パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

●ヨンハストーリーNo.2


●「 パク・ヨンハ韓流ストーリー )
  ・ パク・ヨンハ韓流ストーリー、No. (2008.4.2)
  ・パク・ヨンハ韓流ストーリー、No.2 (2008.4.3) このページ
  ・ パク・ヨンハ韓流ストーリー、No. 3~5 (2008.4.8)




park_094

  ・ 韓国ニュース (韓国語)(2008.4.3)
  ・ ニュース翻訳 (日本語)
    ↓
●( パク・ヨンハ韓流ストーリー No.2)

 山越えてまた山、スランプ克服後期は?
 「長い間修養した気持ち」

 現在パク・ヨンハは、SBS水木ドラマ「オンエア」で
 イ・ギョンミンPD役を演じて既存の柔らかくて優しいイメージで
 少しは艶がなくて確信ある放送局PDで熱演中だ。
 ‘オンエア’は去る2003年KBS 2TV「Loving you」を基点に
 日本活動に力を注いできたパク・ヨンハが
 5年ぶりの復帰作に選択した作品で
 彼はその間心の中に抱いてきた韓国活動に対する情熱を
 たっぷり込めて自然な演技をお披露目している。

 パク・ヨンハがおよそ5年の間に日本活動に力を注ぎながら
 本来の韓国ファンたちは彼の姿を簡単に見られなかった。
 時々聞こえてくる日本国内歌手活動の情報と
 日本ゴールドディスク受賞の情報ぐらいが
 マスコミを通じて接することができるヨンハの活動の全部だったし
 いつのまにかファンたちはヨンハを‘俳優パク・ヨンハ’と思うより
 ‘韓流スターパク・ヨンハ’と認識し始めた。
 これはヨンハが最も一番に恐れた部分でもある。


 ◆努力で山ひとつは越えた。 しかしその後にはもっと大きい山が堪えている。

 日本に上陸して期待以上の歓待を受けたというエピソードを公開したヨンハは
 ヨンハ「 日本で私の能力以上に過大評価を受けながら感じた負担感は
   私の実力で飛び越えようとしました。
   おかげでもの凄く努力しました

 ヨンハは一年に3~4ヶ月以上も日本に滞留しながら
 歌の練習とイメージトレーニングなどの
 歌手としての基本技を押し固めるのに力を注いだと打ち明けた。
 そのまま、それでは日本にずっといられたのではなかったですね?
 記者の無知を告白しながらヨンハから更に多くの話を聞くことができた。

 確かに去る5年余りの間ヨンハの活動は日本を含めた国外で主に成り立った。
 しかしそれでもヨンハが外国にだけ留まっていたのではない。
 むしろ日本現地活動をしなかった時期には韓国で準備期間を持ったので
 実際に韓国で留まった期間がはるかに長かった。
 それにもかかわらずヨンハの韓国活動はほとんど皆無したようなものだ。
 当時どんな気持ちだったろうか?
 ヨンハは日本活動の常勝疾走で嬉しくて幸せな一方
 韓国活動に対する熱望がより一層大きくなっていったと打ち明けた。

 ヨンハ「 韓国の思いが度々出ました。率直に韓国から
   俳優パク・ヨンハでまともに位置づけることができなかったが
   突然韓流スターという名前を先に得ることになって、
   後で韓国に帰った時どうすればよいのかという心配が大きかったんです


 日本進出してから2年ほど過ぎてからは
 早く韓国活動をしなければならないという思いに捕われた。
 気持ちはやまやまだったのにどうしても時間がなかったそうだ。
 ヨンハ「 良い作品とシナリオが入ってきても
   日本スケジュールの為にあきらめるしかなかった

 ヨンハは二匹兎を全て掴まえるよりも、まず一つに集中することに決めた。
 ここに韓国に対する未練が残っている状態で日本活動を続けた。

 しかし精神的な苦労が侮れなかった。
 ヨンハは韓国で日本活動準備で玉の汗を流している時も
 内幕を知らない人々が“活動しなくて何するの?遊んでいるのか?”
 という声を聞く時は悩み苦しんだりした。
 ヨンハ「 私もそうでなくても韓国で活動したいんだけど。速度知らなくて・・・
 と言いながら言葉を濁した。

