前に書いた日記ラストソング。本日、日曜日。今日も今日とて楽天市場を徘徊しながら聞いておりました。今日は珍しくだんなさまもご在宅。9時半となり「ラストソング」オープニング。それを耳にしただんなさま「自分が死んだあとのことなんか知るか、って感じだよなあ。流して欲しい曲っていっても自分はもう聴けないんだし」わたし「そうねぇ(……いやなよかn)」ラジオ「今日のリクエストは石川県るるさん」「ぎゃあ」わたしやないかーい!!!さりげなくつけた仮名はラジオで聞いたら全く仮名になっていないぜ。てゆかこのタイミングか!だんなさまがdisった今このタイミングでか!!ウワァアアアア!!だんなさま大爆笑。イヤアアアア!!!やだもう!恥かしい!ウケてしまうが一昨日やったプランクで腹筋が筋肉痛で痛え!!!しぬ……。そして流れるマイ・ラスト・ソング。駄目…こんなんじゃわたし成仏できない……。こっぷ……あとは頼んだ。
2022/06/05
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昨日見事誕生日を迎えたウキさん。19歳。大学生活はそれなりに楽しそうで安心している。思い返せば幼稚園の頃から彼女は人見知りで新しい環境に馴染めなくて毎年春には気を揉んだ。夏が過ぎて秋になる頃、ようやく日々に慣れて友人も増えて寒くなるに従って笑顔が増えていってまた春を迎える。年少さんから年中になる時、二年連続で担任してくれた先生に「年少さんの時、一年かけて仲良くなったから安心していたらウキちゃん年中さんクラスになって会った途端一年前の人見知りウキちゃんに戻ってて…」としょんぼりさせてしまったのも懐かしい思い出だ。中学は慣れ親しんだ小学校の子たちだけでなく、接触のなかった近隣小学校の子たちもいた。そこでまた引っ込み思案発動。でもいつの間にか、たくさんの友達に囲まれて楽しく過ごしていた。高校に至っては親しい友人が一切いないところへ進学してしまったため半年以上「辞めたい。転校したい。全く馴染めない」とどんよりした目で言われ続けどうしたものかと本気で悩んだりもした。んだが振り返ってみたら なんだったんでしょうね、アレ。ってくらい卒業の頃にはJKを満喫していたウキ。先日届いた手紙にはこうあった。『お母さんの大学の友達とのお話、とっても楽しそう!素敵だな!と思いながらきいていたから私も親友の1人や2人がいたらいいなー!と思っています!!あせっていはいなくて少しずつで大丈夫って高校の時に学んだからあの頃のように荒れてはないよ笑 安心してね〜!!』私には今でも交流のある大学の友人は2人。しかもそのうちの1人は年賀状程度のお付き合いになってしまったけどもう1人は私の実家近くに住んでいて私が帰省したときに会ったりしている。Yちゃんとは家庭環境が似ていて、お互いの苦しさや悩み事を共有しながらあの頃生きていた。だから長いこと親友と呼べる間柄なのかもしれない。ウキにとってはそういう境遇と無縁だろうからどんな風に親友と呼べる存在を育んでいくのかコミュ障で陰キャの私には想像もつかないがそれでもかけがえのない友人が1人でもできたらいいな。お誕生日当日は一緒に祝えなかったけれど実は先週末名古屋へ行ったのだ。姉と妹とウキと私が揃った。んで、6月2日生まれの妹と3日生まれのウキのお誕生日祝いにケーキを買ってみんなで食べた。ロウソクはなかったけど久しぶりに歌なんか歌っちゃったな。この先何度一緒に祝えるかはわからないけれどいつまでも、いつまでもこの日が幸せな日でありますように。10代最後の一年が輝かしいものでありますように。
2022/06/04
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ウキには高校時代(つーて数ヶ月前)彼氏がいた。家にも遊びに来ていたし、色々話も聞いていたからそこそこオープンな間柄ではあったが少し、気になるところがあったりもした。なかなかのイケメン。挨拶もしっかりするし受け答えも申し分ない。運動部に所属していたからガタイもいい。成績もかなり優秀。でも。そこはかとないモラハラ臭を私は嗅ぎ逃さない。そのきっかけというのがウキがネコに対して暴言を吐くことだった。「うんこー!」とか「ブスー!!」とか。これまでもライトないじり(例「おなかぽちゃぽちゃー!おでぶちゃん」)はあったがあまりにもあまりにもだ。ストレート過ぎんか。っていうかネコに向かって言うことじゃなくない?なにか彼女に似たストレスがあるのかもしれない…と思っていた。で、推薦入試が終わった頃に大泣きしていたからどうしたのと聞いたら「別れた」と。そこで話を聞くうち、彼氏からなにかにつけバカにされていたことが判明。ウキ自身の成績は可もなく不可もないレベルなんだけどご自分がお出来になるからwでも本当に優秀な人間は他人を貶さないんだよね。つまりは誰かを卑下しないと自分を肯定できないめんどくっさい男だったと。それでもウキには大事な彼氏だったわけで。その後、卒業式までにはヨリが戻ったとか云々聞いていたんだが先日ふと思い出して、今どうなってるん?と尋ねたらば「別れた!」と清々しい口調。こっちが少し驚くレベル。「てゆーかね、なんか、ある日思ったんよ。私もっと幸せになれるんじゃない?って」それだ!!まさに!!!死んだ私のオカンが言ってたぞ。女は自分に惚れた男と一緒になるのが吉、と。そう、きみはもっと幸せになれる。そこに気付いたところが素晴らしい。自由を手に入れたウキの未来に幸多からんことを。
