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ララニャン@ あらら あらあらビニールシートが大好きみたい。…

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2024年05月05日
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【無限の愛】⑦~行いがあってこその愛の使者、神の使者であるということ~

そのために、あなた方は、こちらの世界にいたときに、愛の原理というのは、たくさん学んでるんです。
あなた方くらいだったら、もう十分学んでるんです。
でも、「じゃあ地上に出たときに、その七次元で学んだ愛の原理をなせますか」ということが、あなた方の試験ですよ。
やってますか?
愛というのは、漠然とした人類に対する愛じゃないんですよ。

日常のささやかな一コマのなかに、生きた愛の姿をなしていくということ。
行いの中になしていくということ。
ミクロ的には夫婦や、家庭の愛から、マクロ的には、人類に対する愛として広がるんです。

身近な人、親を大切にしたりとか、愛する妻、愛する恋人をね、夫を愛せない者が、愛する娘たちを本気で愛せない者が、人類は愛せないんだよ。
そこを、あなた方は勘違いしちゃいけないよ。

神職にある者、神の使者にあった者たちは、どうしてもそういう抽象的な、漠然とした観念の中で愛を唱えたがる。
でも愛というのは違うよ。
マザー・テレサが言ったように、理屈ばかりを言って、排斥する他の宗派の者たちに対して、「私は忙しいんです。あなた方、私を非難するなら、そこに座って私を見ててください」と。

それで、マザー・テレサは何も言わず、黙々と病に苦しむ患者たちの世話をした。
そのうちに、他の宗派の人たちは黙っていなくなった。
それくらい愛というのは、語るのではなく、行いの中で、日常の一コマ一コマで、全身全霊で捧げ尽くす、その姿、行為を通して、自然に人に語られ、人の心を動かしてくるものなんだよ。

だから、その愛を、単なる理念だけで言ってははいけない。
それはあなた方の人生をもって、その後ろ姿で、あなた方が示していくことで、救世の大運動というものが、ほんとうの意味で広がっていく。

マザー・テレサというあの小柄な女性ひとりが、ここまで世界を変えたじゃないか。
やり続けたじゃないか。
それは彼女が語った言葉かい?
彼女はけっして雄弁な人ではなかった。
語る言葉に関してそれほどーー。

「マザーの言うことは、言わなくてもだいたいわかります」というのが、みなさんの言葉でした。
彼女はそれほど説教のうまい人ではなかったからね。
でも、彼女は、全身全霊をもって自分の人生を、まあ、キリストといったけど、神そのものに捧げてた。

病に苦しむ患者、街で死にかけている子どもたち、食べるあてもなく子どもを抱えたご婦人たち、貧しい子どもたち、すべての中にキリストを見たと言った。
神の子として、神の姿を見たんだよ。

自分の使えるキリスト、神のお姿を、一人ひとりの弱き者たちのなかに見たとき、彼女は全身全霊で、自分の愛する神のために、彼らを助け続けた。
その行いを通して、あんな小さな女性のやった行為が、世界中の者たちの感動を誘い、世界中の人々を神のもとに立ち戻らせ愛というものが何なのか。
神の使者というものは現実にいるのだと、この地上にいるのだという深い感動を与え、世界中の人々を動かしたんじゃないのかい?

行いがあってこその愛の使行、神の使者だということ。
理屈を言うだけなら、いくらでも言えます。
それは、僕自身が愛を、法を語ったのに、それを実際に具現化する、具体的なことを社会に広める時間がなかったから、教えだけでしか残らなかったーー。

教えを具体化できる弟子たちに期待をしたけれど、それが具体化しなかったから、高橋信次なんて何を伝えたのかとーー。
闇に葬られようとしている。
そういう状況になってしまった。

教えの内容は、はっきり言って恥ずかしいものではないと思ってるよ。
僕の残した教えは恥ずかしいものだとは思ってない。
十分、根本法として通用すると思ってる。
でも、それがほんとうの意味で、生き様の中で、人類にその後ろ姿をもって伝えられていかなかったら、どれだけ九次元の根本法が地上に降りたとしても、少しもそれは世の中に広まっていかないということだよ。

マザー・テレサは、九次元の根本法なんてなんにも知らなかった。
単なるカトリックの修道女、一修道者にすぎなかったけど、全身全霊をもって、愛の行いの中に人生を生き、捧げ尽くした。

その姿をもって、神の懐の中に戻っていけたし、神のお姿そのものをこの地上にあらわすことができた。
まさに愛の通路として、愛のチャネラーとして、神様の愛の道具として、地上に降り立った光の天使として、彼女は存在しえたということ。

「愛の通路となりなさい。愛の道具となりなさい」とアモールが言いました。
その姿を、あなた方一人ひとりがやったら、ここに、何人のマザー・テレサが誕生すると思う?
その、あなた方の神の子としての本来の神性に火をつけるために、我々はこうやって地上に降りてきて、あなた方に直に話をしている。
九次元の話を、直で毎回聴ける者はいないけれど、天上界においてもあまりいないけれども、それでも、僕たちは話をしている。

あなた方が肉体を持っているということは、それはある意味で、半分、目が見えないのと同じ状態であるけれど、そのうえであえて肉体を持ち、これだけの覚悟で、レムリアに集まっているということをもって、あなた方に第二第三のマザー・テレサになってほしいと、そう心から願うから、こうやって、毎回出てきてるんです。

いいですか。
愛というのはーー、自分の身近にいる者をほんとうに愛しえたときに、愛のほんとうの意味を知るんだ。
だから、愛を単なる空理空論のものとして、言葉だけ、便宜的に使ってはいけないよ。

エル・ランティ(高橋信次)『宇宙時代の神の子たちへ』より





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最終更新日  2024年05月05日 07時05分03秒
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