パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

パク・ヨンハ見っけ!(もも色猫)

●BAZAAR韓国雑誌


   表紙/イ・ナヨン(韓国女優)

●2008年 8月18日発刊〓
   ・ 韓国雑誌「BAZAAR 」2008.9月号 韓流ショップ
   ・ 韓国雑誌「BAZAAR 」2008.9月号 韓国音楽専門ソウルライフレコード
   ・ 韓国雑誌「BAZAAR 」2008.9月号 韓国広場
・Harper's BAZAAR (ハーパース バザー)
  ・韓国ファッション雑誌(韓国語)
  ・(パク・ヨンハ)、8ページ掲載。
   写真でみたパク・ヨンハの姿




●韓国雑誌「BAZAAR 」 日本語訳
   ↓
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 記 者「 最近は何をして過ごしますか?

 ヨンハ「 ただ会う人にだけ会います。
     以前には趣味生活もたくさんしたのですが、
     最近は、お酒を飲むことの他は 特別に遊ぶこともなくて
     仕事すること以外には 個人的な生活は本当につまらなく過ごしているようです。



 記 者「 B型で、左利き、くせ毛だ。

 ヨンハ「 ところがそんなに我が強くはありません。
     ワンマン人になったら、ひとまず僕が大変だから。
     以前には 固執もあってそうだったがたくさん変わりました。


【ワンマン人】 他人の意見に耳を貸さず自分の思いどおりに動く人。
  【B型、左利き、くせ毛】 韓国では我が強い人だと思われる三つ。



 記 者「 日本進出を前後にして以前と今、自分の変わった点は何でしょうか?

 ヨンハ「 自分自身が変わったことはないです。
     ただ仕事を更に多く、更に面白くできる環境が与えられたことの他には。
     生活環境や周辺の人々が僕を見る視線が変わったんです。



 記 者「 以前より非常に軽くなったようだ。
     率直に以前はオールドのように見えて、息苦しく見えて、退屈に見えた。
     心の中があまり見えなかったが、最近は気持が澄みきって見えるような人になったのでは?


 ヨンハ「 むしろ僕はその時よりもっと暗くなりました。
     以前は人々と会うことが好きで、もっと明るかったが、
     最近は生活半径がとても狭くなって深くなったようです。
     オールドのように見えたのは、若い頃から生真面目な考えを持ってた為かも知れません。
     ‘俳優は演技だけすれば良いだろう。他のところにどうして気を使う?’と思いました。
     だから発展することができなかったんです。
     かえって何の考えもなく これもしてみてあれもしてみたら違ったことができたかも知れなかったが、
     いたずらに我だけ強くて発展することができなかったようです。
     以前に比べてそんな固執はたくさん消えたが、むしろ自分自身はたくさん暗くなったようです。
     たくさん孤独だったり。


【オールド】 古いとか、年老いた、などの意


 記 者「 孤独さをたくさん感じるか?

 ヨンハ「 一番嫌いなことが孤独なんです。
     辛くて大変なことは堪えることができるんですよ。
     ところが孤独なことは堪えられませんでしたよ。
     対策なしに思いっきり孤独なことあります。
     必ずドロ沼のように落ち込みます。とても大変です。
     率直に今もすごく孤独ですよ。
     そのまま僕の一部になったので、あちこち受け止めながら生きているんです。
     いつか良い人に会えたり孤独じゃない時が来るでしょう。



 記 者「 孤独さは人間の原罪だ。 人は誰も孤独だ。
     側に共にする人がいても孤独さは存在する。 ただ、その大きさが大小の差のみ。
     愛で孤独さを宥和させるのはとても一時的なのではないか?