2022/05/15
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ここ半月くらいのこと。ヨモが痩せてきてる気がしていた。ふっくらもっちりのヨモの腰骨というのかな?尻尾の付け根の骨がくっきりと。おかしい。絶対おかしい。でも、一番仲良かったウキが家を出て一人暮らしを彼の地で始めたから寂しくなっちゃって身も細る思いなのかなーとか思っちゃってたのだ。しかしそれにしても顕著な気がする。それに多飲多尿気味でもある。心配。もう心配しかない。なので思い切って今日、病院へ連れて行った。触診では異常なし。触っても嫌がるところも痛がるところもない。血液検査をしましょう、となり結果をハラハラ待つ。結果。「糖尿病ですね」えええええー!!ただ心配していた腎臓系も甲状腺系も肝臓も数値は正常値なのが救い。「今日からインスリン投与始めますね」との先生のお話を神妙にお聞きして「明日の朝注射を打ってから来てください。半日ほどかけてこちらで経時血糖測っていきます」ということに。治療はその結果を見て決めていくとのこと。年をとって穏やかになったってだけではなかったんだな。ヨモ、がんばって。まだまだ一緒にいたいよ。まだまだ同じ時間を過ごさせてくれよ。
2022/05/15
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身近なひとの死を経験すると我が身の死の近さを感じたりする。折も折、ウキが進学で家を出てしまったから我が家は今夫婦とネコの物しかない。やりますか!ってなことでこの前三段ボックスを買ったりしていたわけです。これまたいい感じにね……。ネコ様入ってますけども。このカウンター上にとっ散らかってたのを収納することでカウンターが本来の役目を取り戻しスッキリした空間出現。いるもの・いらないものを仕分けして気持ちもスッキリ。少しずつではあるけれど、家の中を片付けて掃除してきれいに使い続けている。そうだ、本来私はこういう暮らしがしたかった、とついさっき気付いた。子どもらが生まれて家の片付けなど手が回らなかった。ほぼワンオペの日々、育児にも家事にも口を出さないだんなさまをいいことに部屋の中にクモの巣が張りそこにワラジムシがかかるという環境壁や床を這うヤスデを集めて野に放つのも日常業務だったあの頃。こっぷ、ウキが成長しその存在感はリビングに散乱する服やプリントあれやこれ。片付けても片付けても野放しの彼・彼女らの所持品。そこからの解放!私が片付けたものは片付いたまま!幸せー!!!もちろん、二人が家にいない寂しさが消えたわけではないけど片付いた部屋で過ごす良さというのは何ものにも替えがたいですな。……あとは、せめてだんなさまがもう少し自分の居場所の周りを片付けてくれたら最高なんですがな……。
2022/05/08
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あまりに天気が良くて金沢市内の公園へ。ツツジがそろそろ盛りを過ぎて、でも尚咲き誇っていました。一人で花の間を歩いていると自分がいま何歳だとか何をしているとか何もかも意識からなくなってただただ、花の綺麗さ・空の青さを見ているだけになる。そういう、無になる時間って日々過ごしているとあんまりないんだよねー。20分くらいの散策だったけど満足して帰ってきました。
2022/05/07
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自分自身、性格診断テストというのが結構好きなんである。定期的にmgramというテストをしてしまうくらいには好きなんである。それを知ってか知らずか(多分知らない)こっぷくんが「お母さんにさぁ、してもらいたいテストがあってね」と言いながら渡してきたスマホには「MBTI診断」というサイト。そこまで言うなら、と引き受けて回答する。深く考えないで、とか直感で答える、っていうのに既視感を覚えつつ完遂。結果は「擁護者」でした。内向的なくせに他者と親密に関わることができる的な?同僚を個人的な友人と思ってはいるけれど心から愛情を伝えるのは家族だけ、とか?うんwなるほどwwwこっぷくんは予想外の「主人公」。こうなるとだんなさまもウキもして欲しくなるけどきっとだんなさまはしないな!(想定内)だけど絶対相性いいな!!!(確信)きっかけはこっぷの元カノの言葉だったみたいだ。「こっぷくんの家族って変わってるよね」みたいな。なにがどうなのかっていうと、端的に言えば「交際に干渉しない」ということ。 なのに「面倒は見る」。確かにしょっちゅう遊びに来ていた彼女だけどこっぷの部屋にいる時に執拗に訪ねて行ったりはしていない。お茶とお菓子は持ってったけどね。けれど帰るとなれば毎度ちゃんと挨拶をして、時には家まで送ったりもしていた。こっぷも彼女も不思議だったというがなんのことはない。二人を信用していたから。無責任なことはしないであろうと信じていたから。高校生だ。確かに未成熟な部分はあるだろうけども、一から十まで見ていないといけない歳ではない。だって自分だってそうだったじゃんね?でもそれを話すことなく過ぎていったから、こっぷ的には解決したかった部分だったんだろう。「母の真意とはなんぞや」と。元カノは今関西にいて、まだこっぷとLINEでやり取りしているそうだ。就職活動の悩みなんかも聞いているらしいけどよりを戻すとかは全く考えていないと。わからんけどねwぶっちゃけ、お付き合いしてるとかどうとか結婚云々とかどうでもいい。自分のことじゃないもん、どうだっていい。本人が悩んでなければどうだっていいのだ。本人さえ満足な日々を過ごしていたら、そんなことはどうでもいいんだ。私にとって子どもらが日々幸せに過ごせるのならばそれで十分、問題ない。今までも、これからも。ま、こういうのが私の性格というわけですな。
