パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

●ヨンハストーリーNo.1


●「 パク・ヨンハ韓流ストーリー )
  ・パク・ヨンハ韓流ストーリー、No.1 (2008.4.2) このページ
  ・ パク・ヨンハ韓流ストーリー、No. (2008.4.3)
  ・ パク・ヨンハ韓流ストーリー、No. 3~5 (2008.4.8)




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  ・ 韓国ニュース 写真 (韓国語)(2008.4.2)
   ・ ニュース翻訳 (日本語)
  インタビュー&ヨンハ写真、3枚
     ↓
●( パク・ヨンハ韓流ストーリー、 No.1)

 「勝機の土地日本定着
 ‘ウンチルギサム(運が7割で才能3割)?分かってみれば努力派だった’」

 タレント パク・ヨンハ。
 去る2003年初放映されたドラマ「冬のソナタ」で
 ‘サンヒョク’キャラクターで多くの愛を受けたし、
 現在人気の下に放映中のSBS水木ドラマ「オンエア」の
 艶がないように俗情深いイ・ギョンミンPDを熱演している
 いわゆる上手く行く俳優だ。

 ヨンハは「オンエア」で5年ぶりに韓国テレビに復帰しながら各種インタビューを通じて
 ヨンハ「 韓流スターという背光を着たくない
 という意思を明確にしたことがある。
 しかし2002年頃からファンたちの注目をあび始めた彼の履歴の相当部分が
 日本で成り立ったためだろうか?
 ヨンハを説明するのにあたって韓流スターというタイトルを
 取り残そうとすれば何か物足りなさが残る。

 多くの人々はヨンハが「冬のソナタ」の人気に力づけられて
 特別な基盤なしで日本にふらりと渡っていったと記憶するのに
 いつのまに彼は「ヨンハチャン」という愛称を得て、
 数万人に達する雲群れみたいなファンたちを連れて歩く韓流スターになった。
 さらにヨンハは2004年から今年に至るまで
 日本ゴールドディスク4年連続受賞という快挙を達成して
 日本国内韓流の中心にそびえ立っている。

 海外舞台に進出して5年が過ぎる現在までも
 人気正常軌道を走っているパク・ヨンハ。
 もしかして未来を見抜く予知力や先見の明があったことではないだろうかと
 疑問を感じるほど彼の日本進出は外見上確かな道路だった。
 ここにヨンハ本人が話す韓流スターとしての行績が知りたかったし
 ‘オンエア’撮影で忙しい日々を過ごしている彼に会うことができた。


 ◆成功秘訣は?冬のソナタ+韓流ブーム+α

 パク・ヨンハに願っても願わなくても
 もう韓流スターという修飾語を離すことは難しくみえる
 尋ねたところニッコリ微笑みながら
 ヨンハ「 ただ感謝するだけ 」と言いながら謙虚に話し始める。
 ヨンハは自分の韓流成功秘訣は
 ヨンハ「 三拍子がよく合致したため
 と説明した。

 彼の言葉のようにヨンハは「冬のソナタ」を通した俳優イメージと
 「初めて出逢った日のように」など歌の実力を揃えた歌手イメージ
 これに加えてその当時に吹いた韓流ブームがかみ合ってシナジー効果をみた、
 明らかに‘運が良い’ケースだ。
 また初めて日本に進出した時はペ・ヨンジュンが先に日本に上陸して
 爆発的な人気を享受して日本ファンが韓流に目覚めるようにした時点だったので
 ヨンハとしては後発走者という負担よりも
 いわゆる‘錨(いかり)’を付けたように巡航することができた。

 ヨンハ「 日本芸能界に進出するというよりは
   招かれて挨拶のため日本に行きました。
   初めは500~1,000人位 来ないか期待したが
   到着してみるとファンたちが8,000人も来ていたのです

 と感嘆した。
 結局当時ヨンハには羽田空港入国禁止令が下されたほどだ。

 ヨンハ「 とてもいい気分だったです。
   想像もできなかった、信じられないことが
   私の前に繰り広げられているのにとても驚いたし
   感動が押し寄せて思わず涙が出てきました