 ヨンハ「 うーん、ずっと愛と連結させるのが嫌いだが、
     よく人々が夫婦や恋人たちに‘とても愛するのも ひと時’ということを言うじゃないですか。
     ところが重要なことは、
     たとえそうだとしても孤独さを感じる状況で帰って話して頼る安息所があるということでしょう。
     でも、僕はそれさえないから。



 記 者「 ふさわしい言葉のようです。

 ヨンハ「 僕は最近とても危ない状態です。
     僕と一番に親しかった大学の友達と通話する時に、僕に‘お前はすごく縁起でもなくなった’と言うんです。
     何故と問ってみたら、言いぐさが‘訓戒組’だと言う。
     教えようとしてあたかも全てを知っているかのように話して。
     実は それを自分自身も感じていたんですよ。
     僕がどうしてこのようになったか考えてみたが、到底分からなかったんですよ。
     それで最近は話す時はいつも控え目です。
     この言いぐさが僕を‘わがままだ’と思わせる道具になってしまったようだからです。



 記 者「 訓戒組の言いぐさは、人が年を取れば仕方ないようだ。
     最近ドラマ‘オンエア’の成功があなたの行動に及ぶ影響はなかったか?


 ヨンハ「 日本で運がとても良かったおかげで余裕をたくさん探したからなのかドラマの成功に大きく影響を受けなかったです。
     もし日本での活動なしで このようにドラマがヒットしたら生意気になったかもしれません。
     成功や経済的な能力に対する男の自尊心のためにヤケクソになっていたはずだから。
     しかし実際それ以前にも僕は少し不足だっただけ大きく不満足ではなかったです。
     人気がものすごく多い人になりたくないです。 もしなりたかったら既になっているでしょう。
     ただ僕が好きで眺める人々の前で堂々と僕がしたい仕事をするよ。
     そのことの結果がうまくいって成功を見せるだけでも充分だと思います
     ‘オンエア’が上手くいったことは ただただ僕はとても有り難いことです。
     僕がしたい演技を再び出来るようにしてくれたから。



 記 者「 日本での生活はどうなのか?
     あなたに対する大衆の態度も、生活環境も全く違った両国でお互いに違う生活を送っているではないか。


 ヨンハ「 生活的な部分で見える僕の姿は全く違うことがないです。
     日本では 一途に仕事ばかりして来ます。
     一度活動する時に過ごす期間がせいぜい一週間、長ければ1~2ヵ月なのに 一途に仕事ばかりしていこうと念を押したんです。
     新しい所から新人の立場で初めて僕のイメージを作るのだから それも悪くないと思いました。
     お酒を飲んで遊ぶのは韓国で充分なんじゃないか。
     日本の韓国人社会で賭けをしたりもするそうだよ。
     パク・ヨンハを連れて来るだけで居酒屋を一週間 留守にしてくださると(自由に使って良いと)。



 記 者「 韓国ではマティス、日本では自転車に乗って通うと聞いたが?

 ヨンハ「 仕事する時は事務所の車に乗って通うが、
     個人的に外出する時までも大きなバンに乗って通う必要ないでしょう。
     路地が多くて車が詰まるソウルでは小さい車が一番気楽です。
     でも社長が それでも体面を気にして車をちょっと変えなさいと言うが、
     バンに乗ればパク・ヨンハで、マティスに乗ればパク・ヨンハではなくなるのでしょうか?
     僕はそんなこと構わないです。
     日本ではコーヒー1杯買いに行ったりヘルスクラブに行く時にも、
     その1人のために何人かのスタッフたちが一緒に従って行かなければならないのがとても負担だったんですよ。
     申し訳なかったりして。 それで自転車を一台だけ買ってくれと言いました。
     自転車乗ったり運動するのを元々好きで、少々一人で外出する時に乗って通います。



 記 者「 ‘オンエア’という作品を選んだ理由中に‘徹底的に日本とは無関係の作品だから’と言ったのがとても嬉しかった。

 ヨンハ「 この前に日本に行った時に人々にその話をしたらとても驚くんですよ。
     なので説明をしました。
     ‘冬のソナタ’が日本を含めて多々の国で人気があったが実際は その頃には日本とは何の交流もなかったんですよ。
     意識を全然しなかったということです。
     ところが最近は人々がとても日本にアピールするほどのドラマを作るという気がしましたよ。
     僕はそれがとても笑えたのです。
     ひとまず本当の僕たちの作品を作っておいてそれが反応が良くてこそ意味があるのじゃないか。
     韓国の伝統を知らせたいといって、日本人、西洋人の好みに合うように変形された韓服をお目見えすることに何の意味がありますか。
     日本を狙った作品をしなければならなかったら僕は最初から遠慮なくしようと思います。
     ないふりをしながら日本の人々の口に合う作品をすることは男らしくなくて恥ずかしく思います。