2022/05/03
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白髪があまりある現状にいきり立ったワタクシもる。美容院でデラクソメッシュを入れてもらい(バレイヤージュ?)なんかほぼ金髪みたいになったわけですがそれで満足しないのが名古屋人。っていうより昔から憧れていたのだ派手な髪色に。で。ちょっと試してみようと買ってみたコレ。エチュードハウス 2トーントリートメントヘアカラーミステリーパープル (ヘアカラー) 150mlエチュードハウス 2トーントリートメントヘアカラーファンタジーブルー (ヘアカラー) 150mlやっばいぞおおおおお!!!!ブリーチした髪にジャストミートやん!まずブルーを使ってみたら慌てるレベルで青緑に。かなりな青緑に。どえりゃあ楽しいwwwwwそして満を持してパープルを。これねこれまたえらいこっちゃよ。ガッツリ入る。パーポーマイヘアー。そしてほぼ消えた青緑、改めて塗ってみたらこんどこその青!!!!!!パープルがいい感じに仕事してくれたんかな。でらくそ好みな髪色になってます。嬉しい。っていうか齢50越えてこんな毎日楽しいなんて知らなんだ‼いやもう、ほんと今が一番楽しいかも。ピアスも髪も化粧も今むっちゃ楽しい。でももしかしたら今後もっと楽しくなるのかも。やぁー!生きててよかった!私は、私のために生きて生きていて最高って思うの、最高!!!
2022/04/30
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黄金週間であります。昨日から始まったわけですが、昨日は何していたかというと収納ボックス 収納棚 モジュールボックス扉付 MDB-3D オフホワイト・ナチュラル・ウォールナットブラウン カラーボックス 収納 棚 フリーラック アイリスオーヤマこれをね、作っていました。3個買ってせっせと組み立て、いよいよラスト一個、最後の一つに向かったところであれぇ。穴がズレてんじゃないコレ。絶望です。棚板と側面板の穴が1センチズレてるwwwwwwwwいや草生やしてる場合じゃない。かなりやばい。ついったで嘆いたところ、旧友ししゃもさんよりメーカーに問い合わせるがよしとのアドバイス。早速電話したところちょこっとトーホグなまりのきゃわわなお姉さんが対応してくださり交換となりました。でも4日以降の発送なんだって。待つ一択。でも気を取り直して組み立てた2個を配置し収納収納。待って、なんでこれ今まで何もしなかったのめったくそすっきりするやなーい!!!無法地帯だったカウンターが空いて今ノーパソを置いてこれを書いているくらい広々空間です。何年…十何年ぶりか。イイワァ…窓の外を見ながらのくつろぎタイム。あの、あれなんですけども不具合はアイリスオーヤマさんが悪いというより多分私の引き具合だと思うんですよ。私の人生なんでどうしてこのタイミングでソレなのってことが多くてね。だからこの3段ボックス買いたいひとはためらわないでほしぃ。ほんといい!マグネットで開閉できるのもいいし、高さが絶妙!質感もよき!正直3個買って大正解。交換のやつが来るのが楽しみです。
2022/04/30
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先月の終わりに突如思い立ったダイエット。減量大作戦と銘打った割には大したことは何もしていないただ体重は記録しておこうそういえば測るだけダイエットなんてのもあったよななどと都合よく解釈し始めた測るだけなんちゃらなわけですが。お分かりいただけただろうか。プラスマイナスほぼゼロていうか開始からオーバーしてるのがほとんどじゃね?わーん。だが、ワタクシもるは負けない。自分史上MAX59kgにはまだ至っていない。まだ至っていないからだ!(自慢することじゃない)今週以降は少し意識して。寝る前ストレッチとかしてみようと思います。頑張ります……。
2022/04/23
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去年9月に来たワサビ。現在(多分)10ヶ月。こんなに大きくなりました。ヨモとは結構関係性ができてきたけど、クロちゃんとはまだ闘いが続いています。それにしても大きくなったなぁ。シッポモフモフです。
2022/04/20