 20代から30代に至る人生の重要な転期だと言えた当時に
 ‘本当に深刻に悩んだ”として話を続けた。
 日本活動を続けていては、
 ヨンハ「 これから韓国で活動しにくいという心配があったよ
 と言って
 ヨンハ「 私のようなスタイルが韓国に帰れば何ができるだろうか?
 という自己恥辱感に陥ったりもしたと。
 心ない状況と韓国活動に対する渇望、懐かしさに鬱病を病んだりもしたヨンハは
 ヨンハ「 ドラマや芸能番組も見なくなっていたよ
 と、まるでカキを掘り下げたような当時を思い出して切ない気持ちにさせた。

 日本にいる時は韓国にパク・ヨンハという人がいないようだったと
 再び始めるのが恐ろしかった時期もあったが
 ヨンハは他の考えを無くすために現在に充実だった。
 1年に3~4ヶ月ほどの日本活動期間ヨンハは
 私生活無しでただ仕事にだけ集中した。
 歌手としての歌の練習は言うまでもなく、
 外出する時は行動に気を付けるだけでなく
 好きなお酒も全く口にしなかったそうだ。
 徹底的な自己管理で雑念を忘れて現在に没頭して
 時々訪れてくるスランプを勝ち抜けた。
 ヨンハ「 振り返えてみたら必ず修養したようですね
 と言いながら笑う姿で一層成熟した肯定的な態度をのぞくことができた。


 ◆あっという間に通り過ぎた5年、もう心の余裕捜した

 一方、日本活動で得た人気の生命力に対する根本的な負担はやはりヨンハを困らせた。
 実力より名声で先に至って現在位置に対する負担が大きかっただけに
 ヨンハは「 努力だけが生きる道 」という言葉を
 何度も繰り返して自分ができるすべての努力を傾けた。
 絶えず前だけ見て走って自らを育てたヨンハの努力と
 現地プロダクション関係者たちの専門的なマーケティング戦略が
 横糸と縦糸のようによく通って
 彼はいつのまにか5年目の正常軌道を離脱しないで
 巡航中の星(star)になった。

 この日、ヨンハは自ら大きい起伏なしに活動を続けられたことを
 自分の周りの人々おかげだと謙遜した。
 まるで映画俳優ファン・ジョンミンの‘揃えた食卓’受賞の
 感想を思い出させるヨンハの姿で真正性が滲み出たから
 彼の言葉は決してスターの表面的だけのコメントとは感じられなかった。

 ヨンハ「 本当にのろく進行されたようだが、
   今考えてみたらあっという間に5年が過ぎ去った

 と、その間に過ぎた時間をかすかに笑いながら思い出したりもした。
 それもそのはず日本で歌手で本格デビューした以後
 今まで毎年シングルアルバム3、4枚と正規アルバムを発表しながら
 私の場に訪れる容易ではない過程を黙々とやり遂げて、
 2004年から今年まで日本ゴールドディスク4年連続受賞という快挙を成して、
 日本国内韓流の中心にそびえ立った。
 一目散に過ぎ去った時間を振り返る彼の姿では
 ある程度の位置に上がったスターの余裕が感じられた。

 期待半分、心配半意の心情で5年ぶりに復帰したドラマSBS「オンエア」は
 常勝疾走していて視聴者たちは久しぶりのパク・ヨンハの演技に好評と共に応援も送っている。
 これから韓国と日本活動を併行すると言うヨンハ。
 5年間の息忙しい競走後に気持ちなだめ中の彼はもう少し心の余裕を探したように見える。
  続きはこちら
    ↓
  ・ パク・ヨンハ韓流ストーリー、No. 3~5 (2008.4.8)






もも色猫「パク・ヨンハ見っけ!」トップ

ヨンハのプロフィール







© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: