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2024.01.15
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スズ子はオファーを断って帰ろうとすると
この舞台の音楽監督を務める羽鳥善一が、彼女のために書き下ろした 「コペカチータ」 という歌の楽譜を差し出し、「 これは君にしか歌えない不思議なリズムなんだ。
棚橋さんとの共演で、また新たな扉を開いた福来スズ子が、この歌でさらに魅力を爆発させる。どうだいワクワクするだろう 」と一人盛り上がった。
いま断ったばかりだというスズ子の説明も聞かず、善一は「 君が歌ってこそ、この舞台は完成する
タナケンも「別にいいんじゃない」と合意し、すぐに「舞台よ!踊れ!」という台本を渡されて、スズ子の女優への挑戦が始まった。

*1947年(昭和22年)にリリースされた「コペカチータ」です。これは服部良一さんが書き下ろした曲で、リズムもメロディーも次々と変転していきます。スペイン風のサウンドで、構成がパッションに満ちた情熱的なオペレッタ。エキゾチックで前衛的、彼女の声質を最大限にいかした実験的野心作です。

服部良一と笠置シヅ子が戦後初めて組んだのが、3月2日から4月10日、有楽座での榎本健一一座「舞台は廻る」六景(作・演出・菊田一夫)だった。

昭和のはじめ、浅草で一座を旗揚げして、その後丸の内の舞台に進出、東宝の前身であるP.C.L.映画で数々の音楽喜劇映画に主演。

エノケンの愛称で「喜劇王」となった榎本健一と、「スウィングの女王」笠置シヅ子は、戦前、SGD(松竹楽劇団)時代にラジオ「音楽は嬉し」で共演していたが、舞台はこのときが初共演だった。

シヅ子がエノケンに会ったのは、この年の2月、「舞台は廻る」の稽古場だった。

エノケンがシヅ子に言ったのは「 君は歌手だから芝居はよくわからないだろうけども、君の芝居はツボがはずれている。しかしそれがまた面白い効果を出しているので改める必要はない。僕は君がどんなにツボをはずしても、どこからでも、はずしたまま突っ込んで来い 」だった。

シヅ子はそれを生涯忘れぬ教訓とした。

「不思議なリズムだ」の歌い出しでリズムもメロディも次々と変転していく。

スペイン風のサウンドで、一曲の構成がパッションに満ちた情熱的なオペレッタで、しかもジャズのイデオムである。

エキゾチックで前衛的、シヅ子の声質を最大限に活かしての実験的野心作である。

スウィングのリズムで始まり次々と変転、ルンバになり「クカラチャ」のフレーズがちらっと出て、南国モードに入ると「君よ知らずや」と、戦前流行の オペラ「ミニョン」 の「君知るや南の国」を連想させる歌詞が心憎い。で「それはコペカチータ」となる。

服部による歌詞は、常にリズムと連動し、メロディと繋がっている。で、間奏はまたタンゴになる。この不思議なリズムを「コペカチータ」という謎のフレーズでまとめ上げる。

シヅ子は舞台で、この「コペカチータ」をエノケンと一緒に唄ったのだが、掛け合いのパートで、エノケンが間違えて「一つ余計に歌って」しまったことがあった。

それがおかしくて、おかしくて、シヅ子は吹き出して歌えなくなってしまった。

するとエノケンは「自分で間違えた責任上、ご自身も笑いたかったに違いないのですが」最後までシヅ子のパートも一人で歌った。と、笠置シヅ子は、1970(昭和45)年に榎本健一が亡くなった時に追悼文集「エノケンを偲ぶ」で回想している。





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最終更新日  2024.01.15 18:23:07


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