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私はラジオが好きで、それはもうZIP-FMが開局した頃からのヘビーなラジオ好きで今も朝はラジオを聴き、週末となれば一日聞いていると言っても過言ではない。基本家から出ないからね。で、ここ長いことちょっと楽しみにしているのが日曜の9:45からの15分番組「ベルセレマpresents LAST SONG」http://www.fmtoyama.co.jp/sp/program/details_71.html富山と石川だけの放送(まあラジコ先生がいたらどこでも聞ける時代ですけども)みたいですがこれがなかなか。ベルセレマというのは冠婚葬祭の企業なわけでそこが後援してるってことはお察しの通り、ラストソング=最期の曲ってことで自分の葬儀にかけて欲しい曲をリクエストで募りそれを紹介するという番組。日曜の朝から攻めてます。でも結構いいんですよ。最期の一曲。自分は聴けないとしても皆に聴いて欲しい曲、つまりは自分を顕す曲ということで。皆さんの一曲を聴いていると割とその人となりが伝わってくる。ちなみに、父の葬儀のときには「岸壁の母」を流したんだよなぁ。母のときにはそういう発想がなかったから何もなかったけども流すとしたらなんだったかな。昭和歌謡が好きだったから「ブランデーグラス」とか「時の流れに身を任せ」かな。でもやっぱり「川の流れのように」がいいかな。翻って、自分はというと実はもうエンディングノートに書いてある。渾身の3曲。そのうちの一つをご紹介しよう。サイハテ初音ミクのわりと初期の曲。って2008年ゆうたら本気で初期だな。その頃から思い入れの強かったこの曲はラストソングに相応しいんじゃないかとずっと思っていた。みんな、泣いてくれよ笑つうか自分が一番に泣く曲でもある。母が亡くなったことを思い返してOTTOさんが亡くなったときには目がぶよぶよになるくらい父が亡くなったときには改めて大気と同じになった人たちに感謝と寂しさと愛を込めて。そして最後に自分自身に向けて流してもらえたらいいな。え?後の2曲?それは当日、来てくれた人へのお楽しみということで。
2022/04/17
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ついこの前まで「一年前には」と思っていた。一年前には父はまだ生きていた。遡れば一週間前には、と思っていたのが一ヶ月前には、となり半年前にはそして一年前には。時間は同じ速さで過ぎてゆきそして今、たとえ一年前に戻っても父は存在していない。父が亡くなったその日、私は有給休暇をとっていて友人と会う約束だったのだけれど新型コロナの影響でその話が流れ、することがなくなりいつものスパ銭でサウナに入っていた。今年もまた休みをとってスパ銭に行った。ぼんやりと空を眺めながら風に吹かれて、生きてることを実感する。一周忌が終わり、この一年で色んなことが凄まじく変わってしまったと感じる。父が生きていたなら。そんなことを何度も考えたし、まだ、泣く。母が亡くなった時も何度も思ったことだ。この悲しみは乗り越えられると知ってはいるがそうたやすく乗り越えられるものでないことも知っている。この先何度も何度も迎えるであろう喪失感と悲しみ。まだ切り替えはうまくできないけれど遺してくれた楽しかった出来事や嬉しかったことは忘れないでいよう。思い出せば泣けてくるけど、いつまでも忘れないでいよう。ねえお父さん。そう、お母さんも、一緒にね。
2022/04/16
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ちょっと奥さん、大変よ。ワタクシもる体重が増量中です。正真正銘、更年期のババアとなった今何もしてなくても太るのに加えての毎日のご飯が美味しい現象。そりゃあ太るよね!!!って納得している場合ではない。ブラックな職場でワーキングしていた頃から実に5kg増。この体にネコ一匹仕込んでしまったかの如くのメタモルフォーゼ。これではいかん。何よりいかんのは制服が徐々にパッツンパッツンになってきたことだ。これはある日破れるフラグだ。デンジャラスケンシロウ。というわけで、少し食生活を見直しーの体を動かしーのでダイエット、というよりは減量を始めたいと思います。(宣言しとかないとダレてしまうからね)さあ57kgからのスタート。どこまで頑張れるか私。
2022/03/26
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あれは今を去ること4年前の春。それまで臨時職員として働いていた職場を契約満了で終えるにあたりどーしよーと思っていたらそこで仲良かった人から「私が前にいた職場、産休代替の人探してるからどう?」とお声がけがありじゃあ折角だしと応募したのでありました。(でも応募書類の種類の多さやら煩雑さやらで心折れかけたのも事実)(てゆかそこで「(書類めんどくっさいので)やっぱ(応募すんの)やめます」と言えばよかった)そんな風に思い出す時点でお察しではありますがそこは私の知る限り最高に最低のブラック職場でありました。紹介してくれた人は上の人のお気に入りだったようで、待遇は悪くなかったかもしれないしその伝手があるからか私にはそこまで風当たりが強いわけではなかった。詳細は避けますが、それでもあそこはドチャクソ黒かったということだけは確かだったわけで。繰り返しヒスパニちゃんの「A:LIVE」を聴きながら『死にたーい!!! 死にたーい!!! 死にたーい!!!!!』と歌う日々。まあ、そんな日々の中でも友達と呼べる存在ができたりもしていまだ交流もあったりして結果ALLRIGHT、無駄な日々ではなかったんだけどもね。で、そういう日常の中通勤路でとある父子と出会いました。