 記 者「 韓国大衆は‘韓流スター’というのを評価切り下げする意識がある。

 ヨンハ「 考えは自由です。 実際に僕さえも そのようだと考えますよ。
     なぜなら僕が日本でどのように活動をするのかよく知らないから。
     それをあえて韓国に知らせなければならない理由もないと思います。
     それを証明するためにまた他の何かアクションを見せなければなりません。
     ところが僕がそのように見せると言って人々が果たしてどれくらい信じましょうか?
     無視するというのでなく本当に言葉どおり、自由に思いなさいというんです。
     僕は大丈夫だから。 僕はスポンジのような人なので、ある程度は掻いても傷も付かないです。
     スポンジをギュッと押せばまた飛び出てきて、尖ったもので突いても再び埋められる(元に戻る)でしょう。
     最初から取り外すとか穴を開けるほどさえなければ僕はそのまま大丈夫です。



 記 者「 日本では主にアルバムやコンサートを通じてミュージシャンで活動すると知っている。
     ミュージシャンとして自分の位置はどのぐらいと思うか?


 ヨンハ「 そうですね・・・、段階が1から10まであったら僕はもう3~4ほど?
     本当にもっと上手くやりたいが、言い訳になるけど本当にすべき仕事があまりにも多くて出来ないのが辛いです。
     歌と曲を作ることが1~2時間でするのではないですから。



 記 者「 男の年齢三十に変わったらどうなのか?

 ヨンハ「 実際は装うことが多くて、することが多くなければならない年齢のようです。
     僕は28~29から30過ぎて する事がなかったらどうしようかと心配しました。
     本当に恥ずかしい事じゃないでしょうか。
     最近はすべき仕事があまりにも多くて良かったり 嫌いなことでもあります。
     運動もして、人々にも会って、映画も見て、シナリオも見て、一日にすべき事があまりにも多くて時間が足りなくてイライラします。
     一日が40時間だったらいいし、1年が600日程になったらと思います。個人的な時間があまりないです。
     それでも長所は、最近のようにずっとこのように努力したことを成したら後で僕の家族は幸せにしてあげることができるはずだと思うんですよ。
     僕の妻と子供達が一生笑いながら幸せに暮らせるようにしてあげたいです。
     それで確かなことは、したいより すべきことをしなければならない年齢ということ。



 記 者「 いつも一歩前を考えて家族をとても重要視することが驚くべきだ。

 ヨンハ「 元々 僕がちょっと家庭的です。うちの父の影響が大きいです。
     うちの父が仕事を熱心にしながらも家庭にとても忠実だったが、
     それは僕の周辺の人々もみな認めて羨ましがる点です。
     それで僕はうちの両親が本当にありがたいです。
     僕も後ほど僕の子供にそんな姿を見せてあげたいです。



 記 者「 この前、ある新聞インタビューで家がとても困難で苦労したという話を見た。

 ヨンハ「 うちの父の履歴を申し上げたらですね、クク。
     ソン・チャンシクさんを含めて、ユン・ヒョンジュ、キム・セファン、ヤン・ヒウン、チェ・ペコなど、
     当時のギター歌手たちのマネジャーと同時に社長でした。
     イベント会社を作って大学祭というのを初めて誕生させた人です。
     しかし僕は父が何かの奉仕団会長様だと思ってました。
     周辺の人々に何をそんなにたくさん与えるのか。
     お金をたくさん儲けても周辺の人々に全て与えて本人は残るものもなかったんです。
     それが結局IMF(1998年アジア通貨危機)の時に裂けたんです。皆がそうだった時じゃないか。
     本当に不思議なことに、父はそのように事業が滅びたが、
     僕は‘ずっと会いたい(ポゴトポゴ)’というドラマで有名になり、
     無我夢中で活動するようになったんですよ。
     それ以前まで父が持っていた運が僕に移って来たような気がしましたよ。
     一家族の運が父から息子にバトンタッチされたような感じ。



 記 者「 お父さんのおかげで幼い時の思い出のようなことはないか?
     ヤン・ヒウンさん膝の上に座ってソン・チャンシクさんのその他の伴奏に合わせて童謡を歌ったとか何かこういうエピソードは?


