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【119】 翁
曰
く、 善因
には 善果
あり、 悪因
には 悪果
を 結
ぶ 事
は、 皆
人
の 知
る 処
なれども、 目前
に 萌
して、 目前
に 顕
るゝ 物
なれば、 人々
能
く 恐
れ 能
く 謹
みて、 善種
を 植
え悪種を除くべきなれども、如何せん、今日蒔く種の結果は、 目前
に 萌
さず、 目前
に 現
れずして、十 年
廿 年
乃至
四十 年
五十 年
の 後
に 現
るゝ 物
なるが 故
に、 人々
迷
ふて 懼
れず、 歎
はしき 事
ならずや、 其
の 上
に 又
前世
の 宿縁
あり、 如何
ともすべからず、 是
の 世
の 人
の 迷
ひの 根元
なり、 然
れ 共
、 世
の 中
万般
の 事物
、 元因
あらざるはなく、 結果
あらざるはなし、一 国
の 治乱
、一 家
の 興廃
、一 身
の 禍福
皆
然
り、 恐
れ 慎
んで、 迷
ふ 事
勿
れ。
【119】尊徳先生がおっしゃった。
「善因には善果があり、悪因には悪果を結ぶ事は、皆人が知るところである。
しかし、目前に萌(きざ)して、目前に顕われるものであれば、人々もよく恐れ、よく謹しんで、善種を植え、悪種を除くであろうが、
いかんせん、今日蒔く種の結果は目前にきざさず、目前に現われない、
10年20年あるいは40年50年の後に顕れる物であるから、人々は迷って恐れない。
歎かわしい事ではないか。その上にまた前世の宿縁があり、どうすることもできない。
これが世の中の人の迷いの根本である。
しかし世の中のすべての事物に、原因がないものはなく、結果のないものはない。
一国の治乱、一家の興廃、一身の禍福みなそのとおりだ。
☆二宮●(コウ)子手記抜粋
一 嘉永五壬(みずのえ)子(ね)年四月、二宮家へ手前は嫁し候事故、其の後の事のみ心覚へ丈け記し申候。其当時御祖父様は御年六十六歳の御老体に候得共、誠に御すこやかにて、第一朝は只今三時半か四時に起き、夏冬共同し、直に井戸端へ金たらいを持出、四季とも冷水にてうかひ其他顔洗等済し、全体は信者之方にて神棚を拝し、夫より床にかけ置候不動尊拝し、又金比羅も御心信にて、夫れより仏前と毎朝同様之事。(略)
一 其の頃は御代官手附の事故、折々真岡陣屋へ御出に相成り、羽織小倉の袴、夏は麻羽織くづ袴、大小は例の通り粗末の品、又時により桜町陣屋へ御出に相成り候事もこれ有り、父上には日々真岡陣屋へ弁当持にて御出勤相成り候事(略)
一 子年(嘉永5年)の六月頃と覚え候、夕方の御酒飯も済み、座敷の床前にて、御涼みのところ、手前にはうちわにて蚊などを追い居り候ところ、手前への御教訓にもこれ有り候らはん、ただただ道歌を吟じ御出なされ、その道歌は上の五句ちょっと忘れ候えども
何々の(身をすてて) ここをせんととたのしめば 月日の数もしらぬなりけり
と、幾度となく 繰返し繰返し御吟じのことのこれ有り候
一 或る日御酒召上りながらのお咄しには、 焼木杭も三年保のたとへあり。余り大火をたきし跡なれば、子や孫の代位迄は温むが残るとも、永久保ち候事は有るまじ、いつかさめる事有べし。若し子も孫も少しづつにても、火の消さぬ様に守り居れば、永遠に長く栄えむ
と。
○尊徳先生は、ある日の夜、嫁のコウ子にこう話されたことがある。
「焼木杭(やけぼっくい)も3年保つという譬えもある。
私が大きな火(多くの農村や藩政を改革し、天保の大飢饉の時には数万の人の命を救った)をたいた跡だから、
子や孫の代くらいまでは温かみが残るであろう。 しかし永久に保ちがたい。
いつかは冷めることもあろう。
もし子や孫が少しずつでも、火が消えないようにたいておれば、永遠に長く栄えよう」と。
(「尊徳門人聞書集」266ページ)