スポーツケッタに跨った父が大きなランドセルを背負った娘を見送るという図。娘さんは小学校低学年か中学年だろう。パパを何度も何度も振り返りながら学校への道を歩いていく。父はただその姿を見守り、娘が振り返るたび何度も何度も手を振っている。その手にはショッキングピンクの手袋。おそらくは遠くからでも目立つように・離れたところでもわかるように。時間の関係で彼、彼女らを見かけない日もあったが8割くらいの割合で出会っていた。一年が経ち、私はまたしても任期満了でその職を離れたがなんとも奇遇なことにウキの高校がそのルートにあり、朝は送っていくこととなったため引き続き彼らを見守ることとなったわけである。とはいえ、時間帯も変わったため頻繁に見ることはない。2割、1割くらいの確率か。そんな風にして時が経つにつれ、彼女の背は伸びて父を振り返ることは少なくなっていた。それでも父は交差点でずっと娘の姿が見えなくなるまで佇んでいる。なんか少し泣きそうな気持ちになりながら私はウキにこの二人のことを話した。そしてウキも高校3年となり、登校する日も残りわずかとなったある日。「あ、あの親子じゃない?もしかして!」ウキがそう言い、見れば確かに自転車に跨った男性は父親だった。しかし手を振って別れたのはセーラー服の女の子。そうか、中学生になっていたんだ。父は変わらず娘の背を見守り、佇んでいる。涙が出てきたことをウキに覚られぬよう鼻声をごまかして相槌を打つ。そうだ、私も君たちをこうやって見送ってきたんだ。その背中が見えなくなるまで時々振り返って挙げる手が見えなくなるまで。ずっと手を振っていた。今日が子どもらにとっていい日でありますように悪いことが起こってもすぐに助けてあげられますように二人が笑顔で家に帰ってきますようにたくさんの願いを込めて祈るように毎朝、その背に手を振っていた。そうして誰かを見送ることはもうないのだろう。その事実に向き合えば寂しさと懐かしさでやっぱり泣けてくるけれどこっぷが小学生になってからウキが高校を卒業するまで実に16年間悲壮な出来事なく過ごせたのは何よりのことであったと思う。きっと今日もあの父子はいや、どこかでたくさんの親子が私と同じように祈りながら朝の「いってらっしゃい」をしたのだろう。そして私も願うのだ。ありとあらゆる全ての人達が幸せな一日を過ごして無事に家に帰ることができますように。いってらっしゃい。
2022/03/17
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今日は美容院にGOしてきました。えー、10年前からね、言ってましたけどもね私すごい白髪なんですよ。日記を遡れば2009年から白髪と戦っている。で。ここ数年はもうね、白髪を染めるのやめましてん。だってイタチゴッコですよまさに。染めても染めても白髪ですよ。白髪以外のものが生えてこないっていうね。だからもう共生の道を選びました。とはいえ、甘んじてゴマシオ頭になるのは癪なので ブ リ ー チ し て や り ま し た 。黒く染めるのではない。むしろ逆ハイトーンにしてやるわいと。この歳にしてそっち側です。ただ職業がまあなんだお固いやつなんで表面は大人しめで内側がっつりブリーチしてカラートリートメントで色入れてトンデモな感じに。そうして日々を往なしそろそろ伸びた髪がまとまりつかんようになってきてしまったので腹を括り行ってきたと。そういうことであります。前回も同じように全体に明るめメッシュをガツンガツン入れてもらって紫に染めてもらい色落ちした後もなかなかいい感じに色を抜いたところが馴染んでたので今回も同じ流れで。韓国風巻き髪ヨシンモリにしてもらっちゃってご満悦。若かった頃、50代の女の人なんてぐるぐるパーマのショートか夜会巻きの奥様しかいないと思ってた。だから自分が50歳を超えてこんな髪型をしてるなんて考えたこともなかった。でも楽しいよ!次は裾カラーにしてやろうとか考えてるとワクワクしてくる。楽しいのは何にも勝るよ!他でもない自分のことだからね。鏡を見るたびに『うぉっ!いいじゃん!!』とか思っちゃうの幸せすぎる。いくつになってもお化粧して髪の毛整えて思うままにピアスを付けて好きな服を着るんだ。誰が文句言うわけでもない。もう私に難癖つける人はこの世にいないから。残り30年(おそらく)。一番充実した日々にしてやるぞい。
2022/03/13
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3月もこの頃になると朝6時も薄明るい。春が近いんだなぁと思いながら、起き上がる。そして現世を去っていったひとを想う。OTTOさんあっという間に2年が経ってしまったわけだけども、そういう自覚はありますか?いやぁ、私の方はOTTOさんがいなくなっちゃってなんか何するにも張り合いがないなぁと感じています。楽しいことも悲しいことも、いつもOTTOさんの言葉で盛り上がったり癒やされてきたから。あなたのいない人生がこんなにも平坦だとは。そういえばね、ウキがね、名古屋の某大学に入ったんですよ。私が成し得なかったキラキラした大学生活をね…っていやそうじゃないw初めてお会いした時、覚束ない足取りだった娘が大学生に。ねえ、時の経つのは早いですね。そう、ずっとこのまま皆で年をとってきっかけがあれば集まってなんてそういう未来がくると信じて疑わなかった。もう二度と会うことはできないけれど、あなたのことを忘れることはありません。絶対ありません。どこかからきっと見ていてくれると信じて明日もまたがんばります。一緒にいた時の楽しいことだけ思い出しながら。