 ヨンハ「 いいえ、僕は大嫌いでした。
     マネジャーや放送界の幹部たちを含めて有名だという人々が家に来るのが大嫌いだったんですよ。
     母が食事の準備に苦労を大変多くされましたよ。
     良かったことは、遊園地みたいなところで歌手たちが公演をする時に舞台裏に入れること。
     そんなこと以外には誰か見たい芸能人もいなくて ただ嫌いでした。



 記 者「 そんなに嫌いだったのに演技はどのようにすることになったか?

 ヨンハ「 母が僕を放送の仕事をさせようと非常に努力されました。
     実は僕はすごくイヤだったんですよ。
     ある日に撮影をしに行ったが監督様が‘君 この奴きちんとできないのか?’と悪口を言うんです。
     僕がどうしてここでこんな険しい話を聞かないといけないのか、とても苛立って胸が痛いんです。
     悔しい気持に反抗しようと台本を投げつけたが、紙のたった数枚のメッセージ台本だから音も出なくて素振りもしなくて。
     演技できない しないと言ったが母がずっと試みにしたことです。



 記 者「 15年以上放送生活をしながら、そのように腹立って呆れたことが1回2回ではなかったでしょうね?

 ヨンハ「 表現をまともにできなかったです。 それで僕が遅れたようです。
     僕は演技といえばあらゆる事を全て受け入れなければなければならないと思いました。
     誰かが何かを注文すればそれをテキパキやりこなさなければならないと思ったのです。
     僕に似合わないで、僕が間違った事なら意見を言って調整をすべきなのに、無条件で‘はい’と言いました。
     今 考えれてみたらそれが本当に良くないです。 理解が間違っていたんです。



 記 者「 趣味で写真を撮ること知ってます。

 ヨンハ「 写真が一番残るもののようです。
     以前にポラロイドで撮っておいた写真があるボックスです。
     あとで この写真を年度別に一枚ずつ整理しながらその写真の中に含まれた当時の思い出を一つずつ確かめたいです。
     ゆっくり、長い間、僕が以前した作品を一枚ずつ引き出すという考えで、
     それで少なくとも数年の間ずっと思い出すことができるのじゃないか。



 記 者「 未来を備えて思い出の種をあらかじめ収集しているようだ。

 ヨンハ「 写真の勉強をもっとたくさんして後ほど他の国で写真家で仕事をしてみたいです。
     その国では写真家で、韓国では演技者で、日本ではミュージシャンで。
     仕事がある度々に行ったり来たりするのですよ。
     ただ僕の仕事に満足して僕の家族が幸せになるようにしながら生きたいです。



 記 者「 夢があるか?

 ヨンハ「 今 話した全てのことが僕の夢です。
     易しくないだろうが男として一度挑戦してみる価値あることじゃないでしょうか。
     そのままそのようにしたいこと全てしながら楽しく生きます。


 おわり



●2008年 8月18日発刊〓
   ・ 韓国雑誌「BAZAAR 」2008.9月号 韓流ショップ
   ・ 韓国雑誌「BAZAAR 」2008.9月号 韓国音楽専門ソウルライフレコード
   ・ 韓国雑誌「BAZAAR 」2008.9月号 韓国広場
・Harper's BAZAAR (ハーパース バザー)
  ・韓国ファッション雑誌(韓国語)
  ・(パク・ヨンハ)、8ページ掲載。
   写真でみたパク・ヨンハの姿

    表紙/イ・ナヨン(韓国女優)





●韓国雑誌
 ・ 「Numero 」(2008.9月号) 日本翻訳
 ・ 「In Style 」(2008.7月号) 日本翻訳
 ・ 「GQ KOREA 」(2008.5月号) 日本翻訳
 ・ 「COSMOPOLITAN 」(2008.4月号) 日本翻訳
 ・ 「ELLE 」(2008.3月号) 日本翻訳
 ・ 「ELLE girl 」(2008.4月号) 日本翻訳
 ・ 「女性中央」(2008.2月号) 日本翻訳
 ・ 「marie claire 」(2008.2月号) 日本翻訳
 ・ 「 anan 」(2008.1月号) 日本翻訳




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