 と言って僅かな微笑をした。

 以後ヨンハは常に走り続けた。
 舞台に上がって挨拶をしながら歌を歌ったのに
 意外に良い反応を得てマスコミに集中したことはもちろんで
 アルバム提案までどんどん入ってきた。
 ヨンハ「 その時からは精神ぴっちり持ちましたよ。
   もうちょっと深思熟考するようになりました

 と話した。


 ◆α、歌手パク・ヨンハになって日本舞台に安定する

 ヨンハ「 単発性人気かも知れないが新しい所での機会と考え 」と
 日本市場に公式に門を叩いたヨンハはアルバム発売と
 生放送舞台やコンサートなど自分だけの韓流で道を切り開き始めた。
 しかしヨンハは日本の各種放送番組で、
 ‘韓国最高の歌手’という上向き修正されたプロフィールで紹介されて
 困惑していたこともたびたびあるほどだったと
 笑うことができないエピソードを公開した。

 ヨンハ「 率直に話しました。
   実際は私はOSTを歌って歌手になっただけで
   あまり有名な歌手ではないです。と、そう僕が言ったら
   むしろ彼らは謙虚だと言って、より一層称賛をするんです。
   とてもいたたまれない気持でした


 謙虚と猫かぶりという反応を行き来しした彼に
 日本ファンはより好意的な反応を見せて
 ヨンハは結局は‘謙虚な男’というイメージまで得ることになった。
 作戦が成功したことなのかと皮肉に聞き返すと
 ヨンハは真剣な言いぐさで
 ヨンハ「 イメージが良くなったのは良いが
   実力より名前だけずいぶん上がってくるのは嫌いだったんですよ。
   とても責任を感じたんです
」と打ち明けた。

 しかしヨンハはあせらないように一歩ずつ踏み出して2008年今日に至った。
 事実上韓国活動はオールストップしたまま日本活動に集中したヨンハは
 日本で歌手で本格デビューして毎年シングルアルバム3~4枚と
 正規アルバムなどを発表して黙々と自分の席を作った。
 日本デビュー初めには「冬のソナタ」に乗って来た日本ファンたちが多かったが
 長い間の音楽活動のおかげで「 今は若いファンたちも多くなった 」として
 まるで幼い子供のように胸がいっぱいに思った。


 ◆階段は必ず一歩ずつ、努力の前に商売ない

 ヨンハは自分の日本活動歩みを‘階段’に比喩した。
 インタビュー始終階段という言葉を何回繰り返したヨンハは
 ヨンハ「 私がここまで来たことが決して運だと思いません。
   本当に努力をたくさんしたんですよ

 と言いながら断固たる態度を見せた。
 きちんときちんと一階段ずつ踏んで上がったヨンハ。
 努力の前に商売ないという話があるように
 日本は彼を歓迎したし今はどこへ行っても数千人のファンが彼と伴う。

 特にコンサートで直接ファンたちと疏通するヨンハは
 デビュー当時の日本武道館の1万5,000席を売り切れさせて
 現地関係者を驚かせるほどの韓流パワーを誇示することもした。
 ヨンハ「 ファンの愛に感動して密かに胸熱くなったことがある
 と、照れくさがった。
 常に走り続けて一瞬自慢のように聞こえることがある言葉が
 彼の本心と共に伝わってまるで‘人間劇場’の初盤部を見るようだった。

 しかしどうしてただ一瞬間も危機がなかっただろうか。
 ヨンハにも他人が知り得ない涙と苦労があった。
 5年余りの日本活動であきらめなければならなかった幾多のものなどと
 これによるスランプ及び悩みなどに彼はどのように対処して
 どんな努力で乗り越えただろうか?
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     ・ パク・ヨンハ韓流ストーリー、No. (2008.4.3)
     ・ パク・ヨンハ韓流ストーリー、No. 3~5 (2008.4.8)




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ヨンハのプロフィール





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