2022/03/12
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先日のこと。だんなさまの運転で帰宅途中、交差点を右折すべく右レーンへ。前方既に矢印信号。少し前をゆく車が曲がっていくのを見ながら我々も右へ。そして次の瞬間それは起こった。どっかん。直進する前方の車に右の細い道から一時停止もせず出てきた車がぶつかった。え。うそ。固まる夫婦。押し出され、センターラインを越えたまま動かなくなった自動車には初心者マーク。ぶつかってきた車はバックして今来た道を戻る。かろうじて一台通れるようになったその道を一旦過ぎて車を停めただんなさま。「手伝ってこようか」がってんしょうちのすけ!初心者マークさんは若いお姉さん。弾丸カーはおっさん。パニクりながらなぜか家に電話をかけているお姉さんと携帯をわすれてきたというおっさん。スマホを取り出す私。でもね、今日びすごいですよ。通報したらもうGPSでそこがどこかほぼ確定。そして私の電話番号も言わずともわかる。だから向こうからの質問に答えるだけでOKというベリー・ベリー・簡単タスク。 けが人はいますか 何台の事故ですか 何色のどんな車 ナンバー4桁はそんな感じ。見たところ、お姉さんの車にもドラレコが付いていたんでそれを見れば一目瞭然でしょう。うちの車にも付いていたんで何かあれば力になりますぜ。そうこうしていたらお姉さんも警察に連絡したようでお役御免。いやー。なんだっけ。なんとか警察24時みたいな展開。家に帰って早速自分ちのドラレコのMDカードを再生しながらだんなさまと改めてビビりました。真面目に走っていても、こうして「もらっちゃう事故」ってのもあるのよねぇ。それはもう運でしかなくて。取り敢えずその夜はこっぷに注意喚起のメッセージ送りました。で、この一件で一番ためになった事実が一つあるんですが、いいですか。8GBのメモリでは一時間しか録画しなーい!!!もちろん上書きしまくってくれてるので録画はされてるんだけど直近1時間くらいしか残ってないの。だからもしも何かあってとっておきたい時にはもう一枚買って持っておく必要があると。平和な毎日が続いていると忘れがちなことだけど平和なうちに準備しておいて、いざという時に備えるってのは災害に対してだけではないんだよね。なんてことを思った次第でございます。
2022/03/11
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今週末はこっぷが卒業前帰省。1月末にめでたく運転免許をとったので「ドライブしよう!」とのお誘いだ。ドキドキすぎる。実は私の母親は運転免許を持っていなかった。だからどこかへ出かけるとなると徒歩か自転車かバス。そのためあまり母と二人で出かけた記憶がない。しかしながら我が家では日常的に私が運転しているため、どちらかというと子どもらと私で車に乗るほうが圧倒的に多くて、それは彼・彼女らが年端もゆかない幼子の頃からの常であった。助手席のチャイルドシートに乗っけたこっぷと青い206に乗ってあちこちへ走る。背後のベビーシートにはウキ。流れているのはスピッツ。「ちぷっちゅ」とこっぷが言う。ちゃいまんがな、と心で突っ込みながらカワイイなあとか思って頷く。車を買い替え、助手席のこっぷはチャイルドシートなど要らぬほどに成長した。背伸びしないと見えなかった景色は楽に見渡せる程に背も伸び中学の制服が高校の制服に変わり、そして遠くで暮らし始めて一緒に出かけることもなくなった。「よっしゃ、じゃあ行きますか!」慣れた手付きでこっぷがエンジンをかける。慎重に動き出す車。カーステレオからは変わらぬマサムネさんの歌声。ハンドルを握るこっぷと助手席の私。あの頃の私は想像していただろうか。エモい、ってこういうことなんじゃね?そうして、こっぷの運転でクルーズターミナルとイオンモールへ行ってきた。初心者とは思えぬ余裕さと落ち着きは彼の才能かもしれない。初心者マーク持参で来たのもちょい乗り保険に加入済みなのも、もう何もかも流石の一言だ。 夢の中を月日が過ぎて一緒に過ごしたあの日々は本当に流れていた時間だったんだろうか?夢のようにぼんやりと、でも処々リアルな記憶。そしてまた同じだけ過ぎていった時に何を思うのだろう。モールのあるお店で商品を見ていたら大きな風船をもらってしまった。なぜか私にまでくれて。しばらく二人で持って歩いていたけど、もっと喜んでくれる人にあげた方がいいんじゃないかという話になって。いい相手はいないかと探していた矢先に見つけた、ベンチで休んでいた親子連れの姉弟にもらってもらった。あの頃のこっぷとウキのような二人。時間は止まらない。早くはないが遅くもない。ただ一日を只管積み重ねていって、今がある。でも50年も生きていれば振り返ると気の遠くなるような時間が連綿と続いていてそして命が尽きるまでまた、脈々と続いていくのである。先に何があるのかはわからない。あの頃の自分ですら今の自分を予測することはできなかったわけだし。でもまた明日から・いや、今このときからまた、私は日々を重ねていくのだ。薄紙を重ねるように。階段を一段一段登っていくように。ただ、色んなものが変わるにしても変わらないものも必ずある。それはさ君等への愛情なんだよな。こっぷ、ウキ。生まれてから今までもこれからも。どんな境遇になっても。一緒にいても離れていても。灯台みたいなこの家でいつでも待ってるからな。 あの懐かしい人が待ってる georgetownBYGEORGETOWN加藤和彦
