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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2024.10.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
赤ちゃんは、大人が教えなくても歩くようになります。話すようにもなります。それは、赤ちゃんには「お母さんや大好きな人と話したい」、「大好きな人と同じように歩きたい」という欲求があるからです。

オオカミに育てられた子どもは四つ足で歩いていたそうですから、「人間だから立って歩くようになる」というわけではないのです。自分にとって大切な人が立って歩いているのを見て、「自分も立って歩きたい」という欲求が目覚めるのです。
また、大好きな人たちに話しかけられるから、自分もまた「大好きな人に話しかけたい」という欲求が目覚めるのです。

だから、お母さんが日本語で話しかけていたら、子どもも日本語を話すようになるのです。英語で話しかけていれば英語を話すようになるのです。それはつまり、お母さんが話しかけないと、「子どもは言葉を話すようにはならない」ということでもあります。「言葉を話す必要性」が発生しないからです。

テレビなどをいっぱい見せていても、テレビは話しかけてくれません。だから「言葉を話す必要性」も生まれません。赤ちゃんにとって、テレビから流れてくる言葉はただの「音」であって「言葉」ではないからです。

でも、その単なる「音」でもいつも聞いていると覚えます。そして、「音」を発っするようになります。それは、テレビから流れてくる音楽をすぐに覚えて自分でも歌うようになるのと同じです。

でもそれは、子どもにとっては「言葉」ではなく「音」に過ぎないのです。大人の方が勝手にその「音」を「言葉」として受け取ってしまっているだけです。

幼い子どもはよく「うんこ」などと叫びます。また、ゲームなどをやっている子は、簡単に「しね」という言葉も使います。子ども自身にとってそれは「音」であって、「言葉」ではないのですが、大人はそれを言葉として聞いて右往左往します。

その大人とのやり取りの中で多少はその音に「言葉としての要素」も加わるのですが、そのように覚えた言葉では、「自分が感じたこと」、「自分が考えたこと」、「自分がやりたいこと」、「相手に伝えたいこと」を相手に伝わるように話すことが出来ないのです。「話しかけられる」という体験を通して覚えた言葉ではないからです。

そのような言葉しか知らない子は、言いたいことは一方的に言うのですが、相手に伝わるように話すことが出来ません。また、相手の言葉に耳を傾けることも出来ません。そういう必要性がない状態で育ったからです。

最初書いたように、幼い子どもはお母さんやみんなが歩いているのを見て自分も歩きたいと思います。そして歩こうとします。それが本能だからです。
でも、最初はうまく歩けません。まっすぐにも歩けないし、歩こうともしません。興味に従ってあっちに行ったり、こっちに行ったりしてしまいます。それで、危険や面倒くささを感じたお母さんは子どもをベビーカーの中に閉じ込めます。また、近くの所に行く時も、歩くのではなく自転車などを使ってしまいます。

歩きたい盛りの子どもは、最初は嫌がるでしょうが次第にその状態に慣れてしまいます。すると「歩く必要性」が消え、歩くことに楽しさを感じなくなります。そうなると、「自分で歩いてもいいよ」と言っても、自分の足で歩かなくなります。

ハサミなども、みんなが使っているのを見て自分も使いたくなった時が「学び時」なんです。でもそれを、「危ない」「まだ早い」と言って取り上げていて、子どもが大きくなってから「ハサミを使ってもいいよ」と言っても、ハサミを使おうとはしなくなってしまうのです。必要性が消えてしまうからです。また使おうと思っても使えないので面倒くさくなります。

学校の勉強も、子ども自身が求めたものではありません。授業では、理由も分からないまま椅子に座らせられ、おしゃべりも禁止され、「子どもが求めていないもの」や「子どもには理解できないこと」や「子どもの生活には関係がないこと」を一方的に押し付けられ、「覚えろ」と要求されています。

それらは、子どもには興味も必要もないものばかりです。そのため、放っておいたら勉強しようとしません。
でもそれでは困る先生たちは、テストという「勉強する目的(必要性)」を子ども達に与えます。そして子どもたちに「テストのために」勉強するように追い立てます。お母さん達も同じです。

でも、「テストのための勉強」は、学校以外の場では全く役に立ちません。社会に出てからも役に立ちません。特に子育ての場では全く役に立ちません。

学校で教えていることも、もともとは必要があって生まれたものです。「1+1=2」ということも、生活したり、様々な活動をするために必要があるから教科書に載っているのです。本来、「1+1=2」は「生活で必要になる考え方」であって、テストのための知識ではないのです。

だから「1+1=2」という考え方が必要になるような体験や活動をさせれば、子どもは「1+1=2」という式を学んだ時にすぐに納得するのです。

知識よりも先に体験を与えるのです。体験をさせずに知識だけを覚えさせようとするから子どもは勉強が嫌いになってしまうのです。
これは国語・算数・理科・社会の全ての学びにおいて同じです。

昔の人は「よく遊び、よく学べ」と言いましたが、この順序が大切なんです。「よく学べ、よく遊べ」ではダメなんです。そして、子どもの成長にとって、7才前という時期は「遊びのための期間」なんです。子ども達は、この時期の多様な遊びを通して様々な必要性に目覚めるのです。





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Last updated  2024.10.14 08:33:14
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