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ララニャン@ あらら あらあらビニールシートが大好きみたい。…

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2023年03月07日
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カテゴリ: マヌ Manu


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【神と芸術】
4.愛の輝きこそが美を生み出す
神に至る道というのは、方法においては違いがあるけれども、神が愛そのものであることに辿り着いたときには、神を求めることそのものに「真・善・美」というものが含まれていて、そこに美的なものが出てくるのです。
その美へというものをクローズアップして、僕らのように音楽とか詩とか建築物とか、あらゆるものですよね--。ある程度進化した惑星の中では、日常の中に美的なもの以外を人びとが受け付けなくなるのです。
音楽も、ただ騒がしいだけの、人の心を壊すような地獄の歌みたいなものが、地球ではまだはやっているでしょう。
でも、神のもとへと続くような意識レベルになったなら、地獄的な波動のものは、人びとが望まなくなるのです。調和された美しい天上界的な調べが心地よくなる。この地球においてもそうだと思いますよ。
地獄的なものは一時的な刺激として好む人はいるかもしれない。けれども、根本的には、多くの人びとは安らぎや、愛や、平和を望んでいるはずですから--。そういうことを考えれば、これからは、天上的な音楽が人びとの間で口ずさまれていくだろうと思っています。
今、芸術家たちは混乱していて、前衛アーテイストとか言われている人たちはね、現代的なものでも、地獄的なもののほうが刺激的だから、そういう刺激だけが個性であると、それが芸術の本髄であるというような認識、低いレベルの中にまだいるので、現代アートはひじょうに混乱はあるかもしれないけれど--。
芸術が芸術だけであるとか、科学が科学だけであるとか、宗教が宗教だけであるというふうに、あなた方、この地球の文明自体が、まだそういう次元にいるから、別々に、独立しているように思うかもしれないけれどね。
最終的に地上が、仏陀や、エル・ランティがおっしゃられるような、法の極みに達して、
人類がみんな神の子であるのだと(知れば)--。
神の子とは何か。
神は愛である。愛の本源に戻りましょう。愛の本源から分かれた御魂、分かれた光線一人ひとりがあなた方なのです。一人ひとりが愛の表現媒体なのです。その認識に至れば、愛の表現媒体として、結果として美が出てこなければおかしい。
そこのところまでわかっていただけましたか。
神の表現媒体は、結果として美になるということ。
その生き様に真実があり、善があり、圧倒的な愛に包まれたとき、人びとの仕草、言葉--、愛が細胞レベルにまで至ったならば、みんなが美男美女になるのです。もし、その段階で醜悪なものがあるとしたら、それはまだそのレベルに達していない--。
神の愛の法は、いちばん美しい、均整のとれたものになろうとする習性があるのです。
ですから、それが細胞レベルにまで到達したならば、高度な惑星に至ればね、みんな美男美女になっている星があるというじゃないですか。「オリオンから来た人たちはみんな美形が多い」と、あなた方はよく言っていましたけれども、それはベーエルダ星においても、どこの星においても、ある程度進化発展したとき、個性の違いはありますけど、みなさんとても美しいです。均整のとれた美しさをそれぞれの個性で持っています。
僕らの星は、特に美というものを前面に打ち出した惑星であるので、美に対する感性も研ぎ澄まされたものがあります。美的なものを、自分たちの肉体細胞レベルにおいても、媒体として表現されて、改造されているということかもしれない。でも、みんな、それぞれの惑星での美意識で、最高であると信じているものを、形態としてまとっているということですね。
マヌ
『宇宙時代の神の子たちへ』





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最終更新日  2023年03月07日 07時00分09秒
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