2022/03/05
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ウキが生まれて、翌年の春におやっさんから雛人形を贈ってもらった。さすがに七段飾りは丁重にお断りしお内裏様とお雛様の三段飾りでお願いし。その年はちゃんと飾りまして、後は……。後……。翌年……?いやーもう記憶にない過去の話でして。で、家をリフォームしたんですよ。それもまた何年前ですかね……。それがなにかっていうと、そのタイミングで要らないものを一気大放出したわけです。その時に粗大ごみ系は何でも出していいよと言われひな壇はでかいし捨てるか、となり飾りはとっといて屏風とか壇はさようならしたのでした。そして何事も起こらず時は過ぎ昨年の秋。何年ぶりかに再会した幼馴染のKと他愛のない話をするうち彼女の顔つきが変わった。なんじゃなんじゃ。「もるちゃんさあ、信じるか信じないかは任せるけどね〜」頼まれてもいないのに話し出すK。通常営業である。彼女の家はかつて商売をしていて多種多様な人々が出入りしていた。店に来る常連さんを集めてのディズニーツアーやら温泉ツアーやら結構縁深く付き合っていたのである。だから店をたたんだ後もその頃の常連さんが家に遊びに来るのはまぁ当然の流れだろう。その中で霊感のある常連さんが久しぶりにやってきたという。「しばらくして、その人が『ねぇ、やっぱり気になるから言ってもいい?』って言うんだわね。で、何?って言ったら『どうしてもあっちの方に変な”気”がする』つって」家の奥だから行ってもいいかと断った上でどんどんと入っていく。Kもその後を付いて行く。その人が立ち止まったのはある部屋の中のタンスの前。「この上。何かあるよね?」そう言って指差した先には古びた段ボール。Kは続けた。「ビックリしたてー。その中には私も忘れとったけどお雛様、入っとったんだわ」その人の言によれば、人形というものは「見て欲しい」ものだという。見て、愛でてほしいものだと。それなのに箱にしまわれたまま何年も何年も出すことも愛でられもせずにいたため大変に拗ねて怒ってちょっとやばい感じになっていたとのこと。彼女には子どもがいたけども男子だったのもありお雛様は何十年単位で出していなかったという。で、急いで神社で家内安全の御札を戴いてきて供えてしばらく飾り、これからは年一で出そうと心に決めたと。いう話を聞いて戦慄したわけです。うちにもおるやーーーーーん!!!!!!しかも、おやっさんが処分するっていうから忍びなく引き取ってきた実家のお二人も!!引き取って以来出してもないやーーーーーーんんんん!!!!!!!!!「いきなり出したらいかんらしいよ!」というKの言葉に従い、家内安全の御札を二組4枚買い求め、まず実家の御仁の箱に供える。そしてニューカマー(いやもう20年近く前だが)のお二人がいるであろう段ボールにも御供。一ヶ月ほどして謝罪しながら人形を取り出し、飾るべくまずニューカマーの箱から……。あれ?あれ??いくつかある箱の中からは橘と桃の木とか、牛車とかぼんぼりとかは出てくる。しかし人形らしき姿はない。待って待って。本体は?!本体はどこ?!?!?!? Nothing…呆然としつつも、とりあえず実家からのお二方を取り出し飾る。あれぇ…どこいったの……。どうしちゃったの。どうなってるのどうなってるのーこの島はー(にこにこぷ○)そしてはたと気づいたのである。あの粗大ごみ一掃セールの日々を。お雛様さん、ひいては、おやっさん…ごめんなさい。折角ステキな節句飾りを、ごめんなさい。私は何の躊躇いも疑問もなくひな壇と共にメインキャストを捨ててしまいました。奉った実家から来たお二人のお顔が気持ち、同情するような憐れんだような表情に思えたのはやはり私の気のせいでしょうか。これを目にした皆様、まだ間に合います。お家にいらっしゃるお二方(三人官女以降は出しても出さなくても大丈夫らしい)どうか一日でも出して愛でてあげてくださいな。
2022/02/26
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些か早い気もしますが、ウキが家を出ました。新居はワタクシの実家からほど近いところ。ケッタで10分程度かな。おやっさんが生きていたらどんなに喜んでくれたことか。でも現実にはおやっさんはもういないわけで。だけどきっと見守ってくれていると思うんですよ。引っ越しはハイエースを借りて自力で。積み下ろしの間はこっちもあっちもお天気は保ってマジでおやっさんとおかんのパワーじゃなと思いました。ガスだけが通らないままだったけど、電気も水道も来てるからほぼ問題なし。荷物の設置やらあれやこれやをしてだんなさまと私は帰宅。娘のいない我が家。ガランとした娘の部屋。いつもと同じなのに、いつもどおりじゃない我が家。引っ越し作業の合間、新居から買い出しに行く時に、少し照れたウキが「これ」と渡してくれた赤いハートのシールが付いた手紙の中では「自慢のお母さん」と私を呼んでくれていた。ありがとうね。ほんとに、それだけでも相当嬉しい。