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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2024.11.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私が生まれたのは1951年(昭和26年)です。
まだ戦争が終わって6年しか経っていない時期です。そして昭和30年頃から私の記憶が始まります。当時の様子は、映画「三丁目の夕日」に描かれているような感じでした。

今では当たり前になったテレビ、冷蔵庫、洗濯機が発明され、少しずつ普及し始めていました。でも、まだ一般的ではなく、今の人には考えられないでしょうが、知らない人の家に上がり込んでテレビを見せてもらっていたのです。
お醤油などの調味料の貸し借りも珍しいことではありませんでした。

子ども達は、幼稚園や学校から帰ると、路地裏や神社の境内などで群れて遊んでいました。道路が遊び場だったのです。当時は車が少なかったし、その車もノロノロ走っていたのでそれほど危なくなかったのです。
当然、ゲーム機もスマホもありません。テレビもほとんど見ません。みんなオモチャを買えるほど豊かではなかったのでオモチャも手作りです。そもそも、今のようなオモチャ自体が存在していませんでした。

家にいてもつまらないので、学校から帰ったら神社などの「子どもがたむろしている所」に行くか、「○○ちゃん あそーぼ」と友達の所に行きました。
みんなのんびりした時代だったのです。時間の流れもゆっくりでした。

まだ「受験競争」なるものも始まっていなかったので、お勉強の塾に通っている子は少なかったです。○○教室に通っている子も少なかったです。私は幼稚園の頃は絵画教室に、小学生の頃はそろばん教室に、少しだけ通っていました。

そんなのんびりとした時代だったので、子ども達も落ち着いていました。遊びを通して、仲間で群れて遊ぶ能力や、みんなで一緒に活動する能力も育っていました。
ですから学級崩壊などは存在していませんでした。

私が子どもの頃は一クラス50人くらいいました。今は30人くらいですよね。そして先生は一人きりでした。補助の先生などいませんでした。それでもちゃんと授業が出来ていたのです。
今は30人でも大変なようですよね。

でも、高度経済成長の始まりと共に、ものすごい勢いで人々の生活リズムが速くなり、社会全体もものすごい勢いで変化し始めました。子ども達の遊び場だった道路にも自動車がいっぱい走るようになり、子ども達は道路で遊ぶことが出来なくなりました。

「子ども達が遊べるような空地」や、「魚やザリガニを捕って遊べるような小川や池」も消えました。場所はあっても、そういう所で遊ぶことが禁止されるようになりました。
オモチャを作るときに使っていたナイフを持ち歩くことも禁止されました。

そして、「助け合う社会」から「競争する社会」へと変化していきました。「もはや戦後ではない」と宣言されたのは1956年だそうですが、30年代後半頃から人々がそれを実感できるようになったのです。
昭和39年に開かれた「東京オリンピック」はその象徴でした。
当時、中学生だった私はその頃起きた変化をよく覚えています。街の風景があっという間に変わったのですから。(鎌倉です)

そして「群れて遊べる場」や「群れて遊ぶ時間」はドンドン消え、それとともにテレビや高機能なオモチャが普及し始めました。受験競争も激しくなり、「○○教室」に通う子も多くなりました。
1978年(昭和53年)にはゲーム(インベーダーゲーム)も生まれ、少しずつ普及し始めました。

その頃から、「待てない子ども」、「落ち着きがない子ども」、「自己主張ばかりして人の話を聞くことが出来ない子ども」、「ストレスを溜め込んだ子ども」が増えてきたのではないかと思います。その一方で、じっくり感じ、じっくり考えることが出来る子どもは減ってきました。

「待つ必要がない生活」が普及すれば、「待つ能力」が育たなくなるのは当たり前です。
いつも追い立てられていたらストレスが溜まるのは当たり前です。
話を聞いてくれる人がいなければ話を聞く能力が育たないのは当たり前です。
助け合って生活したり、みんなと一緒に遊んだりする必要がなくなれば、自己主張が強くなるのは当たり前です。
じっくり感じたり、じっくりと考えたりすることよりも、すぐに結果を求められるような勉強を押し付けられていたら、「じっくり感じ、じっくり考える能力」が育たないのは当たり前のことです。

人工的に創られた社会のリズムは早くすることは可能ですが、「私たちの命の働きを支えているリズム」や、「子どもの成長を支えている命のリズム」は人間社会ではなく、自然界に属しているので、社会の変化に合わせて変化するなどということはないのです。

特に、思春期前の子ども達の心とからだのリズムは自然のリズムと密接につながっているのです。それは「成長」が「自然現象」だからです。
また、私たちの心やからだのリズムも自然と密接につながっています。ただ大人になると短時間なら人工的なリズムに合わせることが出来るようになります。でも、それを思春期前の子どもに求めてはいけないのです。

また、大人でも人工的なリズムに合わせることが出来るのは短時間です。
そのことを忘れて、日常的に自然からかけ離れたリズムでばかり生活していると、心とからだのリズムが狂い、心の調子、からだの調子が狂い始めるのです。





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Last updated  2024.11.27 07:11:08
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