此の地蔵尊は宝暦時代(1750年頃)、約230年前より祀られていたと思われます。石仏で等身大で蓮華上の座像でございます。御堂の前の道は俊徳街道で、平野川に架けられた石橋の傍らにありましたので、清い流れと共に景色も良かったので、河内高安の長者の嗣子の俊徳丸が四天王寺へお参りの際には休憩されたものと、古老より言い伝へられております。東地蔵尊と共に当地の西の守り仏として、昔より住民の皆様より大変親しまれて、朝夕はお線香の断へたことがない有難いお地蔵尊でございます。とありました。
道標生野ライオンズクラブがこの説明板を寄贈したんですね。
東面 (文字なし)
西面 右八尾 久宝寺 信貴山
南面 左大阪
北面 慶応丙寅二年 鐘講
この道標は 慶応二年(西暦一八六六年)に建てられたものです 当時は 江戸時代から明治時代に移り変わる寸前で 幕末の混乱した時代でした
江戸時代では 「大坂」の字が多く用いられていましたので 「阪」の字をつかったこの道標は 非常に珍しいものといえましょう
西面に「右八尾・久宝寺・信貴山」とあるのは 当時 近畿地方の人たちが さかんに信貴山に お参りしたことを示しています
南面に「左大阪」とあるのは 鶴の橋をわたり大阪へ向う人びとの正面に読めます
郷土の人たちが残されたこの貴重な文化財をいつまでも大切にしたいものです
昭和六十二年十一月
猪飼野保存会
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