私は、申し訳ないことに母を自慢と感じたことがなかったんだ。彼女は偉大な母だと思うし、唯一無二の存在だと思う。間違いない。けど友人に誇らしく紹介できるひとではなかった。でもウキは私のことを友人にそうやって紹介してくれていて、その上羨ましがられてもいたなんて涙しかないじゃない。できた人間じゃない。良い母でもない。自覚はある。クソみたいな失敗も酔っ払いの醜態もいっぱい見せちゃってきた。それでもただ、子どもが幸せになって欲しい・生きていてよかったと思って生きて欲しいとそれだけだったと思う。嬉しい時に一緒に喜んで、悲しい時に一緒に泣いて。そんなんで良かったんかな。良かったんだな。きっとな。生きていく場所は選べるようで選べない。その時、その状況でやっていくしかなくて。でもそこでたくさんのものを得て花を咲かせることができたならそれは素晴らしいことだからね。ウキ、あなたの人生の新しい日々がまた美しく豊かなものでありますように。その毎日がどうか守られますように。
2022/02/20
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えー、今年はほんと色んな事が予定に立っていてですね春まででこっぷの卒業&就職に伴う引っ越しウキの卒業&進学に伴う引越しおやっさんの一回忌と通常なら一つがでっかいボンバーみたいなのが3発来るわけです。でもね子育てに関しましてはここに至るまでになかなか長い月日がかかってるわけでして。そして長い月日の最初の頃なんてマジでもうキッツい日々だったわけで。言語での意思疎通のできない3歳位までってーのはもうね正直ネコ以下なんではないかと。むしろネコちゃんはね、オムツなんかしてませんし最低限自分で下の始末するじゃねえのと。でもお世話する人される人ですよ。ゆうてこちらは誠心誠意尽くして。なのに夜になると絶叫し始めるのは何だろう。前世の記憶が蘇るんでしょうか。呪われし左手(いやもう目でも鼻の穴でもなんでもいいです)が疼いて過去生の過ちを償おうと悶えるんでしょうか。そんで何の罪もない、ただお前を産んじゃっただけの母たる私を苦しめるとか やめてもらっていいですか(本気の眼差し)でもね、振り返ってみれば3/18年で。つまりは1/6ですわ。約分したら。その(今だから言えるけど)僅かな日々、だけど極悪非道な日々を乗り越えてきた私すごい!(自画自賛)で大きくなって。まぁ結局子どもってね、親元を去るんですよね。あんなに手にかけて大事にして面倒見ていつも考えてきた、あの子がね。遠く離れた土地で一人で頑張っていくのを手出しできずに見守るしかできないんですよ、親は。あたしゃあ二回目ですよ。それがね、慣れないんだよなぁ。寂しくて心配で。だけど勢いよく送り出してやらんといかん。 あんたがおらんくなってもこっちは何にも変わらないからねなんて風に。ね。あー!これって二十何年前のおやっさんと私みたい、と今気付きました。変わらないわけがない。寂しくならないわけがない。大丈夫なわけがない。でも、親はそうやって子どもを見送るんだなあ、と。いつだって会える会おうと思えば会える確かにそうなんだけど、これから「年に何度会える」んだろうね。親元を離れて生活すること。それが悪いことではない・むしろ子どもの人生にはいいことだろう。寂しいのは主に親であろう。ならば親が割り切ればいいだけのことではないか。そして実際そうやってきたわけだけど。ふとした拍子に20年前の今を思い出すことがある。こっぷとはまだ言葉で思いを伝え合えなくてウキはまだ存在すらなかった頃。未来に何があるのか予想もつかなかった日常のこと。今、あの時夢想していた場所に私は立っている。ちびっこ達がいっちょまえの大人になって手が離れて。一人で住む場所を決めて就職も決まり、生活を続けていこうとしているこっぷ。誰にも頼れないとしても一人で生活をすることに決めたウキ。夜泣きしまくり理不尽に怒りまくっていた幼子は18年経って未来に期待を膨らませ自分で荷物をまとめて家を出る支度をしている。ここがゴールではないのは重々承知。スタートと呼ぶべきなのかも少し躊躇う。日々は滔々と流れ幸も不幸も逗まることなく過ぎ去ってまた長い月日が流れて私は振り返るんだろうな。その「未来」に立った時に。
2022/02/06
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ウキ移住計画は着々と進んでおりまして。実は賃貸契約をも交わして、来月には鍵も受け取るのでいつでも住める状況。そして今彼女は少しずつ荷物を詰めておるわけです。新生活は寮だったこっぷと違いゼロからの出発。いやー、要るものの多さときたら。ゆうて100均でほぼ揃えてきましたけども。ちなみに一番最初にカゴに入れたのは「みそこし」。味噌汁好きだもんね。部屋にダンボールの箱が積まれていって、入学式の為の靴や鞄を準備してその日が近づいてくるのを感じると不思議な気持ちになってくる。こっぷは結構家にいない息子だったけど、ウキは割と家にいて週末に二人で買い物にでかけるのが常だった。これから…早ければもう一ヶ月後にはいなくなってしまう。4年前の春も喪失感でぼんやりしていたけど、今回はその比じゃないかもな。粛々と準備をしているけど、じわじわと寂しさを感じつつ。
2022/01/30
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